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第4回八束はじめ・布野修司対論シリーズ
現代の都市論ーマッス、速度、政治ーOn contemporary cities - Mass,Velocity and
Politics -
ゲスト
■羽藤英二(東京大学工学系研究科社会基盤学専攻教授)
■八束はじめ(建築家、建築批評家。芝浦工業大学名誉教授)
■布野修司(建築計画、アジア都市建築史、建築批評。日本大学特任教授)
八束:時間なので始めたいと思います。今日は羽藤英二先生をお呼びしています。東大で教えておられますが、世界中を飛び回っていろんなことをやっていらっしゃる方です。私がはじめてご一緒したのは、2011年に「東京2050//12の都市ヴィジョン展」という展覧会があって1、タイトル通り12チームが参加していたのですけれど、私(芝浦工大)と宇野さん(東京理科大)と羽藤さん(東大)の各研究室が、いずれも出品チームでした。そのときに彼にレクチャーをやって頂いて、基本的には復興の話から始まったので、実はうーんまたかとか思いながら聞いていたら、どんどん面白い話になって感銘を受けました。その後私がやっていた都市デザインの研究会にもゲストとして来ていただいて、これまたえらく面白いレクチャーでした。それ以来、歳は結構離れているのですが、私にとって数少ない(笑)、尊敬する都市工学者―交通工学の専門家というと、ずいぶんと話が限られてしまうのでそういっておきます―になっています。彼の仕事は本当に的が絞れないくらい多岐にわたっていて、私も理解している自信はないのですが、都市と国土とかを、フローというか、マッスの動きとして、大きなスケールから小さなスケールまでをカバーしている。交通がベースだから、本当の専門は数理、数量解析みたいなところで、そこでは世界最先端を行っている人ですが、話しているといきなりミシェル・フーコー2が出てきたり、酒井抱一3が出てきたりして、要するに理数系も文化系も両方いけるという非常に稀な論客です。昨日MITに行っていたと思うと今日はネパールに行っているとか、世界中に神出鬼没なので、たぶん私と布野さんのテリトリーの両方に跨っておもしろい話が聞けるのかなと期待しております。
1.「東京2050//12の都市ヴィジョン展」2011年9月24日-10月2日 丸ビルホール 東京文化発進プロジェクト
2.ミシェル・フーコー(1926−1984) フランスの哲学者、思想史家 ポスト構造主義の旗手と目されるが、そのようなラヴェリングには収まらない思想家。代表的著作に『ことばともの』、『知の考古学』、『監獄の誕生』などがある。筑摩書房から『ミシェル・フーコー思考集成』全10巻が出ている。
3.酒井抱一(1761−1829)江戸後期の絵師。大名家に生まれるが、出家して、抱一(ほういつ)と号し、絵師及び俳人として活躍。尾形光琳に私淑し、江戸琳派の祖となる。
問題提起:移動と交通を通した世界
羽藤:皆さんこんばんは、よろしくお願いします。羽藤と申します。私自身は東京大学の社会基盤、土木ですね、それと都市工学科で教えていて、専門は交通をやっています。コルビュジエたちがいった、働く、住まう、憩う、移動するという都市の4原則でいうところの移動に関することから都市のことを考えているということになります。私自身は「移動」を、都市を成立させる重要要素だと思っていますが、建築の方々と話すときに、空間と移動を結びつける論理が弱いのではないかと感じています。普通、建築学科の中には交通の研究室はないわけですし、東大の場合、歴史的に別に都市工学科をつくったという経緯があって、都市計画の講座も建築学科の中にないわけですから、だからこそ、建築の方も移動とか交通空間とかに関心をおもちいただいているのかなとも感じています。あと自己紹介でいうと、ネパールの工科大でも客員教授をやっていて、時々教えに行ったり、いろいろやっています。
布野:ネパールに工科大なんてあるの?唯一の国立大学はトリブバン大学でしょう。建築もある。
羽藤:トリブバンは歴史のある総合大学ですが、ネパール工科大というのは、トリブバンだけだと何かちょっと動かないよね、ということでエンジニア教育から国づくりをするために有志がつくったものです。
書影① The Brick and the Bull
書影② Stupa & Swastika
布野:カトマンズですか?トリブバン大学にはティワリTiwari先生というのがいて、カトマンズの起源となる古都ハディガオンを分析した“The Brick and the Bull”4(書影①)があります。そのお弟子さんのパントさんは京都大学布野研出身なんです。ものすごく優秀。パタンの町を解析した僕との共著“Stupa & Swastica”5(書影②)があります。学位論文は、ティミThimiという町について書きました。今は、バクタプルのプルバンチャル大学(コーパ・エンジニアリング・カレッジ Khwopa Engineering Cillege)で先生をしています(今度の地震で、カトマンズ、パタン、バクタプルは相当被害を受けました。ティミは比較的被害は少なかったようです。パントさんから連絡もらいました。追記6)。
羽藤:カトマンドゥの少し郊外にあって、ネパール工科大というくらいだから、なんとなくMITのネパール版かなっていう気がするけれど、専門学校ですね、そういう感じのところです。ともかく、カトマンドゥはヒンズーですからChowkとか辻ですが、宗教施設と市場機能が一体になったような独自の都市空間が面白い都市です。布野先生のムガル都市の本7を昔読ませていただいて非常に感銘を受けました。
布野:こんど中国都城について『大元都市』8というのを書いたんですが、ネパールだったら”Stupa and swastika”がいいかな、送ります。
羽藤:ありがとうございます。カトマンドゥは、中に世界遺産がいくつもある宗教都市で、そうした昔からの都市の骨格の中で人々が暮らしているわけですが、経済的な発展からは取り残されているといっていいでしょう。欧米諸国と何が違うのかというと、無論政治制度も含めて憲法制定に手間取っていることもありますが、今日のテーマでもある速度の問題も大きい。都市に対する速度の外挿がうまくっていない。G380という上海から内陸に伸びる中国最長のハイウエイがありますが、この高速道路はラサから国境を越えてアラニコハイウエイでカトマンドゥを結び付けています。このアラニコハイウエイに加えて環状線もカトマンドゥには一応整備はされてはいますが、鉄道がない。道路も陥没しているところが多く、整備が十分とはいえない。隣接するバクタプルとカトマンドゥを結ぶ公共交通は弱く、山岳観光資源を有するポカラに移動しようにも一旦雨季になると旅行時間が読めない。近代的な移動速度を国家の中に実装することがうまく出来ていないということだと思います。
僕らは、都市はネットワーク革命によって成長したと言います。例えば11世紀には、十字軍革命によって陸上交通が改善して、封建社会が崩壊し中世都市が勃興していく。15、16世紀であれば大航海時代でアントワープ、リスボンという港湾都市が発展していく。18世紀になりますと鉄道が生まれて、産業革命によりロンドンとかニューヨークというようなメトロポリスが発展していく。現代都市社会では、鉄道を古くからの都市構造の中に実装することに成功した都市は経済的な発展を遂げているわけです。一方、それを上手くできていない都市、ここでいえばカトマンドゥですけれど、そこでは、ヒンドゥーですので神様に祈りも毎日ささげていて、井戸周りには人が集まりコミュニティはしっかりしているわけですが、高速のネットワークがないため、国境を接する中国とインドの経済のダイナミズムを取り込むことに成功しているとはいいがたい。それは都市の骨格として移動空間は一見あるのだけれど、世界的な規模で展開されている高速回路に接続していないということです。一方で布野先生のこの本はメッカの商業ネットワークに着目されて、イスラーム都市がどのような広域のネットワークを張っていたのか。その中で都市の空間にどういう役割があったのかというのを推理されています。
そういう歴史的なネットワーキングから都市を読み解くと、日本でも古代から、条里制が敷かれ、駅という存在があり、街道があり、そこに集落が張り付き、張り巡らされたネットワークの中で情報や物資を交換しながら発展してきた。当然海洋国家ですので一軒孤立した海辺の集落だって、浦とか浜とか津もネットワークによってちゃんとつながっていて、為替、信用、流通経済による自治があり、領主は自らの本領の自給自足の世界でなく、諸国の状況、交通実態を把握し、所領の配置し経営を行っていたと考えていいでしょう。高度な地域流動型国土が出来上がっていたと見ていい。それが江戸期くらいになるとだんだん安定してきて、城下町という計画都市で平野に出て、武士が中心になって土地改良を行いながら定住社会をつくっていった。それが、明治維新が起こると、都市には鉄道のネットワークが外挿されていく。無論都市によっては、鉄道の外挿を避けることによって衰微していく、そういったことが起きた。政治というテーマを移動の方からどう読み解くのかといえば、江戸時代には、幕府が藩政を敷いていたから、無理やり感はあるのだけれど、どちらかといえば地域主義的な分散構造でバランスを取るという国土の構成だった。それに対して、明治政府は中央集権で、天皇陛下を再度担いで東京に遷都し、そこに物資、それから富、知識を集約するようなネットワーク構造を張り巡らせていく。その過程で、都市と都市の間を鉄道のネットワークで結び、更に都市の中を地形に沿って効率的に運用していったところのインフラストラクチャーを、例えば外濠なんかをうまくつかって、鉄道のような速い交通を旧来の都市の中に上手く接続していくことで、都市を劇的に変えることに成功したと思います。
明治政府は当時、ワイマール・ドイツ辺りの法体系を参考にしてガバナンスをしていくことを選ぶわけですが、そのワイマール憲法下のドイツにも、当然鉄道のネットワークがあったわけです。19世紀ドイツは旧プロイセンを中心に連邦化の途上にありつつも、王立鉄道や私鉄が乱立していたわけで、鉄道ネットワークの急速な延伸が異なる設計思想のネットワークに接続していく、その過程で帝国鉄道がうまれ、アウトバーンが計画され、第一次大戦を経ながら地域構造の転換が起こっていくわけですが、そうした中からナチスが生まれてくる。八束先生の『ル・コルビュジエ―生政治としてのユルバニスム』では、どういうふうに都市計画家或いは都市建築家が地域とかガバナンス、政治と関わってきたのかということが書かれてあって、地域主義とか或いは国際主義みたいなものがファシズムみたいなものとふらつきながら非常に危険な方に走っていくという議論がなされています。都市とか建築とか或いは国家というものを象徴するイベントとして、或いはフィルムとして記録に残し、それを国際的に喧伝していくツールとして、1936年のベルリン・オリンピックが有名ですが、その次に東京オリンピックが1940年に構想され、皇紀2600年を祝すということで、ムッソリーニとかといろいろな交渉をして招致が決まる。同時に万博の誘致もしていて―それらは日中戦争勃発と共に潰えるわけですが―当時万博会場として予定されていたのが月島で、勝鬨橋がそのための移動インフラとしてつくられたという経緯があります。新幹線の前身になった弾丸列車とかの高速移動機関の整備もそうした背景と結びついている。鉄道や高速道路、都市イベントは都市と国家のガバナンスを更新したことを国際的に喧伝していく政治的なツールとして用いられていたといっていい。
都市をつくるということに関しては、ひらがなの「まちづくり」もありますし、丹下さんが描かれた「東京計画1960」のようなマッシブな計画もあるわけです。いずれにしても、実際に都市が構想できたとしても、そのまま実現することは難しい。だけど社会が比較的グラグラとゆれている時に、それが現実につながっていくような局面がある。ひとつは災害とか復興とかいう局面だし、もう一つは戦争とか戦災復興とかいう局面ではなかろうかと感じています。この前ギャラリー間の丹下さんの展覧会に行って9、丹下さん自身がカメラに収めた写真を見ていたら、非常に多くの建築が焼野原みたいなところに建っていて、丹下さんの多くの建築作品や思想そのものが、戦災復興からの都市ヴィジョンとつながっていたのだということを改めて感じました。非常時だからこそ、政治の体制と、都市ヴィジョンと建築が結びついていったのではないかということです。
2020年のオリンピック・パラリンピックが東京で開催されるわけですが、今まで話してきたような新たな都市ヴィジョンをつくるとか、速い交通で東京をネットワーキングするとか、それで都市のイメージを揺さぶるとか、そういうのがはたして今日の政治体制と結びつきうるのかというと、私も、たぶんここにおられる方も、難しいと感じているのではないかと思います。私自身は都市と交通の専門家ですので、2030年の首都圏の鉄道計画を立てるという仕事にかかわっています。その中では、交通のシミュレーション技術だったり、ペタサイズの個人の移動履歴データを解析して、どこどこのネットワークをつなげば混雑を緩和するとか、或いは地価がどうなるとか、そういったことを検討して、移動ネットワークのデザインを考えています。
