『建築雑誌』編集長日誌 布野修司
2002年4月 中国建築学会訪問 第4回アジア建築交流国際シンポジウム 9月 重慶開催
経費削減 広告が欲しい
とにかく 早く届けたい
2002年4月1日
北京。午前中、精華大学、建築学院訪問。秦佑国院長、毛其智教授(人居環境研究中心副主任、建築与城市研究所副所長)、王路教授(『世界建築World Architecture』編集長)、張Zhang Jie副教授と会見。第4回アジア建築交流委員会(ISAIA)についての意見交換が主目的であったが、トウ君がこの9月から精華大学のポスト・ドクターになることもあって、話題は、当然、北京に関する都市研究についての意見交換にも及んだ。特に、張先生は、北京の都市計画の寸法関係に興味を持っていて、「北京古城城市設計中的人文尺度Human Scale in the Planning and Design of Ancient Beijing」を『世界建築World Architecture』2月号に書いたばかりであった。王先生が主宰する雑誌である。トウ君の関心(トウイ(神戸大学),布野修司,重村力:乾隆京城全図にみる北京内城の街区構成と宅地分割に関する考察,日本建築学会計画系論文集,第536号,p163-170, 2000年10月)と極めて近い。精華大学に戻った後は、当然共同研究することになるだろう。
会見の途中に突然日本からの訪問団が見えるという。誰だろう、どこの団体だろうと身構えると、なんと、京都工芸繊維大学の西村征一郎先生の顔。学長の木村光佑先生を団長に交流のための視察だとおっしゃる。奇遇であった。京都工芸繊維大学は精華大学と学術交流を開始されるという。
精華大学に、僕と会ったことのある若い先生が何人かいるというので王路教授の部屋に移動。狭いけれど居心地良く設計されている。しばらく歓談。教授というけれど王先生はかなり若い。ハノーバーで学位を取ったというが、期待されているのであろう。切れると同時にセンスがいい、という印象。建築賞の創設など中国建築界の情報を得る。『世界建築World Architecture』と『建築雑誌』の交流も約す。
隣の美術学院には、東京芸術大学の六角鬼丈先生が研究室を持っている。タイミングが合えば、六角さんとも会いたいと思っていたが、北京入りした前日帰ったという。ちょっと残念。
午後、中国建築学会にて打ち合わせ。
出席:唐犠清Tang
Yiqing 副秘書長、張百平Zhang BaiPing 国際交流部主任 、王賤京Wang Xiaojing 国際交流部項目主管
布野修司/孫躍新/トウ・イ/モハン・パント/羅頸
第4回アジア建築交流国際シンポジウム(ISAIA)について確認した主要なポイントは以下の通り。
1. JAABEについて
・・・・早く出てうれしい。
a.
第2号について、中国国内へ連絡しているが時間が足りない。5/8の締切は一ヶ月程度伸ばして欲しい。締切に間に合わなかったものは3号に回すことも考えて欲しい。
b.
20冊至急中国建築学会に送って欲しい。レフェリー用
c.
宣伝したいが、航空便を加えると1500円がいくらになるか。
2. 第4回ISAIAについて
a.
規模:100~150を想定 国内 70~80名 日本 30~50名 韓国 10~20名。200人を超えると会場等で問題がでるかもしれない。
b.
参加者:中国建築学会のホームページに随時参加者リストを公表する。大臣の参加は未定。重慶市長、会長は参加。日本代表6人は登録費無料。基調講演者、レセプションでの挨拶者。
台湾、北朝鮮、欧米など個人参加は歓迎する。
c.
組織委員会:仙田会長、布野アジア建築交流委員会委員長の2名が加わる。
d.
基調講演者:特に要望はない。日本に委ねる。
e.
ツアーについては日本にまかせる。中国国内は中国にということであればサポートする。エクスカーションについても自由に考えて欲しい。重慶市が検討中。旅行社を選んだ方が安いとのアドヴァイス。
f.
日中国交回復30周年について特別な儀式は考えない。韓国が参加していることもある。→中国側で会長と相談する。
g.
スケジュール:9月16日レセプション スピーチと代表者紹介。17日 日中韓、各国数名の代表によるミーティング
h.
論文はまとめて送って欲しい。
i.
