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2024年7月31日水曜日

国立歴史民俗博物館国際シンポジウム「アジアの都市─インド・中国・日本─ Cities in Asia:India, China, Japan」, 平川南,玉井哲雄,妹尾達彦,包慕萍,韓三建,仁藤敦史,モハン・パント,佐藤浩司,高橋一樹,大田省一,黄蘭翔,宮武正登,上野祥史,金東旭,国立歴史民俗博物館,研究棟大会議室,2011年12月3日~4日

 

                  国立歴史民俗博物館国際シンポジウム

 

           アジアの都市 ─インド・中国・日本─            

 

                      Cities in Asia : India, China, Japan

 

国立歴史民俗博物館 研究棟 大会議室

 

■12月3日(土)10:00~17:30

 

10:00~11:30

館長挨拶  平川 南

基調講演  玉井哲雄 日本都市史の構築 ──アジアを視野──

 

 

13:00~17:30

セッションⅠ 中国都城の都市世界  ──宮殿・儀礼空間と都市──

 

基調報告  妹尾達彦   都城の時代の誕生─7・8世紀の東アジア─

 報告1  包 慕萍   元の大都 

 報告2  韓 三建   朝鮮半島の都城

  コメント 仁藤敦史 

 

セッションⅡ インド文明の都市世界   ──寺院・宗教空間と都市──

 

基調報告  布野修司  「転輪聖王」の王都 ─曼荼羅都市の系譜─

 報告1   モハン・パント インド・ネパールの都市

 報告2  佐藤浩司   住宅・集落・都市

 コメント 高橋一樹

 

■12月4日(日)10:00~16:00

 

10:00~12:00

セッションⅢ アジア周縁の都市世界    ──インド・中国の周縁世界と都市──

 

基調報告  大田省一   インド・中国文明周縁世界の都市

  報告1  黄 蘭翔   台湾の亭仔脚(アーケード)

  報告2  宮武正登  日本城郭の「異端児」たち

 コメント 上野祥史

 

13:30~16:00

討論と総括

 総括   金 東旭

 

  全体司会 上野祥史

2024年7月30日火曜日

住宅建築400号記念「そして,『住宅建築』が残った・・・ヴァナキュラー建築の地水脈」,『住宅建築』,200808

  住宅建築400号記念「そして,『住宅建築』が残った・・・ヴァナキュラー建築の地水脈」,『住宅建築』,200808

住宅建築400号記念

そして、『住宅建築』が残った・・・ヴァナキュラー建築の地水脈

布野修司

 

前川国男(19869月)、大江宏(19896月)、天野太郎(19911月)、宮内康(199212月)、吉村順三(19977月)、三浦周治(19988月)、宮脇檀(19991月)、林雅子(20013月)、大島哲蔵(200210月)、藤井正一郎(20048月)、小井田康和(200610月)、石井修(200711月)、村田靖夫(20071月)を追悼し、自ら宮嶋圀夫(878月)、増沢洵(199012月)、浜口隆一(19953月)、みねぎしやすお(19985月)、神代雄一郎(20015月)、そして立松久昌(200311月)と6人の追悼文を平良さんは400号のうちに書いている。「戦後建築」を懸命に生きてきた人たちが次々に亡くなる中で、平良さんの健在が頼もしい。101号から200号まで編集長を務めた立松久昌さんがいないから、余計そう思う。建築ジャーナリズムが「消滅」してしまった現在、『住宅建築』は数少ない救いである。平良さんが編集長に復帰(20065月~)して、『住宅建築』は、やっぱり平良さんの雑誌なんだ、とつくづく思う。少なくとももう100号は平良さんに続けて欲しい。

『住宅建築』には、19844月号に「住まいにとって豊かさとは何か」を書かせて頂いたのが最初である。「戦後建築の初心」に戻って、「建築家は住宅に取り組むべきだ」と、大野勝彦、石山修武、渡辺豊和と四人で『群居』創刊号を出したのが丁度一年前であった。手作りのワープロ雑誌であり、比べるのも烏滸がましいが、『群居』は、2000年、50号まで出し続けて力尽きた(平良さんにアドヴァイスも受けたが、2000部で始めた雑誌はその予言通りじり貧になった)。

