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2025年1月23日木曜日

延藤安弘 京はこんな町になったらエエナ ―広原盛明の<はんなり・まちづくり>へのつぶやき―、広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する 建築・すまい・まちづくり関係者の集い 、2003年12月20日(土)午後3時~5時

 京はこんな町になったらエエナ

―広原盛明の<はんなり・まちづくり>へのつぶやき―

 

1.「ひと・くらし・いのち」ありき、がエエナ。     (ひと・まち・くらしづくり)

わけあって今までは

「もの・かね・せいど」中心。

そやからまちのかたちも

ひとのこころもかとうなってきてるんとちがう?

京都はほっこりしたぬくもりある

しなやかなひと・まち・くらしづくりへ。

 

2.論も大切やけど実行もっと大切にしたいナ。         (スポーツ人間)

  中学の頃から陸上競技やってきました。

  走り高跳びでは、関西学生一部で優勝しました。

  スポーツでは、からだを動かしながら

  からだがいちばんはずむ理屈がわかっていくように、

  京のまち、ようしていくのに

  現場でいろんな人々と話し合いを重ね

  実行のうねりを細く太く育くんでいきたい。

 

3.はっきりいうて京の町がいちばん好きや。          (京都との出会い)

  人間だれでも青春時代の出会いが人生決めるもんや。

  京都大学の西山研究室との出会い。

  京都市内の田中、楽只、竹田、崇仁地区の調査やりながら

住み手にとってくらしやすい住まい・まちづくり

  を問い、実践することに人生をかけてみよう

  という志が心の片隅に広がっていったんや。

  私の生きる方向を示し、いろんなことを教えてもろた

  京のひと・まちに心からお返しすることに

  いま再びの青春してみたい。

 

 

 

4.「嵐電」みたいに「市電」が走るまちにしたいナ。          (公共交通)

  1970年代の8年間

  京都の市電守る運動に青春かけました。

  自動車交通の限界をこえて

  ひとにも環境にもやさしい

  移動しながら京の町の風情・風景をながめられる

  「新型市電」の実験路線をつくってみたいナ。

今走っているバスもひとにやさしい心配りをしたい。

 

5.もりもりと緑ひろがり、そよそよと風はらむまちがエエナ。      (歴史都市)

  盆地と鴨川に象徴される

  山紫水明の生命みちる京の都。

  軒先の草花から山の端にかかる月に至るまで

  自然美も工芸美も構築美も

  慈しみあい照らしあいもてなしあう

  環境共生の歴史都市を守り育くんでいきたい。

 

6.りんとした「勇気」「公開」「参画」の姿勢を基本にしたい。      (基本姿勢)

  複雑でやっかいな対立の状況や

  硬直した事態をゆるやかに開くためには

  烈け目や葛藤をのりこえていく勇気をふるいたたせたい。

  勇気とは次の瞬間への意図、いさぎよいふるまい。

  そのためには

  何事もつつみかくさない公開のしくみと

  市民の多様な参画の場づくりをすすめていきたい。

 

7.あがないつつ、伝統的アートの価値を継承したいナ。         (伝統工芸)

  1960年代、清水焼の団地を山科につくった時

  伝統的な登り窯をうかつにもないがしろにした。

  均質なものができないことを理由に。

  それは近代的な効率性をものさしにした考え方。

  しかし、登り窯が生むかけがえのない個性と、

  出来損いをワリ、破片にひそむワザを

  アーチストたちがわかちあう「競争的共存」。

  これは新しい時代の芸術家や事業者の生きる価値。

 

8.記憶を呼びさまし、記憶をふりつもらせたいナ。         (まちなみ景観)

  1本の電柱をなくすことは、まちなみの記憶をよびさます。

  1本の電柱を地中に埋めると、1軒の家をきれいにしたくなる。

  1軒の家がきれいになると、まわりの家々は連鎖的にきれいになる。

  京の人々のまちなみへの記憶を呼びさます動きは

  次世代の子どもたちの記憶をふりつもらせていく。

  電線ない町は町への愛が伝染していく。

  電線のない町は町への愛が伝染していく。

電柱と家々と青空のすき間に降りしきる記憶

  それは京の町の内なる力を育くむ。

  

9.反芻する住民の知恵が子どもの楽しい学びを高めるとエエナ。  (学区コミュニティ)

