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2022年8月31日水曜日

2001年9月 序走・・・第2回編集委員会 『建築雑誌』編集長日誌 2001年4月25日~2003年5月31日

 序走・・・第2回編集委員会

200191

 ほとんど何も決定できなくて少々焦る。焦ってばかりだ(ホントはナルヨウニナルサである)。4日から学会のアジア建築交流委員会主催のタイ・マレーシア視察に出掛けなければならない。以下確認のメールを送る。

 

建築雑誌の編集方針について   布野修司            01092001

0 以下、よろしく作業をお願いします。また、全てについてご意見お願いします。

Ⅰ 建築雑誌 20021月号 について

        A特集

表紙に特集に関わるインパクトある図像、図表を用いる

その解説を特集趣旨と合わせて1p、特集頁内で執筆する。

原稿は図、文字数の比率を指定して発注する。

以上、各号共通。

タイトル案「建築産業のストラテジー」(仮)or「変動する建設産業」←最終案は原稿を読んで決定。

        主旨:ピーク時84兆円(内建築投資●●)に達した建設市場は,2001年度,67兆円程度(内建築投資●●)にまで縮小し,この傾向は今後もさらにすすむとの予測がある.また,国内総支出に占めるその比率も低下傾向にあり,とくに民間設備投資の低迷による非住宅建築の縮小が著しい.住宅についても数年先に年間着工100万戸台を割ることが現実味をおびてきた.・・・以下省略。

 →遠藤、岩松、伊藤委員、最終案を至急提出下さい。

 →座談は、下河辺淳インタビューを第一案として、至急設定してください。9月中旬以降早いうちに。日時をアナウンスしますので、出席できる編集委員は出席してください。

 →表紙に使う図表の候補を鈴木一誌氏に出きるだけ早く提示してください。

B 常置欄・連載企画

目次裏

 建築を考えるための24の言葉 1松山委員  構想をまとめて執筆下さい。

口絵 

 表象としての建築 11月号は高島委員執筆下さい。また、シリーズ趣旨、ラインナップを鈴木隆之委員などと相談の上、提出下さい。

 建築博物館 2→塚本、黒野、勝山委員・・・、シリーズ趣旨、ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 建築のアジア・・・世界の植民地建築 1p →西欧以外の地域を取り上げて、面白い建築を紹介します。いわゆる植民地建築、宗主国の建築と土着の建築の折衷がテーマです。書き手を紹介下さい。第一回は、フィリピンのバハイ・ナ・バト(石の家)---山口潔子(京大AA研)、スペインとメスチーソの生み出した折衷様式ではどうかと思っています。出きるだけ国はダブらないようにしたい。

 まちづくりノート 1→脇田、北沢、土肥委員、シリーズ趣旨、ラインナップを相談の上、提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 歴史のパラメータ 1→ 浅川委員、青井委員・・・、シリーズ趣旨、ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 地域の眼 2p→新居、山根、田中委員・・・ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

 Foreign Eyes 2p→ T.Danielを軸にしますが、皆さん推薦下さい。テーマは、Japanese Built Environment

コンピューターソフト2p→大崎さん、石田さん、野口さん、勝山さん、岩松さん、・・・ラインナップを相談の上提出下さい。1月号執筆者を編集委員以外から決めて下さい。

技術ノート 24回x6グループで考える。皆さん提案下さい。岩下、羽山、野口、石田、伊加賀、大崎、八坂・・の各委員、それぞれ最低一案提案下さい

 

隙間頁・・・書きためておいて、空いた頁に適宜挿入します。

用語集→特集に絡む用語を解説。新しい言葉の解説。200字~400字。布野が担当します。

 →1月号について、遠藤、岩松、伊藤委員キーワードをリストアップ下さい。

 →各委員、各自の研究領域のキーワードを5づつ送って下さい。執筆は入りません。また、建築の領域に関して、最近耳にして、気になる言葉を5つ送って下さい。

 

