岩切平 「褻」の建築 連歌と俳句の狭間,新たな建築家像を目指して 布野修司対談シリーズ4,日刊建設通信新聞社,19960715
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布野修司対談シリーズ
新たな建築家像を目指して
連歌と俳句の狭間
イヴェントまちづくりではなく「褻」(け)の建築をしっかりと
岩切平
岩切さんとは不思議な縁だ。何度か顔を合わせたことがあって、今回「竹の会」で何か話してくれというお誘いを受けた。飛んで火にいる夏の虫というのはこのことだ。文章家であること、アジアの建築文化に造詣が深いことは、資料も頂いていたし、話の端々からも伺えていたから、いつか仕事ぶりを見てみたかった。たから、作品を見せていただくという条件で二つ返事で引き受けた。作品は手堅い。褻の建築を、というその腰の据わり方は実に信頼感がある。
木造文化の源流としてのアジア
布野: 今日はいい仕事を見せて頂きました。
岩切: 僕の仕事というのは、地場で採れるものを使い、地場の大工さんとつき合ってやってるわけでどうということはないんです。ただ、普通にやっているいることを表現に高めていきたいとは思ってるんです。布野: 宮城県というのは林産県ですね。杉が主ですね。
岩切: ここでは曲がった財は駄目ということもないんですよ。ひのき御殿をつくるということもないですし。杉文化圏と言うより、ひのきからは遠い。
布野: 随分中国へ行かれているでしょう。もしかすると木造文化のルーツへの興味ということがあるんですか。よくいかれているのは、中国の南、華南ですね。
岩切: 木の文化といってもヨーロッパにもあるし、色々ですよね。全世界ただ、最初に雲南に行ったときに感じたのは共通性ですよね。大工道具にしても、木の組み方にしても。仏教建築の源流にしても中国にありますからね。やってきたことが確認できたんですね。ハーフティンバーというわけにはいかないんです。
アジア三部作
布野: 中国といっても広いわけで、北に行くと甎と木の混構造になりますね。今日見せていただいた「宮崎の四合院」は北の方を参照してるわけですね。
岩切: そうですね。コンクリートは土という感覚はありますね。コンクリートを土に読み変えたら四合院そのものなんですけど、コンクリートによると開放的になりますね。開放性を表現したかったんです。中庭も閉じていないわけです。プランは四合院ですけど。
布野: 今日はアジア三部作のうち一つだけ見せていただいたことになりますね。後は熊本ですか。「雲南居」と「江南楼」。中国三部作かな。九州と中国と面白いですね。
岩切: アジアというと広げすぎますかね。
布野: 福岡を拠点に、宮崎はじめ、九州が活動範囲ですね。
宮崎という風土
岩切: 宮崎はなぜか東京向いてるんです。太平洋というか、そちらに開いている。ところが、博多はアジアを向いてるんです。福岡だけでなくて、宮崎を除いた各県アジア、アジアと言い出してるんですね。海一つ超えたら朝鮮、中国という意識は昔から博多にはある。福岡を拠点にアジアを考えていくのは僕にとって非常に大事なことだと思ってるんです。宮崎ももうちょっと九州の文化圏にあるんだからアジアに向いてもいいかも知れない。
布野: どうしてですかね。ジャイアンツが来るからですかね。新婚旅行のメッカは過去になったんでしょう。
岩切: 僕は生活のレヴェルでは宮崎に不満はないんです。育ったところですから。建築を好きになったのはかなり小さい時なんです。建築を意識する以前に周りの空間に興味をもったんだけど、それがこの町だったんですね。仕事をしながらこの町にも関わっていたいと思ってるんです。何か僕をつくってくれたものに対して発信したいと思ってるんです。
布野: 僕も年とったのか出雲だけは断らずにお手伝いしようと思っちゃう。よくわかりますね。ところで、宮崎らしさというと。
岩切: ここは明治以降出来た町であまり手がかりはないんだけど、生まれ育ったという手がかりかな。外の眼から見ると、天尊降臨の高千穂とか太平洋の壮大さとかいうことになるんだけれどね。
