世界建築史の構築―東南アジアからの視座
布野修司
目次
Ⅰ アジア都市組織研究 自己紹介
Ⅱ 世界建築史のフレーム-世界都市史と世界建築史
Ⅲ 東南アジア建築史
Ⅳ 『世界建築史15講』
はじめにー建築の世界史へ Toward Global History of Architecture
『世界建築史15講』(刊行委員会編、彰国社、2019年4月、日本語)という「世界建築史」をうたうテキストを企画編集する機会を得た。また、『世界都市史事典』(布野修司編、昭和堂、2019年11月、日本語)を上梓することが出来た。本稿では、建築のグローバルヒストリーの可能性をめぐって、この2冊の本を編集・叙述する過程で考えたことについてまとめたい。
建築の歴史は人類の歴史である。建築する能力を獲得したこと、すなわち、空間認識そして空間表現の能力を得たことが,そもそもホモ・サピエンスの誕生に関わっている。そして人類は、紀元前3000年期には、エジプトのピラミッド群のような巨大な、現代の建築技術によっても建設可能かどうかを疑われるような建築を建設し、その歩みとともに数々の偉大な建築を作り出してきた。『世界建築史15講』は,人類はこれまでどのような建築を創造してきたのか,建築がどのように誕生し,どのような過程を経て,現代に至ったのかを,わかりやすく叙述する試みである。
建築の起源は、原初の住居、すなわち、簡単な覆い(シェルター)の小屋である。あるいは、特別な空間を記し、区別するために、一本の柱や石を置く行為である。それ故、誰にとっても親しい。人類は、家族を形成し、採集狩猟のための集団を組織し、定住革命・農耕革命を経て,都市を生み出す(「都市革命」G.チャイルド)。都市は、人間が作り出したもののなかで,言語とともに,最も複雑な創造物である。都市や集落は、様々な建築によって構成される。建築の世界史,世界史の中の建築を振り返ることによって,『世界建築史15講』は,建築のそして都市の未来を展望することになる。
建築の世界史あるいは世界の建築史をどう叙述するかについては,そもそも「世界」をどう設定するかが問題となる。人類の居住域(エクメーネ)を「世界」と考えるのであれば,ホモ・サピエンスの地球全体への拡散以降の地球全体を視野においた「世界史」が必要である。しかし,これまでの「世界史」は,必ずしも人類の居住域全体を「世界」として叙述してきたわけではない。書かれてきたのは,「国家」の正当性を根拠づける各国の歴史である。一般に書かれる歴史はそれぞれが依拠している「世界」に拘束されている。
人類最古の歴史書とされるヘロドトス(紀元前485頃~420頃)の『歴史』にしても,司馬遷(紀元前145/135?~紀元前87/86?)の『史記』にしても,ローカルな「世界」の歴史に過ぎない。ユーラシアの東西の歴史を合わせて初めて叙述したのは,フレグ・ウルス(イル・カン朝)の第7代君主ガザン・カンの宰相ラシードゥッディーン(1249~1318)が編纂した『集史』(1314)であり,「世界史」が誕生するのは「大モンゴル・ウルス」においてである。しかしそれにしても,サブサハラのアフリカ,そして南北アメリカは視野外である。
今日のいわゆるグローバル・ヒストリーが成立する起源となるのは西欧による「新世界」の発見である。西欧列強は,世界各地に数々の植民都市を建設し,それとともに「西欧世界」の価値観を植えつけていった。そして,これまでの「世界史」は,基本的に西欧本位の価値観,西欧中心史観に基づいて書かれてきた。西欧の世界支配を正統としてきたからである。そこではまた,世界は一定の方向に向かって発展していくという進歩史観いわゆる社会経済史観あるいは近代化論に基づく歴史叙述が支配的であった。
世界建築史もまたこれまでは、基本的には西欧の建築概念を基にして,古代,中世,近世,近代、現代のように世界史の時代区分に応じた段階区分によって書かれてきた。そして,非西欧世界の建築については,完全に無視されるか,補足的に触れられてきたに過ぎない。しかし,建築は,歴史的区分や経済的発展段階に合わせて変化するわけではない。また、建築の歴史,その一生(存続期間)は,王朝や国家の盛衰と一致するわけではない。世界建築史のフレームとしては,細かな地域区分や時代区分は必要ない。世界史の舞台としての空間,すなわち,人類が居住してきた地球全体の空間の形成と変容の画期が建築の世界史の大きな区分となる。
