https://www.aij.or.jp/jpn/touron/3gou/tairon1.html
八束はじめ・布野修司対論シリーズ 第1回
建築の実践と建築教育
—日本の建築教育:過去・現在・未来—
日本の大学教育のあり方が社会的に大きく問われる中で、建築教育の現場では何が起こりつつあるのか。また、日本の建築のあり方、その造られ方が大きく変わっていく中で、建築教育はどのように対応しようとしているのか。例えば、設計のトゥールが大きく変わる中で、どのような変化が起こってきたのか?あるいは、設計教育の社会的責任が問われる中で、何が変わってきたのか?プロフェッサー・アーキテクトの存在と役割には変化はないのか?国際的な動向も見据えながら、歴史的なパースペクティブにおいて、日本の建築教育について考えてみたい。
対論者
八束 はじめ:建築家、建築史家、建築評論家。前・芝浦工業大学教授
主著:『ロシア・アヴァンギャルド建築』、『ミースという神話
ユニヴァーサル・スペースの起源』、『思想としての日本近代建築』、『メタボリズム・ネクサス』ほか
布野修司:建築・都市研究家,建築批評家。滋賀県立大学副学長・理事
主著(共 著含む):『近代世界システムと植民都市』、『ムガル都市』、『グリッド都市』 ほか
(ゲスト)
宇野求:建築家、都市設計家。東京理科大学教授
布野;この対論シリーズの企画のきっかけは、第三回けんちくとうろん「都市と建築から見るアジア-グローバル化と現代」(WEB版『建築討論』002号)なんです。その最後に発言していますが[1]、かつて八束さんの方から討議を提案されたこともあり、また、まだ話したいと思ったものですから、何回かやって、まとめられたら『建築討論』にも1つの軸ができるんじゃないかということです。それと建築討論委員会としての事情もあります。『建築討論』も徐々に軌道に乗りつつあると思いますが、『建築雑誌』と違って事務局体制というか編集体制ができていないものですから、『けんちくとうろん』シリーズも企画、討論者の設定と日程調整など定期的に行うことはかなり難しいということがあります。二人であれば日程調整は楽になりますので、二人+ゲストというかたちはどうかと思ったわけです。八束さんに相談したところ、早速、何人かのゲスト候補者のリストを提案していただきました。今日はその第一回ということになります。
八束;ということで、今回は私の提案で、宇野さんをゲストにしたらという形になりました。私は進行役というよりも、宇野さんに問題提起していただき、3人で話していこうと思います。私は正確に言うと3月に教員をやめたので現役ではないのですが、3人とも建築教育に携わってきたなかで、思ったことを話していきたいと思います。年寄りが若い者はだめだというのはいやらしくあまりいいたくはないのですが、長くやっているといろいろ問題が見えてくるので、それを3人で出していけたらと思います。我々の頃の背景とはずいぶんと変わっているでしょうが、今の建築教育が現在かなり際どい、危機的な状況にあると私は思っています。そのことを建設的に話せればと思っています。では、宇野さんに問題提起をお願い致します。
宇野;10年程前なのですが、千葉大学で教えていた頃、ある卒業設計のタイトルで「平成江戸時代始まる」というものがありまして、いま平成26年ですが、いま大学に入ってきている人たちは平成生まれがほとんどです。彼女は、日本という社会の中で近現代化してきたが、日本の中で江戸っぽいと思えるエレメントが浮かび上がってきているのではないかという仮説のもとであるプロジェクトを進めたのですが、これはコピーライトとして卓越していると思いました。僕らが学生だった70年代の当時の建築観では、日本には独自の文化があり、明治時代から近代化が始まっていままで近代化が進んだが、その近代をこれ以降どうするかを考える時期に建築教育を受けたのです。つまり90年代以降が現代で、というように、モデル化された歴史を用いて建築をとらえることができたのですが、平成生まれの人たちは、日本国内で育った人だと、大都市で生まれても、地方で生まれてもだいたいTOTOかINAXのトイレやお風呂に入っているのです。FRPの近代化された装置の中で育っているというのです。我々の頃は銭湯があったり、ドラム缶風呂があったり、五右衛門風呂があったり、それがガス釜になったり、給湯器になったり、といったいろいろなものがあって、時代によって違った育ち方をしているのです。家の中でトイレに入ったり風呂に入ったりといって生活の基本的なものが違うものだから、近代化にならされた中で育った人たちに暮らしをいったものを伝えたり教えたりするのは難しいものがあります。体系化されていたものが崩れてきたという捉え方もできると思います。体系化というのは近代化の中で物事を整理して、建築やデザインや都市計画などを体系化されてきた訳なのですが、日本は非西洋諸国の中で近代化の先頭を走っていたのですが、世界中で始まった近代化の中では、体系性といったものをもって全体を見ることが非常に難しくなってきました。いまの世界の実情をそうとらえると、建築は何を目指すべきか、何をなすべきか、というには、多様なことに答える必要があるので、初学者に建築というものを教えるのは非常に難しいです。初学者に自分の関心事を伝えるのは非常に難しいので毎日悩んでいます。
[建築計画学の現在]