 Ⅱ 2月号特集について

 →塚本委員、至急提案の形にして布野当て送って下さい。即作業を開始してください。922日に決定すべくやり取りしたいと思います。小嶋、古谷委員、貝島委員最終とりまとめの責任よろしく。鈴木隆之委員、小野田、勝山委員・・・積極参加お願いします。

 Ⅲ 3月号、4月号について

 →それぞれ相談の上、大崎委員、伊加賀委員を中心に次回再度企画案提出お願いします。

 Ⅳ 5月号以降について

 →各自最低一案、次回編集委員会前に特集企画ご提案下さい。

 →具体的に提案されています浅川案は、前向きに検討させて頂きます。ご意見下さい。

 

マレーシア・タイ建築交流視察団:多民族共生の知恵-マレーシア・タイ縦断:バスの旅-

200194日~12

 あわただしく日本を発った。今回は編集委員長としての仕事も大いにある。アジアの都市建築については力を入れたいと思う。古谷幹事などからは、「布野さんならアジアでしょう」などと言われている。古谷先生はいまや大教授だけれど、学生の頃から知っている。原(広司)さんのところで勉強会なんぞしていたのがなつかしい。建築交流視察団の趣旨は以下のようだ。

 

「第4回国際アジア建築交流シンポジウムは、20029月に中国・新彊で開催されます。中国、韓国、日本の三学会の協定に基づくこのシンポジウムへの参加を求め、今後のアジアの建築交流をさらに拡大するためにマレーシア、タイの大学、研究機関との交流を行います。

 多民族共生、歴史の重層がテーマでしょうか。ひとつは土着の民家の現況があります。伝統的住宅は急速に姿を消しつつありますが、それでもヌガリ・スンビラン州のミナンカバウの住宅、ペナンの「マレーシアで最も美しい村」などをご案内できます。ポルトガル来航以降の歴史も興味深い点です。マラッカがそのハイライトとなります。また、シンガポールのラッフルズ、マラヤのC.C.リード、ペナンのフランシス・ライトなどの植民都市建設の跡をたどります。現代建築では、世界一の高さを誇るペトロナス・タワー、空調のないオフィスビル(ケン・ヤング)のあるクアラルンプールがびっくりするほどの展開を見せています。バンコクはそう時間がありませんが世界遺産となったアユタヤの古都へは行けると思います。

 布野は植民都市研究の一環として、宇高とともにマラッカの調査を展開中です。また、マレーシア版エコ・ハウスモデルを目指すマレーシアと京都大学との研究プロジェクトに参加しつつあります。宇高は長年にわたって、マレーシアの居住問題に取り組み、近年では歴史的環境の保存の問題を探求しつつあります。バスで地上を移動しながら様々なフィールドをご案内します。」

 

 ターゲットのひとつはケン・ヤングである。彼の作品は結局5つぐらい見た。まるで、ケン・ヤング・ツアーである。クアラルンプールでは彼の事務所を訪問。ちゃんと『建築雑誌』への原稿依頼をしてきた。マラヤ大学では学科をあげて歓迎されたのだけれど、『建築雑誌』の宣伝もしっかりしてきた。

 

2001912

 明日は帰国という夕べ。簡単な打ち上げ会を終えてホテルに戻ると二機目が突っ込むところであった。目の前で超高層ビルが崩れ落ちるという信じられないような光景が起こった。その時のことを以下のように綴った。

 

■見聞録17:世界貿易センター(WTC)の悪夢:呪われた建築家、ミノル・ヤマサキ:現代技術の盲点

布野修司

ミノル・ヤマサきという建築家はよくよく呪われている。一九七〇年代初頭、彼のプルーイット・アイゴー団地(セントルイス)が爆破解体され、近代建築の失敗の象徴とされた。そして今度の、超高層建築技術の象徴、世界貿易センタービルの一瞬の消滅である。

建築学会の視察を終えて明日は帰国という夜、バンコクの宿でテレビをつけると、二機目が突入する直前であった。眼は釘づけだ。まもなく信じられないような光景が出現した。超高層ビルがまるで砂のように崩れ去ったのである。何度見ても一棟が忽然と消えてしまっている。そして二棟目も崩れ落ちた。

