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2021年6月8日火曜日

イスラーム建築 TBSブリタニカ デリーの金曜モスク・・・・・・

                       

イスラーム建築

 

 

                      

 

 

デリーの金曜モスク 

デリーの金曜モスク▼Friday Mosque, Delhi▼ムガル帝国第5代皇帝、シャー・ジャハンによって164458年に建てられたインド最大のモスク。市のほぼ中央部に位置する小高い丘を利用して建設され、地上約9mの高さで、回廊を巡らした100×100mの広い中庭を持つ。礼拝室は中庭に面して、回廊から独立して建つ。正面中央には大イーワーン、両脇には2本の、4段からなるミナレットがある。赤砂岩によって縞模様が施された3つの球根形の大理石のドームを戴く。装飾は赤砂岩と大理石のみの簡素なものである。内部には赤砂岩の壁にニッチがうがたれ、白大理石によるアラベスク模様が施されている。

 

カーブース廟

カーブース廟▼Gunbad-iQabus▼イラン北部のゴルガーンに、1006年、ジャール朝君主カーブース・ブン・ヴァシュムジールによって建設された彼自身の墓塔。高さは約50mあり、11m程の人工的な小丘の上に建っている。円筒形の胴部のまわりに三角形状に鋭く突き出た10本の稜角があり、基層部と、円錐形の屋根を支えている持ち送り状の張り出しとを垂直に結び付けている。装飾は、クーフィー文字による2本の碑銘帯と、入口の上部の半ドームを支える鍾乳石紋のペンデンティブのみとなっている。

 

預言者のモスク

預言者のモスク▼Mosque of the Prophet▼メッカの聖モスクに次いで歴史的・宗教的に重要なモスク。622年、預言者ムハンマド自身によりメディナの住居に隣接して建造された。707年にはウマイヤ朝のカリフ、ワリードⅠ世がモスクを増築し、以後、改築・再建を重ね、現在のモスクは、1483年、マムルーク朝のスルタン、カーイト・ベイの時代に再建され、オスマン・トルコ時代に修復されたものである。現在、方形のモスクの中には5本のミナレットがあり、キブラ壁の前に緑のドームを戴いている。最初は、荒石、日乾煉瓦、ナツメヤシの葉などでつくられた素朴な礼拝室にすぎなかったが、後代のモスクのモデルとなった点で極めて重要なモスクである。

 

セリムⅡ世のモスク

セリムⅡ世のモスク▼Complex of Selimiye157074年にかけてオスマン朝スルタン、セリムⅡ世の命を受け、建築家シナンによってトルコのエディルネに建設されたモスク。八角形のプランの上に大ドームを戴き、前面には柱廊で囲まれた幅広矩形の中庭を置き、キュリエの建造物でとりまかれている。ドームは直径32m、床面からの高さは45mあり、ドームの下には4面の半円壁と4基のコーナー・スキンチが交互に並ぶ。ドームを囲んで四隅にそびえるミナレットは太さ7.5m、高さは85mにおよぶ。ドームには40の開口部が開けられ、四周の半円壁にはそれぞれ14の窓、半円突起の半ドームには9面の開口部を見せ、礼拝室は光に満ちあふれている。

 

長老ロトフォッラーのモスク

長老ロトフォッラーのモスク▼Mosque of Shaykh Lutfallah160216年にシャー・アッバースⅠ世が建築家ムハンマド・レザー・ヴン・ウスタッドに命じてイスファハーンに建設したモスク。王の広場に面して、アリー・カプー宮殿の向かい側に建っている。ミナレットを持たない単一の礼拝室のみの構成で、枝模様の彩釉タイルで飾られたそのドームの位置は、正面から見ると南側に約3分の1偏心しているため、見るものにダイナミックな印象を与える。入口のイーワーンの半円壁には、蜂の巣状の見事なスタラクタイトが施され、くまなく繊細な彩陶タイルで覆われている。

 

クトゥビーヤ・モスク

クトゥビーヤ・モスク▼Kutubiyya Mosque12世紀に、アルモアデ朝のカリフ、アブド・アルムーミン(在位113063)がモロッコのマラケシュに建てたモスク。西方イスラームの中で最も美しいといわれるミナレットは115795年にかけて建設され、北アフリカ及びスペインのミナレットの特徴である方形プランをとり、その上部に頂塔を戴く。高さは69mにも達し、その壁面の装飾は四面全てが異なり、開口部は半円形や馬蹄形のアーチで縁どられ、レリーフ状の絡み合った装飾が施されている。

 

ウハイディルの宮殿

ウハイディルの宮殿▼Palace of Ukhaydir778年にアッバース朝第2代カリフ、マンスールの甥、イーサー・ブン・ムーサーがイラクのウハイディルに建てた城塞化した大宮殿。アッバース朝時代のメソポタミアの建築のうち、現存する最古のもので、モルタルで固められた石積みの建物である。175×169mの外城壁と、宮殿の建物群を囲む112×82mの内城壁と持つ。内部は35×25mの中庭広場と、それに隣接する諸室が公的部分をなし、そのまわりに小中庭を囲む4グループの居室群が配置される。宮殿の東側、外城壁との間に建てられた離れは、王子の住居となっていた。

 

トプカプ宮殿

トプカプ宮殿▼Topkapi Palace▼イスタンブール旧市街の東端、マルマラ海につき出した小高い丘の上に、1475年から18世紀にかけて数次にわたって建設されたオスマン朝の宮殿。その名は大砲を備えた「大砲の門(トプカプ)」に由来する。3つの中庭を囲むように構成され、庭園には建物が散在し、ドームで覆われた行政庁は、謁見室や殿舎、園亭などを配した中庭をとり囲んで、キュリエのような構成を見せている。

 

マスウードⅢ世のミナレット

マスウードⅢ世のミナレット▼Minaret of Mas'ud Ⅲ▼ガズナ朝の首都であった、アフガニスタンのガズナに1099年から1115年にかけて建設されたミナレット。八角星形のプランで、表面にはテラコッタの浮き彫りや、幾何学模様の煉瓦積みが緻密に施されている。当初は円筒形の塔がその上に建っていたが、現在は崩れ去っている。近くには後の時代に同じスタイルで建てられたバハラーム・シャーのミナレットがある。

 

ムスタンシリーヤ学院 

ムスタンシリーヤ学院▼Al-Mustasnsir Madrasa (Mustansiriyya)▼アッバース朝カリフ、ムスタンシル(在位122641)によって1233年、バグダードに造営されたマドラサ。中央に泉水のある中庭をもった、4イーワーン形式のプランをした建物で、礼拝室、厨房、学生の宿泊施設および浴場をそなえる。煉瓦造の2階建で、8つのグループの小室が、2層にわたって中庭をめぐるように対称形に配置されている。1階は小室への入口の扉となっている尖頭アーチからなり、2階は同様のアーチのかかった回廊が中庭の周囲をめぐっている。各辺の中央にイーワーンがある。アーチのスパンドレルの部分と、扉の上部は幾何学的な煉瓦積みやテラコッタに彫られたアラベスク模様で装飾されている。

 

ジャイプールの観測所

ジャイプールの観測所▼Astronomical Observatory of Jaipur▼ラージプート族のマハラジャ(藩王)ジャイ・シングⅡ世(在位16991743)が、インドのジャイプールに1728年から33年にかけて建設した天文観測所。宮廷地区の中心に造営され、高さ30mの三角形の大きな日時計や、ラチと呼ばれる種々の天体を観測するための照準器群、天文学者用の坑道や部屋を備えた地下建築などを含んでいる。

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