30,000元(約48万円)は日本建築学会へ提供する。
3. 今後
2004年 日本、2006年 韓国、2008年北京オリンピック年 中国、という予定で行う。協定延長について確認。
終始、友好的な会談であった。7年前に来た時は、学会はまだ隣の建設部(建設省)の中にあったが、1999年のUIA大会を機に建てられた隣の「中国建築文化中心China Architectural Culture Center」に移っていた。それにしても、全てがスマートになったという印象である。
以上で中国での主要な仕事はほぼ終了である。ほっとする。
夕刻には若干時間があるので、SOHO現代城のモデル・ルームに行く。山本理顕さんから現場を見てくれと言われていたのである。紅石(レッド・ストーン)社の大規模開発団地で山本理顕さんがコンペで勝って、この1月からスタッフが常駐している。スタッフのひとり、坂本一成さんの研究室の出身だという迫さんに色々話を聞いた。
モデル・ルームは、日本で言えば、億ションである。中国のプロジェクトとはとても思えない。わずかにメイド部屋があるのでそれと知れる。そのメイド部屋にもシャワールームがあり、自動乾燥機がついている。白を基調とし、面で収めた室内は、日本から取り寄せたという家具が置かれている。売れ行き好調というから驚きである。
しかし、現場は大変だ。設計施工の体制がまるで違うのである。基本的には設計者は現場には口を出せない。施工制度にも不安がある。通訳を介しての打ち合わせだけで膨大な時間をとられていると迫さんはいう。
王さんから、『青年建築師・中国』という昨年の暮れに出たばかりの作品集を頂いた。33人の「青年建築家」が選出されている。45歳が最年長である。中国は確実に世代代わりである。デザインの能力も格段の進歩がある。
理顕さんに先駆けてSOHO現代城を手掛けたのは、朱小地・北京市建築設計研究員副院長であるが、1964年生まれである。もちろん、33人の内の一人だ。
2002年4月3日
北京にいても、ばんばんメールが飛んでくる。日本にいるのと一緒である。学年末から新学期にかけてだから、校務に変わるメールも多い。編集委員の間でも相変わらずメールが飛び交っている。8月号のインド特集が佳境である。インドの大建築家ドーシさんへのメール・インタビューが実現しそうだ。新居さんがドーシさんに送ったメールが転送されてきた。現時点の目次も伝えられている。
Dear Mr.Doshi,
We are enclosing details
of the Indian issue as it now stands. Also some requests regarding the article
and 5 questions from one of the editors in charge, for the mail interview.
Please give us your
opinion.
Along with the official
letter requesting you for the article and interview, a sample copy of the
journal will soon be sent to you for your reference.
The
questions are just a guideline of what the Board is hoping you will elaborate
on. They are not fixed and you may change or add to them depending on what you
want to emphasize on. It will be re-edited and covered in 2 pages.
We request you to please do the following
either in the main article or in the interview:
1. Refer to general
trends in India, to old Jaipur and Chandigarh also. Since Mr.Raje is talking
about Kahn, we hope you will balance the coverage with Le Corbusier's role in
India.
2. To focus on
Vidyadharnagar as a concrete case even in the main write-up, if possible.
3.To send visual
material by post in good time and to reduce the write-up to make space for
them. We think that without visuals it would be very difficult to understand
the article.
Thanking
you,
With
regards,
Nii
and Vasanti
Proposed title: THE
WORLD OF INDIAN ARCHITECTURE ƒ~ (24 pages, visuals included)
1.Introduction:ƒWater
and Architecture; the Mountain and Architecture; the Earth and Architecture - a
reflection on origins‚ (tentative title)
- Terukazu Nii and Vasanti Menon, architects (4 pages, based on visuals)
2.Main Feature:
(7pages,tentatively, visuals included)
Beyond
sustainable cities: Strategies for Regional and Global sustenance
- B.V.Doshi, architect (5 pages)
Mail Interview with Mr. Doshi (2 pages)
3.The diverse world of
architecture in the Indian sub-continent:(tentative)
(11pages, visuals included)
*Buddhist
Architecture: - Atsushi Nonogaki, scholar
(1 page, including visuals)
*Hindu architecture and
Islamic architecture?
George Michell, scholar, with Snehal
Shah, architect (3 pages,
including visuals)
*Islamic
Architecture: - Naoko Fukami,
scholar (1 page, including visuals)
*Step-wells - Shuichi Takezawa, architect & scholar
(1 page, including visuals)
*Urban dwelling: the
haveli - Shu Yamane, scholar (1 page,
including visuals)
*Colonial
Architecture: - Kiyo Izuka,
scholar (1 page, including visuals)
*Modern Architecture:
Louis Kahn - IIM,