日本で書かれてきた建築史は、「西洋建築史」を前提として、それに対する「日本建築史」(「東洋建築史」)という構図を前提としてきた。そして、「近代建築史」という「近代」という時代区分による歴史が書かれるが、ここでも西洋の近代建築の歴史の日本への伝播という構図が前提である。近代建築の、日本以外の地域、アジア、アフリカ、ラテンアメリカへの展開はほとんど触れられることはない。『日本建築史図集』『西洋建築史図集』『近代建築史図集』『東洋建築史図集』というのが別個に編まれてきたことが、これまでの建築史叙述のフレームを示している。もちろん、この問題は、歴史学における「日本史」と「世界史」の関係についても同じである。日本で「世界史」が現れるのは1900年代に入ってからであるが(坂本健一(1901~03)『世界史』、高桑駒吉(1910)『最新世界歴史』など)、明治期の「万国史」(西村茂樹(1869)『万国史略』、(1875)『校正万国史略』、文部省(1874)『万国史略』など)は、日本史以外のアジア史と欧米史をまとめ、世界各国史を並列するかたちであった。西欧諸国についても、国民国家の歴史が中心であり、西欧列強の世界支配によって「世界史」が叙述されてきたのである。そうした意味では、「世界史」の世界史(秋田滋/永原陽子/羽田正/南塚信吾/三宅明正/桃木至朗編(2016)『「世界史」の世界史』ミネルヴァ書房)が問題である。
建築史の場合、建築技術のあり方(技術史)を歴史叙述の主軸と考えれば、共通の時間軸を設定できるであろう。しかし、建築技術のあり方は、地域の生態系によって大きく拘束されている。すなわち、建築のあり方を規定するのは、科学技術のみならず、地域における人類の活動、その生活のあり方そのものであり,ひいては、それを支える社会,国家の仕組みである。
世界各地の建築が共通の尺度で比較可能となるのは産業革命以降である。そして、世界各国、世界各地域が相互依存のネットワークによって結びつくのは,情報通信技術ICT革命が進行し,ソ連邦が解体し,世界資本主義のグローバリゼーションの波が地球の隅々に及び始める1990年代以降である。そして、各国史や地域史を繋ぎ合わせるのではなく,グローバル・ヒストリーを叙述する試みも様々に行われてきた。『世界建築史15講』は、日本におけるグローバル建築史の叙述へ向けての第一歩である。
基本的には、『世界建築史15講』を企画するに至った経緯とその基本的構成について報告したい。
筆者は、インドネシア(スラバヤ)のカンポン(都市村落)についての建築計画的・都市計画的研究を出発点として、東南アジアを中心にアジア全域を視野に置きながら、「都市組織urban tissue, urban fabric」研究[1]と呼ぶ、フィールドワークを基本とする都市研究を展開してきた。「都市組織」とは,都市を建築物の集合体と考え,集合の単位となる建築の一定の型の歴史的形成を明らかにするS.ムラトーリが創始した建築類型学(ティポロジア)で用いられている概念である。また,さらに建築物をいくつかの要素(部屋,建築部品,…等々)あるいはいくつかのシステム(躯体,内装,設備,…等々)からなるものと考え,建築から都市まで一貫して構成する建築=都市構成理論[2]において用いられる概念である。すなわち、筆者は、建築史を専門としてきたわけではない。ただ、「都市組織」の構成単位としての建築類型とその集合形式の歴史を明らかにすることは、当然、必要となる。東南アジアの都市建築(都市組織)の歴史を明らかにする上で決定的なのは、中国やインドと全く異なり、文献史料をほとんど欠いていることである。得られる史料は、欧米諸国の植民地化以降の、欧米による史料である。「世界建築史」が専ら欧米人によって書かれてきたのは、西欧を中心とする世界観、またその歴史観が支配的となってきたからである。
本報告では、まず、筆者らがこれまで展開してきたアジア都市組織研究の経緯をまとめたうえで、アジアの前近代における都城の系譜について、それを大きく把握する視点とフレームについて議論したい(Ⅰ アジア都市組織研究)。続いて、それをもとに、「世界都市史」を念頭にした時代区分を考えたい(Ⅱ 世界建築史と時代区分)。さらに、東南アジアを念頭に、世界建築史の構成を考えてみたい(Ⅲ 東南アジアと世界建築史)。最後に、『世界建築史15講』(Ⅳ)に触れたい。
資料
建築の世界史へ Toward Global
History of Architecture(『世界建築史15講』まえがき)
建築の歴史は人類の歴史である。建築する能力を獲得したこと、すなわち、空間認識そして空間表現の能力を得たことが,そもそもホモ・サピエンスの誕生に関わっている。そして人類は、紀元前3000年期には、エジプトのピラミッド群のような巨大な、現代の建築技術によっても建設可能かどうかを疑われるような建築を建設し、その歩みとともに数々の偉大な建築を作り出してきた。『世界建築史15講』は,人類はこれまでどのような建築を創造してきたのか,建築がどのように誕生し,どのような過程を経て,現代に至ったのかを,わかりやすく叙述する試みである。
