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2023年9月18日月曜日

シンポジウム:司会:関西建築界の将来,横尾義貫,佐野正一,東孝光,橋本喬之,久徳敏治,日本建築学会近畿支部,1997.11.14

        日本建築学会近畿支部創立50周年 記念シンポジウム

                            関西建築界の将来

                                            

      主催 日本建築学会近畿支部 創立50周年記念事業委員会/記念シンポジウム委員会

                                            

                                            

 関西建築界の50年を簡単に振り返り、現状の問題を鋭く指摘した上で、関西建築界の活力ある未来を展望する。建築基準法等法制度の問題、インスペクター制度、職人問題等、日本の建築界の諸問題をめぐって大いに議論したい。また、関西建築界のルネサンスの方向性を21世紀に向けて宣言したい。



                                                  

                      日 時 11月14日(金)

           13:30~16:30 (開場:午後1時)

                          場 所 綿業会館本館大会議場

          大阪市中央区備後町2-5-8 tel 06-231-4881 定員300

                                      参加費 無料

                              事務局 日本建築学会近畿支部

                  tel 06-443-0538 fax 06-443-3144

              〒550 大阪市西区靭本町1-8-4 大阪科学技術センター内

                                            

                                            

  司会 布野修司(京都大学)  副司会 田渕基嗣(神戸大学) 記録 鵜飼邦夫(日建設計)

                                            

                                        基調講演

            横尾義貫 関西建築界の歴史と課題

        佐野正一 関西建築設計界の歴史と課題

                                            

                                            

                                          討論

                              東 孝光(大阪大学名誉教授)

佐野正一(安井建築設計事務所)

                                  橋本喬行(日建設計)

                                  久徳敏治(竹中工務店)

                              横尾義貫(京都大学名誉教授)

                                            

                                            

                                            

                                            

                                        テーマ群

                          関西と関東、関西と日本、関西とアジア

                      建築基準法等法制度のあり方/性能規定/違反建築

                  建設業界の諸問題/設計入札・談合/コンペ(設計競技)

      建築家の職能/建築士制度/資格制度/インスペクター(検査士)制度/シティ・アーキテクト制

                                      建築技術の未来

                                        職人問題

                                    関西建築界の役割

● 13:30-16:30(3時間)

 第一ラウンド 関西建築界の歴史と問題点(60分)

  まず、基調講演として横尾先生、佐野先生に歴史を振り返りながらの現状分析をお願いします。

  それぞれ25分

 

   1 横尾義貫先生 関西建築界の歴史と課題

   2 佐野正一先生 関西建築設計界の歴史と課題


   質疑 以上に対して、東、橋本、久徳の三先生からひとことづつコメント下さい。 10分


 第二ラウンド  建築界の現状と問題点(45分)

   橋本、東、久徳の3先生から、各15分程度、建築界の問題点をご指摘下さい。

   

      3 橋本喬行先生 建築生産の再定義       

   4 東 孝光先生 設計入札 コンペ、コミッショナー制(仮) 

   5 久徳敏治先生 建設業の展望 時の流れ 時の要請 時を求めて


休憩 15:15~30


 第三ラウンド 関西建築界の将来(30分)


   まず、3~5の橋本、東、久徳の三先生の発言に対してコメント下さい。   それに対し、若干のディスカッション。


 第四ラウンド フロアに開いたディスカッション 30分

 最後に一言

  

 テーマ群

      関西と関東、関西と日本、関西とアジア

      建築基準法等法制度のあり方

       違反建築

      建設業界の諸問題

       設計入札・談合

       コンペ

      建築家の職能

       建築士制度

       資格:インスペクター制度

       シティ・アーキテクト制

      建築教育

      建築技術の未来

      職人問題 

      関西建築界の役割




石田 関西の近代建築 施主の違い 施主に圧倒される 顧問ではなく 技術家 雇い人にすぎない。 一対一の人格的評価 一家言ある施主 人物重視 新しもの好き 

 様式建築     パトロンの消滅 

 モダニズム 論理性を要求 片岡安で終わった


Dr.Shuji Funo

Department of Architecture and Environmental Design

Faculty of engineering

Kyoto University

Yosidahonmati,sakyo-ku

kyoto,Japan

E-Mail i53315@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp

tel.fax 075-753-5755

創立50周年記念シンポジウム



ポスター:グラフィック・デザイナーについて

 西岡勉 京都近代美術館ポスター、建築思潮表紙 10~20

 杉野良子 菊地信義の弟子

 小山・・



5-4 アジアと建築の未来


 会場 京都市国際交流会館

    KBSスタジオ


 後援メディア KBS 京都新聞?


 参加者:関西建築系大学所属留学生・OBおよび指導教官

     阪大/京大/神戸大/奈良女子大/大阪市大/京都工業繊維大学/神戸芸術工科大学/立命館大学/大阪芸術大学/京都精華大学/明石高専・・・・各大学最低5人 最低50人~100人参加

  

 時間 I 10:00~12:00

        Ⅱ 13:00~15:00

    Ⅲ 15:30~17:30

    Ⅳ 19:00~

 

     

 基調講演  高谷好一(滋賀県立大学 京都大学東南アジア研究センター)

      「多文明社会の構図」


 ディベート:徹底討論 21世紀と日本(関西)

       それぞれ5名程度意見発表を行う。

               中国、韓国、台湾、インドネシア、タイ、フィリピン、・・・・・・・

       

 第一部 アジアと日本の未来

          コーディネーター:高谷好一

            A

      B

      C

      D

      E


 第二部 アジアの都市と日本

     コーディネーター:モンテカセム 佐々波秀彦

            A

      B

      C

      D

      E


 第三部 アジア建築の未来

     コーディネーター:重村力

            A

      B

      C

      D

      E



 第四部 日本文化の諸問題

      日本の建築界:教育・職能・資格・・・・研究と実践

     コーディネーター:布野修司

            

      A

      B

      C

      D

      E


●現実的には上のⅡ、Ⅲの時間帯で、ふたつのセッションぐらいか。



  5-5 建築をめぐる人々と建築界の将来

            何より駄目な関西建築界

      建築界の構造転換


 場所 綿業会館


        司会 布野修司


      佐野正一 大阪市中央区島町2-4-7 安井建築設計事務所

           06-943-1371 fax 06-945-4340

      横尾義貫 607 山科区大塚南溝町10

            075-581-2565

           

