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2024年12月14日土曜日

基調講演,「環境への参画ー景観とまちづくりーコミュニティ・アーキテクトの可能性」,日本感性工学会感性哲学部会研究発表会,2007年3月30日

 基調講演,「環境への参画ー景観とまちづくりーコミュニティ・アーキテクトの可能性」,日本感性工学会感性哲学部会研究発表会,2007年3月30日



































日本感性工学会感性哲学部会研究発表会

 

日時:平成19年3月30日(金)、31日(土)

場所:広島大学東千田キャンパス 共用講義室2

http://www.hiroshima-u.ac.jp/category_view.php?folder_name=access&lang=ja

 

プログラム

テーマ:「環境」を壊してみる

「環境」の概念がさまざまな領域で議論されるなか、その意味の細分化、硬直化も進みつつあります。今回のパネルディスカッションでは、環境と景観、環境と文化など、環境と関連する多様な領域を視野におき、その意味を総合的に捉えるための視点を再構築します。

 

330日(金)

13:00-1600 一般研究発表

1600-1800 基調講演およびパネルディスカッション

基調講演:布野修司氏(滋賀県立大学教授)

パネラー:石丸紀興(広島国際大学教授)、大井健次(広島市立大学芸術学部長、クリエイティブ・ディレクター)

18:0018:30 感性哲学部会総会

1900-2100 懇親会

 

331日(土)10:0014:00

感性ツアー:広島市の平和環境を横断する(予定):比治山芸術公園〜平和大通り〜お好み村〜頼山陽記念館〜平和記念公園。

 

感性哲学部会長 桑子敏雄  実行委員長 千代章一郎


一般発表プログラム(発表7分、質疑3分)

13:00-13:10 柏崎尚也(東京電機大学)

『感性と感情の情報処理についての一考察』

13:10-13:20 和崎 宏(兵庫県立大学)

『地域SNSの効果と展望~WEB2.0環境によるネットコミュニケーションの変化』

13:20-13:30 浜田利満(筑波学院大学)・大久保寛基・大成尚

『認知症高齢者向けレクレーションにおける効果的ロボット・セラピー』

13:30-13:40 原田暢善(産業技術総合研究所関西センター)
      『形式的環境および象徴的環境の破壊の大脳皮質脳活動への影響の検討』

13:40-13:50 豊田光世(東京工業大学)

『思考力の育成と環境倫理教育』

13:50-14:00 榊眸(三重大学)・安部剛・馬淵晶子・根津知佳子・松本金矢

『子どもの日常の音楽体験における形式をこわす~人と人・モノ・音とのかかわりを重視した活動の構築~』

14:00-14:10 北村真衣央(三重大学)・倉田真由美・根津知佳子

『音楽会の枠をこわしてみる~さわさわの匂い~』

14:10-14:20 根津知佳子・松本金矢(三重大学)

『子どもの感性を可視化する -沈黙から掬う-

14:20-14:30 清水裕子、佐々木和也(宇都宮大学)

『万葉集にあらわされた染めと織り』

休憩(10)

14:40-14:50 神頭成禎(兵庫県立大学)

『インドネシア慣習法的共同体社会における土地観念‐「所有者」か「使用者」か‐』

14:50-15:00 古賀弘一(兵庫県立大学)

『入会地をめぐる長尾契約講員の地域感性』 

15:00-15:10 桑子敏雄(東京工業大学)

『日本の空間文化と環境・景観管理の課題』

15:10-15:20 千田智子(東京芸術大学)

『英国式風景庭園の現在』

15:20-15:30 千代章一郎(広島大学)

『広島市における小学生児童の平和環境表現』

15:30-15:40 清水義雄(信州大学)

『人工科学から自然科学への転換-景観から読み取れる科学の現状-


基調講演およびパネルディスカッション『環境を壊してみる』

1600-1800

基調講演:布野修司氏(滋賀県立大学教授)

パネラー:石丸紀興氏(広島国際大学教授)、大井健次氏(広島市立大学芸術学部長、クリエイティブ・ディレクター)

コーディネータ:桑子敏雄氏(東京工業大学教授)

1600-1645 布野修司:「環境への参画」

日本・アジア・アフリカなど多様な「環境」の徹底したフィールドワークを通じて長年にわたり、植民都市やアジア諸都市の都市組織あるいは都市住宅のあり方を研究されてきた布野氏は地域の景観問題にも積極的に関与されている。どうして景観問題に取り組むようになったのか、また、景観を論じるための哲学についてご講演していただく。

