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2022年3月1日火曜日

労働者たちの町づくり,山谷の労働者福祉会館建設の意義,望星,東海教育研究所,199012 

 労働者たちの町づくり,山谷の労働者福祉会館建設の意義,望星,東海教育研究所,199012 (布野修司建築論集Ⅱ収録))

山谷労働者福祉会館の竣工

                           布野修司

 

 

 山谷労働者福祉会館が一〇月一三日竣工した。建設に関わった多くの仲間たちが集まり、盛大な宴(落成祝い)が夜遅くまで開かれたのであった。翌、一四日には、日本キリスト教団日本堤伝導所としての献堂式(けんどうしき)も行なわれた。建設の母体となった日本キリスト教団関係者をはじめ、カンパした人びと、釜ケ崎や名古屋の笹島の仲間たちも駆けつけて完成を祝った。その竣工は、奇跡に近い。

 鉄筋コンクリート造、地上三階建てで、延床面積は百坪に足りない。超高層の林立する大都市のなかでは、ささやかな建物にすぎないかもしれない。しかし、その建設に込められた思いはとてつもなく大きい。一階には、医務室と食堂が置かれている。二階には、多目的の広間と事務スペース、相談室、三階には、宿泊もできる和室、印刷室、図書室などが配される。屋上は、休憩スペースである。夏には屋上ビアガーデンともなる。期待される機能の割にスペースが足りないのはいかんともしがたいが、福祉活動、医療活動など労働者のための多彩な活動の拠点として構想されたのが山谷労働者福祉会館である。

 一見、ただの建物ではない。手作りの不思議な味がある。ファサードは、A.ガウディーには及ばないけれど、砕いたタイルで奇妙な文様が描かれている。みんなでひとつひとつ張りつけたのである。また、ファサードには、様々なお面が取り付けられている。笠原さんという女性彫刻家の作品で、人物にはそれぞれモデルがある。山谷の人たちだ。さらに、みんなが思い思いのメッセージを刻んで焼いた瓦がところどころに使われている。カンパを募って開いたコンサートのときに粘土に描いて、淡路島の山田脩二さんのところで焼いたものである。

 山谷に労働者のための会館を建設しようという話が出て、募金活動が始められたのは三年ほど前のことである。山谷に自前の労働者会館を建設するというのは、もともとは、映画「山谷(やま)ーーやられたらやりかえせ」を撮影制作中に虐殺された(一九八六年一月)山岡強一氏の発想であった。その遺志をついで山谷労働者福祉会館設立準備会が設立されたのである。完成された山谷労働者会館のエントランス上部には、一対のお面が掲げられている。山谷に住む夫婦のレリーフなのであるが、山岡氏と同じく虐殺された(一九八四年一二月)映画監督佐藤満夫氏を祈念してのものである。

 八九年一月、山谷の中心に土地を確保することができた。建設そのものが具体的なものとなり、募金活動に拍車がかかった。しかし、それからが長かった。一年半、建設にかかって一年余り、竣工に至った過程は波乱万丈である。設計を行い、設計施工の監理を行ったのは宮内康建築工房である。僕自身は、その身近にいて全プロセスを見守っていたにすぎない。また、「日本寄せ場学会」の一員として募金活動に協力したにすぎない。実際の建設については、学生たちとともに、タイルや瓦を張るのを少しばかりお手伝いしただけである。しかし、それでもその困難性はひしひしと感じることができた。ほんとに奇跡に近いと思う。

 まず、建築の確認申請の問題がある。また、近隣への説明もある。それ以前に建設の主体をどうするか、施設の内容をどうするかが問題であった。近隣の理解も得、諸手続きもクリアした段階で、最大の問題となったのは施工者の問題である。いろいろあたっても引受け手がないのである。三つの建設会社にかけあったのであるが、いずれも断わられた。無理もない。お金は、わずか三千五百万円しかありません、あとはカンパでなんとかします、というのである。また、山谷の労働者を使って下さいというのも大変な条件であった。紆余曲折の上、最終的に採られたのが、直営という方式である。日本キリスト教団を建設主として、一切、労働者自身による自力建設を行うことにしたのである。

 直営方式というのは、建築主が建築材料を支給し、職人さんたちを手間賃で雇って建設する方式で、木造住宅ならそう珍しくはない。今でも行われている地域はある。しかし、大都市で、しかも鉄筋コンクリート造の建築で、直営方式というと極めて特異である。その上、自力建設ということになれば、全く例がない。実に希有なプロジェクトとなったのであった。

 住宅でもいい、全く自分一人で建築することを考えてみて欲しい。ほとんど無数に近いことを考え、決定し、手配をしなければならない筈だ。実際は、トラブルの連続であった。山谷には労働者が沢山いるとはいっても、働きながらのヴォランティアである。また、得手、不得手の仕事もある。スケジュール通りに進むのがむしろ不思議である。ましてやカンパを募りながら、資金調達もしなければならない。ハプニングも起こった。例えば、ある運送会社は、「山谷」というだけで、建築資材である瓦の搬送を拒否したのである。ひどい差別である。