八束:体系が崩壊したって言う話を引き取ると、いきなり「学」の話になってしまうけれど、結局、建築計画論ないし計画学の崩壊の話に繋がっていくような気がします。建築計画学が、まず設計教育の手前に基本としてあって、それから少なくとも工学部の建築学科だと、諸々の技術系の科目を学ぶと授業はそういう構成になっていると思うんだけど。それが何時からかってのはどうなんでしょう?例えば岸田日出刀がやっていた訳ですね、戦争直後。でもあの頃は環境工学も全部建築学だった。
宇野:原論ですよね。
八束:はい。原論ですからその上に建築学の体系を作ってきたのに、どの辺から分からないけど、宇野さんがいわれたように、それが壊れていったっていう風な感じは確かにある。布野さんどうですか、計画学の専門家として。
布野:まず、計画学がどういう風に成立したか、ということを押えておく必要があると思います。つまり、エンジニア系の学に対して、デザインあるいはプランニングをどういう様に成り立たせるかということですね。建築学なるものがどういうふうに成立してきたのかについては「建築学の系譜-近代日本におけるその史的展開」(『建築計画学体系1 建築概論』1982)[2]に譲りますが、「建築の学と術」「国家と建築学-専門分化と領域拡大の歴史」「近代合理主義と建築学-アカデミズムの成立」ということで伊東忠太、佐野利器、西山夘三の学術観を明らかにした上で「戦後建築学の展開」を問題にしています。建築計画学というと西山夘三の系譜を辿ることになりますが、今日でいう建築環境工学、建築設備の分野は建築計画学の分野ですね。計画原論と呼ばれていたんですが、それが分化していくわけです。
体系の崩壊ということでは、わかりやすいのは吉武計画学の系譜、施設計画の体系ですね。建築計画学がやってきたことは、ビルディングタイプ毎別に空間構成(平面)を提示することですね。学校だとか、病院だとか、図書館だとか、建築類型別にノウハウを集中的に蓄積してきた。しかし、施設=制度=インスティチューションですよね。明らかに、それはある制度を前提にして成り立つ訳ですね。
ところが、僕らが学生の頃ですね、すなわち、1960年代末から1970年代初頭の頃、例えば、学校建築でいうとオープンスクールといったことが主張され出す。教室は学年毎に並べなさいとか、低学年は職員室に近い方が良いとか、上下足は履き替えなさいとか、そういういくつかの方針で標準的平面形式を提案してきたんだけど、教育の仕方自体が問題にされ出す。要するに無学年制とか、チーム・ティーチングっていうことが主張される。それこそ、江戸時代に寺子屋で年上の子が下の子を教えていたみたいなのがいいんだ、という。過疎の村では実際やらざるを得ない。それから土地の有効利用の問題があった。施設建設のための土地取得が難しくなると、老人ホームと学校をくっつけて建設する事例が出てきたりする。そうすると、それまでの施設計画学が構築してきた体系では対応が出来なくなる。施設計画学の体系が揺らいできたのはだいたい70年代だと思います。
宇野:僕がさっき言った、体系性っていうのはだいたいルネッサンスぐらいのことをまず言っているの。それで19世紀に新古典(?)まできて、それでモダニズムに一気に流れ込むんだけど、今の八束さんと布野さんがお話始めたことは機能主義の話であって、どちらかというと50年代ぐらいから、実際問題になってきたという話ですよね。
八束:だけど、それは繋がっていると思いますよ。つまり、ルネサンスにはみんな建築書を書きますよね。それからボーザールまで、西欧の建築家たちはずっとビルディング・タイポロジーを核とした議論をやる訳ですよね。基本的には布野さんの言われた計画学に相当する議論です。ボーザールが機能主義でないと言うのは、ひとつの水準の理解でしかない。建築の歴史は機能主義の歴史でもある。僕の三年生の講義では、一番最初に「建築ってどこから始まるのか」という問題提起をするんです。それはルネサンスから始まるのだ、それより以前の建物は「建築」ではない、なぜなら建築家がないから、って。これは芸術的な水準のことではないんです。生産のされ方なんです。集団的で部分的な技の集積から個人がそれに全体として責任を負う体制へと移っていく。中世や古代の建物も芸術的で、どうにかするとルネサンスの建物はそれを超えていないという認識自体もルネサンスの産物です。建築家のような設計の専門家が出てきたのは、社会が非常に複雑になってくるからで、基本的に従来の解決の仕方をくり返す職人的な体系だけではどうにもならない、っていうところから体系化は始まっていると思うんですよ。それが建築書ね。バウハウスみたいな近代的なデザインスクールになって教育のやり方が全然変わったって思われているけど、様式教育をやらなくなっただけで、そこらへんはあんまり変わっていない。
布野:病院とか学校の成立について振り返れば、今の八束さんの話と重なるわけで,近代社会の成立とともに公共施設が成立するわけですよね。それ以前は、個々の住居の周辺で全ての生活行為が行われていたわけですよね、病気の治療も教育も。それがだんだん施設として都市に自立した建築類型として制度的に出来上がってくる。大きくは近代社会の成立。公共性の成立の問題ですよね。
宇野:それでね。その辺をちゃんと書いたのはアルド・ロッシしかいなくてさ、僕が思う限り。ロッシが彼の30代の仕事だったけれども、都市建築の話を書いているじゃないですか。それはだから、ルネッサンスの時の、まさに八束さんがおっしゃったもう一回中世以降の体系化が始まって、それでその産業と都市が発展する中で、建築家がいろんな技術・知識を体系化してカタログ化して作ってく。それが一旦、産業革命で技術的には伸びるんだけれども、様式論としては行き詰まった時に、もう一回近代建築という新しい考え方が一気に花開いたっていうのが、今からみる全体の構図なんじゃないかと思うんですけど。当時僕らが学生時代のときは、日本の立場から一つでみるところまでは、なかなか難しかったと思うんだけど、今だったらだいたい、そのルネッサンス以降の500年くらいまとめて見れるところまで来たかなって言う感じ。
