懸賞論文「バブルの塔を問う」選評、『建築文化』、1993年1月号
書評:木造建築の基本原理ーエスノ・アーキテクチャーを目指して 太田邦夫 『木のヨーロッパ/建築まち歩きの事典』(彰国社 2015年11月10日)、『建築技術』、2016年5月
書評 太田邦夫著 『木のヨーロッパ 建築とまち歩きの事典』 彰国社 2015年11月
『建築技術』 20160303締切 1500字
木造建築の基本原理-エスノ・アーキテクチャーをめざして
布野修司
ワンル-ムマンション研究,雑木林の世界11,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199007
雑木林の世界11
ワンルームマンション研究
布野修司
ワンルームマンションというと、ひところ大問題になった。一九八〇年代前半のことだ。東京都内では一九八三年にワンルームマンションをめぐる紛争がピークとなっている。その後、各種規制、指導要綱などが整備され、問題は沈静化したかにみえていたのであるが、この間の建築ブームで再び問題が増えてきた。また、都心から郊外へと問題が波及しつつある。
そうした中で、埼玉県を中心にワンルームマンション問題について調査研究することになった。まだ、実態を概略把握した段階であるが、いくつかのポイントを考えてみよう。
ワンルームマンションの建設が近隣住民との紛争を引き起こした背景には、様々な問題がある。六〇年代末から七〇年代にかけての日照権問題と同質の問題をはらんでおり、第二次マンション紛争と呼ばれたりしたのであるが、もう少し、複雑な問題がある。問題の位相は少なくとも三つあるように思う。まず第一に、ワンル-ムマンションという住居形式がもつ問題である。また第二に、ワンルームマンションの立地と地域住民との関係の問題である。そして第三に、ワンル-ムマンションを発生させる仕組みの問題である。
ワンルームマンション問題の第一は、ワンルームということであまりにも狭小な住宅が供給されているという点である。要するに、ワンルームマンションという住宅形式は、社会資本として、住宅ストックにならないという問題だ。また、何故、ワンルーム形式のみのマンションか、という問題がある。このポイントは、第二、第三の問題にすぐさま結びつく。
ワンルームマンションは、地域に対して極めて閉鎖的な形で建設されることが多い。フィジカルな形態としても閉鎖的であるが、ワンルーム居住者の集団は、単身者だけの小さなコミュニティーとして閉じている。地域社会にとっては異質なことが一般的なのだ。地域社会との軋轢は、その点から派生する。単身者だけの、また、住機能だけのワンルームマンションは、それだけでは自立しえない。むしろ、地域の環境に依存することにおいて初めてその形態はなりたつ。比喩は悪いが、良好な住環境に寄生する形でワンルームマンションは成立している。そこに大きな問題があるのである。
ワンル-ムマンションという住居形式のもつ問題について、それが引き起こす相隣問題も含めて箇条書きに整理してみよう。
1.住戸面積が狭小であり、単身者の住戸としても問題があるものが多い。住宅ストックにならない。
2.用途地域と日影規制から、建物の高さを10m未満におさえ、階数を4階建にしているものがあり、その場合、天井高は極めて低い。
3.経済効率上、建物の専有部分をできるがぎり大きくとり、共有部分を小さくするという方法をとるために、住環境として基本的に貧しい。
4.特に、ゴミ置き場、自転車置き場を考えてつくられていない場合のあること。
5.敷地を最大限利用しようと、隣棟間隔が狭くし、周囲に空地のない高密な住居となるため、災害時に危険であるものがある。
6.外部に対し閉鎖的につくられることが多い。
7.ワンル-ムマンションの所有者が、そのマンションに住むことは珍しく、また、ワンル-ムマンション自体に管理人のいない場合がほとんどであるため、管理がルースとなる。