建築の起源は、原初の住居、すなわち、簡単な覆い(シェルター)の小屋である。あるいは、特別な空間を記し、区別するために、一本の柱や石を置く行為である。それ故、誰にとっても親しい。人類は、家族を形成し、採集狩猟のための集団を組織し、定住革命・農耕革命を経て,都市を生み出す(「都市革命」G.チャイルド)。都市は、人間が作り出したもののなかで,言語とともに,最も複雑な創造物である。都市や集落は、様々な建築によって構成される。建築の世界史,世界史の中の建築を振り返ることによって,『世界建築史15講』は,建築のそして都市の未来を展望することになる。
建築の世界史あるいは世界の建築史をどう叙述するかについては,そもそも「世界」をどう設定するかが問題となる。人類の居住域(エクメーネ)を「世界」と考えるのであれば,ホモ・サピエンスの地球全体への拡散以降の地球全体を視野においた「世界史」が必要である。しかし,これまでの「世界史」は,必ずしも人類の居住域全体を「世界」として叙述してきたわけではない。書かれてきたのは,「国家」の正当性を根拠づける各国の歴史である。一般に書かれる歴史はそれぞれが依拠している「世界」に拘束されている。
人類最古の歴史書とされるヘロドトス(紀元前485頃~420頃)の『歴史』にしても,司馬遷(紀元前145/135?~紀元前87/86?)の『史記』にしても,ローカルな「世界」の歴史に過ぎない。ユーラシアの東西の歴史を合わせて初めて叙述したのは,フレグ・ウルス(イル・カン朝)の第7代君主ガザン・カンの宰相ラシードゥッディーン(1249~1318)が編纂した『集史』(1314)であり,「世界史」が誕生するのは「大モンゴル・ウルス」においてである。しかしそれにしても,サブサハラのアフリカ,そして南北アメリカは視野外である。
今日のいわゆるグローバル・ヒストリーが成立する起源となるのは西欧による「新世界」の発見である。西欧列強は,世界各地に数々の植民都市を建設し,それとともに「西欧世界」の価値観を植えつけていった。そして,これまでの「世界史」は,基本的に西欧本位の価値観,西欧中心史観に基づいて書かれてきた。西欧の世界支配を正統としてきたからである。そこではまた,世界は一定の方向に向かって発展していくという進歩史観いわゆる社会経済史観あるいは近代化論に基づく歴史叙述が支配的であった。
世界建築史もまたこれまでは、基本的には西欧の建築概念を基にして,古代,中世,近世,近代、現代のように世界史の時代区分に応じた段階区分によって書かれてきた。そして,非西欧世界の建築については,完全に無視されるか,補足的に触れられてきたに過ぎない。しかし,建築は,歴史的区分や経済的発展段階に合わせて変化するわけではない。また、建築の歴史,その一生(存続期間)は,王朝や国家の盛衰と一致するわけではない。世界建築史のフレームとしては,細かな地域区分や時代区分は必要ない。世界史の舞台としての空間,すなわち,人類が居住してきた地球全体の空間の形成と変容の画期が建築の世界史の大きな区分となる。
日本で書かれてきた建築史は、「西洋建築史」を前提として、それに対する「日本建築史」(「東洋建築史」)という構図を前提としてきた。そして、「近代建築史」という「近代」という時代区分による歴史が書かれるが、ここでも西洋の近代建築の歴史の日本への伝播という構図が前提である。近代建築の、日本以外の地域、アジア、アフリカ、ラテンアメリカへの展開はほとんど触れられることはない。『日本建築史図集』『西洋建築史図集』『近代建築史図集』『東洋建築史図集』というのが別個に編まれてきたことが、これまでの建築史叙述のフレームを示している。もちろん、この問題は、歴史学における「日本史」と「世界史」の関係についても同じである。日本で「世界史」が現れるのは1900年代に入ってからであるが(坂本健一(1901~03)『世界史』、高桑駒吉(1910)『最新世界歴史』など)、明治期の「万国史」(西村茂樹(1869)『万国史略』、(1875)『校正万国史略』、文部省(1874)『万国史略』など)は、日本史以外のアジア史と欧米史をまとめ、世界各国史を並列するかたちであった。西欧諸国についても、国民国家の歴史が中心であり、西欧列強の世界支配によって「世界史」が叙述されてきたのである。そうした意味では、「世界史」の世界史(秋田滋/永原陽子/羽田正/南塚信吾/三宅明正/桃木至朗編(2016)『「世界史」の世界史』ミネルヴァ書房)が問題である。
建築史の場合、建築技術のあり方(技術史)を歴史叙述の主軸と考えれば、共通の時間軸を設定できるであろう。しかし、建築技術のあり方は、地域の生態系によって大きく拘束されている。すなわち、建築のあり方を規定するのは、科学技術のみならず、地域における人類の活動、その生活のあり方そのものであり,ひいては、それを支える社会,国家の仕組みである。
世界各地の建築が共通の尺度で比較可能となるのは産業革命以降である。そして、世界各国、世界各地域が相互依存のネットワークによって結びつくのは,情報通信技術ICT革命が進行し,ソ連邦が解体し,世界資本主義のグローバリゼーションの波が地球の隅々に及び始める1990年代以降である。そして、各国史や地域史を繋ぎ合わせるのではなく,グローバル・ヒストリーを叙述する試みも様々に行われてきた。『世界建築史15講』は、日本におけるグローバル建築史の叙述へ向けての第一歩である。