ただそういう話をするとビッグデータとか最新の技術のことを思われる方もいるかもしれませんが、丹下さんの「静清計画1970」10とか、或いは「東京計画1960」でもいいのですが、資料を細かく追っていくと、実は多くの数理的なアプローチが彼の計画の裏にはあるというのがわかってきます。丹下さんが描いた計画の中にもそういうアルゴミズミックな、或いはデータに基づいた演繹的なアプローチの都市論が展開されていたし、我々は今もそれを引き継いでいるのだと思います。そもそも丹下さん自身、博士論文の中でわざわざ節を設けて、通勤だの駐車場問題だの数理分析に充てているあたり、高山さんは密度論から、オレはモビリティから都市設計を展開するんだという気概が伺えなくもない。ただ一つ弱いのではないかと思っているのは、演繹的なプロセスはデータと理論に基づくものですが、仮説というか実験的なアプローチとでも申しますか、こうした計画には、データとか理論によらない何かをまず試してみる、やってみるというところで都市のイメージを変えていくようなことが、少し欠けているのではないかなということも感じています。これは磯崎さんなんかと話すと、それはアーティスト・アーキテクトの仕事だとか、或いは地獄絵図みたいなものを見せるとか、非常に極端なことを現実の都市の中で実験的にでもとにかく展開することで都市のイメージや在り様を変えていくようなアプローチがあるのではないか、という話をされるわけですが、そういったところが、ある種今の東京の閉塞感だったり、或いはピカピカでツルツルの東京という現実だけで本当にいいのか、もっと生々しい何かが、データとかシミュレーションとかでやることを超えた部分で出てこないと、ある意味、都市としてのダイナミズムとかを失うのではないか、と、そういったことも同時に感じています。
八束:ざっとワイドレンジでお話し頂いたわけですけれど、布野さんを意識してネパールの話から始めて頂いたのかな?そこから世界都市ネットワークというところまで広がって行く。だからその辺から行きましょうか。布野さんは、今日は都合のため途中で退席される予定ですし。 4.Sudarshan Raj Tiwari,”The Brick and the Bull An account of Hdigaun, the ancient capital of Nepal”, Himal Books, 2002 5.Shuji Funo & M.M.Pant, Stupa & Swastika, Kyoto University Press+Singapore National University Press,2007 6.この対論は、数千人に及ぶ犠牲者を出し、世界遺産にも壊滅的な打撃を与えた4月25日のネパール地震の前に行なわれている 7.布野修司+山根周『ムガル都市 イスラーム都市の空間変容』京都大学学術出版会 2008年 8.布野修司『大元都市-中国都城の理念と空間構造-』京都大学学術出版会,2015年 9.「丹下健三が見た丹下健三 1949-1959」ギャラリー間 2015.1.23-3.28 10.丹下健三「静清計画1970報告書」1970
交通を通した世界都市の地政学
布野:建築の分野だと、住宅を考えて、それがどういう関係をとりながら集合していくか、一戸が二戸になり、二戸が四戸になって、集合住宅とか街区、住宅地ができて、どういう施設が必要で・・・という組立で議論するけれども、インフラ、上下水道、道路などは、なんとなく土木の領域だと思い込んでる。都市の空間構成要素をつなぐ移動とか交通とかはだいたいその組み立てから抜けている。中国では、「衣食住交」と言って交通の「交」を入れるんですよね。交通の概念は、実に重要だと思う。都市の歴史を大きく規定するのは、まず、馬ですよね。これは交通手段でもあるけど、騎馬戦という軍事技術に関わる。軍事技術というと、次の段階で火器ですよね。マスケット銃と大砲。それとやはり交通手段としては、造船技術の発達が大きい。運搬できる量としては水運が大きい。そして、産業革命後の蒸気船、蒸気機関車、車に飛行機ですよね。交通ということで、世界都市史はほとんど語れる。羽藤:大谷先生が都市は組成、組織、構造であるというふうにいっておられて11、建築の方はやはり組成、そこから広げた都市としての組織という発想だと思うのですが、私はどちらかというと構造、移動インフラの方から入って、都市組織に対してアプローチしていくわけですが、そこからさらに組成としての建築を見ています。大谷先生や丹下さんと都市の見方の違いがあって、それがおもしろいと感じています。
布野:さっきイスラーム都市の本に触れて頂きましたが、シルクロードの陸路、馬、ラクダの世界がまず成立する。その運搬量は結構あった。ユーラシア全体にわたって陸路のネットワークを騎馬の技術で抑えたのがチンギス・カーンですよね。このモンゴル・インパクトによって世界史が成立したとされるのが13世紀です。他方、海のシルクロードと言われるように、ジャンク船とかダウ船で海域世界はつながっていたわけですが、陸路というか陸の交通ネットワークを制し、同時に海とつなげたのがクビライ・カーンの「大元ウルス」(元朝)です。そして、モンゴルは、ティムール朝を経てインドに下って海の世界ともつながります。ムガルというのはモンゴルのことですね。アフマダーバード(アーメダバード)が世界の最大だった時代があるのですが、それが海の世界と陸の世界をつなげる場所に位置した。ただ、大元ウルスの大都が、すなわち今の北京ですが、それより早い世界都市なんです。
八束:現代都市とタイトルに掲げた割に逆の方向に行っていますけれども(笑)、いっそのことで、もっと昔に遡ってしまいますが、古代中国の帝国の勉強を簡単にしたことがあって、そこですごく印象的だったのが、我々が思っているような面としての国土というものはないということで、要するに点のネットワークでしかないのですね。中央から天子が代官みたいなのを派遣してきて、そこの都城だけは押さえている。だけどその周りには帝国の支配は行き届いていない。という意味で面ではなく点のネットワークだった。ヨーロッパ中世だって、都市と周辺の田園はガバナンスが全く違いますが、中国でのこの傾向は結構最近まで払拭できていはいなくて、それが近世あるいは近代まで通じる、植民地を含めての領土問題とかのポリティクスにもつながっていくと思います。中国は広いということと、交通機関が乏しいし、昔だから速度は凄く遅い。さっき布野さんが言った「交」というものが四番目としてあったのも、実はそれが欠落していたが故なのかなという気もします。
図① 始皇帝の国土馳道、『大元都市』より
布野:八束さんが言ったのは確かにそうで、基本的に都市国家ですから。秦の始皇帝はまさにそうです。咸陽という、漢の王都というか帝都というのは城壁がない。彼は五回くらい遠征をやっていますが、点を繋いで行くんです。交通網の整備なんです。交通網とその巡行というのは全く一緒です。彼はコスモロジカルにまっすぐ東西軸の東シナ海のところに東門をつくるのです。蓬莱、すなわち不死の国がその方向にあると思いこんでいた。要するに国土が点のネットワークとして形成されていて、そこで彼のコスモロジーが成立している。周の鄷亰が城壁をもつ最初の都城とされますが、本格的に城壁が建設されるのは前漢の長安からです。ただ交通網は当然あったわけです。秦の始皇帝の段階から(図①)。
八束:例えば、税制の問題とかなんかを含めて我々の国土のイメージというのは、その中で、明治政府がやったことでもあるけれど、ガバナンス、要するに住民サーヴィスが均質であることが前提なわけです。Aという地区とBという地区で住民にかかる税金がちがうということをやったらまずいわけだし。ところが古代中国の帝国というのはそうではなかった。この頃のガバナンスというのは、教化というわけだから、要するに天子の徳に浴するということで、およそ行政サーヴィスというイメージからは遠いし、派遣される代官も行政能力をオーソライズされていたわけではない。それのネットワークとしての帝国というものが交通の関数であるということは、ちょっと押さえておいていいのかなと思う。
写真③ 出島の模型的復元
布野:世界史的なパースペクティブでは、産業革命以前が、火器、陸路、ウマの世界で、都市のネットワークが説明できますね。もう一つネパールの都市について興味深いのは都市施設ですね。ヒティ(水場)とかパティ(東屋)とか共用施設が仕込まれているんですよね(写真①、②)。陸路での旅人のための施設、水場ですね。鳩小屋みたいなものですけれども、それがものすごく完備されていて、鉄道以前の都市の仕組みとしては非常に面白い。現代のネパールの交通システムは全くうまくいっていないですけれど。
羽藤:モンゴルとか元とかが、要するに陸路でユーラシアを支配していくわけですが、その次にやはり大航海時代があって、東インド会社が東シナ海の航路上に60ヶ所とか90ヶ所くらいの寄港地を整備して大海運ネットワークを築くわけです。その終着点が日本の長崎の出島です(写真③)。
布野:インド洋の既存のネットワークの上にヨーロッパのネットワークができた。
羽藤:要するに移動ネットワークは急にぽこっと出てくるわけではなくて、既存のネットワークの支配権がだんだん入れ替わっていくということです。OSが入れ替わるといってもいい。でその次に鉄道が出てきた。
布野:インドでは、港湾から内陸支配になっていくときに鉄道が機能した。
羽藤:港湾都市が先にあって海洋国家というか海岸線の都市が、アラビア海に面したムンバイなんかそうですが、大きく発展したわけですが、鉄道が出てきたことで内陸の鉱山資源と港湾が結びついていく。後背地に多くの都市や資源を抱える港湾都市は鉄道ネットワークが強化されたことで、発展していくし、取り残されていくところも出る。
八束:青井さんの回で『ル・コルビュジエ―生政治としてのユルバニスム』を取り上げて頂いたわけだけれども、あそこでも、鉄路と海路でインドとヨーロッパが繋がれたことで、とっくに克服していたはずのコレラがヨーロッパに逆流して(パンデミー)、それが結果的に近代的なゾーニングを生んだという話を書きました。別の形のインターコンチネンタルな交通ネットワークには、シベリアと満州を結んだもの、元は東清鉄道ですが、要するに南満州鉄道(満鉄)があって、ソ連と日本帝国の「生命線」の対峙として日論戦争と第二次大戦の末期につながっていきます。
今度僕が昔書いた『ロシア・アヴァンギャルド建築』の増補版が出るのですけれど、その巻末に、生政治論の続きとして新しい章を書いています。こちらの方は生政治というより地政学ですけれど。ロシア・アヴァンギャルドの都市計画家は、大都市を資本主義的なものとして否定します。だけど革命が起こった時のロシアは90%以上農村で、工業は大都市ではそこそこの水準まで来ていたのだけれど、戦争でメタメタにやられていたから、どうしようもなくなっていた。プロレタリアート革命をやってみたのはいいけれど、なんといっても、9割の農民を味方につけなければソビエト・ロシアは維持できないということで、スムィチカと言うのですけれど、農村と都市の連合みたいなレトリカルなスローガンをレーニンがいう。元々ソヴィエト連邦という多民族の国家連合をまとめなくていけないわけだし、それを近代的な産業国家に仕立てなくてはならないから、レーニンはまず電気のネットワークを重要視した訳です。有名な電化+ソヴィエト=社会主義という定式ですね。もうひとつの鉄道網の方の建て直しをやったのはトロツキーで、彼は内戦時に革命軍事評議会の議長として、あちこちに拡大する白衛軍の攻勢に対して、自分専用の列車を仕立てて、その中にアンテナが付いていて電話もできるし、電報もできるし、印刷もできるという移動司令部みたいなものをつくって内戦を指揮した経験から、内戦終了後に軍隊を産業組織に変換するみたいなこと(経済の軍隊化)をいいながら、同時にメタメタだった鉄路を立て直していくんです。それは当時深刻だった食糧の調達というか移送にも絶対に必要だった。彼には新しいネットワークとロジスティックと統計を駆使した国土のプランニングの発想があった。このアイデアをそっくりぱくったのが、当のトロツキーを追放したスターリン政権の五カ年計画で、アヴァンギャルドとスターリン政権の関係については本の方を読んでいただくことにして、あそこでつくられていく新しい産業都市には、産業、つまり鉄であるとか石炭であるとか、そういうものと交通と電気のようなエネルギーのネットワークによって、従来型の都市でもなければ農村でもない第三項の産業中心のネットワークとして国土を変えていこうというヴィジョンがあった。その実行過程は非道この上ないというか、めちゃくちゃですけど、実際に新工業都市はできたし、ダムはできたし、大規模な工場はできたし、後進国だったソヴィエトがアメリカに次ぐ大工業国に生まれ変わったことだけは否定できない。あれがなかったらドイツ軍の侵攻に反撃は出来なかったでしょう。
布野:交通が大きい要素であることがよくわかりますよね。古代から、今のロシアの話までいろいろ重要な問題がある。モンゴルは、基本的に移動宮廷ですよ。最初の帝国と言われるハカーマニシュ(アケメネス)朝ペルシャも、エクバタナ、スサ、バビロンパサルガダイ、ペルセポリスといくつかの首都を渡り歩いていた遊牧国家です。モンゴルはオルドと言いますが、要するに移動するゲルの集合が都だった。都市を必要としなかった。要するに何万人かが移動をした。ムガル帝国の初期もそうです。それが定着するというのは一大転換ですよね。
羽藤:学生時代に大連の都市計画のバイトをしていたことがあって、昔のこともちょっと調べたんですが、大連だと、帝政ロシアがガバナンスの手段としてパブリックスペースをうまく配置してセグリゲーションをしてくわけです。その後、日露戦争があってから日本が大連を治めるようになるとすでに鉄道がある。鉄道を大連に投入して、上手く都市開発を拡張して、居住地の分割とかガバナンスをやっていく。ポーツマス条約の2年後、日露満州鉄道接続業務条約が締結され、東清鉄道の大連と長春を結ぶ路線を基本に南満州鉄道の実質的な経営がスタートしています。この前後では、明らかに都市計画のスケールが違う。帝政ロシアがセグリゲーションの手立てとして公園を使ったのに対して、日露戦争以降の大連では、満鉄が強く関与することで、交通機関の外挿によってその配置原理が大きく変化しています。
写真④ 大連・南山・満鉄社宅
八束:あれは、租借だけれども、鉄道の両側500メートルづつは借りている方に開発権があるのね。ロシアみたいに線状都市にはならないまでも。
布野:大連は不凍港が欲しかったわけでしょ?
