公共施設のあり方,周縁から26,産経新聞文化欄,産経新聞,19900205
(26 選挙と建築ーーー○○センター) 布野修司
選挙である。選挙と建築というと想い浮かぶのが各都市の○○センターという施設である。今度の選挙は国政選挙であるからまさかそんなことはないであろうが、地方選挙だと○○センターがしばしば争点になる。すなわち、公共施設の建設が業績としてうたわれたり、税金の無駄使いといって非難されたりするのだ。
公共施設の建設は選挙と切っても切れない関係にある。首長は任期中にその業績を眼に見える形で示すために施設の建設を最も重視するのだ。補助金を沢山国から引出し、できるだけ大規模な建物を建てることが評価につながると考えられてきた。○○センターは首長の名と密接不可分である。首長が変わると前の首長の建設計画そのものが中止されることはむしろ普通である。
さすがにそうした業績主義、施設主義は影を潜めつつあるのではなかろうか。ただ施設さえつくればいい、ただ立派に見える物をつくればいい、というのでは余りに問題が多い。大きなオーディトリアムをつくったけれど何に使うかプログラムがない、美術館をつくったけど、学芸員などの予算措置がない、といった問題が続出なのである。
○○センターというのがそもそも問題である。規模を大きくするために、あるいは施設用地の取得難から、また各種の補助金を得るために、様々な施設が複合化されるのであるが、その結果、施設の性格がはっきりしなくなる。それで全国同じような○○センターができる。何にでも使えそうで全てに中途半端ということもある。
公共施設の建設にはまずなによりもそれを支える活動が必要である。どんな傑作な建築でもそれを使いこなす活動とシステムがなければ宝の持ちぐされである。施設は死んでしまっている。死んだ○○センターが日本のあちこちにありはしないか。そんな施設は地域にいらない。選挙のたびに景気よく打ち上げられる施設の計画はその具体的な内容こそを問うべきである。
0 件のコメント:
コメントを投稿