『世界建築史15講』の構成
『世界建築史15講』は、半期15回の講義を考えて、15のレクチャー(論考)と関連するトピック(コラム)によって構成される。15講は、大きく「第Ⅰ部 世界史の中の建築」「第Ⅱ部 建築の起源・系譜・変容」「第Ⅲ部 建築の世界」の3部に分けられる。
第Ⅰ部では、建築のの全歴史をグローバルに捉える視点からの論考をまとめた。建築は、大地の上に建つことによって建築でありうる。今や宇宙ステーションに常時人が居住する時代であり、宇宙空間にも建築が成立すると言わねばならないけれど、建築は、基本的には地球の大地に拘束され、地域の生態系に基づいて建設されてきた。ここでは、地球環境の歴史を念頭に、建築の起源、成立、形成、転成、変容の過程をそれぞれ考える。建築という概念は「古代地中海世界」において成立するのであるが、それ以前に、建築の起源はあり、「古代建築の世界」がある。そして、ローマ帝国において形成され、その基礎を整えた建築は、ローマ帝国の分裂によって、キリスト教を核とするギリシャ・ローマ帝国の伝統とゲルマンの伝統を接合・統合することによって誕生するヨーロッパに伝えられていく。そうしてヨーロッパ世界で培われた建築の世界は、西欧列強の海岸進出とともにその植民地世界に輸出されていく。そして、建築のあり方を大きく転換させることになるのが産業革命である。産業化の進行とともに成立する「近代建築」は、まさにグローバル建築となる。
第Ⅱ部では、まず、世界中のヴァナキュラー建築を総覧する。人類の歴史は,地球全体をエクメーネ(居住域)化していく歴史である。アフリカの大地溝帯で進化,誕生したホモ・サピエンス・サピエンスは,およそ12万5000年前にアフリカを出立し(「出アフリカ」),いくつかのルートでユーラシア各地に広がっていった。まず,西アジアへ向かい(12~8万年前),そしてアジア東部へ(6万年前),またヨーロッパ南東部(4万年前)へ移動していったと考えられる。中央アジアで寒冷地気候に適応したのがモンゴロイドであり,ユーラシア東北部へ移動し,さらにベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ向かった。南アフリカ最南端のフエゴ諸島に到達したのは1~2万年前である。そして、西欧列強が非西欧世界を植民地化していく16世紀までは、人類は、それぞれの地域で多様な建築世界を培っていた。建築が大きく展開する震源地となったのは、4大都市文明の発生地である。そして、やがて成立する世界宗教(キリスト教、イスラーム教、仏教・ヒンドゥー教)が、モニュメンタルな建築を建設する大きな原動力となる。宗教建築の系譜というより、ユーラシア大陸に、ヨーロッパ以外に、西アジア、インド、そして中国に建築発生の大きな震源地があることを確認する。
第Ⅲ部では、建築を構成する要素、建築様式、建築を基本的に成り立たせる技術、建築類型、都市と建築の関係、建築書など、建築の歴史を理解するための論考をまとめた。さらに多くの視点による論考が必要とされるのはいうまでもない。
『世界建築史15講』のもとになったのは、『世界建築史図集』あるいは『グローバル建築史事典』といった世界中の建築を網羅する資料集あるいは事典の構想である。しかし、そうした建築史集成や体系的な建築史叙述は未だ蓄積不足で、時間もかかることから、まず、グローバルに建築の歴史を見通す多様な視点を示すことを優先したのが『世界建築史15講』である。当面は、『日本建築史図集』『西洋建築史図集』『近代建築史図集』『東洋建築史図集』を『世界建築史15講』のサブ・テキストとしたい。
『世界建築史15講』目次
口絵
はじめに
建築の世界史へ
第Ⅰ部 世界史の中の建築
Lecture
01 「大地と建築」の世界史 Buildinghood (大地からの構法) ◎中谷礼仁
Column
01 伊東忠太の世界旅行 法隆寺とパルテノンの間 ◎中谷礼仁
Lecture
02 「古代建築」の世界史 古代王権と建築 ◎岡田保良
Column
02 日本建築の古層をめぐって ◎佐藤浩司
Lecture03 世界建築史の構想 有心から有軸へ時空を架構する建築の夢 ◎中川
武
Column
03 オーダー・木組・比例 ◎溝口明則
Lecture
04 「コロニアル建築」の世界史 西欧の世界支配と建築 ◎布野修司
Column
04 植民地の神社 ◎青井哲人
Lecture
05 「近代建築」の世界史 「ふたつの近代」の見取り図
◎土居義岳
Column
05 モダン・ジャパニーズ・アーキテクチャー ◎ケン・タダシ・オオシマ
第Ⅱ部 建築の起源・系譜・変容
Lecture
