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2024年5月11日土曜日

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布野修司 Shuji Funo
チンパンジーとホモ・サピエンスのDNAはわずか1.6% しか違わないが,チンパンジーは一定の住居を造ることはない。樹上に樹木の枝や葉を使って巣を造るが,毎晩場所を変えて造り直す。基本的には自然を棲家としている。建築する能力、空間を創り出す能力はホモ・サピエンスのみが獲得した能力である。

巣をつくる生物は,モグラ,ホリネズミなどの哺乳類の他,両生類,魚類,爬虫類,鳥類をはじめ,昆虫,蜘蛛,ウニ,甲殻類など多数にのぼる。しかし,ホモ・サピエンス以外の生物の巣作りは、遺伝子によってプログラム化されており,その経験をもとに、新たな建築空間形式を創り出すことはない。

建築する能力すなわち人工的に空間を創り出す能力は,ヒト科Hominidaeの進化の過程で,ホモ・サピエンスのみが獲得した能力である。建築する能力とは,予め空間をイメージする能力,二次元の図面(絵,表象)として表現する能力,世界を抽象する能力である。

ユヴァル・ノア・ハラリは、ホモ・サピエンスのみが獲得した能力として,コミュニケーション能力,すなわち言語の発明 ,記憶する能力,学習する能力,とりわけ,虚構すなわち架空の事物について語る能力,単に物事を想像するだけではなく集団で虚構を共有する能力を挙げ、「認知革命」という。

ヒト上科がオナガザルと分岐したのは2800~2400(3800~2500)万年前,ヒト科がテナガザルと分岐したのは2000~1600年前,ヒト亜科がオランウータン と分岐したのは約1600~1400万年前,ヒト族がゴリラと分岐したのが約1000万年前,ヒト亜族とチンパンジーが分岐したのは約700万年前とされている。

何故、ホモ・サピエンスの起源を問うのか?その関心の中心は、芸術や創造、言語、虚構の能力の起源ではなく、それを成立させた集団のあり方である。ホモ・サピエンスの家族と共同体は異なる編制原理をもっている。ゴリラもチンパンジーもホモ・サピエンスのような重層的社会をつくらないのである。



何故、ホモ・サピエンスの起源について改めて考えだしたのか?先日のLocal Knowledgeで山本理顕vs山極壽一対談を聴いたのが大きい。サルは基本的に母系で群れを一生離れることはない。オスが群れを出入りする。対してオラヌータン・ゴリラ・チンパンジーはメスが群れを出て、子育てはオスにまかせる。

30万~20年前に誕生したとされるホモ・サピエンスであるが、「認知革命」が起こったとされるのは7万年前から3万年前にかけてである。何が起こったのか?突然変異説も有力だが、20万年ほどのタイムラグは謎である。そもそも250万年前に分岐したとされるホモ属の脳が急速に拡大していったのも謎という。


山極壽一『家族の起源 父性の登場』『家族進化論』『共感革命 社交する人類の進化と未来』などで一貫して指摘するのは、脳の拡大が先で認知革命(言語の発明)まで30万年近くあること、認知革命の前に非言語コミュニケーション「共感革命」があること、脳の拡大には集団規模の拡大があることである。

山極壽一:群れのサイズが増えると付き合う仲間の数が増える。仲間の行為や自分との関係を記憶しておかないと的確な振る舞いができない。ホモ属の脳はすなわち社会脳ということだ。ゴリラだと10~20、われわれホモ・サピエンス脳容積だと集団規模は150人となる。これは採集狩猟民の村の規模に当たる。

山極壽一:10~15人の集団は共鳴集団であり、言葉はいらない。サッカー、ラグビーの試合では言葉で意思を伝える時間はない。30~50人は学校のクラスだ。誰もが顔を知っていて、担任や級長は全員を把握できる。100~150人は、リストをみなくても顔が思い浮かぶ人数だ。まず家族という共鳴集団があり・・

山極壽一:我々はまず家族という共鳴集団をもっている。家族は見返りを求めない互いに奉仕しあう集団であり、その家族が複数集まって150人ほどの共同体をつくる。共同体はそれぞれのルールに基づいて役割を定め、その行為に応じて見返りを付与する互酬的な関係を保つ。→コミュニティ形成の基本原理。

山極壽一:家族と共同体は編制原理が違う。双方を共存させるのがホモ・サピエンスの高い共感力であり、地域共同体は音楽的コミュニケーションによってつながった集団。祭り、イベント、地域特有の歌を歌い、同じような服を着て、同じ食事を採る、脳ではなく、身体的に衣食住を共にすることで同調する。