      久徳敏治  573 枚方市東香里2-21-25

           0720-54-5601

      東 孝光  107 港区南青山3-6-1

           03-3403-5593

      橋本喬行  横浜市港北区下田町1-1-1-117

      03-3408-7125-7129ext 045-561-3086

    ・・・・・・

      建築基準法

      設計入札

      談合

      資格:インスペクター

       違反建築


      関西建築界とは

         

 

2023年9月16日土曜日

藤井正一郎、『戦後建築論ノート』書評、1981

布野修司:戦後建築論ノート,相模書房,1981615(日本図書館協会選定図書


 

2023年9月15日金曜日

神宮外苑の銀杏並木伐採問題についての所見

 神宮外苑の銀杏並木伐採問題についての所見 布野修司

神宮外苑の銀杏並木伐採問題についての所見
                             布野修司

日本の都市計画の歴史とその崩壊については他に譲るが,東京オリンピック2020の誘致(新国立競技場コンペをめぐる右往左往,汚職,神宮外苑の銀杏並木伐採問題)の背後に当初からあったのは,不動産業界の露骨で貪欲な開発意志である。神宮外苑は,その名の通り,明治天皇を「祀る」明治神宮の外苑として造営整備されたものである。もとは青山練兵場の跡地であり,その葬儀の際には葬場殿の儀が行われ,棺が置かれた場所であるが,明治天皇・昭憲皇太后の遺徳を後世に伝える諸施設を「公園」という位置づけで整備したものである。当初は,聖徳記念絵画館,葬場殿址記念物憲法記念館,陸上競技場の4施設のみの計画(1918年)であったが,大正末のスポーツ熱の高まりから,野球場,水泳場,相撲場を加えてスポーツ公園としての性格を強めるかたちで設計変更された。この時,明治神宮造営局の主任技師であった折下吉延(1881~1966)によって植樹されたのが銀杏並木である。
第二次世界大戦後,神宮外苑はGHQに接収されるが,1951年に移管されると,東京都は風致地区として,緑地を保全する措置をとった。山手線の内側,東京の中心に広大な敷地が残されてきたのはこの風致地区としての規定が大きい。また,文科省が管理する国立競技場などを除いて,宗教法人としての明治神宮がほぼ一括管理してきたことが大きい。しかし,明治神宮は宗教法人として神宮と内縁を管理するのが本来である。もともと,神宮と内苑は国費で賄われたが,外苑はみ奉賛会が全国からの寄付金を取りまとめる形で資金を捻出したものであり,東京市の200万円を筆頭に,全ての自治体が目標額寄付したものである。
東京オリンピックのために新国立競技場を同じ場所に建替えられなければならなかったのか? 東京オリンピックの招致は,不動産業,商社,日本スポーツ振興協会,そして東京都(石原慎太郎知事,猪瀬直樹知事),安倍内閣全体の意志として,超高層ビル3棟を建設する容積率アップによる神宮外苑の再開発計画は前提であったのである 。


Akira Abe
ご指摘の様に、外苑維持の安定的資金不足を、デベロッパーの力を借りて補おうとした事が発端かと思います。50年前を知る立場のものとして江戸社長・氷室副社長体制の時代であれば、本件の様なプロジェクトに代償を求めて社会に逆らう様な考えは戒められていたのですが、その後の代替わりで社会のどの位置に身を置くべきかを考える企業理念が失われたと感じています。
反対活動がイコモスまで動かして強力になってきましたが、土俵から押し出される可能性は大きいと思います。
奉賛会を中心に神宮の森を守るクラウドファンドを立ち上げて、国内外の団体や企業に問いかけることが可能ではないかと考えます。

高谷好一、第2回 地球文明学会で高谷が発言したこと、20151110

 2回 地球文明学会で高谷が発言したこと

 

20151110

高谷好一

 

 都市とは何かということだが、抽象的に議論するとわかりにくくなる。皆がそれぞれに違った都市を想像して、それで議論して、混乱が起こる危険がある。

 それで、私の提案は、具体的な都市を並べてみて、それで都市とはこういうものだというのを前にして、そこから議論したらどうかと思う。

 そのとき、二つの方法があるが、人類史の中で実際に存在した都市を縦に並べてみることだ。例えば、紀元前3000年頃のメソポタミアの都市、それから紀元前後のギリシアやローマの都市、もっと後になって現れるイスラームの都市、それからヨーロッパの都市、特に産業革命後の都市、それから今日の東京のような大都市。それを一度、縦に並べてみる。しかし、たぶんこれでも都市の一部しか出ていない。だから本当は、いくつかの生態区を想定して、それぞれの生態区における都市の歴史を定義する。例えば、砂漠・オアシス地帯には、どのような都市が生まれたのか?東南アジアのような森の多い多島海では?あるいは日本のような稲作をやる盆地では?などと並べてみて、生態という横軸と歴史という縦軸の中で都市群のマトリックスを作ってみると、よくわかるのではないかと思う。皆、共通したイメージを持つことができて、議論がしやすい。もっとも、この作業自体が大変な作業になるのだけど。

 『野生が都市を救う』は素晴らしかった。ずいぶん前に出版されているのだが、今読んでも新しい。言い出したのが早すぎて、当時はあまり売れなかったのではないかと思った。

 ところで、本の主張の一つが、「都市の中に自然を作ろう」ということだったと思うが、私は「なるほどな」と思った。都市はあまりにも人工物に満ち満ちていて、殺風景すぎる。何とかしてもう少し自然を入れなきゃいけない。と同感した。

 しかし、すぐ後にこんなふうにも思った。「俺の住んでいる守山のあたりの田舎のことが忘れられているのではないか」。都市はどんどん大きくなっている。やがて、地球全体が都市になってしまうのではないか。少なくとも、平野部は全部都市になる。そんなときには、中自然をわざわざ作るよりも、今ある田舎を中自然として積極的に活かした方が手っ取り早いのではないか?そんな、いささかいじわるなことを考えた。

