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2023年8月17日木曜日

東日本大震災復旧復興支援部会・連続シンポジウム第二回報告,復興の原理としての法,そして建築,建築雑誌201209

 東日本大震災復旧復興支援部会・連続シンポジウム報告

復興の原理としての法、そして建築」 

復旧復興支援部会部会長 布野修司

復旧復興支援部会の発災後1年間の活動については、1周年記念シンポジウムで報告[i]した通りであり、また、本誌9月号「研究年報」においても、その概要はまとめられているところである。2012年度については、北上復興ステーションと15チームの調査研究活動を軸として支援活動を展開しつつあるが、活動の全体と復興計画の方向性を見据えた議論を深めるために連続シンポジウムを行ってきている。本稿では、「復興の原理としての法、そして建築」と題して2012323日に開催したシンポジウムについて報告したい。

『朝日新聞』(○月○日)でその概要が取り上げられるなど反響は大きく、『法学セミナー』(日本評論社)2回(20127月号、8月号)にわたって、その議論の詳細がまとめられた。建築学会が憲法学者を招いてシンポジウムを開催するのは,初めてのことではないかと思う。以下に、経緯、概要と共に、その骨子を記録しておきたい。 

シンポジウムの主旨、目的は次のようである。

「本シンポジウムは、震災からの復興という場面で、どのような過程に基づく、どのような内容の意思決定がなされねばならないか、また、どのような「建築」がなされねばならないか、を考察することを課題とし、建築家・建築学者と法学者との対話を通じて、この課題にアプローチすることを目的とするものである。」

 すなわち、ストレートに言えば、復興の原理としての法、拠って立つべき法的根拠を明らかにしたい、ということである。シンポジウムは2部構成。第1部は「公共建築と民主主義」と題して、「大震災後、「建築」と「意思」の再構築が迫られている。個々の建物はもちろん、街全体、さらには、土地そのものが破壊された中で、私たちは、そこに何を「建築」すべきなのか。また、そのための「意思」はどのように造られなくてはならないのか。このような問題を考えるためには、あきれるほどに根本的で抽象的な問題群を考えなくてはならない。そこで、まずは、公共建築、そして、そのための意思決定、民主主義のありよう、その現状について、考えてみたい。」という主旨で、山本理顕が基調講演、パネリストのコメントを求めるスタイルをとった。第2部は、「地域社会圏・復興のための住宅・プライバシー」と題して、「大震災からの復興のためにやらなくてはならないことは、山ほどある。漁船、港、畑といった産業インフラ、道路や橋、上下水道などの都市インフラの復興はもちろん、町や村などの地方公共団体それ自体を0に近い状態から復興させなくてはいけない地域もある。そういう意味で、復興のために議論しなくてはならない「各論」は、あまりにも多い。ここでは、「復興のための住宅」というテーマで「各論」を展開してみたい。」という主旨で、住宅の問題に絞って議論を展開した。 パネリストは、山本理顕(建築家)、松山巖(小説家・評論家)、内藤廣(建築家)、駒村圭吾(慶應義塾大学・憲法学)、 石川健治(東京大学・憲法学)、モデレートしたのは、気鋭の木村草太(首都大学東京・憲法学)である。総合司会は、復旧復興支援部会の宇野求(建築家・東京理科大学)幹事が務めた。

 議論は極めて興味深い展開となった。

 山本理顕の基調講演は、仮設住宅地の空間構成のあり方を指摘する中で、日本の住宅政策の歴史に遡り、さらに「1家族1住宅」というわかりやすいフレーズで指摘できる日本の空間編成の原理を全体として問うものであった。その主張は『地域社会圏モデル』(2010年)『地域社会圏主義』(2012)にまとめられており、少なくとも私にはよく理解でき、大いに共鳴するところであるが、その基底にあるのは、建築家の役割であり責任についての使命感である。