Ahmedabad and The Capital Complex, Dacca (tentative title)
(one or both works?) - Anant Raje,
architect (2 pages, including visuals)
*Nepali Architecture:
Japanese scholar under consideration (1 page, including visuals)
*Srilankan
Architecture: - Hiromasa Kurokochi,
scholar (1 page, including visuals)
4.Data on Indian
architecture -Akihito Aoi and Shu
Yamane (1 page)
2002年4月4日~6日
6日の帰国の前に、鉄道で大同へ一泊旅行。大同は洛陽遷都以前の北魏の首都、平城である。市内にまだ明、清時代の城壁が残っている。お目当ては雲崗の石窟と応県の木塔(仏宮寺釈迦塔、1056年)。さらに、懸空寺もある。大同市内には、上・下華厳寺(上:金1140年、下:遼1038年)そして善化寺(1128年)がある。といっても、ピンとこない人が多いかもしれない。しかし、学会建築史委員会編纂の『東洋建築史図集』(彰国社、1995年)を開いて見て欲しい。いずれも取り上げられて田中淡先生(京都大学人文研究所)による解説がある。また、村田治郎先生の著作集三『中国建築史叢考 仏寺仏塔篇』(中央公論美術出版、1988年)にはそれぞれについての論文が収められている。もちろん、2冊は持ってきた。
応県の木塔は八角五重の堂々たる塔であった。6重に見えるが初層に裳階がついている。中国に現存する最古の木塔である。内部は9層だが4層は天井裏で5層に塑像が収められている。村田先生が実測されたのは1938年のことである。
懸空寺は、崖にへばりついた懸崖づくりのお寺。三朝温泉の三仏寺投入堂もびっくりの代物であった。中国はさすがにすごい。華厳寺も善化寺も実に迫力があったが、上華厳寺が工事中で見られなかったのは残念。
京都大学で「世界建築史Ⅱ」という講義を開始したのが1995年の後期である。Ⅱというのは、Ⅰがあって、Ⅰが「西欧」、Ⅱが「非西欧」を扱う。かつての講義名でいうと「東洋建築史」である。建築史を専攻したわけでもないのに、アジアを歩き回っているのだからやれ!ということになった。俄勉強を続けながら、四苦八苦しながら続けてきたが、もう7年になる。ようやく教科書を書く段階に達し、今年の秋には出せると思う。『アジア都市建築史』(仮)である。
つくづく思うに建築というのは実際見ないとわからない。『東洋建築史図集』に載っている建築は全部視ようと機会を捉えて建築行脚を心掛けてきたが、道未だ半ばというところか、中国など西安、北京を見た程度で、今回ようやく大同までたどりついたというわけだ。
まず手掛かりにしたのは、東洋建築史学の始祖、伊東忠太、そして、関野貞の軌跡である。知られるように、伊東忠太が最初に赴いたのは北京であり、最初に手掛けたのは紫禁城の実測である。1901年2月のことである。
そして翌1902年3月から1905年6月にかけて、忠太はユーラシア大陸横断の大旅行を敢行する。3月25日東京を出発し、4月より7月まで北京を中心として、大同、五台山を調査した。そして、発見したのが雲崗の石窟である。奇しくも丁度百年後、雲崗石窟を訪れることができた。写真は最も有名な第20窟である。
2002年4月8日
情報委員会で上京。未だ中国呆け。入稿されていない4月号の原稿があって唖然。会員には届いていないといけない日程である。建築雑誌の現状のペースをご存じの執筆者の原稿はついつい遅れる。編集部は真っ青である。編集長として初めて催促のメールを打つ。帰宅すると入稿があったというメール。ちょっと胸を撫でおろす。
2002年4月10日
授業開始。何年も教師をしていると新学期といってもどうこうないのであるが、新入生の初々しい姿を見るのは気持ちがいい。2月号特集「公開空地 なんでこうなるの?」について、簡単な意見がメールで寄せられる。若干要領を得ないので、意見をまとめて投稿して欲しい旨伝えてもらう。
2002年4月11日
近畿支部卒業設計コンクール審査のために近畿支部へ。はじめてである。正直こんな活動が続けられていることを知らなかった。半世紀になる活動だという。すばらしい。
審査委員は7人。大阪大学の木多道宏先生を除いて旧知の先生方であったので和気藹々の審査となった。もちろん、厳正なる審査が行われたのは言うまでもない。以下の報告の通りである。いささか気になったのは意見が揃いすぎたことである。そして、僕の意見がいささか浮いていたことである。実施コンペではないので、また、とりまとめ役に指名されたので、自説に固執した議論に持ち込むことは遠慮したけれど、設計コンクールにおいてまず大事なのは審査委員の構成であることをいまさらのように思った次第。これは学会賞の作品賞の委員会に二年参加した実感でもある。短大、工専、専修学校、工業高校といえども力作が少なくない。やはり指導者の熱意が大事であることを痛感したのであった。
近畿支部卒業設計コンクール審査報告
審査経緯
平成13年度、近畿地区短大・高専・専修学校並びに工業高校「卒業設計コンクール」(第56回)の審査は、平成14年4月11日、大阪科学技術センター会議室において、7名の審査員全員の出席によって行われた。
本コンクールの主旨、前年度の実績、13年度コンクールの応募状況、審査に関する内規を確認した後、互選により布野を審査員長に選出した。応募総数は、「短大・高専・専修学校の部」17作品、「工業高校の部」8作品で、昨年度に比し、前者は4作品減、後者は1作品増であった。一昨年と比べると、前者は5作品減、後者は3作品増である。
審査に当たっては、各部門3作品を必選することをまず確認し、審査方法について議論した。結果、まず、個々の審査員が全作品を入念に評価した後、それぞれすぐれていると考える作品を各部門3点以内記名投票することとし、その後の進め方については投票結果を踏まえて議論することとした。
ほぼ1時間半の審査の後、記名投票を行った結果は、「短大・高専・専修学校の部」では、no.8-6票、no.5-5票、no.7-4票、no.9,no.15-2票、no.11,no.17-1票、「工業高校の部」では、no.7-7票、no.8-5票、no.4-3票、no.2-2票、no.1,5-1票であった。以上の投票結果を踏まえ、まず「工業高校の部」について、続いて「短大・高専・専修学校の部」について検討することとした。 各部門とも、まず投票の無かったものについて、委員それぞれがコメントし、入選作品とはならないことを確認、続いて得票の少ない順に、推薦者の評価理由を中心として議論を行った。
「工業高校の部」については、満票を得たno.7と5票を得たno.8を入選とし、残る一点についてさらに議論を重ねた。No.1については、ほのぼのとしたセンスが、no.2とno.4については、手堅いまとまりが、no.5については図面の密度が評価された。しかし、それぞれ欠点も指摘され全員一致とはならなかったため再度記名投票を行い、no.4-4票、no.5-2票、no.2-1票という結果、no.4を入選作に加えることとした。
