ナイアガラ・ホテル,at,デルファイ研究所,199402
ナイアガラ・ホテル ラワン 東ジャワ インドネシア 布野修司
東ジャワ、スラバヤの南九十キロのところにマランという町がある。十八世紀にコーヒー生産のセンターとして大きくなった都市だ。中心部のアルン・アルン(広場)の回りには、庁舎、学校、教会などオランダ時代の建造物が残されている。気候は年中日本の春のようで過ごしやすい。第二次世界大戦中にはスラバヤに上陸した日本軍がここに軍営を置き駐屯している。沿岸部の大都市住民にとっては高原の避暑地である。あるいはスラバヤに野菜などを供給する後背都市である。
マラン近郊はかってはヒンドゥー王国の中心地域であった。東ジャワ期のヒンドゥー遺跡が数多く残っている。チャンディ・バドゥット(九世紀)、チャンディ・グヌン・ガンシール(十世紀)、チャンディ・キダル(十三世紀)、チャンディ・ジャゴ(十三世紀)、チャンディ・ジャウィ(十四世紀)、チャンディ・シンゴサリ(十四世紀)などがそうである。
そのマランの北、一八キロのところにラワン という町がある。今はスラバヤーマランハイウエイがすぐ側を走っている。ボゴールの植物園のブランチであるプルウォダディ・ガーデンを除いて見るものは少ないのだが、ここにナイアガラ・ホテルというちょっとした掘り出し物の建築がある。ストモ通りにある五階建てのアール・ヌーヴォーのホテルである。
アール・ヌーヴォーの建築はインドネシアでは珍しいが、こんな田舎にと不思議な気がする。聞けば、一九一八年にブラジルの建築家によって建てられたという。このナイアガラ・ホテルの建設にはどんな物語が秘められているのであろうか。ますます不思議さはつのる。
以前は大邸宅、マンションであったらしい。エコノミークラスの部屋にはバスがついていない。もともとあった数多くの部屋を利用してホテルに改造したのである。居間がロビーに転用されている。ステンド・グラス、木彫、階段の手摺、相当なレヴェルである。どうやって職人を集めたのか。周辺にはすぐれたクラフトマンが存在していたのであろうか。木彫りの彫刻などは土着の職人のものに違いない。
一九一八年に五階建ての建造物である。その頃、スラバヤ、ジャカルタだって五階建ての建物はほとんどなかったのである。実に不思議だ。
屋上に登るとアルジュナ山が東に見える。西には、三六七六mのスメル山がある。ジャワ島は本州の半分ぐらいであろうか、そこに三千メートル級の山が沢山ある。スメル山はもちろん、メール(マハメール)山からきている。須弥山だ。ヒンドゥー教の聖山である。一九一一年、一九四六年と爆発、活火山である。そしてまた、ブロモ山がある。東ジャワで最も美しいとされ有名なカルデラ火山である。屋上からの眺めは抜群だ。名前の知れないブラジルからの建築は絶対意識したに違いない。
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