進撃の建築家 開拓者たち 第26回 連勇太郎(開拓者31) 川瀬英嗣(開拓者32) 中村健太郎(開拓者33) 山川陸(開拓者34) NPO法人モクチン企画 木賃アパート改修戦略ーソーシャル・スタート・アップの実験「モクチンレシピ」2018年10月(『進撃の建築家たち』所収)
開拓者たち第26回 開拓者31 連勇太郎 開拓者32 川瀬英嗣 開拓者33 中村健太郎 開拓者34 山川陸 建J 201810
NPO法人モクチン企画
木賃アパート改修戦略―ソーシャルスタートアップの実験
「モクチンレシピ」
布野修司
とにかく会いにいきませんか?と、連勇太郎[1]くん(図⓪a)を紹介してくれたのは川井操くんである。このシリーズ、「計画学への問いかけ、建築 史の検証、アジアへのまなざし、スラム・寄せ場・セルフビルドへの共感、タウンアーキテクト待望など、布野修司の自分語りも重ね合わせて建築家論、建築家職能論を展開する」という編集部の指令のもとに開始したのであるが、「自分語り」に拘ると内輪話に堕す。だから、これを機会にネットワークを広げる方向で考えたいと思ってきた。「トモダチ」の「トモダチ」の「輪」を広げる芋づる式である。とはいえ、そうそう若い建築家に出会う機会があるわけではない。そこで頼りにしてきたのが、日本建築学会の『建築討論』の作品小委員会のメンバーであり、日頃接する学生たちである。滋賀県立大学の談話室(『雑口罵乱』01~09号、2007~2017年)で出会った建築家たちはこの連載の幅を広げてくれたと思う。
「モクチン企画」のオフィス「カマタ_クーチ」(図①a)に出かけて、連くんから『モクチンメソッド 都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017年)をもとにレクチャーを受けた(4月3日)(図①b)。大島芳彦(開拓者27)さんから連くんは「木造賃貸アパート再生ワークショップ」の時の学生だったと聞いていた。「木賃アパート」のリノヴェーションを専門にしている企画設計集団と思い込んでいたのであるが、説明中C.アレグザンダーの『パターン・ランゲージ』(図①c)が出てきて、俄然、関心が深まる。僕の卒論はC.アレグザンダーの設計方法論なのである[2]。「パターン・ランゲージ」については45年前にそれなりの決着をつけたつもりであった。いくつか具体的な「作品」?あるいは「現場」が見たいというと、改めて戸田公園(埼玉県)を拠点とする「モクチンパートナーズ」の平和建設(川邊政明社長)を紹介するというので、西川直子編集長と一緒に出掛けた(7月17日)。
モクチン
モクチン=木賃とは、木造賃貸アパートの略語である。「木賃」はモクチンと呼び慣らされる以前はキチンと読まれた。木賃宿のキチンである。本来、江戸時代に宿場制度として街道筋に設けられた安宿、旅籠を意味する。基本的に大部屋で宿泊者が食材を持ち込んで薪代相当分を払って料理してもらった、薪すなわち木を賃料として払ったから木賃宿である。木銭宿ともいった。明治に入って産業革命とともに都市化が進行すると、東京、大阪、名古屋に「貧民窟」が出現、木賃宿は「貧民窟」すなわち労働者や無宿人を畳一枚程度で雑魚寝させる貧民の巣窟の安宿を意味するようになる。「やど」を逆にした「ドヤ」という言葉ができる。この系譜は、ドヤ街に繋がる。
モクチンは、この「ドヤ」の系譜とは異なる。日本にアパート形式の住宅が現れ始めるのは大正末から昭和の初めであるが、住宅ストックとして大量に建設されるのは、戦後復興から高度成長期にかけてである。戦後まもなく住宅不足数は420万戸と推計された。建築家たちが最小限住宅に取り組んだことはよく知られる。建築家の戦略は、公共集合住宅のモデル設計、工業化住宅のプロトタイプ設計へ向かう流れと個別住宅設計を積み重ねる方向の大きくふたつに分かれる[3]。日本住宅公団が設立されるのは1955年であり、プレファブ住宅の供給が開始されるのは1950年末以降である。そして、曲がりなりにも全国の住宅数が世帯数を超えるのは1968年、全都道府県で住戸数が世帯数を上回ったのは1973年である。その間、日本の住まいを支えてきたのが木造賃貸アパートである。