8.特に、単身者のライフスタイルから、深夜の騒音やゴミの放置など、近隣に迷惑を及ぼすことが多い。。
ワンルームマンション問題としてより大きいのは管理の問題である。管理の問題が明確であれば、地域で合意できる問題は多い。だが、管理についてはさらに複雑な背景がある。ワンルームマンションを支える仕組みの問題である。それが第三の問題の位相だ。
ワンルームマンションが建設される、その原型は、基本的には「庭先木賃」、「庭先鉄賃」のかたちである。すなわち、比較的、敷地に余裕のある地主が自分の敷地内に木賃アパート、あるいは、RCアパートを建ててアパート経営をするかたちである。プレファブ・メーカーが、各種アパートを開発し、商品化してきたのは、そうした需要を前提としてのことである。現在木賃住宅を経営している地主が、老朽化による代替住宅としてワンル-ムマンションを建設しようとすることは、家賃収入を考えた場合、当然であろう。ワンル-ムマンションは、狭い土地に柔軟に計画することが可能であり、容積率を限界まで使い果たそうとしたとき、零細な地主にとって非常に有利な住居形式なのである。
地主なり家主が隣居する場合はまだいい。しかし、所有者の問題がもうひとつある。ワンル-ム・リ-ス・マンションの所有者は、必ずしも大きな資本をもった事業者ではない。多くの場合、サラリーマンなのである。一方で、自らの住宅取得に汲々とするサラリーマンが多数存在する一方、住テクに走るサラリーマンの存在がワンルームマンションを支えている。そうした複雑な仕組み、構造は、「ワンルームマンション問題」のみならず、住宅問題の複雑さとして指摘されねばならない筈だ。
サラリーマンは、なぜ、ワンルームマンションに投資するのか、まずは節税、税金対策である。サラリ-マンは、事業用資産としてワンル-ムマンションを購入すると、ロ-ン返済の金利、減価消却費や修繕費などを損金として経費計上でき、この額が賃料収入を上回った場合、赤字分は、税金控除の対象として還付される。
そして財テクである。サラリ-マンは全く何もせずに、安定した収入を得ることができ、ロ-ン完済後は、不動産のオ-ナ-となることができる。日本では不動産は「株」や「金」にまさるもっとも安定的な資産である。
ワンルーム・リース・マンションの場合、地下狂乱以前では、一戸当り、一千万円から一千五百万円程度である。購入者はその一〇%程度の頭金、すなわち、百万から百五十万円の一時金と、当面、住宅ローンと賃料の差額、一~二万円を払っていけば、いつのまにか、大型資産の所有者となれるわけである。普通のサラリーマンでもついその気になるのである。やがて家賃とローン返済のバランスが均衡してプラスの財産となってくる。そして、余裕がでてくるとさらにもうひとつのマンションが購入できる。また、転売してキャピタルゲインを稼ぐ手もある。アパートローンも借りやすく、住テクを助長する社会風潮もある。
こうして問題は明らかになる。事業者はともかく、所有者は、居住者ともワンルームマンションの立地する地域とも一切関わりがなくてすむのである。その論理は、町づくりにつながる契機をもたず、投資の論理において閉じているのである。
2001年7月 編集委員会発足 第1回編集委員会
情報委員会出席。総合論文集なるものの企画を知る。情報委員会、理事会からの要請としての検討事項を整理すれば以下のようだ。
0 編集委員の公募
→編集委員会のバランスの問題 拡大強化
1 会員(特に地方会員)の声をどう誌面に反映させるか
→各支部から最低一名選定
→支部通信委員の設置
→建築雑誌ホームページ(Webサイト)の設置
2 会告の欄の縮小
→縮小 常設欄拡大 特集拡大
→会告より 結果のレビュー掲載
3 読まれる建築年報
→レビューの強化
→作品批評の充実
いずれも異議ないが編集委員の公募はとても間に合わない。次期からやるとすると早めに手を打つ必要があろう。公募でうまくいくかなあ、とは思う。公募なら次期も手をあげようか。
