04 審査員の問題
「タウンアーキテクト」が選定方法を決め、審査すればよい
インタビュー・布野修司|滋賀県立大学大学院環境学科教授
コンペの審査員の多くは建築家だ。審査は建築の専門家でなければ不可能だが、選定案が市民に受け入れられない場合もある。その場合の責任もとれない。これらの問題を解決するには、コンペの改善にとどまらない、まちと建築家とのかかわりを根本的に変えるシステムが必要だ。
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コンペの大きな問題の一つは、やはり「審査員」でしょう。審査員は、自分の見識の全てをかけて選定に望むはずです。しかし、その案が必ずしも利用者である住民に受け入れられる訳ではありません。また竣工後、使い勝手が悪く、メンテナンス費用が多くかかることがあります。その時、改修の責任を負うのは発注者の自治体です。審査員に「何でこんなものを選んだのか」と問いつめても、彼らは知らんぷりをせざるを得ない。選定後の責任を負いませんし、それに伴う費用も支払われていないからです。
さらに審査員は、自治体と提案者である建築家との調整役も担っていません。一方で建築家はコンペで選定された自分の案を絶対視し、設計変更に応じない傾向があります。その時、調整者の不在で、トラブルとなるケースが多々あります。
これらの問題を解消するために、私は、審査後に審査員をそのまま「建設検討委員会」に移行すべきだと主張しています。設計変更の調整をし、一方で選定時の案の趣旨を守っているかをチェックするなど、少なくとも竣工までは見守るべきです。しかしこうした委員会はあまり実現していません。
近年のコンペを見ていると、審査員の顔ぶれに対して、「露骨だな」と思うことがあります。同じ建築家同士が、ときに審査員となり、ときに受賞者となります。まるでコンペが仕事を取り合う互助会システムのようにさえ見えてしまいます。これでは審査員に対する社会的な信用は得られにくのではないでしょうか。では、私のような利害関係のない大学教授など学識経験者が務めればいいかというと、必ず公平な判断ができるわけではない。教え子の建築家を優先して選定する可能性もあるからです。
コンペは「公開が基本」
私は、公共建築でのコンペにおいて、「公開が基本」だと考えています。10年程前、島根県を中心に実施された公開ヒヤリング方式コンペの審査員を務めたとき、それを実感しました。かかわったのは、「加茂町文化センター(ラメール)」(設計:渡辺豊和)、「悠邑ふるさと会館」(設計:新居千秋)、「メティオプラザ」(設計:高松伸)などです。当時はまだ公開審査が珍しく、これらのコンペは話題となりました。
審査では、審査員も選定される建築家たちも同じ壇上に上がります。そこでの質疑応答は、会場の市民にすべてオープンにされます。だから、ライバルである建築家同士は、いい加減なことを発言できません。ここでは、従来のコンペが行っている密室に建築家を呼び込んで決定する際の不透明さがないのです。
しかしこうした公開ヒヤリング型はもちろん、公開コンペ自体が減少しているのが実状です。コストや労力の負担が大きさに、自治体は尻込みしてしまうのでしょう。
プロのコーディネーターが必要
今後、公共建築のつくられ方は、二極化していくでしょう。一つの方向は、PFIです。自治体としてはPFI事業者がつくるSPC(特別目的会社)に全部ゆだねる方が楽なわけです。ただし、これは文化性の高い建築はつくり得ません。
もう一つは、ワークショップ形式といった住民参加型のものですが、その実施はとても難しい。最近、話題となった群馬県・邑楽町新庁舎の住民参加型コンペでは、山本理顕氏の案が選定されました。しかし町長か変わった途端に廃案となりました。地方政治の渦中に巻き込まれたわけです。住民参加型は良い方法ですが、自治体、審査員、建築家、住民などの関係が不明瞭なまま実施されるので、頓挫する可能性も高いのです。この手法には、プロフェッショナルなコーディネーターが必要です。それは住民の多様な意見をまとめ、決定する存在です。
ところで、コンペに限りませんが、住民の意見を統一し、質の高い建築がつくりやすいまちの規模があるようです。人口で1~3万人、「市」とならない程度がいい。そこの首長が見識を持った建築家であれば、なおよい。役所の職員も意欲を持ち、何か面白いことをしたいという機運が生まれやすいでしょう。
タウンアーキテクトの可能性
以前から私は、先に言ったコーディネーターに代わる「タウンアーキテクト」制を提唱しています。直訳すれば「まちの建築家」ですが、「まちづくりを担う建築の専門家」を意味します。必ずしも建築家である必要はありません。欧米では副市長として建築市長を置くことに近いのかもしれない。
この「タウンアーキテクト」の発想の原型には、「建築主事」があります。たが、彼らは基本的には建築確認業務に従事する法の取締役にすぎない。「建築主事」が不得意なデザイン指導に関して、地域の建築家が手伝う形では、「建築コミッショナー」制が試みられています。「熊本アートポリス」「クリエイティプ・タウン岡山」などで実施されています。ただし、これらも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎません。むしろ「タウンアーキテクト」に近いのは、「都市計画審査会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会です。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕落する可能性が常にあります。
そこで私のイメージする「タウンアーキテクト」ですが、一定の権限と報酬を与えられ、まちづくりの視点から建築を計画します。首長の任期とは関係なく、仕事を継続できる。一人ではなくとも委員会制にして順繰りに担当させてもいい。またその選び方は、公募か、首長が指名してもよい。
そして個々の建築の設計者選定法はこの「タウンアーキテクト」に判断させるのです。ある時はコンペ、ある時はPFI、随意契約と、規模や内容、経済状況を検討して、適切な方法を選択します。そしてコンペの場合なら、審査員を務め、案の選定後の施工、竣工後と、トータルな過程で意見を出し、責任を持ち続けます。変なものをつくれば、市民によってリコールされていい。また中立的であるため、その人が建築家である場合は、任期中は対象のまちの建築設計業務を禁じます。
かつてこのシステムを確立しようと奔走しましたが、既成の制度や権益に抵触するのか建築団体から抗議を受け、つぶされました。そこで、独自に試みているのが「京都コミュニティ・デザインリーグ」です。京都を拠点に置く大学・専門学校などの建築言系・デザイン系の研究室が、京都のある地区を担当し、建築プロジェクトの提案を行っていくというものです。
また最近では、「コミュニティ・アーキテクト」制の構想を立ち上げようとしています。これは建築に限らず、環境、経済、文化など広い視点でまちを診断し、本当に必要な事業を提案していくというものです。
現在の建築界には、新しい方法論が必要なことは確かです。「タウンアーキテクト」や「住民参加型コンペ」にしろ、新しい試みにより一つずつ良い建築をつくり出していけば、そこかから突破口が開かれるのではないでしょうか。
<プロフィール>
ふの・しゅうじ|1949年島根県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。京都大学教授を経て、2006年より滋賀県立大学大学院教授。主な著書に『世界住居誌』『布野修司建築論集』『曼陀羅都市』『戦後建築論ノート』など多数。日本建築学会アジア建築交流委員会委員長、島根県環境デザイン検討委員会委員、宇治市都市計画審議会会長
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