その後、「原点としての住宅-「大きな物語」の脱構築のために」(198811月)「「方丈庵」夢-原点としてのローコスト住宅」(199012月)など『群居』で考えたことを書かせて頂き、『住宅戦争 住まいの豊かさとは何か』(彰国社)をまとめることができた。創刊200号記念特大号には、京都に移ったばかりであったが、「座談会:200号まで来た」(布野修司・益子義弘+平良敬一・立桧久昌・植久哲男:199111月)には呼んで頂いた。

「建築思潮」という名前を貸して頂いた『建築思潮』創刊号(1992年)―これも5号(1998年)で終息してしまった―で「戦後ジャーナリズム秘史」と題してロング・インタビューを行ったことがあるが、その最後に平良さんは次のように言っている。

「僕は、建築家を主体とした歴史というより、ヴァナキュラーなものに興味がある。ポストモダンという中でも、ヴァナキュラーなものが取り上げられるでしょう。僕は、あれだけは大変興味ある。・・・・既成の、正統な建築史のフレームは、今崩壊しつつある。崩壊しつつある時にポストモダンがでてきたと僕は思う。それは一種の危機の表現だ。建築家だって増えてるでしょう。大衆化してる。前川、丹下どころじゃなくて何万人もいる。何万人か、何十万人か、建築や施工に携わる人たちがいるなかで、そういう人たちがどういう世界をつくるかというのに僕は興味がある。・・・」僕は、最近、ヴァナキュラーなものの本ばっかりやってる。おもしろいんだよ。戦後50年代のセンスはなかなか変わらないよ。二十代の経験は大事だよね。」

『住宅建築』は、はっきりと、現代のヴァナキュラーな世界とその(再)構築を目指している。キーワードは、地域であり、職人であり、技能であり、集落であり、・・・・・・・。平良さんは「批判的地域主義」ともいう。平良さんはこの間太田邦夫先生や鈴木喜一さんと一緒に随分世界を歩いている。『住宅建築』の大きな魅力のひとつは、「集落への旅」である。「日本の集落」(19761983年)、「中国民居(ミンチイ)・客家(ハッカ)のすまい」など「中国民居」のシリーズ(1987年~)から近年の「アジアの集落-その暮らしと空間」(2007年2月~)まで大きな軸になっている。また、「身近な歴史の再発見」「時代を超えて生きる」といった歴史を、近代を見直すシリーズが心強い。さらに、大工棟梁、職人、技能への視線が縦糸として通っている。そして、毎号紙面に登場する設計者とその作品群がひとつのワールドをつくりあげてきた。

「運動体としての『住宅建築』」(20056月号)と平良さんはいう。そして、神楽坂建築塾など若い人たちと協働することに熱心である。『国際建築』『新建築』『建築知識』『建築』『SD』『都市住宅』『店舗と建築』『造形』と戦後建築の歴史を刻む名編集長として知られる平良さんの最後で最長の雑誌が『住宅建築』である。その行き着いた地平は極めて重要である。この運動体のネットワークをどこまで拡げることができるかは、『住宅建築』とともに、建築界の大きな課題であり続けている、と思う。




2024年7月29日月曜日

建築が「文化」として共有されるには 居酒屋ジャーナル4,建築ジャーナル,200610

 居酒屋ジャーナル4

建築が「文化」として共有されるには

 

日本では、歴史的背景や文化性を配慮されず、建築は老朽化すれば壊されていく。建築保存運動も成功例はまだ少ない。建築の文化性を社会で共有するには、どんな視点が必要なのか。関西在住の建築家と識者4人が、つくる立場と批評する立場で議論する。

