Shuji Funo:Japanische Architektur 1945-1989: Auf den Spuren von Kenzo Tange
19960623ー0630:インドネシア Jakarta:インドネシア科学院LIPI都市コミュニティの社会経済的問題 東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発:布野修司 P.Nas(ライデン大学)
インドネシア科学院(社会科学人文系)ワークショップ
「都市コミュニティの社会経済的問題:東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発」出席報告
布野修司
REPORT ON WORKSHOP :SOCIAL AND ECONOMIC ISSUES IN URBAN
COMMUNITIES:PLANNING ANDDEVELOPMENT OF SATELLITE TOWN(NEW TOWNS) IN SOUTHEAST
ASIA(25-27 JUNE 1996): INDONESIAN INSTITUTE OF SCIENCES:THE SOCIAL SCIENCES AND
HUMANITIES:PROGRAM OF SOUTHEAST ASIAN STUDIES
SHUJI FUNO
1996年6月23日~30日、上記国際会議に出席のため、インドネシア科学院(LIPI)を訪問し、THE
SELF-CONTAINED URBAN COMMUNITIES BASED ON THE ECOLOGICAL BALANCE IN THE REGIONというPAPERを発表するとともに、今後の研究計画等について意見交換を行った。その概要は以下の通りである。
Ⅰ ワークショップの評価
1 東南アジア都市研究にとって、インドネシアLIPIがワークショップを開催した意義は大きいと思う。これまでのインドネシア都市研究は、専ら、オランダにおいて展開されてきた。その中心人物が今回参加のDR.NASである。その成果は、"THE INDONESIAN CITY STUDIES IN URBAN DEVELOPMENT AND
PLANNING", FORIS PUBLICATIONS DORDRECHT-HOLLAND/CINNAMINSON/U.S.A. ,1986 および、ISSUES IN URBAN DEVELOPMENT CASE STUDIES FROM INDONESIA”,Edited by Peter J.M.Nas,Research school CNWS, Leiden The
Netherlands, 1995に示されている。それを越える新たな研究が展開できるかどうかが、今後のLIPIへの期待である。
2 日本の東南アジア都市研究は、今回のように政策提言、実践的都市計画をも射程に入れた分野については、極めて不十分であると思っていたが、今回、LIPIを中心とする展開に大きな可能性があると思われた。
3 今回招致のメンバーは、DR.NASおよびDJOKO SUJARTO(バンドン工科大学)以外知らなかったのであるが、LIPIのネットワークのなかで、それなりのメンバーが集められたように思えた(布野を除いて)。少なくとも、参加者のインフォーマルな議論の上では、ある共通の土俵が確認できた(義務的に参加して、熱意がないという参加者はいなかった)。
4 プログラムについては手探りの面が多かったけれど、運営に違和感はなかった。一般のオーディアンス(大半はLIPI研究者)の積極性には正直驚いた。議論の水準は低くない。というより、布野の力量不足を痛感させられる場面が多かった。
5 二度のフィールド・トリップ、タウフィク・アブドゥラ邸でのフェアウエル・パーティなど充分なもてなしに感謝することのみ多く、少なくとも個人ベース(二者関係)では参加者の間に強力なネットワークが形成されたと思う。
Ⅱ LIPIの東南アジアプログラムについて
1 都市研究の分野に関して、強力に研究を展開して欲しい。LIPIがひとつのセンターであるべきだと思う。
2 しかし、研究はインドネシアに関して集中すべきである、というフレームがインドネシアにあることが了解された。そのフレームをまず、東南アジアに拡大するために、LIPIに対する外部の援助が必要であるように思われた。JPのみならず、京大東南アジア研究センター、文部省、建設省など、様々な機関でサポートできる可能性があるように思った。
3 LIPI内部の問題は不明である。都市研究分野では、工学系分野との関係が深く、今回の東南アジア都市研究グループがエンジニア部門とどういう関係をもっているのか、判断しかねた。しかし、先のDJOKO SUJARTO氏や、DR. SUWATTANA THADANITI氏の参加をみると(布野の専門分野に対応する研究者が選ばれている)、その人選はそう偏っているとは思えなかった。
4 LIPIの研究費の獲得戦略上の日本、JP、トヨタ財団等々の位置づけは、結局、よく理解できなかった。
5 個人的にはあらゆるネットワークを通じてLIPIの活動を支援できればと思った。
Ⅲ 国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの活動について
1 アシアセンターの活動について全く認識しておらず、その活動の意義にまず、眼を開かされた。
2 文化交流(?)のみに限定されるのではなく、今回のようなワークショップへの援助は、極めて意義深く、大いに期待したい(今回のモデルニスモ・アジア展はカタログだけで見ていません。昨年のアジア演劇祭BESETO演劇祭には、シンポジウム(グローブ座)にパネラーとして参加したことを思いだしました)。
3 都市研究、特にニュータウンをテーマにする場合、日本の開発援助との関係が問題になる。もっと有機的に連携をとれないか、と率直に思う。正直に言って、額が違う。日本でも同じであるが、同じ支援、援助をしていても、お互いに連絡がなく、その趣旨が食い違っているとすれば、混乱を引き起こすことがある。全く同じ時期に、インドネシア大学で「持続可能な都市開発」に関する大きなシンポジウム(オーストラリアが強力支援:メルボルン大学との大学間交流)が開かれたことは、日本から住宅省に派遣されているエキスパートからの情報で知った。今回UIからの参加者がなかったのは、このシンポジウムのせいかもしれない。
Ⅳ 東南アジア都市研究の展開について
1 先進諸国(宗主国)でなく是非LIPIがセンターになって欲しい。
2 日本人研究者の都市研究成果を以下のマトリックスによって整理した上で、プログラムを立てたい。
布野は、都市コミュニティレヴェルのインテンシブな調査を基にした比較研究に興味がある(◎)。
DR.NASは、ジャカルタに集中したい、広げる意思はないとのこと(●)。フランスのグループは、ハノイ、プノンペンなどに蓄積がある(○)。但し、ニュータウンの経験はない。
バンコク、マニラ、シンガポールについては、今回の参加者が既にカヴァーしつつある。それに、布野(J.シラス)のネットワークを加えることができる。
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CITIES(CAPITALS)│JAK MAN
BANG KUALA SINGA HANOI PENON
YANGON :GLOBAL
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STATE-LEVEL │ ● ○ ○
│
CITY AS A WHOLE│ ● ○ ○
│
NEW TOWNS │ ● × × ×
│
URBAN COMMUNITY│●◎ ◎ ◎ ○ ○
NEIGHBOURHOOD │
UNITS │
│
DWELLING UNITS │ ● ○ ○
HOUSE-LEVEL │
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Ⅴ 日程概要
●6月23日 GA783関空(13:05)→デンパサール(18:20)→ジャカルタ(20:45) DR.