 そうした気の遠くなるような困難を克服し、ともかく完成にこぎつけたのは驚くべきことだ。僕自身、こんなに早くできるとは思っていなかった。正直言って予想外である。未完成の美学もある、永遠に造り続けるのがいい、なんて言い続けて現場の人たちからは顰蹙を買い続けてきたのであった。

 

 山谷といえば、「寄せ場」である。日雇労働者の町として知られる。日本でも有数の「ドヤ街」である。いま山谷は空前の建設ブームの中で仕事は多い。路上で酒盛りする労働者の様子は一見活気にみちているようにみえる。しかし、抱える問題は極めて大きい。

 第一、好況にも関わらず、必ずしも、労働者の賃金は上がっていないのである。職安で日当一万一千円、路上で一万二千円ぐらいが平均であろうか。型枠大工であれば、人手不足で三万円も五万円もすると言われるのであるが、山谷には落ちない。あいも変わらず、中途で抜かれる構造があるのである。高い労務費を支払ってもリクルートの費用に消えてしまう。建設業界の重層下請けの構造、高労務費・低賃金の体質は変わってはいない。山谷はその象徴である。

 第二、生活空間としての山谷はいま急激に変容しつつある。地価高騰の余波は山谷にも及び、再開発のプレッシャーが日増しに強くなりつつあるのである。例えば、ドヤは、次第にビジネスホテルに建て替わりつつある。宿泊費は、当然上がる。宿泊費があがれば、労働者の生活にも大きな影響が及ぶ。日雇労働者も、ドヤ住まいとビジネスホテル住まいとに二分化されつつあるのだ。また、山谷から追い立てられる層もでてきている。

 第三、山谷地区に居住する日雇労働者は八千人から一万人と言われる。その日雇労働者は、どんどん高齢化しつつある。日本の社会全体が高齢化しつつあるから、当然とも言えるのであるが、単身者を主とする寄せ場の場合、また、日雇という不安定な雇用形態が支配的な地域の場合、高齢化の問題はより深刻である。山谷労働者福祉会館が構想されたのは高齢化の問題が大きな引金になっているといえるだろう。

 山谷にも山谷の地域社会がある。日雇労働者だけでなく、その存在を支え、共存する地域社会がある。二年程前、日雇労働者ではなく、地域住民を対象とした調査を「日本寄せ場学会」で行なったことがあるのであるが、ドヤの経営者にしろ、酒屋や飲食店にしろ、日雇労働者に依拠して成立したきた構造がある。日雇労働者を差別する構造もあるけれど、日雇労働者と共存してきた構造もあるのである。しかし、再開発の波が及び、そうした構造そのものが大きく崩れつつあるのが現在の山谷である。

 

 こうして、山谷労働者福祉会館の自力建設の意味が明らかになってくる。再開発によって、地域の生活空間が大きく変わりつつあるのはなにも山谷に限らないはずだ。東京の下町では、地上げによって壊滅してしまった地区がいくつもある。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すだけで果していいのか、自分の住む町をどうするのか、どう考えるのかは、決して人事ではないのである。

 この間の、東京大改造の様々な動きはいまだとどまることをしらないかのようである。膨大な金余り現象の生んだこの首都の狂乱が意味するのは、都市のフロンティアが消滅しつつあることである。東京の改造が大きなテーマとなったのは、少なくとも、都市の平面的な広がりが限界に達したことをその背景にもっていた。都市のフロンティアがなくなることにおいて、新たなフロンティアが求められる。ひとつは、ウオーター・フロントである。海へ、水辺へ伸びて行く発想である。ウオーター・フロント開発は、既にすさまじい勢いで進められている。数々のプロジェクトが進行中である。山谷の立地する隅田川沿いにも再開発プロジェクトが目白押しである。東京湾岸の風景は既に一変しつつある。産業構造の転換で未利用地が多く、都心に近接しながら地価が安かったせいもある。埋め立てによって広大な土地がまとまっていることも大きい。

 さらに新たフロンティアとして眼がつけられるのは、空であり、地下である。二千メートルもの超高層ビルのプロジェクトや数十万人を収用する地下都市開発のプロジェクトが次々に打ち上げられているのがそうである。こうした巨大なプロジェクトは、もちろん、必ずしも具体化されつつあるわけではない。実際に進行しつつあるのは、様々な再開発である。まず、眼がつけられたのが未利用の公有地であった。公務員宿舎や国鉄用地が民間活力導入を口実に次々に払い下げられ、地下狂乱の引金になったことはまだ記憶に新しい筈である。

