戦後空間シンポジウム04
バブル・震災・オウム教 戦後空間の変質
中谷礼仁記 2019/03/11,3/28,
08/19改訂
趣旨)戦後空間とは戦後に展開する様々な史的シークエンス(クブラー)の束である。その束は流れつつ、時たま伏線が現れ、現象の質を変えていく。第4回目のシンポジウムは戦後空間の変質に目を向け、80年代後半から90年代を扱う。
バブルは戦後空間を駆動させた高度経済資本の成長が、イメージゲームにまで展開した。これは直近の政権が意図的に再現しようとしている方法である。
震災は公共福祉を目的とし邁進してきた建築・都市の法的精神を温存させつつも、安全と従来の生活文化に矛盾(例えば当時の坂本功の二者択一論)を生じせしめ、その後の建築行政のあり方(姉歯事件などにも飛び火)の方向性を決定した。
オウム教は「ユートピア」を目指す組織が、その実現にあたって政治権力のみならず一般市民までをも敵とした事件であった。これは戦後空間が保証してきた自由な表現活動一般に対しての大きな挫折となった。
重要なことは、それらが連動していたことである。
バブルは高度経済成長を基にしたイメージゲームと、その崩壊後の経済活性化政策両方を含む。双方は21世紀の特に大都市・建築の構想から実現までのシステムを大きく作り変える発端となった。
オウムは布教活動をその特権的経済活動と連動させ、コンピューター制作会社、巷のラーメン屋など様々な分野で暗躍し、社会活動のシミュラクルとして深く溶け込んだ。この影にはバブル経済のイメージゲームの手法が効果的に用いられていた。私は当時の秋葉原での彼らの暗躍の様子をよく覚えている。
震災は、その後の長田地区の再開発事例のようにボトムアップのまちづくりを実現させた。同時にその活動を法制的に受け止めるために、合意形成をむしろ官主導内部に展開し、手法化された。この方向のもとに、経済活性化のためにその後REIT、特区制度が導入され、設計手法は客観化、定量化、組織化され、現在の「実体」的イメージゲームのような高層商業施設が屹立し(イメージをサポートするかのように都市実体が作られ)ているが、それがどのように具体的に使われるかの検討は画一化し、希薄化している。またインディビデュアルな建築家による自発的立場は傍流へと追いやられている。
この三つの要素とその余波が絡み合うことで、戦後空間の変質が確固とした流れとして現れてきたと言えるのではないか。第4回目のシンポジウムは以上のような要素の出現がその後、現在までの戦後に与えた空間の特質を導きたいのである。
方法)シンポジウム形式、三要素それぞれに報告者を設定し、そのからまり合いが生み出した事象を再確認する。
司会)中谷礼仁
登壇者)
・山形浩生(バブル経済について、https://ja.wikipedia.org/wiki/山形浩生、1964-、翻訳・評論家、元野村総研開発コンサルタント、東大都市工学卒)
・牧紀男(「震災」とその後の都市行政報告者、京都大学防災研究所)
・古賀義章(「オウム教」における経済活動システムについての報告、1964-、講談社入社後『フライデー』在籍時に長期にわたりオウムを取材。2005年から『クーリエ・ジャポン』創刊編集長。記録写真を集めた『アット・オウム』出版)
コメンテーター)
・石山修武(建築家・早稲田大学名誉教授)
・布野修司(建築史家・日本大学特任教授)
以上
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