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2023年2月27日月曜日

東南アジアのニュータウン、雑木林の世界84,199608

 東南アジアのニュータウン、雑木林の世界84,199608

雑木林の世界84

東南アジアのニュータウンー日本の衛星都市

 

布野修司

 

 国際交流基金アジアセンターの要請で、インドネシア科学院(社会科学人文系)の国際会議(ワークショップ)「都市コミュニティの社会経済的問題:東南アジアの衛星都市(ニュータウン)の計画と開発」に出席してきた(1996年6月23日~30日)。丸一週間の間、ジャカルタに滞在しながら、オランダ、フランス、オーストラリア、シンガポール、タイ、フィリピン、そしてインドネシアの参加者と東南アジアの都市、ニュータウンをめぐって議論した。考えさせられることの実に多いワークショップであった。

 

●「ポスモ」の森とカンポン

 ジャカルタは、今、急速に変わりつつある。シンガポール、バンコクに続いて、びっくりするような現代都市に生まれ変わりつつある。目抜き通りには、ポストモダン風(ポスモ)の高層ビルが林立する。最近の超高層ビルは、すべてミラーグラスのカーテンウオールで頂部だけデザインされ(帝冠様式!あるいはニューヨーク・アールデコ!)、新しいジャカルタの都市景観を生み出している。

 その建築家はほとんどがアメリカ、イタリアなどの外国人だが、日本の設計事務所、ゼネコンもその新たな都市景観の創出に関わっている。

 一方、ホテルの窓の外を見れば、僕にとっては見慣れたカンポンの風景が拡がる。都心に聳える超高層の森と地面に張り付くカンポンの家々は実に対比的である。

 そして、ジャカルタのど真ん中、かってのクマヨラン空港の跡地で、今、ニュータウン開発が行われつつある。そして、郊外に様々なニュータウンが建設されつつある。強烈な印象を受けたのは、そのいずれとも日本は無縁ではないということである。

 

 ●日本の援助と都市開発

 会議では、二日目、第Ⅲセッション「東南アジアの都市計画」において、「地域の生態バランスに基づく自律的都市コミュニティ」と題して、たどたどしくしゃべった。阪神大震災の経験と日本のニュータウンの歴史と問題点を指摘した上で、カンポン型コミュニティモデルの重要性を力説したのである。手前味噌であるが、反応はかなりのものであった。少なくとも、多くの社会科学者やプランナーたちが僕の関心をそのまま受けとめて議論してくれた。しかし、問題は簡単ではなかった。

 矢のように次々と質問が飛んできた。地震で日本はどう変わったのか、東京についてはどう考えているのか。そして、最もシビアなのが日本が援助する都市開発のケースであった。

 クマヨラン空港のニュータウン・プロジェクトについて、「何故、日本の専門家チームのレポートはカンポンをクリアランスしろと書いたのか」というのである。また、「同じく日本の専門家の関わったクボン・カチャンの団地開発のケースをどう思うか」というのである。

 クボン・カチャンというのは、ジャカルタの中心地区、日本大使館のすぐ裏にあるカンポンで、クリアランスが行われ、倉庫のような団地が建った件である。これについては、当事者であった横堀肇氏の真摯な総括がある。ジャカルタで大きな議論になり、日本でも僕らが議論したのであるが、どれだけ知られているであろうか[i]1。

 

 ●ニュータウン・イン・タウン

 クマヨランのニュータウン・プロジェクトは、「都市の中の都市(タウン・イン・タウン)」計画として、また、既存のカンポンをクリアランスしないで、様々な社会政策と合わせて住宅供給を行う点で興味深いものであった。

 現場に参加者全員で見に行った。僕自身は二度目であった。最初の時はまだ建設当初でデザインの拙さだけが目についたのであるが、印象は一変した。実に生き生きと空間が使われている。一方で高級住宅がならび、日本の企業がそれを買い占めている一方で、カンポンのためのユニークな実験が行われていることは記憶されていい、と思った。

 

●日本のサテライトタウン

 次の日、郊外型のニュータウンを見に行った。民間開発のニュータウンで、そう目新しいところがあるわけではない。しかし、眼から火の出るような思いをさせられた。

 日本と韓国の投資によるニュータウンで、名の通った日本の大企業の工場が並んでいたからである。参加者のなかからすかさず野次が飛んだ。「FUNO、これは日本のサテライト・タウンなのかい」。

 「直接、僕は関わっているわけではないのだよ」というのは簡単である。それぞれ同じような構造の中で生きているのである。しかし、そんなことは分かった上で、お前は何をしているんだという、そういう問いが共有されている。

 日本産業の空洞化の最先端がジャカルタのニュータウンにある。そして、それは様々な軋轢を生んでいる。

 インドネシアのニュータウン開発にあたっては「1:3:6」規則がある。住宅供給を高所得者層1:中所得者層3:低所得者層6にするというルールである。低所得者層向けの住宅はRSS(ルーマー・サガット・スデルハナ 簡易住宅)という。18㎡~36㎡のワンルームと60㎡の敷地の最小限住居である。ところがRSSはどこにも建設されていない。日本の工場で働く労働者はどこに住むのか。周辺のカンポンである。カンポンの人たちはRSSにも入ることはできないのである。

 ワークショップ参加者の視線を痛く感じるのは、余程の鈍感でなければ当然ではないか。安価な労働力を求めて生産拠点を移し、社会各層の格差を拡大する資本の論理の体現者が日本人なのである。雇用機会を与えるというのは全くの口実である。日本の企業などなくてもきちんと自律的に生活してきた地域が破壊されてしまう。ワークショップの議論は、インドネシアのニュータウン開発をめぐる問題が中心であったが、集中砲火を浴びているのは専ら日本なのである。言葉の不如意を理由に場を繕うのは実につらいことであった。






 


[i]1 拙著、『カンポンの世界』、パルコ出版、一九九一年

 


2023年2月26日日曜日

木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール、雑木林の世界85,199609

木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール、雑木林の世界85,199609

 雑木林の世界85

木匠塾:第六回インターユニヴァーシティー・サマースクール

 

布野修司

 

 「職人大学構想」が急ピッチで展開しはじめた。KGS(財団法人 国際技能振興財団 本部 東京都墨田区両国二-一六-五 あつまビル5F                 )が設立されて半年になるのであるが、その活動が徐々に軌道に乗りだしているのがひしひしと伝わってくる感じである。

 七月二四日には、KGSの「ぴらみっど匠のひろば」(                )が滋賀県八日市市に設立され、そのオープニング・パーティーが一五〇〇人の参加者を集めて華々しく開かれた。驚くべきエネルギーである。

 アカデミーセンターに、ハウジングセンター、ぴらみっどイベントホールに巨大な実試験センター。すぐにでも使える立派な施設群である。もちろん、半年やそこらでこれほど立派な施設ができるわけはない。財団副会長であり、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)副理事長、小野辰雄日綜産業社長が私財を財団に提供する形をとったのである。その意気込みには頭が下がる。

 職人パスポートも創られた。年会費四八〇〇円で、教育(一日五〇〇〇円の助成)、施設(「ぴらみっど匠のひろば」の利用)、サービス(国内外ホテル、リクレーション施設利用割引)、クレジットカード(キャッシング・サービス)、安心保障(傷害保険、生命保険への自動加入)、仕事(斡旋、仲介)、登録(職人工芸士名鑑への登録)など七つの特典がある。数の強さ、集まることの力が生かされる仕組みである。

 自民党を中心にした国会議員の諸先生の意気込みもすごい。職人大学設立促進議員連盟が一五〇名もの議員を要して結成され、この九月にはマイスター制度の視察に一〇人もの国会議員がヨーロッパへ出かけることになっている。「ぴらみっど匠のひろば」のオープニングには、八日市出身と言うことで、武村正義新党さきがけ代表も見えた。ドイツに留学経験があるということで、マイスター制度には随分造詣が深そうであった。

 さて、一方、どういう大学にするかも具体化しなければならない。理念は固まりつつあるのであるが、具体的な組織固めを始めなければならないのである。また、職人大学の理念がすんなりと既存の制度の枠内に収まるかどうかは予断を許されない。様々な紆余曲折が予想されるところである。