06 「ヴァナキュラー建築の世界史」 住居の多様な設計原理 ◎布野修司 66
Column
06 村田治郎と東洋建築史 ◎川井操 76
Lecture
07 「キリスト教建築」の世界史イエスの空間をめぐる西欧建築の成立と展開 ◎加藤耕一
Column
07 建築と装飾 建築における「意味」伝達の歴史 ◎戸田穣 90
Lecture08 「モスク(イスラーム建築)」の世界史 預言者の家から葱坊主へ ◎深見奈緒子
Column
08 イスラームの建築言語とディテール ◎渡辺菊眞 102
Lecture
09 「仏教建築」の世界史 誕生から伝播のあとをたどる ◎黄蘭翔・布野修司 106
Column
09 ストゥーパ その原型とその変容 ◎布野修司 116
Lecture10 「ヒンドゥー建築」の世界史 南アジア・東南アジア世界 ◎山田脇太
Column
10 王都アンコール・トム ヒンドゥー教と仏教の宇宙像を象る ◎下田一太
第Ⅲ部 建築の世界
Lecture 11 「建築様式」の世界史 様式論の構造と変遷 ◎杉本俊多
Column
11 日本様式
和様・禅宗様・大仏様、擬洋風、帝冠併合様式、ジャポニカ ◎布野修司
Lecture
12 「構造技術」の世界史 建築空間と構造・技術 ◎斎藤公男
Column
12 映画『超高層のあけぼの』にみる霞が関ビィルディングの科学技術 ◎辻泰岳
Lecture 13 「公共建築」の世界史 制度と空間 ◎布野修司 168
Column
13 宮殿:王の空間 ◎布野修司 176
Lecture 14 「都市組織」の世界史 都市をつくる町屋 ◎青井哲人
Column
14 町屋(店屋・仕舞屋)成立のシナリオ ◎松田法子 192
Lecture 15 「建築書」の世界史 建築をめぐる知の体系 ◎布野修司・杉本俊多
Column
15「建築家」、その起源、職能の成立と歴史的変遷 ◎布野修司
図版出典 参考文献 建築史地図 建築史年表 索引
國立臺灣美術館
「世界、地域及多元當代視野下的臺灣藝術史」(暫訂)
本研討會辦理日期為108年11月16、17日,辦理地點為國立臺灣美術館演講廳,預計專題演講時間為1小時30分鐘,論文發表時間為每場30分鐘,提問為每場10分鐘,綜合座談為30分鐘,相關議程規劃如下:
108年11月16日 |
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時間 |
論文發表人 |
主持人 |
09:00-09:10 |
報到 |
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09:10-09:25 |
開幕致詞: 文化部部部長、國美館館長 |
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09:25-10:55 |
專題演講: 世界建築史の構築―東南アジアからの視座 主講:布野修司 |
黃蘭翔 |
10:55-11:00 |
休息 |
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主題:東亞文化圈中的臺灣美術(東アジア文化圏における台湾) |
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11:00-11:40 |
主講:石守謙 講題:未定 |
國美館館長 |
11:40-12:20 |
主講:邱涵妮 講題:未定 |
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12:20-13:00 |
午餐 |
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13:00-13:40 |
主講:潘青海 講題:Hue
Royal Architecture’s heritage and the conservation work. |
並木誠士 |
13:40-14:20 |
主講:麥書菲 講題:未定 |
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14:20-15:00 |
主講:黃蘭翔 講題:孔廟鄉校 |
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15:00-15:10 |
休息 |
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主題:庶民文化觀點的臺灣藝術史(庶民的視点からみる台湾芸術) |
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15:10-15:50 |
主講:伊藤徹 講題:柳宗悦・民芸思想とモダニティー |
佐藤浩司 |
