家族システムの起源をめぐって
家族(システム)の起源と言えば、現在では、E.トッドの一連の著作が第一に参照される。ポール・ニザンが祖父だという、家族人類学者・歴史人口学者が学位論文『工業化以前のヨーロッパの農民共同体』(1976)を基にした若干25歳で書いた『最後の転落』で、ソ連邦の崩壊を予言した時から注目してきた。
E.トッドの『第三惑星ー家族構造とイデオロギー・システム』(1983)の家族類型は、平等/不平等、自由/権威の2軸による、絶対核家族、平等主義家族、権威主義家族、共同体家族(内婚制、外婚制、非対称型)、アノミー家族の7類型であった。しかし、その多様性を含めていくに従って類型が増えていく。
名人戦4戦:先手番豊島:意表を?をつく横歩取らせ?で勝った。1勝3敗一矢を報いた。5戦の地元はうれしいネ。ホテルオホーツクパレス(北海道紋別市幸町5丁目1-35)しかし、初戦二回戦で勝ってたら王手だもんね。95手で丸二日。AIの予想も確率の範囲だということがよくわかる。勝負は対面である。
E.トッド『家族システムの起源』(原著2011)は多様な家族形態の類型化を精緻化しようとしてきたそれまでの追求を大きく見直し、構造主義モデルから伝播論的モデルへの大転換を宣言する。その序説は「人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎」と題する。構造の解明から起源とその分化へ視点を移す。
スティーブン・ボーゲルUCバークレー教授『ジャパン・アズ・ナンバーワン』エズラの息子。日本経済に詳しい政治経済学者。GDPレースを忘れるべきだというのは異議なし。近いうちにインドにも抜かれて5位になる。人口を掛け合わせる国力と市場の指標だ。ほぼ100%の識字率が強みというが、ホント???
E.トッドが『家族システムの起源』において伝播論に転換した最大の理由と根拠は、言語学における「周縁地域の保守性原則」(PCZP)である。ある地域において相互排他的な特徴A、Bを地図上にプロットした時、Aがいくつもの孤立した周縁地域に分布する場合、Aが古いというものである。果たしてそうか?
E.トッドは「周縁地域の保守性原則」(PCZP)の例として、興味深いことに建築様式の例をあげる。ハーフティンバー(露出した木の骨組みの間に壁がある様式:真壁構造?)の分布は、中世末にはフランス全域に一般的であったものがその周縁部に生き残っていることを示すというのだ。果たしてそうか?
E.トッドは「周縁地域の保守性原則」(PCZP)の例として、興味深いことに建築様式の例をあげる。ハーフティンバー(露出した木の骨組みの間に壁がある様式:真壁構造?)の分布は、中世末にはフランス全域に一般的であったものがその周縁部に生き残っていることを示すというのだ。果たしてそうか?
E.トッドが依拠する「周辺地域の保守性原則」は建築様式に関してはペンディングにしておこう。建築文化の中心から周縁部への様式伝播にはタイムラグがあり、中心部の変化が周縁部に伝播する以前に前様式が取り残されるということは一般的には理解できる。しかし、建築は大きく「地」に拘束されている。
E.トッドの結論は、家族の起源は核家族ということである。エンゲルス他の核家族は近代において制度化されたものという想定とは異なることになる。旧世界の周縁部に位置するヨーロッパは、家族システムの面では古い形態の保存庫であり、人類学的組織形態に関しては起源の形態にとどまってきたという。
E.トッドが、ヨーロッパを旧世界の周辺部に位置するというのは意外だが異議もない。ヨーロッパは農業も都市も商業も牧畜も文字も算術も、火薬も紙も…発明したわけではないのだ!何故イギリスが世界システムのヘゲモニーを握ることができたのか?家族システムの変遷を経験しないで済んだからだという。
E.トッドによれば、P.ラスラッドは17世紀末のイングランドでは核家族が支配的だったという。19世紀初頭までそれは実証される。核家族が支配的な地域はヨーロッパには数多く存在した。パリ盆地、中・南スペイン、南イタリア、ポーランド、ルーマニア、ベルギー…しかし、だから核家族が起源と言えるの?
E.トッドがまず確認したいのは、17世紀のヨーロッパにおける家族システムに核家族が支配的であったということである。農村において一般的と考えられてきた三世代が同居する拡大家族(しかし、大家族)は一般的ではなかった。だからといって家族システムの起源が核家族と言えるわけはないのではないか!
E.トッド:ヨーロッパ(旧世界の周縁部)に歴史的に核家族が支配的であったという事実は、産業革命、資本主義の出現を説明するというのはOK異議なしである。核家族は、農民の土地からの離脱に不可欠な社会的柔軟性(流動性?)、個人の動性(自立的行動?)に適合的である。しかし、起源と言えるのか?
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