羽藤:大陸の立場からすればそうですね。その後、ガバナンスを意識したこともあるのでしょうけれど、日本風の海水浴場なども整備されていくわけで、都市計画史的にみても、面白い都市だと思います。
布野:僕も朝鮮半島の鉄道街をかなり調べて、一冊本を書いています12。大連も調べましたよ。南山の満鉄社宅の再開発に絡んで調査を頼まれたんです。薄熙来が大連市長だった時代です。パーティで握手したんです。その後の経緯は知らなかったんですが、去年行ったら、出来てました(写真④)。
11.大谷幸夫『大谷幸夫建築・都市論集』勁草書房1986
12.布野,韓三建,朴重信,趙聖民『韓国近代都市景観の形成 日本人移住漁村と鉄道町』京都大学学術出版会 2010
計画と分析のアルゴリズム
羽藤:ギリシャとかローマとかの古代都市空間の作り方の中では、もちろん外部との接続という意味で街道という概念はあるし、内部機能としてアゴラとか広場の概念もあるのです。一方、それに対して、近代というのは、都市に実装されるネットワークとかあるいは都市をノードとみたてるなら、そのノードとノードの結びつきの拡がりは、級数的な規模になります。だから国家という括りの大きな投資でしか都市を改変することはできなかった。
そういうところを計画的に上手くやった、と思われていたのがソ連です。第二次世界大戦中、ドイツは執拗にボルガ河からコーカサスのバクー油田を求め東進しますが、ソ連は1000万人を2年足らずの間に中央アジア方面に展開した上で、計画経済を推進し2000もの新しい工場がつくり、ドイツを上回るGDPを叩き出します。八束先生がいわれた計画経済ですね。当時数理をうまく使った一つのグループというのはロス・アラモスの原爆実験をやっていた連中で、もう一つのグループはソ連の計画経済をやったそういうグループでしょう。オペレーションリサーチという分野です。
八束:線型計画法を考えたカントロヴィッチなんかですね13。でも彼も元々数学から経済と軍事ですよ。そもそも語源的にも、オペレーションというのは、軍事作戦が元だし。
羽藤:ただ、それらは基本的に、既存の都市計画や建築的からすれば、歴史とか地理とかの文脈無視になってしまう。数理は、国家をより効率的に資源の供給だとか交通のネットワーク整備だとかを考えていく当時の時代観の中ですっぽりとはまっていった。
日本はどうだったかというと、当然その満州に進でソ連と対峙していましたから、ソ連の計画経済を、満州鉄道の調査部が調べていたと言われています。戦地から引き揚げてきた彼らは、経済企画庁なんかにに入って全総とかそういう計画策定に反映されていくことになる。そういった計画手法がある種循環するように20世紀の後半の都市地域計画とか国家計画に浸透していったんじゃないかなと私自身は感じています。
八束:そうですね。僕は『メタボリズム・ネクサス』をそういう路線で書いて、今の「汎計画学」ではそれを敷衍しようとしています。それは当然交通工学とか地域計画とかに応用されていくわけですね?
羽藤:交通の分野だと、IBMのコンピューターが登場してくる前は、目の前に車がいっぱい走っているからここに道路を作りますだとか、そういう目に見えるものだけを見て、都市計画をやっていたんです。IBMのコンピューターが出てきて、都市あるいは地区をノードに見立てて、ノードからノードに一日どれくらいの人が動いているというデータを収集してきて、収集してきたデータを基にネットワークの繋ぎ方を変えると、人の動きがどう変わるのかが計算できるようになる。1960年代から70年代にかけて、そういう計測に対応する行動理論が出てきます。当時バークレーにいて、MITに異動して、効用最大化理論とG関数に基づくロジットモデルというのを出したダニエル・マクファーデンが、2000年にノーベル経済学賞をもらいますが14、このロジットモデルに基づいて需要予測が行われて、サンフランシスコのBARTと呼ばれる地下鉄ができた。
1990年代に入ると、米ソの冷戦が終わったことで、先ほど触れたロス・アラモスの水爆のシミュレーション実験をやっていた連中が、その理論を水爆のシミュレーション実験をやっていた技術を軍事技術の転用という形で、都市のインフラ投資とか都市の構成を変えたときに経済的にどのような効果があるのかという計算できるようなツールを開発し始めます。
八束:環境主義者のバイブルみたいになった『成長の限界』15に使われたWORLDというシステムも、元を辿れば軍事技術に由来していますしね。『熱核戦争論』で有名なハーマン・カーンとか、もっと後だと湾岸とかイラク戦争を推進したネオコンの牙城でもあったランド研究所なんかも実は同じ根の上に生えている16。
羽藤:今はフューチャーアースというプロジェクトでEUが全球型のモニタリングとか、食糧がどこで採れる、採れないという話、それから人口がそれによって減る、増えるとか、それに交通インフラをやったら人の動き方がどう変わって、都市がどうなる、国家運営がどうなるといったようなことが、大規模なデータとコンピューターシミュレーションとで行われるようになってきています。
そういうシミュレーションのインプットにあたるモニタリングみたいなことは、従前から国がやっていたわけですが、一番やっていたのがCIAです。アメリカで地理系の学部で卒業した一番優秀な奴がCIAに就職して、次の席次のはグーグルに就職するようになっていますが、今では、グーグルなどの私企業が1基30億円位でスカイボックスという衛星を打ち上げて地上の経済活動をモニタリングするという時代になっています。人の動態のデータも相当数民間企業が把握するようになっているということです。今最先端の技術は国家から企業に移ろうとしている。それが民政に使われるということに当然なるでしょうし、或は国家とも対立するようになっていくでしょう。それが今の技術の時代観じゃないかと思います。つまり大きなデータとか情報技術で単に国家を経営するというよりは、むしろサーヴィスのようなもので社会とか地域とか都市に浸透させていくというフェーズにある。で、ここが大事だと思いますが、それは空間の力みたいなものを引っぺがしていくようなある種禍々しい力をもっている。便利とか早いとか快適みたいなことを、ドンドン進めて、滑らかでつるつるピカピカにしていく一方で、もともとその土地にあったものを遠ざけているようにも思える。このあたりが、われわれが都市とか建築とか地域の問題としてどう考えていくのかが課題だと思います。
13.レオニド・カントロヴィッチ(1912-86)ソ連の経済学者。資源の適正配分に関する研究で1975年ノーベル経済学賞受賞。
14.ダニエル・マクファーデン(1937—)アメリカの計量経済学者。現在南カリフォルニア大学教授。離散選択分析理論とその計算手法の開発で2000年にノーベル経済学賞。
15.『成長の限界』MITのドネラ・メドウズらによるローマ・クラブ「人類の危機」レポート大来左武郎監訳1972。ダイアモンド社。戦中にフライとシミュレータの開発を手がけていたMITののジェイ・フォレスターによって開発されたシミュレーション手法システム・ダイナミクスの改良版を用いて、天然資源など将来の地球環境を予測した。システム・ダイナミクスは当初インダストリアル・ダイナミクスというビジネス・サイクルの分析手法として出発、後に都市政策の決定シミュレーションを行なうためのアーバン・ダイナミクスとなり、更にワールド・ダイナミクスに展開された。
16.ランド研究所 アメリカのシンク・タンク。元々終戦直後に軍の戦略立案と研究を目指して設立された。軍事から経済、宇宙開発に到る様々な分野の研究実績があり、あまたのノーベル賞受賞者が在籍したことでも知られる。
早い交通と遅い交通
八束:だんだん迂回しながら核心に向かっている感じがあるのだけど、今の羽藤さんの最後のコメントは、あるいはここが建築学会であることを気にかけて頂いた発言かもしれないけど、もう今後の課題みたいで、ちょっと先に行きすぎたので、少し戻してもいいかな、空間とかゲニウス・ロキとかに行く前に、交通や移動の方に。
布野:現代の話だと、移動の時間がテーマになりますね。例えば蒸気船が出来て、ヨーロッパとアジアは往復2年ぐらいかかっていたのが何か月かでいかれるようになる。港を深く掘らないということで、それまでの港市都市を大改造しないといけなくなる。物資の量も増える。一大転換ですね。
八束:つまり交通手段の速度という話ね。今布野さんが言われてみたいに、今日は元々現代都市の議論のはずだったから、それが世界や都市をどう再編成するのかという話にいきましょうか?とくに、蒸気船から飛行機が出てきて速度は飛躍的に加速されるわけですが。
羽藤:八束さんもよくいいますが、2050年に向かって、世界では30億の人口が増えて、日本では3000万人減る。或いはアジアだと10億人増える。このときに流動のポテンシャルを日本の中で一番もっているのは、空港です。今首都圏の鉄道整備計画の中では、インターナショナル・ゲートウェイポイント、これは今羽田と成田ですが、これに静岡を加えて、鉄道のネットワークでつなげて、インターナショナルトランジットポイントを整備する、それによって、航空のパフォーマンスを都市の中に取り込む、そのために羽田のスロットを拡張して、アジアのダイナミズムを東京圏と結びつける、みたいなことを考えています。無論アジアがプラス10億ですので、地方空港が海外の都市の空港と結びつくようなネットワーキングがあってもいい。世界とより早く結びつきたいと要求している東京の拠点都市だってこう考えてくると、乗換が多いと駄目で、直接空港とつながないと国際都市競争からもれてしまう。いったんもれてしまうと、賃料がずいぶん変わってくるはずです。そいう文脈の中では、地形とか或いは、昔の街道筋とかの延長線上に都市の文脈はすべてすっとばした議論になりかねない。そういうネットワーキングのつなぎ方が今都市において議論されている。リニアもあります。 40分圏で4000万人がある圏域に入ってくるようになる。今までにないような高速大流動都市が出現しようとしている。こうした都市において駅は大深度化し、空港化していきます。より早く、速い移動を都市に取り込むことを求めてきた結果としてそうしたことが現実に起こってきています。
八束:今の議論にも出ていると思いますが、指摘しておく必要があるのは、速度が上がるということは、単に早くなるというだけでなくて、射程というか、つなげる移動距離が増えると言うことですね。羽藤さんの今のお話は短期的な移動ですが、鉄道レヴェルでのイノヴェーションでも、速度の向上は長期的な移動も保証ないし促進する。これは先ほどのシルクロードなんかとも同じだけれども、速くなると、空間の変容の速度も同時に俄然加速される。シルクロードの時代に何世紀もかかっていたことが数十年あるいは数年単位にも圧縮されるわけですね。
例えば丹下さんの「東京計画1960」には、そこそこ長い前説があって、実際には渡辺定さんが書いたものかと思うのですが17、デザイン論ではないから誰も読まないけれど、実は丹下構想からすると重要な話で、最初のところはナショナルワイドな経済の話と長期的な人口動態の話になっている。同時期のチームXなんかがモビリティという話をするけど、それは日常的な速度と移動のことであって、その分ペデストリアン・デッキとか高速道路とか建築的な要素になっていくのだけれども、丹下チームのは、もっと長期的かつ国土レヴェルのモビリティなんです。飛行機時代ではないから、鉄道スケールの国土論ですけど。これは羽藤さんが先ほどいわれたアメリカのオペレーションリサーチの展開なんかともつながっている。つまり経済と移動を通した地域-国土構造の分析です。で、東京計画の序論に戻ると、これは丹下さんの博論18そのものの構成なのだけど、そのあとで大都市のなかのコミュートの話がある。つまり住むところと働くところの間をどのように交通が結んでいるかという短期ないし日常的な移動の話、都市軸に関わって行く部分で、これはチームX的な議論の実証的な押さえです。この二つの長短のモビリティは違う訳で、長い方の議論では、オペレーションの対象がワンランク上がって都市じゃなくても国土になって、抽象度が高くなっていく。つまり、交通であり経済であり、空間よりシステムに行くから、リアルスケールの話しかカバーできない建築は関係なくなっていく。先程羽藤さんもいわれたけれど、丹下さんがすごいと思うのは、都市デザイナーとしてかたちに非常にこだわった人ではあるけれども、そのまた上の数字の話をちゃんと押さえているということですね。実務的には定さんがかなり助けたのかも知れないけど、その辺が丹下健三の傑出したところだと思う。その関係で丹下研の末期にこの辺を実行的にやっていた月尾さん19にはいろいろインタビューさせてもらったんだけど、羽藤さんと月尾さんとは関係ないの?
羽藤:僕は関係ないですね。
布野:僕は月尾さんのところでバイトしていたことがある。コンピューター・プログラム組んでいたんです。媒体はまだテープだったけど。クリーブランドと電話回線でつないでいた。
八束:へぇ、思いがけないつながりが出てきたね。羽藤さんの頃には、月尾さんは引退してそれこそスローライフの達人になっていたのかな?
