原爆堂と日本の戦後「虚白庵にてー白井晟一を語るー」虚白庵,2008年8月15日
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建築現象の全的把握を目指して: 吉武計画学の過去・現在・未来?, 建築雑誌、2003
建築現象の全的把握を目指して:
吉武計画学の過去・現在・未来?
布野修司(京都大学大学院)
吉武計画学とはいったい何か、その成果は如何に継承され、また、今後どう展開しようとしているのか。ありきたりの追悼文ではなく、その総括を、というのが編集部の依頼である。筆者は、東京大学吉武研究室最後の大学院生であった。ともにその学の成立を担った青木正夫・鈴木成文両先生以下綺羅星のごとく並ぶ諸先輩ではなく指名をうけたのは世代的に距離があるからである。また、ともに建築計画学の成立に大きな役割を果たした西山(夘三)スクールの拠点であった京都大学に奉職していることもある。とてもその任にあらずとは思うけれど、吉武計画学の継承発展は日々のテーマである。その総括をめぐっては筆者も編集に携わった『建築計画学の軌跡』(東京大学建築計画研究室編、1988年)があり、それ以上の新たな資料を得たわけではないが、以下は、いずれ書かれるべき吉武泰水論のためのメモである。
吉武計画学がスローガンとしたのは「使われ方の研究」である。ベースには西山夘三の「住まい方の研究」がある。西山の住宅調査の手法を不特定多数の利用する公共的空間に拡大しようとしたのが吉武計画学である。使用者(労働者)の立場に立って、という視点は戦後民主主義の流れに沿ったものであった。
第2に、吉武計画学を特徴づけるとされるのは「施設縦割り研究」である。また、「標準設計」である。吉武計画学の成立を中心で支えた研究会LV(エル・ブイ)のごく初期に、住宅、学校、病院、図書館といった公共施設毎に情報を集め、それぞれに集中する専門家を育てる方針が出されている。「標準設計」は、「型計画」の帰着でもあるが、戦後復興のために要請される公共建築建設の需要に応えるためにとられた研究戦略であった。また、各施設について多くの専門家が育つことによって一大スクールが形成されることとなった。
第3に、吉武計画学には「平面計画論」というベースがある。つけ加えるとするともうひとつ「生活と空間の対応」に着目し平面を重視した。素朴機能主義といってもいいが、その平面計画論には、人体にたとえて、骨格として建築構造、循環系としての環境工学に対して、その他の隙間を支える空間の論理を組立てたいという、すなわち建築計画という分野を学として成立させたいという意図があった。吉武先生の学位論文は知られるように規模計画論である。数理に明るいという資質もあるが、まずは論理化しやすい規模算定が選択されたのであった。しかし、その最初の調査が銭湯の利用客に関する調査であったことは記憶されていい。
以上のような吉武計画学の成果はやがて「建築設計資料集成」という形でまとめられる。体系化以前の段階では、フール・プルーフ(チェックリスト)にとどまるのもやむを得ない、というのがその立場であった。
吉武計画学の展開に対して批判が出される。ひとつは「作家主義」か「調査主義」か、という問いに要約されるが、創造の論理に展開しうるのかという丹下研究室による批判である。また、あくまでも「設計」に結びつく研究であることを主張する吉武研究室に対して、性急に設計に結びつける以前に、縦割り研究には地域計画が抜けているという西山研究室の批判である。そして、研究室内部からの空間論の提出である。さらに、吉武計画学には建築を組み立てる建築構法さらには建築生産に関わる論理展開が欠けている。いずれも調査、研究、設計、計画の全体性に関わる吉武計画学の限界の指摘である。筆者が研究室に在籍した1970年代初頭に既に、上記のような限界は明らかであった。オープンスクールの出現や様々な複合施設の登場に対して縦割り研究や制度を前提にしての使われ方研究の限界は充分意識されていた。
