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2025年3月29日土曜日

講演:鯨の会講演会「裸の建築家/タウンアーキテクトの可能性」,20060526

◎タイトル:

    「裸の建築家/タウンアーキテクトの可能性」

〇日時:2006526日(金)

〇会場:くじらの会:新宿NSビル13NS会議室G

    懇親会  :銀座ライオン新宿センタービル店(地下1階)

〇主催:くじらの会 事務局

〇プログラム:

<くじらの会の部>開場:1800

11830193060分)

    布野先生講演:「裸の建築家/タウンアーキテクトの可能性」

21930202050分)

    ワークショップ:「タウンアーキテクトの可能性について」

32020205030分)

            「くじらの会について」

会場移動:2050

<懇親会の部>開場:2100

12110

  開会~乾杯(来賓挨拶)~懇談

2.布野先生挨拶:『近代世界システムと植民都市』日本都市計画学会 論文賞

         授賞を記念して(受賞者「アジア都市建築研究会」)

3.   ~2300

  懇談~来賓挨拶~懇談~閉会









〇当日の役割分担

1)くじらの会司会・会計…二木

2)くじらの会受付…倉澤、田口

(1)進行・記録責任者…奧富

(2)布野先生誘導係…山中

(3)ワークショップ記録係…鈴木 紀子(ARU田口設計工房)

6)懇親会責任者及び司会進行…八巻

7)懇親会受付…近藤 理恵子(家づくりネットワーク)

※ヴォイスレコーダーは八巻さん奧富さん田口君より貸してもらう。

くじらの会には、ペットボトル持ち込み可(食は不可)。

 ゴミは責任を持って各自持ち帰る。


林:町づくりは市民がやるもので、自治体がやるものであっては困ると思っているのですが。

布野:いきなり本質的な質問ですが、では自治体は何をやるのですか?

林:自治体の今までのやり方は、必要なくなると思っている。

布野:私も基本的に賛成です。PFI(*1)も必要ない。NPOに全部、財源など任せればいい。

林:現場でやっていて思うが、自治体は役に立っていない。

布野:私も町づくりとして近江環人コミュニティーアーキテクトを育て、大学院をとってくれるようにした。内閣府は都市再生と言うけれども、地域に目を向けていない。

林私は、世田谷で『まちづくりハウス』というNPOでの活動をしているが、そこのでは、自治会や町内会、市民で自主的に活動している会等の人たちが、ご近所の底力ではないが、様々な関わりのある人々を集め、力強い活動をしている。例えば、各所帯で高額の警備費保障費用を払っていることが判ると、地元でお金を集めて歩き回った方がよいのではという意見が出て来る。このようなことは町内会も行政もできないし、住宅政策のないところから実は出て来ている。もっとタウンピープルを信じてやる方がよい。役所は、自治区みたいなものをつくる時に、情報サービスなど肝心なところをやってくれればよい。また、建築、都市計画を本質的なところで考えてつくり直すことが今の役所では出来ない。自治区位にして組み立て直す方がいいのではないか。

布野:まだ、宇治市の都市計画審議会の会長をやっているが、マンション問題など起きた時どうするのかで、ダウンゾーニングをやった。そういう世界が一方であるが。

司会:僕らはどうやって食い込んでいくのか。方法がわからない。なかなかいいところに入っていけないのだが。姉歯問題は倫理の問題ではないか。

布野:建築家のモラルの問題は、建築士会、建築家協会では対応の仕方が違う。確認許可制の問題もあるが、保険しかない。建築主、施工者、建築家が保険をかけることしかない。

八巻:各地で町づくりをやっている建築家の実例で、うまくいっていることなど教えてほしい。

林:松江へ定住して、町づくりを行っている方は、地元のバスマップをつくって活動資金にしたり、新潟の村上、大分の湯布院でも、積極的に地元に入り、面白い町づくり(*)をしている。また『まちづくりハウス』の伊藤マサハル氏の活動などは、運営はギリギリだが、コミュニティーアーキテクトとして、実績を重ねている。また『山谷のふるさとまちづくりの会』の建築家やNPOの活動(*)は、ものになってきている感じだ。また自分たちでお金をつくろうという動きも出てきて、具体的な事業に粘り強くやれる力を付けている人たちが見えてきている。

西川:姉歯問題は食えないことがある。顔が見える仕事をしていない。人間と人間で直接仕事をしている関係がで出来ていないから起きた問題ではないか。

林:建物に保険を掛けると、保険の方からチェックが入る。

布野:建築家で保険のノウハウを持った人材がいない。そこに入り込むこともある。

司会:ところで皆さんは建築家なんですか。建築家と一級建築士の違いは。

布野:建築家はもので表現する人、空間を提案する人。すべてがタウンアーキテクトたりうる。得手不得手はあると思うが。

中條:建築家の自覚を持っているかどうかが問題。建築家は自分の空間に思いを表現できる人だと思う。

司会:建築家と言いたくない方もいるのでは。

田口:建築家ということはあまり意識しない。空間のダイナミックさというより、住む人が快適であることが重要と考える。

西川:空間を表現するのは、実は住む人で、住む人が表現したいものをプロとしてつくる人が建築家であると思う。

飯島:布野先生は、個人の美しさと全体が思う美しさの感情の温度差みたいなものはどのように思われているのか?

布野:僕は、システムのことしか言っていない。建築関係者は100万人いる。看護師さんと同じ数いる。町場でそのような人間がやっていた仕事が、ハウスメーカー等の進出によって崩れてきた。東洋大にいる時考えていたのは、アーキテクトビルダーとして、そのような地域を再構築し、施工までもやって食っていくこと。タウンアーキテクトはそのような仕事をコントロールする職能です。タウンアーキテクト数としては1万人位いればよい。個々がどのように稼ぐかはそれぞれ考えていくしかない。

岡:林さんのNPOの活動はよくやっていると思うが、実際どれだけの建築専門技術者が食べていけるのか。コンサルタントの仕事は、NPOが出てきてNPO価格が蔓延してしまっている。(単価が落ちている)布野さんの言っている仕組みはヴォランティアでやっているうちはよいが、果たして出来るのか?

布野:現在、全国的にコンサルタントや大手のシンクタンクは戦戦恐々な状態。大学の先生たちがコンサルタントもやり始めている。

岡:NPOの活動が定着し、うまくやっていける仕組みが出来るのか?

林:まだNPOにお金が回るような仕組みは出来ていない。シーズの活動(*)で、松村さんが企画を立てて、マイクロソフトのビルゲイツ氏を呼び、日本での寄付市場の発展に賛同を得た例など、寄付を貰える素地を強化していくことも重要だ。

地域のバザーだって、お金が入るだけでなく、人間関係のネットワークが出来て、いろいろな発見がある。そういう意味で違うノーハウを習得しないと過去のビジネススタイルでは食えなくなってきている。

山口:建築家は作りっぱなしが多い。うちの会社では、3ヶ月、1年、2年・・・とメンテナンスをしていく。10年、12年とやっていくうちにコミュニケーションが出来てきて、そこから仕事をもらえるようになる。夏休みには親子工作教室などのイベントもやる。うちの会社は埼玉中心。地域密着。他の地域では出来ない覚悟でやっている。