羽藤:月尾さんも博士論文は交通で書いていますから、都市や地域の捉えかたが動的というか、僕の感覚には近いと思います。そもそも丹下さんは戦後の2、3年ぐらいにものすごく数理的な論文を建築学会に出しています。通勤現象に着目してクラーク20の式を使ったりして、デザインしながらきっちりした理論系のことに取り組んでおられて、共感するところがあります。
八束:地域経済の数理的分析は結構やられていますね。それが安本(アンポン)21の発注だったりして、藤森さんが例の丹下本22を書いた時にどっかから見つけてきたやつを昔見せてもらったんだけど、あれは結構驚きました。調べたら僕の先生の大谷先生も同じようなものを書いている。豊川さんの本にも出てきますね23。学会ではそういうのやらないとダメで、デザイン論をやっても実績にならない、ということだったのかも知れないけど、丹下さんも大谷さんも大真面目にやっていました。
羽藤:あんまりこの話を掘り下げるつもりはないんですけれども、おととしのノーベル化学賞で“マルチスケール・シミュレーション”が受賞したのですが、化学反応を見る時に、見たいところは量子力学的な形にみて、全体はニュートン力学的にみて、境界状況を受け渡すというので、この方法論がノーベル化学賞をとったんですね。
八束:今のお話は、比喩であるにせよ、ポール・サミュエルソンの新古典派総合の経済学にも似ているように聞こえますね。不完全雇用時にはケインズ的というか積極介入のマクロ的アプローチをして、完全雇用時には新古典派的なミクロ的アプローチをするというやり方。つまり経済が均衡を失って介入が必要な不況時と、経済が均衡を保って市場に任せておけば良い好況時ではアプローチを代える、と、そういってしまうと、当たり前に聞こえて身も蓋もないけど、均衡市場と言うのはある意味ニュートン的な古典力学のモデルなわけだし。それの場合、境界条件はどうなんだということになるわけですけど。だけど、それが丹下さんとどうつながるんですか?
羽藤:私自身の丹下さん像というのは、もちろん建築は当然みると、そして建築が都市全体に対して与えるものとは何かをさらにそれを繋げて考えて、かつもう一度都市の文脈から建築というものをどう見立てるべきか、というところで考えられているように感じています。マルチスケールな計算方法は、都市的なスケールと建築的なスケールを自由自在に行き来した丹下さんたちの思考スタイルに近いのではないでしょうか。「東京計画1960」でも「静清計画1970」でも、そうした凄みを感じます。問題は、丹下さん以降の都市論の中では、デザインや数理の領域がそれぞれ先鋭化していったことで、両者を繋ぐこと、つまり境界条件の受け渡しが難しくなったということではないでしょうか。考えることが多くなりますからある意味当然のことかもしれませんが、当時の丹下さんの文章を見ると、政治の問題でうまくいかないことが非常にあったでしょうし、もし建築として都市としていいものが出来たとすれば、それは政治とか市民とかといろいろ苦難を乗り越えてうまくいったということですよ、と書かれておられます。マクロとミクロを繋ぐというのは正論としてはいいけれど、実現するためには数理的なことだけではなくて、政治的な結合までが求められます。そういうところに難しさを感じていたのではないかなと思います。その手前までのアプローチは、真っ当な建築家としての都市の捉え方、あるいは都市計画家としての数理的な捉え方をされていたし、求めていたのではないかと感じています。
八束:数理と造形、システムと空間の間に政治が介在するということですかね、極端に要約すると。ただその数理より手前のデザイン言語のレヴェルでも、丹下研の中で、アーバンデザインの言語と言うのは、建築のそれとは記述の仕方から違わないといけないという議論がスコピエの計画の時にあったみたいなんですよ。それは「静清計画」を担当した渡辺定さんに率いるアーバン・チームが当時ウルボットと称するソフトの束を考えていたことにも関連するみたいなんだけど、検討したと当時書いている谷口吉生さんご本人が覚えていない位で、結局調べても具体的には分からないんです、忘却の彼方24。羽藤さんが数理といい、僕が先ほど抽象的になるといったフェーズと、建築のプラクティスをはじめとする空間のフェーズの関連の問題はとても興味がある。それは、政治の問題とも絡むんだけど、トップダウンとボトムアップということにも絡んできますよね。国土や地域からすれば都市はまだしも、地区や建築は川下だし、市民・生活者レヴェルまで降りるとその最小単位ですよね。
この延長上で先ほどのマクファーデンの話に戻りたいのだけども、あの議論に興味を惹かれたのは、彼の先生にレオニード・ハーヴィッツという、もう亡くなりましたけどやっぱりノーベル経済学賞を貰った人がいて、彼がメカニズム・デザインということを言い出した。どういうことかというと、計画経済が効率的であり得るどうかというのは、要は情報の処理の問題に帰着するというわけです。今ちょっと流行っているフリードリヒ・ハイエク25なんかは、中央集権をやっても処理できないから絶対失敗する、という。これはアレクザンダーのツリー批判に結構似ています。それに対して、ハーヴィッツは情報処理のメカニズムはデザインできると言った。それは経済の話だけど、今の話だと交通とか、都市の問題とかの話やさらに都市よりもう少し抽象度の高い地域とか国家の話というのを、情報処理の問題である、つまりメカニズムないしシステムの設計である、という命題に結び付けると、これは結構面白い話になるのかなという気がする。
羽藤:経済学者の中の議論になってしまうと、空間の問題は捨象されがちです。ノードとノードがあったら10分で行けます。それだけで記述されてしまう。それでは建築家は不満でしょう。マクファーデンが今ジェロントロジー(加齢学)やっています。彼は、MITからバークレーに移ってノーベル経済学賞とってから、今南カリフォルニア大学に移って、チョイス・アーキテクチャーという、市場におけるさまざまな選択行動についての建築的な構造をデザインするということに取り組んでいます。アメリカの医療保険で、デフォルトの掛け率をいくらに設定するかだけで財政の負担が変わったりする。こうした際に、エクスペクティッド・エラーを設計する、人は当然間違いを起こすからそれを前提にどういう風に保険を設計してゆけばよいか、兎に角いろんな心理的なメカニズムを取り込む形で、人の意思決定をデザインしようとしています。
ただ、ここの議論の中には繰り返しになりますが、ゲニウス・ロキでもなんでもいいんだけど空間の話は捨象されがちです。点と線で、要するにグラフで記述できるところを超えたものというのがなかなか入ってきていない。そういったメカニズム・デザインのある種の難しさ、限界であるという風に感じています。
八束:さきほどいわれた、データとかを超えた実験的な企てが入り込みにくいということにも通じますね。それは、ですけど、ロジックをどの方面に応用していくかの問題のような気がします。モデルの組み方というか。近いのは、60年代のアーバンデザインの最大のキーワードだった不確定性の概念で、これは現代音楽のチャンス・オペレーション(偶然性)とかアートのハプニングとかにも関連しているけれども、磯崎さんがいった「見えない都市」と言う概念は、かなり直感的でしかない議論ですが、そういうことにつながっています、磯崎さんがそういう分野の人たちと付き合っていたということもあるでしょうし。チャンス・オペレーションなんてチョイス・アーキテクチャーそのものですよ、コンセプチュアルには。
こういう要素を取込むことでは経済学の方がずっと先行していたわけですよね。経済は常に変動に曝されているし、エージェントの選択には偶然性やミスが介在するから、それをどう取込むかということが考えられてきた。シカゴ派のフランク・ナイトの『リスク、不確実性および利潤』なんて1920年代の議論ですけど、今やまた不確実性の時代だとかいって、ナイトの再評価が行なわれたりしている。僕はさっきの丹下研の議論はそこに入りかけていたと思っているのですね、不幸にして展開されないで終わったけれども。
で、さきほどの言語というディシプリンの話とは別の政治の話になっていくわけだけど、このあいだ僕らの研究会で話して頂きた時にはキヴィタスとウルブスという話をしてくれましたよね。あの話を入れておくと今日の話はスムースに行くのではないかと思います。ちょっとそれを紹介してもらえませんか?みなさんに。
17.渡辺定夫(1932—)東京大学名誉教授。都市計画家。丹下研研究室で主に都市分野を担当した。
18.『都市の地域構造と建築形態』東京大学1959
19.月尾嘉男(1942—)東京大学名誉教授。都市工学者。丹下研研究室に在籍。デザイン分野でのコンピューター利用のパイオニア。現在は地球環境に対する著作や自然の中での余暇生活の提唱や冒険などでも知られる。
20.コーリン・クラーク(1905-1989)イギリスとオーストラリアの経済学者。
21.経済安定本部のこと。後の経済企画庁の前身。
22.藤森照信『丹下健三』新建築社
23.豊川斎嚇『群像としての丹下研究室』オーム社 2012
24.八束「聞き語り調書 : 丹下研究室のアーバンデザイン一九六〇―一九七〇楽屋の表と裏」槙文彦+神谷宏治編著『丹下健三を語る』鹿島出版会2013 所収
25.フリードリッヒ・ハイエク オーストリア出身の経済学者、政治学者。のちイギリス、アメリカと渡る。自由主義哲学の信奉者で、いわゆる全体主義社会を批判した『隷属への道』(1944)などの著作がある。1974年のノーベル経済学賞受賞。イギリスのサッチャー首相にも多大な影響を与えた。
キヴィタスとウルブス
羽藤:どの話でしたっけ?機能の話?
八束:とくに分かりやすいと思うのは、ニューヨークでのモーゼスとジェイコブズの対立みたいな話。
羽藤:ああ分かりました。19世紀の半ばのマンハッタンは馬車のネットワークだから馬の屎尿処理に追われる不衛生な都市だったわけですが、それが車や鉄道の導入によって非常に衛生的で機能的な都市に変わっていった。それをキヴィタスと形容した話ですよね。当時の都市計画局長ロバート・モーゼスはマンハッタンのインフラ整備を組織的に進めていく。そこにジェーン・ジェイコブズが登場してくる。彼女は都市の起源は農村ではなくて黒曜市だといった。都市に市場が生まれ、市場があることで取引が生まれ、有機的な人の交流が生まれ、その周辺に食料を供給するための農村ができるんだというわけです。多様な交流が生み出されるウルブスこそが都市の起源がある、ということで、寧ろその土地にある旧さや混在に価値を見出す。両者は互いにぶつかり合う。ぶつかりあってニューヨークにとってどちらが必要なのか、キヴィタスなのかウルブスなのかが問われることになります。
布野:キヴィタスというのは、要するに市民のネットワークなんですね。ローマ市民といっても、アフリカの植民都市に住んでいる人も市民として認められる。その集合がキヴィタスですね。ウルブスというのはアーバニズムの語源ですが、場所に即したもの、という理解でいいんですよね? 西洋史の先生にはそうならった。
八束:市民のネットワークというとソフトな感じだけど、キヴィタスというのはもっと固い枠組じゃないですか?制度であったりハードであったり、抽象的なシステムでもある。ウルブスというのはそうではなくて、コミュニティだったりソフトであったりオーガニックなものということですね。モーゼスとジェイコブズの関係は最近本も出たけど26、土建屋政治をやった前者がトップダウンの悪玉で、後者は市民の立場から、つまりボトムアップ的にそれに抵抗したヒロインということになります。評判は当然ながら圧倒的に後者が良い。
僕が羽藤英二を面白いと思うのは、そうなると普通はウルブスの方がといいそうなものだけど、それをいわないことですね。僕は、ウルブスをどうでもいいと思っているわけではないけど、基本的にキヴィタスの人間なので、そういう風に言われると、取り付く島が無くなって困るのですけど、羽藤さんはその両方をかけている。今でもキヴィタスなのかウルブスなのかと問うただけだし。
僕は柄谷行人の都市論を批判しているんですけど、彼は完全にジェイコブス派でしょう27。だけど、アメリカでは、モーゼスの展覧会を数年前に三つくらい同時にやって、これは本が出ているらしいのですが、再評価があるのですね28。モーゼスはあれだけの強権を奮ってたぶん自分の懐も潤していたと思うのだけど、彼の諸事業を全然やって来なかったならば、今のニューヨークがどうなっていたかということを考えると、それは無視できない話だったのではないか、ということなんです。要するにキヴィタスを無視してウルブスだけで話していると立ちいかなくなるのではないか?都市というのは常に加算だけで来るわけではなくて、減算も両方やっているので、足し引きのバランス・シートで今の歴史的なものがあるから、そこを見ないといけないんじゃないかということ。
羽藤:八束さんの言いたかったことがようやく分かった感じですけれども(笑)、モーゼスはThose who can build 、 those who can't criticizeと言っています。できるものは作り、できないものは批判するということですけど、徹底的にニューヨークのマンハッタンにネットワークを構築した。
八束:もっと身も蓋もない訳し方をすると、批判するのはつくらない奴ばっかり、とそういう風に片づけていくわけですよね。確かにテレビ・ドラマとかに出てくる利益誘導型で私腹を肥やす政治家がいいそうな、非常にカチンとくる言葉ではあるけどね。悪玉の資格十分というか(笑)。
羽藤:一方でそのニューヨークの発展を考えた際に、先ほどの文脈で行くとその早い交通をどのように整備していくかということが、結局都市のダイナミズムを生み出していたと、それは多分事実だろうと思います。同時にモーゼスは公園とかもたくさんつくっているということもありますし。で、あるところまでいくと当然揺れ動いているわけですので、有機的な人と人の間の交流が強い計画によって脅かされるからとなる。今ポイントになっているのは、50年とか100年とかという時間軸で都市を眺めた時に、何が本当に都市にとって必要なのかということと、ウルブスなるものが持続していくうえで何が必要ななにかになりうるのかということだと思います。極端な方向に振れてハードだけでいくと当然ウルブスは枯渇していくでしょう。逆に平仮名のまちづくり的なウルブスだけでいけば、様々なプロジェクトがスタックしていく。しかし、その場はそれでよくても、そういう方法だけで都市の未来が描けるのかというと、これまたクエッションです。
26.アンソニー・フリント『ジェイコブス対モーゼス―ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』渡邉泰之焼く鹿島出版会 2011
27.柄谷行人「都市プランニングとユートピア主義を再考する」『現代思想』2014、一月臨時増刊号 所収
28.この辺の事情については、八束「拡大する都市:概念の変異」八束+URBAN PRIFILING GROUP 編 『Hyper den-City 』INAX出版 2011 所収
速い交通と遅い交通
図② Hight Line
羽藤:ただ面白いプロジェクトがあって、それはHigh Lineという高架線の後利用プロジェクトですけれど、モーゼスとかを含めてとにかくマンハッタンに高速の鉄道ネットワークが整備されていくと、最初は良かったのですが、高速道路のネットワークが接続されるのにしたがって高速鉄道のニーズというのが低くなってきた。だんだん使われなくなってきて、ただの朽ちたインフラになってしまって、高架の上が野っ原になっていった。1980年に廃止して以降、いろいろな動きがあったわけですが、ジョシュア・デーヴィッドとロバート・ハモンドという沿線住民が「フレンズ・オブ・ハイライン」という組織として活動し始めて、ニューヨークが5000万ドルの予算計上をして2005年に起工した。鉄道の敷地だったので結構面白いということで、自分たちで無関心からの脱却を期待してツアーを組んだりいろんな活動をしたわけです。色々なアクションを起こして、掃除をするとかあるいは高架上で撮った写真を高架の下に貼って下を歩く人に高架上の空間に関心を持ってもらうとか、あるいは、高架上に公園のような街路を作る、特徴のある空間を生かして、視点場から街やハドソンリバーを眺めやり、きれいな植栽じゃなくて210種類の野草を生かすとか、多様で座って佇めるデザインでインフラのコンバージョンを実現しています。速い交通じゃなくて、遅い交通による都市空間のコンバージョンですね。以前なら速い交通、できるだけ利便性の高い移動を都市に実装することで都市のパフォーマンスを上げてきたのに対して、より遅い交通によって有機的な交流をどのように生み出していける空間を計画していくかが重要になってきています。
八束:これはディラー&スコフィッディオのデザインですよね。他にも色んなデザイナーやアクティヴィストが絡んでいるみたいだけど。さきほど言った加算と減算の後者の例ですよね。でも具合のいいことに、速い交通から遅い方に話が移ってきました。
写真⑤ Hight Line
布野:遅い交通というのは具体的にどういうものですか?