  京都は日本ではじめて住民が町組ごとに小学校をつくった。

  小学校をコミュニティのセンターとして

  地域の多世代のチエとワザとココロを生かして

  子どもとまちの生き生きとした出会いの機会を高めたい。

  「タンケン・ハッケン・ホットケン」は

  子どものココロの感動をよびさます。

  感動を絵地図や紙芝居などに表現・発表・交流すると

  子どもも住民も双方が高まりあう

  学校と地域が相互に呼吸しあう学区の育くみへ。

 

10.難儀な空店舗にまちの力をまぜあわせてみよう。           (商店街)

   まち中でもはずれでも商店街にアキが生まれたら、

   お年よりたちの安心居場所のデイサービスを営んでみよう。

   散髪屋や美容院が髪をすき、歯医者が歯をみて

   和菓子屋が季節の香りを届け、花屋が四季の彩りを飾り…

   ひととまちの力をまぜあわせて

   「おでん」のようなおいしいコミュニティの拠点を創りたい。

 

11.理性も感性も豊かな市民力を育くむまちにしたいナ。         (市民力)

   千年の都の歴史に蓄えられた人間の知恵の深さのある市民力。

   「もう一度考えときます」ということは

   京では時には否定を意味するけれど

   「ことわります」と言い切ってしまわない

   お互いに閉ざさない、孤立しないという

   京ならではの裏表の微妙なバランス感覚。

   個人の役割をきちんとこなしつつ

   ゆるやかに周りと協働していく連帯感覚。

   伝統の市民力に期待をよせたい。

 

12.なんと観光客が伝統産業にかかわる、そんな場をひろげたいナ。 (観光と伝統産業)

   京の多様なタカラの外面を見にくる観光をこえて

   織物紡いだり陶器をこねたり扇子をつくったり

   立花を生けたりと伝統の文化・産業にジカにかかわる

   観光客がふえてくると、まちなみに勢いが発露するし

   伝統産業の元気がよびさまされていく。

   究極の観光は創り制作することへの参加と体験

   そのことで京の町の内なる力はきたえられていく。

 

13.これからは多世代交流のコミュニティづくりをしたい。     (多世代交流)

   子育て支援と高齢者福祉をたてわりにせんと

   横につなぐゆるやかな世代間の結びあう場づくりは

   決して見なれた風景とはちがうけれど

   静けさを尊ぶ存在と

   動きの中に生を育くむ存在の

   せめぎあいのエネルギーがほとばしる時

   思いがけない偶発的な関係の中で老若共に育ちあう。

 

14.交番、路地、地蔵さんは京の町の安全安心の象徴。        (安全安心)

   六地蔵は平安時代のおわり頃に

   京に至る街道に安置された道祖神。

   のちに家内安全、無病息災などを祈願して

   地蔵尊を巡り拝むようになった。

   古い時代の安全・安心のコミュニティ・シンボルとともに

   現代のそれを育くむことを目指したい。

   地域の人間関係を日頃から育くむことが

   震災や犯罪などの危機管理とのりこえの基本の基。

 

15.ろくでもないゴミに生命をよびさましたい。           (ゴミ問題)

   資源をムダ使いして大量のゴミを出す

   建てては壊すやり方はやめて

   古材を新しい柔らかい場所づくりに生かしたい。

   日常の生活ゴミも丁寧に分別すると

   資源がめぐりめぐって生きつづけられ

   うらうらとした朝日の中で

   人のくらしの営みの叡知の種子は発芽し

   人もまちも健やかに育くまれていく。

 

16.ところで、これまでの各頁の第1行を束ねてみよう。

   

「ひと・くらし・いのち」ありき、がエエナ。

   論も大切やけど実行もっと大切にしたいナ。

   はっきりいうて京の町がいちばん好きや。

   「嵐電」みたいに「市電」が走るまちにしたいナ。

   もりもりと緑ひろがり、そよそよと風はらむまちがエエナ。

   りんとした「勇気」「公開」「参画」の姿勢を基本にしたい。

   あがないつつ、伝統的アートの価値を継承したいナ。

   記憶を呼びさまし、記憶をふりつもらせたいナ。

   反芻する住民の知恵が子どもの楽しい学びを高めるとエエナ。

   難儀な空店舗にまちの力をまぜあわせたいナ。

   理性も感性も豊かな市民力を育くむまちにしたいナ。

   なんと観光客が伝統産業にかかわる、そんな場をひろげたいナ。

   これからは多世代交流のコミュニティづくりをしたい。

   交番、路地、地蔵さんは京の町の安全安心の象徴。

   ろくでもないゴミに生命をよびさましたいナ。

   