 「ぴらみっど匠のひろば」をどう使うかも大きなテーマである。とりあえず、ピーター・ラウ(建築家 ヴァージニア州立工科大学副教授)氏が、アメリカの大学の学生を日本に招いて木造の建築技術を学ぶプログラムを決定したのであるが、急いで全体計画を立てる必要がある。一週間程度の短期学習を積み重ねて、やがて恒常化していく必要がある。もっと重要なのは、地域との連携である。地域の優れた職人さんたちの技を学ぶ場を設定したいと考えている。また、木匠塾との連携も大いに追求したいと思っている。

 今年の木匠塾のインターユニヴァーシティー・サマースクール(第六回)は、去年に引き続いて、高根村と加子母村の二カ所で、七月三〇日~八月一〇日の間、開かれた。二カ所になり期間も長くなったのは、参加人数が多くなり、それぞれのグループ毎に独自のプロジェクトが展開され始めたからである。

 東西の学生が出会うメリットが失われることが危惧されるが、今年に限っては全く問題はなかったように見える。各大学の幹事が密に連絡を取り合い、見事な連携を見せたからである。学部大学院と二年三年木匠塾へ来てくれる学生が上下を繋げてくれるのも大きい。

 高根村の「日本一かがり火まつり」(毎年八月の第一土曜日 今年一〇回目)は魅力的である。今年は、京都造形大学と大阪芸術大学が屋台を出した。また、東洋大学、千葉大学、芝浦工業大学の東京組も、その日高山見学などを組み入れて、かがり火まつりの会場に集結してきた。翌日は、加子母村での懇親スポーツ大会で、翌々日のプレカット工場等の見学が共通プログラムである。

 加子母村では、高根村と同じように営林署の二棟の製品事業所の改装が今年は開始された。宿泊施設として使うためである。製品事業所のある渡合地区はすばらしいキャンプ場として整備されつつあるのであるが、電気の設備がない。自家発電装置が必要なのであるが、電気のない自然の中で暮らす経験も木匠塾の第一歩である。

 前にも記したことがあるのであるが、まず問題となるのが虫である。今年は蛾の類の虫の異常発生とかで、夜はたまらない。油断していると口の中に飛び込んできたりする。初めて木匠塾に来るとびっくりするのであるがすぐなれる。また、魚釣りをしたことのない学生が多いのに驚く。それだけ日本から自然が失われているというべきか。嬉々として魚釣りに興じる学生の顔を見ると、複雑な心境になる。とにかく、自然に触れるのは貴重な経験なのである。

 京都大学グループは、三年がかりの登り釜を完成させた。去年は素焼き止まりであったが、今年は釉薬を塗って素晴らしい焼き上がりとなった作品ができた。釜の構造も補強し、ほぼ恒久的に使えるようになった。素人がつくった釜でも一応使えるのが確認できたのは大収穫である。

 もうひとつのプロジェクトは、斜面への露台の建設である。清水の舞台、懸け造りとはとてもいかない。丸太を番線で緊結するプリミティブな手法だ。番線とシノの扱い方は、ロープ結びと並ぶ木匠塾の入門講座である。

 他のグループのプロジェクトは完成を見ていないからその全容はわからない。京都造形大学は、昨年の原始入母屋造りを山の斜面に向かって増築していく構えで、草刈り機をつかっての地業に余念がなかった。大阪芸術大学は、念願の風呂をつくるということで準備ができていた。継続的に、ものが出来ていくのは楽しいことである。

 バンガローの設計組立は、来年になりそうであるが、東洋大グループは、昨年のゲルを改良して移動住居として立派に使っていた。創意工夫もものをつくる源泉である。

 職人大学構想は大反響である。方々の自治体から誘致したいとの声がある。しかし、そんなに簡単なことではないということは、木匠塾の経験からもわかる。とりあえず、条件の整うところから、やっていくしかない。走りながら考えるのみである。

 

2023年2月25日土曜日

日本のカンポン、雑木林の世界83,199607

 日本のカンポン、雑木林の世界83,199607

雑木林の世界83 

日本のカンポン

布野修司

 

 不思議なつながりから、大阪の西成地区のまちづくりのお手伝いをすることになった。西成地区と言えば、全国でも有数の「寄せ場」釜ケ崎がある。まちづくりの対象地区は、その西、西浜地区を中心とする日本でも有数の被差別部落(全国最大の都市部落)だった地区である。「大阪市総合計画21」にもとづいて西成地区のまちづくりが本格的に開始されることになったのである。

 同和地区のまちづくりについては、東洋大学の内田雄造先生とそのグループが多くの実績を挙げている。東洋大学時代に、その側にいて、色々教えを乞うたのであるが、同和地区のまちづくりについては、お手伝いする機会はなかった。今回も真っ先に相談するところなのであるが、関西のことでもあり、まずははじめてみようというところである。いささか心許ないけれど、後ろに内田先生がいると思うと心強い。いろいろと教えて頂くことになるであろう。

 まずは二日にわたって地区内を歩いた。とにかく地区を知らなければ話にならないであろう。まちづくりの方針もフィールドの中からいろいろと得ることができるのである。

 歩き出すとすぐにわくわくしてきた。まちの雰囲気がインドネシアのカンポン(都市内集落)に似ているのである。僕が親しいスラバヤのカンポンは平屋が主体で、もちろん、佇まいは異なるのであるが、ぎっしりと建て詰まり、路地の細さや曲がり方が似ているのである。

 いろいろな店が町中に点在しているのも似ているし、人が多くて活気のあるのもいい。そして、コミュニティがしっかりしているのがわかる。解放同盟の組織、町会や民生委員の区割り図が方々に掲げられている。そして、街区の中には地蔵堂が点々とある。

 調査は、いわゆるデザイン・サーヴェイである。まず歩いて、建築形式(階数、構造、建築類型など)、施設分布、井戸や地蔵堂などの分布、植木や看板・消火栓・自販機など外部空間を地図上にプロットしていくのである。インドネシアでもインドでも台湾でも同じように調査をするのであるが、まちを身体で理解するには歩き回るにしくはない。今回は述べ四〇人ほどが参加したであろうか。調査をもとにいろいろと気づいたことを議論するのが調査の醍醐味である。

 地区の歴史は、『焼土の街からー西成の部落解放運動史』(部落解放同盟西成支部編 一九九三年)にまとめられている。また、その歴史については、『大正/大阪/スラム』(杉原薫・玉井金五編 新評論 一九八六年)の「第三章 都市部落住民の労働=生活過程ー西浜地区を中心にー」が詳しい分析を行っている。後者の本は、以前書評したことがあったのであるが、再読することになった。もちろん、読むべき文献は「都市部落の生成と展開ー摂津渡辺村の史的構造ー」(中西義雄 『部落問題研究』4号 一九五九年)など数多い。地区を知るには文献研究も不可欠である。

 しかし一方で、早急にまちづくりの方針を定めなければならない。いくつかの具体的なプロジェクトは動きだそうとしているのである。まず、大きなテーマとなるのは住環境整備である。反射的に思ったのは、地区のコミュニティの構造を大きく崩さずに再開発することができないか、ということである。

  地区を歩いていると、改良住宅に建て替えられた地区が何故か寂しく活気がない。一階など有刺鉄線で囲われたりして、閉鎖的である。既存の活気ある街区がそうなるのは大問題である。

 既にカンポンで考えたことだ。共用空間を最大限に取り、店などを組み込んだ都市型住居をここでも実現すべきだ。単身の老人も多いことからケア付きのコレクティブ・ハウジングも考えられてよい。

 また、道路が拡幅されて街が分断されるという問題がある。そこには街の核となる施設が必要ではないか。芸人が育った街であり、若い芸人の登竜門となるような演芸場をつくったらどうだという話が出だしている。また、職人が多いのだから、職人大学もいいんじゃないか。皮革産業を基盤としてきたことから「靴の博物館」の構想もある。

 もちろん、施設計画だけではない。ソフトな仕組みを含めて日本で最先端のまちづくりをしようという意気込みが解放同盟に満ちている。同和地区のまちづくりが先進的なのはまちづくりの主体がしっかりしているからである。

 解放同盟は、大阪市に対する一〇〇項目の具体的要求をまとめつつある。街づくり政策、住宅政策、道路・交通・環境政策、教育・保育政策、福祉・健康政策、産業・労働政策、人権・啓発政策に分けられているが、その全体構想は壮大である。というより、まちづくりは総合的なアプローチが不可欠であり、個々の要求項目をどう相互関連のもとに総合的に実現するかが問われるのである。