羽藤:歩きとか。
八束:「12の都市ヴィジョン展」のときにも、羽藤さんたちのプレゼンテーションは、震災がらみの話になっていたけど、速い交通と遅い交通の並存みたいな話がありましたね。都心部に遅い交通をというところだけとると、大野秀敏さんたちの「ファイバーシティ」みたいでもありますが、東京におけるウルブスを語るとどうなりますか?
羽藤:東京は地形が豊かなんですよね、微地形の中の神社に沢山のお祭りがあって、尾根道を神輿が通る。そんな都市って他にありますか?ないと思う。それはおそらく生かしていくべきでしょう。ポイントは、どうやってそういう遅い交通で継承されてきたまとまりのある都市の界隈を速い交通とそのように結び付け、様々な交流を生みだしてゆくのか、その交流が新たな知識を生み出していくのか。より早く繋げて行くというだけなら、そもそもICT(Information and Communication Technology)があれば、交通手段などなくても、かなりの知識交換は情報ネットワークによって代替できるはずです。ただ一方で、そうしたメディアで交換可能な情報は、データ、パターン、構造、知識にとどまるといわれています。知識は知識だけじゃダメでコンピタンス、知識を実際に適応するところからカスタマイズして、本当にそれが価値に変わっていく。そしてそういう最も高次の知識であるコンピタンスは人と人とが会わない限り伝わらない。そう考えると、やはり人と人とが会う、皮膚感覚をもって日常的に会うという意味では、界隈レヴェルでのその土地に根差した交流も大事だし、同時にムンバイと東京とか、或はカトマンドゥだとか、いろんな形のつながりのダイナミズムが同時に必要になってくる。速い交通と遅い交通をどのように空間的に結び付けてゆくか、エンジニアリング的な進展を、法制度も含めて、東京の中で実装していくことが大事なんじゃないかと思っています。
写真⑥⑦ 鄭州
八束:磯崎さんとやられている中国の鄭州のプロジェクトでも、都市軸に速いのと遅いのと両方の交通を入れるということらしいけれども、少し具体的に教えてもらえますか?
羽藤:鄭州のプロジェクトでは、あえて閉鎖系の都市を、中原に位置する旧い鄭州の中に生み出すことに注力しています。交通インフラと建築を一体的なスーパーストラクチャとして実装することで、閉鎖空間でありながら速い交通で旧市街と接続されていると共に、その閉鎖空間の中では、歩きや超小型モビリティによる小さな移動空間を一緒に計画しています。
八束:その速い交通と遅い交通の併存システムをつくりあげるための社会的な基盤というのは何なのかしら。つまり、ある程度の経済力がないとそれを維持できないのではないかと思うのだけれども、この辺が鄭州と将来の東京でも違うような気がするんだけど、どうなんでしょう?キヴィタスとウルブスを並立させるのか、それともいい加減キヴィタスには見切りを付けて、ウルブスに傾注するのか。でもウルブスだけで生まれる産業構造ではそれほどのソーシャル・キャピタルを維持できないということはないのかしら?これは大野さんたちの「ファーバ−シティ」への疑問でもあるのですけれども。これはいわゆる途上国での問題にも通じてくように思うのですが、布野さん。
布野:もう30年近く前の議論ですが、インドネシアでは「ベチャ」っていうのだけど、人力車ですよね、リキシャーとかトライショーとか、マレーシアやタイでもあるわけですが、あれはドア・トゥー・ドアでいい、地球にやさしい、省エネだという評価があった。その背景は要するに人が余っているということだけど、人力交通システムですよね。「社会主義は自転車に乗ってやってくる」といったのはI。イリイチです。そういうレヴェルの話だったらなんとなく分かる。
羽藤:人間が、何か大切なものを交換するとき、それは皮膚感覚・肌感覚で酒を飲んだり、表情を見ながら、同じ場所にいる。そういうことが大切なんだろうと思います。案外だらだらとした繋がりなのかもしれませんが、それこそが、空間の力によって成立するコミュニケーションのあり方だったりそのためにわざわざ千里を超えて移動して会うという行為であり、それが遅い交通であれ、速い移動であれ、時間を越えたコミュニケーションの本質であって大切なのだろうと思います。
八束:丹下さんも『東京計画1960』で、モビリティが高まっていっても、対面のコミュニケーションの重要性はむしろ増えるはずだといっていますね。
布野:もう一つ気になっているんだけど、インターナショナル・ゲートウェイというレヴェルの話とか、Greater Metropolitan Regionというスケールの話になると、例えばベトナムで、ハノイとホーチミンが、或はシンガポールからバンコクまでが、だらだらと繋がってしまうというような、それを何が可能にするかというと、携帯電話とオートバイなんですよ。要するに、情報が携帯で飛んで、農村だった所がだらっと膨らんで並んでいくみたいなことが実際に起こっていると思うんだけども、それらをどう評価するかと言うのを聞きたかった。今のベチャ、人力車があらゆる場所で追放されてきていますが、バンコクでもマニラでも。
羽藤:速い交通というのがホーチミンとハノイを結ぶというときに、実際にはあそこには高速鉄道を整備しても間の線には需要がのらないんですよね。ハイスピード・レイルウェイの話は出ているのだけど、あれやったら多分ベトナム潰れると思います。でも政府の計画としては立っていて、これに円借款とかいろんな話があるから、止めたほうがいいといろんな人が云っておられるようですが、都市と集落が国家の中にどのように分布しているのかは、その国の地理的な初期値と歴史に依存します。日本は藩があって城下町という計画都市が東海道の上にのっかってつながりながら育っていった。先ほどのハイスピード・レイルウェイとか超高速とかいう話は、都市のダイナミズムとか富を生み出すうえで重要なんだけど、それを持ちうる国家・都市というのはおそらく限られているし、処方箋を間違えないようにしないといけない。
布野:リニアでつなぐと間の地域は潰れるんじゃないですか。
羽藤:そもそも需要が乗らなくて、ダメになる所もあるでしょうし、在来線のスピードがすごくあがってきていたりもします。ICTだってあるから、それでかなりのコミュニケーションができるというのもあるでしょう。
八束:今の話は近代化の道が単線ではないかもしれないということで、とても面白いですね。皆が皆アメリカや日本の例に倣うことはないということでいうと。
羽藤:もう一つの問題、お金があればリニアもハイスピード・レイルウェイもできるからいいのかというと、アメリカはまさにそういうやり方で、日本企業の支援でハイスピード・レイルウェイのネットワーク整備を進めようとしていますが、そのつくり方はめちゃめちゃに見える(笑)。作れるところから作りますというかたちで、戦略がないわけではないのでしょうし、もちろん航空ネットワークと高速道路ネットワークがあるからということもあるんでしょうけど、やっぱり戦略的にやれるところとやれないところはある。日本という国は、元々高流動社会だった。海洋国家だったというのも大きい。都市と都市のネットワーキングの感度が高かったのだと思います。でも今後はどうかというと、アジアハイウエイのようなインフラ計画が進んでいますから、そういう広域的なネットワーキングから取り残されるとか、国際的な競争の中で不利を受けるとかいうこともありうるのかなと思っています。
八束:先ほどから羽藤さんは、数理ばかりやると空間の力みたいなものが落ちしてしまうといわれているけど、僕は逆に、空間の話ばっかりに関わっていると、全体が見えなくなると言うのが問題だと思っています。小さなコミュニティならともかく、もっと大きなスケールの、つまり実感を超えたスケールを扱うには、それなりのディヴァイスというかトゥールが要る。丹下さんが偉かったなと思うのがその両方跨いでいたことだと思うのだけど、この側面は殆ど今皆の視野に入っていなくて、最近テレビで丹下さんの番組が何故か多いのですけれど、基本的には造形家としての丹下健三だけ注目されてしまうわけね。そうするとこういう部分は落っこちちゃう。今の話でいっても、震災以来、建築家の話が実感的な方向だけに行っちゃってきていて、システムの話を触れられないというのは、心情的には分かるけれども、やっぱりマズイのではないかなと僕は思っているんですけど。ただ、さっきの話のように、モデルは色々あり得るでしょうね。日本国内でも、大都市と地方では同じではあり得ないだろうし。という意味で、羽藤さんという存在に関心がある、というか期待をしているの。
羽藤:そういうことを言う人って、大体悪人扱いなんですよね。
八束:モーゼスだってそう。僕なんかも『ハイパーデンシティ』で悪の都市計画なんて、年甲斐もなく意気がってしまったけど(苦笑)。でもポリティカル・コレクトネスには常に警戒すべきだと僕は思う。
羽藤:この前、噺家の内海師匠ですかね、ツイッターを見ていたら関東大震災の時は後藤さんと東京市あたりが、議会とかがぐちゃぐちゃしいてうまくいかなかったので、東京市が勝手にやったから上手くいったんだけど、今の復興みたいなところでローカルな所でまちづくりとか、それぞれ個別で頑張ってやったはいいんだけど、結局でもそれぞれが好き勝手にやっているだけで全体として本当に上手くいくのですかね、みたいなことを言われていて、やっぱり関東大震災を経験した方は違うなと思ったんですけど。
八束:それはさっきの大谷理論からの延長でいうと、構造がない。ということですよね。
羽藤:そう。だから得意なことばっかりやっていると、得意なことが不得意になるんですよね。そのことは皆薄々気づいていながら、やっぱりそれは専門性が分化しているために、誰かほかの人がやってくれるんじゃないかということで、鏡に映して見たい自分だけを見て、そこのところの専門性だけを特化させているんだけど、それは社会から見ると本来建築家に求められていた職能からすると、どうなのかという気はします。ちょっと言い過ぎているかな(笑)。
八束:いやいや、もっとはっきりいうと、建築家は時代遅れだと、そういう話になるでしょ?
羽藤:そこまではいってないですけど。
八束:僕はいっているんだけど(笑)、羽藤さんが言うとちょっと波風立つかもしれないね。
布野:僕は、経済ダメ、嫌いなんですけどね。あんまり信用していない。
八束:僕も人生60年位は嫌いだった。何であんなに詰まらない学問を、と思っていました。でもそれは間違いだったね、それが最近の発見。つまり計画とか予測のメタ理論モデルと考えると面白いですよ。
布野:空間だけいじってるだけでは、ダメというのはわかる。全球的な気候変動とかね、金融工学とか、マクロに分かる世界はあると思うんですよね。ただ、人の動きとか何かはね、完全には経済モデルではとらえきれないんじゃないか。ゲームの理論とか、消費者心理を組み込んだ経済理論とか、ノーベル賞もらう理論が沢山あるんだけど、まあ、よくわからないというだけだけどね。例えば「イスラーム国」ISはどうなるか、とかね。そんなのは多分CIAでも計算できないのではないか、っていう不信感はある。例えば今の日銀の副総裁なんかも、ごちゃごちゃ言ってもやっぱり六本木ヒルズに集まって酒飲まないとダメってことを言ったりする。例えば丹下先生が、そっちはやっていたっていうのは解るけど、それをどういう風にリアルポリティクスに活かして何をしたのかですよ。
(布野氏退席)
選択の構造—何が行動を動かすのか?