略歴:1949年島根県生まれ。専門は都市生態環境史。著書に、『曼荼羅都市 ヒンドゥー都市の空間理念とその変容』(京都大学学術出版会,2006年)など多数。

1645-1800 パネルディスカッション

1645-1700 石丸紀興:「破壊された環境」

「環境」といえば自然環境を意味することが多いが、人間的な環境の一つの極である「戦争」についても議論を広げるべきであろう。戦争遺跡や廃墟の保全・再生に関する我々の認識は、イデオロギー的にも概ね定着しているように思われる。しかし、そのような場所の痕跡の扱いによっては、記憶の継承・教訓の場の意味を喪失していき、観光地化の問題も浮上する。長年、広島市の都市史、とりわけ復興期初期に提起された復興構想・理念やさらには世界の戦争廃墟について研究してきた石丸先生より、現代の戦争遺産の諸問題についてご講演いただき、壊された環境を持続することについて、今後の多様な保全的デザインの方策について話題提供をしてもらう。

略歴:1940年中国東北地方(旧満州)生まれ。広島大学大学院工学研究科教授を経て現職。専門は、都市計画史、特に戦災復興計画の研究、広島の戦後復興史研究、広島における建築家の活動と役割に関する研究、被爆建物の歴史と保存、日本の近代都市計画史研究。広島被爆40年史都市の復興(共編・共著、1985年、広島市)被爆50周年未来への記録ヒロシマの被爆建造物は語る(共著、1996年、広島市)など論文・著書多数。

1700-1715 大井健次:「環境と芸術」

都市環境における廃棄物の問題は、その重要性にもかかわらず常に隠匿されてきた。それは負の環境であると同時に、今日では循環型社会の価値において積極的な意義を持つようになってきている。リサイクル・リユース・リデュースの機能論を越えて芸術に仕立てることの意義は何か。ゴミ処理施設が立地する吉島地区のアートプロジェクトを手がけている大井氏から、ゴミ環境を芸術にする戦略について、話題提供をしてもらう。

略歴:1945年広島県生まれ。主なプロジェクトとして、1996年広島市交通科学館企画展「カーデザイナー小林平治の夢とロマン」展監修、1996年宇品橋 デザイン実施計画・デザイン総合監修、1997年鷹野橋交差点 横断歩道橋デザイン基本計画・デザイン監修、1999年紙屋町地下街 環境・空間デザイン総合監修など多数。

17:15-18:00 討議

1800-1830 感性哲学部会総会

 

1900-2100 懇親会

瀬戸内の料理で歓談していただきます。

隠戸(一人5000円の飲み放題コース。学生3000円で残りを調整します)

広島電鉄袋町電停より徒歩5分 広島県広島市中区中町3−21 tel:082-249-2010

http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000027320.html









2024年12月13日金曜日

職人大学構想 SSFの原点、SSF NNEWS 002、19910901

 職人大学構想 SSFの原点、SSF NNEWS 002、19910901 


















博覧会都市計画,現代のことば,京都新聞,199510

 博覧会都市計画,現代のことば,京都新聞,199510


博覧会都市計画                    002

布野修司

 

 「世界都市博覧会」の中止はどうやら既成事実となったようだ。青島都知事の決断は、選挙公約のあり方、行政の継続性など様々な波紋を広げつつあるが、博覧会と都市計画のこれまでのあり方にも決定的なインパクトを与えた。スクラップ・アンド・ビルド(建てて壊す)型の博覧会を都市開発の呼び水にする従来の手法は根底から見直されていいと思う。

 一八五一年のロンドン万国博覧会以降の博覧会の歴史については、吉見俊哉の『博覧会の政治学』(中公新書)が詳しいのだが、博覧会は常になんらかの政治的機能を担ってきた。例えば、ネーション・ステート(国民国家)の形成、近代産業国家の形成と密接に関係がある。オリンピックと同じように、その開催は国力の表現の場であり、国威発揚の機会であった。

