宮内康・布野修司編・同時代建築研究会著:ワードマップ『現代建築ーーーポスト・モダニズムを超えて』,新曜社,1993年
モデュール MODULE
スケール・アウトという言葉がある。和製英語だろう。アウト・オブ・スケール、すなわち、規模、大きさが外れているという意味で、建築の世界ではよく使われる。かなり、きつい批評の言葉である。スケールの感覚は建築家にとって欠かすことのできないものである。それが駄目となると、建築家失格と言われてもしかたがないほどである。
しかし、スケール・アウトの建物は実に多い。そこら中にあるといってもいい程だ。公共建築にしても広場にしても、なんか変だ、居心地が悪いと感じる空間は大抵駄目である。特に、巨大な建築、超高層や大ホール、大体育館などに失敗例が多い。七十年代半ばに、巨大建築論争と呼ばれる論争が闘わされたのであるが、建築は大きければいいというものではない。ヒトラーを例に出すまでもなく、建築家というのは、本質的により高く、より大きい建造物を建てたがるものである。悲しい性というか、本質的に権力的な体質をもっているのが建築家である。しかし、建築というのはもともと等身大のものである。身体的なスケールに即して、古来建造物はつくられてきたのである。現世を超越する神に捧げられた神殿についてもそうなのである。
建築の本質にとって極めて重要なものとして寸法の概念がある。ある建築において基準となっている寸法をモデュールという。このモデュールという言葉はもちろん西欧起源の言葉である。ラテン語のモドゥルス( )に由来する。しかし、基準寸法という概念であれば至るところに存在してきた。例えば、日本の建築において伝統的に用いられてきたモデュールが尺(しゃく)であり、間(けん)である。現在でも、メートル法ではあるが、在来の木造住宅などでは一般的に用いられている。半間=三尺=九〇九ミリメートルが基準寸法として用いられているのである。
ヴィトルヴィウスは、その建築書において8ケ所においてモドゥルスという言葉を使っているが、第三書第三章では次のようである。
「神殿に定められた場の正面は、もし四柱式がつくられるとすれば、柱台と柱礎の突出部を除き11 部分に分割され、もし六柱式であれば、18部分に分割される。もし八柱式が建てられるとすれば、24 に分割される。そして、四柱式であろうと六柱式であろうと八柱式であろうと、これらの部分から一部が採られてそれがモドゥルスとなるだろう。このモドゥルス一つが柱の太さになるであろう。中央の柱間を除いた各柱間は2 モドゥルス。正面と背面のそれぞれの中央柱間は3モドゥルス。柱の高さそのものは9 モドゥルス。こうして、この分割から柱間も柱の高さも正しい割付を得るであろう。」
柱の間隔や高さだけではない。ドーリス式、イオニア式 、コリント式 といった柱の柱頭や柱身、柱礎の細かい寸法もモドゥルスに基ずいて決められていく(第三書第五章)。このモドゥルスはどの様にして決められるのか。実はその基になるのが人間の身体寸法である。ヴィトルヴィウスは「肢体からモドゥルスを採用し、肢体の個々の部分から作品の全体を具合いよく作り上げる」(第一書第二章)と書いているのであるが、建物の構成のために人体寸法の比例のアナロジーを用いるべきだと言うのである。
「実に、自然は人間の身体を次のように構成した:頭部顔面は顎から額の上毛髪の生え際まで 、同じく掌も手首から中指の先端まで同量;頭は顎から一ばん上の頂まで 、首の付け根を含む胸の一ばん上から頭髪の生え際まで 、<胸の中央から>一ばん上の頭頂まで 。顔そのものの高さの が顎の下から鼻の下までとなり、鼻も鼻孔の下から両眉の中央の限界線まで同量。この限界線から頭髪の生え際まで額も同じく 。足は、実に、背丈の ;腕は ;胸も同じく 。‥‥‥」(第三書第一章)。
ここで記述されるような人体図 はどこかでみたことがあるだろう。有名なのはレオナルド・ダ・ヴィンチのもの などがそうである。いわゆる黄金比の概念 も人体の各部の寸法的比率がそれに近似するところから意味付けられている。現代建築において著名なのがル・コルビュジェのモデュロール( 仏語)である。人体の標準寸法を183㎝、片手を上げたときの高さを226㎝、身体の中心としての臍の位置を113㎝として、数字を配列しデザインのための基準尺度とすることを提案したのである 。
