第2回 地球文明学会で高谷が発言したこと
2015年11月10日
高谷好一
都市とは何かということだが、抽象的に議論するとわかりにくくなる。皆がそれぞれに違った都市を想像して、それで議論して、混乱が起こる危険がある。
それで、私の提案は、具体的な都市を並べてみて、それで都市とはこういうものだというのを前にして、そこから議論したらどうかと思う。
そのとき、二つの方法があるが、人類史の中で実際に存在した都市を縦に並べてみることだ。例えば、紀元前3000年頃のメソポタミアの都市、それから紀元前後のギリシアやローマの都市、もっと後になって現れるイスラームの都市、それからヨーロッパの都市、特に産業革命後の都市、それから今日の東京のような大都市。それを一度、縦に並べてみる。しかし、たぶんこれでも都市の一部しか出ていない。だから本当は、いくつかの生態区を想定して、それぞれの生態区における都市の歴史を定義する。例えば、砂漠・オアシス地帯には、どのような都市が生まれたのか?東南アジアのような森の多い多島海では?あるいは日本のような稲作をやる盆地では?などと並べてみて、生態という横軸と歴史という縦軸の中で都市群のマトリックスを作ってみると、よくわかるのではないかと思う。皆、共通したイメージを持つことができて、議論がしやすい。もっとも、この作業自体が大変な作業になるのだけど。
『野生が都市を救う』は素晴らしかった。ずいぶん前に出版されているのだが、今読んでも新しい。言い出したのが早すぎて、当時はあまり売れなかったのではないかと思った。
ところで、本の主張の一つが、「都市の中に自然を作ろう」ということだったと思うが、私は「なるほどな」と思った。都市はあまりにも人工物に満ち満ちていて、殺風景すぎる。何とかしてもう少し自然を入れなきゃいけない。と同感した。
しかし、すぐ後にこんなふうにも思った。「俺の住んでいる守山のあたりの田舎のことが忘れられているのではないか」。都市はどんどん大きくなっている。やがて、地球全体が都市になってしまうのではないか。少なくとも、平野部は全部都市になる。そんなときには、中自然をわざわざ作るよりも、今ある田舎を中自然として積極的に活かした方が手っ取り早いのではないか?そんな、いささかいじわるなことを考えた。
東南アジアの森の人たちは、本当に多くの植物の名前などを知っている。その用途を知っている。これは腹痛の薬だとか、これは蛇に噛まれたとき傷口に塗ればよいとか。その知識は多様で深い。森の中で木や草とともに、それを十分に利用して生きている、といってよいかと思う。その知識は私たちが本で読んだものの何百倍もある。
彼らはまた、森の中で迷ったりしない。私たちは地図とコンパスをもって森に入り、それでも迷って慌てふためき、パニックに陥る。しかし、彼らはそんなことはない。仮に一時k迷ったとしても、2、3分すると自分がどこにいるのかを知り、行くべき方向をちゃんと見出す。これは彼らが「物語」の地図を頭の中にもっているから。この木は村で一番大事にしているドリアンの木だ、とか、この背面にべったり苔の生えた岩は、昔から化け物の住処とされているところだとか。この小さな流れは、魚毒草がたくさん採れる小川だとか、森に散らばっている木や岩や泉や流れなど、あらゆるものに物語があって、それでたとえ一瞬自分の居場所がわからなくても、すぐに物語の地点を見つけ出し、そこからは安心してその物語の途をたどって行く。
この「物語」の地図は、単に標高や距離だけが無機的に示されているのではなく、それにまつわる一連の話があって、それは昔からの言い伝えや、場合によっては見えない地下の話にまで広がるものなので、それは豊かで深いものである。東南アジアの人たちはそういう世界に住んでいる。日本の団地に住んで、地面とも木とも草とも、隣人とさえ切り離された生活をしている人と比べると、その豊かさは何万倍もあるといってよいのだと私は思っている。
田舎がよいのは、そこには汲めども尽きぬ「物語」があるからだ。例えば、「この杉の木には天狗が住んでいた」とか、「この松の木には五寸釘が打ちつけられていた」とか、「この小溝沿いには細道があって、お宮に集まった一行が列を作ってお伊勢参りに行ったのだ」など、いっぱいある。お宮だけではない。ちょっとした曲がり角や道傍にころがっているような地蔵さんにも、あるいはもっと新しい消防ポンプ小屋にも、供出米の検査場にも、みな物語がある。これらの物語は、住民がみな知っている。小さな話で、それ自体大きな論理や思想につながるものではない。しかし、皆でそれを共有しているということは、大変なことなのだ。そんなことは、学校での教育や読書からは得られないものだ。長い歴史をかけて、共にその地に住んできたということの中で出来上がったものだ。土地の文化、土地が持っている物語というものだ。