HENNY WARSILAH WIDODO女史(ワークショップ事務局スタッフ)他、PROGRAM OF
SOUTHEAST ASIAN STUDIESのスタッフ二人、運転手の4人に出迎えられる。宿舎、KEBAYORAN
INNに到着(22:00過)。オランダ・ライデン大学 DR.
P.J.M. NAS(ワークショップ参加者 インドネシア都市研究の第一人者 今回の外国人参加者の内唯一名前を知っていた学者 "THE INDONESIAN CITY STUDIES IN URBAN DEVELOPMENT AND
PLANNING", FORIS PUBLICATIONS DORDRECHT-HOLLAND/CINNAMINSON/U.S.A. ,1986の編者)に会って挨拶。国際交流基金ジャカルタ日本文化センター高畑律子氏と電話連絡。
●6月24日 9:30 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター、西田郁夫所長と会見。ジャパン・ファンデーションの活動、および今回のワークショップのバックグラウンドについて説明を受ける。
11:00ー13:30 LIPIにて、ワークショップ打ち合わせ。RUSYDI SYAHRA,
PhD.(SENIOR RESEACHER)(ワークショップ事務局長 東南アジア研究グループ)、LIPI副所長、HENNY、JOKO SUKAMTO(都市プランナー DP3KK クマヨラン・ニュー・タウン開発局 二日目のエクスカーションのスケジュール調整)、布野、高畑:LIPIにて昼食(パダン弁当)。
14:00ー19:00 布野 プレゼンテーションの準備
19:00 西田、高畑、稲見(国際交流基金ジャカルタ日本文化センター:ロンボク・マタラム大学に留学経験あり。布野研究室のロンボク調査について情報交換)、布野会食
●6月25日 ワークショップ第Ⅰ日
8:30- 9:00 REGISTRATION ホテル・ロビーにて参加者顔合わせ。DR. NAS教授より、新刊”ISSUES IN URBAN DEVELOPMENT
CASE STUDIES FROM INDONESIA”,Edited by Peter
J.M.Nas,Research school CNWS, Leiden The Netherlands, 1995を頂く。1986年の前著と合わせて日本で翻訳したらどうか、と思う。
9:30-10:15 OPENING CEREMONY 挨拶
DR. H.SOFJAN
TSAURI(LIPI所長)
IR. AKBAR TANJUNG(住宅大臣)ーーー前日は、「持続可能な都市開発に関するシンポジウム」(24日ー25日)(於:インドネシア大学)に出席:メルボルン大学とインドネシア大学の共同研究をオーストラリア政府が援助:情報収集の要。
10:30ー11:15 基調講演 "URBAN DEVELOPMENT STRATEGY FOR DEVELOPING COUNTRIES" IR. HINDRO T. SOEMADJAN(クマヨラン・ニュー・タウン開発局局長 建築家 二日目のサイト・ヴィジットでも説明を聞く。二日目のパーティーのホスト)
・・・発展途上国の都市問題を概観した後、インドネシアの都市開発計画の歴史と現況を紹介
11:15-13:00 SESSION I
SOCIAL-ECONOMIC PROBLEMS IN URBAN COMMUNITY
CHAIR: DR. RALDI HENDRO KOESTOER
1 DR. P.J.M. NAS(オランダ社会科学部 社会文化研究所),
"TOWARDS SUSTAINNABLE CITIES:URBAN COMMUNITY AND ENVIRONMENT IN THE THIRD
WORLD"
・・・アーバン・ファンダメンタルズ、環境基盤、持続可能性、都市貧困、環境容量、都市メタボリズム、都市緑化、大気汚染、水質汚染、廃棄物問題、都市環境管理等をめぐる総括論文。ワークショップ全体のリーダー。
2 DR. ESTER DELA CRUZ女史(フィリピン大学社会学部), "URBAN PLANNING IN THE PHILIPPINES"
・・・ペーパーの準備無し。フィリピンの都市開発の概況を述べる。
3 DR. SUWATTANA THADANITI女史(チュラロンコン大学建築学部都市地域計画 メルボルン大学修士 クラコウ技術大学博士), "URBAN PROBLEMS OF BANGKOK AND DEVEROPMENT OF NEW TOWNS"
・・・バンコクの都市問題とニュータウン開発について丁寧に紹介
14:00-17:00
SESSION Ⅱ
URBAN CULTURE
IN NEW TOWNS
CHAIR: DR. A.M.
