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2024年7月19日金曜日

住いを考えるこの一冊, 『CEL』,大阪ガス,200607

 CEL77号 私の一冊:新しい居住スタイル

 布野修司

  『51C」 家族を容れるハコの戦後と現在』、平凡社、鈴木成文・上野千鶴子・山本理顕他、2004108

  新しい居住スタイルに関する(意識に関する)一冊を、と言われて、すぐさま浮かんでくる本がない。本が書かれ、マニュアルが売れる事態が起こっているとすれば、もはや「新しい」段階は終わっているのではないか、などと思う。シェア・ハウスとか、コレクティブ・ハウスとか、カンガルー・ハウスとか、団塊世代の田舎暮らしとか、カルト集団の共同生活とか、外国人の共同アパートとか、風車やソーラーバッテリーのついたエコ・ハウスとか、オフィスをコンヴァージョンした住まいとか、思い浮かべてみると、興味があるのは、新しい居住スタイルよりも、その容器の方である。すなわち、住居形式、居住空間の型の問題である。

住居という容器はそもそも保守的なものだと思う。しばしば、新しい居住スタイルを生み出す阻害要因ともなる。この間、日本の居住スタイルを規定してきたのは、nLDKという居住形式である。あるいはnLDK家族ともいうべき近代家族(核家族)のかたちである。新しい居住スタイルが広範に生まれてきているとすれば、nLDK家族モデルが崩れてきているということになるが、果たしてそうか。

こうした問題を「51C」(公営住宅1951年のC型)にまで遡って議論するのが本書である。いささか理屈っぽいかもしれないが、新しい居住スタイルを考えるテキストとしては、上野千鶴子、山本理顕を軸とする議論が最良だと思う。山本には、他に『住居論』『私たちが住みたい都市』などがある。

 理想の住まいはと聞かれれば、「ホテルのような住まい」と答える。完全サーヴィス付きの住宅である。しかし、一生遊んで暮らせる資産家でなければそんな居住スタイルは無理である。また、住まいの本質でもない、と思う。介護の問題にしても何にしても、サーヴィスされるものとサーヴィスするものとの関係、集まって住むかたちが新しい居住スタイルに関わっているのだと思う。

 




 

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