このブログを検索

2025年3月3日月曜日

研究室誕生 「鯨の会」通信 連載③  1988

 研究室誕生 「鯨の会」通信 連載③  1988

                                                  布野修司

 

 大学院の北川君から電話があった。僕が研究室に居て、彼は外だ。明日までにこの原稿を書けという。どうもおかしい。いつもは僕の方が外から指示するのに調子がくるう。去年は、上村久司君(現在、JKK 住環境研究所)が主(ぬし)のように研究室に棲みついていたから、随分と助かった。今年は、スラムに僕一人ということも少なくない。それに昨年はインスタントラーメンだったのに、今年の四年生はちゃんと出前を頼む。ずいぶんと優雅である。おかげで、僕もちゃんと昼食をとるようになった。研究室は集まってくる学生によって毎年毎年雰囲気が違うのである。

 しかし、べらぼうな話だ。いくら気楽に書くといったってあまりに急だ。自分で書いてみろといいたい気分でペン(サインペン)をとったところである。

 今年の夏というか8~9月は実に変だった。異常気象もこう続くと異常気象じゃなくなる。地球はきっとおかしくなりつつあるような気がしてならない。広瀬隆の「危険な話」は読んだかな……。

 7月の半ば、鳥取県の八頭郡は千頭(ちづ)という町に出かけてきた。「ちづサンフォーラム」という千頭杉を用いた住宅コンペのプレシンポジウムのためである。わりと真面目な話は『建築文化』九月号に書いた(「地域の活性化とは」リレー時評)から読んで欲しい。大失敗である。折角鯨通信があるのに諸君に参加を呼びかけるのを忘れた。正確には、頼んだんだけれど事務局が忘れた。審査員をやるから、関係者を入選させるわけにはいかない、などとは決して思わない。どんどん参加して欲しかったのだ。あわてて身近に声をかけたけど何人が応募してくれるか。締切は10月末である(登録締切が8月末だったのだ)。

 鳥取県と言えば谷田昭道君(81年卒)がいる。あの美声の、天使の声の谷田君だ。一度テープを送ってもらったんだけどお礼を書き忘れた。今度も、連絡し忘れた。御免。その後、曲が出来てきたらまた送ってちょうだい。あつかましいかな。

 でも行ってみて、いくつかの感激的なことがあった。一つは、二人の東洋大のOB(3期と7期)に会えたことである。もう一つは、『スラムとウサギ小屋』を読んで来たという高校生に出会ったことである。高校生だよ。読んでない諸君も多い(だよね)というのにである。東南アジアが忙しくて日本はあまり歩いてこなかったけれど、どんどん歩きたい気分である。

 昨年、「都民の家」というコンペの審査員をやったけれど、今もう一つ川口市の都市デザイン賞の審査も頼まれている。そんな歳になったのだろう。鯨の会のコンペ入選の声を早く聞きたいものだ。

 ところで合宿は佐渡へ行ってきた。千葉大の安藤正雄研究室との合同合宿である。思えば、昨年は、美ケ原高原で、京都芸術短大の渡辺豊和研究室も加えた三研究室の大合同合宿であった。今年は、五大学でインター・ユニヴァーシティーでという声もあったけど、二大学となった。石見一彦君(80年卒)に会った。ただただなつかしかった。少し太って中年になりかけていたけど、ちっとも変わりなかった。ただ、佐渡は嫁飢饉とかで、嫁さんのきてが少ないという。困ったもんだ。

 ところで、思い出したから書いておきたい。来年2月21日から3月15日ヨーロッパへ行くことになりそうである。都合のつく人は一緒に行こう。旅費は45万ぐらいかな。三週間は長すぎるかも知れないし、年度末で忙しいかもしれないけれど。最近は円高で学生は沢山集まるのだけれど、鯨の会の諸君がいてくれると学生の相手はまかせられると思ったりなんかしたりして……。その旅行プランを同封します。入ってなかったら、いよいよ事務局は駄目だと思って下さい。