2024年5月10日金曜日

2022年上半期読書アンケート,図書新聞, 3553号,2022年7月30日

読書アンケート 2022年上半期

布野修司

 

❶稲村哲也・山極壽一・清水展・阿部健一編『レジリエンス人類史』京都大学学術出版会20223月❷秋吉浩気『メタアーキテクトー次世代のための建築』スペルプラーツ20223月❸アラップ+日経アーキテクチャー『ARUPの仕事論 世界の建築エンジニアリング集団』日経BP2022年1月❹水田恒樹『産業革命の原景 英国の水車集落から米国の水力工業都市へ』法政大学出版局20225月❺小川格『日本の近代建築ベスト50』新潮新書20221

❶は、わが国を代表する知性たちによる人類と地球の歴史とその未来についての論考である。全体は25章からなるが、もとより単なる論集ではない。徹底した議論が基になっており(QRコードでその総合討論・座談会も読むことができる)、人類史を5つのPhaseに分け、主概念レジリエンス(危機を生きぬく知)について3つのキー・コンセプトが立てられている。「人新世」の転換を展望するのはPhaseⅤの5本の論考である。❷は久々に現れた建築理論書である。小冊子であるが、ShopBotという木材加工機を手に入れて以降の各種木工品、家具、そして建築への実践活動の展開をもとに、これまでの建築家の試みを含み込む建築の生産流通消費の壮大な理論が組み立てられようとしている。今後の展開が楽しみである。❸は、世界を股にかける建築エンジニアリング集団ARUP東京事務所の仕事。❷と❸に大きな位相の差異はない。❹は、産業革命の原点を問う。R.オウエンのニューラナークの実態がよくわかる。❺はヴェテラン建築編集者による日本の近代建築ガイド。若い世代には最早知られない建築家も多いか?(建築批評)




 

2024年5月9日木曜日

ソウェトのブリキの家,建築雑誌,199903

 ソウェトのブリキの家,建築雑誌,199903

 ソウェトのブリキの家   

 南アフリカ ジョハネスバーグ


 布野修司

  もう二〇年近くアジアの大都市を歩いてきたから少々の「スラム」には驚かない。が、ソウェトにはちょっと驚いた。見渡す限り一面がブリキの小屋の海なのである。

 ソウェトは1976年の暴動で知られる南アフリカで最も有名な黒人居住区だ。跡形もなくクリアランスされたケープ・タウンのディストリクト・シックスとともにアパルトヘイト体制の象徴である。ソウェトとはサウス・ウエスト・タウンシップの略だ。ジョハネスバーグの南西に位置するひとつの区である。区といっても総面積は東京の山手線の内側の広さがある。人口は300万人を超える。想像してみて欲しい。その大半が小さなコンテナのようなブリキの家に住んでいるのだ。

 もちろん、いくつかの住居タイプがある。ブリキの箱の次に目立つのはホステルと呼ばれる長屋である。農村からの出稼ぎを吸収する単身用宿舎で女性用、男性用と分かれている。さらに公営住宅がある。平屋の二戸一(セミ・デタッチト)の形態が多い。マンデラ大統領の生家もそうした中にある。今や名所で、前に土産物屋が出来たりしている。

 どこでもこうした「スラム」の家の建設資材は廃棄物、廃材である。中には住宅部品(例えば壁パネル)が「新品」として売られていたりはする。需要を考えればそうした商売は充分成り立つのである。しかし、大半の家族は廃棄物しか調達できないのが現実だ。

 何故、こうした廃棄物の家が僕らをひきつけるのか。単に工業用に大量生産されたものを住宅に使えば安くなる、というだけではない。廃棄物を有効利用するといった観点からのみ注目されるのではないであろう。産業社会において失格し、廃棄された、いわば死亡宣告されたものたちが再生していく、そんな夢の物語をそこに感じるからではないか。

 マンデラ以降猛烈な勢いで南アフリカ都市は変貌しつつある。ソウェトがどう変わるのかは実に興味深いと思う。



 

2024年5月6日月曜日

身近なディテールからータウンアーキテクトの役割と可能性,造景,200101

 身近なディテールから・・・・タウンアーキテクトの役割と可能性

布野修司

 