 一九七〇年の大阪万国博の開催は、国際社会への日本のプレゼンスという意味ではかなり大きな意味を担った。また、その後の博覧会のノウハウを蓄積したという意味でも重要である。しかし、その後の博覧会はその性格を変えていったように見える。沖縄海洋博(一九七五年)、筑波科学技術博(一九八五年)と限定された地域の開発手段として定着していくのである。数年前、市政施行百周年ということで全国各地で行われた博覧会もそうだ。MM(みなとみらい)21の開発へつないだ横浜博がその典型である。

 イヴェントとしての博覧会の会場建設のために公共投資をしてインフラ(基盤)整備を行い、跡地利用を民間に委ねるのが博覧会方式である。なぜ、会場施設を壊してしまうのか、不思議に思う。万国博覧会協会の規定であると言うけれどからくりがある。恒久的な施設ということになると時間もかかるしお金もかかる。自治体としては民間の資金を活用したい。民間の企業、特に建設業にしてみれば、二度の投資の機会となる。地域活性化のためには実にうまい手法というわけだ。

 しかし、考えてみるとバブリー(泡のような)手法である。社会資本の蓄積という視点からは全くの無駄だ。仮設的な会場施設にかけるお金を継続的にまちづくりに投資した方が長い目でみればいいに決まっている。また、なぜ、インフラ整備が遅れている地区を選んで投資するのか。インフラが既に整備されている地区を充実させる方がまちづくりとしてはもっと有効である。

 素人の計算と笑うなかれ。今回の「世界都市博覧会」の中止についての暗黙の支持を支えるのは以上のような直感である。日本の都市は、あまりにも仮設的である。スクラップ・アンド・ビルドでやってきた。そうした意味では、博覧会都市である。しかし、僕らが実際に住んでる都市そのものを中止するわけには行かない。都市づくりには時間がかる。フロンティアをもとめて刹那的な博覧会を繰り返す時代は終わった。「世界都市博覧会」の中止は新たな都市計画の時代の始まりを象徴することになると思う。


2024年12月12日木曜日

市民参加による大洲城天守の復元,日本建築学会業績賞2006、日本建築学会、2006

「市民参加による大洲城天守の復元」

 

大洲(大津)城は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(13311568)を起源として、小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰ら諸大名の居城とされてきたものであり、1617年に伯耆国米子から加藤貞泰が入城した時点で城郭の大枠は既に整備されていたと考えられている。版籍奉還まで続いた加藤氏の治世とともにその天守と城郭は維持されてきたが、天守は明治半ば(1888年)に至って取り壊された。今回の復元に当たって、遺構として残されていたのは、最古の三の丸南隅櫓(1766年再建、1965年解体修理)の他、台所櫓(1859年再建、1970年解体修理)、高欄櫓(1860年再建、1970年解体修理)などである。

日本の数多くの地方中核都市のベースとなっているのは近世城下町の形態である。しかし、明治以降、産業化の流れの中で、そのほとんどは大きくその形態、景観を変えてきた。その最初の変貌の象徴が天守の解体であり、事実数多くの天守・城郭は失われてしまった。大洲城も例外ではない。その大洲城の天守が木造の伝統構法によって今回復元されるに至ったことは、大きな時代の転換の象徴というべきであろう。大洲の市街は今日なお江戸時代の町割りをよく残している。今回の天守の復元によって、肘川(ひじがわ)に接する小高い丘(地蔵が丘)に本丸を置き、河川を濠に引き込む絶妙の構成と景観が鮮やかに蘇った。近世城下町のひとつの姿を未来にも永く伝える貴重な業績として評価したい。

第一は、この復元が市民の熱意と浄財に支えられて実現されたことである。大洲城天守閣復元事業は、市政施行40周年の記念事業として1994年に開始され、2004年に竣工するまで10年の年月を要するのであるが、この間実に多くの人々がこの復元プロジェクトに参加してきた。まず、木造伝統構法による復元を当初リードした建築史家の(故)宮上茂隆氏の存在がある。また、今回数々の技術的、法的問題を解決した建築家・技術者群がいる。さらに、実際施工に当たった大工棟梁以下多くの職人さんたちがいる。しかし、それだけでは復元は実現しなかった。復元された各階の柱の一本一本は市民それぞれが寄付する形がとられている。実際の設計施工を含んで、プロジェクト全体を壮大な市民参加のイヴェントとして組織したことこそがユニークである。このプロジェクトへの参加者が建設現場の模型とともに展示されているのもその協働の精神を示している。この参加型のプロジェクトの運営、組織とその手法は大きな業績である。