SHOHIBUL HIKAM
1 DR. IRWAN ABDULLAH(ガジャマダ大学人口研究センター アムステルダム大学博士 都市人類学), "URBAN SPACE, CONSUMER CULTURE, AND THE PRODUCTION OF
LOCALITY"
・・・インドネシア気鋭(三〇代前半?)の都市人類学者。ジャカルタの新しい都市消費文化の分析を試みる。
2 MS. YULIANTI PARANI(画家),
"THE ARTS IN JAKARTA URBAN DEVELOPMENT"
・・・ジャカルタにおける美術運動の流れを紹介。
3 DR. TREVOR HOGAN(ラ・トロウブ大学 社会学・人類学科 社会思想史),
"MISPLACED PLANS:FROM GARDEN CITIES TO NEW TOWNS IN BRITAIN AND ITS
ANTIPODES IN MODERNITY"
・・・1957年生まれの理論家。ニュータウンの思想とその系譜を総括。残念ながら時間足らず。アブストラクトのみ。ワークショップ参加者のなかで理論的中心。
18:00ー21:00 会食・情報交換(NAS HOGAN VICTOR IRWAN FUNO ブロックM)
●6月26日 ワークショップ第Ⅱ日
9:30ー11:15 SESSION Ⅲ
CITTY PLANNING IN SOUTHEAST ASIA
CHAIR: DR.
CHARLES GOLDBLUM
1 DR. SHUJI FUNO(京都大学 地域生活空間計画), "THE
SELF-CONTAINED URBAN COMMUNITIES BASED ON THE ECOLOGICAL BALANCE IN THE
REGION"
・・・阪神淡路大震災の教訓、日本のニュータウンの総括をもとに、東南アジアのリセツルメント計画、および都市コミュニティのモデルとしてのカンポンの特質について論ずる。
2
PROFESSOR DJOKO SUJARTO(バンドン工科大学 都市計画 以前から知り合いの研究者), "PROBLEMS AND PROSPECTS OF INDONESIAN NEW TOWN
DEVELOPMENT"
・・・インドネシアのニュータウン開発の歴史を丁寧に総括。
11:15ー13:00 CHAIR:
PROFESSOR DJOKO SUJARTO
1 VICTOR SAVAGE(国立シンガポール大学 東南アジア研究計画部長 美術・社会科学部副部長), Ph. D,"PLANNING AND DEVELOPMENT OF NEW TOWNS:COMMENTARY ON
NEW TOWNS IN SINGAPORE"
・・・シンガポールの都市開発についてユーモアを交えて詳説。時間をはるかにオーバーする大演説。ワークショップ参加者NO.1のエンターテイナー
2 DR.
CHARLES GOLDBLUM(パリ第八大学 都市理論研究室 HENNYの先生),"URBAN GOVERNANCE OF SINGAPORE: A PLANNING MODEL FOR OTHER
SOUTHEAST ASIAN CITIES?"
・・・VICTOR SAVAGE の大演説を補足。
3 DR.
AGUSBUDI PURNOMO(トリサクティ大学 研究所 環境計画 新潟大学博士(樋口忠彦:ランドスケープ・デザイン)),"EDUCATION AND PLANNING IN THE FACE OF POLITICAL POWER"
・・・計画プロセスと政治力学について計画理論の必要性を展開。
14:00 LIPI発→KOTA BARU BANDAR KEMAYORAN(DP3KK)
14:40ー15:30 IR. HINDRO T. SOEMADJAN(クマヨラン・ニュー・タウン開発局局長) スライド説明
LIPI(RUSYDI, HENNY ETC)による”NEW TOWN AND COMMUNITY EMPOWERMENT: THE CASE OF KEMAYORAN, JAKARTA”配布。好レポート。
15:30-18:00 FIELD TRIP I
・・・カンポン居住者をリプレイスしないでローコスト住宅を供給した地区に参加者一同興味を持つ。布野は二度目の見学であったけれど、思った以上に活発に空間が使われているのに感激。
18:00ー19:30 パーティー
・・・カンポンの子どもたちの民族舞踊に盛り上がる。
VICTOR プロ級のカラオケの腕前披露。全員、ダンドゥットのリズムに合わせて踊(らされ)る。最高のもてなしに、参加者一同打ち解ける。
21:00 ホテル着
●6月27日 ワークショップ第Ⅲ日
8:30 ホテル発→LIPI
9:30ー14:00 FIELD TRIP II
LIPPO
CIKARANG-BEKASI
・・・ジャカルタ東近郊の郊外型ニュータウン視察。LIPPO BANK グループはいくつかニュータウン開発を手がけつつある。
住友商事と韓国・現代の投資:両国の工場が立ち並ぶ。「これは日本のサテライトタウンか」という野次が布野に向かって飛ぶ。