「短大・高専・専修学校の部」では、まず、同様に団地再生をテーマとするno.3とno.7の評価が議論になった。現実性の高いno.3は1票も得ていないが、スケルトン、インフィル分離などビルディング・システムの提案が全くなく「再生」というテーマも自覚されていないno.7の問題点も指摘され、二つの作品の優劣が問題となった。また、1票も得ていない作品で気になるものとして、no.16、no.4があげられた。議論の末、まず、町工場地区の再生という今日的テーマを高水準にまとめたno.8を入選作品とすることとし、さらに議論を重ねた。まちづくりをテーマにするなかではno.5の評価が高かったが、no.17の作業を高く評価する意見もあった。また、no.7への疑問から、新たにコミュニティ・スクールの提案no.15の評価も加えられた。議論の末、過半数以上を獲得したno.5,no.7,no.8 の三作品を入選作とする方向が確認されたが、いずれも「再生」をテーマとする点で入選作のバランスが議論された。最終的に記名投票で決することとし、投票の結果、no.5,no.7が4票、no.9,no.15が3票となった。僅差ではあったが、no.5,no.7,no.8を入選作品とすることと決定した。
審査概評
入選作に「まちこうば再生」「団地再生計画」などが並ぶように、再生、リノベーションをテーマとする作品が目立った。時代の流れであろう。
団地再生をテーマとするものは2作品もあった。また、既成市街地に新しい要素を組み込もうとするもの、既存のストックを巡礼の道に沿って整備しようとするもの、かつての万博会場をリノベートしようとするもの、歴史的街区を寺子屋として蘇生しようとするものなど、時代の流れを敏感に感じながらの提案はそれぞれ好感がもてた。時代との応答という意味では、池田小学校問題を背景とするコミュニティ・スクールの提案、不況を重く受け止める起業家学校の提案、コーポラティブ・ハウスの提案、高齢社会を背景とする老人センターの提案などもある。
身近なまちを見直しながらまちづくりについて提案するものもひとつの傾向である。詳細なサーヴェイを展開するものに力作があった。問題は、具体的にどのような空間を提起できるかである。そういう意味では、新たな歩道橋空間の提案など具体的に身近な新しい空間を提案するものにも好感をもった。
最大の議論になったのは、団地再生の2作品である。すなわち、個々の作品の評価を超えて、団地再生について議論を喚起させる力が2作品にはあったといえるであろう。戦後日本の居住地景観をつくった団地については、オイルショック後、その増改築が現実的課題となったことがある。そして、いくつか事例がある。しかし、結局は建て替えた方がいい、というのが当時の結論であった。しかし、団地再生という課題はより現実的な課題と成りつつあるというのが現在である。
「短大・高専・専修学校の部」のno.3はその課題に真摯に答えようとしたようにみえる。よりスマートにしたファサード・エンジニアリングへの期待を予感させた。しかし、審査員の票を集めたのは「短大・高専・専修学校の部」no.7であった。この作品は、むしろ、新たな集合住宅の提案とみなすべきであろう。多様な住戸を組み合わせ、豊かな団地景観をつくりだそうとする試みが魅力的であったということであろう。ただ、ビルディング・システムへの配慮がなく、「再生」の意味が希薄となっているのが残念であった。
審査員会が一致してひとつの傾向を推すということにいささか危惧があり、USJ的発想であるが、太秦の映画村をロス・アンジェルスに持っていこうとする作品としてアイディアを買える「短大・高専・専修学校の部」のno.11、道頓堀川の再生に関わる作品として水準の高い「短大・高専・専修学校の部」のno.9を推したが賛同を得られなかった。
給水設備設計をテーマとした作品は力作であったが、評価の軸が異なり、作品群の中に位置づけることができなかった。
平 成 13 年 度 近
畿 地 区 卒 業 設 計 コ ン ク ー ル 審 査 表
H14.4.11
<短大・高専・専修学校の部> <工業高校の部>
作品番号 審査員名 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
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1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
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|||||
笠原 一人 |
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○ ◎ |
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○ ◎ |
○ ◎ |
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○ ◎ |
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○ |
○ |
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木多 道宏 |
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○ ◎ |
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○ |
○ ◎ |
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◎ |
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○ |
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○ ◎ |
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○ |
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||||||
木村 博昭 |
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○ ◎ |
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○ ◎ |
○ ◎ |
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○ |
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◎ |
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○ |
○ |
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||||||
末包 伸吾 |
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○ ◎ |
|
○ ◎ |
○ ◎ |
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○ ◎ |
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○ |
○ |
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||||||
竹原 義二 |
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○ |
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○ ◎ |
○ ◎ |
◎ |
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◎ |
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○ |
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布野 修司 |
