シンポジウム:主旨説明,司会:「西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008年1月15日
建築学会シンポジウム 1/15/08
西山夘三の都市・住宅理論
住 田 昌 二
1.研究活動の輪郭
①戦前・戦中期(1933~44)住宅計画学とマスハウジング・システムの体系化
○33年卒業後、設計事務所、大学院、兵役、住宅営団
―建築論の展開…『建築史ノート』ほか
―住宅計画学の確立…都市住宅諸調査→食寝分離論
―マスハウジング・システムの体系化…『国民住居論攷』→型計画、標準住居、住
宅生産システム
―『住宅問題』の刊行
②戦後復興期(1944~61)住宅問題・住宅政策論から住宅階層論へ
○京大営繕課長、建築学科助教授
―『これからのすまい』の刊行
―農村住宅調査の展開
―住宅階層論の提起…公団住宅の政策的位置づけ
③高度成長期(1961~74)都市論の展開
○京大教授時代…新設の地域生活空間計画講座担当
―都市論…リクリエーション論、モータリゼーション論など
―「構想計画」の提唱→「京都計画」「奈良計画」など
―『21世紀の設計』
④低成長期(1974~94)『日本のすまい』(3巻)の完成、まちづくり運動
―『日本のすまい』による西山住宅論の集大成
―景観保全運動、まちづくり運動
【注】西山の主な社会活動
・大阪府地方計画委員はじめ地方自治体委員、万国博会場計画委員など
・学術会議(第5期から10期):「学問思想の自由」委員長など
・自治体運動:京都自治体問題研究所所長
・建築運動:「建築科学研究会」「青年建築家クラブ」「NAU」「NAC」
・まちづくり運動:市電を守る会、奈良・京都・鎌倉の古都保存の連携など
・国際平和運動:中国、キューバ、ソ連訪問など
・労働運動:京大職員組合初代委員長
○西山の研究活動の特徴
―時代の転回、研究上の地位変化、研究テーマのシフトが見事に一致している
―研究を建築論から住宅論、都市論へと発展させた「ジェネラリスト」「啓蒙家」
―1911年生~1994年没、20世紀をほぼ駆け抜けた象徴的な「20世紀人」
―常に時代の先頭に立ち、≪近代化≫の「大きな物語」を描き続けた「モダニスト」
―研究スタンスは、体制の外側にあって体制批判したのでなく、批判しつつ体制に
参加提案し改革をはかろうとした。Revolutionistでなく“Reformer”であった。
(西山は、「計画」と「設計」は峻別したが、研究=政策とみていたのでないか)
―卒論の序文に掲げた「史的唯物論」が生涯通じて研究の倫理的規範であった。
2.西山計画学の成果
1)住宅の型計画の展開
―「住み方調査」という科学的方法論を基礎に、「食寝分離」則を把握し、住宅の「型
計画」を展開させていった。
―吉武・鈴木の就寝分離論につなぎ、2DK型集合住宅平面に結実。
2)マスハウジング・システムの構築
―「型計画論」「近隣住区論」「生活圏段階構成論」により積み上げたマスハウジン
グ・システム論の構築→『新日本の住宅建設』の提案
―戦後の住宅地計画理論へ発展、「団地・ニュータウン計画」の展開
3)住様式論の提起
―『これからのすまい』を基礎に戦後の住まいの発展の筋道を示し、高度成長期に
台頭した中間ファミリー層の住まいニーズに対応した「公私室型」の住宅を住様
式論から論理づけた
―清家清、池辺陽に代表される住宅作家の活動の肯定的批判
4)住宅階層論による分析
―「階層」の概念をキーワードに、住宅の供給過程、テニュアの分化、居住者の社
会的成層過程を一体的にとらえ、タイポロジー的に分析解釈することにより、近
代日本の住宅の発展プロセスを示した→『日本のすまい』の集大成
―住宅階層論は、公団住宅の政策的位置づけの理論的根拠を与える
5)構想計画論の提唱
―西山は、都市論の分野ではさまざまなテーマに取り組むが、いずれも啓蒙論レベ
ルのもの。唯一注目されるのは、「構想計画」(西山はこれをImage
planning
と呼んでいる)。都市の理想像を「極楽図」と「地獄絵」の対比で描き、ワークシ
ョップ的にアウフヘーベンしていく方法論。「京都計画」「奈良計画」で提示
6)総括
―西山の研究が目標としたのは、①住まいの封建制を打破し、②低位な庶民住宅の
状態の改善向上をはかり、③前近代的な住宅生産方法を改めていく、の3点であ