14:00ー14:30 LUNCH
14:30-17:00 総括討論
・・・会議の印象、今後の研究計画について意見を述べる。研究フォーマット、研究方法、主要テーマなどについて議論。
・ニュータウンの分類、タイポロジーが必要ではないか(HOGAN)
民間開発のものと政府主導のものとはわけるべきではないのか(CHARLES)
・他のアセアンの首都、ハノイ、ヤンゴン、プノンペンも含めるべきではないか(VICTOR FUNO)
・各都市について、都市全体レヴェル、ニュータウンレヴェル、コミュニティ・レヴェル、住宅レヴェルを分けて作業する必要があるのではないか。
・様々なアプローチをとり(EMPIRICAL THEORETICAL ETHICAL)、議論を深める(HOGAN)
・テーマ:
土地取得のプロセスとインパクト、国家と民間の役割、
都市管理の利害対立
都市形態と都市イメージ
都市理論 都市象徴と政治空間
・・・・・・・・・・・・
閉会挨拶 DR. HILMAN ADIL(HEAD OF PMB-LIPI)
□高畑さんJPを代表して挨拶
19:00-21:00 DINNER AT PROFESSOR TAUFIK ABDULLAH RESIDENCE
タウフィック邸でパーティー 布野、高畑
・・・色々な出し物も出て盛り上がる。VICTOR活躍
22:00- FAREWELL PARTY (NAS CHARLES VICTOR HOGAN
IRWAN FUNO)
●6月28日 ワークショップ参加者帰国
9:00-10:00
LIPI 図書室閲覧コピー
10:00ー12:00 LIPIとJPとの今後の打ち合わせ
PROFESSOR TAUFIK ABDULLAH,RUSYDI SYAHRA, PhD.DR., HENNY WARSILAH WIDODO他 東南アジア研究スタッフ計7人 布野 高畑
・・・布野は、個人的な感想をのべ、29日深夜参加者同士で話し合ったことをも踏まえて研究の展開方向について以下のメモを用いて意見をいう。また、個人で思いつく範囲のアドヴァイスを行う。
□MAJOR ISSUES
1 CITY FORM AND POLITICAL ECONOMICAL AND SOCIAL
STRUCTURE
2 SPACE PRODUCTION SYSTEM --- MECHANISM SPACE
ALLOCATION
3 URBAN FORM IMAGINED AND REALITIES
PROCESS OF REALIZATION OF
IDEAS OF NEW TOWN
PROCESS OF LOCALIZATION
OF NT PHILOSOPHY
4 THE PHASES OF SEGREGATION
5
6
□LIST OF WORKS ON THE PREMISE OF THE STUDY
1 GENERAL DISCRIPTION
WHAT IS NEW TOWN? IN THE
ERA OF GLOBALIZATION
HISTORY OF NT(IDEAL
CITY)
FROM GARDEN CITY TO NT
IN THE THIRD WORLD
2 CLASSIFICATION OF CITIES
TYPOLOGY OF NT
3 REVIEW OF URBAN PLANNING THEORY
4 LITERATURAL STUDY...COLLECTION OF HISTORICAL
MATERIALS
5 FRAMEWORK OF URBAN DEVELOPMENT
URBAN PLANNING POLICIES
URBAN PLANNING
ORGANIZATION
6
□TARGET AREA FOR STUDY
WHO CAN COVER? WHAT AREA IS EACH RESEACHER INTERESTED IN?
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CITIES(CAPITALS)│JAK MAN
BANG KUALA SINGA HANOI PENON
YANGON :GLOBAL
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STATE-LEVEL │
│
CITY AS A WHOLE│
│
NEW TOWNS │ × × ×
│
URBAN COMMUNITY│
NEIGHBOURHOOD │
UNITS │
│
DWELLING UNITS │
HOUSE-LEVEL │
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DR. NAS INSISTS AT LEAST TWO
RESEARCHERS(ONE IS FOREIGNER) COVER ONE CITY ON ALL LEVELS.
DR. IRWAN SAYS FOUR
RESEARCHER PER ONE CITY WHO STUDY EACH LEVEL ARE NEEDED.