 憲法学を担う石川、駒村のコメントは実に刺激的であった。単に無知であっただけと言えばそうであるが、憲法学は構築の学として建築学として実に似ているのである。多くのタームを憲法学と建築学が共有しているというのは遅すぎる発見であった。山本理顕が持ち出したノモスnomos(法)とその語源であるネメインnemein(分配、配分、所有)をめぐっては、憲法学における議論の圧倒的な積み重ねの歴史があった。問題の所在が瞬時に整理されるのは驚きでもあり、眼から鱗の爽快感さえ得ることが出来た。

問題は、空間の編成の問題である。

誰が、その権利をもち、どういう秩序を編成するのか、が問題なのである。

焦点となったのは、プライバシーという概念である。プライバシーの概念は、私と共同体、国家の関係に関わって、空間の編成に大きく関わる。完全に議論は同じ土俵で展開しうる、これはとてつもなく大きな発見であった。

パネル・ディスカッションは、従って、真に白熱したものになった。

ひとつは、空間の秩序が憲法論の中で位置づいているかどうか、という問題である。近代法学のカテゴリーとしては、「人」と「物」しかないというのは決定的である。空間の論理を如何に社会化するか、建築学の基盤として空間の編成の問題を如何に法的に担保しうるのかは、実にわれわれの存立根拠に関わるのである。

もうひとつは、国家と空間編成の主体の問題である。復興計画を立案し、実行するのは国家なのか。復興計画の主体は基礎自治体であるとするが、国家や都道府県の憲法学的位置づけはどうなるのか。

さらに、既に基調講演をめぐって議論になったが、地域コミュニティとプライバシーと国家の関係はどうなるのか。

プライバシーの問題は、復興計画に限る問題ではない。社会のあらゆる局面にプライバシーをめぐる議論が関わっていることが明らかになったように思う。当然の確認であるが、それを確認することによって、繰り返し浮かび上がるのが建築家の職能の問題である。本シンポジウムで提起されたなかで建築界が受け止めるべきなのは、「文化専門職」をめぐる議論である。「文化専門職」とは何か。建築家は「文化専門職」たりうるのか。これについては千里とは言わないけれど、経庭があるように思った。そして、もうひとつ、わが国の憲法学が大きな枠組みの中で論点のみを緻密化せざるを得ない状況にあることは、よく理解できた。

詳細な議論は『法学セミナー』に委ねたい。

地べたを這うような復興支援活動に取り組みながらも、大きな問題提起をすべきではないか、できるのではないか、というのがシンポジウム全体から私が受けたアジテーションである。



[i] 布野修司「復旧復興支援活動―東日本大震災復旧復興支援部会の活動(2011.09.1120120311)」東日本大震災1周年記念シンポジウム,201231




















八束はじめ 『スラバヤ』読後感 応答

 布野さん


『スラバヤ』読了させてもらいました。
大著なので読み通せるかどうかと思いながらページを紐解いたのですが、
結局一日50ページづつという読み方で、読了に漕ぎ着けました。

いやはや、エンサイクロペディア的なお仕事ですね。巻末の方に布野さん
のこれまでの軌跡が記されており、感服しながら読ませてもらいました。
僕らのやってきたことは互いに随分と距離がありますが、それでもなるほどと
いわせないではおかないテクストでしたね。
『汎計画学』(読めよという圧力を感じないでいいですから)が、広大とは
いってもロシア一国の、それも十数年のことしか扱っていないのに、『スラバヤ』
は、ほとんど地球と歴史の三分のニくらいはカバーしているのではないでしょうか?

