書評 住まい学エッセンス 原広司 『住居に都市を埋蔵する ことばの発見』 平凡社
図書新聞
住居と都市:言葉と空間をめぐる格闘
布野修司
梅田スカイビル(1993)、新京都駅ビル(1997)、札幌ドーム(2001)の3部作で知られる日本を代表する建築家、原広司、その原点には住居があり集落がある。1960年代末以降の建築理論家として、多くの著作を残した磯崎新に比べると、著書そのものは多くはない。評者の世代すなわち団塊(全共闘)世代に向かって強烈メッセージを送った『建築に何が可能か 建築と人間と』(1967)の後、『空間<機能から様相へ>』(1987)『集落への旅』(1987)まで20年の時の流れがある。そして、間を置かずに上梓されたのが本書(1990)である。そして、東京大学定年退官を記念して刊行された『集落の教え 一〇〇』(1998)を加えて4冊が主要著書である。
本書は、住まい学エッセンス・シリーズの一書として出版されたように、原広司の住居論を編んだアンソロジーである。新たに、原広司の一番弟子と言っていいプリツカー賞受賞者山本理顕への初版の編集者の植田実によるインタビュー(「建築家にして教育者」)が付されているが、山本理顕は、その中で「原広司は基本的にずっと住宅だと思います」と言っている。そして、本書のまえがき「呼びかける力」には、前三著のエッセンスが住居論の骨子というかたちで要約されているように思える。全体は、1990年までに設計された住宅をめぐって、Ⅰ 多層構造、Ⅱ 反射性住居、Ⅲ 未蝕の空間、Ⅳ 有孔体という構成で、時代を遡って自らが設計した住宅に即した論考がまとめられている。原広司の一連の住宅は、一般には知られないであろうが、特に、「粟津邸」(1972)原邸(1974)など「反射性住居」と呼ぶ一連の住宅群は、1970年代の日本の住宅を代表する作品として評価されている。
「住居に都市を埋蔵する」は、この「反射性住居」群の発表とともに、1975年に書かれた。「住居の歴史は(十全な生活を可能にする)機能的要素が都市に剥奪される歴史である」と書き出される。そして、「このままでゆけばおそらく将来はテレビしか残らないだろう・・・・建築家の創意はひとえにこの衰退した住居への逆収奪に注がれなければならない」と大きな指針が示される。時はオイルショックの渦中である。建築家たちがさまざまな都市プロジェクトを世に問うた1960年代初頭からExpo’70(大阪万博)にかけての「黄金の1960年代」が暗転、住宅の設計しか仕事が無くなった若い建築家たちを勇気づけたのは、「建築に何が可能か」「住居に都市を埋蔵する」とともに「最後の砦としての住宅設計」、そして「ものからの反撃-ありうべき建築をもとめて」(『世界』1977年7月)といったスローガンであった。「住居に都市を埋蔵する」は、今なお建築家の指針であり続けているといっていい。「都市はその内部の秩序を維持し、外部からの諸々の作用を制御する空間的な閾(しきい)をもっていた。空間的な閾は境界、内核、住居の配列形式によってできていた」「ひとつひとつの住居にも、こうした閾が用意されていた」など、随所にその指針が記されている。
こうして、住居を「最後の砦」として出発した建築家が、冒頭にあげた大規模な建築も手掛けることになるが、それを可能にする建築理論、建築手法が「住居に都市を埋蔵する」という理念と方法に既に胚胎されていたということである。本書を編むのと並行して「梅田スカイビル」「京都駅ビル」の設計とともに「未来都市五〇〇m×五〇〇m×五〇〇m」(1992)「地球外建築」(1995)の構想がまとめられるのである。
その建築理論を一貫するのは画一的空間が単に集合する「均質空間」への批判=近代建築批判であり、大きく言えば「部分と全体」に関する理論である。最初の理論は「BE(ビルディング・エレメント)論」(学位論文『Building Elementの基礎論』(1965))である。ガリ版刷りの学位論文は今でも手元にあるが、数式が溢れている。原広司は「チカチカチカ数学者になりたい」(『デザイン批評』六号、1969)と書いているが、その理論の基礎には数学がある。しかし、数学で建築は組み立てられない。そこで設計理論としてまとめたのが「有孔体の理論」である。さらに「住居集合論」が集落調査をもとに組み立てられるが、基本的には、住居集合の配列を数学的モデルによって説明することに関心があったように思える。
しかし一方、原広司の建築理論の基礎に置かれているのが「言葉の力」である。本書の副題は「ことばの発見」であり、本書は、住居の設計における言葉についての論考にウエイトを置いて編集されている。Ⅲ
未蝕の空間は、「埋蔵」、「場面」、「離立」、「下向」という言葉(概念)についての考察である。『空間<機能から様相へ>』の序には「設計は、「言葉」と空間の鬼ごっこなのだ」と書いている。すなわち、原広司は常に理論的営為と設計行為の間のギャップを意識している。そのギャップを埋めようとする試みが「空間図式論」であり、「様相論」であるが、最終的に鍵とするのが「言葉」である。本書にも所々で文学作品が言及されるが、言語表現と建築表現が同相において考究される。大江健三郎との交流が知られるが、表現空間が共有され、共鳴しあっているからであろう。
「呼びかける力」には、「告白すれば、私は「ことば」に構法上の自由度である逃げをとった。ことばの逃げによって「もの」としての住居を納めてきた。ことばは事実というより希望と幻想であり、いまもなお次にはすばらしい住居ができるかもしれないと思い続けてきた持続力である。」と書いている。
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