 東京の再開発の動きはあっという間に全国に波及することになった。投機目的の東京マネーが日本列島全ての土地をそのターゲットにしたのである。リゾート開発ブームもまた資本にとってフロンティアが消滅しつつあることを示すのである。

 こうして日本列島全体がバブル経済に翻弄され、かき回される中で山谷に労働者福祉会館が全くの自前で建設された。余程地に足のついた試みといえるのではないか。この間の地価高騰で、一般庶民にはとても住宅がもてない、という悲鳴が聞こえてくる。しかし、一向にその声は一つにまとまらない。豊かさの幻影のなかで階層分化が進行しているからであろう。資産を持つ層はちっとも困っていないのである。また、資産を持たないサラリーマン層だって、ワンルーム・リース・マンションに投資したりして、住テク、財テクに走っている。目先の、私の利益を求めて争うところには町づくりもなにもないのである。

 東京大改造、再開発を支えるのは言ってみれば山谷の労働者たちである。一度に数多くの建設労働者を集め、職人不足を加速した、東京改造の象徴である新都庁舎にしても、山谷の労働者がいなければできないのである。しかし、山谷のような空間の存在は常に無視され、差別されてきた。若い労働者たちはまだしも、歳をとって病気になり、仕事もままらなくなると、追い立てられ、ボロ雑巾のように捨てられる。そうした、労働者たちが自前の拠点を全くの自力建設でつくった。つくづく、すごいと思う。

 一見豪華に装われた新都庁舎と一見手垢にまみれた山谷労働者福祉会館、実に対比的である。日本の町づくりの方向をその二つのどちらにみるのか、いまひとりひとりに問われているのだと思う。

 

附記

 山谷労働者福祉会館は竣工したといっても、その内容をつくっていくのはこれからである。土地の代金や工事費(材料費)の支払いにもまだまだ苦慮している。また、施設を維持し、福祉活動や医療活動を展開するのに月々かなりの費用がかかる。会館では、その主旨に賛同し、活動を支えてくれるヴォランティアや賛助会員(月額二千円)を求めている。援助の手を差し伸べて頂ければと思う。

 

山谷労働者福祉会館 東京都台東区日本堤1~25~11

          電話 03-876-7073 

郵便振替口座 東京2-178842 山谷労働者福祉会館設立準備会











 

2022年2月28日月曜日

風水(Feng Shui),雑木林の世界07,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199003

風水(Feng  Shui),雑木林の世界07,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199003

雑木林の世界7

 風水(Feng Shui

                        布野修司

 

 ロンドンではしこたま本を買い込んだ。こまめに注文していれば慌てる必要はないのであるが、眼の前に実物があるとつい手がでてしまう。買い込んで読むかというと、つんどくだけだから始末が悪い。チャールズ皇太子の本とM.ハッチンソンの反論の本はさすがに好奇心にかられて眼を通したのであるが、大半は持って帰ってそのままだ。もっとも、船便で送った大半の本は未だに届かないのだけれど。

 今回ロンドンで買った本の中に『パースペクティブズ』というのがある。建築について書かれた文章の引用を集めた本だ。「建築とは・・・」というのが九七、「建築家とは・・・」というのが八十など全部で千一の格言、金言、ことわざなどが引いてある。

「建築とは凍れる音楽である」、「建築の歴史は世界の歴史である」、「建築とは意味を生産する機械である」等々、退屈しのぎにはいい。「評論家は常にあなたを鳩の穴へ押し込める。あなたがたまたま鳩でないとすれば、実に不愉快なことだ。」なんてのもある。

 ところで、もう一冊、つい手がでてしまった本がある。『チャイニーズ・ジオマンシー』という中国の風水についての小さな本だ。風水についてなら日本にも沢山文献があるから必要ないのであるが、英文のものを手にしたかったのはわけがある。インドネシアのソロで開かれたユネスコの会議で風水が大きなテーマになったのが頭に残っていたのである。RIBA(英国王立建築家協会)の本屋に行くと並んでいる。奥付を見ると一九八九年の出版である。風水についての関心はグローバルなんだなあ、とつい買ってしまったのである。

 

 

 インドネシアで開かれた(一九八九年一一月)ユネスコの会議のテーマは「発展途上国における伝統的価値と現代建築および人間居住計画の統合」というものであった。その会議の冒頭で、ファースト・スピーカーはフィリピンのリリア・カサノバ女史であったのであるが、いきなり風水(Feng Shui)という言葉が飛び出したのである。「住宅およびニュータウン開発における社会的文化的価値のインパクト」と題したその講演のなかで、女史はニュウタウンの計画において、計画と入居者の生活のずれをいくつかの事例を上げながら説明したのであるが、その原因は人々が住居に対して持つ伝統的価値、住居観を理解しなかったからだという。どこでも起こった話である。

 フィリピンにおける伝統的住居観については、フィリピン大のマナハン教授のレクチャーを受けたことがある。一九八二年に東京で行ったシンポジウムの折にである。カサノバ女史もそのマナハン教授のその時のレポートを引いていた。以下にいくつかみてみよう。

