講演:アート・スタディーズ第5回 パネル・ディスカッション「国体明徴運動と2.26事件」 布野修司「帝冠併合様式と東京帝室博物館」,大谷省吾「北脇昇の「図式」絵画について」,飯沢耕太郎「「信仰写真」から「前衛写真」へ」他,東京国立博物館,2005年12月17日
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2026年1月25日日曜日
2026年1月24日土曜日
アジアへ――もうひとつの集住の形式をもとめて、ミニシンポ 2002
アジアへ――もうひとつの集住の形式をもとめて
布野 修司
僕が最初に東南アジアに行ったのは、振り返って見ると、先ほどお話ししたような私が住まわされてきた日本のある種のステレオタイプ化した住宅形式とは全く違うものをみたいという意識があったんだと思います。
東南アジアに通いだしたのは一九七九年からですから、丁度三〇歳からですね。東洋大に移ってすぐ、磯村英一学長から「東洋における居住問題の理論的、実証的研究」というのをやりなさい、と言われて研究費をつけてもらったんです。東大では、吉武研究室の最後の博士課程の学生なんですが、先生が定年前に筑波大学に出られて、指導教官はいないんです。鈴木成文先生のところに移って、何をしていいのかわからなかったんですが、公共住宅の違反増築を調べたり、建売住宅のファサード・デザインの記号論的分析なんてことをやりました。助手になるまで一本も論文らしい論文なんか書いていません。前田尚美先生、内田雄造先生に呼ばれて東洋大に移ったのが一九七八年です。吉武-鈴木スクールの住宅研究の流れと東洋大での東南アジアプロジェクトが決定的な出発点になりました。前田先生が住総研に太いパイプをお持ちで助成金を頂いて随分励みになりました。最初に太田邦夫先生と出掛けたのですが、太田先生の建築家としての眼には随分教わりました。
東南アジアの各地の伝統的民家に随分感動したのですが、私の担当は都市の「スラム」、不良住宅地でした。戦後日本の五〇年間の過程を一種追体験するという気がしてました。東南アジアの大都市は非常に貧しい状況にあった。今でもそう変わりません。そこらじゅうにバラックが建っている。それに対して、設計計画論として何をどう組み立てるか、をテーマとしたわけです。
戦後の貧しさの中で、西山先生、吉武先生が提案をされたのが51Cという形式だったわけですが、そこには集合の論理が抜けていたと思う。これははっきりしていると思います。そうではない住宅のあり方、もうひとつ別の「集住形式」に対する期待があった。それは間違っていなかった。二つあります。まず、「スラム」はスラムではない、ということです。私が集中的に調査したのはインドネシアのカンポンですが、それは居住地のモデルとして実に興味深かった。もうひとつ、貧しい中で創意工夫によって行われているハウジング(住宅供給)の手法が面白かった。全部仕上げずにスケルトンだけ供給するコア・ハウス・プロジェクトなど、むしろ、日本が学ぶことが多いと思ったんです。日本の戦後の住居のあり方には何かが欠落しているのではないかというのが直感です。
何故、こういう研究テーマに拘ってきたのかと問われれば、貧しい住まい体験と、住まいのことを研究する研究室に入ったことと、アジアの居住問題に触れたこと、全部重なっていますが、振り返るとそういうことかなと思っています。
まず、東南アジアを回りまして、大都市と農村を見たんですが、その過程で、きちんとしたインテンシブな調査研究を国際共同研究のかたちで展開すべきだと選んだのがインドネシアのスラバヤのカンポンです。これは、ジョハン・シラスというひとりの建築家、研究者に出会ったことが大きいですね。多くのことを教えられ、ほぼ二〇年、一緒に仕事をしてきております。数えたら二〇年間に十六回通ってました。三週間平均とすると一年間住んだことになります。シラスは京都大学に客員教授として一年いましたし、今年は偶然ライデン大学で会いました。
インドネシアをやっているということで「イスラームの都市性」という文部省の重点領域研究というメンバーに加えてもらいました。陣内さんも一緒でしたが、何故か、関西チームに入れられ、京都大学の西川幸治先生、応地利明先生と出会います。結局何もしませんでしたが、実に楽しい会でした。イスラーム世界へ眼を開かれたのはこの研究会のおかげです。また、京都大学に移ることになるのもこの研究会の縁です。イスラームのまちづくりの原理に触れたのは大きな転機になりました。マスタープランよりも身近なディテールによって制御する手法、ワクフ制度という基金制度など近代都市計画の手法とは異なった手法が新鮮でした。また、都市型住宅の基本形としてのコートハウスのあり方を再確認もしました。
京都大学へ移ってまずやったのはロンボク島の調査です。都市計画におけるヒンドゥー原理とイスラーム原理の比較に興味をもったんです。それ以来、現在は滋賀県立大学に移られましたが、応地利明先生とご一緒させて頂いております。ロンボクのチャクラヌガラという都市は実に面白い都市でした。一種の発見だと思います。近々、ライデン大学から英文論文集がでます。チャクラヌガラというヒンドゥー都市がきっかけになって、インドに眼が向きます。まず手掛けたのはジャイプルでその後カトマンズ盆地にも手を広げることになりました。イスラーム都市としては、ラホール、アーメダバード、デリーの三都を研究対象としました。