――今、コンピューターを駆使した、実体感のない建築が脚光を浴びています。大学教育の場で学生に対し、建築をどうとらえるべきかと教えられていますか。 

大学で何を教えるのか

 

松隈 学生には、時流ばかり追うのではなく、近代建築まで含めて「建築」を考えてほしいと言っています。私には、まだ近代建築の方法論が学問的にも共有化されていない、という反省があります。その手がかりとして、前川國男や、吉阪隆正、ルイス・カーン、アントニン・レーモンドなどに目を向けてきたわけです。

 近頃は、建築の保存運動ばかりやっています。建築の歴史的背景を顧みない「取り壊し」は、まったく生産性のない行為です。その現場に直面すると、建築が持つ文化性を、社会がどう考えているかがよく分かります。

 最近とてもショックだったのは、大手住宅メーカーが、吉阪隆正設計の大学セミナー・ハウス(東京都八王子市、1965)を取り壊して、RC造の宿泊棟を建て始めたことです。この建物は大学の共同施設で、名だたる大学の先生たちが共同運営しているわけです。そういう人たちですら、経済的な論理で「古い建物は使えない」という判断をする。こうした現実に対して、「違う」ということを訴えていかなければなりません。

布野 松隈さんは、そのことを他者のせいにしてしまうわけ?あなたの大学が企画した「前川國男建築展」は素晴らしいものだった。しかし、「前川の精神を生かしてどうすればいいか」ということが、今のあなたの話には欠けている。前川を祭り上げるだけでは意味がない。

横内 あの展示会は、決して建築家・前川を神格化したものではないですよ。建築家の職能というものが、きちっと図面を描いて、建物を長持ちさせることだ、ということを前川の仕事とを辿ることで示されていました。

――前川展も吉阪隆正展も、多くの学生がかかわっています。実際に設計図を読み解き、手と頭を使って模型をつくったことに、とても新鮮な感動を覚えたようです。しかし現実には、経済主導で建築は建てられていきます。前川、吉阪を学んだ学生は、社会に出て仕事を始めたとき、ギャップを感じるのではないでしょうか。

布野 そうした面で、大学は頑張らないとね。

 

建築の文脈に乗らずに

ものつくる

 

――ところで、関西の建築家には強烈な個性を持つ人が多いという話がありました。それは建て主側に、建築家を認める雰囲気があるからでしょうか?

横内 そんなことはないですよ。建築のマニアはむしろ東京の方が多いようです。ただ関西には古い建築が残っているので、みなさん、目が肥えています。だから変なものを出すと受けつけない。

永田 建て主が建築家を育てる、というのは大昔のこと。確かにかつては、建築家が、資産家の社長の美学を実現するために力を尽くすことがあった。しかし、今、関西の大金持ちには文化を理解する心などありません。飛行機内を見れば分かります。ファーストクラスに座っていてもスポーツ紙を読んでますよ。

布野 永田さんは、ぎりぎりいい時代を知ってるわけですね。

――私は、永田さんが設計したホテル川久(和歌山県白浜町、1991)が、あまり理解できないのですが。あの建築は永田さんの本意なんですか?

永田 何でも本意でつくってます。

布野 あれは、最高傑作ですね。村野藤吾賞も受賞した。3回も泊めてもらったからいうわけじゃないけど。

永田 私は、ポストモダンの線がどうだとか、建築に脈絡を持たせません。前川さんとか、磯崎新さん、槇文彦さんのような、何かラインの上にいるのではない。私は自由にやるだけです。大阪西成区に建つバラックに感じ入るようなところで、ものをつくっています。

横内 永田さんは、あえて建築史の上に乗っからないことが、スタンスじゃないかと思います。

布野 それは違うかな。歴史はだいたいでっちあげるもんだと思う。一人が書いたからそうなるということじゃないけどね。

横内 いいえ、歴史っていうのは、連続性や思想性といったことで語られるじゃないですか。永田さんはそこから外れて、ただ芸術としての建築の在り方を追求しているように感じます。大抵の建築家は自分の作家性を位置付けるために、いろんな理屈を考えるわけですよ。関西でいうと、村野藤吾にもそんなところがあった。