こんなことがありうるのか。隣で同じように固唾を飲んで全てを目撃していた建築家に叫んだ。彼は建築構造の専門家だ。咄嗟の答えとして、衝突直後低層部に仕掛けられた爆弾が破裂した、という。しかし、いかに周到に計画されたテロでもそこまではできない。第一、正確に、しかも相次いで二機も、合衆国の象徴、世界資本主義の象徴である世界貿易センターに突っ込んだ段階でテロリストの目的は達成しているのである。

十分ほど考えた後、彼は答えてくれた。飛行機の衝突によって切断された上部がダルマ落としのように巨大な荷重として下部にのしかった。加えてジェット燃料による火災で、鉄骨の温度が六百度以上に上がり強度を失った。その結果、各階の柱と梁が次々に荷重を支えきれなくなり崩れ落ちた。

冷静に考えれば納得するが、誰が、超高層ビルが瞬時に崩れ落ちると思うであろうか。痛ましいのは、救助に向かった消防士、警察官である。彼らは夢にも思わなかったであろう。テロリストですら、ここまでの成果?は想定しなかったに違いない。

起こってしまったことは説明できる。しかし、起こる前にその可能性を専門家でも考えたことがない。巨大な盲点が現代技術の体系には潜んでいる。

 

帰って(乗った飛行機は米国行きであったが関空までは予定通り飛んだ。ものすごく厳しいチェックであったが、手荷物のカッターナイフはフリーパスであった)原稿を送ると、最早鮮度がない、もう少し距離を置いて書いて、と井手和子さん。読み直すと、なんたる駄文か。興奮している割に何も言っていないような気がする。何故超高層ビルが倒壊したかなんて最早みんな知っている、のである。そこで書き直したのが下の原稿。未だに文章修行である。(興味があれば)読み比べられたい。

 

■見聞録17:世界貿易センター(WTC)の悪夢:呪われた建築家、ミノル・ヤマサキ:現代技術の盲点:最適設計の美学

布野修司

ミノル・ヤマサキという建築家はよくよく呪われている。彼が設計したプルーイット・アイゴー団地(セントルイス)が爆破解体されたのは一九七〇年代初頭であった。近代の理想の団地もスラム化がひどく壊すしかなかったのである。その爆破の写真は、近代建築の失敗の象徴としてしばしば取り上げられる。そして世界貿易センタービルの一瞬の消滅である。その設計思想の破綻が白日の下にさらされたのである。

それは信じられないような光景であった。超高層ビルがまるで砂のように崩れ去ったのである。建築のことはひと通り学んだつもりの僕でも、こんなことがありうるのか、と眼を疑った。超高層にジェット機がぶつかることなどそもそも想定されていないと言えばそれまでである。しかし、ぶつかって火焔を上げている超高層ビルが次の瞬間に崩れ落ちると予測した人が何人いたであろうか。

事件からしばらくして、予想通りの美しい壊れ方であったと嘯く専門家がいると聞いた。最も経済的に最も合理的に設計された建築物は全ての部位が同時に破壊されるのが理想だという。最適設計の理論である。そんな理論など一般の人は知らないだろう。超高層ビルがそんな思想で設計されていると知っていたら、多くの消防士や警察官は救助に向かわなかったであろう。そして命を落とすことはなかったであろう。

超高層はそもそも不要だ、あるいは不自然だ、などとは言うまい。それ以前に、何があろうと、建造物があのように崩れてはならないと思う。一本の柱でも一本の梁でも壊れずに残れば多くの命が救われた筈だ。全て同時に壊れるのではなく、わざと弱いところをつくっておいて、他を救うという考え方だってある。問われているのは設計の思想である。

超高層ビルを生んだ二〇世紀の設計思想が恐ろしいのは、それがいかに危ういか、を知りながらそれを隠していることではないか。

 