第一回編集委員会。委員長として用意したメモは6月15日とほぼ同じであるが、議題として以下のメモを加えた。業界全体の問題を問い、学会の行方を問う、頭と尻を決めるのはどうだ。とにかく1月号を決めないと落ち着かないのである。
特集テーマ
→ 2002年1月号 建築界の諸問題の核心 建築界の構造改革? 建設産業の行方
2003年12月号 建築学会:諸問題の核心
28名の参加だからまあまあか。しかし、盛りだくさんで何も決まらなかった。しかし、だらだら長時間にわたるのはやめよう、という、これは決意である。後は懇親会でビールを片手に、というスタイルは、太田委員会、渡辺委員会に学んだものだ。時間がある委員が参加し、自由に意見を言い合う。以下は、議事録と懇親会メモである。
日 時 2001年7月9日(月)15:00~18:00
会 場 学会会議室202
出 席 委員長 布野 修司
幹 事 石田泰一郎・大崎 純・古谷 誠章・松山 巖
委 員 青井 哲人・浅川 滋男・伊藤 圭子・岩下 剛・岩松 準
小野田泰明・勝山 里美・黒野 弘靖・鈴木 隆之・高島 直之
田中 麻里・Thomas
C. Daniel ・塚本 由晴・土肥 真人
新居 照和・野口 貴文・羽山 広文・藤田 香織・八坂 文子
山根 周・脇田 祥尚
議 事
□委員長の挨拶・委員の自己紹介・幹事の承認
布野委員長の挨拶ののち、各委員の自己紹介が行われた。4名の幹事については了承された。
□建築学会、編集委員会の概要について
事務局より、建築学会の概要、編集委員会の概要が説明された。また、関係規程類の確認を行った。
□布野委員長の編集方針について
布野委員長より、編集方針の説明があった。また、各委員から寄せられた特集企画案の説明がされた。
また、今後の特集企画の資料として、1)青井委員から、過去の編集方針に関する分析、2)脇田委員から、2000年12月号、2001年1月号(行く世紀、来る世紀)の発言分析、3)山根委員から、同上のキーワード分析、に関する詳細な資料が提出され説明された。
□連載について
委員各位からいろいろな案が出されたが、議論には至らず、二次会にて協議を続けた。英語原稿は、本文を原文で載せ、和抄訳を併記する。
二次会議論に譲る
□表紙デザインについて
デザイナーは鈴木一誌氏にデザインを依頼することとし、松山幹事および事務局から打診を行うこととした。
□ホームページのデザイン
大崎幹事を中心に開設を進めていただくこととした。
□建築年報について
来年9月刊行の『建築年報2002』は、大崎幹事を中心とした小委員会を立ち上げて企画していただくこととした。
●建築雑誌第1回編集会議(二次会)記録 2001.07.09 青井哲人記
(一次会ですでに出ていたもの)
・目次ウラ(松山巌?) 1・グラフ(カラー) 2・アジア 2・技術ノート 2・地域の目 2・海外の目 2
(二次会で出たもの、その他)
・未完のプロジェクト(グラビア)・まちづくり、参加(土肥・脇田?)・ソフトウェア(建築事務所でこう使っているなど)・用語集(流行語、略語など)・海外留学生からの便り・異国の日本人建築家(勝山)・海外ディベロッパーに聞く・私の発見・発明(松山)・有名建築の風呂に入る(松山)・表象としての建築(高島 or 松山?)・世界の建築博物館(塚本)・連載小説(鈴木)・異分野の人がみた建築(建築家)・年寄りに聞く・あの人は今・青春の落とし前(第1回は布野修司)(青井)・私はこうして食っている・都市計画家・為す者としての建築史家(青井)・建築史のパラメータ(青井)
(その後、小野寺さんからいただいたメモ)
学会の「建築教育の情報化小委員会」から、「技術ノート」の企画として下記の提案がなされております。この扱いについていずれ審議していただきたいと考えておりますので、連載のメモに加えていただけると幸いです。宜しくお願いします。