 

一.建物配置

 a.タガログ地方では、十字形をした家の間取りは縁起が悪い。

 b.家の中に聖者やキリストの肖像を掲げるのはカソリック信   者の古くからの習慣である。

 c.精霊が棲むと考えられているいくつかの樹種がある。その   樹が敷地にある場合切ってはならない。切れば不幸になる。

 d.地下に居間を設けることは西洋人の近代的概念である。し   かし、とりわけフィリピンの迷信深いチャイニーズにとっ   てはタブーである。

二.開口部

 a.ドアは互いに向かい合ってはならない。そうすると繁栄は   ありえない。

  b.ドアは西を向いてはいけない。西を向くと、死や不健康や   いさかいを招く。

 c.ドアは太陽の方を向くべきである。そしてまた、階段の最   初と最後の段が金(oro)にあたると(金、銀(pla   ta)、死(mata)、金、銀、死と数える)吉である。

  d.ドアとドアの間に何もないと、すぐに通りぬけれるから、   死を招く。

  e.足あるいは頭をドアに向くようにベッドやマットを配置す   ると早死する。

  f.入口の扉を直接外部に向けるのは、幸運が逃げていくから   よくない。

  g.表の門を直接通りに向けるのはさけた方がいい。

三.柱の建立

  a.柱の基礎にコインを埋めるといい。

  b.木の柱あるいは竹の柱は台風に備えて時計周りに建ててい   く。

  c.ひびの入った柱は使わない。不幸になる。

四.家の立地

 a.袋小路はよくない。 

  b.T字路に直面する家は望ましくない。

 

 たわいもないと思われるだろうか。以上は断片にすぎない。理解不可能なこともある。しかし、こうした民俗信仰、慣習に基づいた「迷信」の世界はわれわれにも親しい。家相、地相の世界なのだ。

 フィリピンではパマヒイン(Pamahiin)というのだという。そういう民俗信仰であれば、ホンスイと呼ばれる、とタイの建築技術研究所のエカチャイ氏がいう。風水からきているのは明らかだ。

インドネシアではどうだ。カパルチャヤアン(kaparchayaan)という。実はインドネシアについては前から気になっていた。特に、ジャワにはプリンボン(primbon)という、運勢を占う本がかなり広範に市販されているのである。井戸や門や、住まいに関わることももちろん書かれている。ジャワ島の住居や集落を調べる上ではプリンボンを調べる必要がある、と思っていたのである。

 中国の風水説、風水思想の影響は実に大きい、といえるだろう。中国文明、そしてインド文明の影響はは東南アジアに深く及んでいるのである。しかし、こうした地相、家相の説はどこにも普遍的にあるのではないか。ユネスコの会議でまず確認されたのは、その点であった。

 中国においては、秦、漢の昔から、あるいは、殷、夏の昔から、風水は術として大きな伝統となってきた。風水の術が発達してきたのは、墓所の位置、都城の位置などを決める上で様々な戦術的な意味があったからである。英国でもとめた本には、現代の風水師七人の写真がのっていた。風水師というプロフェッションは細々と現在にまで至っているのだ。

 だがしかし、かっては風水師は至るところに存在していたのである。現代の建築士は風水師たりえないのだろうか、というより、建築士の存在が風水師を抹殺してきたのではないのか。 

雑木林の世界 00+3 01~95 総目次 『住宅と木材』連載 198909~199707 (財)日本住宅・木材技術センター

  雑木林の世界 総目次 『住宅と木材』連載 198909~199707(財)日本住宅・木材技術センター


[00] 熊谷うちわ祭,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター, 198208

[00] 熊谷木造住宅調査近況,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター, 198301

00] カンポン調査ノ-ト,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター, 198309

 

1989

[01] 雑木林のエコロジ-雑木林の世界01住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198909

[02] 草刈十字軍雑木林の世界02住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198910

[03] 出桁化粧造雑木林の世界03住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198911

[04] 智頭杉「日本の家」雑木林の世界04住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター198912

1990

[05] 富山の住宅雑木林の世界05住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199001

[06] UK-JAPAN  ジョイントセミナ-雑木林の世界06住宅と木材日本住宅木材技術センター,199002

[07] 風水(Feng  Shui雑木林の世界07住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199003

[08] 伝統建築コ-ス雑木林の世界08住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199004

[09] 出雲建築フォ-ラム雑木林の世界09住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199005

[10] 家づくりの会雑木林の世界10住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199006

[11] ワンル-ムマンション研究雑木林の世界11住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199007

[12] 地域職人学校雑木林の世界12住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199008

[13] 中高層共同住宅生産高度化推進プロジェクト,雑木林の世界13,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199009

[14] カンポンの世界,雑木林の世界14,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199010

