渡辺豊和 文明批評としての建築,建築は都市のダイアグラム,新たな建築家像を目指して,布野修司対談シリーズ6,日刊建設通信新聞社,19961125
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布野修司対談シリーズ
新たな建築家像を目指して
渡辺豊和
文明批評としての建築
渡辺豊和さんとはもう二〇年近いつき合いである。雑誌『群居』の同人として、建築フォーラム(AF)の仲間として、一回り近く年が違うのにまるで友達のようにつき合わさせていただいている。京都へ来てからは前にもまして会う機会が増えた。この四月からは京都造形大学で大学院の講義を一緒にしたりしている。しかし、こうして改まって対談するのは初めてである。なんとなくその建築家としての姿勢を理解していたつもりであるが、はっと思わされる発言も多かった。しかし、それにしても、つくづく思うのは、渡辺さんが骨の髄から「建築家」であることだ。それも実に古典的な、正統的な「建築家」の理念を体現していることだ。建築界の現状についてはそれ故常に厳しい。裏も表もない真っ当な「建築家」だ。しかし、それにしても日本の建築界で渡辺さんのみ際立つのは寂しいことである。
神戸二一〇〇計画・・・元型都市論
布野: 最近大きなプロジェクトを手がけられそうだと聞いたんですが。
渡辺: そんなことはないよ。いつも仕事ないんだから。
布野: 最新作はなんになりますか。
渡辺: 上湧別資料館と黒滝村民野外ステージかな。
布野: 作品の系列としては、秋田の体育館、加茂町(島根県)のラ・メールの延長になるわけですか。
渡辺: 黒滝村のは、野の舞台ですね。『芸能としての建築』を書いた時からやりたかったんです。この一年全力でやっているのは「神戸二一〇〇計画」なんですよ。百年後の神戸を描いている。
布野: 「奈良町百年計画」(一九九四年)というのを僕の研究室と一緒にやりましたよね。百年後を考えるとコンクリートの建物は残っていないから消しちゃっていいとか、普通と違う計画ができそうだったですね。
渡辺: 後からそうだったと気がついたんだけど、とにかく大震災に対して、建築家として何ができるか、なんかすべきだと思ったんです。よくよく考えた結果のプロジェクトなんです。震災後すぐ仕事を取りに回るなんてはしたない建築家が多かったですよね。模型をもってすぐ行った。Aとか、Bとか・・・。しかし、建築家にはもっと大きな役割があると思ったわけ。復興計画じゃないんです。結局は、都市のあり方を提示することですね。「庭園曼陀羅都市」、「元型都市論」ということを考えているんだ。
布野: 都市モデルですね。
渡辺: まあね、建築家としてはモデルを提示する役割があると思うんよ。迫力がある力のあるやつね。一年馬鹿みたいにこればっかりやってきたんです。かなり、新しい概念をつぎ込んでるんですよ。太陽エネルギーでまかなうとかね。自動車交通の廃棄とかね。街路を骨格としない革命的案なんだ。行政は対処療法しかできないだろうし、だれか野の建築家がやるべきだと思ったんです。
離島寒村の建築:
布野: これまでスタンスとして都市に背を向けてきたということがありますね。
渡辺: そう、離島寒村の建築ということでやってきた。都市の中に埋没したくなかったんですね。『縄文夢通信』なんて書いた縄文主義者だから森の風景の中で建築を創りたかったんですよ。それに僕は、根っから野の建築家なんです。
布野: 周縁から中心を攻める、離島寒村から都市をうつ構えと言えばいいですか。
渡辺: 東京という中央じゃなくて大阪にいるのもそうかもしれない。ただ、日本列島に自分の建築のネットワークをつくっていければいいと思うんだけどね。一県にひとつぐらいと思うけど不可能だね。年だからねえ。
布野: 秋田で育たれて、福井で勉強されて、京都で教えられて、奈良に住む。何故事務所は大阪なんですか。
渡辺: 大阪は市民社会なんだ。京都と違って。学歴無くても、地方の出でも、平等に扱ってくれる。仕事はくれないけどね。
布野: 毛綱、安藤、渡辺というと関西を代表する三建築家といってたけど、大分行き着く先は違ってきましたね。毛綱さんは東京へ出ていった。ところで、出身の角舘は小京都じゃないですか。
渡辺: 東京と秋田は合わないんだよ。
デミウルゴスの末裔:あまりに古典的な建築家
布野: 渡辺さんをみていると時々実に建築家的だなあと思うんです。
渡辺: そうだと思う。山口文象先生のところで一〇年近く修業したからねえ。まともな建築家でしたからね、先生は。若いときにそれを見て修業したから身についちゃってる。僕はそれ以外にモデルないもん。古典的な建築家だってよく言われるんだ。馬鹿みたいということだろうけれど。ただ、文象さんがRIAという組織をつくられたのは間違ったと思ったんだ。
布野: 晩年の文象さんには何度か会いましたけれど、寂しそうでしたね。渡辺さんの場合、ワンマンというか、デミウルゴスの末裔というか、大文字の建築家と言った方が似合う。他に例がないかな。
渡辺: 徹底してやるのはいないかな。みんな忙しそうだもんね。事務所は四人か五人ですね、ずっと。大きい仕事はOBを集めてやるんです。
布野: プロフェッサー・アーキテクトという意識はあるんですか。
渡辺: 大学は助かってますけど、芸大だし、ずっとアーキテクトという意識ですね。
布野: こんなこと聞いたことないけど、尊敬する建築家というか、好きな建築家というと・・・。
渡辺: それはもうガウディ。バルセロナへは五回ぐらいいってる。それとコルビュジェね。アールトーも若い頃好きだったけど、線が細いでしょう。
