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2024年12月10日火曜日

タウン・イン・タウン 、現代のことば、京都新聞、1996

 

タウン・イン・タウン            008

 

布野修司

 

 国際交流基金アジアセンターの要請で、この六月末、インドネシア科学院(LIPI)のワークショップ(国際会議)「都市コミュニティの社会経済的問題:東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発」に出席してきた。一週間の間、ジャカルタに滞在しながら、オランダ、フランス、オーストラリア、シンガポール、タイ、フィリピン、そしてインドネシアの参加者と東南アジアの都市をめぐって議論した。考えさせられることの実に多いワークショップであった。

 ジャカルタは、今、シンガポール、バンコクに続いて、びっくりするような現代都市に生まれ変わりつつある。目抜き通りには、ポストモダン風の高層ビルが林立する。頂部だけ様々にデザインされ、新しいジャカルタの都市景観を生み出している。日本の設計事務所、建設会社もその新たな都市景観の創出に関わっている。一方、ホテルの窓の外を見れば、僕にとっては見慣れたカンポン(都市集落)の風景が拡がる。都心に聳える超高層の森と地面に張りつくカンポンの家々は実に対比的である。

 そうしたジャカルタのど真ん中、かってのクマヨラン空港の跡地に、興味深い開発計画が進行中であった。「タウン・イン・タウン(都市の中の都市)」計画と呼ばれる。

 現場に参加者全員で見に行った。その計画理念は、都心のリゾートタウンといったらわかりやすいだろうか。バーズ・サンクチュアリも設けられ、自立型ニュータウンが目指されている。大都市のど真ん中に都市がつくられる、そのコンセプト自体は実にユニークである。

 しかし、参加者の関心は超高層集合住宅が林立する中心街区よりも、別の一角に向けられた。広大な敷地に建設が始まったばかりであるが、中に実際に人々が住み始めた地区があるのである。一見何気ない五階建ての集合住宅が並ぶだけなのであるが、活気があって、実に生き生きと空間が使われている。もともとそこに住んでいた人々のための街区である。そこはもともとジャカルタ原住民であるバタウィ人の土地で、現在でも住民の一五パーセントはバタウィ人である。

 一階には店舗が入り、二階以上の住居部分は厨房やトイレ居間が共用の共同住宅になっている。また、家内工業が各種行われ、コミュニティの様々な活動が生き生きと組織されている。カンポンの人々を追い立てるのではなく、そのまま住み続けることができるように最大限の努力が払われているように思えた。

 次の日、郊外型のニュータウンを見に行った。民間開発のニュータウンで、そう目新しいところがあるわけではない。しかし、眼から火の出るような思いをさせられた。日本と韓国の投資によるニュータウンで、名の通った日本の大企業の工場が並んでいたからである。参加者のなかからすかさず野次が飛んだ。「これは日本のサテライト・タウンなのかい」。


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