 西成地区まちづくり委員会の育成と法人化、街づくり会館の建設、ボランティア活動支援センターの設置等々、まちづくり運動の拠点となることが目指されている。

 また、地区内はすべてバリアフリーとする、そうした障害者にやさしいまちづくりをめざすことが目指されている。

  さらに、マルティメディア利用など、最先端の技術をビルトインしたまちづくりが目指されている。

 要するに、日本一のまちづくりが目標なのである。日本一遅れていたが故に、それは可能なのだ


2023年2月24日金曜日

明日の都市デザインへ,雑木林の世界82,住宅と木材,199606

 明日の都市デザインへ,雑木林の世界82,住宅と木材,199606


雑木林の世界82

明日の都市デザインへ

布野修司

 

 (財)国際技能振興財団(KGS)の設立総決起大会(四月六日)は大盛会であった。現職大臣四名と元首相、国会議員が秘書の代理も合わせると三十有余名、住専問題で大変な国会の最中にも関わらずの出席であった。職人一二〇〇名の大集会というのは、大袈裟に言えば戦後、否、近代日本の歴史になかったことではないか。職人大学の実現に向けての動きもさらに加速されることになる。

 KGSには評議員で参加することになったのであるが、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)は全面的にKGSを支えて行くことになる。

 KGSの最初の仕事はスクーリングである。茨城で六月二日から一週間の予定だ。茨城は、ハウジングアカデミーで親しい土地柄である。第一回のスクーリングが茨城となるのも何かの因縁であろう。

 茨城ハウジングアカデミーも参加してきた木匠塾は、SSF、KGSの動きと連動しながら今年も準備中である。加子母村(岐阜県)にウエイトを移しながら、また、学生の自主性にウエイトを移しながら、新たな展開が期待される。バンガローの建設など実習プログラムに村は全面協力の姿勢である。

 

 去る四月二四日、「明日の都市デザインへ」と題した三和総合研究所(大阪)の「都市デザインフォーラム」に参加する機会があった。『明日の都市デザインへーーー美しいまちづくりへの実践的提案』という報告書がまとまり、コメントして欲しいということで出かけたのである。

 「都市デザインへの提案~アーバン・アーキテクト制をめぐって~」ということで、景観問題について、昨年の全国景観会議(一九九五年九月 金沢)の際の基調講演とそうかわらない話でお茶を濁したにすぎないのであるが、報告書そのものはなかなかに刺激的であった。というのも、その報告書の中には全国の景観行政、都市デザイン行政の様々な取り組みが集められているからである。理念や条例やマニュアルよりも様々な試行錯誤が興味深いのである。

 例えば、景観資源に関する調査として、「校歌に歌われる山、川」を調べたり、言葉のアクセントの分布を明らかにした例がある(栃木県)。市街地における湧水の分布を調べたり(八王子市)、海からの景観把握を試みたり(下関市)、必ずしもマニュアルに従ってワンパターンというわけではないのである。

 景観行政は、あるいは景観問題へのアプローチはまずデザイン・サーベイからというのは持論である。「タウン・ウオッチング」でも「路上観察」でも、身近な環境を見つめ直すことが全ての出発点であり得る。

 先の報告書は、実践的都市デザインの提案として、一連のプロセスを提示している。

 『建築・街並み景観の創造』(技法堂)をまとめた段階では極めて素朴であった。具体的内容は著書に譲りたいけれど、「景観形成の指針ー基本原則」として、地域性の原則、地区毎の固有性、景観のダイナミズム、景観のレヴェルと次元、地球環境と景観、中間領域の共有といったことを考え、景観形成のための戦略として、合意形成、ディテールから、公共建築の問題、景観基金制度などを検討してきたにすぎない。しかし、報告書は豊富な事例とともに大きなフレームを提示してくれている。大助かりである。実践的提案の部分を具体的に紹介しよう。

 全体のプロセスは、意識醸成→企画・計画→実践→評価→という螺旋状のプロセスとして想定されている。各プロセスのポイントは以下のように整理される。

 

Ⅰ 意識醸成         

  ①デザイン・サーベイの実施

 ②行政主導のコンセンサスづくり:住民参加型都市デザインの誘導

 ③キーパーソンの発掘と育成

 ④戦略的情報発信

Ⅱ 企画・計画           

  ①コンテクストを生かしたデザイン計画

 ②インセンティブの付与

 ③すぐれたデザインを誘発する発注方式

 ④デザイン誘導しやすい事業手法

Ⅲ 実践       

  ①デザインをコーディネートする「人」:アーバン・アーキテクト制度

 ②デザインと意志決定のオープンシステム

 ③行政のイニシアチブとデザイン誘導

 ④建築と環境のコラボレーション

 ⑤地域特性やデザインの目的に合致した「アート構築物」のデザイン

 ⑥技術の伝承とクラフトマンシップの再認識

 ⑦工業製品の活用と「固有性」への対応

Ⅳ 効果           

  ①評価

 

 こうして項目だけ並べても伝わらないのであるが、それぞれに具体的な事例をもとにしたアイディアの提案があるわけである。実践的提案を唱うそれなりの自負がそこにはある。このシナリオ通りに都市デザイン行政あるいは景観行政が動いて行けば日本の都市(まち)づくりは面白い展開をしていく可能性がある。少なくとも様々なヒントがある。

 ただ、最終的に問題になるのはこのシステムを動かしていく仕組みである。上で言う、「人」の問題である。あるいは、行政と住民との関係の問題である。都市デザインに関わる意志決定システムをどう具体化するかである。

 地方自治の仕組み全体に関わるが故にその仕組みの提案は用意ではない。しかし、報告書は面白い海外の事例をあげている。

 シュバービッシュ・ハル市には、二人の副市長がいて一人は建築市長なのだという。また、ミュンヘン市にはアーバン・デザイン・コミッティーがあって、デザインの調整を行っているという。構成メンバーは、フリーの建築家四人、都市計画課職員三人、建築遺産課職員一人、州の建築遺産課職員一人の八人で三年毎にメンバーを入れ替えていく。権威主義的なメンバーは排除されるのだという。

 日本の風土の中でアーバン・アーキテクト制はなかなか動かない。しかし、百の議論よりひとつの事例は変わらない指針である。

 






2023年2月23日木曜日

書評・解説 西山夘三 『これからのすまい』、相模書房、一九四八年

 西山夘三 『これからのすまい』、相模書房、一九四八年

布野修司

 食寝分離、起居様式、住宅生産の工業化、土地の公有化、家事労働の合理化 


 浜口隆一の『ヒューマニズムの建築』(雄鳥社、一九四七年)とともに戦後建築の指針を示した書として著名。建築家によって貪るように読まれたという。

 戦後まもなく、建築家にとって全面的に主題になったのが、住宅復興である。日本の建築家たちは様々な回路で住宅問題に取り組むが、とりわけ勢力を注いだのは、新たな住宅像の確立というテーマであった。数多くの小住宅コンペが催され多くの若い建築家が参加したのであった。

 敗戦後まもなくの建築家の意識をきわめてストレートな形でうかがうことができるのが浜ロミホの『日本住宅の封建性』(相模書房、一九五○年二月)である。そこには、「床の間追放論」や「玄関という名前をやめよう」といったきわめてセンセーショナルな主張が展開されている。また、家事や育児のために過重な負担を背負ってきた婦人の解放の主張と結びついた、台所の生活空間としてのとらえ直しの主張に大きなウェイトが置かれている。その主張はきわめてヴィヴィドに戦後まもなくの状況を伝えてくれる。また、少し遅れて、池辺陽の『すまい』(岩波書店、一九五四年)がある。

 そうした戦後復興の混乱と昂揚の中で、住宅と都市に関して、その方向性を最も包括的なパースペクティブの下に提出したのが西山夘三である。『これからのすまい』の冒頭には簡潔に「新日本の住宅建設に必要な十原則」が記されている。

 一、ふるいいやしいスマイ観念をあらためて、文明国の人民にふさわしい高い住宅理想をうちたてる。

 二、国民経済の発展に対応する国民住居の標準をうちたて、在来の低い住宅水準を高めて行く。

 三、地方的、階級的に乱雑不合理な昔のスマイ様式を、働く人民の合理的なスマイ様式に統一してゆくo

 四、居住者の職業や家族の構成に応じた住宅を与えるため、住宅は公営を原則として住宅の配分を合理化する。

 五、生活基地を、細胞となる住戸から、組、町(部落)、住区(村)、都市という、それぞれの性格に応じた協同施設をもつ集団の段階的な構成にととのえて行く。

 六、生活基地の合理的な建設をするため、都市の土地制度を根本的に改革する。

 七、住宅の量の不足と低い住居水準を解決するため、住宅産業の位置を高めて完全雇傭体制の恒久的な一環とする。

 八、住宅生産を封建的親方制度と手工業的技術から解放して合理化工業化する。住宅は定型化され、その中に入る生活用具や家具も、それをつくる建築材料や部品も規格化される。

