traverse編:建築学のすすめ,昭和堂,2015年5月
序章
全てが建築である、誰もが建築家である、というのが本書の出発点にあります。すなわち、建築学というのは誰にとっても身近であり、誰もが無縁ではないということを本書の前提にしたいと思います。その上での建築学入門です。
最初に、第1章で全てが建築であることを宣言しますが、「建築」というのは、英語の「アーキテクチャーarchitecture」の訳語です。中国でも「建築」という訳語が用いられますが、「建築」という言葉はもともと中国語になく、日本語の訳語がもとになったようです。「建築家」はアーキテクトarchitectです。その語源を遡ると、ラテン語のアルケーarché(根源)のテクネーtechné(技能・技術)という意味が込められているようです。根源的技能ということになります。考古学はアルケオロジーarcheologyですね。「建築=アーキテクチャー」には、ものごとの始まり(始原)、原理、始動因、大元に遡るという意味が含まれていることになります。
最近、コンピューター・アーキテクトといった言葉が使われます。つまり、アーキテクトというのはいわゆる「建築家」に限るわけではありません。ギリシャの哲学者アリストテレスによれば、アルキテクトニケ・テクネー(建築家の技能)というのは本来諸芸を統合する原理に関わっています。
第3章でも触れていますが、建築を学ぶものであれば世界中の誰でもがその名を知ることになる最古の建築書(『建築十書』)を書いた紀元前1世紀頃カエサル(シーザー)に仕えたウィトルウィウスという建築家は、建築家というのは様々なことを知るべきだというようなことを冒頭に主張しています。建築家というのは好奇心旺盛でないといけないのは確かです。
以上のように始めると、何やら難しそうな入門になりそうなのですが、そんなことはありません。始原に帰って考えよう、根源に帰って考えよう、ということです。また、どんな分野でも建築に関係する、ということです。だから、全てが建築であり、誰もが建築家なのです。
明治時代に入って、「建築」という言葉ができるまで使われていたのは「造家」という言葉です。聞きなれない言葉かもしれませんが、「造船」という言葉と同様です。「家」を「造」るという意味ですから、「建築」とは何かと問うより、むしろ、「造家」と言った方がわかりやすいと思います。「建築」を「家」に置き換えればすべての建築を考えることができます。「家」を「建」てて「築」くのが「建築家」ですから、そもそも誰もがもともと建築家なのです。建築の分野ではよく引用されるのですが、ドイツの哲学者M.ハイデガーが言うように、住むことwhonen,、生きることleben、建てることbauenは同じことなのです。そして、考えることdenkenも、と続くのですが、考えることを担うのが「建築学」です。
始原に帰って考えれば、人類は最初にどのように家を建てたのでしょうか。
おそらく自然にできた洞窟のようなところに雨露を凌ぐために住んだのでしょう。あるいは、動物が巣をつくるように、簡易な小屋を建てたのではないでしょうか。世界中には様々な住居の伝統をみることができるわけですが、全て元を質せば、最初の始原の家に行きつくのではないでしょうか。身近に利用できる材料を使い、自分の身体を保護するシェルター(覆い)を建てるのが建築の始まりなのです。
建築学入門ということでは、従って、世界中の始原に遡る伝統的な家について学ぶ必要があります。伝統的に建てられてきた家には、人類の様々な知恵が込められているからです。この知恵を体系化することが建築学の大きな役割となります。具体的には、世界中の伝統的な家の多様な形態を決定している要因を明らかにすることになります。
家の形態を決める大きな要因となるのは自然です。雨の多いところ、風の強いところ、湿度が低いところ、暑いところなど気候条件によって、庇を長くしたり、壁を厚くしたり、様々な対処が必要とされることから家の形態は異なります。また、家を建てる場所、平坦な土地、斜面など地形によって家の形態は変わります。場合によっては、地下や樹上、海の上に家を建てる場合もあります。自然条件によって、利用可能な建築材料は異なり、木、草、石、土など材料の違いによって、構法が異なり、家の規模が違ってきます。
しかし、家の形態は、以上のような自然条件や環境条件によってのみ決定されるわけではありません。農業、漁業、遊牧など生業のかたち、すなわちどういう生活形態をとるか、またそれによってどういう集団社会が形成されるかによっても異なります。