まず確認したいのは、戦後の出発点で行われた調査が、銭湯調査を含めて今日でいう都市調査を含んでいることである。都市のあり方を明らかにする中で公共施設のあり方が探られようとしたのであって、逆ではない。縦割り、標準設計、資料収集は時代の産物であり、少なくとも最終目的ではなかった。
また、当初から求められたのは単なるチェックリストではなく、空間と人間の深い次元における関わりである。読まされたのは専ら文化人類学や精神分析、現存在分析に関する書物であった。読書会を組織するように命じられたのだが、わずかな人数の会に毎週熱心に出席された。後に夢の分析に繋がる関心は既にあり、文学作品による空間分析もわれわれに既に課されていた。建築に関わる諸現象の本質をどう捕まえるかという関心は当初から一貫していたという強い印象がある。
調査はどうやるんですか?といういかにもうぶな質問に、「とにかく一日中現場にいなさい、そして気のついたことは何でもメモしなさい。あらゆるデータは捨てては駄目です」、という言葉が今でも耳に残っている。
京都大学大学院助教授。生活空間設計学専攻。主な論文・著作物に、『カンポンの世界』,パルコ出版,1991:『住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論』,朝日新聞社,1997年:『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』,建築資料研究社,2000年:『布野修司建築論集Ⅰ~Ⅲ』,彰国社,1998年:『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究---ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学、学位請求論文),1987年
日本建築学会賞受賞(1991年)』など。
2024年7月20日土曜日
2024年7月19日金曜日
住いを考えるこの一冊, 『CEL』,大阪ガス,200607
CEL77号 私の一冊:新しい居住スタイル
布野修司
『「51C」 家族を容れるハコの戦後と現在』、平凡社、鈴木成文・上野千鶴子・山本理顕他、2004年10月8日
新しい居住スタイルに関する(意識に関する)一冊を、と言われて、すぐさま浮かんでくる本がない。本が書かれ、マニュアルが売れる事態が起こっているとすれば、もはや「新しい」段階は終わっているのではないか、などと思う。シェア・ハウスとか、コレクティブ・ハウスとか、カンガルー・ハウスとか、団塊世代の田舎暮らしとか、カルト集団の共同生活とか、外国人の共同アパートとか、風車やソーラーバッテリーのついたエコ・ハウスとか、オフィスをコンヴァージョンした住まいとか、思い浮かべてみると、興味があるのは、新しい居住スタイルよりも、その容器の方である。すなわち、住居形式、居住空間の型の問題である。
住居という容器はそもそも保守的なものだと思う。しばしば、新しい居住スタイルを生み出す阻害要因ともなる。この間、日本の居住スタイルを規定してきたのは、nLDKという居住形式である。あるいはnLDK家族ともいうべき近代家族(核家族)のかたちである。新しい居住スタイルが広範に生まれてきているとすれば、nLDK家族モデルが崩れてきているということになるが、果たしてそうか。
こうした問題を「51C」(公営住宅1951年のC型)にまで遡って議論するのが本書である。いささか理屈っぽいかもしれないが、新しい居住スタイルを考えるテキストとしては、上野千鶴子、山本理顕を軸とする議論が最良だと思う。山本には、他に『住居論』『私たちが住みたい都市』などがある。
理想の住まいはと聞かれれば、「ホテルのような住まい」と答える。完全サーヴィス付きの住宅である。しかし、一生遊んで暮らせる資産家でなければそんな居住スタイルは無理である。また、住まいの本質でもない、と思う。介護の問題にしても何にしても、サーヴィスされるものとサーヴィスするものとの関係、集まって住むかたちが新しい居住スタイルに関わっているのだと思う。
