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2021年6月26日土曜日

間取り・・・住居の平面形式 京都大学東南アジア研究センター編:事典 東南アジア 風土・生態・環境,布野修司:住,弘文堂,1997年

 京都大学東南アジア研究センター編:事典 東南アジア 風土・生態・環境,布野修司:住,弘文堂,1997



 間取り

  ・・・住居の平面形式

 




 家社会

 住居の形式は様々な要因によって規定される。ひとつの大きな規定要因は親族組織のあり方である。家族の形と住居空間の形は相互に関連を持っている。親族集団の形は住居の空間の形式を決定づけるが、逆に、住居は親族集団に形とアイデンティティーを与える。

 東南アジアの場合、一般的に「双系」的な親族原理を持つと言われるが、「父系」や「母系」の親族原理を持つ民族もあり多様である。というより、伝統的な人類学上の概念としての家系の観念の枠組みにはほとんど当てはまらないという指摘さえある。「父系」や「母系」、「双系」といった分類は不安定で崩れる傾向にあるのである。

 そうした中で、R.ウオータソン*[1]は、住居と親族集団との同一視が究極的に東南アジアの住居を理解する真の鍵であるという。逆にいえば、親族体系の分析の問題は、親族体系を住居に基づく体系としてみることによってある程度明らかにされる。北アメリカの北西海岸の親族体系の分析によってクロード・レヴィ=ストロースが提示した「家社会」という概念で表現することがもっともふさわしい組織形態が東南アジア、特にインドネシアには存在する。住居を親族体系の主たる組織原理であると捉えた場合のみ、親族体系のあらゆる多様性を網羅する形でもっともうまく理解できるというのである。

 

 サパルイクーミナンカバウの住居

 住居の平面形式(間取り)を決定するもうひとつの大きな要素はビルディング・システムである。住居を物理的に組み立てる技術的な制約条件、あるいは物理的な構成システムが平面(空間)のシステムを決定するという側面がある。そして、その空間システムは極めて単純であることが少なくない。空間の単位をどう組み合わせていくか、がそこでの視点となる。

 ミナンカバウは、世界最大の母系制社会を構成することで知られる。母系のミナンカバウ社会におけるもっとも重要な単位は、サパルイク、つまり「子宮を同じくする人びと」であり、ひとつのルーマー・アダット(慣習家屋)もしくはルーマー・ガダン(大きな家)に住む人びとの集団である。その水牛の角を模したような屋根は特徴的であるが平面構成の原理は以下のようである。基本形は9本柱の家、あるいは12本柱の家と呼ばれる。梁間方向のスパン(間)がラブ・ガダンと呼ばれ、桁行き方向のスパンがルアンと呼ばれる。規模が大きくなると、梁間も桁行き方向のスパンも多くなる。母系に属する3世代が住むのであるが、基本的には、後方部の一間が既婚女性の家族によって占められ、全面はオープンな共用部分として使われる。家族数が増えれば桁行き方向にスパンを伸ばしていけばいい。極めてわかりやすいシステムである。

 

 ロングハウス

 ロングハウスは、それ自体ひとつの集落とみていい。あるいは東南アジアの伝統的住居としては珍しい集合住宅である。ただ、この住居形式は東南アジア各地にみられ、ボルネオだけでなく、ムンタワイやベトナムの高地にも広がっている。それは、イバン族やサクディ族のような平等主義の社会と、ケンヤー族やカヤン族のようなより位階的な社会の両方に見られる。

 ロングハウスというと大家族が居住すると考えられるが、複数家族が居住形態を共有している家族の実際の構成はかなり多様である。ボルネオの古典的なロングハウスは、長い廊下や開放されたベランダでつながっている多くの独立した部屋で構成されている。それぞれの部屋には、1世帯、すなわち1つの核家族が住む。平面形式はしたがってひとつの単位を横につなげる形をとる。

 ベランダを見ると各住戸単位で切れている。個々の住居がそれぞれ造るのである。屋外のベランダ→共有の廊下→居室→厨房という空間がワンセットになって長屋形式となるのである。

 

 ワンルーム住居

  バタック諸族の場合、住居の居住スペースは基本的にワンルーム(一室空間)である。しかも、複数家族が居住する。空間は壁によって仕切られることはないのであるが、基本的には炉の配置によって区分される。ひとつの炉を1~2の家族で共有するのである。バタック・カロの場合、ひとつの住居に4~6の炉が設けられ、数家族から十数家族が居住することになる。4つの炉で8つの家族で住むのが慣習法上のルールという報告もある。青年男子は食事は家族とともにし、夜は米倉に寝泊まりする。未婚の女性は夜はまとまって別棟(若衆宿)で就寝する。

 居住スペースにはヒエラルキーがあり、家長の場所など秩序に従って決められる。バタック・トバの場合、平面は、中央の階段(バラトゥク)に続く中央通路部分と左右のスペースにまずわけられる。そして左右のスペースは家族の数によって4~6に分けられる。中央部分はテラガと呼ばれ、各家族の共有スペースとなる。入口から入って右奥がジャブ・ボナと呼ばれる家長のスペースとなる。家の中で一番ヒエラルキーが高い。また、入口の左手はジャブ・スハットと呼ばれ、長男の家族の場所とされる。入口右手は客用の場所であり、奥左は既婚の娘のスペースといった具合である。