13:00ー14:00 JFにて西田所長へ報告・挨拶
18:30- JICA EXPERT 金谷(旧知 5月着任)、北村(大学後輩)両氏(住宅省派遣 MENPERA)と会食・情報交換 布野 高畑
●6月29日 バンテン視察
布野 高畑
・・・J.シラス教授(スラバヤ工科大学)より”KAMPUNG SURABAYA”郵送入手(この間、計三度の電話を頂いた)
11:00 ホテル発
13:00 DRS. HALWANY宅で沢山の資料を頂く(バドゥイ調査の可能性が開けて大収穫)
13:00ー17:00 バンテン遺跡 美術館 モスク 要塞等視察。HAWANY先生の息子さんに案内していただく。
20:30 スカルノ・ハッタ空港
20:40CENKARENG→DENPASAR(3:30)→
関空着 6月30日 10:15
ラディカリズムの行方・・・見えなくなった構図
磯崎 ラディカリズムのレヴェルにおいては、彼はもはや、ぼくが七〇年代の初めにつつましくやったものをはるかに超えているし、どこまで行くか、というのにかけている人たちだと思うんですね。それは、連中ももう腰を据えているはずだと思うから、やはり七〇年代は頑張ってもらわないといけないのだ。
原 彼らのやっている手法とか全体的な文脈を見てみると、微妙な差異があるんだね。
布野 個々にですね。
原 そう。……あと五年もすると距離がだんだん出てくると思うんです。それで、ある立体的な構造というのが出てくればすごくおもしろい。だれが正統なのか、アウトの中の正統なのか、ということもわからなくなってしまって、みんなそれぞれに存在理由をもつようなかたちで、建築家が分布する……、というような像が初めて出てくるのじゃないか、彼らが頑張れば。……
……七〇年代では磯崎さんがある意味でヘゲモニーをもっていたと思う。この次には、センターみたいなものがなくなるような状態が出てきてほしいと思うんです。……低いレヴェルで拡散しているのはやさしいけれども。……
………
磯崎 布野さんはちょっと下のジェネレーションですね。だから、その下のジェネレーションから彼らがどう見えているか聞きたいところです。
布野 世代が近いから、ぼくの場合はシンパシーはもつわけですよ、当然。だけど、全面的に乗れるかというと、ちょっと違う面があるんですね。……もうちょっと下になると、彼らを見ていて、つぶされるか、ビチッと立体的な場を広げてくれるかを見て表現し出すのじゃないかという……(笑)。わりとそういう感じなわけですよね。
鼎談「建築・そのプログレマティーク」 磯崎新、原広司、布野修司*[i]
ニュー・アンダー・フォーティー
編集長「突然なんですけど、最近の若い人たちをどう思ってらっしゃいますか? 」………「建築を勉強する若い建築少年が、少なくなったという話ですか。それなら『室内』*[ii]にちょっと書いたんですけどね」
編集長「いや、ほんとに、本誌(『建築文化』)連載の『戦後、建築家の足跡』に登場する大先生ですら知らない、という若い人が多いんですよね。でも、その話じゃなくて、布野さんたちの世代の下、アンダー・フォーティーの建築家たちなんですけど、どうなんでしょう。いろいろ出てきたんですが」………「どんな建築家がいて、どんなもんつくってるんだか、よく知らないんだけど。雑誌を見てると随分器用な人たちが多いね。上の世代が、下手に見える。でも、そんなに印象に残る人が思い浮かばないんだけど、面白い人がいるんですか」
編集長「竹山聖とか、小林克弘とか、宇野求とか、團紀彦とか、高崎正治とか、やたら威勢がいいんですよ。全共闘世代の、布野さんたちの世代は、三宅理一さんにしても、八東はじめさんにしても、杉本俊多さんにしても、藤森照信さんにしても、陣内秀信さんにしても、松山巌さんにしても、みんな評論家とか、歴史家になっちゃったでしょう。だから、建築家がいない。下の世代は、楽でいい、もう俺たちの時代だって、言ってるんですよ………「竹山、小林、宇野なんてのは、よく知ってるけど、そんなこと言ってんですか。團くんも、昔、エスキスみたことあるし、高崎くんには、智頭のコンペで縁があったし、その後の活躍を期待してるんですけどね。しかし、全共闘世代に建築家がいないなんていったら、怒られるんじゃないの。なんせ、数は沢山いるんだから。でも、卒業時に、オイルショックにかかって、なかなか、自立する条件がなかったということはあるかもね。それに、当時、前川國男大先生が「いま最もラディカルな建築家は、つくらない建築家である」なんていった時代だったから、建築を捨てた(あきらめた)という学生も多かったということもある。評論や歴史へ向かったというのも、それなりの理由があるんだけど、社会が建築についての評論を要請するから、目立つということであって、建築家がいないなんてことは、言えないんじゃないの。どういう意味で言ってるんだろう。今は、全く別の理由で建築についてのこだわりがなくなってるよね。「リクルート・コスモス」なんかに行くの多いもんね。銀行とか証券会社とか、ね。一方、いまは仕事が多すぎて、若い人たちが、どんどん独立する条件が出来てる。上の世代が、一〇年苦労したのに比べると、デビューしやすいかもね。しかし、忙しすぎて潰れなきゃいいけどね」
編集長「その辺のことでいいんですけど、ちょっとお願いできませんかね。建築家の世代論について。全共闘以後とか、ニュー・アンダー・フォーティーとかいうことで」………「そんな、無理だよ。だいたい、建築家の世代論というのは、五期会あたりで終わらせていいんじゃないの。世代論というのはうさんくさいからね。下手すると、世代論の背後には、エリート意識がのぞくでしょう。建築ジャーナリズムのイニシアティブをめぐる。一般的にも、権力闘争のにおいがする。それに、実際問題なのは、実年齢じゃなくて、精神年齢なんだよね。だいたい、先行世代だって、磯崎、原から、山本理顕、高松伸まで、世代的には幅があるでしょう。渡辺豊和さんのように、年のわりに信じられないぐらい若いのもいるしね。世代というより、状況に対するスタンスの問題じゃないの。それにね.世代が問題になるときには、世代を規定して枠にはめてやろう、そして、大抵は批判してやろう、という意思や主張が明快にあるもんでしょう。上からでも、下からでも。若い世代の誰だったか、われわれの戦略目標とはなにか、とかなんとか書いていたような気がするんだけど、戦略目標を問うようじゃ駄目なんじゃないの。すでに共有されていて、具体的に先行する世代にぶつけるというかたちじゃなくては。彼らには、明快な主張と理論の展開の用意があるのかしら。どうも、建築はうまいんだけど、内に向かって、自分の世界に、閉じこもってるって感じがあるんだけど。それに、何か、みんなヴァリエーションに見えちゃう……」
編集長「いや、その辺りでけっこうなんですけど」………「いや、そんな無責任な。これ以上言うことないんだけどなあ」
個室に封じ込められた人類?