その後、この五年間ぐらいはむちゃなことをやっていまして、植民都市研究ということで、五年望外の研究費を頂きました。去年、今年と世界一周をしたのですが、オランダ植民都市がターゲットです。インドネシアの宗主国がオランダだったという縁です。出島からゼーランジャ城(台湾)、バタビア(ジャカルタ)、マラッカ、コロンボ・ゴール、コチンと追いかけてケープタウンまで行ったら、西インド会社の都市が気になりだしたという次第です。世界中の都市を追いかけるという無謀というか、手を広げすぎましたけれども、そのなかでもいちばんの興味は、都市型住宅なんです。アジアでどういう都市型の集住形式をつくってきたか。これはたぶん陣内さんとも共有しているテーマだと思います。都市組織(アーバン・ティッシュ)がテーマです。いくつか図を持ってきていますが、これはヴァラナシ(ベナレス)です。基本的にはコートハウスになるわけですが、イスラーム支配が長かった。ヒンズーの聖地ですけれども、こういう形式をもっている(図・バラナシ)。
植民都市コチン。都市型の住宅を発展させた国オランダはいまでも人口密度が大変高いわけですが、そのオランダがアジアにきてつくった都市型住宅はオランダ本国とは違うんですね。むしろ中国系といいますか、コートハウス、中国の街屋に近い(図・コチン)。
同じインドでもジャイプルという町はなかなか面白くて、イスラームの住む地区と、ヒンズーが住む地区で、住まい方が違う(図・ジャイプル)。
台湾もなかなか面白いところで、間口が狭いなかで、透天といって、階段室を直行でバーッと通して、各階プランが違う。(図・台湾)。
かと思うと、ネパールの集落はすごく古くから集合住宅というか、都市型住宅を発達させてきています。ネパールの家はいちばん上がキッチンになっています。ちょっと信じられない。
アジアはそもそも都市型住宅の形式の伝統が薄いところですけれども、アジアだけみても地域でいろいろ都市型住宅の形式を発達させている。それに対して、わが貧しい住宅遍歴を振り返ってみて、ちょっと専門家として情けない。日本でどうして住む形式、記憶とか原風景になるようなものを生み出してこなかったのかということをいつも考えています。
2026年1月23日金曜日
アジア太平洋センター国際研究交流会議,アジアの都市における共生社会の共生原理,「カンポンの世界・・・アジアの都市の共生原理」2003年7月4日
アジア太平洋センター国際研究交流会議,アジアの都市における共生社会の共生原理,「カンポンの世界・・・アジアの都市の共生原理」2003年7月4日
アジア太平洋センター国際研究交流会議 2003年7月4日
「アジアの都市における共生社会の共生原理」
「カンポンの世界・・・アジアの都市の共生原理」
布野修司 京都大学大学院工学研究科 建築学専攻 生活空間設計学講座
「カンポンkampungとは、インドネシア(マレーシア)語で「ムラ」という意味である。カンポンガンというと「イナカモン」というニュアンスである。都市の居住地なのにカンポンという。このカンポン、実は、英語のコンパウンドcompound(囲い地)の語源なのである。カンポンのあり方を紹介する中でアジアの都市の共生原理を考えたい。」
はじめに 自己紹介
・建築計画→地域生活空間計画
・カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)
・アジア都市建築研究 植民都市研究
・ 京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL):
・京都GVコンペ 専門委員:・京都市公共建築デザイン指針検討委員
日本建築学会理事 『建築雑誌』編集委員長: 日本建築学会アジア建築交流委員会委員長
島根県景観審議会委員: 宇治市都市計画審議会会長 景観審議会委員
[1]戦後建築論ノート,相模書房, 単著,1981年6月15日
[2]スラムとウサギ小屋,青土社,単著,1985年12月8日
[3]住宅戦争,彰国社,単著,1989年12月10日
[4]カンポンの世界,パルコ出版,単著,1991年7月25日
[5]戦後建築の終焉,れんが書房新社,単著,1995年8月30日
[6]住まいの夢と夢の住まい・アジア住居論,朝日新聞社,単著,1997年10月25日
[7]廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,単著,1998年5月10日
[8]都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集Ⅱ,彰国社,単著,1998年6月10日
[9]国家・様式・テクノロジー・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,単著,1998年7月
[10]裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,単著,2000年3月10日
[11]アジア都市建築史、昭和堂、2003年8月15日
生活空間設計学 布野研究室/論文テーマ
Ⅰ 居住環境整備 アジア居住地モデル Ⅱ 日本ー京都 Ⅲ アジア集落
Ⅳ
アジア都市
1 東南アジアーインドネシア都市
2 東アジア都市 中国 台湾 韓国
3ヒンドゥー・仏教都市
4イスラーム都市 インド・イスラーム都市
Ⅴ 植民都市研究
Ⅵ
エコ・ハウス エコ・シティ アジア都市居住地モデル
A 街区組織ー都市型住宅 B グリッド C 棲み分け セグリゲーション D 聖祠
Ⅰ カンポンの世界
Kampungとは?