主査:川角典弘(和歌山大学 システム工学部 デザイン情報学科講師)
情報システム技術委員会「建築教育の情報化小委員会」では、建築設計教育と情報技術教育の融合を目指して、新しい教育方法や設計リテラシーについて調査・探求を行っています。その中でネットワークを利用したバーチャル・デザイン・スタジオなどの複数の大学や企業をつないだ実験的な教育プロジェクトから、実習教育としてのコンピュータ演習や学生によりCAD/CGの利用実例など多くの事例や取り組みについて知見を広めてまいりました。
これらのトピックはすでにCAD/CGによる情報教育を実施している学校、これから取り組もうとしている学校にとって貴重な先例やTipsとして役に立つだろうと考えています。そこで、我々の小委員会のメンバー校を中心にCAD教育の取り組みと情報技術、教育の現場で生じた問題や教育用システムのあり方について啓蒙的資料をとりまとめ、技術ノートとして掲載できないか、と考えた次第です。また具体的な資料はこれから収集していく予定ですが、企業内における設計技術教育や大学などの教育機関に求めららる設計教育のニーズについても掘り起こしていきたいと考えています。
宿酔いのまま理事会出席。昨晩は、久しぶりに松山さんとしこたま飲む。気がつけばなつかしの歌舞伎町であった。
理事会のトーンは暗い。だから、仙田会長のスローガンは「展望する学会」である。しかし、問題は何をどういう方向に向けて展望するかである。
会員減少の報告が繰り返される。「建築業界は一体どうなるのか」をめぐって特別研究委員会設置が了承される。しかし、二年間研究すれば先が見えるというわけではあるまい。会員数が減るからどうなのか、どうしたいのか。太田委員会の頃は30,000人に満たなかった。何もじたばたする必要なんかないじゃないか。などと、考えていると、いきなり発言を求められた。前後の脈絡が見えないまま、「特別研究委員会の結論を待ってどうこうということじゃないと思いますので、1月号で建築業界の問題点について特集を組んで、とにかく議論の材料を出します」と宣言。引っ込みがつかなくなった。
資料には、会誌編集委員会 石田泰一郎以下31名とあるだけ。どういう「考え」で組閣をしたのか、問われれば滔々と説明しようと思っていた(びくびくしていた)のだけれど、(意外なことに)何の質問もなくめでたく全員が承認された。編集委員会の正式発足である。「会員以外がちょっと多いんじゃない?」。隣に座っていた九州大学の竹下学術理事が何故かにこにこしていた。
出掛けるまで既に一週間もない。いささか強引だけれど、叩き台を出すしかない。「帰京」すると、以下のメモを編集委員に送った。
因みに、メールを使わないのは松山巌さんだけだ。TVは見ず、ラジオだけだし、Faxも使わず、目と鼻の先の出版社に原稿を郵送する人だ。どうしても、という場合には電話すればいい。
1月号については無謀だけれど、編集の中核を期待していた遠藤君が欠席だったから仕方がない。叩き台の案に、ある種のメッセージを込めた。遠藤君とは、彼が学生の頃からの長いつき合いだ。さらに京都大学では短い期間だけど同僚でもあった。京都大学に赴任した折には、手取り足取りお世話になった。こんどのテーマは、古川修先生がご存命であれば、真っ先にご相談するところだけれど、弟子の彼ならやるであろう。遠藤君は、特別研究委員会の幹事でもある。懇親会で確信したけれど、岩松準さんという強力メンバーがいる。
■建築雑誌の編集方針について 布野修司 20010711
□
7月10日の理事会で全委員の委嘱が認められ、編集委員会は正式に発足いたしました。
□
第一回の編集委員会は盛りだくさんの議題で、予想していたこととは言え、何も決定することが出来ませんでした。編集委員会の仕事について共通認識をもつことができたことで、よしとしたいと思います。とは言え、懇親会も含めると、具体的な方向性もある程度議論できたようにも思います。
□
