ゆるやかな統一 調整者としての建築家,書評内井昭蔵『再び健康な建築』,京都新聞,20030915
書評 内井昭蔵 再び健康な建築
ゆるやかな統一
建築はひたすら健康であれ
調整者としての建築家
布野修司
ポストモダンの建築が華やかなりしバブルの時代、建築界に「健康建築論争」と呼ばれる論争があった。著者はその中心にあって矢面に立たされた。近代建築の単調さ、画一性に対して仰々しく異を唱えた若いポストモダニストたちには、建築はひたすら自然で健康であれ、という素朴な主張は反動的で敵対的なものと思われたのである。
時は過ぎ、帰趨は明らかになった。「再び健康な建築」と題された本書には「健康な建築」を求め続けた建築家の一貫する真摯な声を聞くことが出来る。
しかし、「健康」とは何か。論は単純ではない。「「健康」であることは「病気」であることと同じである」と書かれている。また、「自然」とは何か。建築するということはそもそも自然に反することではないか。「人工」は病なのか。テーマは多岐に亘るが、装飾、生態、環境といったごく当たり前の普通にわれわれが用いている概念が繰り返し繰り返し問われている。
建築論の展開とは別に、著者の提起したマスター・アーキテクト制にも当然触れられている。建築家と言えば唯我独尊、頑固な独裁者というイメージが流布する中で、「ゆるやかな統一」を前提とする調整者(コーディネーター)としての建築家像は、ワークショップ方式のまちづくりが進展するなかで根づきつつある。京都コミュニティ・デザイン・リーグの運動もその流れのひとつである。
内井先生とは京都大学で三年ご一緒した。また、京都市の公共建築デザイン指針策定のための委員会で一緒であった。氏と京都との縁は深い。身近に接して第一に思い起こすのは、その思考の柔軟さである。景観についても予め色や形態を決めて規制するのは反対であった。さらに活躍が期待される大建築家であったが、昨年急逝された。本書は遺稿集でもある。その精神を学ぶ手掛かりがまとめられたことを喜びたいと思う。2003.0908
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