宮内康・布野修司編・同時代建築研究会著:ワードマップ『現代建築ーーーポスト・モダニズムを超えて』,新曜社,1993年
キッチュ Kitsch
キッチュとは何か。まず簡潔に定義しておこう。それには、A.A.モルの一冊が手頃である。A.A.モルは冒頭に次のように言っている。
「キッチュという言葉が新しい意味で使われ始めたのは、1860年頃のミュンヘンである。南ドイツで広く使われたこの言葉は、「かき集める、寄せ集める」といった意味を表すのだが、さらに狭い意味では、「古い家具を寄せ集めて新しい家具を作る」という意味に使われていた。そして、キッチュという言葉から派生したフェアキッチュン(Verkitchen)という語は、「ひそかに不良品や贋物をつかませる」、「だまして違った物を売りつける」といった意味に使われていた。それ故、キッチュという言葉には、もともと、「倫理的にみて不正なもの」、「ほんものではないもの」という意味合いが含まれていたのである。
十九世紀後半のドイツにおいて、まがいもの、不良品、贋物、模造品、粗悪品、といった意味合いで使われていたキッチュという言葉は、次第に広範に使われ始め、より一般的な概念となっていくのであるが、そこでは、キッチュは必ずしも具体的なもの-ニセモノやコピー-を意味するわけではない。また、単に一つの様式-一定の様式にこだわらない寄せ集めの形式-をさすわけではない。キッチュとは、一つの態度、すなわち、人が物に対してとる関係のあり方の一パターンでもある。さらに人々の存在の仕方、人間の精神や心理のあり方の一タイプをいったりする。キッチュとは、一つの現象なのである。
そうしたキッチュをめぐる様々な問題については、A.A.モルの書物にまかせよう。手っとり早く、キッチュを理解するためには、具体例を挙げた方がいい。例えば、ディズニーランドはキッチュである。例えば郵便配達夫、シュヴァルが堂々とつくりあげた館がそうである。壮大な寄せ集めのキッチュである。J.ワンプラーの本には、シュヴァルのような名もない人々のキッチュの傑作が沢山集められている。あるいは、靴の形をした家だの、車の形をした店舗だの、そこらの中にキッチュはある。近代建築史の教科書の中にだって、キッチュを見いだすことができる。そうは教えられないのであるが、A.ガウディーやR.シュタイナーの建物はどうみてもキッチュである。アール・ヌーヴォーも全体としてそういっていい。自然を、植物や波のモチーフを鋳鉄で模倣する精神はまさしくキッチュの精神なのである。意外と思われるかもしれないのであるが、構造合理主義の祖と見なされるヴィオレ・ル・デュクもまたキッチュの天才である。彼の建築は、中世の城をイメージさせる様々な歴史的な断片からなっているのである。こうしてみると、折衷主義(エレクティシズム)、あるいはリヴァイヴァリズムと呼ばれる運動や精神には、深く、キッチュの精神が関わっているといえるであろう。H.ブロッホに依れば、キッチュは芸術における悪の体系と表現されるのであるが、「一滴のキッチュは、どんな芸術にも混入している」のである。
何も難しく考える必要はない。そこら中にあるものはキッチュであり、あなたの部屋を見回せばそこにキッチュがある。外国旅行の土産物が壁にかかっていたり、大事にとってあったりすれば、あなたは、キッチュが何であるかを既に理解している筈である。ある種のエキゾティシズム、様々なものを所有しようという欲望はキッチュのものである。アイドルのポスターが貼ってあったり、レースのカーテンがかかっていたり、要するに部屋を飾りたてようとするところにはキッチュが潜んでいる。装飾、機能性を超えたある種の過剰はまさにキッチュの現れるところである。
ところで、キッチュという言葉や概念が何故現代建築にとって重要なのかといえば、まさに建築のポストモダンと呼ばれる状況をキッチュ-ネオ・キッチュ-という概念で捉えられるからである。あるいは、アンチ・キッチュとして成立したのが新即物主義(ノイエ・ザッハリッヒカイト)であり、機能主義(ファンクショナリズム)であったと言えば、歴史的経緯を含めてわかり易いであろう。そしてさらに、キッチュという現象が現代社会の根本に関わっていると言えば、その重要性を強調できよう。
キッチュという概念の発生は、市民社会の成立、そして市民(ブルジョワジー)の美学と密接に結びついている。十九世紀ドイツにおけるビーダーマイアー様式の発生はその象徴である。さらに、キッチュは大衆社会、消費社会という概念と密接に関わりをもつのであるが、言ってみれば、キッチュは芸術の大衆化、俗化の現象である。また、日常生活への芸術の取り込みであり、それへの判断でもある。例えば、百貨店やスーパーマーケットの成立とキッチュは大いに関係がある。群衆が集う、駅や商店街とも関わりをもつ。そこでは超越的なるものではなく、大衆の欲望に根ざした流行とコマーシャリズムが支配するのである。
大衆消費社会における物のあり方、そしてキッチュについては、J.ボードリヤールの一連の著作が参考になるであろう。彼は盛んに、ガジェットとともにキッチュについて語っている。
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