この夏、多摩ニュータウンで開かれた「ニュータウン再考・・浮遊する快適空間」と題するシンポジウム*[iii]に参加する機会があった。パネラーは、ほかに三浦展(パルコ出版『アクロス』編集部)、山崎哲(劇作家、犯罪評論)、吉田真由美(映画評論)の諸氏である。テーマは、ニュータウン再考。サブタイトルには「高度成長・団塊の世代そして新しい街づくり」とある。随分と拡散的である。結果として議論の中心となったのは、団地という家族の空間であった。連続幼女誘拐殺害事件が、世間の耳目を集めている真っ最中であり、その事件の舞台が近接していることもあって当然のように大きな話題になったのであった。
議論に参加しながら思ったのは、日本社会の閉鎖化の深度のようなことである。地域共同体からの家族の自立へ、家父長制的な家族から核家族へ、そして個の自立へ、と戦後の過程において日本社会が開かれてきたように見える一方で、実際に進行してきたのは、個をひとつの閉じた空間に押し込めていく過程ではなかったか。
器としての住まいを見ると、その推移は比較的わかりやすい。食べるスペースと寝るスペースの分離(食寝分離DK誕生), 公的なスペースと私的なスペースの分離(公私室分離、モダンリビングの誕生、プライバシーの確保)、個室の自立、といったことが次々に主張され、そして具体的なものとなっていったのである。家族の自立(核家族化、マイホーム主義)、個の自立というスローガンのもとに展開された建築家の論理は、住戸の広さを獲得していく以上の論理ではなかったのだけれど、結果として、日本中に蔓延したのはnLDKという住戸形式であった。nLDKの空間がほとんどつながりなく積層するのが、ニュータウンの空間である。
しかし、いまnLDKという住戸形式によって象徴される家族像(nLDK家族モデル)が揺らいでいる。バラバラの個の単なる集合へと変容しつつある。住居が、単に、個室の集合へと還元されつつある、と言えば、わかりやすいであろうか。個室に封じ込められた個をオルガナイズするのが、さまざまな情報メディアである。各個室には、それぞれに、電話、TV、AV機器など(個電製品)があふれかえる。世界のあらゆる情報に開かれ、しかし、物理的には閉じた個室が浮遊し始めている。
連続幼女誘拐殺害事件については、決してフィジカルな空間の問題ではない。金属バット殺人事件も、コンクリート詰め殺人事件も、すべて、建築家のせいにされたんじゃかなわない、と思わず口にしてはみた。しかし、考えてみれば、建築家も危ういのではないか。デザインの差異を競いながら、閉じた世界へとますます内向しながら、「浮遊する個室」をつくり続けているのが、結局は建築家の現在なのではないか。モダンリビングを解体すること、nLDKを解体すること、近代建築批判の課題は、若い建築家たちには、どのように引き受けられつつあるのであろうか、などと思ったのであった。
大いなる迷走:団塊の世代って何?
主催者の狙いの中心は、実は、多摩ニュータウンの居住者の一割余りを占める「団塊の世代」を問う、ということであった。しかし、ひとりの若者によるショッキングな事件のせいで、むしろクローズアップされたのは、若者論の方であった。『大いなる迷走・・団塊世代さまよいの歴史と現在』*[iv]をまとめた三浦展の提起も, いささか遠慮がちであった。他のパネラーが、すべて団塊の世代ということもあったが、何となく、高度成長=団塊世代=ニュータウン=幼女誘拐といった議論の構図が出来てしまいそうだったからである。
三浦展がひとつ話題にしたのは、団塊世代は全国各地で同じように生まれながら、移動が多く、現在、例えば、多摩ニュータウンのような大都市の周辺に住む割合が多いのは何故か、ということであった。それに対しては、そうでない人もいるでしょう、というのがひとつの答えであり、そう言うと、それ以上に議論のしようがない。それに、年齢によって、すなわち、年齢によって居住地の選定が限定されるということであれば、世代によらず、時代によらず、そうだったはずなのである。
『大いなる迷走』をのぞいてみよう。
「終戦直後の一九四七~四九に生まれた約八〇〇万人は、これまで実にさまざまな呼び名で呼ばれてきた。「ベビーブーム世代」、「フォーク世代」、「全共闘世代」、「ニューファミリー世代」、「団塊世代」、「ニューサーティ」……。戦後四四年の日本社会の変化と歩みをともにしてきた彼らは、おそらくは純粋に世代論の対象として語られた最初の世代であろう。消費のマーケットとして、新ライフスタイルのリーダーとして、あるいは社会の変革者として、常に分析され、期待され、恐れられてきた。彼らは終生、注目され論じられるべく運命づけられているかのようだ。団塊世代がついに四〇歳となった今、彼らが再び世代論の俎上にのせられようとしているのも無理はない。」
冒頭の一節である。何となく違和感の残る書出しである。「純粋に世代論の対象として語られた最初の世代」というのはどういうことか。世代論というのは、「戦中派」とか「昭和ひとけた」とかなんとか、もうすこし、一般的に語られ続けてきたのではないのか。純粋な世代論の対象とは何だろう。誰が対象にし、語ったのだろう。誰が、団塊の世代を、分析し、期待し、恐れてきたのであろう。誰が、終生、注目し、論ずるのであろう。誰が、再び世代論の俎上に載せ、誰が、そのことを無理ない、と思うのであろう。あるコンテクストが前提とされているようでいて、それが曖昧にぼかされた言い方をされるので、気味が悪いのである。