 さて連載を続けよう。

 

 最初の年(78年)は、楽しく、優雅にあわただしくすぎた。79年の1月には、最初の東南アジア調査に発っているから、その準備に忙しかったのである(東南アジア研究については前号にも触れられているので、またの機会にしたい)。最初の講義は「建築意匠Ⅰ」である。何故かうれしかった。授業でも何度か話したけれど、「建築計画」という科目の前身が「建築意匠」である。先祖返りして、より好きなことがしゃべれるとうのが魅力的であったのである。「建築計画」は建築を狭くしすぎている、そうした思いが強かったのだ。

 「建築意匠」という講義は未だに固まってこない。「近代建築」を素材に好きなことをしゃべっている。途中で試験をやり始めたのは、あんまり好きなことばかりでいいのかと反省したからである。

 ジャカルタ→パダン→メダン→トバ湖→ジャカルタ→バンドン→シンガポール→バンコック→ホンコンと回って帰ってばたばたしているともう4月である。一年目は楽をしたのだけれど、卒論生をとらなければならないというので、卒論テーマを考える。実際、何をやろうか色々考えたのだと思う。それより果して卒論生が来てくれるかどうかも心配であった。今でこそ人数が多いと嫌だなんて心底思うのであるが、もし一人も来てくれなかったら、卒論テーマもくそもないのである。

 とはいっても、当面自分の関心を貫くしかない。そこで、一つは、東大の頃に手がけ始めた住宅の増改築についての調査研究を軸にしようと考えた。「住ストックの更新とその改善諸方策に関する研究」というテーマである。それともう一つ、東南アジア研究がテーマになる。幸い大学院に進学した稲葉君、M2の岡君がそれぞれの軸になってくれそうな予感があった。

 以上はいささか地味である。そこで宮内先生と相談して、同時代建築研究会の関心からいくつかテーマを出すことにした。まずは、日本の近代建築史に関する研究、そして都市病理研究である。この都市病理研究は、その後紆余曲折するのであるが研究室の大きな流れをつくった。そういえば事務局の那須君も八巻君も都市病理の出である。初代から始まって、ユニークな人材が沢山集まっている。

 もう一つ、空間論研究というテーマもつくった。当時、設計をやる研究室は、山崎研究室、前田研究室、太田研究室とあったが、設計についても少し配慮したかったからだと思う。ただ、卒業設計を始めたのは、4期の飯塚君からである。以後、昨年をのぞいて毎年、卒業設計賞を獲得してきた。昨年も設計製図賞をもらったから設計は大きな柱となってきたといっていいであろう。忘れるといけなから、以下にメモしておこう。

  82年  卒業設計賞  飯塚 保

  83年  卒業設計賞  平野敏彦

  83年  設計製図賞  小美野聡

  84年  卒業設計賞  村木理会

  85年  卒業設計賞  奥富敏樹

  85年  卒業設計賞  松田和優紀

  85年  設計製図賞  岡坂 巧

  86年  卒業設計賞  浅見佐智子

  86年  卒業設計賞  内田泰啓

  87年  設計製図賞  新居隆晴

 そして、集まったのが山口、塚越、保坂、木下、斎藤、金井、本丸、そして斎藤、三浦の九名である。佐藤、三浦は今では今井、市川に姓が変わっている。9名というのはいい数である。その後20人というときもあって10名以下になることはなかったのであるが、今年7名となって(8名以上とってはいけないルールとなって)そのことを余計に感ずる。じっくりつき合える。学生も教師もサボれない感じ(あるいは教師がサボれば学生もサボる。学生がサボれば教師もサボる)がはっきりとわかるのである。

 教師をしたものであればおそらく同じであろう。最初の年はとりわけ印象深いものである。とは言え、どんな研究をしていたかというと相当あやしい。試行錯誤である。強烈な印象に残っているのは、やっぱり合宿である。

 

 ここで時間が切れた。次は、もっと早く締切をいうようにネ。


0 件のコメント:

コメントを投稿

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...