内田:私も保険と確認検査料をちゃんととることが必要だと思う。アメリカでも1%はとっている。一方では保険の問題があり、保険で新しい職能が生まれる。あらかじめ自分たちでやる仕事がこうだと設定するのが、変であって、新しい仕事をどんどん切り開いていくことしかない。一般解はなく、一人一人が特殊解をつくっていって、「俺はこうやって食っていくのだ」と言わざるを得ないのではないか。もう一点は、設計入札を止めコンペにしろという考えは理解するが、建物をつくることは地域や個人にとって晴れやかな場。それを建築家が罪深さも感じず、「俺たちいいことするからコンペに打させろ」というのは、違うのではないか。私は山古志村で仕事(*)をしていますが、一番大変なことは、いいプランをつくることではなくて、地域の大工さんと周辺の工務店との間でどういう風にコンスラクションマネージメントするかということなんです。それは、自治体も出来ないし、地域でやらなかったら、将来あんな雪深いところで維持管理は出来ない訳です。そういった新しい職能はいろいろある。そこらへんに飛び込んでいけるかどうかが勝負ではないか。

司会:新しい法令に対する危機感がある。

布野:内田先生の話で、大問題なのがPFIです。わかりやすく言うと事業コンペ。

総合評価により質も価格も評価し説明責任を果たすというものだが、30年保証、SPC(特別目的会社)をつくり自治体は丸投げ。地域の建築家はPM(*)的にファイナンスを組まない限り公共プロジェクトに参加できない。これは危機的状況で、コンペが成り立たない。

林:私たちが、NPOでやっていることの一つは、ローカルマネー、ローカルエコノミーをどのような仕組みでつくっていくかということです。自治体の責任も大きいし、政府や日銀もしっかり考えなければ。アメリカでは、ローカルマネーが動いているかチェックしている。60年代からインナーシティー問題などを沢山抱え込んで、都市の衰退を経験し、ローカルなパワーとエコノミーが成り立たないことには、国全体の経済に悪影響を与えることが判った。日本はまだそのようなことを考える頭がない。それをどうつくるかという論点からPFIをどうするかという仕組みを解いていく必要がある。

秋山:福島県喜多方に小宮山さんという方がいて、施工もやりながら、設計をされている。彼は、今の保障機構の検査員になった。小宮山さんは、現場で地域ビルダーや建築家などいろいろな仕事のことがわかるので、「面白い。自分の仕事に帰ってくる。」と言った。私は、これはいいスタンスだと思った。今の姉歯問題では、構造がピュアチェックなんて言い出してきていて、それは第三者性が必要なので、仕事をしている人間は関われないことになっている。それを現役の建築家も検査員を出来るようにして、そこからいろいろなことを学び、オープンにしていくといい仕組みになる。保険は壊れてからの話なので、マイナーな話なのではないか?

布野:そんなことはない。

秋山:アメリカは、弁護士料、保険料などにお金を沢山積んでいる。むしろ検査の方にお金がまわるようにしたらよいのではないか。保険は必要だと思うが。

布野:救いようがない。施工ミスに建築家が巻き込まれる可能性がある。私も保険社会は嫌いだが。

秋山:確かに最近は施工者の瑕疵でも、設計者が施工管理の責任で訴えられている。施工者が倒産していたら、設計者は払いきれない。

布野:PFIもそう。倒産したらどうするのという話はある。いやだけど保険でカバーするしかない。

久米:私は秩父で図面書きをしています。メンテナンスは大問題で、クレーム、瑕疵があった場合、図面書きレベルではお金がなく、対応できない。メンテナンスのためのお金の仕組みがほしい。また、田舎の人間は目の前に建てられる建築に参加できない実情がある。役所の思惑で、入札で争うのは不合理だが、国から補助金が出る時、設計料を入札で決めたというのが一番簡単。小さな事務所でもコンペに参加出来る仕組みがほしい。

布野:建築家協会の賠償保険(建賠)がパンク状態。内田先生の言われるように確認物件ごとやるしかない。

秋山:最近まで、建賠は掛けるけど使ったら恥だった。使わないから安かった。今本気で使われ出してパンクしている。

布野:保険を広めない限り安くならない。国交省にやらせなければ。

林:我々が考えた方がよいものになる。NPO法つくったとき、NGOや市民活動のグループや事業をしている人たちが集まり組織を作った。そこに人をスカウトした。偶然ばりばりのフリージャーナリストだった。その人の力を得て、いろいろなネットワークをつくって、専門家のノーハウを集めた。その結果、各政党がそこと話して、自分の党のNPO法を持ちたいと考えだした。そういうことをやらないと、国交省にお願いしているなんてことはだめ。自分たちの問題は自分たちで考えなければ。証券取引法にからんで、NPOバンクの方はひとさらいやった。組合員が500人以上のところは公認会計士にチェックしてもらうのはお金がかかってしまうから大変だから、専門家を集めてやった。そういうことは、建築家自身がやらないと。自分ではできないと思ってもどっかで探し出さなければ。

司会:布野先生を頼ってはだめなのですね。(笑)

中村:私は、全国版の住宅メーカーにいるのですが、良質な建築をどうやって確保するかという話が出たが、その話で抜けているのは、建てる人、住民のコスト負担が増えてるだけになってしまう、ということ。もっとコストを安くするなり、もっと違うアプローチで担保できないのかどうか議論したい。元々の話は地域社会が弱体化、形骸化していく状況に対して、新しいコミュニティーの形をつくっていくべきだと。そのような中に我々建築家がどのように参加していくのかという議論にしたい。主体は住民だと思う。その軸をずらして議論すると、ただどうやって食べようかだとか、業界はどうやって生き残ろうかとかの話になってなってしまう。

司会:僕の経験だと、熊本のまちづくりをやってみたことがある。熊本には第3セクターのシンクタンクがあるが、東京のコンサルタントを呼んできてしまう。地元の人が入れなくなる。それが今度はNPOだの大学だのとなっていくと地域が取り残されて、タウンアーキテクトも地元の人がなれないという状況が出て来てしまっている。

布野:僕のタウンアーキテクトは地元の人がならなくてもよい。任期制で、ある一定期間はそこで仕事をしてはだめですよという縛りをかける。

林:松江には寺本さんらすばらしい建築家が多くいる。

布野:寺本さんは、良く知っています。

林:?事務所から自分で事務所をつくった井上さん。この人はNPO松江まちづくり?塾の代表になっている人だけど、井上さんもそうだけど、ものすごくいろいろな町づくり参加のプロジャクトなど、そのようなことをやりながら、かなり進行している。何と知事と対談したりしている。だからそういう人は、いるんです。布野:それは、林さんの事務所が入っていって仕掛けているわけでしょ。

林:違います。私はそこでは仕掛けていない。私はこの15年位NPOにシフトしている。

司会:布野先生がおっしゃっていた、タウンアークテクトとコミュニティーアーキテクトとの使い分けをしたい、という話はいかがですか。

布野:似たようなものだが、現役の人たちがどうやってお金をもらうかという話は、上手い知恵がないので、それが迫力ないなと思っている訳です。一番イメージがあるのが、自治体を解体して、自治体のコンサルタント料をくれ、というのがリアルです。

林:「コミュニティーデザインプライマー」(*)という本がある。とてもいい本で、その中にコミュニティーアーキテクトやコミュニティーデザイナー人たちはどういう人たちなのか、アーキテクトや造園家の設計家とどう違うのかというのを、とても判りやすくきちんと説明をしてあって、頭の整理にいいなと思っていました。