 東南アジアの森の人たちは、本当に多くの植物の名前などを知っている。その用途を知っている。これは腹痛の薬だとか、これは蛇に噛まれたとき傷口に塗ればよいとか。その知識は多様で深い。森の中で木や草とともに、それを十分に利用して生きている、といってよいかと思う。その知識は私たちが本で読んだものの何百倍もある。

 彼らはまた、森の中で迷ったりしない。私たちは地図とコンパスをもって森に入り、それでも迷って慌てふためき、パニックに陥る。しかし、彼らはそんなことはない。仮に一時k迷ったとしても、2、3分すると自分がどこにいるのかを知り、行くべき方向をちゃんと見出す。これは彼らが「物語」の地図を頭の中にもっているから。この木は村で一番大事にしているドリアンの木だ、とか、この背面にべったり苔の生えた岩は、昔から化け物の住処とされているところだとか。この小さな流れは、魚毒草がたくさん採れる小川だとか、森に散らばっている木や岩や泉や流れなど、あらゆるものに物語があって、それでたとえ一瞬自分の居場所がわからなくても、すぐに物語の地点を見つけ出し、そこからは安心してその物語の途をたどって行く。

 この「物語」の地図は、単に標高や距離だけが無機的に示されているのではなく、それにまつわる一連の話があって、それは昔からの言い伝えや、場合によっては見えない地下の話にまで広がるものなので、それは豊かで深いものである。東南アジアの人たちはそういう世界に住んでいる。日本の団地に住んで、地面とも木とも草とも、隣人とさえ切り離された生活をしている人と比べると、その豊かさは何万倍もあるといってよいのだと私は思っている。

 田舎がよいのは、そこには汲めども尽きぬ「物語」があるからだ。例えば、「この杉の木には天狗が住んでいた」とか、「この松の木には五寸釘が打ちつけられていた」とか、「この小溝沿いには細道があって、お宮に集まった一行が列を作ってお伊勢参りに行ったのだ」など、いっぱいある。お宮だけではない。ちょっとした曲がり角や道傍にころがっているような地蔵さんにも、あるいはもっと新しい消防ポンプ小屋にも、供出米の検査場にも、みな物語がある。これらの物語は、住民がみな知っている。小さな話で、それ自体大きな論理や思想につながるものではない。しかし、皆でそれを共有しているということは、大変なことなのだ。そんなことは、学校での教育や読書からは得られないものだ。長い歴史をかけて、共にその地に住んできたということの中で出来上がったものだ。土地の文化、土地が持っている物語というものだ。

 たしかに、団地にも物語はあろう。町に作られた公園にも物語は作られよう。しかし、それが本当の「物語」になるには、やっぱり時間がかかる。何百年という時間がかかる。中にはこの社会に染み込んだ「時間」がある。

 私自身が田舎に住む人間として、この田舎に何を感じているのか、どう見ているのかを言わせてもらいたい。それは納得の世界だということ。私の母などは納得して死んでいった。私の母の人生は決してよいことばかりではなかった。没落したので、大変な貧乏だったし、それで京都に女中に出ていた。生まれ故郷に帰っても、苦しい生活ばかりだった。そんな中で近所の人たちや親せきたちともよくいさかいもあったようだ。もちろん、楽しいこともあった。要するに、このあたりの普通の田舎の社会の例にもれず、相互監視の中で、それでも精一杯、なるだけ楽しく生きてきたようだ。

 年老いてからは、私と二人だけの生活が長く続いた。その頃は、もう90歳を過ぎていたが、天気が良いと、毎日屋敷の草むしりをしていた。1日中していた。ナンマンダブツナンマンダブツと言いながら、草取りをしていた。これは口癖だけで、決して素晴らしい仏教信者というのではなかった。私はそれをよく知っている。仏教の教えではないが、何か独特の安堵心のようなものをもっていた。それをもって、ただ口癖のナンマンダブツを繰り返して、ひたすら草むしりをしていた。草に話しかけているようでもあり、自分の一生を思い出しているようでもあった。

 そんな母を見ていて、いつも私は思っていた。「おふくろは、納得の人生を送ったな」ということ。苦しかったことも楽しかったこともみな昇華してしまって、ただ「これで良かったのだ。おかげさまで。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と言っていたようだった。

 田舎に生きるというのは、こういうこと。そこにある「物語」の中に自分も溶け込んでしまって、一生を終えるということ。ここにあるのが、「納得の世界」。

 私は土「土地の主」というのを自分自身の分担する研究の中心に据えたいと思っている。もともとは、その土地の本当の持ち主は誰なのか、ということをはっきりさせることだ。ご先祖様であるのかもしれないし、自分たちとは無関係の先住者がいて、その人の魂が土地に染み込んでいて、これを「土地の主」と私自身が感じているのかもしれない。

 この「土地の主」という言葉は東南アジアではよく聞く言葉だが、最近ではラオスで聞いた。ラオ人の村に行くと、たいてい社があって、「プー・ター」を祀っていると話してくれた。多くの場合、クメール人だ。彼らが入植してくる前には広くクメール人がいて、その人たちの魂がこの土地にはこびりついている。粗末に扱うとたたられる。だが、大事にすると守護神になる」という。この種の「土地の神」が今の時点での私の最大の関心事だ。

 ただ、この「土地の主」は全世界的にあるものではないのかもしれない。私のいう「生態型世界単位」の範囲、すなわちもともと森林の卓越していたところだけにあるものなのかもしれない。たぶん、砂漠地帯などにはないだろう。欧米にもない可能性がある。森といっても北の森は東南アジアの森と違って、オオカミとクマのいる森だ。草・木の卓越する南の森とは違う。それに、北の森にはキリスト教が早くから入り込んでしまった。地球文明を考えるとき、やはり私としては生態区を抜きにしては考えらえないように思う。

 

【お酒をのんだとき、吉村が言ったこと】

 「野生→コモンズ」という言葉をキーワードにしてきた。

 コモンズの次のキーワードを考えねばならない。皆で考えよう。「コスモロジー」というのが一つの案かと思う。

 この研究会では、できたら具体的なプロジェクトをやってみたい。例えば、内湖を復活して「本当にきれいな湖畔を作り出す」ということを具体的にやってみることだ。

2023年9月14日木曜日

作法の美しさ―「昭和設計のアイデンティティと明日を拓く設計活動」―、建設通信新聞、2007

 作法の美しさ―「昭和設計のアイデンティティと明日を拓く設計活動」―

平成十九年五二十二

 