 九、住宅の構造は国産資源とにらみ合わせて我国の気候風土に適合した形の、新しい燃えない堅ろうな構造にかえて行く。

 十、狭い国土を活用するため、特に都市では集約的な高い居住密度の得られる複層集団的な住居形式にかえて行く。

 住宅生産の合理化・工業化、建築材料や部品の規格化(八)にしても、高い居住密度の得られる複層集団的な住居形式(九)にしても原則のいくつかは、戦後の過程において具体化されていった。もちろん、西山が終局的にイメージしていた住居や都市のあり方は、その十原則を貫くものであり、そうした意味では、それぞれが擬似的に現実化していったといった方がいい。住宅は公営を原則とする(四)、あるいは、都市の土地制度を根本的に改革する(六)、生活基地を細胞となる住戸から都市まで段階的な構成にととのえてゆく(五)、といった間題はほとんど手つかずだからである。その結呆、わが国の気候風土に適合した形の新しい住宅(九)が生み出されたかどうかは疑間だからである。

 敗戦後まもなく書かれた建築家による住宅論のなかで、また、戦前戦中の蓄積を踏まえた、きわめて其体的かつ現実的な方向性を提示する点で、本書はきわ立っている。西山がそこでとりあげている間題は、イスザ(椅子座)とユカザ(床面座)の間題、衣服様式と関連した二重生活の間題、家生活と私生活の関係の間題、間仕切と室の独立性の間題、非能率的家事労働の合理化、機械化、そして生活の共同化の間題、新しい家具と設備の採用の間題、国民住居標準の設定の間題などである。それぞれの間題について、実にきめこまかな鋭い眼が往がれている。例えば、起居様式(椅子座と床面座の間題)について、彼は、三つの改革の方向を提示しながら、「最も素朴で一見ブザマに見え又調和の失われている様に感じられる」第三のゆき方、すなわち、学生の下宿屋の起居様式、ユカザ生活を基調とし、とりあえず、起居、家内作業に必要な程度のごく少ない支持家具を導入しつつ、歪められた[ユカザ生活」を改善してゆくやり方を選ぽうとするのである。「少数の洋風生活心酔者、急進的な生活様式改革の主張者、建築家の試験的な住宅などにみられる、二重生活の完全な清算」による洋風椅子座生活、および、藤井厚二に代表される折衷的な住宅は、国民的住まい様式の改革過程としての現実性において否定されている。そこで、やがて完成さるべき起居様式として想定されているは椅子座様式である。そうした意味で、「二重生活の弊害の一端を最も明白に表現」する、また住の非能率的な側面を拡大する祈衷的な様式は、一層低い評価しかあたえられていない。西山もまたア・プリオリに、住宅の合理化、近代化の方向性を前提としていたことは確かである。しかし、彼にはしたたかに現実を見つめ、その矛盾を引き受けようとする姿勢があったといえようo

 西山のリアリズムに根ざした提案の多くは、きわめて日本的な解決の方向であった。少なくとも、いまふり返ればきわめて状況的であったといいうるであろう。しかし、その提案が現実の過程において担った実践的な意味はけっして過少評価することはできないだろう。その最も代表的なな食寝分離、隔離就寝の主張は、戦後における日本の住宅のあり方を大きく決定する役割を担ったのである。それは、やがて2DKさらに(nLDK)という平面形式をもった住宅を生み、戸建住宅にも取り入れられて、DK(ダィニング・キッチン)というきわめて日本的な空間を日本中に定着させることにつながっていったのであった。

   

◎西山夘三全著作(単行本)リスト

 四三 住宅問題、相模書房

 四四 国民住居論攷、伊藤書店

 四七 これからのすまいー住様式の話、相模書房

 四八 建築史ノート、相模書房

 四九 明日の住居、京都府出版協同組合

 五二 日本の住宅問題、岩波新書

 五六 現代の建築、岩波新書

 六五 住み方の記、文芸春秋

 六七 西山夘三著作集1住宅計画、勁草書房

  六八 西山夘三著作集2住居論、勁草書房

  六八 西山夘三著作集3地域空間論、勁草書房

  六九 西山夘三著作集4建築論、勁草書房

 七三 都市の構想、岩波書店

 七四 すまいの思想、創元社

 七五 町づくりの思想、創元社

 七五 日本のすまいⅠ、勁草書房

 七六 日本の住まいⅡ、勁草書房

 七八 住み方の記、増補新版、筑摩書房

 八〇 日本の住まいⅢ、勁草書房

 八一 すまいー西山夘三・住宅セミナー、学芸出版社

 八一 ああ楼台の花に酔う、彰国社

 八一 建築学入門ー生活空間の探求(上)、勁草書房

 八一 戦争と住宅ー生活空間の探求(下)、勁草書房

 八九 住まい考今学ー現代日本住宅史、彰国社

 九〇 まちづくりの構想、都市文化社

 九〇 歴史的環境とまちづくり、都市文化社

 九二 大正の中学生、彰国社

 九三 京都の景観・私の遺言、かもがわ出版

 九六 科学者の社会的責任(早川和男)、大月書店

 九七 都市とすまい、東方出版

 九七 安治川物語、日本経済評論社

2023年2月21日火曜日

台湾紀行,雑木林の世界81,住宅と木材,199605

 台湾紀行,雑木林の世界81,住宅と木材,199605


雑木林の世界82

台湾紀行

布野修司

 

 中央研究院台湾史研究所と台湾大学建築輿城郷研究所での特別講義に招かれて台湾に行って来た(三月一六日~二六日)。折しも、台湾は総統選(二三日投票日)の渦中にあった。わずか十日ほどの滞在であったけれど、つぶさに総統選の様子を見聞きすることになった。

 中央研究院での講義は、中央研究院が今後東南アジア研究を展開する上で色々示唆を受けたいということで、「東南亜都市與建築之最新研究動向」と題して、具体的には、バタビア、スラバヤ、チャクラヌガラという三つの都市の歴史について話した。知られるように、オランダは、バタビア建設に取りかかった一七世紀前半、平行して、台湾でゼーランジャ城、プロビンシャ城の建設を行っている。その都市計画の比較は興味深いテーマだと思ったのである。オランダ研究の専門家から鋭い指摘を頂いたり、随分刺激的であった。また、文献も随分整理されつつあることを知った。

 台湾大学建築輿城郷研究所では、「東南亜伝統民居」と題して、多くのスライドを使って様々な比較の視点について議論した。前日、九族文化村に出かけて、アミ、ヤミ、ブノンなどの九族の民家をじっくりみてきた。ブノン族などの石造りの家は、東南アジアの他の地域ではちょっと見かけないものだ。講義は、台湾の伝統的民家をオーストロネシア世界全体から見るとどうなるかを考えるのが主眼になった。

 講義ということでは、台湾工業技術学院でも行うことになった。大学院時代の同僚で、今や台湾の都市計画学会の重鎮である黄世孟教授(台湾大学)のお弟子さんで日本への留学経験のある李威儀先生に頼まれたのである。幸いこうゆうこともあろうかともう一本用意していたので、「東南亜集合住宅」と題して様々なハウジング・プロジェクトを紹介することにした。

 後は、研究室の闕銘宗君と田中禎彦君と台湾発祥の地、  (ばんか)地区を歩き回った。廟について論文を書こうとしている闕銘宗君を手伝おうというのである。調査は、基本的にはインドネシアのカンポンでやったのと同じである。建築の類型を見分けながら、各種施設をベースマップの上にプロットしていくのである。調査は常に様々な発見があり、疲れるけれど楽しい。また、実際に見聞きしながら文献を読むとよく頭に入る。

 中国の軍事演習でミサイルが飛び交うなど政治的緊張が予想されたが、市民はいたって平静であった。選挙戦はお祭り騒ぎで、人々はむしろ楽しんでいる雰囲気すらある。各党の集会にも顔を出してみたが、家族連れも多く、旗や帽子、警笛など様々な選挙グッズが売られ、各種屋台も並んで縁日の趣もあった。

 各党の主張の背後には、複雑な台湾社会の歴史があるが、それぞれの主張はわかりやすい。大学や研究所でも、タクシーの運転手さんも、はっきりとどの候補を支持するか意見を述べるのも印象的であった。