2024年7月18日木曜日
四面楚歌の建築家はどこへ向かうべき,居酒屋ジャーナル1,建築ジャーナルNo.1104,200606
居酒屋ジャーナル
四面楚歌の建築家はどこへ向かうべきか
耐震計算書偽造事件、ダンピング続出の設計入札、PFIの台頭…。現在、建築界や建築家を取り巻く状況は依然厳しい。
そこで今号から関西在住の建築家と識者4人に、本音で建築について議論を重ねてもらった。
――昨年から建築界にさまざまな不祥事が起っています。特に耐震構造計算書偽造事件は深刻な問題ですが、どのようにとらえていますか。
姉歯事件後、やるべきこと
布野 建築界にとって大変なダメージだと思っています。この事件を受けて日本建築家協会(JIA)や建築士会、そして国交省が、資格の見直しや倫理教育を改める方向で対処しようとしています。しかし、それだけで解決できません。モラルの問題はそもそも論外。しかし、それでも問題は起きます。その責任は、建築家個人が背負えるものではなく、社会的に担保するような保険制度をつくるべきです。
――保険で責任を担保するなら、確認申請は不要になりませんか。
布野 許可制にしたらいいのですが、審査の能力がないことが今回明らかになった。確認の時に、施主(建設者)も、設計者も、施工者も、利用者(購買者)も保険に加入する。
松隈 私は最近、建築設計から離れていますが、設計事務所の立場から見れば、民間に審査機構が移って、随分と建築申請が楽になったのでは。
永田 日本ERIでもそうですが、民間会社では2週間で許可を下す。他社と競争するから「早い」のでしょうが、これでいいのかという不安がつきまとう。昔だったら、構造上複雑な設計は構造設計者自らが行政の窓口に行き、安全性への配慮を技術的に説明しました。そうしたことが若い行政官の学習の場ともなったのです。だから許可が降りるまで、1カ月なんてすぐ経過しました。今は、設計事務書の経歴を見ただけで、「この業績なら大丈夫」と推測で判をついているとしか思えない。
布野 民間の検査に比べて確かに建築主事の審査は時間がかかった。しかも偽装見抜けなかったわけです。
今回の事件で、「検査機関は行政も民間も信用できない」、ということが広く世間に認知されたことが逆にチャンスと言えます。「悪徳建築家に遭遇するかもしれないので、保険をかけよう」となる。
横内 偽造事件は、検査機関にとって想定外だったと思いますね。構造計算が適正値かを調べるのではなく、全体が建築基準法に適合しているかを検査するのが主な業務でしょうから。
今後は、構造とそれ以外の集団規定の項目を分けて、2段階でチェックするなど、厳しくする必要がありますね。
布野 耐震上危険な構造計算を入力可能な大臣認定ソフトも疑問ですが、欠陥のある図面に従って施工してしまう現場もおかしい。つまりそれをチェックできる構造設計者が不在なんです。だから今、構造設計者が社会的な地位を求めるのは当然のことだと思います。
また構造設計者である姉歯氏は当然罪はあるが、結局その元請の設計事務所が罪を負うことを、世間は分かっていない。
永田 時にその設計事務所の責任をないがしろにする現場に遭遇します。私のところもマンションを何十棟とやっていますが、そこで事件が起きた。構造設計は長年付き合いのある構造設計事務所で、施工は大手ゼネコン。しかし、私の知らないところで、ゼネコンは構造設計を下請けの設計事務所にやらせていた。私の名前を勝手に使って、コストの低い構造設計への変更を申請していたわけです。それに気づいて関係者に抗議し、設計の責任は私にあることを改めて確認してもらいました。実際、姉歯氏のケースは建築界にはよく起こり得るのてはないか。
「私たちは悪くない」とJIA
――学生はこの事件について、どんな受け取り方をしていますか?