建築学会大会(本郷)・・・第3回編集委員会

2001913

 帰国早々、神戸芸術工科大学の斎木さんが組織した「新田園都市国際会議2001 神戸会議」に雇われ司会で出席。送ったはずの原稿が掲載されておらず調子狂う。講演者、パネラーの数が多すぎ捌きかねる。さすがに体調悪く早々に失礼する。しかし、来年はE.ハワードが『明日の田園都市』を出版して100年になる。『建築雑誌』で特集を組んでもいい。渡辺俊一先生の日本の田園都市をめぐるキーノート・スピーチは圧巻であった。

 

2001920

 竹下輝和学術理事から、総合論文集に関する委員会にオブザーバーとして出席を求められる。総合論文集と『建築雑誌』の位置づけが問題になるという。確かにそうだ。しかし、僕に言わせると違いは予めはっきりしている。建築雑誌はジャーナルである。論文集と言うからにはアカデミックでなければならない。ジャーナリズムとアカデミズムの違いである。ジャーナリズムはジャーナルの中にエターナルなものを目指すのである。しかし、話を聞くと、なんだか『建築雑誌』と似ている。『建築雑誌』でもやれそうなテーマが並んでいる。これはちょっと違うんじゃないか、というのが直感である。

 竹下理事は、建築学をインターディシプリナリーに開く編集方針のようである。現在の『建築雑誌』=若山委員会でも、建築学の周縁に眼を向ける、のが方針である。一般に開くというのは異議ないけれど、無防備に出ていっていいのか、という気がしないでもない。建築学の武器とは何か、その根底を確認するのが先決ではないか、と僕は思う。

 総合論文集という前に、現在の論文集をきちんとレビューする必要がありはしないか。専門分化している、それでは困るというけれど、総合論文集の刊行によって、その問題点は果たして突破できるのか。審査員名の公開などやることは別にありはしないか。こう見えても、論文集にも論文は書いている。若い世代のプロモーションに要求されるからである。問題の根はわかっているのだからそれを掘り下げるべきだ。

 理事会への提案を引き継ぐといっても止めるのも見識である。担当理事になって止めるというと無能と見なされるからやる、というのはおかしい。まさに、組織が自己増殖する何とかの法則?である。

 竹下理事とは気心が知れているから、以上のようなことを勝手に言わして頂いた。しかし、どうやら、総合論文集の影響は『建築雑誌』を直撃しそうである。

 

2001922

 年の一度の大会である。今年は東京大学が会場だ。久しぶりの本郷である。藤井恵介さんにたまたま会うと、卒業設計作品展を絶対みるように言われて早速見た。なつかしくていつも通った正門前の喫茶店ボンナに行く。30年にもなるからマスターはさすがに歳をとった感じがするけど、ママは変わらない。ジーンズ姿にはびっくりである。「案の定、誰か居ると思った」と愛知工大の曽田先生が入ってきた。

山上会議所で第3回編集委員会。出席は23名。学会大会と言っても、皆さん忙しいから、東大の野口委員、北沢委員と雖も出席できない。というより、本部で忙しいから余計出席できない。大会会場で編集委員会をやるのは、第一に、旅費節約のためである。第二に、大会は、『建築雑誌』のネタの宝庫だからである。議事は以下の通りである。

 

3回編集委員会 議事録

<日 時>2001922日(土)14:0017:00

<会 場>東京大学山上会館 会議室201/202

<出 席>委員長 布野 修司

     幹 事  石田泰一郎・大崎  純・古谷 誠章・松山  巖

     委 員 青井 哲人・浅川 滋男・伊香賀俊治・岩下  剛・岩松  準

         遠藤 和義・貝島 桃代・勝山 里美・黒野 弘靖・小嶋 一浩

         高島 直之・田中 麻里・Thomas C.  Daniel  ・塚本 由晴

         土肥 真人・新居 照和・羽山 広文・福和 伸夫・藤田 香織

         八坂 文子・山根  周・脇田 祥尚

<議 事>

□布野委員長より、議事録をもとに前回議論の確認を行った。

□特集企画について

1月号「建築産業に未来はあるか(仮)」について

 遠藤委員から進行状況が報告された。主旨文に、建設市場の金額うち建築分野の占める金額を併記することとした。また、関連文献・資料の充実を図ることとし、特集末尾の「データ集」に組み入れることとした。