【布野】まずは、五十周年おめでとうございます。ちょうど十年前、四十周年記念のときにも、「なみはやドーム」などいくつか見せていただいて、昭和設計への期待のようなことを書いたことがございます。今日も五作品ほど見て、大変楽しませていただきました。組織事務所としてプログラムをきちっと解いた作品ばかりですね。「八尾市民病院」は、実に刺激的でした。建築計画学の出なんですが、新しい病院のあり方を感じます。「フジテック」も新しいオフィスのあり方を提示されています。「あべのルシアス」も、大変な仕事だと思います。組織事務所は、まずは組織力が第一です。しかし、十年前にも書きましたけど、組織事務所には、常に組織と個人、組織のアイデンティティと個性という、テーマがある。まずは、最年少の竹内さんから、昭和設計のアイデンティティとは一体何かということで口火を切っていただけますか。

組織の総合力

【竹内】 建築部門と水工部門、土木部門とが一緒になっている事務所は、そうないことなんですよね。水処理施設にしても、上屋はどんなものをつくれるんだろうとか、期待を持って入社したんです。土木の中でも構造とか電気設備、機械設備とか、いろんな分野が部門としてちゃんあって、それで仕事が成り立っているというところに、昭和のアイデンティティを非常に感じます。下水処理場なども、新しいものを整備するのではなく、つくったものをどう長生きさせるか、耐震診断やリニューアルがテーマです。昭和設計は自社ですべて対応できるんです。

【布野】 総合性、総合力に魅力を感じている。そこを押していけばいい。

自由と哲学

【石井】 入社した一九九〇年頃は、比較的若い社員がわりと自由にできる雰囲気がありました。それがまだあるとしたら、アイデンティティにつながると思います。また、前社長の三宗顧問の文章をたまたま目にしたんですが、建築を現象学とか哲学でもって語るそんな人がいるのも魅力的でした。組織事務所ですので、ある一定のレベルを保つことは当然必要なことですが、作品のテイストとかカラーみたいなものはばらばらでいいと思っています。それぞれの個性が出ればいい。

柔軟性と寛容

【久保】 自由にある程度できる環境は、十分感じます。提案に対する柔軟性というか、寛容さをこの事務所は持っている。顧客のおっしゃられることに対してもそうです。何か案をつくって出すと、全否定されることはない。もうちょっとこのほうがいいとか、あかんもんはあかんとか言われるけれど、改善すればいい。コンセプトの立て方が間違っていれば、違いますよと言われるけれども、全部が全部外されるわけではない。これはおもしろいんじゃないか、これは生かしていったらいいんじゃないか、これはこう生かせるねと発展的にどんどんできる。

【石井】 彼が入ったときに私が上にいたものだからほっとしているんですけど、頭ごなしに脅かすということはまずなくて、私がそうされてきたので、私も下にはそうしようと思っていたんです。

ほっとする楽しい空間

【布野】 提案して、全否定はされないけど、まとまっていくものの中にどういうテイストとかカラーが残るかですね。

【久保】 そこに来ていただく人が楽しいと思ったり、ほっとしたり、感覚の部分に訴えられるものが一番いいと思います。何か迫力を感じても素通りするものじゃなくて、ちょっと足をとめるようなほっとした空間。

【小平】 僕はちょうど入った年が四十周年の年で、まさに、新入社員の君たちは昭和設計をどんな会社と思っているかと質問されまして、何も考えていなかったのか素直なのか、会社の名前が軽いというイメージですねといったんです。当然、どういうことかと突っ込まれました。会社の看板が重たく感じられるとか、そこから受けるプレッシャーとか、あまり感じないと言いたかったんです。具体的な作風とか、それ以前の話ですけれども。創業者の岡本会長がそもそも岡本設計を昭和設計にしたと後から聞きました。

【布野】 最近は、一年でやめちゃうとか、そういう学生がいますけども。

【小平】 そういう意味では、楽しく仕事はできますし、ぼろかすに言われることはありません。

手堅い水工分野

【布野】 水工分野を持っていらっしゃるというのは強みだと思うんです。

【水田】 水工は、土木、建築、電気、機械、あとプラントの機械、電気という部門が一緒になって一つの仕事をつくり上げていくわけです。上の方も下の方も一つのチームになるといろいろまざりますので、意見のやりとりもやりやすい。水処理施設なので、どれだけ水をきれいに処理できるのか、機械とか設備がうまく機能するか、運転できるか、そこが重要なんですよね。維持管理する人については動きやすさとか、動かしやすさというのがある。公共事業ですので、できるだけ無駄がなくて必要最小限、どちらかというと創造性というよりは機能的なものを満たす。それで顧客に満足してもらう。そういった機能重視の設計にはなってきますね。

建築は悪?―地球環境というキーワード

【布野】 これからの建築のテーマということでは何をめざしますか。

【矢澤】 建物を建てていく上で地球環境問題に何かできるかと思います。再生材料を使うとか、環境に優しい材料を使うとか、リサイクルですね。環境問題から見ると、建築をつくること自体すごい悪だと思うんです。破壊する側にしかいない。設計にどう生かしていったらいいのかすごく難しい。自分でも答えがちゃんと出ていないですけれども、じゃ、建築は建てないほうが地球にとって優しいと言い切ってしまえるのかとは思います。人は生きていかなきゃいけないですから、建築はシェルターとしての必要最小限の建物としてではなくて、もっと人の精神面みたいなところに働きかけていけるような、そんな建物をつくっていく。それを構造設計としては、それをいかに見せるかとか、壊れないで長く使っていけるかとか、環境問題に間接に役に立っていけるのかなという思いはあります。

【布野】 すごいことを言いますね。確かに建築するということは地球を傷つけることですね。ただ、人類にとって建築は必要だし、ずっと建ててきた。しかし、それが地球環境にも決定的なインパクトを与えるほど巨大化したり、高度化したりすることが問題ということでしょうか。

【石井】環境問題については、ISOの14000をとって、会社として紙を節約するとか、照明を節約するだけじゃなくて、設計手法の中に環境配慮手法を組み込んで、どんなプロジェクトでも一通りの環境の負荷を下げるような手法を検討するというのが、一応設計のプロセスの中には組み込まれています。

景観形成の仕組み

【岸田】 都市計画をしばらくやって、最近ランドスケープをやるようになってきたんですが、一つは、ものとか形をつくるだけじゃなくて、そこではぐくまれる営みとか、それを支える仕組みみたいなものも考慮しながら景観をとらえていかなければいけないのではないかと思います。もう一つは、時代の流れの中で変容していったある空間の佇まいを再構築することが大事だと思います。都市景観は、小さなきっかけを大事にしていかなきゃいけないと思っています。

【布野】 仕組みとは?