八束:布野さんが退席されましたが、その分は宇野さんと松田さんに補って頂く約束です。
宇野:「計量」を話題にしては、どうでしょうか?都市間で移動が起きるのは、アトラクション、つまり引力が働くからでしょう。要するに、位置エネルギーに差があるために移動が起きます。その引力、すなわち人を引きつける都市の魅力は何によるのかという議論をしてみたいですね。さしあたり、計量する指標として貨幣尺度に換算する以外の計量方法と指標が中々上手く見つからない。そういう話ですね、今羽藤さんがいっているのは?
羽藤:ディジタイズするって言いますけども、例えば今ここで行っている会話であるとか、あるいは空間の質って言うものは、かなりの量は変数化できる、という風に云われています。もちろんそこから抜け落ちるものは沢山あるんだけど、現象論としては確定的な部分と、確率的な部分があるんですが、記述できる量というのは、圧倒的に増え続けているし、リアルタイム化している。誰がそのデータベースにアクセスできるのかということも、昔は権力機構だけだったのが、市民も使えるようになっているのではないでしょうか。異なるコミュニティ間のコミュニケーションの連携や精度も高くなってきている。もちろん例外はあるわけですけど、そういう方向には向かっているんじゃないかな、と思いますが。
宇野:都市について計量という場合、それは位置情報を含むmetric(距離関数)のことです。もちろん、関数は定数と変数や媒介変数からなっていて、大数を扱う都市現象の計量については、通常、確率的に論理を組み立てています。経済学者は、貨幣価値に変換して都市空間を計量評価、それが人や物の移動の要因として都市論を組立てるだろうけれども、位置情報を構造的に備えている都市空間の評価については、事はそれほど単純ではないでしょう。人は具体的な都市空間や都市環境に魅力を感じるから移動するのですから、それは計量化しにくいことではあるかもしれませんけれど、、、。建築学や土木工学や都市工学で分野では、対象の性質から抽象と具象のあいだを往来する時空の論理が必要になってきます。どの都市に雇用があるとか、どの都市が儲かるとか、どの都市で楽な生活ができるとか、、、経済市場における抽象化された貨幣価値で一元的に評価した次元で都市論を展開しても、ものの性質上どうなのかなって思います。ですから、交通で都市間をつなぐのであれば、都市間の違いはどのように計量するのが妥当か?最終的には経済が都市の命運を決するというのであれば、それは具体的にはどのような都市空間都市環境を導くのか?計量しにくい都市の質については、どのように評価するのが適切か?などということを、是非、羽藤さんから聞かせてもらいたいと思います。
羽藤:貨幣を目的変数29に取っているわけじゃないんです。目的変数にとっているのは、行動なんですよ。目的変数を行動において、Aという場所に行くかBという場所に行くか、6時に行くのか7時に行くのか、二つの選択肢があって、どっちを選択するのか、その選択肢がそれぞれある場合に、それぞれの効用関数30というのがあって、望ましさの程度が表されるわけです。そしてその望ましさの程度に、確定的な部分と確率的な部分があると。で、確定的な部分の中には当然、行きたい場所の空間の質だったり、そこを知っているか知らないかとか、そこに知っている人がいるかとかいないかとか、いろんな変数が入ってくるわけなんだけど、それはある程度カウンタブルというか、データとして蓄積可能になってきている。で、そこに貨幣の項っていうのを入れることができる。そうすると、人と会うとか会わないとか、空間の質が低いとか、ということとトレードオフで、相対的に貨幣価値換算するとそれがどれくらいなのかとか、どれぐらいであったときに選択されるとか、されない、とかいうことが評価できるようになる。もちろん、それだけで評価できないものは確率項ですが。
宇野:施設の配置論については、2年ほど前に、本間健太郎と論文を書いていますから31、それでお応えしたいと思うのだけど、ここではあまり詳細な論理に入っていくよりも、大枠の議論をしておきたいと思います。要するに(都市間に)差異、differenceがあるから(人は物が)動くわけですよね。それはOKですか?
羽藤:そうですね。
宇野:とすれば、トラフィックのためのネットワークがあったとしても、都市間の差異、differenceがなくなったときは動きが止まるわけじゃないですか。ですから、現代の都市間競争のなかでは差異、differenceをどのようにつくるのかということがクリティカルであり、皆さんがそのことを考えていると思います。経済学でいうところの高度に抽象化された市場理論を具体の都市に適用するだけだと都市間ネットワークが均衡してしまい、具象世界に展開している都市のダイナミズムはかえって失われてしまうのではないか、、、。動き続ける都市モデルを考えてもらいたいな、羽藤さんなら考えてくれるんじゃないかな、という期待があり、リクエストしたいなと思いますけど(笑)。
羽藤:だけどやっぱり、東京から移動時間10時間もかかるような集落で仕事してるけど、なんでそんなところに人が時間かけて移動するかというと。
宇野:やはり、違う都市だから移動するということですね?同じであれば10時間かけていく理由がないでしょうから。
羽藤:そうそう。
宇野:違い、つまり差異differenceが大切だということになりますが、それは価値という考え方に連なっていきます。もちろん、世の中にはpricelessという考え方があり、価値の問題が必ずしも貨幣換算して議論できないことは誰でも知っている。しかし、一応できる範囲で貨幣尺度に換算して計量して組み立てた仮説に基づいて、経済学者は都市を評価しているのだと理解しています。抽象空間での精緻な分析はできますが、具体の都市空間で、とりわけ既存都市を更新する都市を設計する場合、別のアプローチが必要になります。例えば、最近、磯崎(新)さんがこんなことをいっています。「建築家像は時代とともにあり、丹下さんはテクノクラートとしての建築家、自分はアーティストとしての建築家といったアプローチで時代を画したが、現代は坂茂のようなアクティビストが受け入れられる時代だ」、って。建築造営や都市開発について、時代の軸がテクノクラート、アーティスト、アクティビストへと推移していると整理したのだと思いますが、そうした時代の変遷を見据えて、現代を俯瞰的に眺めることが可能な都市モデルを羽藤さんだったら作れるんじゃないかなと思います。
八束:10時間かけていく魅力というのだって、計量化することは仮説的なモデルとしては出来るでしょう?もちろん常に余白部分は残るにせよ。羽藤さんの話は、空間にせよ何にせよ、価値の問題は、今までに比べたら飛躍的にディジタイズできるようになった、ということがひとつのミソであって、そうしたって出来ない部分があるというのは、ご本人が認められているけれども、あまり我々の、というのは建築の、と言う意味ですけど、どうせ俺たちの扱っている空間の問題はそういうのに還元なんか出来ない、と最初からたかを括りすぎると話は前進しないのではないかな。
たとえば、羽藤さんの所で書かれた國分昭子さんの博論を読ませて頂いたけれども32、既成住宅地の色々な環境的要素における価値のカテゴリー、たとえば建蔽率だったり緑被率だったりコモンのあり方とかコミュニティのあり方だったり、当然地価とかの経済問題も入るでしょうが、そういう空間改変要素を取り組んだモデルを構築して、そこにマクファーデン理論を応用している。ただし、ここでは、あくまでどういうカテゴリーを効用関数モデルに取り組むかの問題にはなるわけで、國分さんのモデルは、建て主を含む一般的なエージェント、彼女の言葉でいえば「プレイヤー」たち、が想定する一般的な価値のカテゴリーですけど、場合によっては、もっと遥かに乱暴というか実験的な要素だって仮説的にはモデルとして扱えるような気がする。ここから先は創造的な飛躍の不可侵の範囲であるとはいわないほうがいいんじゃないかな、この場合。
で、ちょっと話題を広げていきたいんですけど。さっきのマクファーデンのいうチョイス・アーキテクチャーですが、ローレンス・レッシグのアーキテクチャというのも、そういう話に結びつき得ることですよね33。
羽藤:はい。
八束:羽藤さんの研究室ってBehavior in networksということですよね。レッシグのは、ある意味Behavior in codesみたいな話でしょう?
羽藤:彼は法学者なのでcodeといっても法律の方ですが、僕はプログラミングのコードを書いてるので考え方はわりと近いと思います。
八束:先ほどのキヴィタスの議論ですが、実は前のレクチャーで羽藤さんはジャン・ジャック・ルソーにおけるジュネーヴを、キヴィタスとして―ある種のコンパクト・シティ―言及しているんですけど、東浩紀さんが『一般意志2.0』という本を書いていて34、あれは『一般意志』の方はルソーから来ていて、藤村龍至さんとかも好きな「2.0」の方は、レッシグですね。要するに東=レッシグ的に言うと、アジャイルというか、パターンランゲージ的な集合的な主体による言語、あるいは作られた体系でないような言語みたいなものがあるという話が一方にはあって、それを数量的に無限に近く合算していくと社会のアーキテクチャという話になる。という話はBehavior in networksに結びついていくような気がするんだけど、その辺ってどうですか?
羽藤:レッシグは、規範・市場・法(コード)・構造、結局この四つで人間というのはコントロールされていると云っています。その構造の中には、建築と空間も含まれます。だから、建築にしても法にしても、コードというのはプログラムのコードというのは何らかのインプットがあれば、処理をして出力を返すわけですが、ある土地で長い時間をかけてはぐくまれてきた規範だって、バナキュラーに生まれてきたものだとしても、こういうときはこうするよね、みたいなことは同じ機能を持っています。市場や法律も同じように、そこに働きかけることで、行動のアウトプットをある形で拘束したり調整したりすることができる。
八束:ややこしくなるので今日は深入りするのを止めておきますが、本当はそれにフーコーの「生政治」も加えたいのですね、規範そのものがフーコーの用語だし―バナキュラーというよりもっと人為的な規範ですけど―、キヴィタスっていうのも、結構フーコー的な概念であると僕は思うし。そもそも前のレクチャーで羽藤さん、コミュニティの政治原理で大都市の統治は可能なのかという問題を取り上げていますよね。前者はルソー、後者はフーコーの問題意識ですけど。全部違う話なんだけれども、イソモルフィックな所がある。
羽藤:八束さんがあげた人たちが論じようとしているのは、どれも類似の構造について説明している。で、とにかくそういうものの影響を受けて社会というものは存在している、ここまでは、多分共通理解でいいと思うんですよね。で、それを空間だけで記述するとか、あるいは民族学的に何かの規範だけが全てだとか、市場の貨幣だけで換算するとか、それぞれの領域でみればそういうアプローチでやっていくんだけど。それら四つ―四つ以外にあるかもしれないんだけれども―が重なり合った中で、人間というのは生きている。あるいは抑制されたり発展したり、衰退していたりする。それはある一つによって語ることもできないでしょうし、あるいは、四つをそれぞれきれいに描ききれるかというと、多分そんなこともないんじゃないかなと思います。ただその四つのバランスをどういう風に取っていくのかということが、かなり人間社会の在り方を決めていくのではないでしょうか。我々は古い時代から社会というものを構成してきましたが、今はそのなかにコンピューターのコードとかが入ってきて、過去から継承されたものとは違ったものが、新しく出てきている。でも、よくよく考えてみると過去にもそういうことはあった、くらいのことではないかな、と私自身は思っています。
八束:空間の問題を扱うもう一つの分野が地理学だと思うのですね。そういう意味もあって僕は地理学を一時期調べていたんです。さっき羽藤さんが60〜70年代のアメリカの話をされていましたけど、そこでリージョナル・サイエンス35みたいなものがでてきて―そこで中心的だったのは地域の交通と経済で、それは間違いなく同時期の丹下研に影響があったと思いますが―、それと平行して計量地理学が全盛になって、それが次の時代に、マルクス主義的なラジカル・ジオグラフィーの連中、日本で有名な人だとデイヴィッド・ハーヴェイ36なんかに批判されていきますよね。あれは、ニュートラルに数字を扱っている連中は、資本の手先をやっているだけだ、という批判ですよね。ニュートラルに見えてそれへのアクセス能力は資本を持っている者が圧倒的に有利なんだから、数字は結局、体制に都合の悪いものを隠蔽する方向に働くという論理です。その当時はコンピューターなんて、もちろんパソコンがまだ出てきたばっかりのときだから、数字の処理能力も全然違っていたとも思うけど…その能力が飛躍的に上がった現代においては、こういう位置づけっていうのは、昔の計量科学の焼き直しバージョンということになるのかな?でもそうではない、数理の周縁の、ディジタイズできない部分も重要だと言っちゃうと、自らのステータスを批判というか否定することになりません?