布野: 出雲でも出雲大社とか巨大木造とか、築地松とかすぐそうなっちゃう。つい反発しちゃうよね。
竹の会
岩切: 僕らつまんない景色を見て育ったんですよ。つまんない景色に何かをプラスするというのが建築家の意識じゃないですか。
布野: 宮崎にも事務所をお持ちですが、こんど「竹の会」というのを組織されたんですよね。
岩切: 三〇代までと言うことですけど四〇代もいますね。
布野: 若い人と一緒に考えようと言うことですね。
岩切: 宮崎でも外の設計事務所が来て設計するんだけど、気に入らない。うまくできていないことが多い。地元の人間でないとわからない感覚があるんです。行政にも訴えたい。地元の若い人が育ってやれるようになるといい。またやれるように、ものの考え方とか鍛えておく必要がある。とにかくいろんなことを勉強しようということですね。
布野: 全国どこでも同じ問題ですね。
岩切: 田舎のひがみ根性かも知れないんですが、大資本が来て仕事とっちゃうのは駄目なんです。うまくないし結果もよくない。こちらは生活かかってるけど、それ以前に、こちらが不快感を感じる建物は基本的に駄目ですよ。僕個人の問題だけじゃなく、豊かに建築を語れる場が欲しかったんです。
布野: 竹の会という名前はどこからつけたんですか。
岩切: すぐ決まったんですよ。竹林の七賢人とか、竹を割ったような、とか。竹は枯れても地下茎は残るでしょう。枯れても持続していくイメージからと僕は思ってるんです。
小さな仕掛け
布野: もともと故郷でという思いはあったんですか。
岩切: あったんでしょうけれど、帰っても仕事がなさそうだし、博多で止まっちゃった。Jターンですね。当時、磯崎さんが九州で色々仕事しだした時期でしたね。
布野: 磯崎さんも東京ではほとんど仕事してないんだよね。
岩切: 事務所を構えて二〇年ぐらい、細々と、大分、佐賀、熊本、九州一円でやってきたんです。
布野: 供給公社の計画住宅地の角々に変電設備の小屋ですか、小さな仕掛けの楽しげなデザインを色々やってましたね。今日見せてもらった中では、まちづくりにつながるという意味で面白いと思ったんですけど。
岩切: まちづくりへつながる仕事がなかなかないんですよ。行政当局は、どかーんと神殿のようなものが欲しいというわけですよね。宮崎にもそういうのがどかんどかんどかんと建ってます。小さな椎葉の民家のようなコンセプトの作品持っていったら、もっとギリシャの神殿のようなもの持ってきてくれと言われてポシャッたケースがある。小さなものでその価値が正当に評価されずに見捨てられてきたものがいっぱいあるんです僕たちはそういうものを見ていきたいんです。
照葉樹林文化論
岩切: 文化財としてではなくて、生活としてあるわけです。内容的には深いものがある。そういう日常的な感覚から建築していくムードづくりが必要なんだ。行政というのはどうしても仮もので、表層的で、見栄えのいいものへという発想に流れていってしまう。生活として根づいてものがあるわけだから。僕は、照葉樹林文化論ということで綾町でシンポジウムを五、六回やってきたんです。
布野: 照葉樹林文化論がアジア論のベースにあるわけですね。
岩切: 生活の基礎になってるものが問題なんです。建築でも同じですよ。福岡ですと、色々テーマがあって、伝統の町、国際交流の町、祭り山笠など町民文化をベースにした市民を結びつけるネットワークのようなものがあるわけです。そういうものを中心としてまちづくり運動は展開していける。僕は、そういうのには参加できませんよね。事務所の連中はやらすんですけどね。宮崎はそういうのが少しものたりない。人に自慢できるものがね。
布野: そこで、照葉樹林文化ですね。朝の連続ドラマの「走らんか」が、山笠と博多人形師の世界を描いてますね。しかし、博多は変わりましたよね。日本の町じゃ無いみたい。
岩切: 九州の一極集中ですね。そういう意味で福岡は恵まれている。
布野: 九州に日本の縮図が見れるのかな。
二拠点主義