これを読んでからだったら、先だっての『世界建築史』の講話は話しにくかった
かもしれませんね(布野さんはどう思って聞かれていたのでしょう?)。
とはいえ、他の話し方はできなかったでしょうが。

まさか我々の最初の欧州旅行に絡むアムステルダム派の話から大東亜共栄圏まで
広がっていくとは予想もできませんでした。エンサイクロペディアたる所以ね。
布野さんの異分野からの共同研究者の方々もそんなには広がらないのでは
ないでしょうか?布野さんの研究者生活の精華ということでしょうか?
研究者魂みたいなものを感じましたよ。天晴れというべきか。

僕は植民地に関しては、北アフリカ(モロッコ、アルジェリア)、ベトナムなどの
旧仏領や日本の大陸進出は多少調べたことがありますが、布野さんのフィールドとは
あまり重なりませんが。芝浦では、この本でも引用されている畑聡一先生とは仲が
良かったこともあり、彼の研究室の人たちの(ほぼラオスとタイ)仕事は見ていたり
修論の副査をしたりしていたし、インドネシア(バンドン工科大学)からの留学生と
付き合っていたこともあるので(今はそこで教えているアースウィン君ー大変優秀
でした)、少しだけ接点はあるのかもしれません。アースウィン君はカンポンの生活
みたいなのをプレゼンしてくれましたが、コンピュータで街並みのスタディをする
とか博論も空間体験をデジタライズするとか新時代の研究者です。

あと、昔オーストラリアの建築家及び造園家の協会の大会(於タスマニア)に呼ばれ
た時に、老齢のオランダ人の建築家(名前は覚えていません)が来ていて、南太平洋
では大物だったらしい、とか、そういえば、レム・コールハースの父親はインドネシア
にいて(レムはそこで生まれた(、終戦後独立運動に加担したとかいう話は知っていま

が、布野さんのお仕事から見れば残り香程度の物ですね。

ご存知かもしれませんが、原研に席を置いていて、博士を取りながら僕の研究室でも
リサーチアシスタントをしてもらっていた田村順子さんという人がいて(現明治)、
『ハイパーデンシティ』(2011)で軍艦島と九龍城砦の記事をやってもらいました。
彼女はこういう集落をモデル化することに関心を持っている人で、本当は国連とかで
リサーチをしたいといっていました(メタボリ・グループなどのリマのコンペの
後日譚を調査したりもしていた)。僕の教え子で豊橋技術大学で教えている水谷君
というのが、上記のアスウィン君や田村さんと一緒に作業をしていました。デジタル仲
間みたい。

ちなみにカンポンの改善事業で、コアハウスという手法は僕にはメタボリズムを思わせ

ものがありました。面白いですね。強いていえば、この辺の事柄はもっと詳しく載せて
欲しいという気はしました。知っている人たちには十分かもしれないけど、知らない
人間には、小さな図や写真だけでは分かりにくいのです。例えばP.434の改善前と後の
比較写真では、あまり違いが分からない。綺麗になったかな、というくらい。

でも全体として感銘深い本でしたよ。お礼を言います。また話しましょう。

八束

八束さん

 『スラバヤ』丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。
 また、話す機会があれば、ゆっくり説明したいと思いますが、これまで、京都大学学術出版会から出してきた『近代世界システムと植民都市』『曼荼羅都市』『ムガル都市』『大元都市』『グリッド都市』など10冊の本の大半は、学術振興会JSPSの研究成果公開促進費(出版助成 学術図書)の助成を受けて出版したものです。助成を受けるに当たっては、審査があり、「学術書」に相応しい組立て、起承転結、テーマ立ての階層性がチェックされます。『スラバヤ』は、序に書いたつもりですが、その規範を破る試みでした。よく通ったと思います。
 現在、「学術書」としては最後になるであろう『アジア海域世界の港市 異文化共生の原理』を書きあげ、お盆明けに助成申請をしようとしています。昨日書き上げた計画書添付します。最近は、見積書などとともにほぼ完成原稿(PDF提出)を求められます。

 『汎計画学』は、もちろん、読ませていただきます。ただ、以上の他に何冊か抱えており、しばらく時間ください。
 ロシア革命史をおさらいしながら読もうと思いますが、アメリカ篇のことを想うと、基本的に資本主義論、資本主義の未来をめぐって読むことになるとおもっています。経済学は苦手で、敬して?(よくわからんと)遠ざけてきましたが、最近のマルクス再評価と重ねて読むことになると思います。