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○ ◎ |
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○ ◎ |
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○ ◎ |
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|
○ ◎ |
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○ |
○ |
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||||||
山本 光良 |
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|
|
◎ |
○ ◎ |
|
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|
|
|
|
○ ◎ |
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○ |
|
○ ◎ |
|
|
|
|
○ |
○ |
|
||||||
合 計 |
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○(5) ◎(4) |
|
○(4) ◎(4) |
○(6) ◎(6) |
○(2) ◎(3) |
|
○(1) ◎(1) |
|
|
|
○(2) ◎(3) |
|
○(1) ◎(0) |
○(1) ◎(1) |
○(2) ◎(1) |
|
○(3) ◎(4) |
○(1) ◎(2) |
|
7 |
5 |
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||||||
○印入選 |
|
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○ |
|
○ |
○ |
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○ |
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○ |
○ |
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(短・高・専)1次審査:(○) |
2次審査:(◎) |
(工業高校)1次審査:(○) |
2次審査:(◎) |
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審査が終わって、『建築雑誌』が話題になった。編集長日誌読んでますと、事務局の児玉さんがおっしゃる。反応を聞くのは悪くない。しかし、まだ、3月号を見ていないという。もう書きすぎで、小野寺さんも片寄せさんもうんざりだろうけれど、現状把握をお願いする。
入之内瑛さんから作品集『住まいの風姿体—入之内瑛と白鳥健二の軌跡』(住宅建築別冊・53)送ってもらう。随分会っていない。ほのぼのとした作風は健在である。
2002年4月15日
アジア建築交流委員会で上京。上京の友は、亀井俊介『ニューヨーク』(岩波新書)、入江敦彦『京都人だけが知っている』(洋泉社)、吉川忠夫『秦の始皇帝』(講談社学術文庫)。いつも京都駅の二見書房に寄って新書、文庫を二三冊買い込む。もちろん、全部読むわけではない。集中しても一冊読みきるのが精一杯である。新幹線の中ではぺらぺらとめくるだけで、必要に応じて読み直す。大抵は寝る前である。『ニューヨーク』は亀井先生の名前でつい手が出た。このアメリカ文化研究の大家に大学時代に英語を習った。読んだのは、グレアム・グリーン?の“A Passage to India”ではなかったか。否、『インドへの道』は高橋康也先生だった。かつてのニュー・アムステルダムということもあったし、WTCも頭にあったのかもしれない。ニューヨークを歩く時にはもう一度手にすることになろう。『秦の始皇帝』は中国の余韻である。
『京都人だけが知っている』というのは、どうしても手が出てしまう。今年で京都は11年目だけれど、未だに余所者意識が抜けないと言うことか。著者の入江さんは西陣生まれの41歳。現在ロンドン在住。京都生まれの京都愛憎論である。
「京都人は知っている。
外からくるものは、かならず悪いものである。
外からくるものに、とりあえず逆らってはいけない。
外からくるものは、この街の法則が判らなくて当然。
外からくるものは、いつか外へ帰ってゆく。
外からくるものも、いずれは京都人になる宿命がある。
外からくるものの名、それは、よそさん。」
うなずきながら一気に読んだ。
読書が専門の分野に限定されるのはいかたしかたないか。あとはこうした新書、文庫などで、世の中にアンテナをはるぐらいである。もうひとつ読むべきなのが送られてくる友人達の本だ。しかし、これがなかなか読めない。いつかまとめてと思うのだけれど、特に建築関係の本となると、いずれそのうちにとつい思ってしまう。困ったものだ。柏木博さんからは、さらに『20世紀はどのようにデザインされたか』(晶文社)を送っていただいた。また、飯島洋一さんから『現代建築・アウシュヴィッツ以後』(青土社)という刺激的なタイトルの評論集を送っていただいた。20世紀の建築を僕なりに総括してみたいとは思うのであるが時間がとれない。要は、優先すべき関心が別にあるということであろう。
アジア建築交流委員会は、阿久井先生、飯塚先生、松本先生、石道先生、中川先生、八木先生、片桐先生、友田先生など主立った先生にお集まり願った。栗原さんの周到な準備のもとに、中国での協議を報告、日本での準備について議論した。エクスカーションは、三峡下り、来年貯水されると、永久に景観が失われるかも知れない。ラストチャンスである。三峡下りも目当てに、奮って参加をお願いしたい。
第4回アジアの建築交流国際シンポジウム開催のお知らせ |
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開催日:2002年9月17日~19日 開催地:中国 重慶 共
催:中国建築学会,大韓建築学会, 日本建築学会 |
◆論文募集◆ 論文書式:JAABEの書式に準ずる。(http://www.aij.or.jp/eng/jaabe/) 締
切
日:7月12日〔金〕必着(郵送) 送
付
先:日本建築学会 アジア建築交流委員会 担当:栗原宛 |
◆◆参加登録について◆◆ 参加を希望される方は,日本建築学会事務局宛に会員番号と氏名をお知らせください。シンポジウム公式参加団を構成し,団体登録する予定でおります。現在三峡下りをして武漢他をめぐるツアー※を企画中。詳細はホームページまたは,次号雑誌にてお知らせします。奮ってご参加ください。 ※長江の中流域の大峡谷。三峡ダム建設に向けて2003年以後三峡下りはなくなります。絶景を背景に中国の歴史,文化に触れる旅です。 申込・問合先:アジア建築交流委員会 担当:栗原 izumi@aij.or.jp
03-3456-2016 |
|
Call for papers
You are cordially invited to contribute papers to
the ISAIA. Please be informed on the following instructions for preparing the
manuscript. -- The deadline for
submission of paper is July 15, 2002. Please
send your paper in one printed copy with a disk to the symposium secretariat
