遠藤剛生 場所を読む力,新たな建築家像を目指して 布野修司対談シリーズ2,日刊建設通信新聞社,19960327
布野修司対談シリーズ
新たな建築家像を目指して
場所を読む力
ハウジング・アーキテクトとして生きる
遠藤剛生
生きているまち・・・多元的空間の連続性
布野: 今日は名塩の仕事をじっくり見せて頂きました。長野オリンピックの選手村の仕事にしても、阪神淡路大震災の復興の仕事にしても、ハウジングが中心ということになりますね。
遠藤: 名塩は、もう一〇年位になります。公団のプロジェクトで、与えられたその時々のテーマに対して、どう考えるかを提案してきてるんです。最初手がけた頃とはずいぶん変わってきた。静止画像みているような一元的な空間構成、美しくつくるとか鮮やかにつくることから、過去のその場所の力のようなものを読みとっていく、また同時に未来に対しても何か提案しておきたいと思うようになったんです。住む人が、つくった建築をつなげていってくれる連続性を意識し出したんです。
布野: 建築家としては仕掛けを先に仕込んでいく?。
遠藤: まちというのは、ずっと動いているというか、生きているわけです。静止している状況というのはない。最近は、多元的な空間の連続性みたいなものを建築の中で、追いかけてるんです。
布野: よくアジア的な空間とおっしゃったりしてますね。
遠藤: 一元的で固定した秩序観から多元的で複合的な重層化した空間の価値観を僕はアジア的と思っているんです。左右対称でびしっと決まっているものから、カオスの美しさというか。寝屋川や門真あたりにいって、文化住宅の中に入っていきますと、細い路地とかありますね。空間の連続性と変化みたいなものがそこにある。雑然とした中に美的なものというか、安定感のようなものを感じるんです。雑然としているけどある秩序観がある。従来の建築家の価値観で捉えた建築とすこし違う、生活者がその環境をつくっていってくれる、育てていってくれる。建築自身がどんどん複雑になっていくというか、どんな建築でも一つや二つの要素で、できあがっているわけない。いろんな要素を沢山読み込めば読み込むほどおもしろくなっていく。沢山条件があるほど手間暇かかりますし、すごいエネルギーがいりますけども。
場所をデザインしぬく・・・空間の構造と仕掛け
布野: 何となく遠藤スタイルというのが出来つつありますね。
遠藤: 以前中心になっていたのは空間構成における構造なんです。システムのようなものです。システマティックにつくろうというのではないのですが、拠り所というか手がかりがいる。一戸の住宅が群として集まってくる時に集め方のルールというのが何かないとまずい。かなりのスタッフが同時に関わってつくる、その時に共通の方法をもっていると、作業がスムーズにできる。住宅を集める時に、そこにある秩序観がなければ、最終的に環境として心地良さに収斂していかない。住戸自身もそうだし、共用の空間も外部空間もそうです。
布野: 方法の問題としても変化してるわけですね。
遠藤: 住戸ユニットの最小単位を考えた時代もありましたし、一つ一つの部屋、和室だとか洋室だとか寝室だとかそういうものを最小の単位にして考えたこともある。いろんな組立が可能なスペースユニットのようなものを考えて重ねてみますと、いろんなタイプが重ねられる。面的に広げていくと、また別のものができて、外から見ると、非常に複雑怪奇なようにみえながら、実は単純明快なんです。
布野: 山本理顕さんの場合は、家族のあり方によってどうnLDKを超えたプランタイルができるか、といった視点がありますね。
遠藤: 熊本の保田窪の住宅は凄いと思います。いろいろいいますけど、それは枝葉のはなしでね。自分達で手を加えていけば、どんどん何かができていく。あの予算の中で、よくつくったなと思う。仕掛けができてる。教条的な、集合住宅はかくあるべしという感じでなくて、住んでいる人達がうまく住めばという視点がある。
布野: 吉田の場合はどうなんですか。ずいぶん複雑に見えますね。
遠藤: 僕は、不満なんです。均質なものの連続性の中に何となく従来のタイプと少し違うというものでしかない。均質なものをいくら重ねていっても、多様性には到達しないと思うわけです。どういう要素を盛り込んでいけば、そうなるのか。やはり道との関係が大事だと思う。また、場所のもっている特性を最大限に活用してみようと思うようになった。六甲山の裏山がすごく美しく見える所はそちらにリビングをつくろうとか、システムを場所に当てはめるときに個別に考える。階段も一番東の階段と次ぎと真ん中と一番下と全然違う様子が違う筈だ。