布野 建築家を社会的に位置付けるのは、評論家がやること。

横内 安藤忠雄もいろいろ書きますが、彼自身の建築の本質を自分で書くことはありません。渡辺豊和もすごい文筆家だけど、彼のつくる建築は言葉では説明できないでしょ。関西の建築家って、自分で説明しないというところを持っている。

布野 安藤は批判できる。しかし、布野は渡辺を代弁できない。彼の建築は言語化してしまうと簡単すぎる。

 

残るのは、「建築」か「活字」か

 

横内 結局、今から100年後のことを考えたら、その建築が残っていくかどうかということですよ。社会性とか歴史の連続性も含めて。

布野 文献しか残らない。

横内 ひょっとしたら、前川の建築でさえも残っていないかもしれない。そういう意味では、建築とは脆弱なものですよ。やっぱり理論武装しなければ、となる。

布野 前川は展示会をやったから、50年は寿命が延びた。

永田 現実には1000年も経てば、コンクリートの建築など、跡形もなくなっているでしょう。しかし大事なのは、「1万年残る」と思ってつくることです。そこにつくり手は何を託していたのか、ですよ。

布野 新宿の飲み屋で伊東豊雄や石山修武と飲んだとき、「建築か活字か、どちらが残るか」ということがよく話題になったた。  ただ活字の場合は、建築をつくることと違って、あまりお金を稼げない。教師なら物を書きつつ、学生を育てることはできるかもしれない。

永田 横内さんは以前、若い頃に磯崎新の建築を見学したときの話をしましたね。建物の裏側に回れば、張りぼてのように感じたと。彼ら著名な建築家たちは、たとえベニアにペンキを塗ったような建築を建てようが、新しい概念を引っ下げて登場している。その概念は、1000年を越せるかもしれない。

布野 1000年はオーバー。ベニアでいいなら、私も相当いい仕事してる。

永田 ところで、磯崎の大分県立図書館(大分市、1966)はどうなったの?

布野 建築家の本人が生きている間に保存の対象になった。

――彼の西日本シティ銀行本店(旧福岡シティ銀行本店、福岡市、1971)も含めて、図書館を横内さんは「ポストモダンかどうかは疑問」と首を傾げていましたね。でもあの建物をつくったことで、彼は有名になり、仕事が入ってくるようになった。

永田 彼自身が書いていることと、その建築が全然違うわけよ。

 ポストモダンなんて、私は全く意識しない。とらわれず柔軟に建築を見ていく。だから「よーし、磯崎でも何でも来い!」という姿勢ですよ。

 

<顔写真>

布野修司

永田祐三

松隈洋

横内敏人

 

<プロフィール>

ふの・しゅうじ|滋賀県立大学環境学科教授。1949年島根県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。京都大学教授を経て、2006年より滋賀県立大学教授。主な著書に『布野修司建築論集』『戦後建築論ノート』など

 

ながた・ゆうぞう|永田北野建築研究所代表。1941年大阪府生まれ。1965年京都工芸繊維大学建築工芸学科卒業。竹中工務店勤務後、1985年永田北野建築研究所設立。1993年村野藤吾賞受賞(ホテル川久)

 

まつくま・ひろし|京都工芸繊維大学助教授。1957年兵庫県生まれ。1980年京都大学工学部建築学科卒業。前川國男建築事務所勤務後、2000年より京都工芸繊維大学助教授。著書に『近代建築を記憶する』など

 

よこうち・としひと|横内敏人建築設計事務所代表。1954年山梨県生まれ。1978年東京芸術大学建築科卒業。MITに留学後、前川國男建築事務所勤務。1991年横内敏人建築設計事務所設立。2000年三方町縄文博物館で日本建築学会北陸建築賞