布野:答えを言うとどういうことですか。

林:建築家は、建築のことをどうしても考えてしまうけれども、コミュニティーアーキテクトというのは、コミュニテーの一人一人の人たち、住んでいる人たちが大切にしているものを大切にしながら、その人たちと一緒に、のためにでなくと書いてあるが、一緒に考える。時には建築の仕事をすることも、あるいは公園のデザインをすることもあるのだけれど、それが先程西川さんが言われたように、「私が本当はこうあったらいいなと思うことを、私自身は上手く表現できないけれど、この人が一声歌ってくれたので、「あっ、これだ」と思ちゃった」というようなことが出来る人が、コミュニティーデザイナーとしてすばらしい。

布野:林さんには、毎回出て頂いて、、。こういうのをこれからやるのでしょ。

司会:これから続けていくつもりです。

 

1



くじらの会出席者リスト(2006526日(金))060512現在

NO

属性

氏名

住所

電話番号

0

滋賀県立大学

布野 修司

 

522-0056滋賀県彦根市開出今町1700 A-203

0749-26-8464

1

東洋大学

内田 雄造

 

168-0063東京都杉並区和泉3-60-27

03-3321-7161

2

計画技術研究所

泰義

 

141-0031東京都品川区西五反田7-17-7五反田第一長岡ビル

03-3779-8920

3

京都大学

藤澤

 

261-0004千葉市美浜区高洲3-5-6

043-277-3610

4

東洋大学

久米

 

369-1413秩父郡皆野町下田野942

0494-62-3620

5

建築 同建

弘実 和昭

 

270-1154千葉県我孫子市白山1-3-48

090-8726-9608

6

建築 編集

田尻 裕彦

 

177-0053練馬区関町南4-15-3-705

03-3359-3235

7

建築 編集

三宅恒太郎

 

164-0011中野区中央1-26-5-304

03-3363-5760

8

77

2

岡 利実

 

177-0042東京都練馬区下石神井5-8-24

080-5675-2756

9

79

1

本村

 

174-0065東京都板橋区若木2-9-12

03-3936-4040

10

79

1

山口

 

355-0017東松山市松葉町2-10-12

0493-22-1110

11

80

2

井手 幸人

 

116-0014荒川区東日暮里3-14-18-506

03-3806-5446

12

81

3

八巻 秀房

 

173-0036板橋区向原2丁目3-8ヴィラージュ向原206号室

03-5986-2312

13

83

5

小美野

 

145-0071東京都大田区田園調布1-4-9

03-3722-8826

14

84

6

三浦 清典

 

338-0837さいたま市桜区田島1-20-17

048-838-6900

15

85

7

石井 敬一

 

191-0024日野市万願寺2-34-2 2F-C

090-8581-7362

16

85

7

三村

 

125-0032東京都葛飾区水元5-10-23

03-3609-2390

17

85

7

奥富 敏樹

 

198-0012東京都青梅市谷野122

0428-32-6764

18

87

9

山根 一彦

 

156-0055世田谷区船橋7-8-2-1320

03-3484-6087

19

87

9

円光 佳也

 

102-0071千代田区富士見1-2-11-402

03-5215-7208

20

88

10

蒲原 義久

 

422-8041静岡市駿河区中田4-9-30-307

054-282-4267

21

89

11

倉澤

 

247-0063鎌倉市梶原5-2-F4-401

0467-42-7376

22

89

11

田口 隆一

 

363-0024埼玉県桶川市鴨川1-6-17

048-786-4284

23

89

11

二木 一郎

 

330-0841さいたま市大宮区東町2-110

048-631-3001

24

90

12

池野

 

350-2213埼玉県鶴ヶ島市脚折1410

049-285-0825

25

家づくりネットワーク

山中 文彦

 

155-0031世田谷区北沢3-2-16松岡ビル3F

03-5453-3636

 

建築ジャーナル

西川 直子

 

101-0032千代田区岩本町3-2-1共同ビル7F

03-3861-8101

 

フィールドネット

徳間 憲次

 

155-0031世田谷区北沢3-2-16松岡ビル3F

03-5453-3615

 

ARU田口設計工房

鈴木 紀子

 

363-0024埼玉県桶川市鴨川1-6-17

048-786-4284

 

宮内 康氏婦人

宮内みはる

 

330-0825さいたま市見沼区東新井710-50-12-205

048-686-2624

 

 

 

 

2

懇親会出席者リスト(2006526日(金))060512現在

No.

属性

氏名

住所

電話番号

0

滋賀県立大

布野 修司

 

522-0056滋賀県彦根市開出今町1700 A-203

0749-26-8464

1

同建

松山

 

 

105-0002東京都港区愛宕1-2-5

03-3434-1857

2

同建

浩行

 

 

182-0006調布市西つつじヶ丘2-30-6

03-3307-3226

3

建築

山本 理顕

 

 

221-0842横浜市神奈川区泉町15-5

045-323-3790

4

群居

高島 直之

 

 

153-0062東京都目黒区三田1-4-4-718

03-5424-0028

5

千葉大

宇野

 

 

106-0046東京都港区元麻布2-3-24-301

03-5798-7504

6

京大布野研

坂田 昌平

 

 

158-0092世田谷区野毛1-22-1-308

03-3701-4026

7

京大布野研

丹羽 大介

 

 

225-0002横浜市青葉区美しが丘4-17-25-205

045-902-6473

8

編集

赤松 正子

 

 

168-0073杉並区下高井戸3-3-13-106

03-3304-4107

9

千葉大

安藤 正雄

 

 

155-0031世田谷区北沢4-8-26

 

10

建築

浦江 真人

 

 

175-0094板橋区成増1-35-3-1001

03-5997-7487

11

京大

藤澤

 

261-0004千葉市美浜区高洲3-5-6

043-277-3610

12

同建

泰義

 

141-0031東京都品川区西五反田7-17-7五反田第一長岡ビル

03-3779-8920

13

東洋大

久米

 

369-1413秩父郡皆野町下田野942

0494-62-3620

14

同建

弘実 和昭

 

270-1154千葉県我孫子市白山1-3-48

090-87269608

15

建築 編集

田尻 裕彦

 

177-0053練馬区関町南4-15-3-705

03-3359-3235

16

建築 編集

三宅恒太郎

 

164-0011中野区中央1-26-5-304

03-3363-5760

17

建築ジャーナル

西川 直子

 

101-0032千代田区岩本町3-2-1共同ビル7F

03-3861-8101

18

2

岡 利実

 

177-0042東京都練馬区下石神井5-8-24

03-5372-1259

19

1

本村

 

174-0065東京都板橋区若木2-9-12

03-3936-4040

20

1

山口

 

355-0017東松山市松葉町2-10-12

0493-22-1110

21

2

井手 幸人

 

116-0014荒川区東日暮里3-14-18-506

03-3806-5446

22

3

八巻 秀房

 

173-0036板橋区向原2丁目3-8ヴィラージュ向原206号室

03-5986-2312

23

5

小美野

 

145-0071東京都大田区田園調布1-4-9

03-3722-8826

24

6

三浦 清典

 

338-0837さいたま市桜区田島1-20-17

048-838-6900

25

7

石井 敬一

 

191-0024日野市万願寺2-34-2 2F-C

042-589-4293

26

7

三村

 

125-0032東京都葛飾区水元5-10-23

03-3609-2390

27

7

奥富 敏樹

 

198-0012東京都青梅市谷野122

0428-32-6764

28

9

山根 一彦

 

156-0055世田谷区船橋7-8-2-1320

03-3484-6087

29

9

円光 佳也

 

102-0071千代田区富士見1-2-11-402

03-5215-7208

30

11

倉澤

 