(以下ちょっと順番を変えました)
[ポストモダンと建築計画学の黄昏[布野修司1] ]
布野:体系が崩れたという話で、もうひとつ言おうと思ったのは,要するにポストモダンです。ポストモダンが出てきたときに、教える側に自信がなくなった。僕は芦原義信先生に設計の手ほどきを受けたんですけど、最初の課題が美術館だった。すると先生は、6mおきに柱を建てなさい、径は60角で良いですとか、梁背はだいたいスパンの10分の1で良いから、グリット、ラーメンですよね。それでとにかく出発して、芦原流ですが、床のレベルを変えたり、光の入れ方を考えたり、・・・・空間のあり方を提案しなさいというんです。
ところが、ポストモダンが出てきたときに、つまり、〇△□とか、斜めに線を引けばいいんだとか言われ出すと、それは駄目だと教師が言えない、要するに自信がなくなった。「学生の方がすごい」、教師の教え方は「ダサイ」という。近代建築の規範みたいなものについての疑問が、教師の側で出てきたということでしょうけど、ファンクショナリズムに対してフォルマリズム、コンセプチャリズム、デコンストラクチャリズム・・・百花繚乱状況になった。
宇野:でも、布野さん、八束さんたちが煽ったんじゃないの、あの頃は。一番先頭きって、アバンギャルドをさ。
布野:もちろんそうですよ。6mおきに柱立てればいいって話じゃないでしょっていうことをやっていく訳だけど。建築を全く知らない、何も分からない学生にどう教えていくかということが崩れていった。とにかくまずこうやって、次はこういう段階でという体系性があったんですよ、設計教育について。
八束:それは、だけど、体系というよりむしろマニュアルのような気がする。今のお話は、グリッド・プランみたいなものが、建築計画学と設計方法とに貫通しているシステムとしてあったということですね?グリッド・プラン自体はパラディオにもデュランにもあって、とくに後者はこの点ではモダニズムの嚆矢だったと僕は思います。で、グリッド・プランみたいな安定したシステムが、根底というか根拠を問われたのがポストモダンであるという理解でいいのかしら?
布野:まあそれを言おうかなと思ったんです。(笑)
八束:それはありそうな気はしますね。とくに計画学の抱える問題は、それだけでは済まされないと思うけど、吉武泰水−鈴木成文の流れを汲む計画学者布野修司の率直な述懐というか懐古としては興味深い証言ですね。
八束:ここは微妙な話ですが、僕は学生のプロジェクトにフィジビリティは必ずしも問わないんです。現状の技術で出来なくとも建築としては重要な問題提起をすることはあり得るから。ただ、布野さんが言われた事は、建築のリアリティに関わると思います。僕にとってリアリティとフィジビリティは違う。構法とかがないという点では、海外のスタジオではもっとひどいこともある。空中に浮いているとしか思えないデザインなんか平気でしますからね。文字通り足が地についていない、荷重の流れが見えないんですよ。これは佐々木睦郎さんも言っていました。ハーヴァードとかの学生でもそうだと。無重力空間ならいいんですが、そこには建築のリアリティはない。(以下は随分後の方—元原稿のp.18—から移しました)コンピューターでやればいくらでもそういうかたちができちゃうということの問題というのはすごくあって、それは学生の問題だけではありません。現在の建築家の問題でもあるし実践でもある。
(お二人ともこれに関するご意見あれば挿入して下さい。)
布野:アルゴリズミックデザインとか、あたらしい動きがありますよね。そうでなくても、今やどんなかたちでもできますよ、という。ミリ単位で合わせられますよっていう。それCADで図面が描けるわけですからね。それを工場に持って行って、行かなくて伝送すればいいんですが、部材を切ってきてあとは組み立てればいい。構造はプロに計算して貰えばいいっていうセンスだから、基本の、空間を作る骨組みの知識がほとんどすっ飛んでいる。
宇野:それについては、僕が小さい頃、布野さんや八束さんたちも体験していた、つまり僕らはね、戦後復興と高度成長の非常に特殊な日本という状況の中に少年時代を過ごしたから、町のいたるところにコンストラクションがあったんですよ。建築現場というものが。あれはね、すごく勉強になったなと思う。よく見てなくても何かあって、それがどんどん出来ていったり、そこで大工さんが何かやってたり。ところが今東京以外はそういうことが非常に少ない時代になりましたから、そこで建物というものを皆が作っていて、機械が物を運んでいて、最終的に何かに出来上がってしまうという驚きみたいなものを体験することが少年時代にちょっと少ないんだと思うんです。さっきの、架構に対するセンスが足りないというのはそのせいだと思います。
布野:僕が、岐阜の山の中で1991年から25年くらいサマースクールとして木匠塾やっているのはそういうことですよ。で小さな小屋とかバス停とか、自分で図面引かせてやらせるっていう、要するに現場というか、そういうものが足りない。
宇野:だから僕らが今、それを補うためにやっているのは、一年生の夏、前期にですね、白の家の架構を作らせています。
布野:原寸ですか?
宇野:いや、1/20です。
八束:模型ですか?