布野: 場所をデザインしぬくことですね。共用空間の多様性というのも重要ですね。共用空間に居住者がもっと手をいれてもいいということもある。建築家が一方的に提案しても住み手がついてこないという面もある。インドネシアでJ.シラスがやっているのは、コモンリビングなんです。通路がリビングになってる。コミュニティの質も違いますし、キッチンも共用だったり、日本とは状況が違いますけどね。日本でも、さらに、コレクティブ・ハウジングなど多様な展開も考えられる。
プロセスとしてのハウジング
遠藤: 今僕が問題としているのは、建築家が提案したその先のプロセスこそ大事だということです。計画サイドのプロセスもあれば、生活者がそのプロセスを受け継いでいくということもある。その可能性をどこまで残していけるか。空間の形は固定的です。生活者が生活を展開していく、その変化が繋がっていくことが大事です。自然との共生だとか地球環境に対する提案だといいますけど、結局行き着くところは、生活のプロセスです。岡山でやろうとしていることも、生活そのもののプロセスを将来も歩んでいけるような仕掛けをしたいということです。
布野: 名塩の場合は、公団との持続的関係ができている。持続的にタッチしていける建築家はそういない。行政だって3年毎に変わっていきますし、一般的には建築家が長く集合住宅とある回路でつき合うようなことは珍しい。
遠藤: 私の場合でも住民と直接そんなに深くつきあっているというのは、ほとんどないんですね。建ち上がると、販売だとか、直接住民との窓口にでるのは公団ですから。
布野: あるプロジェクトをずっとみていくことは一般的に仕組みとしてはないわけで、個々の建築家の力量というか執念というか、こだわりですね。
遠藤: 名塩が特殊な例なんでしょうね。斜面地だったということで、誰でもが手がけられるようなプロジェクトではない。下手にやりますと、すごいコストがかかるし、とんでもない住みにくい住宅ができる。技術的なこと、コスト的なこと、土地の状況、いろんな意味でよく経験している、ということもあった。遠藤なんかいやだといわれれば、仕様がないなと思いますけど、出来れば、ライフワークの一つとして、位置づけたいというくらいに思っています。
デザインの一体化・・・何を売るのか
布野: 土木との境界、まちづくりと住宅との境界のデザインについての能力は、手前みそかもしれないけど、建築家の側にあると思うんです。よりトレーニングをしてきている。ただ、持続的にまちづくりにかむ仕掛けをするには、建築もわかるし、造園もわかるし、土木もわかると、そういう能力をもっている必要がある。
遠藤: もっと大きなファクターは、分譲住宅だと分譲がスムースだったかどうかということなんです。結果的にいい建物が建ってくれたけど、さっぱり売れなかったというと、もう二の足踏みますから。そういう意味で、売れたということがすべて優先して、売れる要素として、コストバランスが良かったとか、技術的に無理をしていなかったとか。住宅自身も居住者から非難される問題はなかったとか。あらゆる問題がそれなりにバランスしてないといけない。
布野: デザイン的に売れないといけないというと、かなりきわどい面もあります。自分の表現が大衆に受け入れられないといけない。作品性に拘る建築家だと、とてもハウジングをやってられない。
遠藤: 特別に大衆に受け入れられるためにはこういうデザインがいいとか、そんなことは思ってません。唯一考えているのは、住戸内環境と住居内のグレードだけで、一般の人は評価するけれど、共用の空間とか外部空間をどう環境としてきっちりしつらえておくか、ということですね。住んでみたらこんなしつらえがしてあったとかね。思いも寄らなかったことがたくさんあったりすると、そこではじめて他の集合住宅との比較の中で、これがいいんだなということになる。その場所その場所でアイデアを盛り込みながら共用空間を仕掛けていく。特別に媚びを売るようなデザインをするようなことは考えていないんです。
布野: 所々遊んでいるんだけども、骨格にひびく遊びではないですね。抑制が効いている。それが売れているということは、そういう時代なんですね。ただ、全体のランドスケープが魅力的なんですね。ただ、一般的には土木との境界の仕事にはなかなか建築家が手だせない。