布野 推薦入試の面接時に、18歳の生徒が「あんなの許せません!」と怒っていた。この子たちの方がよっぽど健全ですよ。
松隈 残念なのは、業界全体に対する信頼が失われているときに、どうやってそれを回復するかということが考えられていないことです。
布野 JIA会長は「JIAの建築家は不正をするような団体と違いますよ」と、東京の銀座でビラを配っていた、聞きます。ちょっと違う。問題は仕組みでしょう。このことは建築家職能の問題ともつながります。別の問題ですが、PFIの出現によって建築家の存在自体が抹殺されていきますよ。
PFIが建築家を抹殺する
布野 5年ほど前から、国が発注する公共建築の仕事はほとんどがPFIです。この方式は簡単に言えば総合評価による競争入札によって民間の事業者を選定します。一定以上の規模の建物はWTOが要求しています。そして、建設のみならず、SPC (特別目的会社) が30年間、維持管理も含めて、運営するわけです。自治体は事業を丸投げでき、こんな楽なことはない。怖いのは、安いのが質の評価で逆転されること。
横内 事業主は経営計画までできなければならない。
布野 地元の設計事務所や工務店などの小さな所はほとんど対応できない。組織設計事務所でも大変でしょう。
横内 いずれにしても、建築業界が非常に企業化していますね。「フリーアーキテクト」が主流の時代でなくなってきていることは、現場でひしひしと感じています。
――自治体はリスクを負いたくない。だから大事業は資本のあるところに任せたいという傾向はどんどん強まっていく…。
布野 もちろんそういうこともありますが、道路やダムなど、公共事業の予算が余り、事業が滞っている側面もある。
松隈 建設投資の出口を探しているような状態ですね。
景観法は建設予算のはけ口か
――景観法の施行も、建設投資が背景にあるのではと邪推してしまいます。
松隈 ダムや高速道路を建設することは市民からの反対が多い。しかし、景観のために電柱を地下に入れることには予算が通るという理屈で、資本投下され始めている。
布野 私自身は、景観法に対する是非はまだ決めかねています。可能性はあると思う。しかし景観整備は利害が絡むから、あまり思い切ったことができない。合意形成のよい方法がないのです。
最近、私は宇治市で景観問題に取り組んでいますが、私も会長を務める宇治市都市計画審議会で、都市計画法による高さ規制を見直す方針を出しました。世界遺産である平等院から見渡せる一帯が対象で、その一帯に建設されるマンションの高さ規制になるわけです。これは全国でも画期的なことだと思う。
横内 結局のところ、景観問題は権力がないとできないんじゃなですか。
布野 都市計画は基本的にそうです。
横内 今の行政はいい意味で権力を失い、民衆をまとめきれないという感じを受けます。景観法を自治体が主導してうまく使えば、積極的な取り組みがいくらでもできると思う。でも全然腰が上がらない。
布野 「住民参加」と集まってワークショップをわいわいやったからといって、物事は決まるわけでもない。やはりその間に、オーガナイザーとしての専門家が必要。それは「建築家」ではなくて、「タウンアーキテクト」なんですよ。
(以下、次号に続く)
<プロフィール>
プロフィールダミー>
布野修司
滋賀県立大学環境学科教授
ふの・しゅうじ|1939年島根県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。京都大学教授を経て、2006年より滋賀県立大学教授。主な著書に『布野修司建築論集』『戦後建築論ノート』など
永田祐三
永田北野建築研究所代表
ながた・ゆうぞう|1941年大阪府生まれ。1965年京都工芸繊維大学建築工芸学科卒業。竹中工務店勤務後、1985年永田北野建築研究所設立。1993年村野藤吾賞受賞(ホテル川久)
松隈洋
京都工芸繊維大学助教授
まつくま・ひろし|1957年兵庫県生まれ。1980年京都大学工学部建築学科卒業。前川國男建築事務所勤務後、2000年より京都工芸繊維大学助教授。著書に『近代建築を記憶する』など
横内敏人
横内敏人建築設計事務所代表
よこうち・としひと|1954年山梨県生まれ。1978年東京芸術大学建築科卒業。前川國男建築事務所勤務後、1991年横内敏人建築設計事務所設立。三方町縄文博物館設計競技1位
<案内>
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