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2023年8月8日火曜日

住居の図式を超えて,山本理顕『住居論』, SD,鹿島出版会,199311

       

山本理顕 住居論

住居の図式を超えて

                           布野修司

 

 小気味いい住居論だ。その真摯な思索は原論的であり、根源的である。歯ごたえのある住居論が耐えて久しい中で実に貴重である。

 「家族という共同体は〈共同体内共同体〉である」というのが山本流に簡潔に表現された基本テーゼなのであるが、何も難しいことはない。家族という集団のための空間をその内的な関係のみならず外部との関係において捉えるのが基本ということだ。内と外との関係、その境界のありかたを規定するシステムこそが問題であり、住居のあり方を決定づける、極く当然の視点である。

 しかし、こうした基本的視点がもし新鮮であるとすれば、住居を家族内部の関係へと還元する、食寝分離、公私室分離、個室の確立といった空間分化と規模拡大の論理がこれまで余りに支配的だったからではないか。また、住宅芸術論と住宅産業論とに建築家による住居論は分裂してしまい、家族のありかたが空間の問題として追求されてこなかったからではないか。

 この住居論は極めて図式的である。あるいはモデル提示的である。そうした意味でわかりやすい。また、そうした意味で原論的である。この極めてプリミティブな思考において、しかし、住居の実に多様なあり方を明らかにすることができる。そこがポイントである。

 ヴァナキュラーな住居集落の基本的な空間配列をみると一見複雑に見えても実に単純な形式をしていることが多い。しかし、極めて単純な住居形式といっても多様である。基本的な関係のパターンによって、実に多様な集合形式が生み出される。山本理顕の住居論の基礎にあるのはそうした眼である。そうした原理を考究するもととなったのが世界集落調査である。三章構成の本書のⅢ「領域論」にその集落調査に基づく考察も収められている。

 住居の空間的形式についての多様なモデルを手にして日本の住居を見直す時、あまりにもワンパターンではないか。nLDKという空間形式と家族モデルのみが蔓延しているのである。山本理顕の住居と社会(共同体)のあり方についてのプリミティブな還元的考察とそれに基づくいくつかのささやかな実践が驚くほどの反響を呼んだのは、日本の住居の貧困さを浮かび上がらせるとともに建築家のある怠慢を明るみにしたからであろう。

 住居を外部との関係において捉える視点は、そのまま住居集合論に結びつき、都市構成論に結びつく。この住居論は、必然的に住居を可能な限り開いていくそうしたヴェクトルをもっている。住居を「作品」として自閉させたり、生活者にべったり寄り添ったりすることのない乾いた論理展開が魅力なのだ。

 とは言え、建築というのは図式ではない。抽象的な空間モデルを物に置き換えればいいということではない。山本理顕の住居論が魅力的なのは、具体的な表現の実践があるからであろう。そうした意味で興味深いのは住居の表現論である。Ⅱの「住居計画」には表現へのジャンプが素直に吐露されていて思わずにやりとさせられる。

 




 

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