東南アジアのニュータウン、雑木林の世界84,199608
雑木林の世界84
東南アジアのニュータウンー日本の衛星都市
布野修司
国際交流基金アジアセンターの要請で、インドネシア科学院(社会科学人文系)の国際会議(ワークショップ)「都市コミュニティの社会経済的問題:東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発」に出席してきた(1996年6月23日~30日)。丸一週間の間、ジャカルタに滞在しながら、オランダ、フランス、オーストラリア、シンガポール、タイ、フィリピン、そしてインドネシアの参加者と東南アジアの都市、ニュータウンをめぐって議論した。考えさせられることの実に多いワークショップであった。
●「ポスモ」の森とカンポン
ジャカルタは、今、急速に変わりつつある。シンガポール、バンコクに続いて、びっくりするような現代都市に生まれ変わりつつある。目抜き通りには、ポストモダン風(ポスモ)の高層ビルが林立する。最近の超高層ビルは、すべてミラーグラスのカーテンウオールで頂部だけデザインされ(帝冠様式!あるいはニューヨーク・アールデコ!)、新しいジャカルタの都市景観を生み出している。
その建築家はほとんどがアメリカ、イタリアなどの外国人だが、日本の設計事務所、ゼネコンもその新たな都市景観の創出に関わっている。
一方、ホテルの窓の外を見れば、僕にとっては見慣れたカンポンの風景が拡がる。都心に聳える超高層の森と地面に張り付くカンポンの家々は実に対比的である。
そして、ジャカルタのど真ん中、かってのクマヨラン空港の跡地で、今、ニュータウン開発が行われつつある。そして、郊外に様々なニュータウンが建設されつつある。強烈な印象を受けたのは、そのいずれとも日本は無縁ではないということである。
●日本の援助と都市開発
会議では、二日目、第Ⅲセッション「東南アジアの都市計画」において、「地域の生態バランスに基づく自律的都市コミュニティ」と題して、たどたどしくしゃべった。阪神大震災の経験と日本のニュータウンの歴史と問題点を指摘した上で、カンポン型コミュニティモデルの重要性を力説したのである。手前味噌であるが、反応はかなりのものであった。少なくとも、多くの社会科学者やプランナーたちが僕の関心をそのまま受けとめて議論してくれた。しかし、問題は簡単ではなかった。
矢のように次々と質問が飛んできた。地震で日本はどう変わったのか、東京についてはどう考えているのか。そして、最もシビアなのが日本が援助する都市開発のケースであった。
クマヨラン空港のニュータウン・プロジェクトについて、「何故、日本の専門家チームのレポートはカンポンをクリアランスしろと書いたのか」というのである。また、「同じく日本の専門家の関わったクボン・カチャンの団地開発のケースをどう思うか」というのである。
クボン・カチャンというのは、ジャカルタの中心地区、日本大使館のすぐ裏にあるカンポンで、クリアランスが行われ、倉庫のような団地が建った件である。これについては、当事者であった横堀肇氏の真摯な総括がある。ジャカルタで大きな議論になり、日本でも僕らが議論したのであるが、どれだけ知られているであろうか[i]1。
●ニュータウン・イン・タウン
クマヨランのニュータウン・プロジェクトは、「都市の中の都市(タウン・イン・タウン)」計画として、また、既存のカンポンをクリアランスしないで、様々な社会政策と合わせて住宅供給を行う点で興味深いものであった。
現場に参加者全員で見に行った。僕自身は二度目であった。最初の時はまだ建設当初でデザインの拙さだけが目についたのであるが、印象は一変した。実に生き生きと空間が使われている。一方で高級住宅がならび、日本の企業がそれを買い占めている一方で、カンポンのためのユニークな実験が行われていることは記憶されていい、と思った。
●日本のサテライトタウン
次の日、郊外型のニュータウンを見に行った。民間開発のニュータウンで、そう目新しいところがあるわけではない。しかし、眼から火の出るような思いをさせられた。
日本と韓国の投資によるニュータウンで、名の通った日本の大企業の工場が並んでいたからである。参加者のなかからすかさず野次が飛んだ。「FUNO、これは日本のサテライト・タウンなのかい」。
「直接、僕は関わっているわけではないのだよ」というのは簡単である。それぞれ同じような構造の中で生きているのである。しかし、そんなことは分かった上で、お前は何をしているんだという、そういう問いが共有されている。
日本産業の空洞化の最先端がジャカルタのニュータウンにある。そして、それは様々な軋轢を生んでいる。
インドネシアのニュータウン開発にあたっては「1:3:6」規則がある。住宅供給を高所得者層1:中所得者層3:低所得者層6にするというルールである。低所得者層向けの住宅はRSS(ルーマー・サガット・スデルハナ 簡易住宅)という。18㎡~36㎡のワンルームと60㎡の敷地の最小限住居である。ところがRSSはどこにも建設されていない。日本の工場で働く労働者はどこに住むのか。周辺のカンポンである。カンポンの人たちはRSSにも入ることはできないのである。
ワークショップ参加者の視線を痛く感じるのは、余程の鈍感でなければ当然ではないか。安価な労働力を求めて生産拠点を移し、社会各層の格差を拡大する資本の論理の体現者が日本人なのである。雇用機会を与えるというのは全くの口実である。日本の企業などなくてもきちんと自律的に生活してきた地域が破壊されてしまう。ワークショップの議論は、インドネシアのニュータウン開発をめぐる問題が中心であったが、集中砲火を浴びているのは専ら日本なのである。言葉の不如意を理由に場を繕うのは実につらいことであった。
[i]1 拙著、『カンポンの世界』、パルコ出版、一九九一年