15:50-16:30 |
主講:堀込憲二 講題:文化景觀之保存與維護 |
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主題:職人觀點的台灣藝術史 |
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16:30-17:10 |
主講:吳瑞真 講題:曉江亭 |
伊藤徹 |
17:10-17:50 |
主講:赤木明登 講題:待定 |
108年11月17日 |
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時間 |
論文發表人 |
主持人 |
09:00-09:10 |
報到 |
|
主題:職人觀點的台灣藝術史 |
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09:10-09:50 |
主講:葉俊麟 講題:台灣廟宇建築工藝 |
中川理 |
09:50-10:00 |
休息 |
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主題:臺灣原住民聚落生活與建築文化中建構的東南亞網絡 |
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10:00-10:40 |
主講:中生勝美 講題:小林保祥のパイワン族民俗画 |
堀込憲二 |
10:40-11:20 |
主講:佐藤浩司 講題:待定 |
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11:20-12:00 |
主講:許勝發 講題:排灣族與魯凱族傳統人像雕刻的地域性風格及族群移動意義 |
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12:00-13:00 |
午餐 |
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13:00-13:40 |
主講:巴奈˙母路 講題:窺探失落的場域─阿美族里漏部落的Mirecuk(巫師祭) |
陳國偉 |
13:40-14:20 |
主講:林建成 講題:公共空間與藝術場域:博物館與原住民文化展演的案例 |
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14:20-14:30 |
休息 |
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主題:美術館與地域文化(美術館と地域社会) |
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14:30-15:10 |
主講:中川理 講題:日本における美術館の課題 |
潘青海 |
15:10-15:50 |
主講:並木誠士 講題:美術館による新たな美術史の構築(仮題) |
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15:50-16:30 |
主講:陳國偉 講題:未定 |
邱涵妮 |
16:30-17:10 |
主講:謝仕淵 講題:未定 |
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17:10-17:20 |
休息 |
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17:20-17:50 |
綜合座談 參與者:布野修司、石守謙、國美館館長 |
黃蘭翔 |
[1] 都市を1つの(あるいは複数の)組織体とみなすのが「都市組織」論であり,一般的に言えば,国家有機体説,社会有機体説のように,都市を有機体に喩え,遺伝子,細胞,臓器,血管,骨など様々な生体組織からなっているとみる。ただ,都市計画・建築学の場合,第1にそのフィジカルな基盤(インフラストラクチャー)としての空間の配列(編成)を問題とし,その配列(編成)を規定する諸要因を明らかにする構えをとる。「都市組織」という場合,近隣組織のような社会集団の編成がその規定要因として意識されているといっていい。集団内の諸関係,さらに集団と集団の関係によって規定される空間の配列,編成を問題とするのである。
[2] N.J.ハブラーケンN. John Habraken,オランダの建築家,建築理論家。1928年インドネシア,バンドン生れ。デルフト工科大学(1948-1955)卒業。アイントホーフェン工科大学を経てMIT教授1975-89。オープン・ビルディング・システムの提唱で知られる。
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