前提される視線とは何か。あらかじめはっきり言ってしまえば、それは、マーケティングの視線ということになろう。あるいは、資本が量をとらえる視線といってもいい。『大いなる迷走』のあとがきは「団塊世代を一つの理論的枠組みの中に押し込めること」は、非常に困難であり、「個人個人の現在置かれている状況は極めて多様であり、安易な単純化・図式化を許さない」というのであるが、結果としてそこで取られているのは、統計的手法のようなものである。「団塊世代を、過去においては政治的かつ風俗的存在として、現在においては経済的存在としてのみとらえる視点では、この世代の本質はみえてこない」と言いながら、一定のフレームに収めようとする。そこには、無意識であれ、ある意思が感じられるのである。でもまあ、世代論とはそういうものである。
団塊の世代とは、戦後日本の「ユダヤ人」である。集団就職の金の卵世代である。団塊世代は、共和国の夢を追い続けている。団塊世代女性はクロワッサン主婦である。団塊世代は、郊外で市民運動を展開し始めている。団塊世代の父はアウトドア志向である。等々、団塊の世代に対してさまざまなレッテルが張られるが、むしろ興味深いのは、下の世代との差異が強調される次のような指摘である。
「団塊世代より一〇歳若い昭和三〇年代生まれは、物心がついた時にはすでに高度経済成長が始まっていた。この世代は、物の豊かさやテレビの面白さや広告の魅力を否定することが生来的にできない。もちろん、物質的豊かさやコマーシャリズムの虚偽性も理解できるが、それを全否定すれば、彼らの生活基盤そのものを切り崩すことになることを彼らはよく知っている。……日本のどこに住んでいても、テレビが彼らの意識を近代的な未来社会へ向かわせた。まさにその点に、団塊世代と昭和三〇年代生まれの本質的な違いがある。彼らは、マスメディアと商品がつくりだす疑似環境・記号環境としての消費社会に、ごく自然に接することができる。彼らにとってそれはすでにひとつの自然だからである。」「一般に団塊世代は、感性の世代ではあるが、感性を論理化できる世代ではない。彼らの中では、感性と論理は常に矛盾・対立している。感性は、論理によって抑圧されるものであり、また、論理からの解放のためにあるのだ、というのが彼らの認識である。が、論理化されない非合理な感性はファナティックな政治運動の推進力にはなりうるが、経済活動(コマーシャリズム)に乗ることはできない。言い換えれば、経済の論理の支配する企業社会・官僚制の中では、感性は抑圧されるばかりである。しかし、一九八〇年代は、まさにこの感性の論理化・商品化を目指して、多くの企業がしのぎを削った時代であった。感性は、抑圧されるどころか、新製品のように次々と大量に生み出され、宣伝され、流通され、販売され、もてはやされ、消費され、消えていった。……団塊世代にはまだ、個人の感性を商品化することに対する抵抗が強いが、昭和三〇年代生まれにはそれがなかったのである。」
見えなくなった構図:リーディング・アーキテクトの消失
マスメディアとコマーシャリズムがつくり出す疑似環境・記号環境としての消費社会を自然のものとするか、違和感をもつか、あるいは、感性の論理化・商品化に対して抵抗感をもつかどうか、というのは、決して世代の問題ではないだろう。『大いなる迷走』は、YMOの細野晴臣や、糸井重里や川崎徹に代表される広告文化人、都市の中の廃墟をトレンドスポットに変えてしまった建築家・松井雅美、日産の開発に携わったコンセプター坂井直樹のように、感性時代の先端を走るトレンドリーダーとしての団塊世代も存在するけど、少数派だという。しかし、僕に言わせれば、むしろ、感性の商品化を戦略化する一線で活躍してきたのは、全共闘世代のような気がしないでもない。建築の分野でも、感性の論理化を盛んに主張し、若い建築家をリードするのは、三宅理一のような全共闘世代の評論家なのである。
しかし、感性を商品化することを戦術化できるかどうかは、建築家を区別する大きなポイントとなろう。問題なのは、マスディアやコマーシャリズムを所与のものとして前提し出発するかどうか、である。ア・ブリオリに、「建築」とか、「建築家」という理念を前提とするのではなく、消費社会の現実の中から、幾人もの「建築家」が生まれ始めているとすれば、大きな状況の変化なのである。果して、若いそうした建築家たちが陸続と生まれつつあるのであろうか。
冒頭の鼎談は、ちょうど一〇年前のものである。そこでは、ある見取り図が何となく、語られようとしている。そこで、「彼ら」ということで具体的にイメージされていたのは、伊東豊雄から、高松伸まで、いまでは四〇代の何人かの建築家たちである。当時、アンダー・フォーティー、その鼎談で、落胤の世代と呼ばれている連中である。「彼ら」は、その後、どのように状況と渡り合ってきたのか。ある意味では、予想どうり「立体的な場」を広げてきたのであろうか。
しかし、そうだとすれば、いま、アンダーフォーティーと呼ばれる世代は、どのような場を広げつつあり、一〇年後に、どのような場を広げると予想されるのか。いま、それを具体的に語りうるであろうか。いささか、こころもとない。建築家の役割が全く変わっていく、そういう予想があるのである。