 

 分棟式住居・・・ユニット住居

 住居を一つの平面形式としてシステム化するパターンに対して、小さな建物を空間単位をとして配置するパターンがある。一般に分棟式と言われる形式である。基本的には母屋と釜屋を分けて屋敷地を構成する。日本でも沖縄・南西諸島から西南日本の太平洋沿岸に点々と分布している。また、いくつかの建物で屋敷地を構成するのはかなり一般的である。タイの村落の場合、バーンと呼ばれる住居は分散しており、同族の家族の住居は、それぞれ柵に囲まれて独立した居住地を形成している。バーンは住居の敷地そのものや村落を指す言葉でもある。日本では「屋敷地共住結合」という専門用語が用いられたりする。一般的な妻方居住の婚姻パターンでは、居住地内の住居は普通、結婚した娘たちの住居である。

 そうした中でその配置の原理が極めて概念的に理解されるのがバリの住居である。ウマ・メテンと呼ばれる主屋をはじめ、屋敷神の場所サンガ、厨房、倉などの各棟の位置、隣棟間隔は、人体寸法に従って決められるのである。

 大きなスパンの建物がつくれない場合、小さなユニットを組み合わせて住居をつくることが多いが、タイの平野部がそうである。一般には、二棟並べてひとつの住居とする。三つ並べたり、ロの字型に並べて真中に中庭を採るパターンもある。

 

 男の空間・女の空間・・・象徴的二分法

 基本的な空間分割が性と関係していると一般的にいわれる。住居のシンボリズムに関する人類学的分析として最もよく知られているのがカニンガムのインドネシア、チモール島のアトニ族に関する研究である*[2]。カニンガムは空間的な対比(高/低、内/外、右/左)と社会的なカテゴリー(男性/女性、年長/若年、親族関係/姻戚関係、子供/結婚可能な若者、身分の高い人/低い人、儀礼的な優/劣)に明解な関係があるという。例えば、地位の高い人が右側の高床に着座し、地位の低い人は左に着座する。男は外部で食事をし、女性は内部で食事をする、といった具合である。カニンガムは、横方向の原則(右/左)と集中方向の原則(中心/周縁)の双方の秩序について図式化するのであるが、女性は住居の内部及び左側と結びついており、男性は外部及び右側と結びついている、という。

 こうしたアトニ族に見られる男/女のディコトミー(二分法)、双分観あるいは象徴的二元論と呼ばれるものは、東南アジアの他の社会においても指摘される。島嶼部、特に東インドネシアの社会がそうだ。同じチモール島エマ族*[3]場合の、住居の内部は、「男」の側と「女」の側という二つの質の異なった部分に分けられるている。また、「男」柱、「女」柱と呼ばれる 2本の柱が、棟持柱が据えられる水平梁を支えている。「男」の側は、儀礼のために使用され、先祖の宝物や家宝がここに収められる。儀礼の物品のほとんどは、東側の壁すなわち「男の」柱の側にかけられる。

 スンバ島東部のリンディ族の場合も特徴的である。フォース*[4]によれば、日常生活においては、住居は特に女性の場所である。女性は家を賄う責任を担い、適切な理由がなければ住居を離れられないとされている。ここでも、内部/女、外部/男という区分が行われるのである。ただ、儀礼の場合、男性が主役である。儀礼の場合、「内部」は「男性」と結び付けられ、女性は周縁的な存在となる。住居は、内部の露台を中心に構成され、その露台は象徴的に「男性の」部分である右手と、「女性の」部分である左手とに分けられる。中央部の四本の柱もまた「男性」、「女性」に分けられている。

 囲炉裏の右側の二本の中央部の柱は「男性の柱」、左側の柱は「女性の柱」と呼ばれる。囲炉裏の左側の炉石は「女性の炉石」と呼ばれ、日常の食事の準備において唯一使用される炉である。一方「男性の炉石」と呼ばれる右側の炉石は、鶏の羽を占いのために内臓を使用する前に焼いたり、生け贄の動物を調理するために、儀礼時に使用されるのみである。

 空間の象徴的区分については、既に様々な議論がある。空間の解釈としては、余りにも図式的であるという批判もそうした議論のひとつである。確かに、以上のような断片的な要約だけ取りあげれば、また、図式のみとりあげるとすれば、そう意味がない。何も象徴的な秩序やコスモロジーを持ち出さなくても、料理や家事をする女性が炉や内部に結びつけられ、外で仕事をする男性が外部に結びつけられるのはある意味では当然のことである。性的分業が空間の利用と意味を限定づけていると考えてもいい。

 問題は性のシンボリズムではなく、分業の諸形態であり、空間利用の諸形態である。重要なのは、住居の内部と外部が日常時と儀礼時でそれぞれ男/女の結びつきを変えるといった例があるように、空間利用の形態は必ずしも固定的ではないということである。





 



*[1]

*[2] C.Cunningham,'Order in the Atoni House',Bijdragen tot de Taal-,Land-, en Volkenkunde,1964

 *[3] B.Clamagirand,'La Maison Ema(Timor Portugais) ',Asie du Sud-Est et Monde Insulindien,1975

*[4] G.Forth,Rindi;An Ethnographic Study of a Traditinal domain in Eastern Sumba,The Hague,1981

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