宇野:架構の模型です。木造ですからね。だけどちょっと変わってるわけです。篠原さんはあの当時大屋根をかけるために幾つか工夫をしていて、そういう意味では在来ではないけれども、全部を与えないで半分くらい図面と写真を与えて、考えさせながら作らせる。だから10組くらい作るとちょっとずつ違うんだけれども、でもかなり勉強になるんですよね。今年はRCとの組み合わせということで、軽井沢の山荘、吉村さんの家を作ったんですけど、それは大変なんだけど面白がって作ってくれるんですよね。なかなか立派なものも出来るし、それをやった後だといろんなことがわかってくる。僕らが習ったことと違っていて、そういうプリミティブなところからもう一度やってもらってるんです。
八束:僕のいた学科では、僕の授業ではないけど、木造の軸組模型を作らせるの、1/30とか1/50で。上からある程度体重かけてつぶれなければよし、みたいなやつです(笑)。当然ちゃんと通し柱があるんですよね。ところがその次の年にコンクリートの中層の集合住宅を作れってなったら、柱が全然通っていなかったりするわけ。君通ってないじゃないというと、だめですかっていう(笑い)。去年の軸組模型はなんだったのって感じで、スポーンと抜けてしまっているわけですよね。なにが悪いのかよくわかりませんが、前の年の教訓がフォーマットとして入ってないんですよ。あれは結構びっくりする。
そもそも集合住宅の課題をやらせるとね、積み重ねないんです。平屋か二階建てのちっちゃい戸建てをランダムに並べて集合住宅だって言うんだけど、組織をもっていなくて寄せ集まっているだけ。さっきのことばでいえば、システムがない。そもそも寄せ集めれば集合住宅ってわけではないはずで、集合の仕方に計画の思想が現れるはずなんだけど。彼らにはランダムだと自由な構成に見えるらしい。自由な集合と言えば聞こえはいいけど、実はただの安直なんです。だから僕は必ず積層にしろと言うんです。縦にも横にも、動線のシステムが繋がっているようにと要求するんだけど、苦手なんだよね、そういうの。考えたがらない。古いと思っているのかもしれないけど。
宇野:それ今の学生さん?
八束:そうです。何が欠けているのか未だにわかりません。設計の教員が悪いのか構造の授業が悪いのか、多分何かが抜けているんでしょう。インテグレートされていない。で、宇野さんには、グリッド・プランみたいなものを保証していたモダニズムの規範を壊した事情には、僕も加担したではないかと指摘されたわけですが、それは否定はしませんけれども、初学者相手の教育の問題にはなりにくいし、僕にとっても昔話でしかないので、ここではその議論に深入りを避けたい。
で、その初学者の問題、つまり初等教育の問題ですが、彼らが入ってくるとね、とくに最近の学生さんに顕著な現象なんだけど、みんな住宅しかイメージにないのよね。「なにやりたいの?」「住宅です」、「なんか思い当たる空間を描いてごらん」というと自分の家や部屋を描く。「就職どうするの?」「ハウスメーカーいきます」、つまり住宅から外にはみ出ていかないんですよ。住宅なら自分の日常的な生活の延長上にイメージ出来るけども、病院とか図書館とかが問題になったとたんに、本読まないから図書館に行かないし、若いからあんまり病気もしないので病院も行かない、美術館課題とか出しても、「美術館行ったことありません」とか平然と言うわけですね。だから気の利いた学生だと、敷居が高くなくて入れる美術館がいいとかいうわけね。僕に言わせれば問題のすり替えなんですけれど。(元々美術なんて見に行く気があるのかだって結構怪しい。そういう話と、例えば建築学体系や建築資料集成もそうだけど、建築計画学者がアカデミーの中で積み上げてきた話とはもの凄い乖離があるんですね。それは建築計画学が悪いのか学生が無知で悪いのか。
布野:建築計画学は批判されるべきだと思います。要するに、戦後のある時期に非常に必要だったし、有効だったかもしれないけれど、我々が住む空間をどういう風に編成するかっていう原点に帰れば、その時代時代で対応していかないといけない。それまでの体系が対応できなくなっていることは、素直に総括をして新たな対応を模索すべきなんです。
八束:それに対して実際にはどう対応しているの、学会内とか、各研究室とか?
布野:右往左往してきたと思う。ただ、時代を読む嗅覚の良い研究者は、これから高齢化が始まるから高齢化の問題をやるとか、ハンディキャップの問題やるとか、社会の先を見て、時代と戦ってきていると思います。
八束:それは、でも、問題解決型に範囲を絞った、ということではないですか?各論化したというか、計画学の根幹を揺るがした基本問題からはずれているような気がします。あんまり時代と戦うという感じはしないなぁ。教育より研究の事にはなりますが。
布野:施設研究に限定しているとすれば、その通りです。吉武計画学は最初は街のあり方を問題にしています。具体的には三鷹を調査しています。そうすると銭湯が問題だということを発見する、そこで銭湯の入浴者の統計をとったりし始めている。また、貸本屋が興味深いことを発見する。その利用形態を調べ出す。僕が都市組織研究を標榜するのは、その原点を意識しているからです[布野修司2] 。
(これも新規挿入。布野さんに答えてもらうか、「ですがそれはまた別に話を改めましょう」ということで次の宇野発言に続けるかにしましょう。)
[学生の構想の背景:教育の根底]
宇野:さっきの八束さんが言っていた、今の学生は、身の回りのことから考えて住宅ぐらいしか、あんまり思いつかないということだけれども、ある意味で、僕は自然だと思うんですよ。彼ら彼女らの育った時代と環境を考えるとね。それがさっきのユニットバスの話なんだけどさ。
八束:廻り中が均質化されてきてしまっているから、それは自然だと?個々の学生にしてみれば、少なくとも初学者ということでは、自然というか、止むを得ないということでは同意します。けれども教育というのはそこからどう育てていくかということだから、自然のままでは具合が悪いでしょう?