った。政治的には民主化、経済的には産業化、社会的には階層平準化の同時進行
を近代化と規定するなら、西山の研究は、「近代化論」であった。
―西山の学問は、徹底して「問題解決学」的性格をもち、計画学としての体系は、
空間を機能性・合理性基準によって解析し、社会をシステム論的に構築すること
で一貫していた。
3.西山計画学の歴史的考察
1)西山計画学の原点――15年戦争との対峙
―西山の思想・研究の原点は、15年戦争と真正面から対峙し、非常時体制を逆手に
とって国民の住宅、生活の水準を一挙に押し上げようと狙ったこと
―山之内靖は「総力戦とシステム的統合」(『総力戦と現代化』柏書房,1995)におい
て、第2次世界大戦期の日本の総力戦体制が、戦争遂行への人的資源の全面的動
員を通じて社会の機能的再編成を促し、戦後の国民社会は、この軌道の上に生活
世界を復元したと述べている。総力戦体制の下では「強制的均質化」が非日常的
で非合理的な状況で促されると指摘している。
―西山は、総力戦下における「生活基地の総合的建設」を謳い文句に強制的均質化
として要素還元された「国民住宅」を論じ、社会を「機能」と「システム」によ
って構築する方法論を体得した。
2)西山計画学の発展の背景――国際的に50年続いた住宅飢餓時代
―現役時代に西山がマスハウジングの計画思想を一貫して発展させることができた
のは、関東大震災とそれに続く世界恐慌、満州事変から太平洋戦争の15年に及
ぶ戦時期、戦後の混乱と復興、その後の経済急成長と大都市圏への民族大移動が
続き、約50余年にわたり、住宅の大量供給が国民的課題として存在したからだ。
―国際的にみても、第一次世界大戦後の戦間期から第二次世界大戦を経て、戦後復
興、そして高度経済成長が二度の石油危機に至るまでの50年間は、戦災と住宅
焼失、帰還兵の住宅難、世界恐慌によるスラムの顕在化、好況期には人口の大都
市集中などがが生起し、住宅の大量供給が常に大きな社会的要請となった。この
ような社会的背景のもと、イギリスの田園都市運動、ドイツのジードルング政策、
ロシアの新都市建設論、アメリカにおける近隣住区論の展開、ヨーロッパ全体に
ひろがったCIAMの運動など、マスハウジング理論が国際的に花開いた。西山は
これら建築・都市思潮に大きく刺激され、理論の精緻化を図っていった。
3)西山計画学のフェード・アウト――1973年の歴史転回
―戦後住宅史からみて、1973年は歴史的転換点となる。①2つの世界的経済ショッ
クが日本を直撃した。71年のニクソンのドル防衛政策の発表に加え、73年のオ
イルショックによって、日本の経済成長は急速にスローダウンし、成長の陰に隠
れていた公害や環境破壊が噴出した。②1972年の田中内閣の『日本列島改造論』
で全国的に展開し始めた開発に急ブレーキがかかり、地価も住宅建設量も急落し、
以後都市開発は、経済優先から生活優先にスタンスを変えていく。③戦後地方か
ら大都市圏への人口大移動の流れは、1973年を境に、それまでの3大都市圏へ
の集中から東京圏への一極集中に転じた。また1973年の住宅センサスは、すべ
ての都道府県で住宅数が世帯数を上回っていることを示した。
―つまり、1973年をもって日本の住宅問題は「量」の問題から「質」の問題へ移
行し、それによってマスハウジング論は転換を迫られることになる。
―西山が京大を退官した1974年以降、世界経済の不安化が進み、資源問題、南北
問題が激化する。東欧やソ連邦の社会主義国の解体が起こり、福祉国家の行き詰
まりが露呈する。国内的には、産業構造、雇用市場の再編で情報社会化が一気に
進むとともに、「一億総中流化」の二極分解が起こりはじめた。少子高齢社会化の
影響も随所に現れ始める。建築・都市面ではポスト・モダン思潮が拡がる。この
ような状況下で、西山が依拠してきた「近代性」の公準は有効性を失う。
4.「小さな物語」としての西山理論の超克
21世紀を展望したグランド・セオリーが求めれるが、ジェネラリストとしての西山が
構想した「大きな物語」は、もう描けないのも確か。私としては、「小さな物語」を愚
直に試行していくしかない。敢えて私は、西山の超克として3点を提起したい。
①マスハウジングからマルチハウジングへ
②階層から地域へ
③計画から文化へ
―以 上―