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2021年6月15日火曜日

布野修司監修:待てしばしはないー東畑謙三の光跡,日刊建設通信新聞社,1999年5月

 布野修司監修:待てしばしはないー東畑謙三の光跡,日刊建設通信新聞社,19995


 

待てしばしはないー東畑謙三の光跡

   まえがき

    本書は「組織事務所の建築家」というシリーズの第一冊として企画された。建築ジャーナリズムを舞台に華々しい作品(?)と言説を繰り広げる「スター建築家」に比して、「組織事務所の建築家」に光が当てられる機会は少ない。しかし、実際に社会の基盤をなす建築の世界を支えているのは「組織事務所」である。建築を学んだ多くの学生が仕事に就くのも「組織事務所」である。そうした「組織事務所」に様々な角度から光を当ててみたい。「組織事務所」といっても、その組織のあり方は様々である。創設者あるいは主宰者の建築観、組織のイメージによって多様であり得る。建築家と組織の固有なあり方をテーマにしてみたい、というのが企画の趣旨である。東畑謙三と東畑建築事務所は、最初に光を当てるべき対象として実に相応しいと思う。

  日本の建築家の祖、J.コンドルが建築事務所を設立したのは一八八八年である。続いたのが滝大吉であり、横河民輔である(一八九〇年)。滝大吉は、大阪にあって「大阪アーキテクトノ四傑(小原、鳥居、滝、田中)」といわれ、一八八七年には「建築局ヲ辞職の上民間建築師(プライベート・アーキテクト)ノ業務ニ従事」したとされるから、日本で最初の「民間建築師」の栄誉は滝大吉のものかもしれない。彼は事務所開設とともに「夜学校」という建築教育機関を開設している。

 滝に少し先んじて日本で最初の建築事務所をつくったのはJ.コンドルの教え子、辰野金吾である。英国での実務経験を持つ彼が日本でも同様な活動を展開しようと、京橋山下町の京師屋の二階を借りて仕事を始める(一八八六年)。しかし、彼はすぐに帝国大学に呼ばれ、実質的仕事をしないうちに事務所を閉鎖する。辰野金吾は、その後、一九〇二年には職を辞し、葛西万司とともに東京京橋に辰野・葛西建築事務所を(一九〇三年)、大阪中之島に片岡安とともに辰野・片岡建築事務所を(一九〇四年)つくる。

 工部大学校の第一回卒業生で辰野に続いたのが曾根達三で建築事務所を自営(一九〇六年)した後、中條精一郎とともに曾根・中條建築設計事務所を開設している(一九〇八年)。他に横河民輔、三橋四郎、河合浩蔵、山口半六、伊藤為吉、遠藤於菟などが一八九〇年代から二〇世紀初頭にかけて民間事務所を開設している。そしてこうした民間建築事務所の相次ぐ設立を背景として組織されたのが日本建築士会(一九一四年)である。

 一方少し遅れて、片岡安を中心として「関西建築家協会」が設立される(一九一七年)。二年後「日本建築家協会」と改称されて今日に至る。東畑謙三が建築の道を志すまさにその頃のことである。そして、東畑謙三が弱冠三〇歳で事務所を開設した頃、大阪の主な設計事務所としては、安井建築事務所、渡辺節建築事務所、横河建築事務所、松井建築事務所、置塩建築事務所などにすぎない。戦前に設立され、戦後にわたって活躍を続ける個人名を冠した組織事務所の、まさに代表が東畑謙三と東畑建築事務所である。


 編集作業は、まず東畑謙三先生の論文、著作、対談など全ての言説を収集することから開始された。田中禎彦を中心とする布野研究室のメンバーと東畑建築事務所の共同作業である。本書にその全貌を示すように、東畑謙三の直接手になる論文などはそう多くない。そこで、東畑謙三への直接インタビューを中心として、様々な証言を求めることが企画された。編集作業が長引いたのは、座談やインタビューを積み重ねながら、徐々に本書の骨格をつくるという方法が採られたからである。

 直接インタビューが叶わぬまま東畑謙三先生が逝去されたことは本書にとって致命的であった。つくづく本書を手に取って頂きたかったと思う。また、事務所のOBとしてインタビューを受けていただいた住田さんが亡くなられたことも悔やまれる。東畑謙三論を寄稿して頂いた村松貞次郎先生が急逝されたことも実に残念である。出版環境の問題など様々な事情に依るとは言え、編集作業を担ったものとして心からお詫びしたい。

 本書は、以上のような経緯でご了解頂けるように遺稿集でも追悼集でもない。東畑先生が御存命の折の原稿執筆(インタビュー)が含まれている。原稿執筆(インタビュー)時点を原稿末尾に明記したが、執筆者・インタビューに協力して頂いた方には失礼することになった。会わせてお詫びしたい。

 本書のタイトル「待てしばしはない」は、東畑先生のよく使われたフレーズである。本書にとっては実に皮肉である。しかし、時間はかかったけれど、本書がとにかく日の眼を見ることになったことでお許し頂ければと秘かに思う。

 一九九九年四月一五日                  布野修司








                       

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