 布野が東京に帰って八束さんと学会で行った連続セミナー?はまとめてあって、出版社に持ち掛けたことがあるのですが、フォロー、プッシュするのを怠るうちに、立ち消えになりつつあります。
 『汎計画学』をめぐって、対話のようなことができればと思っています。

布野さん

お誕生日、お互いにおめでとう(たくはないか?)。

まだまだ書くのね(笑)?大したものです。負けそう。

経済学は、理論経済学は要するにモデル議論なので面白いです。
実態の経済は断ち切るというのが凄い。
昔はあれほど退屈な学問はないとか毛嫌いしていましたが。

学会誌の絡みで15講にも登場した江本弘さんにインタビューされることに
なりました。15講の議論と『汎計画学』を束ねた議論になるといいなと
思っています。
青井さんのいう「モンスター」の知見との交わり、なかなか楽しみです。

ただ、30年以上の友人だったジャン・ルイ・コーエンが急死して
いささか気落ちしています。ハチだかあぶだかに刺されてショック
らしいけど、彼は布野さんと同じ歳よ。
知らなかったのだけれど、彼のお父さんはレジスタンスのレジェンドで、
お母さんはアウシュヴィッツの生き残りだったらしく、驚いています。

ちなみに、彼には、前妻のモニック・エレーブ(住宅の専門家、社会学的な人)
との共著で「カサブランカ」という植民都市の研究書があります。
いい本ですよ。ちなみに「みかん組」のマヌエルはこの二人の弟子だったらしい。

八束


2023年8月16日水曜日

パダン歴史地区文化遺産復興支援報告書、Shuji Funo,Yasushi TAKEUCHI et al (2009),Report to UNESCO Jakarta, Damage Assessment on Cultural Heritage in West Sumatra,National Research Institute for Cultural Properties, Tokyo,December 2009

Shuji FunoYasushi TAKEUCHI  et  al (2009)Report to UNESCO Jakarta Damage Assessment on Cultural Heritage in West SumatraNational Research Institute for Cultural Properties TokyoDecember 2009

パダン旧市街の歴史的街並み復興計画のための指針および行動計画

Some Recommendations toward the Rehabilitation Programs and Action Plan of Historical Landscape in Kota Lama Padang

都市景観(歴史的文化遺産)の継承と地域コミュニティの再生

Conservation of Urban Landscape (Historical Cultural Heritages) and Revitalization of Community Lives

日本専門家チーム

布野修司(滋賀県立大学)

竹内泰(宮城大学)

 

Ⅳ 復興地区計画のための指針と行動計画

 都市全体のマスタープラン、都市構造に関わる計画については別として、ここでは市街地の復興、地区レベルの復興について、街並み景観を文化遺産として捉える視点から、その指針、理念と具体的行動計画をまとめてみたい。

  震災復興については、住民の生活再建が第一である。そのためには住居に大きな被害を受けた住民については、早急に居住のためのシェルター(空間)が用意される必要がある。今回の調査では、詳細なデータは得られていないが、被災した住居に自力で応急措置を加え、そのまま住み続けるかたちが数多くみられた。完全に倒壊した住居の場合は、居住者は血縁地縁を頼って一時避難するかたちがとられており、パダン市内においては応急仮設住宅はほとんどみられない。被災建物にそのまま住み続ける住民に対しては、まず、安全・安心、快適な生活のための措置を講ずる必要がある。また、一時避難をしている層に対しては住宅再建のための道筋を講ずる必要がある。いずれにしても、従前の生活を従前の居住地で展開できるようにする生活再建プログラムが出発点である。実際、調査期間中においても日々住宅再建が行われ、被災地の景観は日に日に変わりつつある。

 