建築の基準となる寸法が人間の身体の寸法に基礎を置くのは極めて自然であり、事実、世界中あらゆるところで身体の寸法が建築の寸法として使われていたことは様々に明らかにされている。例えば古代エジプトの長さの単位キューピッド( ≒45㎝) は、腕の肘から中指の先まで長さがもとになっているのであるが、バリ島でも同じ長さアスタが基本的な単位として使われている。アスタは方杖の位置や長さを決めるのに用いられている。バリの場合、他に主として用いられるのが、両手を広げた長さドゥパ、拳骨の長さムスティーである。ドゥパは要するに尋(ひろ)であり、どんな地域でもこれを意味する言葉はあるといっていい。ムスティーは基壇の高さを決めるのに使われる。建物の配置を決めるのは専ら足跡の長さタンパックと巾ウリップである。タンパックはフットあるいは尺と同じ長さであり、歩測しながら隣棟間隔などを決めるのである。また細かな部材寸法なども指の巾など掌の様々な部位の寸法から決定されるのである。
一方、モデュールは、建築の生産システムと密接に関わり、次第にその論理によって規定されていく、そうした側面を持っている。日本の伝統的な木割のシステムを考えてみると分かりやすいかも知れない。木割 はまさにヴィトルヴィウスの建築書のごとく、建築の各部の寸法とその比例関係を決定するシステムであり、一部棟梁家によって秘伝されてきた。平内家伝書の『匠明』5巻がよく知られている。木割は必ずしもモデュールというわけではない。
日本の建築のモデュールと考えられてきたのは柱間であり、それをもとに部材の寸法の体系を技術的に規定するのが木割書なのである。 そこで興味深いのが畳の一般化と畳の寸法のモデュール化である。畳の寸法というのは「起きて半畳寝て一畳」と言われるように、まさに身体に即した寸法である。そしてこの畳の寸法には地域によってまた歴史的に相当のばらつきがある。知られるように現在でも京間(関西間)*17のほうが田舎間(関東間)より大きいのである。この畳の大きさの違いには、しかし、柱間をどう考えるかによって大きくは二つのシステムの違いが関わっている。すなわち、柱の内側の間隔を基準と考えるシステム(内法制)と柱の心の間隔を基準と考えるシステム(真々制 心々制)との違いである。畳の寸法を一定とし基準とすれば内法制となるのである。畳の寸法が意識される以前は、もちろん真々制である。内法制が一般化したのは17世紀初頭以降江戸時代に入ってからである。『匠明』に代表される木割書が真々制を基礎とするのに対して、畳の寸法を基礎とするのが「雑工三編大工棚雛形」(1850年)などである。江戸時代末には、建築(住宅)の生産技術はかなり一般化していたといっていいのである。
しかし、畳の寸法を基準にある安定した寸法の体系を造り上げてきた日本の建築の伝統は、現代においては大きく様変わりしつつある。メートル法の実施に象徴されるように、寸法の体系が一元化されつつあることが分かりやすいであろう。また、具体的には、工業化によって、建築生産のシステムが大きく変わり、全く新たな寸法のシステムが必要になってきたということである。モデュラー・コーディネーション(MC) 18 ということが大きな課題となったのはそれ故にである。
モデュラー・コーディネーションにおいて目指されるのは、一言で言えば、生産性である。量産化が可能なシステム、工業化のシステムがそこでの前提である。そこでは、身体の寸法に基礎を置く寸法システムよりは、施工や工法や生産の合理性にウエイトが置かれていく。考えてみれば、現代建築と言うのは、身体的なものを限りなく遠ざける方向へ歩んで来たのであり、その一つの決定的な証左が、建築を根源において成り立たせるモデュールの現代的なあり方なのである。
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