宇野:そうですね。その設計教育や建築のイメージみたいなことの背景に関して話を更に続けると、(ちょっと上の発言と続きにくいと思ったのでことばを補いました。確認ないし修正して下さい)大学で20年教えていてある時気がついたんだけど、綺麗な絵を描く人がいるわけ。設計が上手いとかとはちょっと違うんだけど、やっぱりイマジネーションが非常に豊かな人がいて、だいたい地方の出身で綺麗な景色を見ている人が良い絵を描くんですよ、不思議なことに。逆に東京の郊外のなんかしょうもないところで育って変だなとか思いながら、それをきっかけにしながら、問題意識を持って建築に臨んでいく人たちもいますし。だから、そう悲観したもんでもないんじゃないかなって思っているの。あと、海外で育った人が僕らの頃に比べると、遥かに多くて。話聞いていて面白いのが、やっぱり砂漠とかね。子供の頃アラブにいましたみたいな。そういう人たちが。もちろん、ロシアにいましたとかね。そういう人の話は面白いですよね。面白いからといって、それが良い設計家になるかどうかは別の話なんだけど。我々の頃に比べると、国内の多様性は失われていったような気がするけど、日本のゆかりの人がいろんな暮らし方を世界でしているっていう意味では,やっぱり広がっていますから。なにかこう、そういう種はあると思うんですよ、ただそれがうまく伸びていないんじゃないかって。
八束:なるほど。均質化と一方には背景的にまだ残されている、あるいはグローバル化に伴って出現しつつある背景の差異には、まだ可能性はあるのではないか、という指摘は面白いですね。とはいえ、問題は最後に宇野さんがいわれた事ですよね、教育の問題としては。カタログのレパートリーは増えているわけだけど、カタログっていうのは所詮エレメントだから、それをインテグレートしないと体系にならない訳じゃないですか。
宇野:そうそう、そこが悩み。
八束:カタログとさっきのマニュアル(ここは話順に従って順番入れ替えました)は同じような話であってね、僕は最近の設計教育、あるいは学生さんを見ていて、やっぱりメソトロジーないなあと思うわけです。さっきの住宅の話の延長上になりますけれども、例えば初学年での教育で、君たちの身の周りの空間作りなさいとか気持ち良い空間を作りなさいとか、そういう設計教育ばっかりはびこっている。そうすると、マニュアルは出てくるかもしれないけどメソトロジーは出てこない。批評も出てこない。これ気持ちいい空間だねっていうのは批評じゃなくて感想でしかないのに、それで終始してしまう。僕はメタボリの展覧会をやったせいもあるけれど、あのへんのわれわれの師匠世代の仕事を見ていると、やっぱりメソトロジーなわけです。宇野さんで言えば原広司さんだけど、原さんもメソトロジーの人です。それがなくなってしまったのはとても具合が悪い。体系なんかなくたっていい、という風には言えない、と思いません?
宇野:建築の定義そのものに関わる話ですよ。
布野:メソトロジーについてのある種のこだわりがない。
宇野:わかってないんですよ建築のことが、全く。わかってない人が教えてるから本当に大変なことになってる。(笑)
布野:構法がないということの次に言おうと思ったのは、ツールとしてCADが出てきてね、何でもできちゃうじゃないですか。クリックしてると影までついちゃいます。それで屋根は?って訊くとフラットルーフだって言う。空間のロジックを組み立てるみたいな部分が欠けているんです。
八束:ソフトが勝手にというか自動的に組み立ててくれちゃうからということですかね。
布野:そうです。
宇野:それはとりあえず絵を描いてくれるという話で、建築なるものとちょっと違います。考え方がね。(もうちょっと具体的に敷衍してくれるといいと思います)
布野:ちょっと若い人たちを巻き込んで反論してもらったほうがいいと思いますけど。(笑)僕が定番としている設計課題は、山本理顕さんと作ったんですけど「都市に寄生せよ」というやつなんですよ。おもしろいですよ、けっこう。要するに、皆ホームレスになったと思って、どこでも好きなところにシェルターを作れ、材料や電機は盗んでいいよ、と。色んなアイディアが出てくる。理想の住宅を設計しなさいなどという課題よりよっぽど面白い。
宇野:僕が考えたのは、「小さな◯の家」というのです。◯の中には月火水木金土のどれかを選んで入れるんです。「小さな月の家」とかね。「小さな土の家」とか、「小さな水の家」っていう。それを設計しなさい、と。ずっと千葉大以来やっています。理科大に来た時に、腕試しとして理科大の奴にやらせたら全然できないんです。
布野:なんか難しそうじゃないですか?
宇野:だからポエティックに作んないと駄目なんです、それは。
八束:その水とか土っていうのは、材料じゃなくてメタなレトリックですか?
宇野:メタの話です。七曜日っていう今僕らが使っているものだけど、昔の人たちはそういうものの中に、それを元素と考えた時代もあったわけです、大昔には。そこからいろいろな形でイマジネーションを働かせながら作っていたわけです。だって物質をエンジニアリング的に解釈していたはずがないわけですしね、近代以前の人たちは。だけれども見事なもの作り上げてるじゃないですか。だから、そこで行われていたある種の概念操作と技術、それから皆でそれを作り上げていくっていうことは何だったのかっていうようなことを、今でも思いが至るんですけどね。まず最初に、ポエジーでいいから小さな家を作ってみる。何もないところに。実にいろんなものが出てきます。
八束:聞いていると、ポエジーっていうだけじゃなくてコスモロジーですね。なら体系性は出てくるよね。だって各々の要素は単独では存在しないわけでしょ。
宇野:まあそうですね。
八束:原さんのフィルター介するからかな、宇野さんの場合?