さらに、家をどう飾るかは大きな関心事になります。その形やディテール(部分詳細)に自分(たち)のアイデンティティを表現することになります。要するに、人間生活のあり方と密接に関わるのが建築です。誰もが建築とは無縁ではない、建築は、それぞれの地域の政治的・経済的・文化的・社会的あり方の総合的表現なのです。
本書は、自ら家を建てることを原点とします。そうすると、本来、入門というのは要らないのかもしれません。また、「学」というのも要らないのかもしれません。実際、独「学」で世界的建築家になった存在をわれわれは身近に知っています。
さて、本題です。現代において、家を建てるためにどうすればいいのでしょう。
建築の始原の段階とは状況が大きく変わっています。家は自分で建てるものではなく、住宅展示場や住宅メーカーのカタログから選んで買うものになりつつあります。建築技術のあり方は、この100年余りの間に大きく変化しました。鉄筋コンクリート造や鉄骨造の出現によって、それ以前には考えられないような大規模で高層の建築が実現するようになり、立体的に都市に住むのが一般的になりつつあります。自動車や飛行機などの交通手段の発達で、また、IT(情報技術)の革新によって、われわれの生活は20世紀までの人類が経験してきた世界とはすっかり変わってきています。建築のあり方が変わるのは当然です。実は、建築学が必要とされるようになったのは、新たな建築技術が出現してきたからだとも言えます。
しかしだからといって、繰り返しますが、建築が難しくなったわけではありません。基本は、家を建てる時に考えることと同じです。どんな建築家でも、世界的に高名な建築家でも、ほとんどすべての建築家のデビュー作品は住宅です。誰であれ、住宅に住むのですから、住宅の設計とは無縁ではありません。机の配置を変えたり、カーテンの柄を選んだり、部屋を設えるのは既に立派な建築行為です。日曜大工で何かをつくったりすれば、建築家としての第一歩を踏み出していると言っていいでしょう。
建築学入門をうたいながら、責任逃れをするわけではありませんが、すぐれた建築家になる第一の方法は、とにかく建築を見て歩くことだと思います。特に、自分がいいと感じる空間、居心地のいい空間を無数に体験することです。建築学にはありとあらゆる分野が関わります。人間の生活するすべての場に関わるわけですから当然です。病院や学校を設計するためには医療や教育のことを知る必要があります。部屋の中にあるものがどのようにつくられるかを考えてみてください。建築に使われる材料だけを考えても、鉄、ガラス、コンクリートのみならず様々な材料を使用することが可能です。工学系の分野のすべてが関わるといっていいでしょう。従って、上述のように、何にでも好奇心を持つことが大切です。
そして、建築が何よりも好きになることです。好きということは、居心地のいい空間にいるかどうか、自分で判断できることを意味します。建築が好きになってもらえればという思いで本書は企画されています。
第二に、すぐれた「建築家」になるためには、建築の歴史に学ぶことです。建築史という、工学系の他の分野にはない歴史の科目があるのが建築学の特性ですが、人類が歴史的に積み重ねてきた建築の知恵に学ぶのが建築家になる一番の近道だからです。
第三、第四は後回しにしましょう。あんまり多すぎると入門になりません。
建てることが出発点ですから、建築学には基本的に学ぶべきことがあります。建築学の基本的分野を簡単に示しておきましょう。その際、建築を人間の体に例えるとわかりやすいと思います。人間の身体を大きく骨格・筋肉、内臓器官、皮膚で覆われたその他の組織に分けるとすると、建築の構造、設備、意匠・空間の3つに対応します。建築構造、建築設備、建築計画という3つの分野が相互に関連しながら建築学を構成します。
建築構造学は、空間を覆う方法を考えます。木、石、土など自然材料を用いた伝統的建築においても実に様々な方法があるのですが、近代では、鉄、ガラス、コンクリートを用いた方法が主流となっています。人間の身体は動くわけですが、建築学も地震に対応するための免震構造を開発するなど、動くことを前提にした方法が追及されています。自動車や飛行機、宇宙ステーションなども建築と考えれば、さらに様々な展開が考えられます。
建築環境(設備)工学は、主として音、熱、光、空気について建築の環境状態を制御する方法を考えます。建築設備のシステムは人間の呼吸器や血管など循環器系に対応します。人類が家を建てるのは、衣服を身に着けるのもそうですが、暑さや寒さ、雨や雪、湿気、風や日射など自然の変化に対して身体を一定の環境に保つためであったと思われますが、地球環境問題が深刻に意識される中で、自然環境と人工環境の関係をどう調和させるかが問われつつあります。