   各行の頭文字を束ねてみたら

<ひろはらもりあき はんなりなこころ!>

広原盛明は京都らしいはんなりとした

品格の高い陽気ではなやかな志と

明瞭な政策としての「はんなり・まちづくり」を

市民とともに紡ぎだすために

ささやかな力を尽くしたい。

広原盛明はひたすらそう念じています。

ここ一番のジャンプに誠意と渾身の力をこめて…。

 広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する

建築・すまい・まちづくり関係者の集い

のよびかけ


 
今年も残り少なくなりました。皆様いかがおすごしでしょうか。話題の総選挙も終わり、政治の季節もひとまず過ぎ去ったように感じられますが、来年2月8日には京都市長選挙が行われます。そしてこの京都市長選に広原盛明さん(京都府立大学前学長、京都大学建築学科1961年卒業)が立候補されることになりました。

 
日本人の心の故郷といわれる京都は、世界的にも貴重な社寺城郭を有し世界遺産にも登録され、また地球温暖化防止国際会議が開催されて「京都議定書」が採択されるなど、世界の歴史文化都市としてその環境保全に重大な責任と役割を課せられた都市です。にもかかわらず、京都南部においては巨大な高架高速道路が市内に向かって建設が進められ、俵屋、柊屋など老舗旅館が立地する中心市街地では高層マンションの乱立に歯止めがかからない状況です。また世界遺産の背景地においても宅地開発が進行しています。京都はいま歴史都市として存亡の岐路に立っているといっても過言ではありません。

 
広原盛明さんは、はやくも1960年代から住民参加のまちづくりに取り組んだ先覚的なまちづくり研究者です。また8年間にわたる京都の市電存続市民運動(197078年)を通して、環境保全の視点から都市交通とまちづくりのあるべき姿を追求した実践家でもあります。阪神・淡路大震災ではいち早く救援活動に駆けつけ、建築士・弁護士・不動産鑑定士・土地家屋調査士などの職能団体によって組織された「阪神・淡路まちづくり支援機構」の代表委員として活躍されてきました。

 
私たちは、京都の現状を憂い、京都の明日を切り開く見識をもった広原盛明さんがこのたび京都市長選に立候補表明されたことを、勇気ある行動として心から歓迎し、支持したいと思います。
 
つきましては、建築・すまい・まちづくりの分野でご活躍の皆様方に広原盛明さんへの支援をお願いしますとともに、「広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する建築・すまい・まちづくり関係者の集い」(12月20日、京大会館)へのご案内を申し上げます。ご多忙中とは存じますが、ご参加をお待ちしております。
                                                       
2003年11月

よびかけ人(予定)

陣内秀信(法政大学教授)、鈴木成文(東京大学名誉教授、前神戸芸術工科大学学長)、林泰義、山岡義典、内田雄造(東洋大学教授)、藤本昌也(建築家)、峰政克義氏、曽田忠広(愛知工業大学教授)
白砂剛二・湯川聡子・高口恭行・延藤安弘・安藤元夫(近畿大学教授)・森本信明(近畿大学教授)・海道清信(名城大学教授 、横尾義貫(京大名誉教授)・田中喬(京大名誉教授)・中村泰人(京大名誉教授)、小島攻(近畿大学教授)、千葉桂司(都市公団OB )、渡辺豊和(建築家・京都造形大教授)、若林広行(建築家)、安原秀(建築家)

青木志郎(東京工業大学名誉教授・元日本建築学会副会長)、石田頼房(東京都立大学名誉教授・元自治体問題研究所副理事長)、牛見 章(東洋大学名誉教授・元埼玉県都市計画審議会会長)

大谷幸夫(東京大学名誉教授・建築家)、岡田光正(大阪大学名誉教授)、小川信子(日本女子大学名誉教授・元生活学会会長)、片寄俊秀(関西学院大学教授)、柴田徳衛(東京都立大学教授・元東京都理事)、住田昌二(大阪市立大学名誉教授・元福山女子大学学長)、吉田あこ(筑波技術短期大学名誉教授・元国際女性建築家協会副会長)