宇野:もうちょっとコンテンポラリーにいきたいと思ったんですけど。(笑)
八束:いや、コスモロジーがコンテンポラリーじゃないとは思わないですけど。
宇野:あと、今理科大でやっているのは、模型を一年生が作れるはずがないって言ったんです。(言った主語は?他の教員?「言われた」にする?)僕が行った時にですね。そんなはずない、やらせればできるって言ってね、バルセロナパビリオンを、図面を渡して一日で作らせて、それを教えてね、その次にコルビュジエのサヴォア邸を作らせるんです。いきなり。今年は一人一個でやっていますね。それで、模型を作る中でいろんなことを覚えるんですよ。それで近代建築はもはや古典だから、古典をまず教えてその次にその周辺のこと、技術も考え方も機能主義も教えて、もうちょっと上級に行ったらそれを今度は崩すということを教える、そういう風にやっています。あまりに相対化された時代だから、何か原点を置かないと建築を伝えにくいので、とりあえずコルビュジエを古典として教えています。それがいい面と悪い面があるんですね。難しいです。実に難しい。
八束:いい面と悪い面というのは、もう少し具体的に?
(宇野さん答えお願いします。必要ならそのフォローで次の文の冒頭でつなぎをつくります)
八束:コルビュジエに対する意識の持ち方が僕らの世代と今の学生って本当に違うんですよね。僕らにとっては、まだビビッドな意味を持っていた人じゃないですか。彼らにとってはもう完全にインクの染みというか、本に載っている知識でしかなくて、そういう人もいたんですねっていう感じ。
宇野:パラディオと同じじゃないですか?パラディオとコルビュジエみたいな。
八束:そうそう、パラディオとコルビュジエはあんまり違いがない。
宇野:違わないですよね、もはや。
八束:僕はさっきいった三年生の授業で、『建築を目指して』を読ませてレポートを書かせるんですよ。すると殆どの学生が「初めてコルビュジエを読んだ」という。知ってるんですけどね、名前は。それと知ってるのはサヴォア邸なんかのイメージと「住居機械」というテーゼだけ。それも、要するにハウスメーカーが作る住宅みたいな理解しかしてない。コルビュジエのテクストって、もう反語だらけでしょ。だけど、そんなものは全然通じていません。時々いいレポートを書く奴がいるなと思ったら、どこかのコピペなんですね。だけど、そういっていても仕方がないからどんどん情報をインプットしていくと、どこかで化ける子はいます。それを期待するしかない。
宇野:今の八束さんのお話は、インターネットが普及したこの20年くらいのその後にオギャアと生まれて浴びてきた人たちだから、画像であってもテキストであっても、何て言うんですかね、目を通じて知ってる知識がネット上にあって、定着してないんですよね。僕らが、本や実体験で建築というものを理解していったプロセスと全く違っています。どんなに美しい写真で見せようが、知識を整えて伝えようが、ビルのモニターに映って流れている電子情報や、パソコンのタブレットや、ああいうものと全く同じように理解していているんです、放っておくとね。そうじゃないんだということに気がついてもらわないと、いくら一生懸命教えてても、伝えてても、全部表層を撫でていくような感じです。こっちも手応えがないし、非常に難しいんですよ。今の学生さんと付き合うっていうのは。
八束:この間、布野さんと僕の初めてのヨーロッパ旅行の話をしたわけですけど、今の人たちってヨーロッパ行ってそういうもの見てこようとしないんですか?つまり実際の空間として追体験をしようという傾向は少なくなっているんでしょうか。
宇野:まあ行きますけどね、建築の学生は。ある程度は。でも昔よりずっと海外に行きやすくなっていて、家族旅行で行きましたとか、高校の時にちょっと留学しましたとか、そういう乗りでどこへでも行っちゃうから、ある種の感動感銘も非常に少なくなってきていると。それは気の毒だなと思うんですけど、やっぱりこう、自分の足で、ある意味では苦労して、パッケージではなくて、探して歩いて行く人たちが何かを掴んでいくんじゃないですか。非常に少数だけどいなくはないですよ、そういう人。
八束:目があれば、素朴に見ればいいものには感動するっていうのは、あれは嘘で、何かの問題意識を持って見ていかないとわからないわけですよね。
宇野:おっしゃる通り、全くそうです。
八束:目もそれ自体が進化するわけで、僕がいた芝浦工大の学科は二年生をヨーロッパに連れて行くんですよ。全員じゃないけど、6割か7割の学生が行く。それでコルビュジエとかを見せる。それがその後に影響を及ぼしている子も当然いるけど、すぐそばにテラーニがあるんで見に行くって言っても、その辺で子供が遊んでいる方を夢中になって写真撮ってる女の子とかもいるわけで(笑)。それがもう少し建築的な体験として昇華されていくには、例外はあるとしても二年生は無理で、三年の後半くらいから建築観ってだんだん出来上がっていくと思いますけど、そこにそういうものがインテグレートされて、知識もインテグレートされていくといいんだけど、なかなか難しいですね。
宇野:それに関して(先ほど省いたやり取りをここに復活させるために、以上のつなぎをいれましたが、いいでしょうか?あるいはこのやりと自体もう要らないかな?宇野さんの選択にお任せします)一言だけ言いたいのは、日本の建築教育で一番欠けているのは歴史なんだと思うわけ。