by registered airmail or EMS. (→日本から提出する場合は,日本建築学会で原稿をまとめて提出します) -- The official language
for the paper and presentation is English. -- The length of the paper is
recommended in 4 pages of A4 size. The maximum length of paper should be
limited within 6 pages. Figures and tables can be inserted into the lines of
paper, or placed at the rear of the paper. -- All papers will be
reviewed and selected by the Scientific Committee of ISAIA. The selected
papers will be published in the proceedings and part of selected papers will
be presented at the symposium. The authors will be informed before August 20th,
2002. --All measurements should
use the metric system. --Typing instructions: The manuscript should be
arranged as follows (1) Title of the Paper (2) Name of the Author (3)
Affiliation of the Author (4) Abstract of the Paper, maximum 300 words (5)
Main Text Including Figures and Tables (6) References. Please use plain white
A4 paper and leave 25mm margin on top and bottom, leave 20mm margin on left
and right sides; the full type area is 170mmX245mm. Announcement The
International Symposium on Architecture Interchanges in Asia (ISAIA) is a
biannual international symposium co-sponsored by the Architectural Society of
China (ASC) together with the Architectural Institute of Japan (AIJ) and the Architectural
Institute of Korea. The 4th ISAIA plan to be held in Mid September
2002 in China and hosted by ASC. The Organizing Committee of ISAIA welcomes
architects, structural engineers, economists, faculty of school of
architecture and engineering, scholars and professionals in the field of
architecture and engineering to take part in the symposium and contribute
papers. Main Theme: Resource
Architecture and Modern Technology Sub-theme: 1. Economy and Building Development 2. Local Culture and Architectural Context 3. Urban Ecology System and Green Building 4. Modern Structure and Technology Proceedings:
published before the opening of the symposium in English version with Chinese
abstract. Symposium Program: Sep.16 - Arrival of
Delegates and Registration Evening: Welcome Reception Sep.17 - AM Session (1) Opening
Ceremony, Keynote Lectures PM Session (2) Invited Paper
Presentations Sep.18 - AM Session (3)
Invited Paper Presentations PM Session (4) Invited Paper
Presentations Sep.19 - Architectural and
Cultural Tours in Congqing city. Sep.20 - Departure of
participants Language: English (brief translation into Chinese
on site). Registration
Fee: 120 US
dollars for each participant (including lunch and dinner of 3 days, one copy
of proceedings and architectural tour on Sep.19th). You may send a bank draft
(personal check and credit card are not acceptable) to ISAIA Secretariat by
registered mail. Or, you can pay the registration fee on your arrival in
Chongqing (it is suggested that you pay the fees in cash on arrival). |
出来るだけ多くの参加者があって欲しいといくつかメールを送ったら、ピーターから返事が来た。ピーターは、ヴァージニア工科大学で建築を勉強した後、京都で大工修行をした変わり種である。
Funo-sensei,
Thank you for taking the time to answer my questions! I am
excited about the conference and have been in contact with Ray Kass. I
will shortly be contacting Paul Knox to see if he is available to attend the
conference as well. The opportunity to participate in and contribute to
this conference is important to us, and we look forward to the chance to foster
our relationship with you and develop new ones.