遠藤: 名塩の土地は、イレギュラーな土地で、上ものが本当にのっかるのかということがあったから、最初から調査をお手伝いしたんです。集合住宅がそもそもランドスケープと一体的なものなのです。日頃から建築と土木を区別してなくて、民間の場合は、ほとんど全部自分でやっているわけですからね。そういう考えをどんどん持ち込んでいくと、お役所サイドでも、こういうことを任しておいてもいいのかというようになる。なんとなくうまく引き込んでもらったという感じです。名塩の場合は、キーコンセプトの一つの中に、斜面だからこそ要壁をつくらないということがある。土木の仕事とか建築の仕事とか言ってたんでは、出来ないんです。最初の段階からランドスケープも土木も建築も一緒に同じテーブルの上で議論しながらすすめていったんです。
デザインコントロールの手法・・・幕張 長野 岡山
布野: 景観形成とかまちづくりの手法として、マスターアーキテクト制とか景観マニュアルでいくとかいろんなコントロールのやり方が試されていますね。岡山のキーセンテンス方式とか。幕張の場合は、街路に対しては壁面をきちんとそろえるという大方針がありますね。
遠藤: 同じ囲みでも、場所によって違うと思う。幕張の囲みと神戸の囲みは違うだろうし、幕張は幕張でも場所によって、違います。長野の場合、たまたま駅前広場のすぐ前だということで、場所毎にゲート性を表すゾーンだとか、裏側には、戸建ての集落があるよということが、全部示されているわけです。その場所の関係を読みながら、具体的な表情をどうするかとか提案するわけですね。。
布野: 長野の場合は、幕張よりガイドラインが弱いんですね。
遠藤: そうきつくはない。勿論、壁面後退とか大きなフレームはあるんです。それよりも、この場所はどういう位置づけにあるんだということが示してあって、それをどう読んでいくかが、非常に重要なポイントだったんです。ゆるやかな連携とか協調あって、ゆるやかな独自性の発揮の仕方があって、ということで、議論しながら、一週間毎に成果品をだし、また問題点を洗い、調整しながらやっていったんです。
布野: がちがちにやるよりも、ゆるやかに建築家の能力に期待するということですね。
遠藤: 僕は基本理念を共有すれば、イタリアの山岳都市だとかいうようなテーマパークをやる必要はないと思うんです。大風呂敷ひろげますと、宇宙の生態系の中に、我々はいるわけです。大きくは、その枠から踏み外さない、まちのつくり方、環境の作り方を考えていれば、テーマなんていうのはいらない。名塩は名塩の自然の条件を読みながらやればいいし、岡山は岡山で周辺の状況を読めばいい。妙にテーマをいじりまわさない方がいい。マスターアーキテクト制度というのも、悪くはないと思いますけど。香里団地で、これから二〇年かけて五五〇〇戸の住宅を建て替えようという話がある。まづ何戸ぐらいまでをまとめるかという規模の議論がひとつあると思う。それから、時間。二〇年一人が見るのか。五年なのか。三年か。そういう数の議論と時間の議論をしないとだめでしょう。五〇〇戸なら、一人のカラーでまとめてもいいけど、大阪のまち全部できるのということがある。
布野: イージーなやり方ですと、素材を規定するやり方がある。形態規制とか、カラーの規制とか、一般的に考えますね。
遠藤: やればいいと思います。ただ、瓦を黄色にしましょうとか、壁はこうしましょうとか、言った途端、それさえ守っておけばいいということになる。全然パワフルではなくなるんです。能力、資質をもった建築家を選択しなさい、というのはそこのところです。まちをつくっていく、住宅をつくっていくということは、古いものを、歴史をコピーすることではないですよ、というところをしっかり押さえておけばいいんです。周辺の集落との関係を調和あるものにしましょう、といわれたら、調和とはどういうことかとかを、しっかり考えながら、みんな思い思いの提案をしていく、ということが出来れば、一人の誰かが、ある特定のカラーで一色に染め上げてしまうよりも、そこに多様さとバラエティ豊かな環境が生まれて来るんです。
ハウジング・アーキテクトと地域
布野: いろんな所で仕事をされているわけですけども、こだわりをもってやる場所とか、依拠する拠点、地域はあるわけですか。タウンアーキテクトというかコミュニティアーキテクトとハウジング・アーキテクトはどう理念的にどう異なるんでしょう。