247-0063鎌倉市梶原5-2-F4-401

0467-42-7376

31

11

田口 隆一

 

363-0024埼玉県桶川市鴨川1-6-17

048-786-4284

32

11

二木 一郎

 

330-0841さいたま市大宮区東町2-110

048-631-3001

33

12

池野

 

350-2213埼玉県鶴ヶ島市脚折1410

049-285-0825

34

家づくりネットワーク

山中 文彦

 

155-0031世田谷区北沢3-2-16松岡ビル3F

03-5453-3636

 

家づくりネットワーク

近藤理恵子

 

 

155-0031世田谷区北沢3-2-16松岡ビル3F

03-5453-3636

 

フィールドネット

徳間 憲次

 

 

155-0031世田谷区北沢3-2-16松岡ビル3F

03-5453-3615

 

ARU田口設計

鈴木 紀子

 

363-0024埼玉県桶川市鴨川1-6-17

048-786-4284

 

宮内氏婦人

宮内みはる

 

330-0825さいたま市見沼区東新井710-50-12-205

048-686-2624

3

2006526

 

くじらの会サスティナブルワークショップへの提案

.

八巻秀房

 

1.     裸の建築家/タウンアーキテクトの可能性のまとめ

 

本日の講演内容、参照資料、質疑応答についての記録を作成し、次回以降の企画と合わせて、まとめるための準備を行う。

 

2. 次回以降のワークショップの企画提案

 

1)都市景観を創出する建築

・東京都心部の再開発と高層建築群により急速に変貌する都市景観。その異郷感と、歴史的景観の断絶に対して、建築家が積極的に関わることの重要性。

・地方都市、東京近郊における景観計画の策定およびその実効性をどのように作り出すか。

2)まちづくりの未来

・東京世田谷における先進的まちづくりの現在と未来。

・行政の町づくりへの取り組み手法の展開と地域の建築家、プランナーの関わりについて具体的な検証が求められている。

3)住宅と建築とのはざま

・住宅から建築までトータルに実践する建築家にとって、住宅と建築との間に何があるのか。また何が変わってきているのか。

・公共住宅として、家族の生活様式を造り出した型式設計は、現在においても有効なのか、これからの多様化する家族像に、新たな型はどのように考えられるか。

4)近代建築の評価と保存、再生

・近代建築が重文に指定される中で、近代建築の保存の問題が必ずしも広く議論されていない。

・近代建築の歴史的建造物を積極的に評価する中から、これからの建築遺産のあり方を考えてみたい。

6)建築の保存と再生の経済学

・横浜赤レンガ倉庫の再評価から25年。経済的合理性を離れた保存は成立するのか。

・解体直前になって叫ばれる保存運動から日常的保存、再生の活動における地域建築家の役割とは。

5)甦る建築批評

・近代建築が自立性確立のプロセスの中で、批評精神の喪失が叫ばれて久しい。

・拡散していく現代空間のイメージの中で、果たして建築批評は成立するのか。

・批評とは何かについて、真摯な議論がない中で、批評の再興は可能か。

・もう一度近代建築のオマージュを超えた議論を呼び起こせないか。

7)日本の伝統=木の建築は今

   日本の伝統的木造技術は今どのように伝えられ、また変わりつつあるか?

   地域の文化の中で、伝統的な住まい方と技術、技能は、近代的生産技術の波の中で生まれ変われるのか?

   地域で活躍する木造住宅生産組織の掘り起こし。

   特殊建築物としての木の建築は、イメージリーダーたりうるか?

   木の文化と木の建築のとの交接点を考える。

8)建築は環境の世紀に生き残れるか

   化石燃料の消費による環境の負荷に対して、民生部物の建築、住宅が有効に対処する技術、思想とは何か。

   住宅、建築が、エネルギー問題の解決に向き合うために何が必要か?

   具体的な実例と共に考えていきたい。

9)住まい手と建築家が提案するセルフビルドとアーキテクトビルダーの今

   初原的でかつ永遠のテーマである建築のセルフビルドの実践。

   個的なセルフビルドとスケルトンとインフィルによる係わり、新たなアバンギャルドとしてのセルフビルドを眺望する。

10)建築家とは何か

   裸の建築家批評として再会したくじらの会が提起するもの、それは日本における建築家とは何か、定着する職能として、独自に展開出来るものかを問いかける。

 

3.事務局運営等について

 

1)布野研究室OBを中心としたくじらの会のコアから初めて、より広く社会へ問いかけ、より多くの人々の参加を得て、議論と交流の輪を広げていく。

2)参加者が企画やテーマを持ち寄り、継続的(サスティナブル)に進めていく。

3)テーマ毎に実行委員会形式のコアスタッフ制をとる。

4)新たな参加者の積極的参加を募る。

5)集団的合議制と運営の透明性、情報の公開を前提とした運営とする。

4)会計責任と公開制を維持し、次回への展開が可能となる事務費の捻出に努力する。

5)個人情報保護法の厳正な適用。

6)事務局会議の定例化の検討。

 

 

 

2025年3月23日日曜日

2025年3月22日土曜日

布野修司編:日本当代百名建築師作品選,布野修司+京都大学亜州都市建築研究会,中国建築工業出版社,北京,1997年(中国国家出版局優秀科技図書賞受賞 1998年)  Herausgegeben von Jaqueline Berndt, Shuji Funo, Hideo Isono, Hiroshi Ymane,Tokuichi Yoshimura(edr.),“Bauen mit Eigensinn; Japanische Architecture Individualism and Idiosyncrasy”, Petruschat Verlag, Berlin,1996

布野修司編:日本当代百名建築師作品選,布野修司+京都大学亜州都市建築研究会,中国建築工業出版社,北京,1997(中国国家出版局優秀科技図書賞受賞 1998)

 Herausgegeben von Jaqueline Berndt Shuji Funo Hideo Isono Hiroshi YmaneTokuichi Yoshimura(edr.)“Bauen mit Eigensinn Japanische Architecture Individualism and Idiosyncrasy” Petruschat Verlag Berlin1996






2025年3月20日木曜日

東洋大学祭シンポジウム,いま建築に何が可能か,制度・文化・商品ー同時代と建築,討論「制度と空間」,布野修司・毛綱毅曠・石山修武・伊東豊雄・宮内康, 東洋大学,198009;「鯨の会」通信 ⑥みんな、偉くなった!? M.A.P工作集団、1980、東京大学、1988

 ⑥みんな、偉くなった!? M.A.P工作集団


 いま、研究室は、合宿の準備で大忙しだ。今年は、群馬県川場村で布野研究室、芝浦工大藤沢研究室、千葉大学安藤研究室の三大学合同合宿である。千葉大とは三年連続。安藤先生は遠くロンドンの空の下なのだけれど、鬼の居ぬまに何とやらである。総勢40人を超える。

 それに今年は、井出建さんが参加、HOPE計画のための調査を手伝うことになった。7月28日には、川場村村長をはじめ、村の重鎮が大勢参加でレクチャー。建設省や建築センターからも何人か参加するという。7月29日~30日は川場祭り。29、30日は調査である。もうどうなることやら。行く前からしっちゃかめっちゃかである。何かが絶対おきる。乞御期待だけれど恐ろしい。