第二は、この天守復元プロジェクトが地域活性化につながる可能性をもっているという点である。林産の町として、可能な限り、地域産財を用いるという方針は当然とも言えるが、実際には困難な問題も少なくない。大きくは、「地産地消」という環境負荷低減の試みとして位置づけ、評価することが出来る。

第三は、木造伝統構法による復元事業による木造技術・技能の伝承・普及の可能性を示している点である。これまで、大阪城、伏見城などRC造で天守・城郭の外観を復元する試みがいくつかなされてきたが、建築基準法等の制約がある中で、木造伝統構法による復元は極めて困難であった。木造建築技術の見直しの流れの中で、その先駆けとして本格的な木造大規模建造物の復元を法的な条件をクリアしながら実現させたことは大きな業績である。また、大規模木造建築物の構造解析の手法も評価しうる。

本業績は、既に第17回「国土技術開発賞」最優秀賞(2005年)、第1回「ものづくり日本大賞」(2005年)を受賞していることが示しているように、木造技術の伝承・普及に果たす役割がまず期待されるが、以上のまちづくりの手法としての貢献、地域活性化の可能性に関わる評価も加えて、日本の都市の、ひとつの原風景としての城下町の景観復元の意義を高く評価し、日本建築学会業績賞を贈るものである。 タイトル込み1634


                             2005年12月14日

大洲市役建設農林部建築住宅課

主 幹  蔵 本 和 孝 様

                      社団法人日本建築学会学会賞・業績部会

                           部会長  菊 池 雅 史

 

 拝 啓  

 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

先般は当部会の現地審査におきましてご多忙中にもかかわりませず,ご対応を賜りましたこと,篤く御礼申し上げます。

 

さて,当部会は現在,業績賞に推薦する候補業績を絞り込む最終作業に入っております。

この作業の段階で,貴殿等の業績に対する部会委員全員による意見・提案を以下に記します。

 

.候補業績名の修正について

 ヒアリング等の結果,本業績の最大の原動力は,市民の参加によるものであるとの判断基づき,業績名「大洲城天守の復元」を,「市民参加による大洲城天守の復元」とする。

.候補者名の変更について

 1.の判断に基づき,候補者名を以下のように変更することを提案する。

 ①復元に当たって,市民のエネルギーを集結させた代表者を加える。

  例えば,復元の会の会長に相当する方

 ②行政の代表

  例えば,復元に止まらず,市民のエネルギーのベクトルと行政の町おこし・活性化に結びつけた個人(この候補者としては,部会委員全員が蔵本和孝氏を推薦致しております。)

 ③棟梁

  棟梁は,本業績に不可欠な候補者である。

 ④設計者

  慣例で候補者数は最大でも5名となっております。また,設計に対する等部会の評価は,前記の①,②および③に比べて4番目の位置づけとなっています。したがいまして,当業績に当初から参画し,現在に至るまで大きな功績を示された2名に絞り込んで下さい。(故人も対象となりえます。)

  設計者につきましては,以上のことを判断基準に2名を選出する。

 

 

 

 以上の業績部会の意見・提案は,貴殿等が申請している業績を,最終的に推薦する候補業績とするための条件と受け止めて頂いて結構です。

 

 急な提案ですが,是非上記の方向で関係各位と十分な折衝をされまして,適切にご対応

下さいますようお願い申し上げます。

 ご回答は,2006年1月10日まで,学会事務局の森田・米沢までしかるべき方法で頂ければ幸いです。

 

 末筆ですが,大洲市のますますのご発展をお祈り致しております。      

                                    敬 具

  

2024年12月11日水曜日

政策課題研究「変革期にある大学に対する施策」、大学コンソーシアム京都・キャンパスプラザ京都、 2002年9月24日

 京都市委託研究:政策課題研究「変革期にある大学に対する施策」

2002年9月24日:大学コンソーシアム京都・キャンパスプラザ京都

テーマ:1.京都ブランド3)大学都市としての京都のあるべき姿-大学都市にふさわしい都市環境と「京都」の可能性:2.産菅学地連携:3.国際化と地域協力2)大学都市京都論: ―地域連携、大学連携、都市力が持つ可能性について―

                                              布野修司(京都大学)

 

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 ・個々の大学の経営戦略と「大学連携」:差別化と共存←自治体によるソフト、ハードを含めたインフラ整備

 →大学コンソーシアムの重点積極活用                          

       「ひと」+「まち」+「なりわい」→人(知)的資源+空間資源

→「大学のまち京都」→如何に何で稼ぐか?