遠藤: 今大阪で仕事をしていますけど、大阪にこだわっているということは、全然ないです。僕は生まれたのは山形なんです。おやじが役人していまして、仕事の関係で、転々と動いているんです。秋田で小学校に入学して、中学校は岡山で、ということで動いてます。その間に住宅も七、八回変わっていいるんです。そのことと関係あるかどうか知りませんけど、どの場所にも、そんな思い出があって、どうしてもここでなきゃ、というのがないんです。戦略もなければ、戦術もありません。いいにつけ悪いにつけこれだけ集合住宅にどっぷりつかっていますから、それがベースでしょう。やりながら、一つ一つ目の前の問題を、次ぎはこれがテーマだと、次はこれがテーマだという形で、ずっとこなしていってる、という感じですね。
布野: 雪が降ったり寒いとか、地域で違う条件がありますね。
遠藤: 屋根の素材とか、勾配はどうしようというと、南に片流れの屋根が一番問題が少ないという。だったら、南の片流れの屋根で設計しますと、素直なんです。ただ、ここでは囲みの路地型のようなルーフストリートのあるタイプの住宅を提案している。そこで新しい形といいますか、建築のビルディングタイプのようなものが生まれてくる。生活がこうあればいいなというはなしと、地域の問題と、雪だとか気候風土の問題とからめていくと、新しいものが生まれてくると思います。雪の細かい問題については、地元の建築事務所と共同でやってますから、技術的なことはアドバイスいただいています。地域の場所性については、ある部分は読めるけども、ある部分は全然読めない。
布野 地域の建築家と組む場合にも理念が共有されていればいいと言うことですね。
遠藤 ただ地元と組むということは、日頃やり慣れている皆さんと組むわけでないですから、お互いに苦労がありますよね。きれい事でいえば、我々の経験したことを、地元の人達が同時に体験して、地域の建築のレベルを上げるということにも繋がればそれはそれでいいなと。実態的には、なかなかそうはいかないかもわからないから、この建物はこの事務所、この建物はこの事務所というんではなくて、全部我々が日頃事務所で仕事しているのと同じように、スタッフの中に加わってもらって、あなたは展開図書いて下さい、あなたは断面図書いて下さい、というようにお互いにレスポンスしながら、一つのチームを組んで、わっと上げていったんです。
遠藤: 今一番気になるのは公営住宅です。都心居住の質的向上をはかろうとい事で、今度制度を見直したりとか、いろいろやられていますね。僕、冗談いっていたのは、一番有効な手段は、制度変えたりなんかすることでなくて、建築家にもっと金出せよということ。一遍に変わるよということを言ったんです。楽屋裏のはなしだったんですけど。それは何かというと、公営住宅は低所得者を対象とする住宅であると、ここまではわかります。だから贅沢はできない、あるレベルの質的なものは担保するけども、それ以上のことはできない。だから設計料も安い、これは違うでしょう。
布野: フランスでは、公営住宅はコンペで若い人の登竜門になっているといいます。必ず公営住宅をやってデビューするというのはなかなかいい仕組みだと思います。
遠藤: そういう意味では日本も今度の神戸の震災で、一気に住宅建てなきゃいかんけども、有能な人材が少ないというか、限られた人でものすごい量をやらなくてはならないということで、苦慮されている。若い人で能力あるし、やる気のある人達はいっぱいいるわけでね、そういう人達をもっと活用していく方法をなんか考えるべきだろうと思いますね。
布野: そうなんですね。それがなかなか動きそうにない。ボランティアでもいいんですが、ソフトの面にお金がでない。
遠藤: 例えば短期間にぱっとやらなくてはならないでかすぎるようなかたまりがあるとすれば、その一つのかたまりを、例えば長野方式、岡山方式じゃないですが、地元の事務所と組むように、あるキーになる建築家が何人かの気心の知れた人を集めて、その責任においてまとめていくとか、方法はいろいろあると思います。直接役所との応答がなくてもね。ちゃんと個人の主体性は確立され、作品としての評価だとか、業務の内容が知らしめられてね。正当なきちっとした位置づけで、できるような中で、そういうことができれば、すごくいいなと思います。
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