 産経新聞で6月から毎週一回コラムの連載を始めた。月曜日の朝刊、「周縁から」というタイトルでとりあえず半年ということだけど、どうなりますことやら。「中心から」とかにしたっかたのだけれど、似合わないという、そうかもしれない。結構楽しんで書いてるのだけれど、ネタちょうだい。産経では、一年前から月曜日に建築だけで一頁作っている。しらなかったんだけれど、建築界にとっては画期的なことかもしれない。例によって村田憲司さんという担当者に出会って意気投合したのが始まりだ。三回ぐらい夜明けまで飲んで、OKしたのだ。最初からやりますと言えばいいものを、酒飲みたさに返事を延ばし延ばしして・・・・悪い癖だ。もっと素直になれば、原稿依頼ももっとくるのにと思うけどどうしょうもない。

 ここまで書いていて、扇風機を今年初めて回した。ガタガタとすさまじい音がする。止めてみると羽根が一枚欠けている。誰だ!。壊した奴は!。この前の扇風機もやっぱり羽根が壊れて、去年買ってもらったばかりだ。もう買ってもらうわけにはいかない。もうクソ暑くて頭にきた。壊した奴は、こっそり買って研究室に返しなさい、88年度卒業生諸君、特に北川君責任をとること。今年の夏、扇風機がないと大変なことになるのだ。クーラーは依然としてわが研究室にはないのである。

 さて、連載を続けよう。

 80年についての一つの思い出は、工学祭だ。工学祭には、あんまり参加したことはないのだけれど、研究室としてシンポジウムを行った。

 タイトルは、

「'80 SYMPOSIUM

 いま建築に何が可能か」である。プログラムは以下の通りだ。

 Ⅰ REPORT       10:00~12:00

  1.「建築における実と虚」  M.A.P工作集団

-いま、都市をみることから何かが始まる-

Ⅱ LECTURE 13:00~16:00  1.「建築の無限」   毛綱毅曠

-宇宙と建築-

2. 「和風、技能、亜細亜」 石山修武

-現実と建築-

3. 「装飾、記号、平面」 伊東豊雄

-コミュニケーションと建築-

4.「制度、文化、商品」 宮内 康 -同時代と建築-

Ⅲ DISCUSSION 16:00~17:00 テーマ「制度と空間」 司会 布野修司  毛綱+石山+伊東+宮内+M.A.P+・・・・

 11月16日、日曜日のことだ。東洋大学工学部106講義室(今の114番教室)。 入場料 500円。そして主催がM.A.P工作集団

 M.A.P工作集団とは何か?何故、M.A.Pという名前なのかは忘れた。何でだっけ。当時も聞いてないような気がするんだけど、教えて欲しい。とにかく、布野研究室が全員、主体となって取組んだ筈だ。今、手元に、その時の記録「見聞録」というのがある。大事にファイルしてる。中味は、石山、毛綱、伊東、宮内へのインタビューの全記録が中心だ。関係者で、なつかしく読みたい人はコピーをあげるから連絡ちょうだい。

 しかし、なかなかよくやったと思う。建築家の書いた文章を集め、作品を見て回り、会って話を聞いて、それをまとめて発表したのである。大変なエネルギーがかかっている。それにひきかえ、最近の学生は・・・・なんて言わないけれど、熱気があったなぁと思う。もうあれから10年になるのである。

 と、ここまで書いて、今、川場村だ。7月30日、ほぼ合宿のスケジュールを終えた。これから川場祭りのハイライト、花火大会だ。花火を見ながら後を書くことになる。最高である。民宿は、岩田渡(いわたど)。打ち上げパーティーをしながら花火が目の前にみえる特等席である。

 この合宿について4年生の誰かが書いた方がいいと思う。なかなかのプログラムであった。これまでの合宿で初めて、本格的な調査を行った。また、二日目の晩は、韓国の仮面劇(風物ノリ、マダン劇)をみることができた。最初の日は、シンポジウム「若者がつくる未来農村」を聞くことができた。そして、今日は川場祭りでみこしが町中練り歩いていた。千葉大、芝浦工大は、今朝、次の予定地に出発。今日は、東洋大だけだ。夜、M2の中村君(音響)が来るという。千客万来、大歓迎である。今日は、午前中、調査の続きを行って、午後は恒例のリクレーション。今年は、マスのつかみとりだ。ナント、20匹つかんだ。そのうち8匹は僕だ、エヘン!!すぐに焼いて、清流で冷やした缶ビール(千葉大の加賀さんからの差入れだ)で乾杯。

 これから、花火を見て、川場祭りのクライマックスへ皆で出かける。オートバイやビデオがあたるクジをもらった。誰かが当たる、そんな予感が今している。

 川場はいい村だ。しばらく通うことになりそうである。

 ところで、 M.A.P工作集団が呼んだ、ゲストはどうだ、当時は、まだそう作品のなかった建築家が、今はみんな偉くなった。シンポジウムの後、皆でカラオケやったり、楽しく酒を飲んだのだけれど今、呼ぶとなるとギャラが大変かもしれない。M.A.P.のめのつけどころは大したものだったのである。4年生の諸君またこういうのやったら。どんな大物でも電話ぐらいかけてあげますよ。来るか来ないかは別として。君達の熱意とやる気があれば、何でもできる筈だ。 M.A.P工作集団も、もう全員、三十路(みそじ)を超えた。みんな頑張っているとつくづく思う。

 今、最初の花火が上がった。


















2025年3月18日火曜日

高口恭行 願わくは諸々の衆生とともに,新たな建築家像を目指して 布野修司対談シリーズ7,日刊建設通信新聞社,19970512

 高口恭行 願わくは諸々の衆生とともに,新たな建築家像を目指して 布野修司対談シリーズ7,日刊建設通信新聞社,19970512

13400-450 5850字 14.625

布野修司対談シリーズ

新たな建築家像を目指して

高口恭行

願わくは諸々の衆生とともに

中道の建築を目指して

摂取不捨 理偏処中

 


 高口先生の名前は学生の頃から知っていた。『第三の建築家』という本をよく覚えているのである。京都に移って御手紙を頂いたり、パーティーでお眼にかかったりしたことはあるけれど、お話をうかがうのは初めてであった。心強かったのは、この間一貫して「第三の建築家」の道をつき進んでこられたことである。現在全力投球する大阪・下寺町のまちづくりは豊かに実る予感がある。まちづくりと建築家のひとつのモデルである。

 僧侶で建築家。重源を思い起こすまでもないだろう。日本建築の歴史においてお坊さんの果たした役割は大きい。今日、僧侶の果たす役割はなにか。建築家の果たす役割は何か。建築家の世界は解脱したとおっしゃるけれど、どうして僧侶で建築家であるという渾然一体となった仕事ぶりにある建築家の気のようなものを感じることができた。

 中道の建築、ほどほどにしいや、というのはわかりやすいけれど、中道に耐えることの方が難しいような気にもなった。

 

大阪の個性・・・茶臼山下寺町歴史文化プロムナード構想

布野:  今一番興味とエネルギーを使っていることというと、やはりお寺のことですか。

高口:  茶臼山下寺町歴史文化プロムナード構想。名前はどんくさいけどね。この一心寺から北へ大蓮寺まで二五軒の寺がある。それを整備しようというわけです。

布野: 行政との仕事なんですか。

高口: 風致地区なんですけどね。歴史の散歩道になってるけど何もしてない。僕の認識だと大阪の個性のような場所だ。まず、それを顕在化させたい。一心寺シアターというぼろ小屋があるんですが、文楽劇場まで、いくつか劇場をつないでいく構想もある。勝手に始めたんです。かかりっきりなんです。