岩切: なくなった木島安史さんと水谷穎介さんと二拠点主義はいいよねという話をしたことがあるんです。代議士だってそうですね。拠点を持ちながら、活躍する拠点は別なところを持ってればいいんだということね。
布野: わかりますね。東京出身の連中はうらやましがる。行くところ無いから海外へでちゃう。僕ら地方出身者は三段跳びは難しい。それで帰ろうかどうしようかとなる。
岩切: 建築家も同じですね。海外へいっちゃうタイプをみてると。
布野: 二拠点主義がいいのは、地域を相対化して見れることですね。地域のしがらみをクールに見る眼が持てる。
岩切: 竹の会をつくったのもそうですね。宮崎には大学の建築学科もないし、少し情報を入れた方がいい。中央と地方の問題も考えられるし。九州で言うと博多は表で宮崎は裏、東京から見ると博多は日本海側でしょう。いろんな見方が出来る。宮崎も自前の根強い視点を確立するためにも最低二つの拠点が必要ですね。
布野: 何もないというのは嘘でね。どんな地域にも歴史があるし、暮らしの形がある。歴史性が非常に強い、例えば京都のような町に比べると、そこにいない気楽さがあるかも知れない。気候もいいし。
岩切: 環境的な明るさ、気楽さ、そういう魅力は空間のあり方にもつながっていると思うんです。
アートポリスの衝撃
布野: アートポリスの評価はどうですか。九州では。
岩切: 結局、地を這うような仕事をしてればいいと思うんですけどね。確かにインパクトはあったかもしれない。色んな賞を採った作品もあるしね。ただ、自治体は色々大変らしいですよ。
布野: 磯崎さんがやってるから信頼感はありますけどね。
岩切: 積み重ねてきたシステムを壊すから混乱はありますよ。共同住宅も突然デザインということになるわけだから。デザイナーと言われる人が地域性を壊すということもあるんですから。
布野: 仕事を配るという意味では構造はあんまり変わっていない。ボスが磯崎さんだというだけですからね。中央の偉い先生がやってくるのは同じですね。博多のネクサスも同じですかね。九州は、磯崎さんを軸に色々実験的なシステムがある。
岩切: 結局、地域性の積み重ねをどう理解するか、どう積み重ねるかが問題なんです。
連歌か俳句か
岩切: まちづくりについて連歌か俳句かという問題がある。ところが、連歌をやると腕が落ちるということがありますね。
布野: どういうことですか。
岩切: 建築家のジレンマですね。隣を気にしてやるのは建築家の大きな役割なんだけど、腕を磨くためには連歌をやりすぎるとだめだということがある。創造性が殺がれるんです。一流の世界ではないですよ。連歌は、自分を表現するトレーニングにならないんです。
布野: 連歌も俳句も実際やられるから説得力があるんですが、連歌も集団的表現の魅力があるんでしょう。連歌は連歌の楽しみがある。集団創作の世界ですね。それがトレーニングにならないというより、トレーニングしてないということはないですか。一般の人に言わせると、建築家は下手くその自己主張ばかりしている。
岩切: 結局、ヴァナキュラーな世界は連歌の世界ですよね。みんながルールを共有する世界があって納得してつくっている。逆に言うと、自分を殺してつくるということも起こってくる。伝統的な街並みの中でつくるとなるとそうでしょう。ひとつひとつみると違っているんだけど、全体はひとつになっている。確かに、建築家はそうした訓練をしてないということはあるかもしれない。
布野: ルールがあれば凡庸に仕事しててもいいということも起きる。
岩切: 連歌の約束事がすごく大変なんですよ。月の条とか、花の条とか、恋とかね。春の次ぎに夏の季語とか、とにかくめんどくさいんです。
布野: 要するに、ひとりで連歌も俳句もできる能力が必要なんですね。建築家には。
岩切: 結局、「褻」の建築をやっていくためなんです。晴れと褻の褻ですね。イヴェントのまちづくりではなくて日常的なまちづくりということですね。褻に埋没するんではなく、褻を表現にしていく、そんなトレーニングが必要なんです。
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