羽藤:いや、僕は自分のステータスにあまりこだわってなくて。プログラムもできるし、やりますけど。数理は確かに焼き直しなんですよ。ビッグデータなんて完全にバズワードですから37。それで全部出来るかって言うとそんなわけないから。だから表現出来たり、あるいは使う人が結構いろんな人が使うことが出来るようになってきたというのは、単にそういうことがあるというだけに過ぎない。だからあんまり自分は・・・これは失礼な言い方なんだけど、僕はプログラマーだとか自分は建築家だとか工学家だとか、こだわる必要はないのじゃないかと・・・。専門性としてはこだわっても良いんだけど、それに拘泥していると、見たいものが見えなくなるんじゃないかみたいな気はしているんですけども。そういう言い方をすると、身もふたもなくなるから・・・。
八束:いや、それをはっきり言い切れることは素晴らしいですよ。僕は数理分析の専門家としての羽藤さんの世界的なる所以を理解できるとは思わないけど、そういうアンビレンツを自認しているところもあって羽藤ファンなんです。
羽藤:すいません(笑)。
八束:これは、専門◯◯批判をやっていた全共闘世代のメンタリティかもしれないけど、僕はそもそも自分のディシプリンに疑いを持たない人は怪しいと思っているので。
29.目的変数とは、予測すべき変数、つまり物事の原因(これを説明変数ないし独立変数という)の結果のことをいう。従属変数ともいう。この両者の(因果)関係が定量的にどの程度説明できるかを分析するものが回帰分析。
30.効用関数とは、財(の購入とか消費)とそれから得られる効用(満足度のこと)の関係を数値に置き換えた関数のこと。価値や質、重要性とか好みなどの変数をも含むので、一定ではなく選ぶ人間によって違ってくる。
31.本間健太郎、宇野求「混在する“多様な施設”と“画一的な施設”の競合モデル」日本建築学会計画系論文集20130210
32.國分昭子『既成住宅市街地の更新過程とその相互作用に着目した空間形成メカニズム』 東京大学2013年度博士論文
33.ローレンス・レッシグ『CODE VERSION 2.0 』 山形浩生訳 翔泳社2007 レッシグには元々同訳者、同出版社の単なる『CODE』という本がある。これはその改訂版。
34.東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 講談社 2011
35.地域に関わる社会科学ということになるが、地域経済。配置論、交通、資源マネジメント、環境及び生態分析、地域政策などを含む総合的な空間研究。ドイツの戦前のクリスタラーやレッシュの産業配置論の影響を受けながら、20世位半ばのアメリカのウォルター・アイザードなどによる居住や産業配置、都市開発などの科学を目指したもの。
36.デイヴィッド・ハーヴェイ(1935—)イギリスの地理学者。マルクス主義的なアプローチによる批判的地理学(ラジカル・ジオグラフィ)の旗手。社会的不公平など政治色の強いテーマを扱っている。
37.一見分かるようでいて実は具体的には分からない、精確な定義に欠けたキーワードのこと。
数理的アプローチの現在
八束:松田さんに質問を移して良いかな?この間、定さんが来られたときの「とうろん」の話を僕は聞いていないのですけど、都市工のなかで数理の研究室がありますよね、羽藤さん以前に。それが、さっきのアメリカの計量地理学じゃないけど、「まちづくり」全盛になってから割と冷淡に扱われていたという観察を僕に教えてくれた人がいるんだけど、どうなんですか?
松田:それは、僕の範疇外というか、いま都市工に戻ってきて3年とちょっとくらい、という段階なので、むしろ羽藤さんのほうがご存知だと思いますけど。中でどういう移り変わりがあったかというのは、調べたこともないし・・・中島さんとかの方が詳しいと思うし。すみません、そのことは答える立場にないです。
羽藤:なかなか保身に走るね(笑)。
松田:保身じゃないですよ(笑)。すみません、単純に内部のポジショニングまでは知らないのです・・・
羽藤:都市計画における数理は都市解析があって、ちゃんとやってる。交通の方も数理的なことをやっている。で、問題は分化したっていうことなんじゃないですかね。統合するって言うのはデザインの基本なんだけど、統合するところから分化して、数理は数理、デザインはデザインとなってしまった。だから結局思うようにできなくなって、まちづくりみたいなものも大事だよね、ってなっている。だけど、数理からサーヴィスは創れるし、制度設計もできる。そいうメタなデザインと空間計画や都市デザインが結びつくことで、昔解決できなかったことができる可能性はあるんじゃないでしょうか。
八束:その制度設計と言うのは、さっきのハーヴィッツのメカニズム・デザインに似ていますね。
宇野:都市は、否応なく幾何学、形態学、つまりジオメトリーの制約をうけますし、それが計画条件になりますから、都市工学特有の部分なのですが、そのおおもとにあるジオメトリーを取り扱わなくなりましたね、都市工学科では。論理的分析力はあるんだけど、ジオメトリーから離れたたためにプラクティカルな計画や設計にフィードバックできる都市工学的、あるいは建築学的知見が少なくなりました。
羽藤:空間を捨象して一般化座標でグラフ表現することで数理的にはシンプルになるから、操作性は向上したんだけど、本当の空間の意味みたいなものには迫れなくなったし、離れていたということはあると思います。
宇野:離れていきましたよね。住宅地計画の浅見さんも都市解析やってたし、貞廣さん38が大きい量を扱うようにはなったけれど、それはコンピューターの性能の飛躍的な進歩によるところが大きく、都市工学の数理的研究の発展によっているとは言いにくい面があります。
松田:それで、都市工と関連することで言いますと、空間情報科学研究センターというところがありまして、浅見先生はそこで所長をされていました。都市工では、新領域創成科や生産研、先端研など、別関連組織と兼務している教員が結構多いです。
宇野:研究科・研究所といった組織体とは別に、プロジェクト研究のためのセンターをつくろうということで設置されたわけだけれど、書面上の兼務教員がほとんどだし、実際のところは予算とポストを分け合うハコをつくったというような面があって、今日の議論とはだいぶ違う面があります。
松田:今日の話で、空間と経済、もしくは形と数理というある種の対立項が挙がりましたが、それを結びつけるものとして、分野としては「空間情報科学」というものはあってしかるべきという気がします。たまたま先ほどのセンターから連想された言葉で、実際のセンターでやっていることとはずれるとは思いますが、要するに「空間」と「情報科学」を結びつけることは、必要だろうということです。それが実際にはあまりなされていない。先ほどの丹下さんの数理的なアプローチの話も、やはり建築や都市といった空間を扱う学問の側から、本当はやらないといけないと思うんですよ。
そういえば、パリとバルセロナに行ってきて帰ってきたばかりなのですが、パリにはパヴィヨン・ドゥ・ラルスナルという市の建築都市博物館があって39、パリのいろんなプロジェクトを紹介しています。そこではパリ市のいろんなプロジェクトを、今回は「建築」と「都市」と「交通」という三つに分けて紹介していたのが、すごく明確で印象的でした。日本でも世界でも、「交通」が「建築」や「都市」と台頭に扱われた分類は、あまり見たことがありません。でも「交通」という概念は、「空間」と「数理」を結びつけるところにあるような気もしますし、またやはり丹下さんが扱おうとした問題でもありました。
この辺りに関連して、羽藤先生にお聞きしたいのは、数理的な問題というのは、どれくらい専門分化が進んでいるかというところです。丹下先生のころ、20世紀中盤には、「空間」の問題と「数理」の問題を同時に扱うことができた。もしかしたらぎりぎりの段階で、丹下さんはそれをやりきれたのかなと思います。ところが21世紀初頭の現段階において、「空間」の問題と「数理」の問題を、同時に、しかも高いレヴェルでやりとげることができるのは、どれくらい難しいのかというのを、数理の専門の立場からお聞きしたいなと思ったのです。
ちなみに僕は原広司先生の孫弟子みたいなところにいますが、原先生はずっと、建築と空間の問題をいかに数理あるいは数学で記述できるか、ということを延々とされていました。原先生は数学の問題を数学者と対等に語れるくらい、数学への造詣が深いのですが、おそらくそういう人は建築分野では稀有だと思います。僕も数学は好きでしたから、原先生がどこまでその問題を解き明かしていくのかなというところにずっと関心を持っているのですけども、やっぱりダイレクトに結びつけるのは難しい問題かなと思っています。そのあたりのことをちょっとお伺いしたいと思ったんです。
羽藤:僕らが空間を見るときに、動くもののほうの理屈からその空間が理由付けできるか、という風に見ないと不安で仕方ないし、理論的に積み上げたところで、理解したいというのがあります。
宇野:アリストテレスの「自然学」みたいですね。「もの」は場所の力によっておのずからあるべきところに運動するのだから、ものの動きを見ることで場所の力を読み取ることができる、とかね。
羽藤:不動産じゃなくて動産の方、動くものから見たときに、建築だったり都市だったりを、どういうふうに考えるか、というところから、建築的なものに働きかけたいと思っています。
宇野:いまのお話しは、とても面白い話ですね。黒川紀章さんが「ホモ・モーベンス(移動する人)」を提唱した初めての建築家でした。羽藤さんは黒川さんよりずっと後の世代です。21世紀の世界は新しい中世になる、という説があって、その意味するところは、都市の間を移動しながら暮らす人が増えていくということです。グローバル都市間を動きながら暮らす専門職が増加するという仮説のもとに語られる都市モデル、、、、そうした新しい都市モデル、黒川さんが定義した「ホモ・モーベンス(移動する人)」が暮らす21世紀の都市像を、羽藤さんなら描くことができるかもしれないなと想像しながら聞いていました。
羽藤:で、松田さんの質問に対してですが、どれくらい難しいかって言うと・・・そんなに難しくはないんじゃないかと思います、理解するって言う部分と、実装してちゃんと建築だったり都市に返すということを考えたとき、僕は、いま長崎駅の計画や設計に組んでいるわけですが、どこまで反映できているかというと、少しそこには距離があって課題だと思っています。ただ解き明かすということについては、一つはプログラミングみたいなことが基礎になるでしょうし、確率過程だったり、線形代数の基礎からちゃんと教育していけばと思っています。
ただそういう基礎と実践を結びつけるスタジオのような教育が今はない。だから、繰り返しになるけど、建築のなかから建築と都市計画が別れてしまって、都市計画ということを建築学科の中で学ぶ機会が東大の中では失われたということは大きいように思います。また交通というものを建築の中では体系的に学べない。社会基盤には交通があるんだけど、デザインと統合的に教えるスタジオ教育は行われていないので、そういうスタジオを最近始めたところです。移動の側から都市とか空間のデザインを考え直すあるいは再編集し直す必要があるにも関わらず、そこのところがすっぽり抜け落ちているというのが勿体ない。動くというところから空間を考えるということを、もう一回教育レヴェルで組みたてなおしていくことで、面白いことが出てくるんじゃないかと考えています。
松田:西洋というかフランスですけども、20世紀初頭だとウジェーヌ・エナールという人が40、パリのロータリー(ロン・ポワン)などを設計していて、交通を扱った技師というのは一応、いることはいます。あとさっきの話になるんですけれども、形と数理、あるいは空間と経済みたいなものを本気で同時に扱おうとしているのは、リサーチと設計を組織化させたAMOとOMAも近いのかもしれません。でもそういうことを日本で本気で取り組もうとしている人はなかなかいないので、僕は逆に羽藤さんに空間のことを考えて頂くと、大きなことが変わるかなと思います。なんでかとういうと、空間から数理や経済の方に行くというのはすごくハードルが高くて、その逆のほうが、意外に接続が速いのではないかという気がしています。柄沢さんは結構経済を勉強されているので空間から経済にいける珍しい人だと思いますけども。だから羽藤さんにはもっと空間のことを聞かせてほしいなと思っています。
八束:前回違う話で、僕は現在の建築学会の悪口を言ってしまったんだけど(笑)。そのノリでもう一回今度は数理のことで続けると、たとえば某大学の社会工学科というのは、ある意味、丹下さんが最初東大都市工で考えていたように、経済とか文科系の学者も入れて出来ているよね。なんだけど、学科のホームページとかに行って見てみると、他の大学でも建築とかで数理やっているところ、あるいは経済から開発経済学とか社会工学やっている人たちも同じですが、結局最終的には最適値を求めていくだけの話であって、「なんで最適値が要るの?」という大本のはなしはものの見事に欠けているという印象があるのですね。大本は「まちづくり」や環境工学など既存の他の分野でいわれている規範なんですよ。で、さっき松田さんがインテグレーションがないといったけど、要は、都市空間でも公共空間でも、あるいはもっと大きな国土・地域空間でも構わないけど、それに関してどうしていきたいの、という仮説とか理論がないまま、数理が一人歩きして最適値問題に行くとなると、僕には矮小化にしか見えないんですね。応用技術だけ精緻化しているというか。羽藤さんは面白いなと思うのは、文武両道やっているから、そういうことにはならないと思うんですけど。どうですか?
羽藤:数理の世界ではベンチマークっていう言い方をするんですけども、ノモセティック(法則定立的)な規範型のアプローチで行ったときに、最適解・最適都市、よくコンパクト・シティとか、ああいうのも元々はOR・オペレーションズリサーチ用語で、エネルギー量を最小にする都市のことをコンパクトシティと呼ぶわけですが、それはベンチマークに過ぎないんですよね。ただベンチマークがあると、そこの差分から現状の都市を見て、問題点を考えたり、比較したり色々考えることができる、という程度のものなんだけれども、やっぱりある専門性を追求していくと、例えば建築家の人ができるだけ美しい、きれいなデザインのものを求め求めて、でも「そこまでは要らないです」ということを言う人がいるかどうかわかんないけども、そういわれてしまうことがないわけではない。だけど、美しいものは美しい。僕は式展開して一日中集中して考えていると、やっぱりその式を通じて都市だったり、人の行動だったりに対するよりよい理解が体にストンと落ちて行くような気がする、そういうところがあるのも事実なんですよね。
データというのは現実に起こっていることですので、それを眺めることで建築家だったり経済学者だったりが、分からないことを現実的に発見できる可能性がそこにはあるわけです。そしてそれは現実を見ても良いしデータからでも良いんだけど、発見的なアプローチで今まで気づかなかったことに気づけて、デザインに反映できる可能性もある、でも、その理解やデザインは、最後にアクションという、ある種の仮説を持って、実験的・投企的に行動しない限り、世の中は変わらない。逆に言うと行為をしたことによってのみ初めて、その演繹的な理論が正しかったのか、あるいはこんなデータがあるからという風に言ってたことは、本当に正しかったのかが証明できる。
宇野:あるアクションを実行すると、境界条件が動きますね。
羽藤:境界条件が動くことで、新たな理解が得られるということが初めて起こる。その理解がまた行為を生み出していく、単純な運動論ではなくて、行為がより確かな形で自然(じねん)してくる、創造的な社会だったり空間だったりがもっと生まれてくるんじゃないかなと。そういう風になると良いな、とは思っています。
八束:メインの話はこれで良いかな、という気がするので、質問タイムにいきますか?柄沢さんなんかありますか?