布野: オートバイタウンですか。いま、表通りにはオートバイやさんが集中してますね。

高口: 前は自転車やさんが多かった。しかし、下寺町の真ん中には昔は藤原家高の夕陽庵というのがあったんです。夕陽を拝んでた。大阪で自然を語るとすると夕陽しかないんじゃないか。だから、まず上町大地へ至る坂を顕在化させる。

布野: 緑のスタディーもされていますね。

高口: 緑も多いんだけどみな寺の中だから一般の人の眼に触れない。

布野: 二五軒のお寺さんは賛同されているんですか。

高口: キー・ポイントをつくね。ここはみな浄土宗だから宗派の違いはないけれど、並んでいるからって足並みが揃う分けじゃない。似たようなことをやってるけど同じことをやってるわけじゃない。大学の教官室が並んでいるようなもんです。それでも、今年の春の彼岸の時に、難波人形劇フェスティバルというのをやった。各寺の本堂に人形劇団を呼んできて、普段閉じているのを開こうと。テレビや新聞とかにも報道されて少しづつ一緒にやろうという雰囲気が出てきた。まあ、じわじわとです。

布野: お寺の町内会みたいな組織ですね。ソフトが動き出した。

高口: そこでハードも動かそうということになる。大阪市も総合計画の中で重視している地区ですから、案を出してくれという話がある。それならと、たたき台をつくろうとしてるところなんです。

 

僧侶建築家・・・寺の今日的役割

布野: 住職で建築家ということなんですが、他にもいらっしゃるわけですよね。

高口: GKの栄久庵さんとか、京大の一年後輩だけど知恩院の坂本さんとか少なくない。しかし、坊主だと公言しているのは少ないでしょうな。師匠である先代に、僧侶であることを隠すとためにならんぞといわれたんです。

布野: 最近、京都の法然院の梶田貫首とお近づきになれたんですが、コンサートをやったり、色々お寺を開く努力をされている。もともとお寺は社会に開かれていたわけですね。

高口: なにかにつけて坊主は葬式ばっかりやっとると言われる。ただ弁解がましい意見はあるんだ。大阪の人口は、江戸の末の頃の一〇倍になってる。寺の数も、本堂の大きさも変わっていない。檀家さんの数は本堂の大きさに比例します。坊さんの方は一生懸命でも、一〇人にひとりしかサービスできなくなっている。キャパシティがたりないから、今日的に組織を変える必要がある。檀家制度が会員組織なら公開制にしていく。

布野: 一心寺の場合、むしろ大衆に開かれてきたんじゃないですか。

高口: それも江戸末以降のことです。ソフトは解放。でもハードの建物が限定されている。二万人の参詣者があって、本堂が五〇〇人。どうしようもない。だから、下寺町のまちづくりもご奉仕じゃないんです。空間が足りない。寺にとっては死活問題だと思っているんです。

 

職人がいない

布野: お寺に対する期待として、もうひとつ、建築の職人さんの技術の継承を考えて欲しいということがある。京都だとお寺に期待するしかない気がするんです。お東さんなんか全国に末寺があるから寺の維持管理システムの構築や職人の育成をやってほしい。

高口: そう思うけど、職人文化の維持継承に賭けようという状況ではない。京都の事情と大阪の事情は全く違う。植木屋さんそのものがおりません。公園屋さんになっている。僕の方が知っている。石を積むのにモルタルを使う。かなり技術は落ちてる。苦労しているんです。

布野: 守るべきものがすでにない。

高口: 瓦も凋落一方ですね。けらばのところがきちっとそろわない。

布野: 淡路の山田脩二さんところへ行かれたと聞いたんですが。

高口: いま、瓦は岐阜なんです。堺にいい瓦屋がいたけどつぶれてしまった。大変な状況です。

 

DPGの山門

布野: 斬新な山門ですね。立体トラスとDPG(ドット・ポインティッド・ガラス)の屋根は日本で唯一でしょう。働いている職人さんが自慢してました。

高口: 何故、木造でないかというと法規の問題ですね。基壇のところは、もともと茶所と駐車場だった。その間に山門があった。伝統的なものであるとそのサイズものしか建たない。上のところは境内野外ステージになっている。二万人のための建築なんです。

布野: 門というより複合建築ですね

高口: 建築家というより住職としての意向が強いかもしれません。昔、大阪に小西頼山という俳人がおったんです。今宮のほうから読んだ「しぐるるやしぐれのなかの一心寺」という歌がある。一心寺の上だけが晴れている、といった意味ですが、いま、向こうの方から見えない。建物も目立たない、活動も目立たない。とにかく、目立たなあかんわけですこの建築は。

布野: ランドマークですね。

         

第三の建築家

布野: 『第三の建築家』という本をかかれてますね。

高口: 万博の頃ですかね。一貫して思っているのは、何故、建築というのは浮き上がっているのか、ということです。機能主義の全盛時代だったんですが、裸の王様的だ。庶民感覚からづれている。何故、づれるのか、僕の考えてきたことはそれしかない。

布野: 奈良女子大で教えられるわけですが。

高口: 住宅の設計とか、住宅団地の設計ですね。計画学の理論があるけれど、あれはあれでひどく美しくないし。

布野: 西山夘三流のリアリズムも庶民感覚とづれていたわけですか。

高口:  僕は単純に理解してたんですよ。計画学というのは五〇〇分の一とか、一〇〇〇〇分の一の世界でしょう。所詮基本計画のレヴェルです。さわったり、階段を歩いたりという話にはなりにくい。勾配とか踏面の話はするかもしれないけれど手摺のさわり具合は飛ばしてしまう。材料も触れない。その辺をつなぐ人間がいる。今日ではすっかり言わなくなったけれどアーバン・デザイナーなんです。センス的に言っても、美学の話と庶民感覚でいうところの環境問題とか身障者問題であるとか、伝統的な和の様式とかをつなげるのは建築家なんです。

布野: それが「第三の建築家」ですね。

高口: いま、アーバン・デザイナーですというと、え、と言われる。昔の名前で出ています、あれですわ。

 

アトリエ・カサから造家建築研究所へ

布野: 奈良女には一七年半おられたんですね。やめられたのは教師と住職と建築家が鼎立しがたくなったということですね。

高口: まさしくそう。それに五〇歳になるということもありますね。振り返って中途半端だという思いがあった。住職で建築家に徹しようと覚悟したんです。

布野: 住職と建築家と時間配分はどうなんですか。

高口: 三食ともこの辺で食べるわけです。区別がないといったほうがいい。奈良女の時は、朝は坊さん、午後は教員、夜は建築家といってたけど、今はそういう必要がない。来年は骨仏をつくるんですが、そのことを考えながら建築やってる。渾然一体です。奈良女は居心地はよかったんですけど、実施設計ができないんですね。それで研究所をつくった。

布野: なぜ造家なんですか。

高口: 京大の大学院のころ、下宿に集まったのがグループ・カサなんです。増田先生のとこの仲間とか川崎先生のとこの笹田とか上田先生のところの学生とか。いま大阪芸術大学の田端修とかね。何をしてたかゆうと酒飲んで騒いでただけ。建たなかったけれど設計料もらったりしてた。

布野: そんなことあり得たんですね。

高口: その頃、日本学生会議というのがあって僕は少し動いてたから、その流れもあったんですね。その後、北白川の方にそれらしい空間をつくったんですが、その頃『第三の建築家』を書いたんですけど、少し出世してアトリエ・カサ。外に組織をつくる時にカタカナの名前は日本ではあんまり信用されないということをちらっと聞いて、日本語に直しただけです。思いとしては住宅をやっていこうということです。