 台湾には、司馬遼太郎の『台湾紀行』(朝日新聞社)を携えて行った。李登輝総統との対談を含むその著作は選挙戦でも話題にされる程、台湾という国家を深く問うものである。司馬遼太郎が存命であれば、総統選について必ず何らかの鋭いコメントをしたであろうと思う。例によって、台湾に関するほとんど全ての文献に眼を通した上での力作である。

 司馬遼太郎の『台湾紀行』には、楊逸詠夫妻が登場する。楊逸詠先生(台湾文化大学)も、黄世孟先生と同じ頃東大の内田祥哉研究室に在籍されていていわば同級生である。楊夫人は、台湾きっての日本語通訳で司馬遼太郎の台湾紀行のために白羽の矢が当たったのだという。一晩、御夫妻と会って旧交を温めることができた。

 投票日は、午後四時の締切りと同時にその場で開票が行われた。「二号 李登輝一票」などと読み上げる声とともに「正」の字が書かれていく。我らの調査地区である  は下町で、台湾独立を主張する民進党の支持者が強いと言われていたのであるが、李登輝の中国国民党とは確かにデッドヒートであった。開票の様子を住民たちが取り囲んで見る。臨場感満点である。日本の選挙文化との違いを否応なく感じさせられたのであった。

 ところで、こうして民主化の速度をはやめてきた台湾で、「社区総体営造」あるいは「社区主義」、「社区意識」、「社区文化」、「社区運動」という言葉が聞かれるようになったことは前に触れた(雑木林の世界  )。繰り返せば、「社区」とは地区、コミュニティのことだ。そして、「社区総体営造」とはまちづくりのことだ。「経営大台湾 要従小区作起」(偉大な台湾を経営しようとしたら、小さな社区から始めねばならぬ)というのがスローガンとなりつつあるのである。

 「社区総体営造」を仕掛けているのは、行政院の文化建設委員会であるが、幸い、その中心人物である陳其南氏、台北市でモデル的な運動を展開中の陳亮全氏(台湾大学)に、黄蘭翔氏(中央研究院)とともに会い議論することができた。

 「社区総体営造」を進めるときは社区から始めなければならない。しかも、自発的、自主的でなければならない。何故、「社区総体営造」なのかに関して陳其南氏に詳しく聞いた。基本的に移民社会をベースとする台湾では、漢民族の家族主義が強いこともあって、コミュニティ意識が希薄である。まちづくりを考える上では、どうしてもその主体となるコミュニティの育成が不可欠であるという認識が出発点にあるのである。

 清朝に遡って、伝統的なコミュニティのシステムはもちろんある。村廟を中心にした伝統的な組織システムは、現在でも農村部では生きている。しかし、それに選挙で首長を選ぶシステムが重層する形で設けられており、コミュニティに求心力がない。中国国民党の党のシステムも戦後持ち込まれた。

 十日の間、  地区に泊まって時間があれば地区を歩き回ったのであるが、里、そしてその下位単位である隣は、ほとんど意識されていないのである。かってコミュニティの核であった廟がここそこにあるけれど、まとまりは失われつつある。

 こうした地区で「社区総体営造」はどのように展開できるのか。台湾の友人たちとともに考え始めたところだ。

 






2023年2月19日日曜日

職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在,雑木林の世界80,住宅と木材,199604

 職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在,雑木林の世界80,住宅と木材,199604


雑木林の世界80

職人大学設立へ向けて・・・SSFの現在

 

布野修司

 

 職人大学の設立を目指し、現場専門技能家(サイト・スペシャリスト)の社会的地位の向上を願うサイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)の結成とそのスクーリングなどの活動については本欄でも何回か紹介してきた(雑木林の世界        )。その結成は一九九〇年一一月。もう六年目に入る。ようやく、具体化への道筋が見えかかってきたような気がしてきた。以下にSSFの現在を報告したい。

 「住専問題」で波乱が予想された通常国会の冒頭であった。見るともなく見ていた参議院での総括質問のTV中継で「職人大学」という言葉が耳に飛び込んできた。村上正邦議員の質問に、橋本首相が「職人大学については興味をもって勉強させて頂きます」と答弁したのである。いささか驚いた。今まで興味もなかった急に国会が身近に感じられたのも変な話であるが、橋本首相の国会答弁は、SSFの活動がこの間大きな広がりを見せつつあるひとつの証左である。

 産業空洞化がますます進行する中で、日本はどうなるのか。日本の産業を担ってきた中小企業、そしてその中小企業を支えてきた極めてすぐれた技能者をどう考えるのか。その育成がなければ、日本の産業そのものが駄目になるではないか。そのために職人大学の設立など是非必要ではないか。

 簡単に言えば、村上議員の質問は以上のようであった。もちろん、膨大な質問の一部であるが、日本の産業構造、教育問題、社会の編成に関わる問題として「職人大学」というキーワードが出された印象である。考えて見れば誰にも反対できない指摘であろう。「興味をもって勉強させていただきます」というのは当然の答弁であった。

 SSFのこの間の活動は、スクーリングを主体としてきた。佐渡に始まり、宮崎の綾町、柏崎、神奈川県藤野町、群馬県月夜野町と五回を数え、茨城県水戸で六回目を準備中だ。現場の職長さんクラスに集まってもらって、体験交流を行う。そうした参加者の中から将来のプロフェッサー(マイスター)を見出したい。そうしたねらいで、SSF理事企業と地域の理解ある人々の熱意によって運営されてきている。

 大学をつくるということが、如何に大変なのかは、大学にいるからよくわかる。そして、大学で教員をしながら大学をつくろうとすることには矛盾がある。シンポジウムなどでいつも槍玉に挙げられるのであるが、何故、今いる大学でそれができないのか、それこそ大きな問題である。

 言い訳の連続で答えざるを得ないのであるが、国立大がであろうと私立大学であろうと、職人を育てる教育をしていないことは事実である。それを認めた上で、現場を大事にする、机上の勉強ではなく、身体を動かしながら勉強するそんな大学はどうやったらつくれるか、それが素朴な出発点である。

 居直って言えば、偏差値社会の全体が問題であり、職人大学をつくることなど一朝一夕でできるわけはない。少しづつ何かできないかとお手伝いしてきたのである。

 本音を言えば、スクーリングを続けていくこと、それが職人大学そのものへの近道であり、もしかすると職人大学そのものなのだ、という気がないわけではない。

 可能であれば、文部省だとか労働省だとか建設省だとか、既存の制度的枠組みとは異なる、自前の大学をつくりたい、というのがSSFの初心である。できたら、自前の資格をつくり、高給を保証したい、それがSSFの夢である。

  しかし、そうした夢だけでは現実は動かない。また、この問題はひとりSSFだけの問題ではないのである。日本型マイスター制度を実現するとなると、それこそ国会を巻き込んだ議論が必要である。

 この間、水面下では様々な紆余曲折があった。五五年体制崩壊と言われるリストラクチャリングの過程における政界、業界の混乱に翻弄され続けてきたといってもいい。

 SSFの結成当時、バブル全盛で、職人(不足)問題が大きくクローズアップされていた。SSFを支えるサブコン(専門工事業)にも勢いがあった。しかし、バブルが弾けるといささか余裕が無くなってくる。職人問題などどこかへ行きそうである。SSF参加企業のみなさんにはほんとに頭が下がる思いがする。後継者育成を社会的なシステムとして考えるコモンセンスがSSFにはある。

 筆を滑らせれば、「住専問題」などとんでもないことである。紙切れ一枚で、何千億を動かすセンスのいいかげんさには呆れるばかりである。現場でこつこつと物をつくる人々をないがしろにするのは心底許せないことである。

 大手ゼネコンにもこの際言いたいことがある。ゼネコンは一貫してSSFに対して冷たい。ゼネコン汚職の顕在化でゼネコンの体質は厳しく問われたけれど、重層下請構造は揺らがないようにみえる。ゼネコンのトップが数次にわたる下請けの構造に胡座をかいて、職人問題、職人大学問題に眼を瞑ることは許されないことである。末端の職人問題については、それぞれの企業内の問題として関心を向けないゼネコンは身勝手すぎるのではないか。SSFの会議では、しばしばゼネコン批判が飛び出す。

 そうした中で、SSFとKSD(全国中小企業団体連合会)との出会いがあった。SSFは、建設関連の専門技能家を主体とする、それも現場作業を主とする現場専門技能家を主とする集まりであるけれど、KSDは全産業分野をカヴァーする。職人大学も全産業分野をカヴァーすべく、その構想は必然的に拡大することになったのである。

