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2021年6月19日土曜日

ラーメン構造 宮内康・布野修司編・同時代建築研究会著:ワードマップ『現代建築ーーーポスト・モダニズムを超えて』

 宮内康・布野修司編・同時代建築研究会著:ワードマップ『現代建築ーーーポスト・モダニズムを超えて』,新曜社,1993



ラーメン構造

 

  




 建築とラーメンとは意外な組合せかもしれない。もちろん、ラーメンとは食べるラーメンではない。ひとつの構造形式をラーメンというのである。

 建築の構造として最も一般的なのは柱と梁の構造である。梁と柱による構造のうち柱と梁が固く剛接されるものがラーメン構造である。ラーメンとは、ドイツ語で枠組み(Rahmen)という意味である。         

 建築のあり方はその構造技術のあり方と密接に関わりをもつ。超高層建築や屋根付き球場などが可能になったのは、構造技術の発展があったからである。現代建築を支える構造方式についてみてみよう。

 柱と梁の構造というと日本では親しい。木造建築はほとんど全てが柱梁構造である。校倉造りのような壁式構造は例が少ないとされる。というと、ラーメン構造というのは、古くから存在してきたようであるが、そうではない。高々百年程前のことである。柱と梁の完全な剛接が可能になったのは、鉄骨構造や鉄筋コンクリート構造が出現することによってである。すなわち、19世紀末以降のことなのである。

 それまでは、組石造など壁構造が支配的であった。ラーメン構造は、それまで建築を支えるのに不可欠であると信じられていた壁面の構造的役割を解放した。そして、カーテンのように壁を躯体から吊るいわゆるカーテンウオール構造を可能にしたのであった。すなわち、ラーメン構造は、近代建築の発展と密接に関わりをもつ。そして、いまやラーメン構造が支配的となった。世界の現代建築の大半はラーメン構造の建築なのである。

 ラーメン構造は、そうした意味で近代建築の代名詞といっていい。鉄とガラスとコンクリートの四角い箱型のラーメン構造の建築というのが近代建築の簡潔な定義である。

 ラーメン構造が世界中を制覇し、世界中の都市の風景を同じように変え始めるにつれて、その単調さを破る試みが現れ始める。四角い箱形のラーメン構造ばかりでは味気ない、というわけだ。

 様々な構造方式が試みられる。例えばシェル構造がある。シェルとは、貝のことであるが、様々な貝のように三次元の曲面で構成する構造方式がシェル構造である。伝統的には、ドームやアーチ、ヴォールトなどが用いられてきたのであるが、より大規模で、より自由な形を可能にしたのが、鉄筋コンクリートのシェル構造であった。古典的には、1930年代にスペインのE.トロハのアルヘシラスの市場(1933年)などいくつかの作品が先駆としてある。日本では、東京晴海の国際貿易センター(村田政真 坪井善勝設計 1959年)が早い例としてある。著名な作品として一般に知られるのは、E.サーリネンのニューヨーク、ケネディー空港のTWAターミナルビル(1961年)、そして、J.ウッツォンのシドニー・オペラハウス(1973年)である。

 また、ケーブル(吊り屋根)構造がある。東京代々木の国立屋内競技場(丹下健三 坪井善勝設計 1964年)がそうだ。ケーブル(ロープ)で吊る構造物は、吊り橋など古来からあるのであるが、建築物として本格的に吊り屋根構造が作られるようになったのは、やはり近代に入ってからである。そして、吊り屋根構造が一般化するきっかけとなったのは、1958年のブラッセルの万国博覧会であった。

 こうしてみると、多様な構造方式が試みられるようになったのは、1950年代の末から60年代の初めにかけてのことである。構造表現の様々な可能性が追求されたのであるが、そうした傾向はやがて一括して構造表現主義と呼ばれた。自由な形態を目指すというのであるが、次から次へと新奇な形が生み出されるわけではない。構造力学的な制約がもちろんあるからである。最初新鮮であっても、構造方式のみによって全体の形態が支配される建築は次第にあきられ始める。構造表現主義という言い方には、そうした批判も含まれている。

 ところで、より普遍的な構造形式として近代を特徴づけるのがスペースフレームである。スペースフレームとは、平たくいうと、ほぼ同じ太さのたくさんの棒状の部材を立体的に組んでできている骨組みのことである。その基本的な考え方は、20世紀の初頭までには提出されていたたのであるが、それが具体化するのは第二次世界大戦後のことである。また、身近になったのは1970年代のことである。大阪万国博のお祭り広場の大屋根(丹下健三 坪井善勝 川口衛設計 1970年)がスペースフレームである。

 骨組み全体が規則的な幾何学的ユニットの繰り返しで構成されるスペースフレームは、部材やジョイントを工場で大量生産するねらいがある。世界最初のスペースフレームは、J.W.シュヴェドラーが1863年にベルリンにつくったドームといわれているのであるが、シュヴェドラー・ドームの場合は、部材の種類が相当多い。同じ長さで同じ太さの部材を用いるスペースフレームを考えたのは、電話を発明したA.G.ベルであった。20世紀初頭に基本的な考え方が提出されていたというのは、A.G.ベルによって凧や鉄塔などの実験構造物がつくられたことをいう。

 このスペースフレームの代表がフラー・ドームである。フラードームとは、アメリカの建築家バックミンスター・フラー(18951983)が一九五四年に特許を獲得したドーム形式である。バックミンスター・フラーと言えば、『宇宙船地球号』(1969)の著者として一般的には知られていよう。建築家、技術者というより、思想家といった方がいいかもしれない。ジオデシック・ドーム(geodesic dome)と一般には呼ばれるのであるが、1954年にB.フラーが特許を取得し、以降、フラードームと呼ばれる。フラードームというのは、細い部材を球形に組んだスペースフレームである。原理は、単純である。正多面体のなかで最も面の数が多いのは正20面体である。その正20面体が内接する球を考え、その球にできる球面三角形を細かく等分して球形に近づけるのである。

 最初のジオデシック・ドームは、1922年にドイツのイエナでつくられたというが、戦後は、専ら、フラーの手によって数多くのフラードームがアメリカを中心に世界中で建てられたのであった。日本でも1960年代初期に読売カントリークラブのクラブハウスがフラードームで建てられている。

 現代建築と構造というと、もうひとつ空気膜構造がある。膜構造というのは、テントなど古来からある。パオやサーカス・テントがそうだ。空気膜構造というのは、空気で膜を膨らませて支える構造方式である。東京ドームをイメージすればいい。恒久的な建造物として空気膜構造が現れ始めたのは最近のことであるが、その先駆けとなったのは、やはり1970年の大阪万国博である。アメリカ館と富士グループ館がそうであるが、富士グループ館(村田豊 川口衛設計)は、チューブ型空気膜構造の世界で最初の例であった。

 建築家といえば、新奇な形態をもてあそぼうとするのが常である。形態のみを追求して、アクロバティックな構造をとる建築が少なくない。しかし、全く自由な形態、全く自由な構造というのは建築の場合ありえない。重力の制約は建築の本質である。 




 

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