木造賃貸アパート再生ワークショップ
60年代末から70年代初頭にかけて、若い建築家や建築を学ぶ学生たちは、何かに憑かれるように東京の街を這いずり回った[4]。「デザイン・サーヴェイ」と総称されることになるが、その対象、視点、目的は様々であった。その中でモクチンへのある種のシンパシーをもって調べ回ったグループが、『モククチンメソッド』も触れるが、重村力らの東京探検隊(『都市住宅』「木賃アパート-様式としての都市居住」、1973年2月号)である。当時、木賃アパートは上京してきた学生たちや若いサラリーマンたちの受け皿だった。まだ、「賄い付き下宿」も一般的であった。ワンルームマンションが登場するのは後の時代である。
その時代から40年、「木造賃貸アパート再生ワークショップ」というプロジェクトが立ち上げられたのは2009年という。首都圏の様々な大学から学生が集まり、木賃アパートを自分たちの手で、自分たちの住みたくなるようなものに改修しようというプロジェクトである。大島芳彦(ブルースタジオ、開拓者27)、土屋貞雄(コンサルタント:株式会社貞雄、元ムジネット取締役)の仕掛けらしいが、連くんは22歳、SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)の学生として主体的、主導的に参加した。このプロジェクトには大いに共感を覚えた。フィールド・サーヴェイは、建築計画研究そして都市組織研究の基本である。ワークショップは毎月開催、下北沢、高円寺、千駄ヶ谷などを歩き回り、実際に「物件探し」も行い、1年かけて北沢の築40年のアパートを改修することができた(2010年3月)。結局、このプロジェクトがNPO法人モクチン企画の設立(2012)に繋がる。代表理事連勇太朗、副代表理事川瀬英嗣(図⓪b)[5]、大島、土屋はその理事に名を連ねる。
モクチン企画
モクチン企画は、設立6年の若い組織体である。連くんは、もともとは物書き(小説、評論)になりたかったという。父親から建築にもこんな世界があるよとレム・コールハウスの『錯乱のニューヨーク』を渡され、慶応大学SFC(湘南藤沢キャンパス)に入学したのだという。難解な『錯乱のニューヨーク』によって建築を志すとは「タダモノ(只者)」ではない!が、父親とは建築家、連健夫[6]である。幼い頃から建築は身近にあった。学部を出て、修士、博士課程に進む。小林博人[7]研究室に所属したという。一緒に仕事をする機会はなかったけれど、京都大学で3年間(1996年6月~1999年)僕は博人先生と同僚であった[8]。博士課程に進学するとともに、川瀬とともに「モクチン企画」を立ち上げた。助教を務めながら、2015年に博士課程を単位取得退学、その後もSFCやY-GSAで非常勤をつとめる。2014年にシステムエンジニアとして中村健太郎[9](図⓪c)が加わった。また、2016年から山川陸[10](図⓪d)が参画する。スタートダッシュ中の組織である。
2013年秋に自ら改修して事務所として入居した「カマタ_クーチ」(図②)を訪れたときには4人そろって作業中であった(図①a)。事務所前の「クーチ(空地)」に卓球台が置かれている、生け垣や塀もない、?と思ったけれど、その時もらった『モクチンメソッド』の最後に、大家さんの茨田禎之さんとの出会いやその大いなる意図が記されていることを知った[11]。
レクチャーを受けながら考え続けたのは、「木賃アパート」を重要な社会資源として捉え、それを再生する意味である。そして、モクチンレシピなるものを支えるビルディング・システムである。直感的に思ったものは、「木賃アパート」という共用空間を最小限とする都市型住宅としての形式と低所得階層の受け皿としての役割を固定化することにしかつながらないのではないか、という疑問である。連くんとの最初の議論はその直感をめぐっていた。
モクチンレシピ
C.アレグザンダーの“Notes”から“Pattern