 全産業分野をカヴァーするなどとてもSSFには手に余る。しかし、KSDには全国中小企業八〇万社を組織する大変なパワーを誇る。

 SSFには、マイスター制度や職人大学構想に関する既に五年を超える様々なノウハウの蓄積がある。KSDのお手伝いは充分可能であるし、まず、最初は建設関連の職人大学を設立しようということになった。

 その後、様々な動きを経て、財団設立が認可され、その設立大会(一九九六年四月六日)が行われようとしているのが現在である。もちろん、SSFと財団の前途に予断は許されない。ねばり強い運動が要求されているのはこれまで通りであろう。

 


2023年2月18日土曜日

都市の記憶・風景の復旧,雑木林の世界78,住宅と木材,199602

 都市の記憶・風景の復旧,雑木林の世界78,住宅と木材,199602

雑木林の世界78 

都市(まち)の記憶 風景の復旧:阪神淡路大震災に学ぶ(2)

布野修司

 

 阪神淡路大震災から一年が経過した。

 大震災をめぐっては、多くの議論がなされてきた。僕自身、被災度調査以降、A市のHS地区の復興計画に巻き込まれながら、そうした議論に加わってきた。参加したシンポジウムもかなりになる。

 そうした中で印象に残るのが、「都市(まち)の記憶 風景の復旧」と題した建築フォーラム(AF)主催のシンポジウムである(一九九五年九月八日 新梅田スカイビル)。磯崎新、原広司、木村俊彦、渡辺豊和をパネラーに、コーディネーターを務めた。千人近くの聴衆を集めた大シンポジウムであった。全記録は、『建築思潮』第4号(学芸出版社)に掲載されているからそれに譲りたい。

 印象に残っている第一は、磯崎新の「まず、全てをもとに戻せ」という発言である。震災復興で何かができるのであれば、震災が来なくてもできるはずである。震災だからこの際できなかったことをという発想には大きな問題があるという指摘である。

 見るところ、大震災によって、都市計画の大きなフレームは変わったわけではない。特別な予算措置がなされるわけでもない。それにも関わらず復興計画に特別な何かを求めるのはおかしいという指摘である。それより、即復旧せよ、というのである。同感であった。

 第二に印象的だったのは、原広司の「都市の問題は住宅の問題だ」という指摘である。基幹構造に多重システムがない等の都市の構造の弱点は、個々の住宅の構造に自律性がないせいである、という。要するに、都市と住宅の構造的欠陥が大震災で露わになったのである。これまた、同感であった。

 A市のHS地区のこの間の復興計画立案の過程を見ていても、上の二つの指摘は鋭いと思う。阪神大震災によって何が変わったかといっても、そうすぐ変わるわけがない。火事場泥棒宜しくうまくやろうといってもそうはいかない。結局、何も本質的なことは動いていない、というのが実感である。

 A市は激震地から離れているけれど、かなり被害を受けた地区がある。震災復興計画として決定された地区は五地区あり、HS地区は、そのひとつである。「文化住宅」の密集地区で、   世帯ある。

 住民のグループから以来を受け、ヴォランティアとして、地区住民の主体性を尊重しながら、できることを援助しようというスタンスで関わっているであるが、この間の経緯は呆然とすることの連続である。特に、行政の傲慢とも見える対応はあきれるほどだ。そうでなくても世代や収入、地区へのこだわりを異にする人々が一致して事業に当たることは容易ではない。権利関係の調整は難しいし、時間もかかる。行政と住民との間で、また住民相互の間で様々な葛藤が生まれ、軋轢が露呈する。剥き出しのエゴがぶつかりあう。まとめるのは至難のわざである。

 ただ、HS地区はそれ以前である。それなりのプロセスにおいて復興計画を研究室でつくったのであるが、ワークショップが開けない。行政当局は邪魔者扱いで、支援グループを排除するのを都市計画決定の条件にする。とんでもない話である。予め線を引いて、要するに案をつくって、住民に認めるか認めないか、という態度である。そういう傲慢かつ頑なな態度で住民がまとまるわけがない。住民組織も疑心暗鬼で四分五裂である。

 「疲れた、もう止めた」、懸命に阪神・淡路大震災の復興計画に取り組む建築家、都市計画プランナーから苦渋の本音が漏れ出しているのはよくわかる。行政当局のやりかたにも相当問題がある。A市にはT地区のように区画整理事業をスムーズに進めている地区もあるから一概に言えないのであるが、一般に住民参加といっても、そういう仕組みもないし、トレーニングもしていないのである。

 自然の力、地区の自律性の必要、重層的な都市構造の大切さ、公園や小学校や病院など公共施設空間の重要性、ヴォランティアの役割、・・・・大震災の教訓について数多くのことがこの一年語られてきた。しかし、大震災の教訓が復興計画に如何に生かされようとしているのか、大いに疑問が湧いてくる。関東大震災後も、戦災復興の時にも、そして、今度の大震災の後も、日本の都市計画は同じようなことを繰り返すだけではないのか。要するに、何も変わらないのではないか。それ以前に何も動いていないのである。

 阪神・淡路大震災によって一体何が変わったのか。大震災がローカルな地震であったことは間違いない。国民総生産に対する被害総額を考えても、関東大震災の方がはるかにウエイトが高かった。震災後二ヶ月経つと、特にオウム真理教の事件が露になって、被災地以外では大震災は忘れ去られたように見える。大震災の最大の教訓は、もしかすると、震災の体験は必ずしも蓄積されないということではないのか、と思えるほどだ。

  しかしもちろん、その都市や建築のあり方について与えた意味は決して小さくない。というより、日本のまちづくりや建築のあり方に根源的な疑問を投げかけたという意味で衝撃的であった。日本の都市のどこにも遍在する問題を地震の一揺れが一瞬のうちに露呈させたのである。そうした意味では、大震災のつきつける基本的な問題は、被災地であろうと被災地でなかろうと関係ない。震災の教訓をどう生かしていくのかは、日本のまちづくりにとって大きなテーマであり続けている。

 今度の大震災がつきつけたのは都市の死というテーマである。そして、その再生というテーマである。被災直後の街の光景にみたのは滅亡する都市のイメージと逞しく再生しようとする都市のイメージの二つである。都市が死ぬことがあるという発見、というにはあまりにも圧倒的な事実は、より原理的に受けとめられなければならないはずである。

 現代都市の死、廃墟を見てしまったからには、これまでとは異なった都市の姿が見えたのでなければならない。復興計画は、当然、これまでにない都市のあり方へと結びついていかねばならない。そこで、都市の歴史、都市の記憶をどう考えるは大きなテーマである。何を復旧すべきか、何を復興すべきか、何を再生すべきか、必然的には都市の固有性、歴史性をどう考えるかが問われるのである。ただそれは、震災があろうとなかろうと常に問われている問題である。都市の歴史的、文化的コンテクストをどう読むか、どう表現するかは、日常的テーマといっていいのである。

 


2023年2月17日金曜日

社区総体営造-台湾の町にいま何が起こっているか,雑木林の世界79,住宅と木材,199603

社区総体営造-台湾の町にいま何が起こっているか,雑木林の世界79,住宅と木材,199603 

雑木林の世界79

社区総体営造・・・台湾の町にいま何が起こっているか

布野修司

 

 毎月第三金曜日はアジア都市建築研究会の日である。昨年四月に準備会(山根周 「ラホールの都市空間構成」)を開いて、この一月の会で七回目になる。小さな会だけれど、研究室を越えた、また大学を超えた集まりに育ちつつある。各回の講師とテーマを列挙すれば以下のようだ。

 第一回 宇高雄志 「マレーシアにみた多民族居住の魅力」(一九九五年五月)

 第二回 齋木崇人 「台湾・台中の住居集落」(六月)

 第三回 韓三建 「韓国における都市空間の変容」(七月)

 第四回 沢畑亨 「ひさし・植え込み・水」(一〇月)

 第五回 牧紀男・山本直彦 「ロンボク島の都市集落住居とコスモロジー」(一一月)

 第六回 青井哲人 「「東洋建築」の発見・・伊東忠太をめぐって」(一二月)

 第七回 黄蘭翔 「台湾の「社区総体営造」」(一九九六年一月)