Best regards,
Peter Lau
Ray
KassというのはJ.ケージとも親交のある芸術家である。ヴァージニア工科大学にいて、年に一回は京都にやってくる。大倉二郎氏と懇意で、研究室を動員してワークショップもやったことがある。Paul Knoxというのは有名な地理学者で、ヴァージニア工科大学で学部長をしている。彼らが参加となると賑やかになる。
アジア建築交流委員会の後、大文(田中文男)さんに電話。明日の座談会の確認である。するとすぐ来い!ということになった。新宿の事務所にお邪魔すると、即ビールである。ひとしきり話すと、一軒行こう、と当然のようになった。飲み続けるうちに、曽根(幸一)を呼べ、松山巌を呼べ、となった。東京芸大グループとは随分懇意の様子。二人とも幸か不幸か不在、その代わり、松山さんのかつての相棒井出健さんが捕まった。井出健さんとは久しぶりであった。しこたま飲んでフラフラの夜となった。東京泊。
2002年4月16日
理事会。二日酔い。何故か理事会の時に多い。
18:30より6月号座談会。坂本功、田中文男、渡辺邦夫の異色の組み合わせ。編集部からは藤田、大崎両委員の他、山根、布野が参加。座談開始の時間になっても気分が悪い。進行は藤田委員に任せる。仕掛けておいて失礼ながら、予想以上に面白い座談会となった。乞う、ご期待である。
鼎談終了後、坂本先生から『木造建築を見直す』(岩波新書)を頂く。もちろん買って眼を通していたのであるが、もう一度ちゃんと読みなさいということと解して有難く頂く。大文さんからも、『旧堀田邸保存整備工事報告書』(佐倉市教育委員会)など沢山の資料を頂いた。その熱心さ、タフさには驚嘆するばかりである。
2002年4月19日
第10回編集委員会。松山さんが、東京芸術大学での講義とかち合い欠席。いささか寂しい。それに、10月号「建築の寿命」、11月号「都市の行方」の議論がしたかったけれど、担当の野口、北沢の両委員が欠席であった。9月号建築年報の決定が主となった。7月号「シックハウスから健康住宅へ-室内空気汚染問題の今」(仮)は原稿待ちである。8月号「インド亜大陸建築」は報告してきた通りである。
●9月号「建築年報2002」については、まず「研究レビュー」の執筆者を決定した。問題は、トピックスと【デザイン界総括座談会】である。【建築界の動向と展望】について、テーマとして、下記が挙げられた。
・WTC
・バーミヤン
・ものつくり大学
・空前の海外プロジェクト(中国を含めて)
・ワールドカップと建築
・新宿ビル火災
・建設不況
・談合問題
・資格・教育問題
考えて見るとほぼ一年が過ぎた。来年の今頃には二年分の企画が終わっていなくてはならない。来年2月号は1500号記念号になる。「英文論文集」の刊行が11月に繰り上がるため、通巻1500号は2003年2月号となる。通常、2月号には大会報告が掲載されるため、特集は小特集となる。来年度の大会は例年より1カ月早い開催となるため、大会報告を12月号掲載に前倒ししたうえ(特集は小特集)、2003年2月号(1500記念号)を通常特集とすることにする。来年の9月号も建築年報だから、残りは10号分。来年1月号では、「公共建築」「公共事業」に関わるテーマはどうかと考え始めている。最終号は、建築学を全体として問いたい。
会社更生法の適用という事態となった佐藤工業の岩松準委員が出席、元気そうであったが、じっくり話を聞く時間がなかった。大変だろうと思う。
3月号は随分スリムであった。経費削減はあらゆる面から検討中である。といっても、専ら検討しているのは事務局である。「委員会活動報告」「支部報告」は極力減らしたい。ページ数が多い割には内容が薄く、会誌の誌面を割いての掲載に対しては以前から疑問が指摘されてきた。原稿は毎月の理事会資料をそのまま転載しているもので、情報としては別途担保される、という判断である。一方、会員に対する委員会活動情報として、報告すべき事項を随時掲載するよう努力し、委員会活動情報の一層の充実を図ることを方針としたい。ホームページもある。また、委員会および支部の活動報告は「活動レポート」欄で積極的に紹介するつもりであることはいうまでもない。
広告を如何に増やすか、も話題となった。編集委員会が広告を気にするのは問題だと思うけれど、それだけ学会も深刻と言うことである。
懇親会では、建築計画委員会の積田洋先生のWGと隣席。余程虫の居所が悪かったのか、酔いに任せて暴言。多謝。小野寺さん片寄さん仕事に追われて参加できず。なんとなくうしろめたい。代わりに研究部長、真木さん参加。引き上げようとするところで、高橋鷹志先生とばったり。懐かしさに銀座をねだる。山根、青井委員と共に、銀座、新宿を彷徨する夜となる。
2002年4月23日
もう何年も続けている留学生のための特別授業「日本の都市と建築」。日本語でやるから楽だし、色々質問があるから楽しい。最近、スエーデン、フィンランドなどアジアに加えて東欧からの留学生が目立つ。
『建築雑誌』4月号届く。執筆者向けだけれどうれしい。小野寺、片寄さんが相当頑張ったと思う。
2002年4月25日