【岸田】 でき上がった場所を、時間の流れの中でどう維持管理していくのかという仕組みです。また、最近の言葉で言うと協働ですね。実際の設計ではなかなかそこまで踏み込めないけれども、空間の支え手というものを頭の中に置きながらやっていく。時間とともに変わっていくことに関しては、ルールを規定するということよりも、むしろ使い方を固定し過ぎない、そういう場所のつくり方が重要だと思います。

周辺環境を取り込む再開発

【大古田】 地方都市の再開発計画に携わってきました。一つ一つの建物はみんなそれぞれ違うけれど、まち全体として見たときには、何となく画一化されて、イメージの似通ったまちが多い。経済性とか合理性とかを極端に追求し過ぎているというところがある。普段仕事をしながら実感することは、事業性がいつも問題。極端な話、建物の形を単純化して、既製品のパネルを使ったり、量産部材を使ったり、乾式工法で組み立てたり、そういった大きな流れがある。特に地方都市で中心市街地とか駅前とかの再開発ビルは、そのまちにとっては大プロジェクトで、景観に与える影響とか、まちのイメージをつくる上ではとても重要なんです。再開発事業は、鹿屋市のように、敷地内だけではなくて、周りを取り込む、手づくり感のあるような、その敷地ならではの施設を心がけています。

【矢澤】 確かに、合理性とか経済性を追求するばかりに、設計工期ですとか工事工期、工事費がものすごく絞られたり、ゆっくり取り組みたいけれども時間がなくて、目の前の仕事に追われて流れ作業的になったり、類似物件をそのまま使っていくようなことがとてもさみしく思ったりもします。そうしたことは、結局、そのまちの建物、景観がつまらなくなっているのにも影響していると思います。あとは、建築を建てようとする人の意識をもうちょっと変えていけるようなPRができたらいいなと思います。地球環境問題に関しても、特別な工法とか材料を使うのはすごいコストアップにつながることばかりですので、お施主さんの理解がないと採用できないことが多いんです。

【布野】 事業性は設計計画にとっては基本的問題ですね。

【大古田】 お施主さんの求めているものは、事業が成り立つかどうかということです。それにこたえていくというのはもちろん根底になければならないですが、うまいさじ加減で、どうするかですね。

【布野】 社是というのはあるんですか。あまり大上段に、大言壮語はしないということでしょうか。

【石井】 強いて言えば、顧客満足度という指針があります。しかし、計画をしていく上でこういうものを目指せとか、上からどーんと降ってくることはなくて、まさにプロジェクトごとにそのチームで考えてやっていく。

【小平】 一つ一つをこつこつとしっかりやっていこうというスタンスですね。

曖昧な空間とフレキシビリティ

【石井】 プロジェクトごとに決めていくのですから、会社のアイデンティティとしては、変な言い方ですけど、緩さみたいなものがあると思う。学校で、例えば、教室と廊下の間仕切りを自由に変えられるようにする。ここを増やしたいとか、この部屋はこっちからも使うけどこっちからも使えるとか、そういうフレキシビリティ。都市に対しても完全にかたく閉じるんじゃなくて、境界というのはできるだけ緩くして、曖昧にしていくというところで魅力みたいなものが出てくるんじゃないか。

【布野】 再開発前の、ごちゃごちゃしていたスラムみたいなほうがよかったり。

【石井】 するんですね。再開発しちゃうと、大体味気なくなってしまう。この線からこっちが自分の家とか、そういうのはあまりなくて、道に植木鉢が置いてあったり、洗濯物を干していたり、そういうのがまちの活気とか魅力をつくっていたりする。防災面の問題とかはあるんですけど。

【久保】 具体的には、自然環境をどのように取り入れるかということがあります。博物館、美術館は、エントランスホールがあって、徐々に閉じていって、展示室が一番閉じられた空間になる。部屋の間に共用部、アトリウムを設けて直接外気に接するように建物のすき間をとる。

【布野】 緩さとか曖昧さとかすき間とか、大分キーワードが出てきました。

【小平】 個人的に常々思っていることは、中心でないもの、独立でないもの、名乗り出る必要がないもの、自己中心的なものはとにかく腑に落ちない。それは、往々にして事業主さんの意図とは反する場合もあります。例えば、自社のアイデンティティの高いものが要求される。

【布野】 そういう場合はどうするんですか。

【小平】 まだ模索中なんです。

設計者の責任

【石井】 姉歯問題で建築基準法が改正されて、確認申請の審査が厳しくなる。建築士の責任というのがますます重くなる。ただ、変な方向に行っているなという気がする。建築士が責任を果たすのは当然ですが、果たすだけの権利が与えられていないというのが現状です。権利というのは、すなわち設計料、それから設計期間ですね。義務を果たすのなら権利も保障しろというのが本音です。国に頼っていても絶対何もしてくれないというのがわかりましたので、設計者みずから働きかけていくしかないと考えています。設計事務所単体では無理なので、業界団体が力を持つしかないすね。業界が今すぐ統合するのは無理としても連合するということは可能だと思います。経済界のように連合会みたいなものを早急につくって発言力を持つということが非常に重要です。初代会長は安藤忠雄。

【布野】 面白いですね。ただ、設計者に責任を果たす能力があるかどうかですね。設計瑕疵が起こったときに、昭和設計はある程度担保できるかもしれないけど、一般的には責任がとれない。基本的に保険のシステムを入れないと駄目だと思う。ユーザーも、設計者も、ゼネコンも保険に入る。そういう仕組みにしない限り、もろもろ起こる事態にとても対応できなくなっている。