[15] 「木都」能代,雑木林の世界15,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199011

[16] 「樹医」制度/木造り校舎/「樹木ノ-ト」,雑木林の世界16,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199012

1991

[17] 秋田・建設業フォ-ラム,雑木林の世界17,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199101

[18]サイト・スペシャルズ・フォ-ラム,雑木林の世界18,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199102

[19] 建築フォ-ラム,雑木林の世界19,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199103

[20] 地球環境時代の建築の行方,雑木林の世界20,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199104

[21] [イスラ-ムの都市性]研究,雑木林の世界21,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199105

[22] 住居根源論,雑木林の世界22,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199106

[23] 「飛騨高山木匠塾」構想,雑木林の世界23,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199107

[24] 「木の文化研究センタ-」構想,雑木林の世界24,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199108

[25] 第一回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ル,雑木林の世界25,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199109

[26] 涸沼合宿SSF,雑木林の世界26,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199110

[27]茨城ハウジング・アカデミ-,雑木林の世界27,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199111

[28] 第一回出雲建築展・シンポジウム,雑木林の世界28,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199112

1992

[29] 割箸とコンクリ-ト型枠用合板雑木林の世界29住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199201

[30] ロンボク島調査雑木林の世界30住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199202

[31] 技能者養成の現在雑木林の世界31住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199203

[32] 地球の行方--東南アジア学フォ-ラム雑木林の世界32住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199204

[33] 第二回インタ-ユニヴァ-シティ-・サマ-スク-ルにむけて雑木林の世界33住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199205

[34] 土木と建築雑木林の世界34住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199206

[35] 望ましい建築まちなみ景観のあり方研究会雑木林の世界35住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199207

[36] エスキス・ヒヤリングコンペ公開審査方式雑木林の世界36住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199208

[37] 高根村・日本一かがり火まつり雑木林の世界37住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199209

[38] 京町屋再生研究会,雑木林の世界38,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199210

[39] マルチ・ディメンジョナル・ハウジング,雑木林の世界39,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199211

[40] 朝鮮文化が日本建築に与えたもの,雑木林の世界40,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199212

1993

[41] 建築戦争が始まる  第二回AFシンポジウム雑木林の世界41住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199301

[42] 『群居』創刊一〇周年雑木林の世界42住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199302

[43] 京都・歩く・見る・聞く雑木林の世界43住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199303

[44] 日本の集合住宅雑木林の世界44住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199304

[45] 韓国建築研修旅行雑木林の世界45住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199305

[46] 飛騨高山木匠塾93年度プログラム雑木林の世界46住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199306

[47] 北朝鮮都市建築紀行雑木林の世界47住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199307

[48] 職人大学(SSA)第一回パイロット・スク-ル佐渡雑木林の世界48住宅と木

[49] 東南アジアの樹木雑木林の世界49住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199309

[50] 空間ア-トアカデミ-:サマ-スク-ル雑木林の世界50住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199310

[51] 第三回インタ-ユニヴァ-シティ-:サマ-スク-ル雑木林の世界51住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199311

[52] 現代建築の行方-日本と朝鮮の比較をめぐって雑木林の世界52住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199312

1994

[53] 職人大学第二回スク-リング-宮崎校雑木林の世界53住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199401

[54] 町家再生のための防火手法雑木林の世界54住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199402

[55] 木造建築のデザイン雑木林の世界55住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199403

[56] これからの住まい・まちづくりと地域の住宅生産システム雑木林の世界56住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199404

[57] 松江城周辺の建築物の高さを規制するべきか否か雑木林の世界57住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199405

[58] ジャイプルのハヴェリ雑木林の世界58住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199406

[59] 町全体が「森と木と水の博物館」雑木林の世界59住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199407

[60] 東南アジアのエコハウス雑木林の世界60住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199408

[61] マスタ-・ア-キテクト制雑木林の世界61住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センター199409

[62] 木匠塾 第四回インタ-ユニヴァ-シティ・サマ-スク-ル雑木林の世界62住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199410

[63] ジャワ島横断雑木林の世界63住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199411

[64] AFシンポ「アジアの建築文化と日本の未来」雑木林の世界64住宅と木材(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-199412

1995

[65] 韓・日國際建築シンポジウム,雑木林の世界65,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199501

[66] 新・木材消費論,雑木林の世界66,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199502

[67] 阪神大震災と木造住宅,雑木林の世界67,住宅と木材,199503

[68] 戦後家族とnLDK,雑木林の世界68,住宅と木材,199504

[69] 北京・天津・大連旅日誌,雑木林の世界69,住宅と木材,199505

[70] 阪神大震災に学ぶ(1),雑木林の世界70,住宅と木材,199506

[71] かしも木匠塾フォ-ラム,雑木林の世界71,住宅と木材,199507

[72] 中高層ハウジング研究会,雑木林の世界72,住宅と木材,199508

[73] かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

[74] ア-バンア-キテクト制,雑木林の世界74,住宅と木材,199510

[75] エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

[76] ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

1996

[77] 80年代とは何だったのか、雑木林の世界77199601

[78] 都市の記憶・風景の復旧,雑木林の世界78,住宅と木材,199602

[79] 社区総体営造-台湾の町にいま何が起こっているか,雑木林の世界79,住宅と木材,199603

[80] 職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在,雑木林の世界80,住宅と木材,199604