布野: 二人の傾向はまるで違いますね。そこが面白いところでしょう。コルは、戦後のがいいんでしょう。チャンディガールなんて意外にいいんだ。
世界建築への旅:神殿と墓陵
布野: この十年、集中して世界中を歩かれ出しましたね。つい最近は、トルコへ行かれたそうですが、西アジアの建築への親近感をもたれてますね。
渡辺: そうね。歩き出したのが遅いんです。でもこれまでで見たいものは見たよ。カトマンズが最初でアジアをしばらく見た。中国、シルクロード、ラサは最近だね。タイ、フィリピン、インドネシア。間にヨーロッパへ行ってるけど。
布野: 中南米、マヤ、インカ、エジプトは渡辺好みですね。ロシア、インドも行かれましたね。そしてペルシャ、トルコ。一体何を見たかったわけですか。
渡辺: 遺跡だね。石造の古代建築。巨石文明を追求してきてるんだ。何故、ピラミッドか、から始まってる。建築の原点なわけだから。墓陵プラス神殿に興味がある。集落はあんまり興味がない。
布野: そのへんが僕とは違う。何故か、スラムに惹かれたりして。
渡辺: 正直言うと、住居は好きじゃないんだ。設計はするけどね。都市や集落を見に行くんじゃないわけ。原(広司)さんとは違う。彼は日本の建築家で唯一理論家として評価するけどね。ただ考えてみると、集落をひとりでやるのは難しいということもあるから、神殿にいったのかもしれない。
全くくだらない世界の建築界:箱のデザイナー
布野: 現在の世界の建築シーンをどう見てますか。
渡辺: 全くくだらない。単に巨匠がいなくなったというようなことじゃなくて、レヴェルが低いと思う。ひどすぎるから興味もないけどね。ルイ・カーンぐらいまでかな。全部駄目、今の建築家は。磯崎さんがANYとかなんとかやってるけどね。近代建築の三巨匠はなんだかんだいってもすごい。それに比べて、現代建築家はひどすぎる。くだらない。建築家はいなくなっちゃったんだよい。寂しいね。僕だけだもんね。
布野: リベスキントは評価されてたんじゃないんですか。
渡辺: まあね。クールハウスはだめよ。要するに、みんな近代主義の焼き直しでしょ。文明批評がないのよ。小粒なんだ。そういうのは建築家とはいわない。デザイナーだよ。箱のデザイナー。
布野: ポストモダンのぺらぺら建築ばっかりだ。コスモロジー派はどうですか。
渡辺: コスモロジーも図式、パターンじゃしょうがない。毛綱、六角もパワーが落ちたかな。若いところじゃ、高崎が頑張ってるかな。しかし、全体としてレヴェルが低い。とにかく、文明批評になってるかどうかだよ。
建築=都市のダイアグラム:都市住居のモデル
布野: まちづくりというのは渡辺さんにとって遠いわけですか。
渡辺: そんなこともないよ。再開発だってプロだから。ただ、建築家のまずやるべきは文明批評なんです。神戸の百年計画もそういうことです。
布野: 白紙に絵を描く巨匠のスタイルとどこが違うわけですか。実現を前提にするわけですか。
渡辺: スタイルは基本的には同じでしょう。都市提案だから。しかし、文明批評が問題。近代都市計画批判はやってるんですよ、もちろん。実現することは全く考えずに作業したんだけどね。しかし、結果としてできることもあるかもしれない。僕は建築は都市のダイアグラムだと思ってるんです。建築が都市の構造を規定するんです。
布野: まちづくりという以前に、個別の建築の設計においても都市の骨格が問われているということですか。
渡辺: 住居に空間の骨格がないといけない。神戸計画では庭園を図にして建築を地で考えたんだけどね。住居が連鎖していくことを考えてるんです。
布野: 一般的に住宅というのは都市の地になりますよね。渡辺さんの「標準住宅〇〇一」は、都市の地をつくりたいということじゃあなかったんですか。
渡辺: そうね。都市で考えるとしたら、神殿じゃなくて住居をやりたいね。住居のモデルが問題になるね。特に集合住宅のモデル。地の問題としては。本音をいうと、住居へ戻って来たい、都市をもう一度考えたいというのはあるんだ。住宅やりたくてRIAへ入ったんだから。忘れていないんです。ただ、やるとしたらモデルだね、つくりたいのは。
布野: 考えてみれば、建売住宅を作品化した最初の建築家なんですよね。
僕は業者じゃない:建築家は個人:思想の無いの建築家は設計するな
渡辺: 布野君はいろいろコンペとか仕掛けているけど、僕は事業コンペは反対なんだよ。設計施工ははっきり分離すべきです。こんどの大震災で問題になったのも設計施工でしょう。
布野: 公共建築では、設計施工は分離が原則だけれど、僕は、住宅スケールだと設計施工もありうると思ってるんです。アーキテクト・ビルダー論ですね。しかし、制度の問題としては区別できない。今、建築士制度も揺れてますよね。コンペにしても、なかなかオープンになっていかない。渡辺さんは縁がないでしょうけど、設計入札というのもなくならない。
渡辺: 素朴なんだけど、建築家というのは個人であって、法人つくるのがおかしいのよ。自ら業者になっちゃってる。僕は、会社にしてないから、不便なことがいっぱいあるんだ。
布野: シーラカンス的というか、化石的ですね。絶句ですね。でも、共感します。渡辺さんのナイーブな態度をどう一般化できるかなんですけどね。みんな言うけど、実態がかけ離れてる。
渡辺: 僕は業者になるの嫌なんです。しかし、いらないトラブルばっかりだけどね。僕と同じことをやれとは言わないけれど、問題は思想だよね。腹立ってくるよね。思想のない奴は設計するな、ということなんです。特に公共建築の場合はね。
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