「彼ら」は、八〇年代を通じて、エスタブリッシュされていく。言ってみれば、彼らのラディカリズムは、建築界において次第に認知されていった。建築界でもっとも権威があるとされる日本建築学会賞のような賞が「彼ら」に次々に与えられたことが、それを示している。「彼ら」が社会的に認知されていくのに、大きな力をもったのがマスメディアである。建築ジャーナリズムの枠を超えたメディアに「彼ら」は、戦線を拡大することにおいて、それぞれの存在基盤を獲得してきたのである。原広司が予言したように、センターみたいなものがなくなるような状態が、出現してきたように見える。
しかし、興味深いのは、「彼ら」の微妙な差異である。近代建築に対する根源的批判を出発点とする「彼ら」の方向性については、これまで折にふれて書いてきた*[v]のであるが、当初からその方向性を巡っては、微妙なというより大きな差異があった。それゆえ、建築ジャーナリズムの上のみならず、連夜のように激しい議論が闘わされていたのである。
しかし、現在、その方向性を巡る差異は、逆に見えなくなりつつあるような気がしないでもない。近代建築の方向性をめぐる差異が、デザインの差異に還元されて、併置されてしまうのである。とても、「立体的な構造」とはいえないのではないか、と思えるのである。まさに「低いレブェルで拡散している」状況が訪れつつあるのである。こうなると、すぐさま群雄割拠である。八東はじめが、疑似アヴァンギャルドとか言って、歯ぎしりするのであるが、差異の主張はそこでは等価である。デザインの差異、感性の商品化のロジックのみがそこで問われる。単にデザインのみではない。ファッションすらもそこでは問われる。歌って、踊れて、しゃべれる、そんなタレントが、そこでは要請されつつあるのである。
ラディカリズムの死:「大文字の『建築』と「建築批判」
思うに磯崎新が、あからさまに「転向」を口にしながら、「大文字の建築」などということを言い出さざるをえなかったのは、以上のような状況を特権的に差異化したかったからではないか、と思う。「大きな物語」の崩壊と不可能性のみが論じられねる中で、無数の「小さな物語」が蔓延する状況に対して、そう言ってみたい気分は、わからないでもないけれど、ついに最後の言葉を吐いたな、という感じである。
その磯崎に対して、『建築雑誌』で質問を投げかける機会があった*[vi](。その回答によると、建築家の仕事も、すべて、この「大文字の『建築雑誌』というメタ概念を把握しているかどうかで、評価できるという。「大文字の『建築』」というメタ概念こそが、建築的言説を成立させる論理と枠組みのすべてをしばりあげている制度である」というのだ。その制度としての「建築」の解体こそが問題ではなかったか、と問えば「それへの違反、免脱、破壊、解体、そして脱構築の作業がなされながら、おそらく、いま、明らかにされつつあるのは、『建築』とは、そのすべを成立させている論理を根底において支えている、名付けようのなかった何ものかを指すのだ」という。
そこでは、近代建築批判も建築批判も無化される。世代も、時代も、状況も、問題とはならない。あまりに超越論的な地平へと到達してしまったものである。
磯崎については、これまで幾度か論ずる機会があった*[vii]のであるが、その過剰な言説よりも、そのラディカリズムの行方にのみ興味があった。その行き着く先が、言説の上で明らかになったということであろう。
そうした、磯崎の「大文字の『建築』」を鈴木隆之が執ように問うている*[viii]。彼が繰り返し主張するのは、「建築」なんて、ないのだ。すべてが「建築」でしかない、という認識だけがありうる、ということだ。あるいは、すれちがった思い入れかもしれないけれど、その指摘の多くに共感を覚えながら読んだ。
制度としての建築をいかに解体するのか、「建築」から、いかに逃亡するか、という矛盾に満ちた問いを出発点にするとき、とりあえずの解答はそう言うしかない。少なくとも、僕の場合、磯崎の「建築の解体」とハンス・ホラインの「あらゆるものが建築である」というスローガンを同じものとして受け止めながら、原広司のいう「建築に何が可能か」を指針としてきたのである。「大文字の『建築』」というメタ概念は、一切の問いを停止させてしまう。
ところで、鈴木隆之の、こうした「建築批判」の視座は、彼に属する世代に固有なものなのだろうか。そうではあるまい。状況とのスタンスとして、常に要求されてきたものであろう。むしろ、重要なのは、「建築」なんてない、すべてが「建築」である、という状況が具体的に現れ始めていることだ。そして、それを認識することである。デザインの差異が次から次へと消費される、消費社会の神話と論理が支配する中で、「大文字の『建築』」というメタ概念を知っているかどうかが決定的なのだ、と言おうが言うまいが、どうでもいいことである。
「建築」なんてない、すべてが「建築」でしかない、という言説は、もちろん両義的である。マスメディアとコマーシャリズムがつくり出す疑似環境・記号環境としての消費社会そのものが、そうした言説を成立させるからである。「大文字の『建築』」などという概念とは無縁にこの状況を突破する筋道に、少なくとも、僕は関心があるのである。などと、言えば、やはり「団塊の世代」に特有なものいいということになろうか。
『大いなる迷走』は、次のように締めくくられている。
「戦後日本の社会と文化の中で、常に“アウトサイダー”的な役割を演じてきた彼ら(ユダヤ人! )が、「大いなる迷走」の果てに、ついに何ものかを見いだし、創造する日は来るのであろうか? 」
果たしてどうか?