[81] 台湾紀行,雑木林の世界81,住宅と木材,199605

[82] 明日の都市デザインへ,雑木林の世界82,住宅と木材,199606

[83] 日本のカンポン雑木林の世界83199607

◎[84] 東南アジアのニュータウン、雑木林の世界84199608

[85] 木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール、雑木林の世界85199609

[86] 住宅の生と死・・・住宅は何年の寿命を持たねばならないのか,雑木林の世界86199609

[87] インド・ネパ-ル紀行,雑木林の世界87,住宅と木材,199611

[88] 漂流する日本的風景,雑木林の世界88,住宅と木材,199612

1997

[89] 京都グランドヴィジョン研究会,雑木林の世界89,住宅と木材,199701

[90] 組織事務所の建築家,雑木林の世界90,住宅と木材,199702

[91] パッシブ・アンド・ロ-・エナジ-・ア-キテクチャ-,雑木林の世界91,住宅と木材,199703

[92] 景観条例とは何か,雑木林の世界92,住宅と木材,199704

[93] パッシブ・ソ-ラ-・システム・イン・インドネシア,雑木林の世界93,住宅と木材,199705

[94] スタジオ・コ-ス,雑木林の世界94,住宅と木材,199706

[95] 木の移築プロジェクト,雑木林の世界95,住宅と木材,199707

 

[96]雑木林の世界から八年間、グローバル&ローカルを視座に連載を続けてきました、住宅と木材、199708



住居/土間式住居/米倉,『東南アジアを知る事典』,平凡社,198607:池端 雪浦 監修, 桃木 至朗・クリスチャン ダニエルス・深見 純生・小川 英文・福岡 まどか・石井 米雄・土屋 健治・立本 成文・高谷 好一 編集,東南アジアを知る事典,改訂版,平凡社,2008年

 住居/土間式住居/米倉,『東南アジアを知る事典』,平凡社,198607:池端 雪浦 監修, 桃木 至朗クリスチャン ダニエルス深見 純生小川 英文福岡 まどか石井 米雄土屋 健治立本 成文高谷 好一 編集,東南アジアを知る事典,改訂版,平凡社,2008

住居

 

[鞍形屋根と高床式住居]

東南アジアには実に多彩な木造建築の伝統がある。中でも、棟がゆるやかに反り上がった鞍形屋根(舟形屋根)と呼ばれる独特の屋根形状が、島嶼部を中心にミナンカバウ族(西スマトラ)、バタク諸族(北スマトラ)、サダン・トラジャ族(南スラウェシ)などの住居に見られ、世界的に見ても注目される。

伝統的住居のあり方を歴史的に明らかにする資料は少ないが、ドンソン銅鼓など考古学的出土品に描かれた家屋紋や家型土器にこの鞍形屋根がみられることや、雲南の石寨山で発見された貯貝器の取っ手は今日のミナンカバウ族の住居にそっくりであることなど、ある程度共通の住居形態が古来より存続してきたと考えられる。ドンソン銅鼓は、ベトナムのみならず、中国南部からニューギニア東部のサンゲアン島でも発見されており、相当広範囲に鞍形屋根の形態が分布していた可能性がある。言語学的な復元によると、東はイースター島から西はマダガスカル島までの広大な海域に居住していたのがオーストロネシア語族で、共通の居住文化を保持していたとされ、その源郷は台湾(あるいは中国南部)という説が有力である。

鞍形屋根とともに、東南アジア(さらにオーストロネシア世界)の住居のもう一つの特徴が高床式である。ボロブドゥールやプランバナンのレリーフに描かれた家屋紋も例外なく高床式である。ただし、いくつかの例外があり、ベトナム南シナ海沿岸部、ジャワ、マドゥラ・バリ・ロンボク西部、マルク諸島のブル島は高床式の伝統を欠いている(ジャワ島でもスンダ地方は、バドゥイの住居のように高床である)。ベトナムの場合は中国の影響が考えられるが、ジャワ・マドゥラ・バリが地床(土間)式である理由については、南インドのヒンドゥー住居の影響、イスラームによる高床の禁止など諸説ある。バリの住居は基壇の上に建てられ、煉瓦造と木造の混構造であること、分棟形式をとることなどを特徴とする。また、ヒンドゥーの世界観に基づく、一貫する配置原理、寸法体系の維持で知られる。ジャワの住居は、屋根形式によって、ジョグロ(寄棟高塔)、リマサン(寄棟)、タジュク(方形)、カンポン(切妻)などに類型化される。ジョグロは、4本柱の中央を高く突き出す形態で、興味深いことにスンバワ島によく似た形式がある。ジャワにもプリンボンと呼ばれる建築書(家相書)が伝えられる。