布野修司 履歴 2024年8月1日

 布野修司

20240801

履歴

 

住所 東京都小平市上水本町65

本籍 島根県松江市東朝日町23614

 

1949 810   島根県出雲市知井宮生まれ

 

学歴

1968 3   島根県立松江南高等学校卒業

1968 4   東京大学教養学部理科類入学

1972 4   東京大学工学部建築学科卒業

1974 3   東京大学工学系大学院修士課程終了

1976 4   東京大学工学系大学院博士課程退学

198712月   東京大学工学博士:学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究ーーーハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学,1987年),日本建築学会賞受賞(1991)

 

職歴

1976 5   東京大学助手(工学部)

1978 5   東洋大学講師(工学部)

1984 4   東洋大学助教授(工学部)

1991 9   京都大学助教授(工学部)京都大学大学院工学研究科担当

1996 4   京都大学助教授(大学院工学研究科)京都大学工学部兼担

生活空間学専攻 地域生活空間計画講座

20034   京都大学助教授(大学院工学研究科)京都大学工学部兼担

建築学専攻 生活空間設計学講座

      京都大学東南アジア研究センター学内研究担当 20042005

20054   滋賀県立大学大学院環境科学部教授(~20123月)

滋賀県立大学評議員(2009年)環境科学部長(2009420123

副学長 理事(研究・評価担当)(20124月~20153月)

 20154月  日本大学特任教授 生産工学部建築工学科(~20203月)

 20204月  日本大学客員教授 生産工学部建築工学科(~2025年)

        北京工業大学客員教授(201510月~) 建築輿都市規劃学院

        西安工程大学特任教授(201810月~)

 

        滋賀県立大学名誉教授

        日本建築学会名誉会員(2022年~終身)    

 

非常勤講師等

1978年前期   和光大学「都市空間論」

 1986年前期   武蔵野美術大学「東南アジアの住まい」  

 1987年通年   東京経済大学大学院「東南アジア社会論」

 199396   神戸芸術工科大学「住宅の生産      

  199495   京都精華大学「都市計画」

  19947   広島大学「環境工学特別講義」「東南アジアの居住環境」

  19967   奈良女子大学大学院集中講義

  199604   京都造形大学大学院「環境デザイン特論」

  199799   京都精華大学「都市計画」

  199798   広島大学客員助教授

  1998       近畿大学文芸学部集中講義「世界建築史」

  199900   神戸大学非常勤講師「まちづくり論」

 200001   国立民族学博物館共同研究員

 2004年    名古屋大学大学院環境学研究科

 200607    京都大学大学院文学研究科非常勤講師「アジア都市論」

 2006年~   総合地球環境学研究所共同研究員

 2010年~   台湾大学『美術史研究集刊』編集委員会委員

 201617年  島根短期大学客員教授

201721年 23年~   放送大学 面接授業 前期「アジアの都市と建築」(2020前期休校COVID19) 後期「世界住居誌」

2021年 名古屋造形大学 住居論 山本理顕+布野修司 4回

 

資格・受賞

一級建築士(第94445):1975

 

日本建築学会賞論文賞:1991 『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究ーーーハウジング計画論に関する方法論的考察』(学位請求論文,東京大学,1987年)

日本都市計画学会論文賞:2006年 『近代世界システムと植民都市』(京都大学学術出版会,2005年)

日本建築学会賞著作賞:2013年 布野修司+韓三建+朴重信+趙聖民『韓国近代都市景観の形成ー日本人移住漁村と鉄道町ー』(京都大学学術出版会,2010年)日本建築学会賞著作賞:2015年 布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン『グリッド都市ースペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』(京都大学学術出版会,2013年)

 

中国国家出版局優秀科技図書賞受賞:1998年 布野修司+京都大学亜州都市建築研究会『日本当代百名建築師作品選』(中国建築工業出版社,北京,1997年)

日本図書館協会選定図書

『戦後建築論ノート』,相模書房,1981

『廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集』(彰国社,1998年)