1 指針

1 コミュニティ主体の復興計画

復興を全て公的な援助に頼ることはできないし、財政の問題もあって現実的ではない。しかし、被災者が自力で復興に取り組むには限界があるし不可能である。また、こうした復興をすべて自助にゆだねることは公的責任の放棄である。ただ、国、自治体が各個人の、また各地区の事情や要求に細かく対応することができないとすれば、復興計画の主体として考えるべきはコミュニティであり、コミュニティによる共助がベースとなる。パダンのアーバン・コミュニティにはそうした相互扶助の精神と仕組みが維持されている。

2 参加による合意形成

 復興計画の立案、実施に当たっては地区住民の参加が不可欠である。計画に当たっては様々な利害調整が必要であり、地区住民の間で合意形成がなされなければ、その実効性が担保されない。コミュニティは、地区住民の参加による合意形成をはかる役割を有している。

3 スモール・スケール・プロジェクト

合意形成のためには、大規模なプロジェクトはなじまない。身近な範囲で復興、居住環境の改善をはかるためには、小規模なプロジェクトを積み重ねるほうがいい。

4 段階的アプローチ

すなわち、ステップ・バイ・ステップのアプローチが必要である。実際、被災地では、様々な形で自力で復興がなされつつある。個々の動きを段階ごとに、一定のルールの下に誘導していくことが望まれる。

5 地区の多様性の維持

地区に地区の歴史があり、また、住民の構成などに個性がある。復興計画は、地区の固有性を尊重し、多様性を許容する方法で実施されるべきである。すなわち、市全体に画一的なやり方は必ずしもなじまない。

6 街並み景観の再生:都市の歴史とその記憶の重要性

地区の固有性を維持していくために、歴史的文化遺産は可能な限り復旧、再生すべきである。阪神淡路大震災の場合、被災した建物の瓦礫を早急に廃棄したために、町の景観が全く変わってしまった地区が少なくない。都市は歴史的な時間をかけて形成されるものであり、また、住民の一生にとっても町の雰囲気や景観は貴重な共有財産である。人々の記憶を大切にする再生をめざしたい。

7 コミュニティ・アーキテクトの活用

復興地区計画のためには、コミュニティ住民の要望を聞いて、様々なアドヴァイスを行うまとめやくが必要である。既に、地元大学の教官と学生たちが現地にオフィスを開いて住宅相談にのるヴォランティア活動を行う例が見られるが、そうした人材を各地区に配置する仕組み、援助の仕方が望まれる。

これからはスクラップ・アンド・ビルドだけではなく、建物の寿命を伸ばすことが必要だとされる時代である。建設資材の再利用を積極的に行い、補修、再建技術の蓄積を行うべきであったという反省もある。

 

2 行動計画

 以上のような指針も、具体性を欠いては意味がない。問題となるのは、予算であり、人材である。以下に、しかし、できることから一歩ずつ進めるというのが以上の指針である。以下に、パタン旧市街の復興計画についていくつかの具体的行動計画を示したい。

ここで復興計画の主体として念頭に置くのは、パダン市など自治体とコミュニティ組織であり、中央政府の各部局がそれをサポートする体制である。それらが立案する以下の行動計画を、UNESCOなど国際機関、文化遺産国際協力コンソーシアム、JICAなど各国政府機関、NGOグループ、国際ヴォランティア・グループ、インドネシアとの大学間交流など様々なレベルの協力体制が支える、というのが前提となる理想的なスキームである。また、行動計画を提案するのは、旧市街でも、具体的に焦点を当てているのは、今回調査を行った歴史的建造物が集中するバタン・アラウの周辺地区である。

 