建築計画学は、建築の空間構成を考えます。空間(部屋)と空間(部屋)の関係を考えてひとつの建築にまとめ上げるわけですが、わかりやすく言えば、家の間取りを考えるわけです。平面計画(プラン)と言いますが、空間は立体ですから立体的に考える必要があります。大工棟梁は法隆寺大工の昔から、板図と言いますが、板に一本線(シングルライン)で間取りを書くだけで建築することができました。木造の柱梁の組合せを平面図だけで理解し、イメージできたわけです。
建築を立体的にイメージできるかどうかが最初の難関になります。恐れることはありません。模型であれば、例えば粘土を使って、作れるはずです。それに最近ではコンピュータの助けによって立体を扱うのは随分楽になりました。もちろん、間取りができれば建築ができるということではありません。空間は、人間の身体に例えると皮膚で覆われたその他の組織と書いたのですが、皮膚すなわち建築の表情やプロポーションを考える必要があります。人間の身体の大半は水だと言われますが、建築にとってそれは空間ということになります。水は自由に形を変えますが、空間も構造システムや設備システムに従って自由に形が変わります。逆に言えば、自由に形を考えることができるのが建築なのです。想像力と創造力が問われますが、自由に形をつくる楽しみが直観できるかどうかが鍵になります。
そこで、どのように建築全体をまとめるのか、これが建築学の課題になります。予め言い切っておいた方がいいのは、唯一の方法はないということです。建築は実に無数と言っていい要素から成り立つのですが、どの要素とどの要素を重視するかでその最終的な形は異なるのです。それぞれが自分の方法をみつける必要があります。そのためにはトレーニングが必要になります。建築学では、設計演習という形で、模擬的な課題に対してそれぞれが解答を試みることを繰り返します。そこに唯一の正解はなく、様々な視点から評価が行われます。本書では、それぞれの筆者が自分の評価する視点を示しているわけです。
誤解を恐れずに言いますと、建築を学ぶ手っ取り早い方法は真似をすることです。これが、すぐれた「建築家」になるための第三の方法になります。入門段階ではよく行われるのですが、著名な建築、評価の高い建築、あるいは自分の好きな建築の図面をトレースし、模型をつくってみることです。多くの建築を見て、実際に図面を書き、模型をつくる、その上で、その理由(理論的背景)を理解すればいいわけです。
最後にもうひとつ言っておきたいのは、建築にとって最も大切なのはスケール感覚だということです。ものの長さ、幅、奥行き、高さ、広さなどが人間の身体や活動に合わなければ、建築そのものが成り立ちません。大きすぎたり小さすぎたりすることをスケール・アウトといいます。スケール感覚を身に着けるためには、まず、指幅、歩幅、肘の長さ、両手を広げた長さ(尋)など、自分の身体寸法によって空間を測る癖をつけることです。あるいは物差し(最近はレーザー距離計)を持って歩くことです。
以上を念頭に本書を紐解いて頂ければと思います。
文責:布野修司
traverse編『建築学入門』目次
序 章 だれもが建築家である 布野修司
第1章 すべては建築である 竹山 聖
コラム1 旅と暮らしに宿るかけがえのない瞬間の経験 竹山 聖
第2章 建築は凍れる音楽である―建築論の世界 竹山 聖
コラム2 青井哲人
第3章 建築家なしの世界―原初の建築 布野修司
コラム3 身体寸法、スケール 田中麻里
第4章 建物は壊してはならない―歴史のなかの建築 山岸常人
コラム4 建築の見方、調べ方 山岸常人
第5章 さまざまな構造形式―構造設計の夢 大崎 純
コラム5 構造設計の夢 竹内 徹
第6章 模型を通じて力学原理を学ぶ 諸岡繁洋
コラム6 素材とかたち=構造 今川憲英
第7章 建築と環境―環境制御装置としての建築 小玉祐一郎
コラム7 「地球環境問題」と建築 小玉祐一郎
第8章 文化財の保存修理と活用 西澤英和
コラム8
第9章 作品としての都市―都市組織と建築 布野修司
コラム9-1 タウン・ウォッチングの方法―デザイン・サーヴェイの手法
脇田祥尚
コラム9-2 建築・都市と災害 牧 紀男
第10章 建築というプロジェクト―建築生産の世界 古阪秀三
コラム10-1 建築士という制度 平野吉信
コラム10-2 変質する重層下請構 造と労働災害死 古阪秀三
コラム10-3 タワークレーンはどのように立ち上がっていくのか、そして消えていくのか?