2月号「買える、読める、カスタマイズできるデザイン(仮)」について

 塚本委員からの企画案をもとに、古谷幹事から説明された。塚本委員、小嶋委員、貝島委員から補足説明がされた。企画案が40ページの構成になっているが、2月号は小特集につき24ページに再編することを念頭に、議論した。その結果、「買える、読める、カスタマイズできるデザイン」はいずれ改めて特集とすることとし、今回は、身の回りを構成する要素でありながら使う人への配慮に欠けた「ダメなデザイン」を中心に構成することとした。今後関係委員を中心に企画を固めていただき、依頼原稿ではなく、ルポ的な作業を通じて誌面構成をしていただくととした。

3月号「情報技術と建築の将来(仮)」について

 大崎幹事から企画案が提出され、議論した。次回委員会で最終決定する。

4月号「京都議定書と建築(仮)」について

 前回委員会に提出した資料が再提出され、伊香賀委員より再度説明された。アフガン攻撃で京都議定書の行方が定まらなくなっているなかで、現在の動向をきちんと押さえることにも配慮すべきではといった意見が出された。また、行政の宣伝臭があまりに強くならないように、全体のバランスを見て配慮することとした。

5月号以降の特集テーマについて

 浅川委員から「古代世界」の説明がされた。

 鈴木委員から「思考の実験場としての建築」「芸術の一ジャンルとしての建築」の案が提

        出されたが、鈴木委員が御欠席につき、議論は次回に持ち越しとした。

 脇田委員から「市民社会の計画論」が説明された。

 田中委員から「子どもと住環境教育シリーズ」が説明された。

□連載について

  下記の連載について、担当委員より執筆候補のラインナップを揃えて頂くこととした。

●目次裏

<建築を考えるための24の言葉>

 →松山委員が2年間を通じて依頼

●口絵

<表象としての建築>

 →1月号は、高島委員が執筆

<建築のアジア>

 →1月号は、山口潔子氏に依頼

●記事中連載

<建築博物館が欲しい!>

 →黒野委員からのメモをもとに議論した。最初はおもに海外の博物館におけるプログラ

  ム紹介などが中心になりそうだとのことで、カラーではなくモノクロ掲載の方針とし

  た(2ページ)。また、仙田会長から提案されている作品紹介ページ(資料6)に対応

  する役割も担うこととする。さらに、日本の建築博物館に納めるべき作品とその位置

  づけ、学会が進める「建築博物館構想」の紹介なども紹介していくこととした。

<技術ノート>

 →14月号に「建築教育の情報化委員会」からの提案を連載

<遺跡漫遊>

 →1月号は、浅川委員が執筆

<建築史のパラメータ>

 →2月号は、青井委員が執筆

<建築のためのソフトウェア紹介>

 →大崎委員が順次打診

<地域の眼>

 →1月号は新居委員(徳島)、田中委員(群馬)

 →2月号は黒野委員(新潟)、末吉栄三氏(沖縄)

