シティ・アーキテクト,現代のことば,京都新聞,19951120
シティ・アーキテクト 003
布野修司
JR京都駅の建設現場にクレーンが林立している。鉄骨のフレームが次第に高く組み上がり、巨大な建築物の姿が具体的にイメージできるようになった。そのコンペ(設計競技)の際には景観問題ということで大きな議論が起こったのであるが、その評価をめぐっては、今後の問題も含めて引き続いてしっかりした議論がなされるべきであろう。
景観問題はもちろん京都だけの問題ではない。バブル期の開発ブームで各地で景観破壊が問題となった。建都千二百年を迎えた日本の古都であり、世界文化遺産に登録される歴史的環境を保持してきたという意味で、京都の景観問題が象徴的に取り上げられたのであるが、それぞれの地域で、個性ある豊かな街並みをどうつくるかは大きなテーマである。
ところが、それぞれの町に固有の町並みをつくるその方法となるといささか心許ない。各自治体で、景観条例がつくられ、景観形成のためのマニュアルがつくられるのであるが、どこも似たりよったりという問題がある。地域の景観のアイデンティティを唱いながら、同じ基準、同じマニュアルであるというのは矛盾である。京都市ではこの間の景観問題を踏まえて、市街地景観条例の大改正を行ったのであるが、それでも条例や基準のみでは限界がある。高さの基準を守っていればいい景観が創れるというわけではないからである。
景観のあり方は、場所によって、地区によって異なる。市の全域を一律に規定するのは肌理細かい街角の表情を創り出すのには馴染まないのである。
そこで今注目を集めているのが、マスター・アーキテクト制あるいはアーバン・アーキテクト制(建設省)と呼ばれる制度手法である。色彩や形態を一律に規定するのではなく、場所毎に、プロジェクト毎に、一人ないし、複数の信頼のおける建築家に調整を委ねるやり方である。ヨーロッパにおけるシティ・アーキテクトあるいはタウン・アーキテクトの制度がモデルになっている。
例えば、京都であれば各区単位にマスター・アーキテクトをおいて、マスター・アーキテクトの委員会を統括するシティ・アーキテクトを考えるわけである。本来、建築行政、都市計画行政の一環としての景観審議会等がその役割を果たせばいいのであるが、個々のデザインの問題までとても眼が行き届かないし、行政内部に相応しい人材がいるとは限らない。それをサポートする建築家なり、デザイン・コミッティが必要ではないかという提案である。
もちろん、問題は数多い。ヨーロッパのシティ・アーキテクトはかなりの権限をもつのであるが、日本ではどうか。その報酬をどうするか、任期をどうするか。当面試行錯誤が必要かもしれない。しかし、最大の問題は、シティ・アーキテクトとしての能力と見識を備えた建築家が日本にどのくらいいるのかということである。
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