 ここでは最新の会の内容を紹介してみよう。

 台湾の「社区総体営造」とは何か。なかなかに興味津々の内容であった。

 講師の黄蘭翔先生は、昨年まで研究室で一緒であったのであるが、逢甲大学の副教授を経て、現在は台湾中央研究院台湾史研究所の研究員である。都市史、都市計画史の専門であるが、台湾へ帰国してびっくりしたというのが「社区総体営造」である。

 「社区」とは地区、コミュニティのことだ。社区という言葉は必ずしも伝統的なものではない。行政の組織ということであれば保甲制度がある。そして、「社区総体営造」とは平たく言うとまちづくりのことだ。台湾ではいま「社区主義」、「社区意識」、「社区文化」、「社区運動」という言葉が聞かれるようになったという。「経営大台湾、建立新中原」(偉大な台湾を経営しよう、新しい中国の中心を創り出そう)「経営大台湾 要従小区作起」(偉大な台湾を経営しようとしたら、小さな社区から始めねばならぬ)というのがスローガンとなっているという。

 「社区総体営造」を進めるときは社区から始めなければならない。しかも、自発的、自主的でなければならない。行政機関の役割は考え方の普及、各社区の経験交流、技術の提供、部分的な経費の支援のみである。最初のきっかけとしてモデル事業を行うこともある。

 社区毎に中、長期の推進計画が立てられる。社区の役割は住民のコンセンサスを得て、詳細の完備した地区の設計計画を立て、同時に資金の調達計画、経営管理計画を立てることが期待される。

 「社区総体営造」の目的は、単なる物理的な環境の整備ではなく、社区のメンバーの参加意識の養成であり、住民生活の美意識を高めることである。「社区総体営造」は社区をつくり出すのみではなく、新しい社会をつくり出し、新しい文化をつくり出し、新しい人をつくり出すことである。

 「社区総体営造」を推進しているのは行政院文化建設委員会(略して文建会)である。権限が全く違うから比較にならないけれど、日本でいうと文化庁のような機関である。「社区総体営造」政策が開始されてまだ三年なのであるがすごい盛り上がりである。

 具体的に何をするかというと、次のようなことが挙げられる。

●民族的イヴェントの開発

●文化的建造物がもつ特徴の活用

●街並みの景観整備

●地場産業の文化的新興

●特有の演芸イヴェントの推進

●地方の歴史や人物を展示する郷土館の建設

●生活空間の美化計画

●国際小型イヴェントの主催

 それぞれの社区は独自の特性を生かしてまずひとつの項目を推進し、徐々に他の項目に広げていくことが期待されている。現在、一二項目のプロジェクトが推奨プロジェクトとしてまとめられている。

 黄蘭翔先生は、「社区総体営造」の背景と文建会の施策の概要を説明した後、三つの事例をスライドを交えて報告してくれた。

 台中理想国、嘉義新港、宣蘭玉田の三地区の例であるが、それぞれ多様な展開の例であった。政策展開としては三年ということであるが、それ以前からいろいろなまちづくりの試みが自発的に起こっていたのである。

 理想国というのは、その名を目指して造られた民間ディベロッパーの計画住宅地であったが、総戸数二〇〇〇戸のうち入居率が三〇パーセントというありさまでスラム化していた。その団地をリニューアルする試みが供給業者の主導のもとにこの十年展開されてきた。ペンキでファサードを塗り直す「芸術街坊」をつくることから、警備体制を整えたり、市場を改装してショッピング・センターをつくったり、幼稚園などの公共施設の整備したり、生き生きとした街に再生していく様がスライドからも伝わってきた。

 嘉義新港の場合は、陳錦煌というお医者さんがリーダーである。苦学して台湾大学付属病院の医師となった陳氏が帰郷し、医療活動をしながらまちづくりに取り組むのである。具体的には「新港文教基金」が設立され、息長い文化芸術イヴェントが展開されている。

 宣蘭玉田のケースは、文建会主導によるモデルケースである。きっかけは全国文芸祭であったという。全国的な文芸祭を行うに当たり、まず地区を見つめる作業が行われた。具体的には、フィールド・ワークによる地方史の編纂や環境調査である。そしてその過程で、社区の文化を産業化する方法が模索された。そして、文芸祭に当たっては様々なアイディアが出され、実効に移された。お年寄りの伝統技能を用いて竹の東屋が建設されたりしたのである。 

 詳細には紹介しきれないけれど、台湾の新たなまちづくりはおよそ以上のようだ。誤解を恐れずに言えば、HOPE計画あるいは村おこし、町おこしの台湾版である。事実、「社区総体営造」の立案者は日本の事例に学んだのだという。CBD(コミュニティ・ベースト・ディベロップメント)の理念が基本に置かれているのは間違いない。 

 「建立新故郷」、「終身学習」を理念とする「社区総体営造」が施策として展開される背景には、台湾の置かれている内外の関係があるであろう。しかし、その方法には相互に学ぶべき多くのことがあるというのが直感である。 




2023年2月16日木曜日

2023年2月15日水曜日

Community Based Development & Sustainability, An International Symposium Urban Regeneration and Economic Development, 20071117:講演:「地域再生と持続的発展:Community Development and Sustainability」,AIA(アメリカ建築家協会)日本支部主催,テンプル大学日本校・国士舘大学アジア研究センター共催,国際シンポジウム「都市再生:環境サステナビリティと経済発展: Urban regeneration and and Economic Development」,新生銀行本店,2007年11月17日

講演:「地域再生と持続的発展:Community Development and Sustainability」,AIA(アメリカ建築家協会)日本支部主催,テンプル大学日本校・国士舘大学アジア研究センター共催,国際シンポジウム「都市再生:環境サステナビリティと経済発展: Urban regeneration and and Economic Development」,新生銀行本店,2007年11月17日

Community Based Development & Sustainability, An International Symposium Urban Regeneration and Economic Development, 20071117

































都市再生と経済発展

 地域再生と持続的発展

カンポンKampungに学ぶこと

布野修司

 


 
カンポンkampungとは、インドネシア(マレーシア)語で「ムラ」という意味である。カンポンガンというと「イナカモン」というニュアンスである。都市の居住地なのにカンポンという。このカンポン、実は、英語のコンパウンドcompound(囲い地)の語源なのである。カンポンのあり方を紹介する中でアジアの都市の共生原理と持続的発展を考えたい。 

 

自己紹介

・建築計画→地域生活空間計画→環境建築学/カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)/アジア都市建築研究・植民都市研究

・タウンアーキテクト論 →近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座

    日本建築学会 建築計画委員会委員長 英文論文集委員会委員長 

    元理事 『建築雑誌』編集委員長 前アジア建築交流委員会委員長

        島根県景観審議会委員

        宇治市都市計画審議会会長 景観審議会委員

 主要著作

   [1]:戦後建築論ノート,相模書房,1981615(日本図書館協会選定図書)

   [2]:スラムとウサギ小屋,青土社,1985128

   [3]:住宅戦争,彰国社,19891210

   [4]:カンポンの世界,パルコ出版,1991725

   [5]:戦後建築の終焉,れんが書房新社,1995830

   [6]:住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論,朝日新聞社,19971025

   [7]:廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,1998510(日本図書館協会選定図書)

   [8]:都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集Ⅱ,彰国社,1998610(日本図書館協会選定図書

   [9]:国家・様式・テクノロジー・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,1998710(日本図書館協会選定図書)

   [10]裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,2000310

   [11]曼荼羅都市・・・ヒンドゥー都市の空間理念とその変容,京都大学学術出版会,2006225

 

 

Ⅰ カンポンの世界

カンポンの語源については、ポルトガルのcampanha, campo(キャンプの意)の転訛、フランス語のcampagne(田舎countryの意)の転訛という説もあるが、マレー語のカンポンがその由来であるというのがOEDであり、その元になっているのが、ユールとバーネルのインド英語の語彙集である。Yule, H. and Burnel, A.C., “Hobson-Jobson: A Glossary of Colloquial Anglo-Indian Works and Phrases, and of Kindred Terms, Etymological, Historical, Geographical and Discursive, Delhi: Munshiram Manoharalal, 1903(1968)”

 