A 緊急対策

    住宅修復・再建技術基準・マニュアルの作成:住宅補修・修復・再建の方法について、基準を早急に検討し、わかりやすいマニュアル書をいくつかの事例を含めて作成(画一的な手法ではなくオールタナティブを示す)、被災居住者とともに建設関連業者にアピールし周知徹底することが必要である。特にレンガ造建物の補強が必要である。日本はレンガ造建物は採用してこなかったこともあって、その補強方法についての経験はほとんどないが、いくつかの方法について提案することは可能である。住宅補修・修復・再建の手法は、単に、応急的対応だけではなく、建物を維持管理していくためにも恒常的なシステムとしても必要とされる。補修・修復の現場施工グループが組織されることが、将来の街並み景観の維持システムにもつながる。住宅補修・修復・再建は、経済対策ともなりうる。至急、住宅補助の制度を実行に移す必要があるが、可能であれば①の住宅改善指針の徹底とリンクするのがベストである。

    重要歴史的建造物のモデル復元:震災後に復元すべきとされる7つの重要建造物のなかに、街並み景観に関するものとして、ショップハウスRukoが2軒(Bola DuniaEs Kompto)含まれている。この復元を①のモデルケースとすることが推奨される。これまでの建築文化を継承しつつ、構造的検討を加えた新しい型の創出を目指す。

   景観形成地区の制定と建景観築ガイドラインの作成:①②とともに、また先立って、各地区の将来像を描く必要がある。パダン市は1998年に、市条例として街並み景観の保存維持することを定め、具体的な地区(バタン・アラウ、カンポン・ポンドック、パサ・ガダン)を挙げている。しかし、具体的なアクションを起こしてきてはいない。まず、重要景観形成地区を指定し、その地区について、街並み景観に関わる高さ、形態、使用建材などについて緩やかなガイドラインをもうけたい。また最低限の建築規制を法制化(高さ、構造基準)したい。

   地区の景観イメージの作成:中長期計画にとって、必要とされるのは地区の将来イメージであり、その方向性については可能な限り早期に合意形成する必要がある。指針の1 コミュニティ主体の復興計画2 参加による合意形成を展開したい。また7 コミュニティ・アーキテクトの活用を考えたい。

 

B 中長期計画

    被災指定歴史建造物の積極活用:②には含まれないけれど、国のレベルで歴史的文化遺産として指定された建造物の多くが被害を受けている。こうした建造物については、復元そのものを目指すのではなく、コンヴァージョンも含めた様々な保存活用が図られるべきである。例えば、バタン・アラウ沿いには多くの被災建物があるが、ウォーターフロントを生かした再開発の潜在的可能性は大きいと考えられる。

    共同建替、地区再開発の検討:比較的余裕のある住民の中には震災によって、移住を決断し、宅地を手放すケースが既に見られる。土地および住民の流動化によって、地区が大きく変化していく可能性がある。また、一方、集合住宅や連棟のショップハウス(店舗併用住宅Ruko)の場合、合意形成に時間を要して、復興が進まないことも想定できる。区画整理、土地のころがしRollingシステムによる宅地の共同化など新たな手法も含めて、パダン市の新たな景観資源、文化遺産となるような地区計画を考えたい。そのためには、例えば、ショップハウスなどいくつかの建築類型についてプロトタイプを設計し、そのビルディング・システムの開発を行う必要もある。

  世界への発信:生活再建のために、住宅再建から開始される復興計画であるが、鍵となり、目標となるのは、地区の持続的な活性化である。歴史的遺産を多く有するパダン旧市街の復興はそれ自体国際的な関心であり、復興過程そのものも国際的に注目されている。ミナンカバウをはじめ多くの民族が居住し育ててきた都市をどう復興するかどうかは、パダン市のみならず、西ジャワ州政府、インドネシア政府にとっても、国のアイデンティティに関わる極めて重要な課題である。復興計画によって、その方法と過程そのものが他のモデルになるよう期待したい。

 


 