 

 

広原盛明さんの京都市長選立候補表明を支援する

建築・すまい・まちづくり関係者の集い

 

1.日時:2003年12月20日(土)午後3時~5時
2.会場:京大会館
3.次第(1)よびかけ人挨拶、(2)広原盛明さん挨拶、(3)参加者スピーチ、(4)事務局からの

     支援活動についての訴え、(5)今後のスケジュールなど

4.会費:3千円
5.出欠:同封の葉書あるいはFAX用紙で12月15日(月)までにお返事下さい。
  
   なお欠席の場合も趣旨にご賛同の場合はカンパ(1口5千円)をお願いいたします。
 
  宛先:〒612-0846  京都市伏見区深草大亀谷万帖敷町455  広原盛明宛
     tel/fax 075-643-8524  Email: hirohara@skyblue.ocn.ne.jp
         
郵便振替:京都市伏見区万帖敷郵便局 口座番号(申請中)

          銀行振込:京都銀行墨染支店 普通口座(開設中)

 



2025年1月22日水曜日

フェイクとオーセンティシティ:建築の虚偽構造,驟雨異論❶,雨のみちデザインウェブマガジン「驟雨異論(しゅうういろん)」,2021 05 20 

 http://amenomichi.com/shuuiron/funo1.html

フェイクとオーセンティシティ:建築の虚偽構造,驟雨異論❶,雨のみちデザインウェブマガジン「驟雨異論(しゅうういろん)」http://amenomichi.com/shuuiron/funo1.html2021 05 20 

フェイクとオーセンティシティ建築の虚偽構造

布野修司

 


 隈研吾の「角川武蔵野ミュージアム」

「角川武蔵野ミュージアム」のグランドオープンに合わせて、『建築ジャーナル』誌(西川直子編集長)が、「隈研吾はなぜもてるのか。・・・」と「隈研吾と日本社会」(20211月号)という特集を組んだ[1]。確かに、隈研吾には次々に仕事が舞い込んでいる。現在進行中のプロジェクトが22もある。スタッフは、東京233、北京24、上海22、パリ36314名、スタッフ名を全て公開するのはその初心を示しているが、アトリエ事務所が設計組織事務所に匹敵する規模になるのは、黒川紀章以来であろうか[2]

 

 痩せ細る公共建築

隈研吾には、『10宅論―10種類の日本人が住む10種類の住宅』(1986)以降、多くの著作がある[3]。学生の頃から知っているけれど[4]、「ドーリック南青山」「M2ビル」(1991)のいささか時代遅れのポストモダン風デビュー作に違和感を抱いたせいであろう、その作品、著作に特に興味抱くことことはなかった[5]。改めて興味をもったのは[6]、「滋賀県新生美術館」(建設白紙中断)[7]「守山市立図書館」[8]2018年竣工)で隈研吾の提案に直接触れて以降である[9]。痛切に感じたのは、公共建築が実に痩せ細っていることである。しかるべくプランニングして、鉄骨の柱梁を組み、外壁に今や隈建築の代名詞となっている木質パネルをルーバー状に取り付ける、それだけである。


 

ファサード職人

隈研吾を建築学生たちは「ファサード職人」と呼んでいるという[10]。「ポストモダン建築に巻き込まれた後、自然素材や日本建築のなかで伝統的に用いられてきた素材(石、竹、紙・・・)」の哲学を主張する建築家として、その後の隈は知られるようになる」(ソフィー・ウダール[11])というが果たしてそうか。花崗板の外壁は分厚い、しかし、あくまで外装材である。外壁全体は大地に突き刺さったマッシブなオブジェクトに見えるが、「石の建築」といえるのか。内部は無窓の空間で、鉄の骨組と空調ダクトは剥き出しにされている。三角形に分割された陰影を生む壁面が構成されるが、隙間から内部に光が取り込まれることはない。「スキン」と「ボディ」が分離されている。