       地域生活空間計画の充実

        

1 世界都市としての「京都」(基本理念)

   「京都」の特権性・・・センター機能をどう維持し続けるか    

    1 天皇の所在地としての京都→?

    2 首都機能→政治首都、経済首都???→遷都 機能移転

   ◎3 文化首都→日本文化の中心

      ◎4  学術の中心→京都学派、ノーベル賞・・・→○○学センター

   ◎5 歴史都市(古都)としての環境(景観)資源

      →観光都市 修学旅行のメッカ(マッカ)?→世界文化遺産都市→小京都連合センター      

   or 地方都市としての「京都」

「京都市」=ONE OF 地方自治体 特定行政都市←上位計画

  →従って調査は、京都がどれだけセンター機能を保持し続けているか、その実態を明らかにするものを軸とする

 

2 大学のまち京都→特権機能の強化?(指針)

   学びのまち: 家元、本山機能の維持   

  ・京都学:京都学派の再興?:日本文化研究センター?○○学センター、地球環境学センター(京都議定書)?アジア研究?・・・・       

  ・世界歴史都市としての京都:都市景観資源

Ⅰ 世界都市文化センター: 世界歴史都市会議:世界都市博物館

 

Ⅱ 世界木の文化センター:木の文化博物館:木の技術保存修復研修

 

3 「まち」づくり(都市計画 建築行政分野)の課題

   ・二分法の発想 紋切り型の議論→思考停止 解決の先送り: 北部保存南部開発:観光か開発か:景観か産業か:博物館都市構想:木都→学びの徒(学生と高齢者:生涯教育?)にとって暮らしやすいまち

     →地区(場所)の固有性へ 歴史の重層 新旧の併存 モザイク◎地区毎のヴィジョンの確立

    ・都市デザインボードの確立(長期展望の担保):啓発→企画・計画→実践→評価の一貫システム←都市デザイン分野における先進的仕組みをつくりあげることが第一の条件:アーバン・アーキテクト制(都市計画の一貫性担保):市立芸大学長?=シティ・アーキテクト:デザインコミッティ    

   ・都市環境資源(世界文化遺産)の維持管理システム:ひと・もの・わざ・・・技能・素材

    ◎京都景観基金◎法整備(条例を外すという特権)→構造改革特区 町家再生条例 独自の美観条例→ストックの活用・再生と内部フロンティアの発見: 循環型・環境共生型社会の実現 

 

4 「まち」を学ぶ仕組み

・・・京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の試行(14大学24チーム) 42地区 タウン・ウォッチング フィールド・サイエンス 記録 提案 シンポ、断面調査 重点調査地区 

 

 

2024年12月10日火曜日

タウン・イン・タウン 、現代のことば、京都新聞、1996

 

タウン・イン・タウン            008

 

布野修司

 

 国際交流基金アジアセンターの要請で、この六月末、インドネシア科学院(LIPI)のワークショップ(国際会議)「都市コミュニティの社会経済的問題:東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発」に出席してきた。一週間の間、ジャカルタに滞在しながら、オランダ、フランス、オーストラリア、シンガポール、タイ、フィリピン、そしてインドネシアの参加者と東南アジアの都市をめぐって議論した。考えさせられることの実に多いワークショップであった。

 ジャカルタは、今、シンガポール、バンコクに続いて、びっくりするような現代都市に生まれ変わりつつある。目抜き通りには、ポストモダン風の高層ビルが林立する。頂部だけ様々にデザインされ、新しいジャカルタの都市景観を生み出している。日本の設計事務所、建設会社もその新たな都市景観の創出に関わっている。一方、ホテルの窓の外を見れば、僕にとっては見慣れたカンポン(都市集落)の風景が拡がる。都心に聳える超高層の森と地面に張りつくカンポンの家々は実に対比的である。

 そうしたジャカルタのど真ん中、かってのクマヨラン空港の跡地に、興味深い開発計画が進行中であった。「タウン・イン・タウン(都市の中の都市)」計画と呼ばれる。

 現場に参加者全員で見に行った。その計画理念は、都心のリゾートタウンといったらわかりやすいだろうか。バーズ・サンクチュアリも設けられ、自立型ニュータウンが目指されている。大都市のど真ん中に都市がつくられる、そのコンセプト自体は実にユニークである。