たしかに、団地にも物語はあろう。町に作られた公園にも物語は作られよう。しかし、それが本当の「物語」になるには、やっぱり時間がかかる。何百年という時間がかかる。中にはこの社会に染み込んだ「時間」がある。
私自身が田舎に住む人間として、この田舎に何を感じているのか、どう見ているのかを言わせてもらいたい。それは納得の世界だということ。私の母などは納得して死んでいった。私の母の人生は決してよいことばかりではなかった。没落したので、大変な貧乏だったし、それで京都に女中に出ていた。生まれ故郷に帰っても、苦しい生活ばかりだった。そんな中で近所の人たちや親せきたちともよくいさかいもあったようだ。もちろん、楽しいこともあった。要するに、このあたりの普通の田舎の社会の例にもれず、相互監視の中で、それでも精一杯、なるだけ楽しく生きてきたようだ。
年老いてからは、私と二人だけの生活が長く続いた。その頃は、もう90歳を過ぎていたが、天気が良いと、毎日屋敷の草むしりをしていた。1日中していた。ナンマンダブツナンマンダブツと言いながら、草取りをしていた。これは口癖だけで、決して素晴らしい仏教信者というのではなかった。私はそれをよく知っている。仏教の教えではないが、何か独特の安堵心のようなものをもっていた。それをもって、ただ口癖のナンマンダブツを繰り返して、ひたすら草むしりをしていた。草に話しかけているようでもあり、自分の一生を思い出しているようでもあった。
そんな母を見ていて、いつも私は思っていた。「おふくろは、納得の人生を送ったな」ということ。苦しかったことも楽しかったこともみな昇華してしまって、ただ「これで良かったのだ。おかげさまで。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と言っていたようだった。
田舎に生きるというのは、こういうこと。そこにある「物語」の中に自分も溶け込んでしまって、一生を終えるということ。ここにあるのが、「納得の世界」。
私は土「土地の主」というのを自分自身の分担する研究の中心に据えたいと思っている。もともとは、その土地の本当の持ち主は誰なのか、ということをはっきりさせることだ。ご先祖様であるのかもしれないし、自分たちとは無関係の先住者がいて、その人の魂が土地に染み込んでいて、これを「土地の主」と私自身が感じているのかもしれない。
この「土地の主」という言葉は東南アジアではよく聞く言葉だが、最近ではラオスで聞いた。ラオ人の村に行くと、たいてい社があって、「プー・ター」を祀っていると話してくれた。多くの場合、クメール人だ。彼らが入植してくる前には広くクメール人がいて、その人たちの魂がこの土地にはこびりついている。粗末に扱うとたたられる。だが、大事にすると守護神になる」という。この種の「土地の神」が今の時点での私の最大の関心事だ。
ただ、この「土地の主」は全世界的にあるものではないのかもしれない。私のいう「生態型世界単位」の範囲、すなわちもともと森林の卓越していたところだけにあるものなのかもしれない。たぶん、砂漠地帯などにはないだろう。欧米にもない可能性がある。森といっても北の森は東南アジアの森と違って、オオカミとクマのいる森だ。草・木の卓越する南の森とは違う。それに、北の森にはキリスト教が早くから入り込んでしまった。地球文明を考えるとき、やはり私としては生態区を抜きにしては考えらえないように思う。
【お酒をのんだとき、吉村が言ったこと】
「野生→コモンズ」という言葉をキーワードにしてきた。
コモンズの次のキーワードを考えねばならない。皆で考えよう。「コスモロジー」というのが一つの案かと思う。
この研究会では、できたら具体的なプロジェクトをやってみたい。例えば、内湖を復活して「本当にきれいな湖畔を作り出す」ということを具体的にやってみることだ。
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