 「角川武蔵野ミュージアム」は「ところざわサクラタウン」[12]の構成要素であるが、他の施設をつなぐ階段や外部通路を三角形の鉄製パネルで覆い隠すのは隈の監修であろう、表層デザインと躯体を切り離す基本は同じである。「私にとって、木の建築の集大成が国立競技場なら、石の建築の集大成が角川武蔵野ミュージアムだ。2つの巨大プロジェクトがほぼ同時に進み、2019年と2020年にそれぞれ完成したことは非常に感慨深い」(川又英紀、日経クロステック)と言うが、新国立競技場は「木の建築」と言えるのか、「角川武蔵野ミュージアム」は「石の建築」と言えるのか。フェイクである。










 シャム・コンストラクション

かつて、『建築雑誌』誌上で「虚偽論争」と呼ばれるやりとりがあった。明治末から大正にかけて,木骨被覆構造,すなわち構造は木造,被覆材は煉瓦,石または漆喰といった洋風の外観をもつ建物が多く建てられた。これを「虚偽構造Sham Construction」としたのが山崎静太郎である。論争は、中村達太郎が「虚偽建築なりや否」(19159月号)を書き、これに対して山崎が反論[13]、さらに中村が応じた[14]のが発端である。この間には、野田俊彦が「建築非芸術論」(191510月号)を書き、後藤慶二や松井貫太郎らが参戦、建築の本質をめぐる議論が展開されていった。山崎は全く建築構造と無縁のファサード建築を「泥棒建築」とまでいう。中村はそれは「虚偽建築」であるが、山崎の「虚偽建築」は「被覆建築」であって虚偽ではないという。後藤慶二も,虚偽構造は意匠の問題で構造自体は虚偽ではないとする[15]。ただ外観を立派に見せたいという虚偽の目的による「被覆建築」には反対する。さらに、建築に虚偽が施されていたとしても,使用者がその虚偽を虚偽だと認識しなければ,問題がないとする[16]

 

オーセンティシティとは?

山崎の立場すなわちモダニズム建築あるいは構造デザインの立場からみれば、「角川武蔵野ミュージアム」は明らかに「虚偽建築」である。そして、中村達太郎、後藤慶二の立場でも、フェイクということになるだろう。巨大な吹き抜け空間は、プロジェクションマッピングのためで、本も本棚も内装材として使われているかのようである。何万点もの本もその多くが手の届かない空中に浮かぶだけで手に取ることができない、カヴァーだけのフェイクだとしても変わりがない。隈研吾は、大きく転換したというけれど、「ドーリック南青山」「M2ビル」(1991)からより、むしろ一貫していると見た方がいいのではないか。しかし、今日、建築のオーセンティシティとは何か?

今や、日本社会全体がフェイクで充たされつつある。後藤慶二に言わせれば、フェイクも使用者がそうと認識しなければフェイクではない。隈研吾の建築がもてはやされているのだとすれば、日本社会がフェイクと化しつつあることを象徴しているのであろう。


布野修司 建築評論家・工学博士、

略歴

1949年島根県生まれ。東京大学助手,東洋大学助教授,京都大学助教授,滋賀県立大学教授、副学長・理事,2015年より日本大学特任教授。日本建築学会賞論文賞(1991)、著作賞(20132015)、日本都市計画学会論文賞(2006)。『戦後建築論ノート』(1981)『布野修司建築論集ⅠⅡⅢ』(1998)『裸の建築家 タウンアーキテクト論序説』(2000),『曼荼羅都市』(2006)『建築少年たちの夢』(2011)『進撃の建築家たち』(2019)『スラバヤ』(2021)他。

 



[1] 20211月号。角川武蔵野ミュージアムの竣工を契機とした特集である。石川義正(文芸評論)、阿部潔(社会学)、小笠原博毅(社会学)といったの論客が隈研吾の言説と建築の間(ギャップ)を問い、山中想太郎が加わった座談が行われている。また、香月真大、三井嶺、山本至といった30歳代の建築家が隈研吾の建築をめぐって議論している。議論は、そのデビュー作「M2ビル」また「新国立競技場」など他の作品に及ぶ。総じて、隈研吾について厳しい。

[2] 隈研吾建築都市設計事務所という命名は、黒川紀章建築都市設計事務所を意識したのだと思う。日本版ウィキペディアには「同級生の多くは当時話題の新鋭・安藤忠雄に憧れていたが、隈はその逆を行くことを選択し、アトリエ系事務所ではではなく、社会に揉まれるためにと大手設計事務所の日本設計に就職した。 その後、戸田建設…を経て、1990年に隈研吾建築都市設計事務所を設立する。」とある。