 「タウンアーキテクト」のあり方をめぐって『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』*1(以下『序説』)を書いた。少しづつだけれど反応を得つつある。まず、授業でテキストにして読んで大量のレポートを頂いた。若い学生諸君の反応は、一理ある、というところであろうか*2。ヨーロッパでは、「建築家」が都市計画を行うのは当然だ、という英国人学生のコメントが特に印象的だった。また、京都市の技術系職員を前に「タウン・プランナー(アーキテクト)としての役割」と題して講演する機会も与えられた*3。自治体の職員も、種々の構造改革の過程で、その存在意義を問われている。さらに、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)*4でも、職人の地域ネットワークの再構築と「タウンアーキテクト」の連携がテーマになりつつある。『序説』の最後に「地区アーキテクト」の具体的イメージとして提出した「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」(仮称)の準備も序々に進みいよいよ2001年から始動する予定だ。

 もちろん、全てもっともだ、という反応だけではない。『序説』に描かれた「タウンアーキテクト」の像はあまりにエリート的だ、という批判もある。いくつかのイメージは鏤められているけれど、具体的にはよくわからないという指摘もある。「タウンアーキテクトの役割と可能性」をめぐって、今少し具体的に考えてみたい。

 

 「タウンアーキテクト」とは

 「タウンアーキテクト」とは、直訳すれば「まちの建築家」である。幾分ニュアンスを込めると、「まちづくり」を担う専門家が「タウンアーキテクト」である。とにかく、それぞれのまちの「まちづくり」に様々に関わる「建築家」たちを「タウンアーキテクト」と呼ぼう。

 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。『序説』で考えたように、いくつか問題があるが、地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。

 何も全く新たな職能というわけではない。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている仕事である。ただ、「タウンアーキテクト」は、そのまちに密着した存在と考えたい。必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。そういう意味では、「コミュニティ・アーキテクト」といってもいいかもしれない。「地域社会の建築家」である。

  「建築家」は、基本的には施主の代弁者である。しかし、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割がある。医者、弁護士などとともにプロフェッションとされるのは、命、財産に関わる職能だからである。その根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をももつ。

 「タウンアーキテクト」を一般的に規定すれば以下のようになる。

 ①「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 ②「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。

 ③ここで具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。

 ④もちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」なのである。また、「建築家」こそ「タウンアーキテクト」としての役割を果たすべきである、という思いがある。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」だからである。

 

  何故、「タウンアーキテクト」か

 「まちづくり」の仕組みとして、「タウンアーキテクト」のような存在が必要とされる一方、「建築家」の方にも「タウンアーキテクト」たるべき理由がある。「建築家」こそ「まちづくり」に積極的に関わるべきなのである。

 第一に、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった、ということがある。21世紀は、ストックの時代だ。地球環境全体の限界が、エネルギー問題、資源問題、食糧問題として意識される中で、建築も無闇に壊すわけにはいかなくなる。既存の建築資源、建築遺産を可能な限り有効活用するのが時代の流れである。新たに建てるよりも、再活用したり、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。

 具体的にデータを出そう。1997年の日本の建設投資の名目国民総生産(GDP)に占める割合は、14.8%である*5。かつては20%にも及んだことがあるが、建設投資は一貫して減りつつある。農業国家から土建国家に戦後日本は変貌を遂げて来たが、さらなる産業構造の転換は不可避である。公共事業見直し、IT(情報技術)革命へ、というのが時の政府のスローガンである。同じ1997年、米国の建設投資は74.2兆円、日本(74.6兆円)と同じであるが、対GDP比は7.6%にすぎない。ヨーロッパになるとさらに建設投資は少ない。英国が4.3%、フランスが4.5%である。

 木造を主体としてきた日本と石造の欧米とは事情は異にするとは言え、日本がほぼ先進諸国の道を辿っていくのは間違いないであろう。乱暴な議論であるが、日本の建設投資が米国並みになるとすれば、「建築家」の数は半分になってもおかしくない。英、仏並みだと1/3以下になってもいい。日本の「建築家」はその存続を問われているのである。

 少なくとも、日本の「建築家」はその仕事の内容、役割を代えていかざるを得ないであろう。ふたつの方向が考えられる。ひとつは、建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そして、もうひとつが「まちづくり」である。ふたつの方向はほぼ同じだ。とにかく、「建築家」はただ建てればいい、という時代ではなくなった。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められる。だから「タウンアーキテクト」なのである。

 

 日本の「タウンアーキテクト」

 『序説』では、「タウンアーキテクト」の原型となるイメージを思いつくまま列挙した。「建築主事」「デザイン・コーディネーター」「コミッショナー・システム」「マスター・アーキテクト」「インスペクター」などである。いくつかのレヴェルに分けてみたい。

 ①建築士

 日本の「タウンアーキテクト」の具体的存在形態を考える上でベースとするのが建築士である。日本には約30万人の一級建築士、約60万人の二級建築士、約1万3000人の木造建築士が存在する。その組織体としての建築士事務所は合わせて約13万社ある。もちろん、建築士に限定する必要はないけれど、まず念頭に置くのは建築士100万人、15万チーム程度の組織である。各都道府県毎の数字にはかなりのばらつきがあるが、各地域地域をそれぞれが拠点とするのが基本的イメージである。