『都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集』(彰国社,1998年)

『国家・様式・テクノロジー・・・建築のアジア,布野修司建築論集』(彰国社,1998年)

・日本建築学会編『作法と建築空間』(彰国社, 1990年)(全国学校図書館協議会選定図書)

 

学会活動

19841989  日本建築学会建築計画委員会委員

19841995  日本建築学会東洋建築史委員会委員

19861991  日本建築学会関東支部計画委員会委員

19862000  日本建築学会集合住宅小委員会委員

19871989  日本建築学会『建築雑誌』編集委員会幹事

19921994  日本建築学会建築計画委員会委員

19921994  日本建築学会建築経済委員会小委員会

19922008  日本建築学会アジア建築交流委員会委員

19931995  日本建築学会『建築雑誌』編集委員会委員

19951997  日本建築学会近畿支部常議員

19971998  日本建築学会設計競技事業委員会

19971998  日本建築学会設計競技事業委員会近畿支部委員

19971998  日本建築学会特別検討課題委員会委員「安全と安心のパラダイム」

19971999  日本建築学会評議員

19981999  日本建築学会論文奨励賞選考委員

19992000  日本建築学会優秀卒業論文等選考委員

19992001年 日本建築学会第三世界都市・住宅特別研究委員会委員

19992001年 日本建築学会都市防災WG委員

20002001年 日本建築学会賞作品賞審査委員

20012002年 日本建築学会作品選賞選考委員

20012003年 日本建築学会理事

20012003年 日本建築学会会誌建築雑誌編集委員長

20012006年 日本建築学会アジア建築交流委員会委員長

20012006年 日本建築学会国際交流委員会委員

2002          日本建築学会設計競技全国審査部会審査委員

2003年~      日本建築学会学術レビュー委員会委員

20052007年 日本建築学会賞(業績賞)委員会委員長

20052007年 日本建築学会英文論文集(JAABE)委員会(Field Editor

20062010年 日本建築学会建築計画委員会委員長

 20082010    日本建築学会学術推進委員会拡大幹事

20082010年 日本建築学会社会ニーズ対応推進委員会委員

20092012    日本建築学会建築教育認定事業委員会委員

20112013    日本建築学会副会長/学術レビュー委員会委員長/支部長委員会委員長

201317    日本建築学会建築討論委員会委員長/学術レビュー委員会委員

20226月~      日本建築学会名誉会員

 

日本学術振興会

20012003年 特別研究員等審査会専門委員

2002年    科学研究費委員会専門委員

2004年    科学研究費委員会専門委員

2005年    科学研究費委員会専門委員

20102012年 特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員

2013    科学研究費委員会専門委員(第二次審査)工学部会

2014    科学研究費委員会専門委員(第二次審査)工学部会幹事

20158月~20177月 特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員・書面評価員

文部科学省 科学技術政策研究所

20052006年 科学技術動向研究センター専門調査員

 

公的活動: 団体名,審議会・委員会名,役職(委員長/幹事/委員など)