【石井】 セットだと思います。

公共性の問題

【岸田】 最近自治体の財政状況が悪化してくる中で、例えば、公園なんていうものにはもうお金を出さないことが一方である。ほんとうに必要なものとそうでないものとの仕分けで、次の世代とかのことを考えたときにほんとうはやらなきゃいけないのに、今できていないんじゃないかということがある。民間の会社としてはそれが設計料とかに当然はね返ってきますので、そういう中でどこまでできるのかという問題がありす。

【大古田】 再開発は業務範囲がほんとうに広い。図面をかく時間は全体の二割とか三割程度で、それ以外のことがほとんどですね。資料づくり、お金の調整、権利者の調整、住民説明、そういったもろもろです。発注者は公共、自治体です。何でもとりあえずは設計者のほうに依頼してという考え方を当然とります。何でもかんでもというのはしんどいですね。

PFIの問題

【布野】 組織事務所も設計者も、相当今曲がり角に来てますね。公共発注がPFI的なものになってきて、コンペもなかなか成立しない。

【小平】 PFIに参加したことがあるんですが、我々の立場として一番微妙だなと思ったのは、設計者の存在する意義がどんどん薄れているということです。主導権はゼネコンに移行していっている。我々は基本設計レベルぐらいしかタッチできない。

【石井】 まさしくそうですね。アドバイザリーに入っているコンサルタントが、まずポンチ絵をかく。そのポンチ絵に基づいて要求水準書をつくりますから、それに従っていくと、ポンチ絵に近づいていくわけですね。ものすごくもったいないですね、時間と能力が。何をやっているんだろうと思いながらいつもやっているわけですけど。それでいいものができるわけがない。要求水準を緩めたらどんなものが出てくるかわからない。結局、価格で勝負をしたところがとってしまう。PFIにすごく疑問を感じています。

まちづくりの限界

【岸田】 まちづくりは地元に入っていくやりかたが本来ですけど、組織事務所ではまず無理だと思っています。計画とか調査のフィーが実は曖昧なルールぐらいしかない。出てくる地元の方は、いわばボランティアというような立場で関わってこられる。きっちりとした職能として社会的に認められるようなシステムがないと駄目です。もう少し小回りのきくような事務所であれば可能でしょうけど。

【布野】 でも、やらざるを得ない。

【岸田】 そうです。昔は営業的な要素があるのである程度はやらざるを得ない。

デザイン・レビューと個性

【布野】 デザインレビュー(DR)をやられているそうですが。

【石井】 ここ一年ぐらい、デザインレビューのが明確化されまして、一つのプロジェクトに対して何回かやらないといけない。まず、プロジェクトが始まった時、何をテーマにしないといけないか、どういうことに気をつけないといけないかということをやる。基本設計の最後にもう一回。初期でに摘されたことがちゃんと確認されているか、生かされているか、この段階でやる。次は、実施設計の段階で、七〇%DRで、図面が七割方かけた段階でさらにやる。図面チェックです。最後、成果品DRで合計四回。

【布野】 DRで個性が消されていくようなことはないんですか。

【石井】 技術的にこういうことを検討しないといけないのにしていないじゃないかとか、そういうチェックはあるわけですけど、これは四角になっているけど、丸いほうがいいなとか、そんなチェックはないんですね。

【布野】 最近は、各事務所ともデザインレビューを厳しくやっておられますが、どれぐらい個人のテイストが生きていくかというのが興味ありますね。

組織事務所の顔

【布野】 例えば、チーフアーキテクト制は採ってないんですか。

【石井】 。私は採ればいいと思います。もっと設計者の顔が表に出るべきだと思う。組織事務所なので、一つのカラーで事務所の作品をつくるのはちょっとどうか、逆に選べるというのがいいところかなと思う。お客さんが、今回はだれだれ君に設計してほしいなとか、名指しで仕事が来るようになれば一番いい。

【久保】 上司によってテイストは違いますし、仕事のやり方も全然違う。そういう面ではやっぱり個々人が研さんしていく中で、チーフになれるだけの技術なり、デザイン力なり、そういうことを含めてですけども、持たないといけないというのはありますね。

【小平】 会社組織としては、誠実だとか堅実だとか、そういう対外的なイメージを持たれているという意識はあるんですが、今、大きな問題は、競争力ですね、企業としての。はっきりした顔が、だれかの考えが明快に出ているほうが信頼感が増しますし、発注する側も頼りがいがあるんじゃないかと思います。

美しい国土、美しい地域を目指して

【布野】 デザインの地域性をどう考えますか。これから目指していく地域の景観、都市のランドスケープのあり方、美しい国土づくり、美しい地域づくりというような時代のキーワードの中で、時代性をどうとらえて作品化していくか、その姿勢というか、攻め方はいかがですか。

【岸田】 都市景観の美しさというのは何かというと、それは作法の美しさだと思います。アート的な美しさではない。多分漠然とした感じなんですが、つくり込み過ぎないとか、周辺環境を犯さないような空間のあり方とか、そういうふうなことというのが大切なんじゃないかなという気がします。

【布野】 作法の美しさって、キャッチフレーズとしていいですね。アート的な美しさじゃなくて作法の美しさ。

【石井】よく言うんですけど、社会人は人間性の勝負なんです。いかに格好いい絵がかけても、それを実現しようと思ったら、人間性がないとだめなんですね。実現できない。絵にかいたもちでしかな。施主にちゃんと説明して、納得してもらって、現場が始まったら工事業者に説明して、そのとおりにつくってもらわないといけない。そのコミュニケーション能力、つまり人間性がないと、実現できない。クライアントと話をするのは、医者が患者さんに問診をするのと同じで、会話をすることによって、この人は何に困っているかを引き出すわけです。何が問題かがわかれば、あとはそれに対する解決方法を考えればいい。

【布野】 最後に、五十周年を迎えて、あと五十年昭和設計はどう仕事をしていくのか、社長のつもりになって、お願いできますか。

関西からの発信

【小平】 五十年先じゃなくて、今、昭和設計の抱えている課題の一つとしては、東京に支社がありますが、そのウエートをどうするか。僕は、神戸発祥、関西、大阪に拠点を置いた会社というスタンスを一つアイデンティティとして持っていったらいいんじゃないかと思う。一つのカラーとして、それを売りにして何かを構築できないか。それを持って、東京なり、海外なりに出ていくという方法はないか。東京一極集中で、世の中が平均化している。我々は東京だけじゃなくて地方のほうにどんどん出ていこうとしている。東京に対する大阪という一地方にいて地方の可能性を見出して、こんなことをやれている。よその地域に行っても、あなたのところではこういうことができるんじゃないですかと、そんな話をしていけるようなスタンスを持てたらいいなと考えています。