[3] 石川義正は、専ら、隈の住宅論の問題を「住宅を純然たる消費の対象とみなすことで、住宅の設計と建築、そして「住まう」という行為そのものから主体性を剝奪する隈の論理構成である」と批判している(「隈研吾のパラドックス」同特集)。隈研吾が、20073月に提出した学位請求論文は「建築設計・生産の実践に基づく20世紀建築デザインと大衆社会の関係性についての考察」(慶應義塾大学博士(学術))である。

[4] 隈研吾は、竹山聖と同級生で、僕も出入りしていた原広司研究室の一期生である。竹山聖は、1992年からずっと京都大学で同僚であったから、隈の動静はそれなりに知っていたし、僕が座長を務めた「建築文化・景観問題研究会」(19921995年、建築技術教育普及センター,建設省)では一緒したこともあった。

[5] 磯崎新、原広司以下、9人の建築家の軌跡、建築理論、設計方法をめぐって『建築少年たちの夢 現代建築水滸伝』(2011)を書いたのであるが、1950年生まれ以後の内藤廣以下、妹島和世、隈研吾、竹山聖といった建築家は他日を期すつもりだった。

[6] 斎場(東京メモリードホール)にリノヴェーションされた「M2ビル」は、義理の父母2人の葬儀に参列してよく知っているがー乗用車用のエレベーターが柩用に絶妙に転用されているー、また、「アオーレ長岡」は、共に日本建築学会業績賞を得た森民夫前市長が僕の同級生ということもあってじっくり見る機会があったけれど、他に、特に隈の作品を見て回る機会はなかった。その後、2018年に東京ステーションギャラリーで開催された「くまのもの」は観たし、守山図書館の竣工式で、隈自身が自らの作品を語る講演を聞く機会はあった。

[7] 設計者選定委員会は、布野修司(委員長)、伊東豊雄(副委員長)他。第二次審査に残ったのは、山本理顕、隈研吾、青木淳、日建設計、SANAAが実施決定者に決定したけれど。入札不調で設計変更。コンペで選定された設計趣旨を事務局と設計者で勝手に変更したと県議会で追及され、新知事が白紙撤回を決定した。この過程にも、日本の建築界の不明朗な構造が浮かびあがった。当事者として忸怩たるものがある。

[8] 設計者選定委員会は、布野修司(委員長)、平尾和洋他。

[9] 「守山市立図書館」の設計コンペに隈研吾案を決定した後、ソフィー・ウダール+港千尋『小さなリズム 人類学者による「隈研吾」論』(2016)を隈研吾から送ってもらったのであるが、その時には「新国立競技場」の設計者は決まっていなかった。この『小さなリズム』には、東京ミッドタウンの企画設計過程が扱われるが、新国立競技場の設計施工過程の記録が欲しいと思う。

[10] 山本至の発言。「僕ら建築学生の間では隈さんを「ファサード職人」と呼んでいました」(「隈建築を巡る旅」同特集)。

[11] 『小さなリズム 人類学者による「隈研吾」論』(2016)。

[12] このプロジェクト全体については別稿が必要であるが、神社にはいささか驚いた。松岡正剛、赤坂憲雄、荒俣宏といった当代の文化人の参加を得て議論が積み重ねられた、所沢市と角川グループの共同によるユニークなプロジェクトであるが、その成否はいずれはっきりするであろう。座談会「建築の意義を問い直す」(同特集)は、隈研吾とポピュリズム、メディアとの関係、ライトノベル、アニメといったサブカル・コンテンツを問うている。日本のリーディングアーキテクトとなった安藤忠雄の仕事について、「日本社会」の内側を透視するという視点が成り立つであろうか。独学で建築を学び、東大教授になり、文化勲章を授与されたそうした履歴は、あくまで個人の仕事であり、サクセスストーリーである。しかし、東京オリンピックのための「新国立競技場」建設をめぐる経緯において、結果として設計者に決まった隈研吾の立ち位置は、日本社会の政界と建設業界の内側を垣間見させていた筈である。

 