八束:全く同感だけど、批評の問題にも繋がるし、その話は長くなるから、また回を改めてしましょう。
宇野:はい。(笑)
[学生コンペの問題]
宇野:一方でこの十数年のある種の流行だと思うんですが、形やパターンをいくつか作って見た目でかっこいいというか、それにコンピューターでドローイングするとそれっぽくみえるみたいなことを日本の国内の建築教育やコンペティションのあり方がそういう風に形にガイドしてきましたよね。あれの良い影響ってあんまりないんだけれど、悪(でいいですか?)影響はすごくて、あれにだけはさせないように僕はずっとやってきました。あまのじゃくなのかもしれないけど。
八束:学生コンペって言うのは非常に弊害があると僕も思う(笑)。僕の研究室でも初期はそういうので勝ったりした学生が結構いたんですよ。段々それがいなくなったというか、あんまり出さなくなった。大学院来るから研究させる、どんどん課題をハードにしていったらコンペやらなくなった。別に禁止はしないんだけど、それやってどうなるの、っていうのですね。それで少なくないお金貰えるのは結構だし、就活に有利ということはあるけど、そんなもの本当の意味での建築でも何でもないっていうことを言ってきました。けれども、意匠志望の学生にとっては研究や授業(スタジオ)よりもコンペなんですね。それをやらせてくれる研究室がいい研究室だと思っている。僕はそんなにやりたければ、家でやればいいので、授業料払って研究室に来る必要はないと思うんだけれど。
宇野:あれは建築界をスポイルしましたよ。なぜかって、文学賞だって、映画の賞や音楽の賞だって、あんな賞金出すものはないんですよ。それでしかも、色んな材料メーカーやデベロッパーがイメージ的なコンペを乱立させているじゃないですか。だから建築学科の学生が獲得する額ってべらぼうに高くて、他の業界じゃありえないことなんです。シナリオ書くのでも、映画やるんでも、デザインでもファッションでも。最初はもっと地道にやってくんです。
布野:アイディアコンペのことを言ってるの?。
宇野:そうそう。そういう中で競い合いながら、それでひとつのビジネスと連携しながらデザインが鍛え上げられていいくというのが通常のプロセスなんです。建築って難しいんだけれど、その表層の所に金をあびるようして、学生囲い込みのためにやってるんですよね。メーカーさんの立場からすれば。それをその商業誌がずっと応援してきたんだけれど、ある時期まではとても大切だったんだけれど、そこから先に行ったら僕はすっごい害があったと思います。
八束:それは主催者側だけではなくて、審査員をやっている建築家たちの責任でもある。
宇野:だから彼らもよくはないですよね。ずっと同じ連中が同じようなことやってって、あんまりいいテーマじゃないことでやっていてもしょうがない。しょうがないっていうか、日本の社会の実情ですよね。
(以下 元の起こしでp.21-22から移しました)
八束:僕の学生を含めて皆やっているし、止めたりはしていませんが、「卒業設計日本一」というのも害があると思いませんか?
宇野:私も「卒業設計日本一」はいいとは思いません。しかし、日本一を東北でやりはじめる日本の社会や歴史のある種の必然性はあったと思います。すごいと思うのは伊東豊雄さんや磯崎新さんなのですが、ローカリティの中に現代建築をもちこみ地域や大学に影響力を持ち、それぞれの場所で活動をやりたがるようにしてきます。仙台メディアテークをつくったことによって日本一という動きがでてきました。仙台で日本一のはずがないのにある種のミスマッチが非常に面白く、それに奮い立たされた若者がいたといえばよくわかります。そして伊東豊雄さんはそれを狙ってやったというわけではなく、そういうふうになっていくということをやる人で(?わかりにくい)、それぞれのローカリティを持った人たちがそれに答えました。そういう意味で文化的な現象としては面白いと思います。ただし、卒業設計日本一はレベルを盛り上げた点はあるけれどイベント化していまい、かえって質を低下させたと思います。
布野:そういった他流試合の場は、仙台だけでなく東海圏、京都、九州などにありますよね。賞を狙う学生は、模型をスーツケースの規格に合わせてつくります。それで持ち運ぶんです。そして賞を一つでも多くとってゼネコンや組織設計事務所の面接に挑むんです。他流試合の背景には、就職という現実があり、システム化されているわけですね。
宇野:ルールがしっかりと決まっていてリーグになっていたら面白いとは思います。競技として成立していて、いろんなところにいって他流試合をやってくるとうのは面白い話です。
八束:けれど、結局、審査員が日本各地をわたり歩くので、どの場所でも同じような審査が行われています。これでは地域性があるはずもない。
宇野:そうですね。それも興味深いことで、モダニズムが建つ場所を選ばずに世界中にあっという間に普及しましたが、あれは普遍的な科学技術をベースにしたからだと思います。今、スタイルは様々ありますが世界にあっという間に広がります。歴史や文化、地域などに関わらずそれに若い人たちが感染していくわけです。その伝播の仕方は非常に興味深いと思います。それはローカリティをもった伝統的な建築や歴史はなんだったのかということをあぶり出すからです。そういうことを建築家や都市計画家は理論化しないといけないと思います。
[ポストモダン状況について]