高床式の系譜として注目されるのが、倉型住居(高倉)である。倉が鼠返しのついた高床の形式で建てられるのはごく自然であり、地床式のジャワ・マドゥラ・バリ・ロンボクでも米倉は高床式である。日本の神社、貴族住宅(寝殿造り・書院造り)も高倉から発達したとされるが、倉そのものが住居の原型となる。フィリピン・ルソン島北部の山岳地帯には、高倉の屋根をそのまま降ろして壁で囲う入れ子状になった住居があり、日本の南西諸島の高倉との関連をうかがわせる。また、インドネシア東部にも、同じように小さな倉型住居が分布する。今のところ、高床式住居は稲作が行われる以前から存在すると考えられるが、稲の東南アジアへの伝播とともに、この倉型の建築形式が伝播していったことは大いに考えられる。

多様であるにもかかわらず、共通の要素や系譜をもつのが東南アジア木造建築の興味深い点であるが、その根拠となるのが木造架構の原理である。すなわち、木材の組み合わせは無限ではなく、とりわけ構造力学的制約によって、架構方法はいくつかに類型化される。G.ドメニクの構造発達論は、日本の竪穴式住居の架構から様々な形の鞍形住居の架構ヴァリエーションをうまく説明する。湿潤熱帯を中心とするため、木を横に使ういわゆる校倉造り、井籠組(ログ)は少ないが、北スマトラのカロ高原の南に居住するバタク・シマルングン族の住居などなくはない。トロブリアンド島のヤムイモの収納倉が高床式の校倉造りであることはよく知られる。形態として興味深いのは、円形もしくは楕円形の住居で、ニアス島からチモール島にかけて分布する。ニアス島の住居は床下に斜材を用いるのがユニークである。

[住居の集合形式]

住居の集合形式としては、まずロングハウス(長屋)がある。東南アジア大陸部ではカチン族など、島嶼部ではカリマンタンからニューギニアにかけての地域に分布する。タイ北部では屋敷地に分棟形式で住居を建てて親族が住む形態がみられ、「屋敷地共住結合」と呼ばれる。東南アジアでは、大陸部でも当初部でも一般に双系制の親族原理が支配的であるとされ、世界で最大の母系制社会を形成するミナンカバウや父系的であるバタク諸族は、むしろ例外である。これらの場合、一室の大空間に複数の家族が居住する形式をとる。

バタク・トバやサダン・トラジャが典型的であるが、住居と倉を平行に配置する集落形式はマドゥラ島など他にも見られる。スンバワ島には、広場を円形に囲む形式も見られる。時代は下るが、都市住居として、南中国で成立したと考えられる店屋(ショップハウス、街屋)の形式が港市都市に成立する。

西欧列強の進出によって、いわゆるコロニアル住居が建てられ始める。西欧列強の拠点となったマラッカ、オランダ東インド会社の拠点であったジャカルタをはじめスマラン、スラバヤなどジャワの諸都市、英国の海峡植民地となったペナン、シンガポールなど数多くの都市の都市核に植民地建築の遺産が残されている。西欧の住居形式がそのまま導入される一方、土着の空間形式や架構方法が様々に取り入れられ、新たな住居の伝統を形成することになったのである。(布野修司)

 

 

2022年2月27日日曜日

災害を「学」にするということ!?,すまいろん,住宅総合研究財団,2009春号

 災害を「学」にするということ!?,すまいろん,住宅総合研究財団,2009春号

 

 災害を「学」にするということ!?

 布野修司

 特集の意義は、編集責任者である中谷礼仁先生が自負するとおりで、異議なし、である。しかし、災害をテーマとする「実践的」研究集団をつくりたいというのはどういうことか、と、ちょっと首を傾げた。以下は、各論考へのコメントというより、全体を読みながら思い起こしたことである。

 20041226日朝、僕はスリランカのゴール・フォートにいて、インド洋大津波を経験した。などと呑気に書くけれど、フォート周辺で数百人が亡くなり、15分違いの命拾いであった。帰国後、NHKテレビの特集でゴールのバスターミナルでみるみる溢れる水になすすべもなく巻き込まれていく人の映像をみて、心底ぞっとした。ツナミが到達するのがもう少し遅ければ同じ目にあっていたのである。この時のことは、求められるままに『みすず』(「スリランカ「ツナミ」遭遇記」2005年3月)に書いた。