[13] 山崎静太郎「虚偽建築に就いて中村先生へ」(191511月号)。

[14] 中村達太郎「再び虚偽建築に就いて」(19161月号)。

[15] 後藤慶二「虚偽意匠に就いて」19163月号)

[16] 後藤慶二「形而下の構造に対する形而上の批判」19167月号)。

2025年1月21日火曜日

PRESCRIPTION,木村恒久vs布野修司、『生きるためのデザイン』,Harbourfront Center, Toront, Canada,2001 地球のデザイン・・・環境の遺伝子、木村恒久vs布野修司 生きるためのデザイン 

 PRESCRIPTION,木村恒久vs布野修司、『生きるためのデザイン』,Harbourfront Center, Toront, Canada2001









地球のデザイン・・・環境の遺伝子

布野修司

 

 雑用にかまけた日常の時の流れを一瞬中断しての瞬間的応答でしたけれど、実に刺激的でした。言葉のやりとりが木村さんの作品に直接結びついたとは毛頭おもいません。むしろ、木村さんの発する言葉に僕の方が大いに挑発されたのです。

「環境」の概念=「プログラムのロボット化」=「テキストの使い捨て」=「環境問題」

 というのは難解なテーゼですが、今日の世界が抱える問題の本質をついているというのが直感です。

 そして、「遺伝子」が問題だ、というのには正直共感しました。

 普段は身近な建築や都市のデザインを考えているのですが、どんな小さな空間、例えば住居、のあり方も地球全体の問題につながります。地球のデザインこそが今日の最大の問題です。しかし、環境の遺伝子こそが問題だ、と考えることで大きな手がかりが得られたように思えるのです。

 木村さんの作品を前にして、以上の理解はいささか観念的かもしれません。木村さんの作品には図式をストレートに表現するといった次元を超えた不気味な迫力があります。表現はフィールドであるという、その創造の現場での格闘を共有したいと思います。時代の根源を見つめる思考もまたなんらかの遺伝子でつながっている筈です。

 

恐ろしく魅力的に思えるけれど、いささか難解なキーワードが並ぶ。正直言ってこうしたコンセプトをヴィジュアルな表現に直結させるこの知性がうらやましい。

たどたどしく、制作意図を辿ればこういうことか。

「環境」の概念=「プログラムのロボット化」=「テキストの使い捨て」=「環境問題」

こうした回路の中でデザイナーは「プログラムの傍観者」と化している。そこでどうするか。展覧会は「デザイン使い捨て時代」における知的創造のシミュレーションである。

そして、焦点は「文化のブラックホール化」であり、具体的にはプログラムを利用する上位の「ゲームとしてのプログラムの開発」こそがキーとなる。といっても、あくまでも上位のプログラムの開発者としてデザイナーは延命すべきだいうのではないだろう。

既存のプログラムを活用しながら、ブラックボックスに幽閉された、新たな関係性のコンテンツを浮き彫りにする行為が知的課題なのだ、という。インターネットの無限の闇に分け入って、新たなネットワークを浮き彫りにしろ、ということか。全てのデザイナーよ、ハッカーとなれ!、木村さんらしい。

しかし、突然、遺伝子である。遺伝子のブラック・ボックスから新たな諸関係が見いだせるか・・・それは確かに21世紀の最大の問題だ。ヒトゲノムはほぼ解読されたというのである。遺伝子によって全てが予言しうるとしたら、デザイナーなどという存在は既にいないのである。

鋭い感性で時代を直感する木村さんと違って、建築屋の僕としてはもうちょっと具体的に身近な環境問題が気になる。あるいは、精一杯背伸びすれば地球のデザインこそが問題だ。環境の遺伝子、都市の遺伝子、地球の遺伝子についても同様なテーマ設定が可能ではないかと思う。

ダイオキシンとか、アセトアルデヒドとか、かつて想像だにできなかったことが起こる。環境ホルモンとは一体なんだ。環境そのものが人間の遺伝子を脅かしつつあるのである。

エネルギー問題、食糧問題、人口問題・・・この地球環境の遺伝子をめぐってはまともな理論がない。楽観論、悲観論が飛び交う中で明らかに何かが隠されている。そして、不気味な死が地球の最も弱い場所で既に進行している。それを具体的に浮き彫りにすることは、たとえ地獄をみようが、知的創造作業と言うべきだと思う。

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...