大腸癌 Xelox療法 3度目 点滴

 2023年8月14日

 4:30起き 旅人と絃の朝食サラダ(レタス+トマト+ベーコン)をつくって仕事。科研出版助成、希望のコミューン・・・

 6:00に朝食

 6:30過ぎに歩いて、西国分寺へ、バスで東京都多摩総合医療センター着。7:15に着いて、早すぎた。7:30に受付番号 8:00再診Card→呼出し機器入手

 即、血液検査。

 受付12 消化器内科 8:30受付 血圧測定 問診票記入 保険証が切れていて、本日は免除ということに。

 8:40 問診(女性医師) 8:50 大塚英男主治医 診断 血液検査で副作用問題なし。

    9月4日、25日 予定通り点滴実施。 9月4日 14:00 CT検査 

 9月25日 MRI2

 核磁気共鳴画像法(かくじききょうめいがぞうほう、magnetic resonance imagingMRI)とは、核磁気共鳴nuclear magnetic resonance、NMR)現象を利用して生体内の内部の情報を画像にする方法である。磁気共鳴映像法ともいう

 10月2日 13:30 下部内視鏡⑥ 予定。

 数週間置いて手術

 10月下旬 2週間入院予定 を確認。


 9時半過ぎから点滴開始。4本打つ(1本目? 2本目 嘔吐止め+ゼロックス+最後ブドウ糖10分)。3時間強 12時半 

 13時 会計2 受付8 カペシタビン2週間分 受領 5万円 3割負担で16000円


 そのまま国交省へ

 15:00~16:00

20230814 久しぶりに国交省訪問
昨日、桑子敏雄先生の手配で、佐藤さんと3人で、国交省 総合政策局 社会資本経済分析特別研究官(審議官級)に就任した小林正憲さんを訪ね、いろいろ最新情報を入手しました。直接的には隠岐の島の街づくりをめぐる議論でしたが、国交省の総合政策局が考える主な取り組みを知ることができました。
小林さんはかなり優秀だと思いました。53歳で、桑子先生の熊谷高校の後輩らしいですが、国交省へ行った布野研連中はみんな知ってますよね。住宅局では宿本尚吾くんが審議官になっていましたが、小林さんによれば、住宅局長になるだろうということでした。布野の印象だと小林さんの考えていることに違和感はほとんどありませんでした。その後、4人でちょっと新宿で飲みました。豊嶋君が課長?顔を出す時間はなかったですが・・
経済財政運営と改革の基本方針2023(骨太の方針)
https://www.cao.go.jp/press/new_wave/20230626.html


 17:00 犀門で飲む

 手先はビリビリ、しかい、普通に飲めた!不思議。

 20:00帰宅

 琢也ファミリーが来ていてにぎやか。


 被験者に高周波磁場を与え、人体内の水素原子に共鳴現象を起こさせ、共鳴した原子から発生する電波を受信コイルで取得する(また共鳴原子の位置が分かる)。得られたこの信号データを三次元画像へ構成する。強い磁場を発生させ、高分解能撮影を行う。それでも撮像診断時間は短くない。また騒音は大きい。

水分量が多い脳や血管などの部位を診断することに長けている。MRI装置のガントリーの中には磁石およびコイルが搭載される。PET診断との組み合わせた複合タイプも一部普及しつつある。断層画像という点では、X線CTと一見よく似た画像が得られるが、原理は異なり、三次元的な情報等が多く得られる[注釈 1]

2003年にはMRIの医学におけるその重要性と応用性が認められ、"核磁気共鳴画像法に関する発見"に対して、ポール・ラウターバーピーター・マンスフィールドノーベル生理学・医学賞が与えられた。

医療現場に利用され始めた当初は、核磁気共鳴(NMR)現象を利用したCT(computer tomographyコンピュータ断層撮影)であったので、NMR-CTと言った。日本語での呼称として当初は核磁気共鳴CT検査と言っていたが、病院内で「核」という文字を使用することに抵抗があり、またMRIには放射線被曝がないという利点を誤解されかねないという懸念があり、MR-CTという呼称が考えられ、最終的には、MRIという呼称に落ちついた。



2023年8月14日月曜日

2023年8月12日土曜日