文化庁 アジア・太平洋地域文化財建造物保存修復協力委員会で上京。上京の友は、千田稔『海の古代史』(角川選書)、新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ』(講談社選書メチエ)、上垣外憲一『文禄・慶長の役』(講談社学術文庫)である。委員会では、研究室出身の田中禎彦君とこの四月から文化庁に入った田村景子さんに会う。大河先生、栗田先生、石澤先生など諸先生の話が聞けるのが楽しい。
2002年4月26日
第52回アジア都市建築研究会。角橋徹也先生による「オランダの国土・地域政策~計画がすべてに優先する国」。角橋徹也先生は、研究室出身の角橋彩子さんの父上。かつて大阪府住宅供給公社におられて千里ニュータウンを手掛けられた。その後、大阪府知事選にも二度立たれた強者でもある。1965年にオランダ、ハーグの社会科学研究所に留学、さらに1998~2000年に再留学され修士号を取られた。現在神戸大学大学院博士課程に在学中である。大先達であるが、今尚勉学意欲衰えず、立命館大学でも非常勤講師をされている。
オランダのことをやっているということでお呼びしたのであるが、そのオランダへの惚れ込みようはすさまじいものがあった。また、話が面白い。オランダ研究の意義を今更のように自覚された夜となった。
『建築雑誌』が通常ルート(宅急便)で届く。少しは改善されたのではないか。事務局も5月号と6月号は同時進行の構えである。
2002年4月27日
CDL設立1周年。京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)春季シンポジウム、参加者役150人、京都商工会議所にて盛大に開催。基調講演は、西川幸治先生(滋賀県立大学学長)の「歴史都市の保存修復が見据える京都の未来」。30秒のビデオでそれがどこかを当てるクイズや俳句やスケッチなどもあって楽しい企画もあった。
「景観」は京都を救うか、と題した、決闘ディスカッション(パネリスト:平尾和洋(立命館大学)布野修司(京都CDL事務局長)リムボン(立命館大学)、中林浩(平安女学院大学)渡辺菊眞(京都CDL運営委員長)、司会:柳沢究(京都げのむ第2代編集委員長))は、結構本音が出て面白かった。京都タワーの評価に始まり、小路を挟んで対面する高松紳、高田光雄・江川直樹両先生設計のマンション、京都ホテル・・・問題になるけれど議論がいつの間にか消えてしまう、その問題を議論。
つづいて千代鈴で行われた懇親会には約70人が参加。
懇親会までの間に高松・高田両先生の現場をみんなで除く。知らなかったけれど、布野修司が共同通信に書いた(京都新聞に載った)原稿も看板に張ってあった。以下がその原稿である。
見聞録21 京都都心の惨状:林立するマンション:消え逝く町家:覆いがたい理念の分裂
布野修司
京都の、堀川、烏丸、河原町の南北通り、そして御池、四条、五条の東西通りで囲まれる地区を通称「田の字」地区という。祇園祭ゆかりの山鉾町が含まれる京都の核心域である。訪れる機会があれば、とにかく歩いてみて欲しい。なんともちぐはぐな光景を目の当たりにして考え込んで欲しい。
「田の字」地区はいま騒々しい。ここそこに工事現場がありクレーンが聳えている。不況にも関わらず、未曾有のマンション建設ラッシュなのだ。虫食い状に空き地と駐車場が蔓延り、ビルの谷間に町家が埋もれつつある。
この間喧々囂々たる非難を浴びているのが高松伸の手掛ける巨大なマンションだ。一棟のマンションの東西で学区が分かれる。京都の街割りには明らかに大きすぎる。それに新規さを売ってきた高松にしては何の変哲も工夫もない。皮肉というべきか、真向かいに高田光雄・江川直樹によるマンションが同時に建設中だ。町家型集合住宅を謳い、前面を低く押さえる工夫がある。話し合いを重ねた経緯もあって近隣住民は受け入れつつある。
しかし、いずれにせよ町家の規模ではない。一方で書割でもいいからかつての街並みを維持すべきだという主張がある。また、京町家再生研究会のように現存する町家の再生を手掛ける集団もある。マンショ・ブームの一方で、それに抗するかのように大変な町家ブームだ。町家に住みたいという若者が増えている。また、町家改造の店が増えている。かくして、てんでばらばらの建物が並んで収拾がつかない。いかんともし難い。
大きな問題は全国一律の法規定である。市としては都心に人口は増えて欲しい。地主は、建蔽率、容積率一杯に建物を建てる。京都で起こっていることは全国の大都市で起こっていることと同じだ。街並みが崩れるのは当然である。そして致命的なのは、京都に相応しい建築形式についての理念が分裂していることだ。京都にかつての面影を期待するなかれ。
2002年4月29日
京都CDL、布野チーム、南区調査。布野チームは山科区と南区が担当。11区の内2区はきついが、いいだしっぺだからがんばらなくちゃ。一年目は南区には手をつけることができなかった。集まったのは20人強。5組に分かれて歩く。京都駅のすぐ南なのに荒れている。駅前は駐車場だらけだ。パチンコ屋、カラオケ・・・地上げがどんどん進んでいる。しかし、その中に下町らしい住宅地が残されている。御輿をかついだお祭りに出くわした。京都にも様々な地区がある。