19912000年 島根県出雲市まちづくり景観賞委員会委員長

1992年    滋賀県自治体研修センター設計競技審査委員

19921995年 建築文化・景観問題研究会,建築技術教育普及センター,建設省

19941998年 滋賀県景観審議会委員

1993年             島根県加茂町文化センター(ラメール)設計競技審査委員長 

1993年             島根県立博物館設計競技審査委員 

1994年             京都市グランドヴィジョン設計競技審査委員

1994年             島根県川本町悠々ふるさと会館設計競技審査委員 

1994年             島根県美保関町七類メテオプラザ設計競技審査委員長

19942008年 しまね景観賞審査委員会委員

1995年             島根県鹿島町体育館設計競技審査委員長 

1995年             兵庫県宝塚市花の道再開発設計競技審査委員 

1996年             高知県佐川町研修施設設計競技審査委員長 

1996年             島根県出雲市地域交流センター設計競技審査委員長  

1996年             鳥取県砂丘博物館設計競技審査委員 

19962006年 島根県環境デザイン検討委員会委員

19962000年 島根県景観審議会委員

19982008年 宇治市都市計画審議会会長

19992000年 京都市公共建築デザイン指針検討委員会委員

2000年          島根県松江市警察署設計競技審査委員長 

20012002年 京都市発注方式適正化研究会委員

20012007年 文化庁:アジア太平洋文地域化財建造物保存修復協力委員会委員

20022005年 宇治市都市景観審議会委員

2003               財務省:PFI方式による公務員宿舎枚方住宅整備事業に係る審査委員会委員

20032004年 未来工学研究所社会基盤分科会委員

2004         大阪府警察寝屋川待機宿舎建替等整備事業に係る選定事業者審査委員会委員

2004年    京都市景観に関する規制誘導方策検討委員会委員

 2005年    大阪府警察金岡単身寮整備等事業に係る選定事業者審査委員会委員

20052010年 国際技能振興財団専務理事

20052007年 淀川河川事務所塔の島地区河川整備に関する検討委員会委員

 20052015年 淀川水系宇治川河川利用委員会委員

 20052010年 大橋川周辺まちづくり検討委員会(副委員長)

2006年    米原駅東口周辺まちづくりビジョン策定委員会委員

20072010年 滋賀県建築士会顧問

20072014年 滋賀県入札監視委員会委員

20072008年 国土交通省「建築・まちなみ景観形成ガイドライン」検討委員会委員

20072008年 大津地方合同庁舎整備等事業有識者等委員会委員

2008年~   国際居住年記念事業運営委員会

2008年~     文化庁:文化遺産国際協力コンソーシアムJCIC-Heritage委員(東南アジア・南アジア分科会 2018年~ 分科会座長)
2009年   米原市まちづくり交付金事後評価委員会委員

2009年    島根県「遣島使」 

2009年    滋賀県コンベンション誘致推進有識者会議

20112015年 近江八幡市入札監視委員会委員

2012年    米原駅東口周辺まちづくり事業プロポーザル審査委員会委員長

2012年    滋賀県新生美術館基本計画検討委員会委員

2012年    第58回大阪建築コンクール審査委員

20122015年 小江戸ひこね町屋活用コンソーシアム副会長

20122013年 滋賀県産業支援プラザ評議員

20122015年 守山市守山中学校改築設計者選定委員会委員長・同建設委員会委員長

2013年    滋賀県新生美術館懇話会委員

2013年    守山市環境モデル都市研究会参与

 2013年    守山市環境未来都市計画策定協議会会長

2013年    守山市もりやままるごと活性化検討委員会委員長

2013年    守山市文化振興基本方針策定委員会委員長

2013年    守山市立図書館整備基本計画検討委員会委員長

2013年    守山市浮気保育園園舎改築設計者選定委員会委員長・守山市浮気保育 園園舎改築建設委員会委員

 20132014年 高知県建築文化大賞審査委員会委員長

 2013年    千葉県鋸南町小学校改築工事設計者選定委員会委員長

2013年    滋賀県湖南市入札監視委員会委員(~2015年)

2014年    滋賀県新生美術館設計者選定委員会委員長(公募プロポーザル部会長)

 2015年    高知県建築文化大賞審査委員会委員長

2015年    守山市立図書館改築基本・実施設計プロポーザルコンペ審査委員長

2015年    キルコス国際建築設計コンペティション2015 審査員

2016年    守山市立図書館改築建設委員会委員長(~2019年)

2021年    野洲市民病院整備運営評価委員会委員 建築部会部会長(1月~3月)

2021年    野洲市民病院整備運営評価委員会委員 建築部会部会長(4月~223月)

202122年  隠岐の島町西郷港周辺地区デザインコンペ審査委員 

2022 年    第69 日本大学全国高等学校建築設計提案

02426年  隠岐の島町都市再生デザイン会議委員