Foreign Eyes> テーマ: Japanese Built Environment

 →1月号は、ダニエル委員が執筆

 →2月号は、Michael Webb氏に依頼

<まちづくりノート>

 →脇田委員から候補者が挙げられたが、決定にいたらず。

<用語集>→連載枠とは別枠として、誌面の空いたスペースに随時掲載することも検討する。

*<世界の住宅事情>は、全体ページ数の関係で見送ることとした。

□仙田会長からの提案について

 資料6による仙田会長の提案について、布野編集委員長が仙田会長と面談した結果をふまえ、下記のような方針が報告された。

・英文誌名の略称「JABS」は、ないがしろにはしないが、前面には出さない。

・建築設計に携わる会員に対しては、個々の特集で配慮するとともに、作品紹介的な連載

 として建築博物館を充てる。コンテンポラリーな作品紹介は難しいとの判断。

・情報ネットワークのあり方は全面的に見直し、分かりやすいデザインに改めるとともに、

 情報収集機能を強化し、記事の多様性を図る。

RILEM小委員会から、紹介記事の掲載依頼について

 野口委員の意見を伺ったのち考慮することとした。

□総合論文誌構想について

 布野委員長から、総合論文誌検討小委員会への出席報告が、次のようにされた。

 ①来年の刊行を目標に上記論文誌の構想が進んでいること、②テーマ別主集方式を採るので『建築雑誌』との棲み分けが問題になること、③刊行形態は『建築雑誌』の臨時増刊となる可能性が高いこと。また、予算が限られていることから、「建築年報」の見直しを行うことで対処する可能性もあることが説明された。

 

 懇親会には12名、環境系の伊加賀、羽山、岩下先生が参加。環境系のテーマについてすこし突っ込んで議論できたのが収穫。二次会、三次会、最後は、松山さんと高島の三人、新宿だった。松山さんが火災で焼けた雑居ビルを見たい、と言いだして夜の新宿を彷徨った。最後に入った飲み屋で、西部邁先生と佐伯啓思先生とばったり。何かの研究会の流れらしかった。西部先生はテレビでお馴染み。なんと佐伯啓思先生は僕の同級生だ。18で上京して入った寮で前の部屋だった。いま、京都大学で一緒だけれど、なかなか会う機会はない。東京で会うとは面白い。

 松山さんは僕のデジカメをもって夜の街へ飛び出しては撮れない、と言って戻ってくる。酔っても好奇心旺盛である。

 

2001929

 尼ヶ崎でグループ・ハウスを見学。三浦研(京都大学)さんの案内でいくつかのコレクティブ・ハウスを見せてもらう。阪神淡路大震災後はどうなっているのか、また、介護の問題高齢社会の問題、『建築雑誌』でとりあげる必要があるのではないか、と思う。しかし、コレクティブ・ハウスには問題が多い。以下感想である。

 

見聞録18:コレクティブ・ハウスの行方:新しい共同住宅のあり方を求めて:使われない共用空間!?

布野修司

 

阪神淡路大震災以後、コレクティブ・ハウスと呼ばれる共同住宅のあり方が追求されつつある。ヨーロッパでは、血縁関係のない単身者が台所、食堂、居間などを共用する住宅のことである。同世代が一緒に住む場合が多いが、シェア・ハウスと呼ばれる形式もある。日本の場合、今のところ、独居老人が一緒に住む形式が一般的である。

この「グループ・ハウス尼崎」は中でも先進的な一例である。個室が九つずつ左右にあり、真ん中に共用の居間、台所、浴室が配されるだけのシンプルな間取りであるが、居住者が実に生き生きとしている印象を受けた。面白いと思ったのは、僕がインドネシアで手掛けたコレクティブ・ハウスの間取りとよく似ていることだ。

もともと二つのケアつき仮設住宅を統合してつくられたのがこの施設である。知られるように震災後の仮設住宅では独居老人の孤独死が相次いだ。こうした共同施設の必要性が痛感されたのである。しかし、これはあくまで仮設住宅でその存続は危ういという。一方、厚生労働省が制度化したグループ・ホームは痴呆性高齢者に限定されている。

問題はこうした新たな共同住宅が必要なのは高齢の単身者に限らないことだ。女性の社会進出、少子化もあり、日本の家族のあり方は遥かに多様化しつつある。

いくつかのコレクティブ・ハウスを見せて頂いていささか暗然とすることがあった。いわゆる共用空間が全く使われていないのである。極端なところでは、共益費にお金がかかるというので共用室の蛍光灯が取り外されていた。そして、何よりも活気がない。全く状況は異なるが、インドネシアの場合、共用室は子供たちの遊び場でもあり、実に賑やかである。

高齢社会とはいえ、各世代がともに棲むのが街だ。各世代が棲む共同住宅の形が我が国にも欲しい。

 

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