「タウンアーキテクト」と組織事務所,日韓建設工業新聞,20000618
「タウンアーキテクト」と組織事務所
都市・街づくり・建築設計と日建設計
布野修司
つい先頃、『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』(建築資料研究社)という本を上梓した。日本におけるタウンアーキテクトの可能性について出来るだけ具体的に論じたつもりである。帯に曰くこうだ。
「迷走する建築家の生き残る道を指す・・・・「建築家」はその根拠を「地域」との関係に求め、「裸の建築家」から「町の建築家」への変革を迫られている」。
ターゲットは日本の建築士九〇万人。発想のきっかけは、地域の景観行政。地域の町並み景観の形成のために「建築家」が果たすべき役割、そのための仕組みについて議論した。建築界が否応なく構造改革を迫られる中で、仮に「タウンアーキテクト」と呼ぶまちづくりに関わる新たな職能が生き残りを賭けて必要であるという分析も基本にある。
ただ拙著に決定的に抜けているのが組織事務所の役割である。「全ての「建築家」が「タウンアーキテクト」であれと言っているのではない。国境を超えて活躍する建築家は必要であるし、民間の仕事はまた別である」と書いて、考察を省いた。正直言って、現実には地域における仕事の配分をめぐるややこしい問題がある。
日建設計を頂点とする組織事務所のあり方について問われるたびに言うのは「個人の顔が見たい」「地域の固有性をどう考えるか」ということだ。その組織力、技術力への信頼は大きいけれど、個々の仕事を担うのは特定のチームである。困るのは、公共建築のコンペの設計者選定の場面だ。指名コンペへの参加者の選定、あるいはプロポーザルコンペの場合、具体的な場所に対する具体的な提案より、組織としての実績が重視される。一般に様々な評価項目毎の点数が比較されるけれど、点数で判断するなら世界一の組織力を誇る日建設計が全ての仕事を奪ってもおかしくない。担当チームの実績を比べるべきだ、地域との関わりを重視すべきだ、というのが僕の基本的主張である。はっきり言って、全ての仕事にエースを投入できるわけではない。地域によって、組織事務所内部で設計チームが勝手に選別されているとしたら地域が可哀相だ、という思いがある。地域の景観には十分配慮しましたと言いながら、地方都市には不似合いな、都会ならどこにもありそうな超高層ビルを設計するといった事例は少なくないのである。
タウンアーキエクトは地域の住人である必要はないけれど、地域と持続的な関係をもつのが原則である。組織事務所の組織原理と地域をベースとするタウンアーキテクトの原理は両立しうるのか。まちづくりには手間暇がかかる。ワークショップ方式によるプログラムの設定から、維持管理まで、組織事務所は果たして余裕をもって人員を割けるのか。そもそもまちづくりはNPOのような組織の方が向いているのではないか。自治体の営繕部局との関係はどうなるのか。それぞれの役割分担、棲み分けが楽観的な答えなのだろうけれど、果たしてどうか。
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