 単にあるまちで建築の仕事をしているというだけではなく、地域の活動にも積極的に関わる。また、地域環境の維持管理について責任をもつ。かって、大工さんや各種の職人さんは身近にいて、家を直したり、植木の手入れをしたり、という本来の仕事だけではなく、近所の様々な相談を受けるそういう存在であった。その延長というわけにはいかないけれど、その現代的蘇生が「タウンアーキテクト」である。 

 ②地域職人ネットワーク

 地域環境の維持管理については、例えば具体的に、住宅の増改築、補修などを行うために、職人さんとの連携が不可欠となる。①②を合わせたチームが「タウンアーキテクト」の原点である。広原盛明の「ハウスドクター」、大野勝彦の「地域住宅工房」など、いくつかの理念が既に提出されている。「京町家作事組」など活動事例もある。

 ③建築主事

 そもそもの発想において「タウンアーキテクト」の原型となるのは「建築主事」(建築基準法第4条に規定される、都道府県、特定の市町村および特別区の長の任命を受けた者)である。全国の自治体、土木事務所、特定行政庁に、約一七〇〇名の建築主事がいて、建築確認業務に従事している。建築確認行政は基本的にはコントロール行政であり、取り締まり行政である。建築基準法に基づいて、確認申請の書類を法に照らしてチェックするのが建築主事の仕事である。しかし、そうした建築確認行政が豊かな都市景観の創出に寄与してきたのか、というとそうは言えない。「タウンアーキテクト」構想の出発点はここである。

 建築主事が「タウンアーキテクト」になればいいのではないか、これが誰もが考える答えである。全国で二千人程度の、あるいは全市町村三六〇〇人程度のすぐれた「タウンアーキテクト」がいて、デザイン指導すれば、相当町並みは違ってくるのではないか。

 しかし、そうはいかないという。デザイン指導に法的根拠がないということもあるが、そもそも、人材がいないという。建築主事さんは、法律や制度には強いかもしれないけれど、どちらかというとデザインには弱いという。もしそうだとするなら、地域の「建築家」が手伝う形を考えればいいのではないか。第二の答えである。

 ④建築コミッショナー

 建築主事を積極的に「タウンアーキテクト」として考える場合、いくつかの形態が考えられる。欧米の「タウンアーキテクト」制がまず思い浮かぶ。最も権限をもつケースだと「建築市(町村)長」置く例がある。一般的には、何人かの建築家からなる委員会が任に当たる。建築コミッショナー・システムである。

 日本にもいくつか事例がある。「熊本アートポリス」「クリエイティブ・タウン・岡山(CTO)」「富山町の顔づくりプロジェクト」などにおけるコミッショナー・システムである。ただ、いずれも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎない。むしろ近いのは「都市計画審議会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会である。それらには、本来、「タウンアーキテクト」としての役割がある。地方分権一括法案以降、市町村の権限を認める「都市計画審議会」には大いに期待すべきかもしれない。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕しているのであれば、別の仕組みを考える必要がある。

 ⑤地区アーキテクト

 しかしいずれにしろ、一人のコミショナー、ひとつのコミッティーが自治体全体に責任を負うには限界がある。「タウンアーキテクト」はコミュニティ単位、地区単位で考える必要がある。あるいは、プロジェクト単位で「タウンアーキテクト」の派遣を考える必要がある。この場合、自治体とコミュニティの双方から依頼を受ける形が考えられる。

 具体的には、各種アドヴァイザー制度、「まちづくり協議会」方式、「コンサルタント派遣」制度として展開されているところである。

 

  「タウンアーキテクト」の仕事

 「タウンアーキテクト」は具体的に何を仕事とするのか。『序説』では、「タウンウォッチング」「百年計画」「公開ヒヤリング」・・・等々各地域で試みられたら面白いであろう手法を思いつくまま列挙している。しかし、そこでの議論は、建築コミッショナー(④)としての「タウンアーキテクト」の役割に集中しすぎている。やはりベースとすべきは、身近な仕事において、また具体的な地区で何ができるかであろう。

 「タウンアーキテクト」制をひとつの制度として構想してみることはできる。建築コミッショナー制を導入するのであれば、権限と報酬の設定、任期と任期中の自治体内での業務禁止は前提とされなければならない。