38.貞廣幸雄 東京大学空間情報科学センター 教授 専門は地理情報システム、空間意思決定支援システムなど。
39.Pavillon de l'Arsenal. http://www.pavillon-arsenal.com/
40.ウジェーヌ・エナール(1849-1923)パリ市につとめたフランスの都市計画家、建築家。
質疑
柄沢祐輔:ダニエル・マクファーデンの話をお伺いしたいんですけど。例えば新古典経済学が原理にしている均衡理論というのが実は怪しいという話は20世紀後半になってかなり出てきますよね。で、じっさいにそこには目を触れないようにして経済の体系が維持されているというのを経済学者たちは指摘している。経済学自体が、様々な現実の諸現象を捨象して成り立つ均衡理論の体系だと。それは我々が非合理な選択をしていることからも明らかだと思うんですけど。
八束:捨象していることが分かってきたというよりも、ワルラスとかシュンペーターとかは、最初から現実を捨象するんだと言っている。現実に理論が対応するかどうかは重要じゃないと。それで均衡理論を成立たせた。要するに経済なら経済の全体への視座の原点をつくったわけですね。座標というか。建築の機能主義も同じだから、そこをつついても、それだけでは堂々巡りになる。まぁ、でも柄沢さんならそこでは止まらないだろうから、つづけてください。
柄沢:マクファーデンの話というのが、ある空間をグラフに置き換えて、そこで人がどのように行動するかということに対して人が一定の理論をつくった時に、それがあたかも均衡理論のように人間の非合理な行動を捨象した時点での理論で、それを現実のある一定の空間の人の動きに当てはめて誤差が生じた場合に、それは結局、全体理論を壊すほどの誤差にならないのかどうかということをお伺いしたいんですが。要は非線形の問題だと思うんですけど、非線形性を無視するくらいの強靭な理論として、グラフ理論の中で人の滞留行動というのは分析可能なのか。それは経済学が今持っている問題とかなり共通しているものなんじゃないか、という話があるかと思うんですけども。
羽藤:完全な理論というものはないので、現実社会では均衡は成り立っていないですよね。均衡条件の前提になっている完全情報、人間にとって完全な情報は有り得ない。だけどそれを仮定して世界を見ることで、それぞれの都市の特徴とか差異が浮かび上がる。その差異をもって世界を多少なりとも俯瞰的に眺めて、いくらかのずれはあるにしても、むしろそういう理解を身体化することで、アクションにつなげることはできるかもしれない。ただそれは間違いもあるし、誤差もあるわけですね。だけど、その誤差が大きいとか小さいとかっていうことは、もちろん現実のデータをもってわかることなので、誤差があるということを前提に寧ろ正面から世の中を見ることはできるのではないでしょうか。
柄沢:その誤差を埋める理論というのは、経済学の分野ではまだ見いだされていない?いろんな人が模索していますけど。
羽藤:もともとマクファーデンのロジットモデルは、BIRTと車どっちでサンフランシスコのダウンタウンに行くんですか、というときにそれぞれの効用関数があって、効用関数は確定項と誤差項を持っているわけですが、理論では観測しきれない誤差項が入っていて、その誤差項の大小によって選択確率がどうなる、というのを系統的に説明できるようにしたことでノーベル経済学賞をもらったので、誤差を包含した理論体系とはいえると思います。
柄沢:それは、非線形性が生じないということなんですね、ある程度は。むしろそれを補えるということですね。
羽藤:いや、当然組み合わせ問題にすると爆発的に非線形性は出てくるわけです。個々人の行動をマイクロシミュレーションするとそういう非線形は確かに記述できますよ。でも、ただそれは当たるも八卦当たらぬも八卦ということで、だったらそういう非線形性を強調した記述よりも、制約は大きいかもしれませんが、均衡の中で比較して理解した方が良い、と言うのが均衡派の人たちが言っていることです。
柄沢:多分、大枠としては経済学のレヴェルで色々な理論が均衡理論を補強して今の経済学が動いているという話と似てるかと思うんですけど。
羽藤:経済学部の教授の退官記念に行くと、だいたい「データがどんどん出てきて既存の理論が吊るし首に上げられるような気分だ」とか。あるいは、ハーバート・サイモン41がノーベル経済学賞を「限定合理性 bounded rationality」でもらったときに、均衡派が絞首台に一歩一歩近づいていくみたいだ、ということを言っていますから、現実がどんどんどんどん古典的な理論を追いつめているのは事実だろうと思います。
柄沢:その、古典的な理論が追いつめられるというのは、経済学にとってかなり致命的な部分で批判がされていますよね。たとえば、いま東大の安富歩みたいな複雑系の数理の人たちが「もうほとんど経済学じたいが砂上の楼閣だ」みたいな話を展開するわけですけれども。
羽藤:問題は批判して崩すことはできるんだけど、批判したものに世界は描けないんだよね。これが最大の問題ではないでしょうか。
八束:さっきのモーゼスのはなしみたいだ(笑)。
羽藤:お互いをお互いが補い合っているという風に考えれば良いんだけど。
柄沢:結局、サイモンの限定合理性の話なんですけど、完全に非合理な話をしているかというとそうでもないし、完全な合理性でもないし、中間のバランスがどうやらまだ分からないというのがあって、それはまだ経済学が探求できていなくて、特に人のグラフ上でのふるまいというのも大局的にはそこに収斂していくのかな、という気がします。
羽藤:まあ、あたるあたらないという判断は、データがあるので分かるんですよ。見掛け上、理論があたるかあたらないかだけなら、良いとか悪いとかと評価できるし、評価できるということはあたるようになっていくということでしょうね。
柄沢:あたるようになっているということですね
羽藤:事実だろうと思います。
柄沢:ありがとうございます。
八束:他に。
松田:ちょっとだけ、補足的コメントで。建築学会で交通の話を専門的に聞けるという機会は珍しいと思います。僕は「建築」と「都市」の問題系から「交通」の問題系を考えていくのは、非常に重要だと思っています。でもそれはなかなか統合できない。でも初源においては一体であった気もしています。さっき名前をあげ忘れた人で言うと、19世紀半ばのバルセロナで活躍したセルダ42は、速度の問題を扱って都市計画をしたわけだし、ル・コルビュジエもずっと交通の問題を挙げていてシャンディガールもそうですし、統合的に都市を捉えようとすると必ずついてくる問題で、その後、セルダやコルビュジエの系譜を継ぐ人がなかなかいないという感じを受けていました。
八束:そうでもないでしょう。近代建築史風になってしまうけれど、team X辺りでもモビリティというのは大きなテーマだったし、これはあまり知られていないけれど、60年の東京世界デザイン会議でも大きな話題だったんですよ。どこかに書いた覚えがあるのだけれど。カーンとかルドルフとかあの頃のアメリカの建築家たちはパーキングの計画とかやっているし、カーンはフィラデルフィアのモビリティの計画もやっている。ただしアメリカではモビリティという言葉を使ってなくてムーブメントなんですよ。その記録を読むと通訳の人がまったく理解していなかったのでムーブメントのことを運動と訳しちゃうのかな。篠原一男さんがそれに対してコメントしてましたが、まったく意味が通じていないという事態はあった。
羽藤:都市をとらえていたんだよね、彼らは。
八束:そうそう。
羽藤:日本は建築でとらえているんですよ。だから今中心市街地の問題なんかは、ほとんど駐車場の問題ですよ。人口が10万人とか20万人とかの中心市街地の住宅地図を眺めればわかりますが、半分以上駐車場ですから。だからそういう発想で空間にアプローチできるかということなんだけれど、建築は建築の強みとして屋根があるところが建築ですので、建築から都市を捉えるのだけれど、現実の都市というのはぜんぜん違う様相になっていると思います。
八束:ああでも、メタボリストは都市的な発想ですから。大高正人さんの坂出の人工地盤は、元々地方都市の都心部に、将来増えるであろう駐車場のためのリザーブ空間を人工地盤の下につくるという発想から始まっている。今行くと、ものの見事に倉庫と駐車場で埋まっていますけれども。
松田:ムーブメントという言葉が出たのでお聞きしますけれども、モビリティと端的には、トランスポーテーションとかそっちのほうだと思うのですけれど、モビリティとトランスポーテーションの言葉の使い分け、イメージとしては、羽藤先生は一般的に交通といって想定される言葉なのでしょうか。
羽藤:トランスポーテーションのほうが、僕らが通常研究や実務で使ってきたデザインの対象言語です。モビリティというのは人間の側から考えているし、移動欲求とか可動性とかいうことなのでもっと広義の意味を持っています。トランスポーテーションというのはシステムとしてとらえる場合の言い方ですよね。
八束:モビリティとかムーブメントといったときに、建築家たちは、ある種の新しい都市現象を言いたかったのだと思います。トランスポーテーションはその手前の手段でしょう。因に今日端っこに坐っているのは僕の教え子なのだけれど、今JR東海に行ってリ品川辺でニア新幹線をやっているんですよ。品川どう?
羽藤:品川は難しいですよね。品川は都市というか、寧ろ空港に近い。あの空間をどのように仕立てるか、事業者は大変だと思います。コアの作り方が難しい。建築的に大深度地下の大空間をどのように可動性を確保したうえで担保するかをちゃんと考えないと、大深度地下で水平移動が速くなっても、鉛直方向で時間がかかってしまうと意味がない。
日本の建築で一番オリジナリティがあるのは、駅ナカじゃないでしょうか。民衆駅という仕組みに端を発する駅ナカという建築を積極的に捉えて、移動空間であり建築でありというところから、都市や地域とどのような関係を結ぶのか、日本の建築の中でも移動空間としての駅はおもしろい領域なのではないかと思います。
八束:僕は昔、西鉄の博多駅の計画をやりかけたことがあって、いろいろな提案をしたのだけれど、結局うまくいかなかった。鉄道事業者ってサブの事業体がいっぱいあって、みんなそれぞれ縦割りになっていて、既得権利があるんだよね。さっき政治の話が出たけれど、そういう権利関係を横断するような駅のインテグレイトした話をやると、みんなそこで止まってしまう。
羽藤:今僕らが駅のことを考えるときにやっているのは、丹下さんがいっていたように、ほとんど調整です。例えば、高架下は土木構造物なのだけれど、土木構造物の基準でつくられた柱とかスパン割が与えられえていて、RCとかSRCに変えると、スパンが飛ばせて大空間ができるというのを土木構造物の観点から議論して、そういう線路がのっかっている高架構造物が上屋の構造に同時に決定的な影響を与える。平時の人の動線を捌きながら、災害時にもきっちり対応できる空間をつくっていく必要がある。でもラチ外、ラチ内、建築基準法、旧法、いろいろな制度の制約もある、いろんなストックホルダーとステークホルダーがいて、そういう複雑な方程式で書かれた駅という存在は、まさに都市そのものなんですよね。駅に本当にコミットするには、さっきの数理とデザインもそうだのだけれど、やはり総がかりでやらないとこじ開けられない何かがある。でもそういう空間こそが日本、東京のある種建築空間としては世界にない大きな特徴をもっているし、日本の都市や地域を考えていく上で重要なんじゃないかなと、私自身は強く思っています。
八束:この辺りにしておきましょうか。いつもは対論の音頭とりは布野さんで、僕は勝手なことしゃべっているだけなのですが、明日退官記念講演ということで布野さんが帰ってしまったし、そうでなくとも、毎度毎度両方が司会みたいで、不手際であっちこっちに飛びますけれど、それぞれのところでは刺激的な議論が聞けてよかったと思います。今日はどうもありがとうございました。
41.ハーバート・サイモン(1916-2001)アメリカの政治学者、人工知能研究者、認知心理学者、組織論、経済学等々。1927年のノーベル経済学賞受賞。元々は組織論における人間の認識能力の限界に関わる理論で、後にオリバー・ウィリアムソンによって取引主体がもつ限られた合理性として展開された。後者によると、これはミクロ経済学(均衡理論)で仮定される最大化計算が可能な合理性と、計画的に創り出されたわけではないが合理的と考えられる、貨幣や市場のような有機的合理性の中間的なものである。
42.イルデフォンソ・セルダ(1815-1876)スペイン、カタルーニャ地方で活躍した技師、都市計画家。バルセロナの整備拡張計画に取り組んだことで有名。
(文責:八束はじめ)
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