 しかし、参加者の関心は超高層集合住宅が林立する中心街区よりも、別の一角に向けられた。広大な敷地に建設が始まったばかりであるが、中に実際に人々が住み始めた地区があるのである。一見何気ない五階建ての集合住宅が並ぶだけなのであるが、活気があって、実に生き生きと空間が使われている。もともとそこに住んでいた人々のための街区である。そこはもともとジャカルタ原住民であるバタウィ人の土地で、現在でも住民の一五パーセントはバタウィ人である。

 一階には店舗が入り、二階以上の住居部分は厨房やトイレ居間が共用の共同住宅になっている。また、家内工業が各種行われ、コミュニティの様々な活動が生き生きと組織されている。カンポンの人々を追い立てるのではなく、そのまま住み続けることができるように最大限の努力が払われているように思えた。

 次の日、郊外型のニュータウンを見に行った。民間開発のニュータウンで、そう目新しいところがあるわけではない。しかし、眼から火の出るような思いをさせられた。日本と韓国の投資によるニュータウンで、名の通った日本の大企業の工場が並んでいたからである。参加者のなかからすかさず野次が飛んだ。「これは日本のサテライト・タウンなのかい」。


2024年12月9日月曜日

シティ・アーキテクト,現代のことば,京都新聞,19951120

 シティ・アーキテクト,現代のことば,京都新聞,19951120


シティ・アーキテクト              003

布野修司

 

 JR京都駅の建設現場にクレーンが林立している。鉄骨のフレームが次第に高く組み上がり、巨大な建築物の姿が具体的にイメージできるようになった。そのコンペ(設計競技)の際には景観問題ということで大きな議論が起こったのであるが、その評価をめぐっては、今後の問題も含めて引き続いてしっかりした議論がなされるべきであろう。

 景観問題はもちろん京都だけの問題ではない。バブル期の開発ブームで各地で景観破壊が問題となった。建都千二百年を迎えた日本の古都であり、世界文化遺産に登録される歴史的環境を保持してきたという意味で、京都の景観問題が象徴的に取り上げられたのであるが、それぞれの地域で、個性ある豊かな街並みをどうつくるかは大きなテーマである。

 ところが、それぞれの町に固有の町並みをつくるその方法となるといささか心許ない。各自治体で、景観条例がつくられ、景観形成のためのマニュアルがつくられるのであるが、どこも似たりよったりという問題がある。地域の景観のアイデンティティを唱いながら、同じ基準、同じマニュアルであるというのは矛盾である。京都市ではこの間の景観問題を踏まえて、市街地景観条例の大改正を行ったのであるが、それでも条例や基準のみでは限界がある。高さの基準を守っていればいい景観が創れるというわけではないからである。

 景観のあり方は、場所によって、地区によって異なる。市の全域を一律に規定するのは肌理細かい街角の表情を創り出すのには馴染まないのである。

 そこで今注目を集めているのが、マスター・アーキテクト制あるいはアーバン・アーキテクト制(建設省)と呼ばれる制度手法である。色彩や形態を一律に規定するのではなく、場所毎に、プロジェクト毎に、一人ないし、複数の信頼のおける建築家に調整を委ねるやり方である。ヨーロッパにおけるシティ・アーキテクトあるいはタウン・アーキテクトの制度がモデルになっている。

 例えば、京都であれば各区単位にマスター・アーキテクトをおいて、マスター・アーキテクトの委員会を統括するシティ・アーキテクトを考えるわけである。本来、建築行政、都市計画行政の一環としての景観審議会等がその役割を果たせばいいのであるが、個々のデザインの問題までとても眼が行き届かないし、行政内部に相応しい人材がいるとは限らない。それをサポートする建築家なり、デザイン・コミッティが必要ではないかという提案である。

 もちろん、問題は数多い。ヨーロッパのシティ・アーキテクトはかなりの権限をもつのであるが、日本ではどうか。その報酬をどうするか、任期をどうするか。当面試行錯誤が必要かもしれない。しかし、最大の問題は、シティ・アーキテクトとしての能力と見識を備えた建築家が日本にどのくらいいるのかということである。

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...