軽いフットワーク

【大古田】異論があるかもしれないですけど、僕が個人的に思っているのは、いろいろ仕事をとって、ばりばりやって、会社の規模がどんどん大きくなって、例えば、日建設計とか日本設計みたいにどんどん大きくなっていくという方向性よりも、組織事務所としてのある程度の規模を保ちながら、フットワークが軽くて気がきいて、技術的にもしっかりして、ちょっと一目置かれるような、そういった専門家集団というか、そういった組織になっていけたらいいんじゃないかなと思っています。

一本の柱

【水田】 昭和設計は、内部では個人的な意見が通ったり、いろいろアイデアも出るような事務所ではあるんですが、外に対して考えると、もう少し一本柱があるような感じで攻めるような会社になったほうがいいかなと思っています。個人が表に出るんじゃなくて一つ中心をつくって、その人がやっぱり表に立っていくほんとうの組織として、一つのグループとして仕事に当たっていくというようなスタイルがとれたらと思っています。

提案力

【竹内】 昭和設計というか、水工設計の将来像としては、これからはやはり地球環境が重要なキーワードになってくるので、そういった面で新たな提案力をつけていけたらと思います。

コラボレーション

【矢澤】 技術力という点で言いますと、ゼネコンさんとか、土の専門とかコンクリートの専門とか、ほんとうに狭い範囲の専門家がたくさん寄り集まっている大きい団体がありますが、組織事務所は、それだけの人材は確保できない状況だから、浅く広くやらないといけない。新しいものを提案していこうとなると、やっぱり外の人たちとか、異業種の方とかとの交流を大事にしながら新しいものを提案していきたい、目指していきたいと思っています。

クライアントとの協働

【久保】 クライアントの要求を聞くのは当然なんですけども、クライアントも一緒に建物をつくっているんだという意識を持ってもらえるような仕事の進め方をしたい。もちろん専門家として我々が持っているものというものを提供しながら一緒になってつくり上げていく、そのつくった建物に愛着を持っていただいて、ずっとその建物を育てていけるような関係というのをそこで構築できるような仕事の仕方をしたいなと考えています。

国際化―アジアのフィールドへ

【岸田】 これから要求されてくる能力の幅とか水準はどんどん複雑になったり、多様化していくと思うんです。コラボレーションは当たり前の話になっていると思いますし、いろんな分野の人間が関わってくるようなつくり方というのが長い目で見た方向性としてある。もう一つは、中国の仕事を幾つかやってきたんですが、会社の経営的なことは別にして、一技術者として、日本という国が体験してきたことを中国に伝えてあげる、失敗とかですね。それが何かの役に立つというのはすごい、私はうれしいことだと思う。むしろそういうことを積極的にやっていきたい。今後、昭和設計という組織の中でもいろんな越えなきゃいけないハードルはあるけれども、どんどんアジア圏とかに出ていってもいいんじゃないかと思います。

競争力

【石井】 設計者の顔をもっと出して、お客さんに選んでもらえるような体制というのが望ましい。コラボレーションも絶対重要です。一昔前は、同じものを大量につくる時代だったけれども、最近は複雑で多様なものをより短い時間でつくらないといけない。それを実現できるための体制をすぐ構築できる。しかもそれが安くできる。安くできるというのは、工事費が安くできることと同時に、設計料も安くできるというのが競争力だと思っています。そのためには、社内の専門分化みたいなことも必要ですけども、ほかの専門業種との連携というのが欠かせない。そういうネットワークというのが素早く組織でできる体制、それをまとめ上げるだけの知見を持った人間がどんどん育っていくことが必要だと思います。

【布野】 ありがとうございます。最後から始めればよかったですかね。皆さんほんとうに仲がよさそうで、楽しそうで、長々とお話して頂いて、ありがとうございました。

午後五十九分終了)

2023年9月12日火曜日

第2回ISAIAアジアの建築交流国際シンポジウム論文集,神戸,1998年9月8ー10日

布野修司,鄧奕:北京の内城空間における朝陽門地区の空間構成に関する研究,日本建築学会,第2ISAIAアジアの建築交流国際シンポジウム論文集,神戸,19989810

布野修司,山本直彦,小玉祐一郎:湿潤熱帯におけるパッシブシステム実験住宅建設の試み・・・インドネシア・スラバヤ工科大学キャンパスにおけるエコ・ハウス,日本建築学会,第2ISAIAアジアの建築交流国際シンポジウム論文集,神戸,19989810

Shuji Funo Mohan PantSociospatial Environment of a Traditional Buddhist Community Quarter of the City of Patan Kathmandu Valley,日本建築学会,第2ISAIAアジアの建築交流国際シンポジウム論文集,神戸,19989810

 布野修司,脇田祥尚,牧紀男 :ナーガラ・クルターガマにみるインドネシアにおける王宮の空間構成,日本建築学会,第2ISAIAアジアの建築交流国際シンポジウム論文集,神戸,19989810




 

2023年9月10日日曜日

新居照和・ヴァサンティ 建築展 共に生きる 人・自然・時をつなぐ、ギャラリー むかしむかしと昔と今を、20220506~0510

新居照和+新居ヴァサンティ論「新たな建築家像を目指して インドに学ぶー地域に生きる原理」『住宅建築』,201003
新居照和・ヴァサンティ 多種多様なものの生きる原理,新たな建築家像を目指して 布野修司対談シリーズ9,新居照和・ヴァサンティ,日刊建設通信新聞社,19980407
AERA編集部編:建築学がわかる,AERA Mook,朝日新聞社,1997910






 

2023年9月9日土曜日

タウンアーキテクトの可能性―21世紀の建築家の役割、長澤泰 ・神田順 ・大野秀敏 ・坂本雄三 ・松村秀一 ・藤井恵介編,建築大百科事典, 朝倉書店,2008年

 朝倉書店 1700字×2枚 建築学大百科

布野修司

 