Language”そして“House Production”への展開は、基本的には建築の企画設計から生産へ至る一般に開かれた方法論の展開である。“Notes”は決定論的に過ぎるし、“Pattern Language”はパターン(言語)が普遍的に設定されすぎていて(方言を認めない?)辞書的に過ぎる。もう少し、緩やかに建築言語の関係を規定するカスケードのようなシンタクスが必要ではないか、というのが40年前の僕の評価である。モクチンレシピなるものが単品メニューではなく相互関連をもつカスケードのような形でシステム化されているとすれば面白い!?と瞬間思った。しかし、モクチンメソッドは、どうやら建築家による設計方法論、建築生産論という建築のオーソドックス(オールド)・パラダイムの位相とは異なる。予めターゲットとされているのは、社会システムであって建築システムではない。閉じたシステムではなく、開いたシステムである。モクチンレシピとは、部分的で汎用性のある改修アイディアという。それをウエブ上で公開し、流通させ、様々な人に使われる状況をつくることで、単独で改修を一個一個積み重ねていくよりも圧倒的に多く、そして早く木賃アパートの改修を実現していくことができ、物件オーナー、不動産会社、工務店など木賃アパートに関係する様々な主体にアイディアを提供しエンパワーすることで、木賃アパート全体の質の底上げを狙うのだというのである。
モクチンレシピは、C.アレグザンダーの「パターン」といっていいと思う。そして、レシピ同士の取り合わせ(関連性)も合わせて示される点で「カスケード」が意識されている(図③ab)。問題はその使い方である。「モクチン企画」の仕事は、モクチンレシピの開発ということになるが、その具体的中身は何か、である。
トダ_ピース:モクチンパートナーズ
平和建設は、戸田公園(埼玉県)の駅前で不動産業を営む。約600戸の不動産を管理するという。見せて頂いたのはいずれも戸建住宅である(図④ab)。川邊政明社長は、「モクチン企画」のモクチンレシピ(図⑤abc)を知ってすぐに飛びついたという。空家対策は、大家にとって、駅前(地域)の不動産屋にとって日々の大きな問題だからである。
レシピとして専ら使われているのは、「のっぺりフロア」と「ぱきっと真壁」そして「まるっとホワイト」「チーム銀色」のようである(図⑥abc)。平和建設が手掛けたリフォームのビフォー、アフターをいくつかスライドで見せてもらったが、マンションもプレファブ住宅も手掛ける(図⑦ab)。インテリアは白に仕上げるのが基調であった。レシピにも「ホワイトニング」「チーム銀色」といった白、シルバーといった色に関わるレシピが少なくない。一旦、骨組に戻してリノヴェーションをするということではない。借り手と借り手の間にお色直しが可能なレシピが基本である。3ヶ月あるいは半年も借り手が突かない場合、大家さんにリフォームを勧めるのだという。
川邊政明さんは、「トダ_ピース」というネットワークを仮構する(図⑧ab)。スローガンは「「空き箱」を「宝の箱」へ」、空き部屋、空き家に、新しい価値を生み出し、住みたい部屋、魅力的な戸田の街をつくる、人と建物と街の平和で良好な関係(PEACE)をつなぎ合わせて(PIECE)いくのだという。そして、そのネットワークは実体化しつつあるように思えた。レシピは確実に機能している。少なくとも不動産さんの需要には応えている。かつて大野勝彦が構想した地域住宅工房のような街の核となるコーディネーターの役割を、ポスト・スクラップ・アンド時代の現在、地域の不動産屋さんが果たす可能性があるのではないか。
「モクチン企画」は現在21のモクチンパートナーズの年会費とレシピの閲覧料によって支えられている。
ソーシャルスタートアップ
「モクチン企画」は、「建築家個人の名前をブランドとするアトリエ系事務所でもなければ、組織設計事務所でもない」。「ソーシャルスタートアップ[12]としての建築組織」だという。「スタートアップ」とは、「明確な目的やビジョンを持って事業に取り組み、ミッションを達成するために短期間のうちに組織をつくり成長する一攫千金を狙った組織形態」である。「モクチン企画」が社会的なニーズ、少なくとも地域の不動産業の空家対策といったニーズに応えていることは各地のパートナーズが実証していると思う。いまのところ「一攫千金」を得るところまではいっていないように見えるが、その可能性はあると思う。