•英語のコンパウンドcompoundはkampungが訛ったものである(OED.)
•椎野若菜、「「コンパウンド」と「カンポン」---居住に関する人類学用語の歴史的考察---」、『社会人類学年報』、Vol.26、2000年
•樹木で覆われた屋敷地が集まって、周囲を柵や土塁で囲われた住区がカンポンである。
•人類学で一般的に用いられるコンパウンド、ホームステッド、セトルメント、さらにホーム、ハウスといった言葉を検討する中で、椎野若菜は、カンポンという言葉がコンパウンドに転化していく過程に西欧諸国の植民地活動があるとする[。すなわち、バントゥン、バタヴィアあるいはマラッカにおいて民族集団毎に囲われた居住地の一画を指してそう呼ばれていたのが、インドの同様な都市の区画も同様にそう呼ぶようになり(インド英語Anglo-Indian English)、カンポン=コンパウンドはアフリカ大陸の囲われた集落にも用いられるようになったというのである。
→→Compound
1 (東洋で)囲いをした白人居留構内, 白人屋敷《住宅_商館などがある》
2 囲いのある場所《収容所など》研究社
カンポンの語源については、ポルトガルのcampanha, campo(キャンプの意)の転訛、フランス語のcampagne(田舎countryの意)の転訛という説もあるが、マレー語のカンポンがその由来であるというのがOEDであり、その元になっているのが、ユールとバーネルのインド英語の語彙集である。Yule, H. and Burnel, A.C., “Hobson-Jobson: A Glossary of Colloquial
Anglo-Indian Works and Phrases, and of Kindred Terms, Etymological, Historical,
Geographical and Discursive, Delhi: Munshiram Manoharalal, 1903(1968)”
•今日、マレーシアでカンポンというのは行政組織の最小単位を指す言葉でとして用いられる。インドネシアではデサdesaが行政村であり、カンポンは一般的にムラ、自然村を指して用いられている。インドネシアの各民族、各地域の伝統的な村落は様々な呼び方をきれてきた。ミナンカバウのヌガリnegariーコタkota、バタック・トバのフタhuta- ビウスbius、ニアスのバヌアbanua 、マンタウェイのラゲイlaggaj 、フローレスのベオbeo 、アチェのガンボンgampong 、ブギスのワヌアwanua 、バリのバンジャールbanjar、・・・ など様々である。C.ファン・フォレンホーヘンは、今日のインドネシア全体を19の慣習法圏に分けている。C, van Voollenhoven, “Het adatrecht van Ned-Indio”,1881-1931
Kampungの特性・・・居住地モデルとしてのカンポン
•1.多様性
•2.全体性
•3.複合制
•4.高度サービス社会 屋台文化
•5.相互扶助システム
•6.伝統文化の保持
•7.プロセスとしての住居
•8.権利関係の重層性
植民都市の特性
A 複合社会lural society
二重経済構造:
B 結節点
C 複写と転送
D 都市村落
E セグリゲーション
多様性、全体性、複合性、高度サーヴィス・システム、相互扶助システム
伝統文化の維持システム、権利関係の重層性、プロセスとしてのハウジング
KIPの手法
カンポン・ハウジング・システム
•カンポン固有の原理の維持 •参加 •スモール・スケール・プロジェクト
•段階的アプローチ •プロトタイプのデザイン •レンタル・ルームのデザイン
•集合の原理の発見 •ビルディング・システムの開発 •地域産材の利用
•ワークショップの設立 •土地の共有化 •ころがし方式
•コーポラティブ・ハウジング •アリサンの活用 •維持管理システム
•ガイド・ライン ビルディング・コード
日本の
英国植民都市研究
オランダ植民都市研究
●日本のまちづくりをめぐる基本的問題
◇集住の論理
◇歴史の論理
◇異質なものの共存原理
◇地域の論理
◇自然と身体の論理
◇生活の論理
◇グローバルな視野の欠如
◇体系性の欠如(住宅都市政策)
2026年1月21日水曜日
布野修司 履歴 2025年1月1日
布野修司 20241101 履歴 住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14 1949 年 8 月 10 日 島根県出雲市知井宮生まれ 学歴 196...
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