阪神淡路大震災とまちづくり
地域に自律のシステムを
布野修司
瓦礫と化して原形をとどめぬ民家の群。延々と拡がる焼け跡。一キロにわたって横転した高速道路。あるいは落下した橋桁。駅がへしゃげ、線路が飴のようにひん曲がる。ビルが傾き、捻れ、潰れ、投げ出される。信じられないような光景である。僕らが目撃しつつあるこの廃墟は現代都市の死の光景ではないか。
開港場として拓かれ、居留地をベースにして発展してきた近代都市神戸。異人館や南京街など異国情緒を醸す日本では数少ない国際都市としてユニークな町である。戦後、神戸市は先進的なまちづくりで知られる。住民参加や景観行政など全国の自治体にさきがけて展開してきた施策は数多い。また、高度成長期に山を削って海を埋め立てる大事業を展開し、果敢な都市経営戦略で注目を集めてきた。その象徴が機能を停止した海上都市ポートアイランドである。
そうした日本を代表する世界有数の港湾・貿易都市が一瞬にして廃墟になった。三〇万人ものひとが寒夜に投げ出される事態を誰が予想しようか。人工環境化をますます進め、ハイテク情報メディアによって制御される、そんな現代都市が陸の孤島になる。何か根源的な問題がこの廃墟に露呈しているのではないか。
何故、こんなに被害が大きくなったのか、都市直下型地震の恐ろしさと共に原因が様々に指摘される。焼け野原は、戦後間もなく建てられた木造住宅の密集地区だという。倒壊した建造物や土木構築物は、基準が厳しくなる以前の既存不適格な構造物だという。現代都市の脆さ、防災都市化の不十分性、危機管理の諸問題が様々に指摘される。確かにこの非常時の経験はディテールに至って克明に記録され、他の大都市住民のためにもかけがえのない教訓とされるべきであろう。
しかし、問われているのは単に技術的な問題ではない。木造は駄目だ、基準を厳しく、といっても何も考えたことにはなるまい。まして、災害に対する心構えの問題ではないだろう。都市のあり方、つくり方の思想の問題が根底にある。都市生活が如何に脆弱な基盤の上に成り立っているのかを嫌というほど思い知らされるのである。
現代都市はひたすらフロンティアを求めて肥大化する。郊外へのスプロールが限界に達するや、空へ、地下へ、海へ、さらにフロンティアが求められ、とどまるところを知らない。山を削って宅地をつくり、その土で海を埋め立て土地をつくる。一石二鳥だというのであるが、自然をそこまで苛めて規模拡大を求める必要があるのか。都市が依拠するシステムの限界、都市や街区の適正な規模について、あまりに無頓着である。水、ガス、水道、ライフラインというけれど、いくら情報メディアが張り巡らされていても、地区レヴェルの自律システムが余りに弱い。燃える自宅の炎をただ呆然と見つめるだけという居住地システムの欠陥は致命的である。
橋梁や新幹線や高速道路は決して壊れないのではなかったか。僕らはそう信じてきたのではないか。しかし、壊れることがあり得るとするなら、そうしたものに物や人の移動を委ねる世界は一体どういう世界なのか。安全性と経済性と確率の問題だという。百年に一回の、四百年に一回の地震で亡くなったとしても運が悪いということか。僕らはもう少し確からしさの中で生き、そして死にたい。
50年前神戸は空襲で廃墟になった。まるでその時のような光景だという被災者の声があった。ひたすら不燃化を目指してきた日本の都市の戦後50年は一体何であったのか、とつくづく思う。恐れるのは、そのスローガンだけが生き延びることだ。例えば木造住宅が全否定されてはならない。単に建造物の強度だけではなく、都市生活を支えるシステムが問われているのである。シミュレーションというには悲惨すぎる教訓である。
都市の死、廃墟を見てしまったからには、これまでとは異なった都市の姿が見えたのでなければならない。バラックであれ、復興の力強い歩みの中にその夢をみたい。
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