 地区アーキテクト制を実施するためには自治体の支援が不可欠である。地区アーキテクトは、個々の建築設計のアドヴァイザーを行う。住宅相談から設計者を紹介する、そうした試みは様々になされている。また、景観アドヴァイザー、あるいは景観モニターといった制度も考えられる。具体的な計画の実施となると、様々な権利関係の調整が必要となる。そうした意味では、「タウンアーキテクト」は、単にデザインする能力だけでなく、法律や収支計画にも通じていなければならない。また、住民、権利者の調整役を務めなければならない。一番近いイメージは再開発コーディネーターである。

 しかし、制度のみを議論しても始まらない。地域毎に固有の「まちづくり」を期待するのであれば一律の制度はむしろ有害かもしれない。どんな小さなプロジェクトであれ、具体的な事例に学ぶことが先行さるべきである。

 まずは、①身近なディテールから、というのが指針である。また、②持続、が必要である。単発のイヴェントでは弱い。そして持続のためには、③地域社会のコンセンサス、が必要である。合意形成のためには、④参加、が必要であり、⑤情報公開が不可欠である。

 「まちにコモンスペースを設計しよう」というスローガンは、そうした意味で「タウンアーキテクト」の大きな指針である。一戸の住宅を設計する場合にも相隣関係は常に問われる。一戸が二戸になる共有化されたルールが「まちづくり」の原点である。また、公と私の中間領域、共領域を創出するのが「まちづくり」の出発点である。

 

 京都コミュニティ・デザイン・リーグ(仮称)

 地区アーキテクト制のシミュレーションとしてのひとつの試みが京都コミュニティ・デザイン・リーグ構想である。

 京都に拠点を置く大学・専門学校などの建築、都市計画、デザイン系の研究室が母胎となる。研究室を主体とするのは、持続性が期待できるからである。研究室は、それぞれ京都のある地区を担当する。地区は、地区割会議によって可能な限り京都全域がカヴァーできることが望ましい。各研究室は、年に一日(春)、担当地区を歩き一定のフォーマット(写真、地図、ヴィデオ等々による地区カルテの作成)で記録する。そして、各研究室は、一日(秋)集い、各地区について様々な問題(変化)を報告する。以上、年に最低二日、京都について共通の作業をする、というのが、提案だ。

 各研究室は担当地区について様々なプロジェクト提案を行ってもいい。地区の人たちと様々な関係ができれば実際の設計の仕事も来るかもしれない。それぞれに年一回の報告会で、提案内容を競えばいい。ただ、持続的に地区を記録するのはノルマだ。できたら、記録をストックしておくセンターが欲しい。

 煮詰まりつつある運営イメージは以下のようだ。

 ①参加チーム 基本的には大学の研究室もしくはそれに準ずるグループを一チームとする。個人、あるいは設計事務所、コンサルタント事務所などあらゆるグループに門戸は開かれるが、継続的参加が条件となる。 ②参加チームの構成 参加チームは代表(監督)と幹事(コーチ)およびCD(コミュニティ・デザイナー選手)からなる。CDについては必ずしも大学(組織)にとらわれることなく自由に編成していい。

 ③参加チームの仕事(タウン・ウォッチング 地区カルテの作製):参加チームは原則として2地区担当する。

  A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを1枚にまとめる。GISなどの利用によって、各チームが共有して比較できるようにしたい。また、将来的には公的機関に記録が蓄積されていく仕組みを考える。

  B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。

  C 報告会・シンポジウムの開催:年に一度集まり議論する。

  D 「まちづくり」の実践:それぞれの関係性のなかで具体的な活動を展開する。  

 ④運営委員会:京都CDLは各チームの代表および幹事からなる運営委員会によって運営される。必要に応じて運営委員長等コアグループを設定する。運営委員会は大学院生、学生中心で考える。

    A 報告会の開催    B 地区選定調整    C 相互連絡

 ⑤コミッショナーおよび事務局:京都CDLはコミッショナーおよび運営委員会を中心に運営される。

    A 参加チーム登録    B 地区割り調整    C 報告会の開催

    D 地区カルテの保管と活用    E アクション・プラン

    F 他組織との連携

 この構想であれば、どんな地域でも実現可能ではないか。そう思うのであれば、是非、各地で立ち上げてみて欲しい。また、京都コミュニティデザインリーグ(仮称)への参加であれば大歓迎である。

 

*1 建築資料研究社、20003

*2 拙稿、「タウンアーキテクトの組織実践へ向けて」、『群居』50号、200010

*3 20001113日。京都市技術職員研修「京都市の公共建築に期待すること」。

*4 19901127日結成。『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』、p108-114

*5 日建連ハンドブック,1999