布野: 造家学科、造家学と言っていたのを伊東忠太がアーキテクチャーの本義ということで建築といいだす。庶民感覚ということで先祖帰りなわけですね。

高口: 由緒正しいということもあるし、カサ・ブランカというのは地中海の白い「アーキテクチャー・ウイズアウト・アーキテクト」の家々の原イメージもある。

 

理偏処中

布野: 今の日本の建築界をどうご覧になってますか。

高口: 僕は解脱しましたね。全くというと語弊があるけれど、大学を辞めた段階で関心がなくなりましたね。

布野: 解脱されたと言われると、話の継ぎようがないんですが。ポストモダンはどう評価されてたんですか。

高口: 共感を覚えてました。歴史的連続感、庶民感覚からみて可能性があった。ただ、極端に行くんですね。釈迦が生きていた頃の言葉に「理偏処中」という言葉があります。「偏りを離れて中道に処する」。何故か、建築は中道にとどまらない。いい線いってたけど挫折した。石山さんは大道芸というか、芸を売らないといけないという。磯崎さんはアートとしての建築という。どうも、中位に処するということを成り立たなくしている。

布野: 建築ジャーナリズムは芸人好きですから。

高口: だけど、ほんとにそういう職業はいるんだろうかと僕はずっと思っている。僕は知り合い関係、お寺の関係のネットワークの中で生きているから余計そう思うのかもしれない。

 

摂取不捨・・・ほどほどにしいや

布野: 建築の方法も関係しますよね。仏教の教えの中にも建築に関わることは多い。

高口: 一番大きいのは、切り捨てられないということです。摂取不捨。例えば安藤忠雄さんはあらゆるものを摂取せず捨てまくりますよね。僕は何も捨てられない。そこに木があるでしょう。工事に邪魔になるけど伐れない。移すことはあってもどっかに使います。そうしますと、出来上がったものは確かにシャープにならないですね。

布野: 共生(ぐしょう)という仏教の自然観ですね。

高口: 関西弁でいうと、ほどほどにしいや、ということにつきる。

布野: 仏教建築で何か、惹かれるものがありますか。

高口: ヴェニスの小さな島に中道のいい礼拝堂がありましてね。京都の寺町にお寺を真似してつくったんですよ。

布野: ビザンチン様式の寺ですか。仏教のコスモロジーを表現するという一派がいますね。曼陀羅パターンで。

高口: 密教系ですね。ヒンドゥー教なんかもそうですが、釈迦仏教は少し違う。非常に多様な価値観が共存するけれど曼陀羅は神々の場所が決まってるんですね。摩訶不思議の世界なんです。

 

布野: 当面、下寺町にかかり切りですね。

高口: まあ、この界隈で生きていくんですから、ちびちびしたことを続けていきますよ。この場所が安定したら、コンペなんかもどんどんやりたいんですけどね。これは活動ですから、『新建築』なんか載らないでしょうね。扱いにくいでしょうね。しかし、これは普通のことなんですよ。格好よすぎりかもしれないけれど、「願わくば諸々の衆生とともに」ということですね。なんで俺だけがやらないといけないんだ、という思いもある。みんなでやっていきたいんです。



2025年3月17日月曜日

渡辺豊和 文明批評としての建築,建築は都市のダイアグラム,新たな建築家像を目指して,布野修司対談シリーズ6,日刊建設通信新聞社,19961125

渡辺豊和 文明批評としての建築,建築は都市のダイアグラム,新たな建築家像を目指して布野修司対談シリーズ6,日刊建設通信新聞社,19961125 

13400-450 5850字 14.625

布野修司対談シリーズ

新たな建築家像を目指して

渡辺豊和

文明批評としての建築

 

 

 

 渡辺豊和さんとはもう二〇年近いつき合いである。雑誌『群居』の同人として、建築フォーラム(AF)の仲間として、一回り近く年が違うのにまるで友達のようにつき合わさせていただいている。京都へ来てからは前にもまして会う機会が増えた。この四月からは京都造形大学で大学院の講義を一緒にしたりしている。しかし、こうして改まって対談するのは初めてである。なんとなくその建築家としての姿勢を理解していたつもりであるが、はっと思わされる発言も多かった。しかし、それにしても、つくづく思うのは、渡辺さんが骨の髄から「建築家」であることだ。それも実に古典的な、正統的な「建築家」の理念を体現していることだ。建築界の現状についてはそれ故常に厳しい。裏も表もない真っ当な「建築家」だ。しかし、それにしても日本の建築界で渡辺さんのみ際立つのは寂しいことである。

 

神戸二一〇〇計画・・・元型都市論

布野:  最近大きなプロジェクトを手がけられそうだと聞いたんですが。

渡辺:  そんなことはないよ。いつも仕事ないんだから。

布野: 最新作はなんになりますか。

渡辺: 上湧別資料館と黒滝村民野外ステージかな。

布野: 作品の系列としては、秋田の体育館、加茂町(島根県)のラ・メールの延長になるわけですか。

渡辺: 黒滝村のは、野の舞台ですね。『芸能としての建築』を書いた時からやりたかったんです。この一年全力でやっているのは「神戸二一〇〇計画」なんですよ。百年後の神戸を描いている。

布野: 「奈良町百年計画」(一九九四年)というのを僕の研究室と一緒にやりましたよね。百年後を考えるとコンクリートの建物は残っていないから消しちゃっていいとか、普通と違う計画ができそうだったですね。

渡辺: 後からそうだったと気がついたんだけど、とにかく大震災に対して、建築家として何ができるか、なんかすべきだと思ったんです。よくよく考えた結果のプロジェクトなんです。震災後すぐ仕事を取りに回るなんてはしたない建築家が多かったですよね。模型をもってすぐ行った。Aとか、Bとか・・・。しかし、建築家にはもっと大きな役割があると思ったわけ。復興計画じゃないんです。結局は、都市のあり方を提示することですね。「庭園曼陀羅都市」、「元型都市論」ということを考えているんだ。

布野: 都市モデルですね。

渡辺: まあね、建築家としてはモデルを提示する役割があると思うんよ。迫力がある力のあるやつね。一年馬鹿みたいにこればっかりやってきたんです。かなり、新しい概念をつぎ込んでるんですよ。太陽エネルギーでまかなうとかね。自動車交通の廃棄とかね。街路を骨格としない革命的案なんだ。行政は対処療法しかできないだろうし、だれか野の建築家がやるべきだと思ったんです。

 

離島寒村の建築:

布野: これまでスタンスとして都市に背を向けてきたということがありますね。

渡辺: そう、離島寒村の建築ということでやってきた。都市の中に埋没したくなかったんですね。『縄文夢通信』なんて書いた縄文主義者だから森の風景の中で建築を創りたかったんですよ。それに僕は、根っから野の建築家なんです。

布野: 周縁から中心を攻める、離島寒村から都市をうつ構えと言えばいいですか。

渡辺: 東京という中央じゃなくて大阪にいるのもそうかもしれない。ただ、日本列島に自分の建築のネットワークをつくっていければいいと思うんだけどね。一県にひとつぐらいと思うけど不可能だね。年だからねえ。