その瞬間何が起こったのか皆目分からなかった。スリランカには、『マハーヴァンサ』という「古事記」があって、2000年前に女王が波にさらわれたとある、だから2000年ぶりだと、翌日のTV番組で学者がしゃべるのを聞いた。スリランカには地震はない。牧紀男先生の示す地震ハザードマップもスリランカは真っ白である。そして、ツナミなど誰も考えなかった(と思う)。満月の日の高潮か、水道管が破裂したか、僕の頭にも浮かんだのは全くトンチンカンな妄想である。目の前にひっくり返っているバスや車、サッカー場に乗り上げている船を見て、ようやくツナミと理解したのは、同じく命拾いした応地利明先生から、インド洋プレートの滑り込みとヒマラヤの造山活動、ツナミの速度(ジェット機より早い)についての説明を聞いてからである。事態を理解するまでに2時間近くかかった。家族を突然失った人にとってこれは神隠しと思うしかない。これは全く、林勲男先生のいう「災害」人類学の対象である。

何かの因縁を感じて、翌年、翌々年とスリランカに通った。モラトゥア大学の友人が復興計画に携わるというのでその手伝いをするというのが口実である。一年後、コロンボからゴールへ走って驚いた。やたらに眼に入るのが各国NGOの看板なのである。これみよがしに復興援助をうたうけれど、車を降りてみると何もない。スリランカ出身の構造デザイナー、セシル・ベルモンドの復興プロジェクトも大々的に喧伝された。翌々年だったと思う。日本政府は、80億円を投じて(援助して)、復興団地の事業コンペを行う。アチェでもそうだけれど、災害援助が明るみにするのは、第一に国際援助の巨大なブラックボックスである。

ゴール周辺に被災者のためのテントは残っていたけれど、バスターミナルは、全く何事もなかったようであった。NHK特集のビデオを撮ったカメラ屋の前に多くの新聞記事と亡くなった人の写真が貼られており、唯一ツナミの記憶を伝えていたが、その様子を写真に撮ったら、金をせびられ、思わず手をあげそうになった。大災害も飯の種にする(観光化する)したたかなあるいは切羽詰った人々がいる。これも「災害」人類学のテーマだろう。

亡くなった人たちを除けば、最も多くの被害を受けたのは、コロンボに近い海岸部に居住していたスコッターたちである。ツナミの直後に、行政当局は、これ幸いに、海岸線から100mを建設禁止区域とし、杭を打った。その決定を下した責任者と直接議論したけれど。海岸は共有地だ、この際、スコッター問題に手をつけるのだ、と強硬であった。もちろん、スコッターたちもしたたかであり、すぐさまバラックを建てて棲み続けた。このせめぎあいは日常社会に内在していたものだ。

災害は、地域の文化の再発見に結びつくというけれど、社会の亀裂をさらに顕在化させ、激化させもする。スリランカの場合、ツナミは、住宅問題、都市問題を直撃したのである。そして、さらに政治問題も大きく後退させた。知られるように、スリランカは長年、南北、シンハラータミルの両民族間で内戦といっていい状態にあった。実は、ゴールで命拾いする直前、初めてタミル解放の虎が実効支配する北部に行くことができ、陸路アヌラーダプラに抜けて、コロンボに至りゴールに向かったのである。確かに、一国内に別の国家があり、パスポートも入出領域税も取られた。しかし、雪解けの雰囲気は感じられた。だから外国人も旅行できたのである。しかし、ツナミ後、再び、対立は深まったように見える。援助物資の配分がうまく行われなかったのが一因だと思う。一方、アチェの場合、本特集の報告からは伺えないけれど、武装対立から融和へうまく?動きだしたのではないか。

災害は、危機的対立を強化する方向へも、さらに対立を緩和する方向へも作用する。大災害を好機とすべきとすれば明かに後者の方向である。ピナツボ火山の噴火以降、アエタが先住民族として誕生したことは、そうした評価を超えた問題であるけれど、ある種の共生の契機になったと理解したい。

・・・等々、特集を自らの経験にひきつけて考え始めるととても紙数が足りない。阪神淡路大震災にしても、集集大地震にしても、それなりに歩き回って考えたけれど、要するにはっきりするのは、災害が明るみに出すのは、日常が拠ってたつ基盤(インフラストラクチャー、地域社会、・・・)である、ということである。大災害が起こるたびに現地に出かけて行って、何がしかの教訓を得るのもいいけれど、日常が拠って立つ基盤の脆さを見通す眼が獲得されなければその教訓は活かされることはない、そのことを本特集は教えてくれているように思う。フィールドワークが目指すのは、そうした眼の力を鍛えることである。そうした意味では、青井・陳論文には好感をもった。佐藤滋先生のいう「事前復興」もそういうことだろう。ただ問題は、災害を「学」にすることではなくて、日々の暮らしの安心安全であろう。空地は震度8にもマグニチュードいくつでも耐えると唐山市長が言ったというけれど、本当にそう思う。肝心なのは、建造物が潰れても、人命が失われないことである。

「災害」に関する実践的研究というのは、・・・・。