122 タウンアーキテクトの可能性―21世紀の建築家の役割

「建築家」は、全てを統括する神のような存在としてしばしば理念化されてきた。今日に伝わる最古の建築書を残したヴィトルヴィウスの言うように、「建築家」にはあらゆる能力が要求される。この神のごとき万能な造物主としての「建築家」のイメージは極めて根強く、ルネサンスの「建築家」たちの万能人、普遍人(ユニバーサル・マン)の理想に引き継がれる。彼らは、発明家であり、芸術家であり、哲学者であり、科学者であり、工匠である。

近代「建築家」を支えたのも、世界を創造する神としての「建築家」像であった。彼らは、神として理想都市を計画することに夢中になるのである。そうしたオールマイティーな「建築家」像は、実は、今日も実は死に絶えたわけではない。

 そしてもうひとつ、広く流布する「建築家」像がある。フリー・アーキテクトである。フリーランスの「建築家」という意味である。すなわち、「建築家」は、あらゆる利害関係から自由な、芸術家としての創造者としての存在である、というのである。神ではないけれど、自由人としての「建築家」のイメージである。

 もう少し、現実的には、施主と施工者の間にあって第三者的にその利害を調整する役割をもつのが「建築家」であるという規定がある。施主に雇われ、その代理人としてその命や健康、財産を養護する医者や弁護士と並んで、「建築家」の職能もプロフェッションのひとつと欧米では考えられている。

 こうして、「建築家」の理念はすばらしいのであるが、複雑化する現代社会においては、ひとりでなんでもというわけにはいかない。建築をつくるのは集団的な仕事であり、専門分化は時代の流れである。また、フリーランスの「建築家」といっても、実態をともなわないということがある。

この半世紀ほどの日本社会の流れをみると、第一に言えるのは、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった、ということである。二一世紀はストックの時代である。地球環境全体の限界が、エネルギー問題、資源問題、食糧問題として意識される中で、建築も無闇に壊すわけにはいかなくなる。既存の建築資源、建築遺産を可能な限り有効活用するのが時代の流れである。新たに建てるよりも、再活用し、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。

そうであれば、そうした分野、コンヴァージョン(用途変更)やリノベーション(再生)、リハビリテーション(修景修復)などの分野が創造性に満ちたものとなるのははっきりしている。また、ライフ・サイクル・コストやリサイクル、二酸化炭素排出量といった環境性能を重視した設計が主流となって行くであろう。さらに、維持管理、耐震補強といった既存の建物に関わる事業が伸びていくことになるであろう。

 新しく建てられる建築が量的に少なくなるということは、はっきり言って、「建築家」もこれまで程多くは要らない、ということである。木造を主体としてきた日本と石造の欧米とは事情を異にするとは言え、日本がほぼ先進諸国の道を辿っていくのは間違いないであろう。乱暴な議論であるが、日本の建設投資が米国並みになるとすれば、「建築家」の数は半分になってもおかしくないのである。

問題は、今「建築家」として、あるいは「建築家」を志すものとして、どうするかである。第一は、既に上に述べた。建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そのための設計、技術開発には広大な未開拓分野がある。第二は、活躍の場を日本以外にもとめることである。国際「建築家」への道である。世界を見渡せば、日本で身につけた建築の技術を生かすことの出来る、また、それが求められる地域がある。中国、インド、あるいは発展途上地域にはまだまだ建設が必要な国は少なくないのである。一七世紀に黄金時代を迎えたオランダは世界中に都市建設を行うために多くの技術者を育成したのであるが、やがて世界経済のヘゲモニーを英国に奪われると、オランダ人技術者は主として北欧の都市計画に参画していった。かつて明治維新の時代には、日本も多くの外国人技師を招いたのである。

第三に、建築の分野を可能な限り拡大することである。建築の企画から設計、施工、維持管理のサイクルにはとてつもない分野、領域が関係している。全ての空間に関わりがあるのが建築であるから当然である。ひとつは建築の領域でソフトと言われる領域、空間の運営やそれを支える仕組みなどをどんどん取り込んでいくことである。また、様々な異業種、異分野の技術を空間の技術としてまとめていくことである。「建築家」が得意なのは、様々な要素をひとつにまとめていくことである。マネージメント能力といっていいが、PM(プロジェクト・マネージメント)、CM(コンストラクション・マネージメント)など、日本で必要とされる領域は未だ少なくない。

この第三の道において、「建築家」がまず眼をむけるべきは「まちづくり」の分野である。「建築家」は、ひとつの建築を「作品」として建てればいい、というわけにはいかない。たとえ一個の建築を設計する場合でも、相隣関係があり、都市計画との密接な関わりがある。「都市計画」あるいは「まちづくり」といわなくても、とにかく、「建築家」はただ建てればいい、という時代ではなくなった。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域住民と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。もともと、都市計画は「建築家」の仕事といっていいが、これまで充分その役割を果たしてきたかというと疑問がある。大いに開拓の余地がある。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められつつある。

『裸の建築家―タウンアーキテクト論序説』[1](以下『序説』)で提起したのであるが、「タウンアーキテクト」と呼びうるような新たな職能が考えられるのではないか。

「タウンアーキテクト」を直訳すれば「まちの建築家」である。幾分ニュアンスを込めると、「まちづくり」を担う専門家が「タウンアーキテクト」である。とにかく、それぞれのまちの「まちづくり」に様々に関わる「建築家」たちを「タウンアーキテクト」と呼ぶのである。

 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。いくつか問題があるが、地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。

 何も全く新たな職能というわけではない。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている仕事である。ただ、「タウンアーキテクト」は、そのまちに密着した存在と考えたい。必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。そういう意味では、「コミュニティ・アーキテクト」といってもいいかもしれない。「地域社会の建築家」である。

「建築家」は、基本的には施主の代弁者である。しかし、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割がある。医者、弁護士などとともにプロフェッションとされるのは、命、財産に関わる職能だからである。その根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をもつ。

 「タウンアーキテクト」を一般的に規定すれば以下のようになる。

 ①「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 ②「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。

 ③ここで具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。

④もちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」でありうる。また、「建築家」こそ「タウンアーキテクト」としての役割を果たすべきである、ということがある。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」だからである。

 



[1] 布野修司、『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』、建築資料研究社,二〇〇〇年。