ただ、確認すべきはそのミッションである。また、モクチンレシピによってそのミッションが達成可能かどうかである。岡部照彦(開拓者05)の「寄せ場」での取り組みを思い起こすが、その「ソーシャル・ファイナンスト・デザイン」とは違う。実に挑戦的なのは、「モクチンレシピのユニークな点は、今までの「まちづくり」というキーワードから想像される合意形成やワークショップというものとは違ったかたちで環境を改変していけるところです。関係者全員で話合ったり、協議する必要はなく、一人一人の家主や不動産管理会社の担当者が家賃収入を向上させるためにレシピを使えばよいのです」「一つ一つのアイディアの中にモクチン企画が大切にしているまちや建物に対する思いが込められているので、結果的にレシピの適用によっていくという無意識の良質なサイクルが生まれることです」という宣言?である。合意形成を基本とする藤村竜至(開拓者13)とクロスすることはないのか?。レシピに込められている「思い」とは何か。この「思い」はどこまでの射程を持っているのか。近代建築計画学の標準設計や標準仕様、住宅メーカーの顧客対応のシステム、あるいは住宅部品や住宅建材のオープンシステムと個別設計をめぐる歴史的基本的問題がここにある。
『モクチンメソッド』は、最後(PART4 つながりを育むまちへ)に、まちへの展開を示唆する。その担い手は誰なのか、そしてレシピにまちづくりへつながる契機が含まれているか、それが問題の核心なのだと思う。「一攫千金」の夢が叶うことを大いに期待したい。
[1] 1987 神奈川県生まれ。2012 慶應義塾大学大学院 修士課程修了。2015
慶應義塾大学大学院 後期博士課程単位取得退学。2012-2013 慶應義塾大学大学院 助教(有期・研究奨励Ⅱ)。2012- モクチン企画設立、代表理事に就任。2013 C-Lab
Collaborator(アメリカ、NY)。2013-2014
横浜国立大学大学院Y-GSA非常勤教員。2015- 慶應義塾大学SFC 特任助教 (SFC-SBC)。2015-
横浜国立大学大学院客員助教 (IAS/Y-GSA)。
[2] 布野修司(1973)『構造・操作・過程―構造分析の試み―』(卒業論文(東京大学))。C.Alexander(1964), “Notes on the
Synthesis of Form”をもとにグラフを解くHIDECSというプログラムを書いた。卒業設計はそれをもとに大学キャンパスを設計した(戸部栄一と共同設計)。
[3] 後者の方向を代表するのが延々とNo.住宅を作り続けた池辺陽である(「住宅の近代化」「第三章 二近代化という記号」『戦後建築の終焉-世紀末建築論ノート』)。
[4] 『戦後建築論ノート』(1981年)で、富田均の『東京徘徊』(1979)を枕に列挙しているけれど、元倉真琴、井出健、松山巌ら「コンペイトー」、真壁智春、大竹誠らの「遺留品研究所」、望月照彦らの「マチノロジー」、そして重村力の東京探検隊など、膨大な時間をかけて実測し、詳細な実測図を作製したのであった。
[5] 1988年生まれ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒。2009年より当活動に参画。 在学中より家具・インテリアプロダクトのデザイン製作や展覧会等の企画運営を行う。現在、
様々な領域を横断しながら活動を展開中。2009年黄金町バザール「cagg&zakkana」企画運営、
2010年銀座ギャラリー悠玄「回展」企画出展、2011年TDW2011「木造賃貸アパート再生 ワークショップ」ブースデザインなど。