議論を、提案を含めて以下のように整理しますのでご検討下さい。
1 表紙、装丁、アートディレクションについて
全体としてヴィジュアルな表現を多くし、読まれる頁構成をめざす。
デザイナーは、鈴木一誌+松山巌(表紙+24の言葉)を第一候補とする。
2 特集
各特集とも必ず過去の類似テーマの総括、参考文献リスト、年表、ダイアグラムなど
編集部員の作業に基づいて分かり易く表現する頁を設ける。2p~4p
各頁原則として一枚は写真、図などを用いる。
編集委員各位、特集テーマご提案下さい。最初の4号については急ぎますので以下の
ような提案をします。ご意見下さい。
●2002年1月号 日本の建設産業(仮)
1 建設投資と建設労働 藤沢好一 4p
2 ゼネコンの行方(座談)大手五社企画(開発)本部長 司会 勝山・八坂 6p
3 公共事業と建設業 国土交通省 4p
4 建築家(建築士)の数 国際比較 伊藤圭子 4p
建築家協会、事務所協会、建築士連合会の現況
5 日本の建築ストック 図表 遠藤・岩松 2p
6 住宅建設動向と住宅産業 安藤正雄・松村秀一 4p
7 寄せ場の現在 土肥真人 4p
8 建設関連諸団体関連図 公益法人特殊法人 伊藤圭子 2p
9 サブコンの未来 古阪秀三 2p
10 地域と建設産業 2p
11 日本建設産業史ノート 菊岡倶也 4p
12 建設産業を読む 遠藤・岩松・脇田・青井・山根 2p
●2002年2月号 建築デザインの最前線(仮)
●2002年3月号 ITと建築(仮)
●2002年4月号 京都議定書と建築(仮)
3 常設欄 ◎決定
全員参加を原則とします。担当は一応のとりまとめやくの案です。
◎A 表紙+目次裏1p 建築を考えるための24の言葉 担当執筆 松山巌
◎B グラビア 1p 表象としての建築 担当 高島直之 鈴木隆之
C グラビア 1p 未完のプロジェクト 担当 古谷誠章 貝島桃代 小嶋一浩
D グラビア 1p 建築博物館 担当 塚本由晴 黒野弘靖 勝山
◎E グラビア 1p 建築のアジア(世界の植民都市) 担当 布野 山根 青井
◎D 技術ノート 2p 担当 福和 石田 八坂 羽山 伊加賀 野口 藤田
◎E まちづくりノート 1p 担当 脇田祥尚 土肥真人 北沢猛
◎F 歴史のパラメータ 1p 担当 浅川滋男 青井哲人
◎G 地域の眼 2p 担当 新居照和 山根周 田中麻里 47都道府県+1
一枚の写真か図をつけて、地域で起こっていること、地域について考えること、・・・
2002年1月号は新居さん(徳島)と田中麻里さん(群馬)で書いてください。
◎H Foreign Eyes
2p 担当 Thomas C. Daniel 藤田香織 小野田泰明
◎I コンピューターソフト 1p 担当 大崎純 勝山里美 岩松準 野口貴文
◎J 用語集 1p
以上で一応15p
K 先達の知恵 私の発明発見
L 世界の住宅事情
この時期になると海外にでる。ここ数年、何故か助手も誰もいないたった一人の研究室なので、夏休みや春休みにまとめて出るしかない。
この五年間は「植民都市空間の起源・変容・転成・保全に関する調査研究」(文部省科学研究費助成研究)と題する研究プロジェクトに携わってきた。〈支配←→被支配〉〈ヨーロッパ文明←→土着文化〉の二つを拮抗基軸とする都市の文化変容が主題である。自ら、世界史的なスケールにおいて、都市の未来を考える機会となった。二一世紀の鍵を握る今日の発展途上地域の都市は、ほとんどが植民都市としての歴史をもつ。各都市は、人口問題、環境問題に悩む一方で、共通の課題を抱え始めている。植民地期に形成された都市核の再開発問題である。植民都市遺産を否定するのか、継承するのかはかなり大きなテーマである。
学生諸君もこの時機出払う。また、毎夏の「木匠塾」の準備で忙しい。「木匠塾」についてはいつか書こう。
