合宿物語 「鯨の会」通信 連載④ 1988
布野修司
前回、谷田君のことを書いたら、梨を送ってもらった。鳥取の二十世紀だ。みんなで御馳走になった。ありがとう。他の研究室にも配った。実においしかった。こうでなくっちゃ。智頭には11月11日~13日、再び行ってきた。一日がかりの大審査、激論に次ぐ激論の末、グランプリ二点(各150万円)と優秀作十点(各30万円)を決めた。ふたを開けてみたら、グランプリの一つに、諸君の知っている(であろう)建築家、高崎正治が入っていた。しかし、それにしても、鯨の会からは誰も出さなかったんじゃないか。出せば少なくとも30万円はとれただろうに。と思うと、情けないやら、腹がたつやら……。とにかく頭にきたぞ。どんどんコンペに出すこと。出して入選したら、賞金でおごること。
昨日(11月21日)は、英語で2時間半の講義をやってきた。できるかって。まあ何とかなるものよ。英語は恥をかくことを怖れなけりゃ、通じるものよ。もっとも通じたかどうか知らないけれども。JICA(国際協力事業団)の住宅建設技術研修セミナーである。講義題目は「日本と第三世界における住宅生産システム」(Housing Const-ruction
System in the Third World Countries and Japan)である。インドネシア、エジプト、チリ、フィリピン、ヨルダン等13カ国、聞き手は皆若くて優秀な政府高官である。東南アジアと日本におけるわが研究室の研究成果をぶつける絶好の機会でもあり、毎年やんなくっちゃと思いつつあるところだ。
10月の「鯨の会」は実に面白かった。岡君のレクチャーはなかなかためにもなった。でもきっとその報告は、面白さを伝えないだろう。今年の卒論生は随分とサボッてる(ということは僕がサボッとるということだが)。もう少しましな、来ない人にも内容のわかるレポートを書けんのかね。
と思いきや、11月19日の卒論中間発表会では皆頑張った。どうも要領だけはいいらしい。誰に似たんだろう。誰が指導したんだろう。
上原珠枝さん(82年卒)、平野敏彦くん(83年卒)、赤羽司くん(84年卒)と、このところ結婚ラッシュである。澤原武彦くん(83年卒)も来春に結婚の予定。とにかく、めでたいめでたい。みんなも、だんだんおじんになるぞ、おばんになるぞ。ウッシシ(なんのこっちゃ)。だけど小生は決して諸君より若くはなれないのだ。せめて気だけはいつまでも若くなくっちゃ。
そういえば、うろ覚えだけど、「鯨の会」多摩支部が結成されたようだ。メンバーは、奥富敏樹(85年卒)、町田真一(85年卒)、石井敬一(85年卒)、中条広隆(85年卒)に僕。何だ、皆同じ学年じゃないか。しかし、中条がなんで入っているんだ。初めて(?)おごってもらった。教え子におごってもらうことがこんなに気持ちがいいとは知らなかった……。
ということで連載を続けよう。
第一回の合宿である。場所は新潟県の粟島。この合宿を企画し、組織し、実行したのは、山口茂(中央住宅)、塚越実(近藤建設)の名コンビである。この二人によって、布野・宮内研のその後の合宿のスタイルは決定されたといっていい程だ。
都市病理じゃなくて人間病理だと悪口を言うのもいたけれど(言ったのはもちろん僕だろう)、このコンビの漫才にはとにかく一年中笑わされた。そのハイライトが粟島での合宿である。研究室には今でもその時の分厚いアルバムが置いてあるのであるが、毎年開いては吹き出している。
度肝を抜かれたのは、確か山口君が妹に書かしたのだという宴会用垂幕というか横幕が用意されていたことである。第一夜、「布野大賞争奪歌謡大会」。第二夜、「宮内大賞争奪大隠し芸大会」。第三夜、「第一回布野・宮内合同合宿記念祝賀パーティー」。毎夜、大きく墨書きされた横幕を取り替えて大騒ぎだったのだ。この時の合宿には、岡君、稲葉君、それにAURA設計工房の浜田羊介さんが参加している。それにもう一人、他の研究室から誰か参加している。誰か浅瀬に飛び込んで額を切って大騒ぎしたんじゃなかったっけか。誰だっけ。
もちろん、宴会だけじゃない。きちんとゼミもやった。しかし、圧倒的に覚えているのはとにかくめちゃくちゃ楽しかったことだ。本村は、小屋をつくるんだとかなんとか馬鹿なことをやり出すし、もうテンヤワンヤであった。二人の初代マドンナの水着姿が初々しかったのが昨日のようだ(いつか歴代マドンナ列伝をまとめよう)。
極めつけは粟島一周チャリンコ・レース。この時の記憶が三宅島一周レース(83年)に結びつくのだけれど、とにかく疲れたよなあ。
この研究室合宿というゼミは、他の大学にそうそうない、とてもいいシステムだと思う。研究の一つのステップを区切れるし、何よりも、学生生活の大きな想い出となる。諸君にとっても、合宿が一番印象深いのではないか。忘れないように、そのリストを挙げておこう。教師の特権で、同じとこには二度と行かないのだ。
(1978) 青 木 湖(長野県)クッソー
1979 粟
島(新潟県)
1980 松 原 湖(長野県)
1981 裏 磐
梯(福島県)
1982 金原温泉(長野県)
ゲスト:永田洋明
1983 三 宅 島(東京都)
ゲスト:高野雅夫(生闘学舎)
1984 淡 路 島(兵庫県)
ゲスト:山田修二(淡路かわら工房)
1985 松 崎 町(静岡県)
ゲスト:石山修武
1986 竜神村・田辺(和歌山県)
ゲスト:渡辺豊和
1987 美ケ原高原(長野県)
ゲスト:渡辺豊和(京都芸短)・安藤正雄(千葉大)と三大学合同
1988 佐 渡
島(新潟県)
ゲスト:安藤研(千葉大)と合同
残念ながら、民宿の記録がない。合宿の話を書くと、毎回、それだけになってしまうので、各年の合宿幹事に後はまかせたい。それぞれ合宿の想い出を書いて送って欲しい。そうすれば、僕が書かなくても、それをそのまま載っければいい。僕も助かる。
ところで、第四回、鯨の会には、わざわざ長野県(岡谷)から、斎藤正行君(79年卒)が出席してくれた。出張をうまく合わせてくれたのだという。こういうのはうれしいねえ。しかし、それにしても全然変わってない。人間なんてそう変わりゃせんのだ。
飲むほどに「先生の言うことも全然変ってませんね」とくる。「そりゃあ、進歩しとらんということか」。「いやあ、ボカァー、先生と勝負してますよ、今でも」。「おまえこそ、全然変ってないじゃんか」。「そうだねえー」てな具合いだった。
その時、この原稿の話になった。合宿のことだけ書きゃいいよなといったら、鍋があるという。
鍋とは何か。そういや冬は、研究室で毎晩のように鍋をつくって酒飲んで、何か集計してたんだ。主役は、保坂順一君。彼の親父さんは寿司屋で、門前小僧よろしく、何でもさばいて、つくってくれる。あれもうまかったなあ。その後、電気釜を入れれば、インスタントラーメンの時代もあった。研究室の食の歴史もまたいずれまとめよう。そういえば、東洋大に来て真っ先に買ったものって何だと思う。冷蔵庫なんだよ。
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