[6] 1956年京都市生まれ。多摩美術大学美術学部建築科(現環境デザイン学科)卒業。東京都立大学大学院修了後、建設会社に勤務、10年間、建築設計実務に携わる。1991年に渡英、ロンドンにあるAAスクールに入学、大学院優等学位取得の後、同校助手、東ロンドン大学非常勤講師、在英日本大使館嘱託を経て96年に帰国、有限会社連健夫建築研究室・一級建築士事務所を設立する。1996年-1999年多摩美術大学非常勤講師。1996年-1998年東京都立大学非常勤講師。1997年-1999年東京電機大学非常勤講師。2001年-2004年明治大学兼任講師。2001年-2009年ルーテル学院大学非常勤講師
[7] 1986年 3月 京都大学工学部建築学科卒業 。1988年 3月 同大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了 。1991年 9月−1992年 6月 Harvard
University Graduate School of Design Master in Design Studies 修士課程修了 。2000年 9月−2003年 3月 同大学院 Doctor
of Design Program修了 Doctor of Design学位取得 。1988年 4月−1996年 6月 株式会社 日建設計 設計部 。1996年 6月−1999年 3月 京都大学大学院工学研究科建築学専攻助手 同キャンパス計画助手。2000年 2月− 2002年 1月Harvard University Graduate School of
Design, Teaching Fellow 。2003年 4月− 株式会社 小林・槙デザインワークショップ代表 (槇直美と共働)。2005年 4月ー2012年3月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授 。2012年4月ー現在 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授 。
[8] 夫人は槇直美(父は槇文彦)、兄は小林正美(明治大学副学長)、甥は小林恵吾早稲田大学准教授、建築ファミリーである。小林恵吾先生は一昨年(2016年夏)スラバヤを案内する機会があった。
[9] 1993年大阪府生まれ、和歌山県育ち。慶応義塾大学SFC卒業。学部一年次より同大学松川昌平研究室にてアルゴリズミックデザインの研究を行っている。2014年よりモクチン企画システムエンジニア。
[10] 1990年 埼玉県生まれ、神奈川県育ち。2009-13年 東京藝術大学美術学部建築科。2013-15年 松島潤平建築設計事務所。2016年よりモクチン企画へ参画。在学時は会場構成・舞台美術・店舗内装の設計施工を中心に活動。松島事務所での担当作に育良保育園(2016年日本建築学会作品選集新人賞)、Triton、Text等。設計活動と並行して建築理論研究/実践検証のユニットとして超ポストモダン研究会/山田橋を共同主宰。
[11] 木賃アパートの改修を如何に街の再生につなげていくかは、様々なかたちでリノヴェーションに取り組む若い建築家にとって共通の大きなテーマである。「計画的小集団開発」(延藤安広)「ゼロロットライン」(巽和夫・高田光雄)の提案など僕らの世代も考えてきた。京都で町家の再生を試みる魚谷繁礼・みわ子(開拓者06,07)や森田一弥(開拓者14)の場合、木造の柱梁構造の再生ということが前提で、シェアハウスへの展開や他用途への転換を個別に解いていくのが方針である。
[12] 投資家の孫泰蔵と社会起業家支援を行うETIC.が立ち上げた社会起業家向けのプログラムSUSANOOというソーシャルスタートアップのためのアクセラレータプログラム。着実な成長を積み重ねていく組織体は「スモールビジネス」であり、新しいビジネスモデルやサービスの開発によって短期間で急成長を目指す組織体を「スタートアップ」だという(馬場孝明(2017)『逆説のスタートアップ思考』中央公論新社)。
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