布野: 秋田で育たれて、福井で勉強されて、京都で教えられて、奈良に住む。何故事務所は大阪なんですか。

渡辺: 大阪は市民社会なんだ。京都と違って。学歴無くても、地方の出でも、平等に扱ってくれる。仕事はくれないけどね。

布野: 毛綱、安藤、渡辺というと関西を代表する三建築家といってたけど、大分行き着く先は違ってきましたね。毛綱さんは東京へ出ていった。ところで、出身の角舘は小京都じゃないですか。

渡辺: 東京と秋田は合わないんだよ。

 

デミウルゴスの末裔:あまりに古典的な建築家

布野: 渡辺さんをみていると時々実に建築家的だなあと思うんです。

渡辺: そうだと思う。山口文象先生のところで一〇年近く修業したからねえ。まともな建築家でしたからね、先生は。若いときにそれを見て修業したから身についちゃってる。僕はそれ以外にモデルないもん。古典的な建築家だってよく言われるんだ。馬鹿みたいということだろうけれど。ただ、文象さんがRIAという組織をつくられたのは間違ったと思ったんだ。

布野: 晩年の文象さんには何度か会いましたけれど、寂しそうでしたね。渡辺さんの場合、ワンマンというか、デミウルゴスの末裔というか、大文字の建築家と言った方が似合う。他に例がないかな。

渡辺: 徹底してやるのはいないかな。みんな忙しそうだもんね。事務所は四人か五人ですね、ずっと。大きい仕事はOBを集めてやるんです。

布野: プロフェッサー・アーキテクトという意識はあるんですか。

渡辺: 大学は助かってますけど、芸大だし、ずっとアーキテクトという意識ですね。

布野: こんなこと聞いたことないけど、尊敬する建築家というか、好きな建築家というと・・・。

渡辺: それはもうガウディ。バルセロナへは五回ぐらいいってる。それとコルビュジェね。アールトーも若い頃好きだったけど、線が細いでしょう。

布野: 二人の傾向はまるで違いますね。そこが面白いところでしょう。コルは、戦後のがいいんでしょう。チャンディガールなんて意外にいいんだ。

 

世界建築への旅:神殿と墓陵

布野: この十年、集中して世界中を歩かれ出しましたね。つい最近は、トルコへ行かれたそうですが、西アジアの建築への親近感をもたれてますね。

渡辺: そうね。歩き出したのが遅いんです。でもこれまでで見たいものは見たよ。カトマンズが最初でアジアをしばらく見た。中国、シルクロード、ラサは最近だね。タイ、フィリピン、インドネシア。間にヨーロッパへ行ってるけど。

布野: 中南米、マヤ、インカ、エジプトは渡辺好みですね。ロシア、インドも行かれましたね。そしてペルシャ、トルコ。一体何を見たかったわけですか。

渡辺: 遺跡だね。石造の古代建築。巨石文明を追求してきてるんだ。何故、ピラミッドか、から始まってる。建築の原点なわけだから。墓陵プラス神殿に興味がある。集落はあんまり興味がない。

布野: そのへんが僕とは違う。何故か、スラムに惹かれたりして。

渡辺:  正直言うと、住居は好きじゃないんだ。設計はするけどね。都市や集落を見に行くんじゃないわけ。原(広司)さんとは違う。彼は日本の建築家で唯一理論家として評価するけどね。ただ考えてみると、集落をひとりでやるのは難しいということもあるから、神殿にいったのかもしれない。

 

全くくだらない世界の建築界:箱のデザイナー

布野: 現在の世界の建築シーンをどう見てますか。

渡辺: 全くくだらない。単に巨匠がいなくなったというようなことじゃなくて、レヴェルが低いと思う。ひどすぎるから興味もないけどね。ルイ・カーンぐらいまでかな。全部駄目、今の建築家は。磯崎さんがANYとかなんとかやってるけどね。近代建築の三巨匠はなんだかんだいってもすごい。それに比べて、現代建築家はひどすぎる。くだらない。建築家はいなくなっちゃったんだよい。寂しいね。僕だけだもんね。

布野: リベスキントは評価されてたんじゃないんですか。

渡辺: まあね。クールハウスはだめよ。要するに、みんな近代主義の焼き直しでしょ。文明批評がないのよ。小粒なんだ。そういうのは建築家とはいわない。デザイナーだよ。箱のデザイナー。

布野: ポストモダンのぺらぺら建築ばっかりだ。コスモロジー派はどうですか。

渡辺: コスモロジーも図式、パターンじゃしょうがない。毛綱、六角もパワーが落ちたかな。若いところじゃ、高崎が頑張ってるかな。しかし、全体としてレヴェルが低い。とにかく、文明批評になってるかどうかだよ。

 

建築=都市のダイアグラム:都市住居のモデル

布野: まちづくりというのは渡辺さんにとって遠いわけですか。

渡辺: そんなこともないよ。再開発だってプロだから。ただ、建築家のまずやるべきは文明批評なんです。神戸の百年計画もそういうことです。

布野: 白紙に絵を描く巨匠のスタイルとどこが違うわけですか。実現を前提にするわけですか。

渡辺: スタイルは基本的には同じでしょう。都市提案だから。しかし、文明批評が問題。近代都市計画批判はやってるんですよ、もちろん。実現することは全く考えずに作業したんだけどね。しかし、結果としてできることもあるかもしれない。僕は建築は都市のダイアグラムだと思ってるんです。建築が都市の構造を規定するんです。

布野: まちづくりという以前に、個別の建築の設計においても都市の骨格が問われているということですか。

渡辺: 住居に空間の骨格がないといけない。神戸計画では庭園を図にして建築を地で考えたんだけどね。住居が連鎖していくことを考えてるんです。

布野: 一般的に住宅というのは都市の地になりますよね。渡辺さんの「標準住宅〇〇一」は、都市の地をつくりたいということじゃあなかったんですか。

渡辺: そうね。都市で考えるとしたら、神殿じゃなくて住居をやりたいね。住居のモデルが問題になるね。特に集合住宅のモデル。地の問題としては。本音をいうと、住居へ戻って来たい、都市をもう一度考えたいというのはあるんだ。住宅やりたくてRIAへ入ったんだから。忘れていないんです。ただ、やるとしたらモデルだね、つくりたいのは。

布野: 考えてみれば、建売住宅を作品化した最初の建築家なんですよね。

 

僕は業者じゃない:建築家は個人:思想の無いの建築家は設計するな

渡辺: 布野君はいろいろコンペとか仕掛けているけど、僕は事業コンペは反対なんだよ。設計施工ははっきり分離すべきです。こんどの大震災で問題になったのも設計施工でしょう。

布野: 公共建築では、設計施工は分離が原則だけれど、僕は、住宅スケールだと設計施工もありうると思ってるんです。アーキテクト・ビルダー論ですね。しかし、制度の問題としては区別できない。今、建築士制度も揺れてますよね。コンペにしても、なかなかオープンになっていかない。渡辺さんは縁がないでしょうけど、設計入札というのもなくならない。

渡辺: 素朴なんだけど、建築家というのは個人であって、法人つくるのがおかしいのよ。自ら業者になっちゃってる。僕は、会社にしてないから、不便なことがいっぱいあるんだ。

布野: シーラカンス的というか、化石的ですね。絶句ですね。でも、共感します。渡辺さんのナイーブな態度をどう一般化できるかなんですけどね。みんな言うけど、実態がかけ離れてる。

渡辺: 僕は業者になるの嫌なんです。しかし、いらないトラブルばっかりだけどね。僕と同じことをやれとは言わないけれど、問題は思想だよね。腹立ってくるよね。思想のない奴は設計するな、ということなんです。特に公共建築の場合はね。



布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...