7月16日 4:00前起床 螺旋工房クロニクル アジア都市建築史Ⅰ章column1 TG623 関西11:45:12:00→15:05:15:35Bangkok Yok Yor Restaurant
7月17日 4;40起床 アジア都市建築史Ⅰ章column2 アジア都市建築史Ⅶ章column1 9:00発 Tanao通り南までshop house調査 中国寺院 18:00ホテル タイスキ タニヤAKASAKA
・・・・
と、本来の旅の日誌はびっしり続く。最近はモーバイル持参でどこでも仕事が出来るし、メールが繋がるから日本に居るのと一緒である。僕は朝方で早朝仕事をこなす。どうも時差を気にせず自然体で事に当たっていて身に付いたらしい。東南アジアに通いだして22年目に入ったけれど、時差は1~2時間である。体内時計があって、日本標準自国6:00に起こるのだけれど、現地では4:00である。朝食まで一仕事出来る。昼間は調査。夕方からビール片手に議論。眠くなると、こてん、と寝てしまう。最高である。
しかし、モーバイルもよし悪し、である。
ロンドン滞在中、共同通信の井手和子さんから緊急メール。出発直前に送った原稿が役に立たない、という。採り上げた作品を既に扱ったことがありまずい、という。いま、「見聞録」というコラムを5週間に1本、年間10本持っているのであるが、こんなことはもちろん初めてである。ばたばたしていてチェックが甘かった。
ロンドンなら「テート・モダン」はどうですか。写真ならあります、と重ねてメール。テート・モダンとは、ご存じテムズ川南岸の発電所を改装した評判の建築である。しかし、ロンドンといっても、スケジュールがつまっていて時間がとれない。困り果てたけれど、ハード・ディスク内を探しまくっていくつか画像データを発見、送った原稿が以下である。ロンドンで書いたハーグについての原稿である。
趣のある歴史的建物の背後に異形の高層建築が二つ見える。オランダはハーグの王宮から中央駅前を望んだ光景である。左の砲弾形のビルは、シーザ・ペリ、右の急勾配の切り妻屋根が二つ連なるビルがマイケル・グレイブスの設計だ。
国際司法裁判所があり、歴史ある落ち着いた町として知られるハーグの駅前に、よくもまあ次々に話題作がそろうものである。コールハウスの出世作といっていいドラマ・シアター、リチャード・マイヤーのハーグ新市庁舎も隣接して建っている。国際的建築家の時ならぬ饗宴の感がある。それにしても、クアラルンプールの世界一高いペトロナス・タワー、NHK大阪など、このところのシーザ・ペリの世界を股にかけた活躍はすさまじい。
オランダ建築には昔から興味があった。アムステルダム派の建築が好きで随分見ている。長年つき合ってきたインドネシアの宗主国でもあり、オランダ建築や都市計画の世界史的展開には関心がある。ハーグには国立図書館、国立公文書館があって、このところ資料漁りのために通っていて気になってしかたがない。
まずは、オランダ建築の元気の良さにはびっくりするやら、うらやましいやらである。しかし、ポストモダンの建築などもう流行らないのではないのか。負け惜しみのようだが、大丈夫かな、という気がする。まるでバブル期の日本建築を見るようなのだ。
確かに、それぞれがハーグの町を読んで、それぞれに解答を出しているように見える。しかし、その解答の方向はばらばらなのだ。ハーグの町の未来がここに示されているとはとても思えない。
無味乾燥な近代建築の立ち並ぶ景観にポストモダンの歴史主義は確かに一撃を加えたかも知れないけれど、しっかりした歴史的街並みの前ではどうしても薄っぺらに見えてしまう。競演が饗宴に終始し、共演になり得ていないのが致命的なのである。
編集委員の皆さんとはメールでやりとりが旅行中も続いた。1月号については、遠藤、岩松、伊藤の三人で本格的議論が行われるのを見ていればよかった。いち早く、特集企画案を提出してきたのは浅川君であった。さすがである。大船に乗った気分で、僕の頭の中から旅行中『建築雑誌』のことは消えてしまったのであった。