アジアの居住問題

人口問題、食糧問題、資源問題、居住問題

発展途上国の都市化の特質

  発展途上国の都市化  都市化の水準と速度

  過剰都市化とプライメート・シティ ランクサイズルール

都市化の構造的重層性

    植民都市 

    複合社会

    二重構造

    都市村落 

都市化理論と発展途上国

都市化の類型

 カンポンの特性

1.多様性

2.全体性

3.複合制

4.高度サービス社会 屋台文化

5.相互扶助システム

6.伝統文化の保持

7.プロセスとしての住居

8.権利関係の重層性

 カンポンに学ぶこと

   Urban Involution

   Shared Poverty(貧困の共有) Work Sharing

 カンポン・ハウジング・システム

カンポン固有の原理の維持/参加/スモール・スケール・プロジェクト

段階的アプローチ/プロトタイプのデザイン/レンタル・ルームのデザイン/集合の原理の発見/ビルディング・システムの開発/地域産材の利用/ワークショップの設立/土地の共有化/ころがし方式/コーポラティブ・ハウジング/アリサンの活用/維持管理システム/ガイド・ライン ビルディング・コード

 

 

Ⅱ アジア都市の伝統

アジア都市の伝統としての都市遺産を見直す必要があるだろう。今日の「世界」が「世界」として成立したのは,すなわち,「世界史」が誕生するのは,「西欧世界」によるいわゆる「地理上の発見」以降ではない。ユーラシア世界の全体をひとつのネットワークで繋いだのはモンゴル帝国である。火薬にしても,上記のように,もともと中国で「発明」され,イスラーム経由でヨーロッパにもたらされたのである。モンゴル帝国が広大なネットワークをユーラシアに張り巡らせる13世紀末になると,東南アジアでは,サンスクリット語を基礎とするインド起源の文化は衰え,上座部仏教を信奉するタイ族が有力となる。サンスクリット文明の衰退に決定的であったのはクビライ・カーン率いる大元ウルスの侵攻である。東南アジアにおける「タイの世紀」の表は「モンゴルの世紀」である。

こうして,ヒンドゥー都市(インド都城)の系譜が浮かび上がるだろう。それを,チャクラヌガラ(あるいはマンダレー)という実在の都市に因んで「曼荼羅都市」と名づけた(『曼荼羅都市―ヒンドゥー都市の空間理念とその変容―』、2006年、京都大学学術出版会)。

それでは,他の伝統はどうか。インド都城と対比しうる伝統として中国都城の伝統がある。大元ウルスが,『周礼』孝工記をもとにして中国古来の都城理念に則って計画設計したのが大都(→北京)である。中国都城の理念が,朝鮮半島,日本,ベトナムなど周辺地域に大きな影響を及ぼしたことはいうまでもない。日本の都城は,その輸入によって成立したのである。この中国都城の系譜を,ほとんど唯一,理念をそのまま実現したかに思われる大都に因んで,「大元都市」の系譜と仮に呼ぼう。「大元」とは,『易経』の「大いなる哉,乾元」からとったと言われる。「乾元」とは,天や宇宙,もしくはその原理を指す。

ユーラシア大陸を大きく見渡すと,こうして,都城の空間構造を宇宙の構造に見立てる二つの都市の伝統に対して,都市形態にコスモロジーカルな秩序を見いだせない地域がある。西アジアを中心とするいわゆるイスラーム圏である。少なくとも,もうひとつの都市の伝統,イスラーム都市の伝統を取り出しておく必要がある。具体的に焦点とすべきは,「ムガル(インド・イスラーム)都市」である。イスラーム都市の原理とヒンドゥー都市の原理はどのようにぶつかりあったのかが大きな手掛かりとなるからである。ムガルとはモンゴルの転訛である。ここでもモンゴルが絡む。モンゴル帝国は,その版図拡大の過程で,どのような都市の伝統に出会ったのか,13世紀の都市がテーマとなる。

 

Ⅲ 地域の生態系に基づく都市システム

 

 エコハウス・エコタウン

パッシブ・クーリング 冷房なしで居住性向 ミニマム熱取得/マキシマム放熱/ストック型構法長(スケルトン インフィル) リニューアブル材料 リサイクル材料(地域産出材料)/創エネルギー    自立志向型システム(Autonomous House)/PV(循環ポンプ、ファン、共用電力)   天井輻射冷房/水 自立志向型給水・汚水処理システム  補助的ソーラー給湯

ごみ処理 コンポスト 土壌浄化法 合併浄化槽

 

大屋根 日射の遮蔽二重屋根 イジュク(椰子の繊維)利用

ポーラスな空間構成 通風 換気 廃熱 昼光利用照明 湿気対策 ピロティ

夜間換気 冷却 蓄冷 散水 緑化 蓄冷 井水循環 スケルトン インフィル 混構造 コレクティブ・ハウジング 中水 合併浄化槽外構 風の道 

 

 アジアに限らず世界中で問われるのは地球環境全体の問題である。エネルギー問題、資源問題、環境問題は、これからの都市と建築の方向を大きく規定することになる。とにかく、遺産は遺産として大事にしろ、というのが筆者の意見である。スクラップ・アンド・ビルドの時代ではない。

 かつて、アジアの都市や建築は、それぞれの地域の生態系に基づいて固有のあり方をしていた。メソポタミア文明、インダス文明、中国文明の大きな影響が地域にインパクトを与え、仏教建築、イスラーム建築、ヒンドゥー建築といった地域を超えた建築文化の系譜が地域を相互に結びつけてきたが、地域の生態系の枠組みは維持されてきたように見える。インダスの古代諸都市が滅亡したのは、森林伐採による生態系の大きな変化が原因であるという説がある。地球環境全体を考える時、かつての都市や建築のあり方に戻ることはありえないにしても、それに学ぶことはできる。世界中を同じような建築が覆うのではなく、一定の地域的まとまりを考える必要がある。国民国家の国境にとらわれず、地域の文化、生態、環境を踏まえてまとまりを考える世界単位論の展開がひとつのヒントである。建築や都市の物理的形態の問題としては、どの範囲でエネルギーや資源の循環系を考えるかがテーマとなる。

 ひとつには地域計画レヴェルの問題がある。各国でニュータウン建設が進められているが、可能な限り、自立的な循環システムが求められる。20世紀において最も影響力をもった都市計画理念は田園都市である。アジアでも、田園都市計画はいくつか試みられてきた。しかし、田園都市も西欧諸国と同様、田園郊外を実現するにとどまった。というより、田園郊外を飲み込むほどの都市の爆発的膨張があった。大都市をどう再編するかはここでも大問題である。どの程度の規模において自立循環的なシステムが可能かは今後の問題であるけれど、ひとつの指針は、一個一個の建築においても循環的システムが必要ということである。

 アジアにおいて大きな焦点になるのは中国、インドという超人口大国である。また、熱帯地域に都市人口が爆発的に増えることである。極めてわかりやすいのは、熱帯地域で冷房が一般的になったら、地球環境全体はどうなるか、ということがある。基本的に冷房の必要のないヨーロッパの国々では、暖房の効率化を考えればいいのであるが、熱帯では大問題である。米国や日本のような先進諸国では、自由に空調を使い、熱帯地域はこれまで通りでいい、というわけにはいかない。事実、アイスリンクをもつショッピング・センターなどが東南アジアの大都市ではつくられている。

しかし地球環境問題の重要性から、熱帯地域でも様々な建築システムの提案がなされつつある。いわゆるエコ・アーキテクチャーである。スラバヤ・エコ・ハウスもその試みのひとつである。自然光の利用、通風の工夫、緑化など当然の配慮に加えて、二重屋根の採用、椰子の繊維を断熱材に使うなどの地域産財利用、太陽電池、風力発電、井水利用の輻射冷房、雨水利用などがそこで考えられている。マレーシアのケン・ヤンなどは、冷房を使わない超高層ビルを設計している。現代の建築技術を如何に自然と調和させるかは、アジアに限らず、全世界共通の課題である。


日本のまちづくりをめぐる基本的問題

◇集住の論理    住宅=町づくりの視点の欠如 建築と都市の分離   型の不在 都市型住宅

◇歴史の論理     

  スクラップ・アンド・ビルドの論理 スペキュレーションとメタボリズム 価格の支配 住テクの論理 社会資本としての住宅・建築・都市

◇異質なものの共存原理 

  イメージの画一性 入母屋御殿 勾配屋根

 多様性の中の貧困 

◇地域の論理 

 大都市圏と地方 エコロジー

◇自然と身体の論理

  人工環境化 土 水 火 木

  建てることの意味

◇生活の論理

 住宅生産の工業化 住宅と土地の分離

  物の過剰 家族関係の希薄化

 住宅問題の階層化 社会的弱者の住宅問題

◇グローバルな視野の欠如

 発展途上国の住宅問題

◇体系性の欠如(住宅都市政策)