木本健二
コラム10-4? 建築基準法(敷地至上主義)の不具合 竹内 泰
あとがき
本書は、京都大学建築系教室を母体とする『traverse――新建築学研究』編集委員会を中心として編まれたものです。『traverse――新建築学研究』は 2000 年 4 月に創刊され、年刊で現在まで
15 号発刊されています。
その創刊の言葉は以下のように書きだされています。
「京都大学「建築系教室」を中心とするグループを母胎として、その多彩な活動 を支え、表現するメディアとして『traverse――新建築学研究』を創刊します。『新 建築学研究』を唱うのは、言うまでもなく、かつての『建築学研究』の伝統を引き継ぎたいという思いを込めてのことです。」
『建築学研究』の歴史は昭和の初期に遡ります。 日本の建築学の起源は、明治 10(1877)年に、工学寮(明治 6(1873)年開校) が廃止、工部大学校と改称され、英国人建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder, 1852-1920)が造家学科の教師として招聘された時点に遡ります。コン
ドル来日から 2 年後の明治 12(1879)年に工部大学校の第一回卒業生となった のが、辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵、佐立七次郎の 4 人です。その後、明治 18(1885)年に工部大学校は文部省に移り、翌 19 年には帝国大学工科大学と なります。このとき教授に就任したのが第一期生の辰野金吾です。明治26(1893) 年になると講座制度が定められ、造家学科には 3 講座が設けられましたが、講 座の内容が安定するのはもう少し後のことで、日本で最初の建築学の博士論文
* 1 を 書いて学位を取得した伊東忠太が教授に就任したのは明治 34(1901)年です * 2 。 最初の学位論文が建築史の論文であることは記憶されていいでしょう。その間、
明治 30(1897)年に帝国大学は東京帝国大学と改称され、翌 31 年 9 月には、 造家学科は建築学科と改称されます * 3 。東京帝国大学建築学科を中心とする日本の 246 247あとがき 建築学のその後の発達については、それぞれ調べてみてください
* 4 。 京都帝国大学に建築学科が創設されたのは大正 9(1920)年のことです * 5 。京都 帝国大学が設立されたのは明治
31(1898)年ですから、建築学科の創設は 20 年余り遅れることになりますが、東京帝国大学建築学科に互して数々のすぐれた 建築家、建築学者を輩出してきたことはよく知られています。この京都帝国大学
の建築学教室が発行したのが『建築学研究』なのです。 『建築学研究』は、1927(昭和 2)年 5 月に創刊され、形態を変えながらも 1944(昭和 19)年の 129 号まで出されます。そして、戦後
1946(昭和 21)年 に復刊されて、1950(昭和 25)年 156 号まで発行されます。数々の優れた論考 が掲載され、京都大学建築学教室の草創期より、その核として、きわめて大きな 役割を担った歴史的ジャーナルです。
『traverse――新建築学研究』は、志も高く、『建築学研究』を現代に引き継ご うとしたものなのです。現在は、若い学生たちに編集の主体は移行しつつあり、
さらなる展開が期待されています。 「建築学の研究範囲は、総ての学術の進歩に伴ひ、極めて広汎なものとなって
来た。その研究題目も微にいり細に渉って、益々広く深くなってきた。」と、す でに『建築学研究』の創刊の言葉に武田五一が書いています。領域の拡大と専門 分化はさらに進展しているのが今日の状況です。問題は、建築をめぐる大きな議
論をする場が失われつつあることです。この『建築学のすすめ』が、あらかじめ 限定された専門分野に囚われず、自由に建築を学ぶすべての人びとに手に取って いただけることを願っています。「traverse 編集委員会」という編者名にその初 心が示されています。
注
* 1 『法隆寺建築論』1901 年、東京帝国大学紀要。伊東忠太には、他に「法隆寺建築論」 (『建築雑誌』7(83)、317-350 頁、1893 年 11 月 28 日)がある。
* 2 その伊東忠太が歴史的意匠と建築史の第三講座を担当、中村達太郎が第一講座(建
築一般構造)、塚本靖がそれまで辰野金吾が担当していた第二講座(建築設計)を担 当した。
* 3 伊東忠太「『アーキテクチュ-ル』の本義を論じて 其の訳字を選定し 我が造家
学会の改名を望む」『建築雑誌』90 号、1894 年(『伊東忠太建築文献
』第 6 巻、龍 吟社、1937)。
* 4 布野修司「「建築学」の系譜、近代日本におけるその史的展開」『建築概論』建築学
体系 1、彰国社、1982 年 6 月 20 日。
* 5 武田五一、天沼俊一、日比忠彦、藤井厚二が早々の講座を担当した。
文責 布野修司
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