八束:学生のコンペだけではなくて、教育の問題を超えてしまうけれども、この建築らしきものの延長に実際の建築の、つまりいわゆる作家の活動が少なからずあるという事もまた、大きな問題ではないでしょうか?それはさっきからいっている体系とかシステムとかがないということと同じですが。本当は計画と言い換えても良いのですけれど。
さっき宇野さんのお話で、平成江戸時代始まる、ってありましたね。いきなりちょっと難しい話で恐縮ですが、アレクサンドル・コジューヴっていうヘーゲル学者が、日本の江戸時代は、ポストモダンって言葉を使ってはいないけど、それの先取りをしているって言っているんですね、有名な話ですけど。江戸時代は厳密な階級社会だけど、謡曲なんかの師匠の前だけでは、武家だろうが町民だろうが皆平等だった。そこでひたすら洗練だけを加えていく文化—彼はスノビズムっていう言葉を使っているんだけど—そういう文化こそがポストヒストリーの文化だというのですね。「芸」の中に個が埋没して洗練だけしていくというのは、言い方変えると、蟻のような動物が巣を作るのと同じね。その存在意義は決して問われない。蟻は自分たちは何で巣を作るかなんて問う事はしない。それで東浩紀さんが「動物のポスモダン」という議論をした。これは、マルクスが、動物が巣を作ることと人間が家を作ることの決定的な違いは、前もって建築家がどういうものを作っていくかを考える、構成の方法を意識としてもっているのに対して、動物にはそれがない、といってるわけですが、その裏返しだと思います。目的意識、哲学用語でいうとテロスを欠いた洗練なんですよ。今の日本の建築が、さっき宇野さんがいわれたようにイメージ先行で、布野さんが言っているような構法とか建築本来に備わっているシステムを欠落させたまま、形のみ洗練させていくという傾向に導いていっていると思う。
布野:最先端のアーキテクトは、遺伝子みたいなもので、見たことのない建築ができるかもしれないってと思ってるんじゃないですか。
八束:できればいいんだけれど、できない。下手すると遺伝子みたいな格好をしているだけ。
布野:今流行っているじゃない。バイオミミクリーみたな。
宇野:日本のね、学者の方がポストモダンだって言ったすごく面白い話があって、江戸時代はものすごい階級社会ですよね。移動もすごく制限されていたわけじゃない。居住も完全に止められていただろうし。旅はできたけど、関所があって、女性は動けない訳じゃないですか。だけれども、境界、境界には八束さんがおっしゃったようなある種の輪をもって、やわらげる、装置がありました。文化だったり、芸術だったり、日本文化こういうもんなんだろ!みたいな、武士であろうが商人であろうがうたやおどりをやっている限りは同じみたいな、そういう緩衝装置としての文化が隅々まであって、それを今でも同じように働いているような気がしないでもないですよね。
それが通じるのは、村や島の中のはなしであって、外との接触面に置いては、そう簡単にはいかないんですよね。
八束:そうなんですが、意外なことに、動物の巣みたいな、meしかない日本の建築が外国人にはすごく受けているという状況がある。
宇野:フレッシュだもん
そりゃ受けますよ。それは外国の女の子達が、日本のコスプレと同じで、フランスなんかじゃ大好きで、フランスは息苦しい社会で、階層社会だから、日本みたいに気楽に暮らせないじゃないですか。だから、やっぱり日本に来たら、銀座なんか歩くだけですごいうきうきしています。ヨーロッパの学生何人か持ってたことあるけれど、彼女たち、彼らたちを連れて行くと、本当に楽しくてしょうがなくて、スキップし始めちゃう。こんなところがあるんだって。それは、新鮮ですよ、彼らにとっては。
八束:あれは一種のエキゾチズムですね。日本で言うと民家調の建築やってウケようとすると、みんなに馬鹿にされる。今の日本の現代建築はそう思われてはいないけれども、本当は同じ構造だと思う、極論かもしれないけれども。(ちょっと変えたのでつながりを考えて下さい、宇野さん)
宇野:いやいやそんなことはないです。ばかにはしないだろうけど、かわいい建築はかわいい建築だった。キッズライクって言って、彼らはそう呼んでいます。ヨーロッパ人から見ると大人の建築ではないけれど面白いよねってことなんです。
八束:その差があるわけですね。日本人はそこを理解してなくて、俺たちって受けてる、今の日本の建築のデザインは世界の最先端だ、って思っている。
宇野:そういう人が増えたのは確かだけど、みんながみんなそうではありません。マジョリティは意外とうけていると、日本はデザインが注目されていると思っている若い人や学生は増えたけれど。それはちょっと違うかもしれません。
八束:違うのであれば教えて下さい。(宇野さん敷衍してください)
布野:私は完全に脈絡を失っているけど(笑)、なんで江戸の話になったの?(
八束:要するに体系がない社会なんです、江戸もポストモダンも、ということがいいたいわけ。スノビズムって言うのは体系ないし規範がなくて、ひたすら洗練をしていくだけだから、設計教育も、あぁかわいいね、面白いねで終わっちゃいます。好き嫌いはあるにせよ、方法論なんて生じようがないということ。批評も成立しない。そこはさっき布野さんがいった、ポストモダン以来計画学者がどう考えていいかわからなくなったという状況の、かなり正確な裏返しだと思う。
宇野:建築のはなしと違う話になってしまう。
八束:社会化しようがないと思いますね。建築計画学って基本的には社会的に共通の言語、システムをつくろうとしますよね。
布野:ポジティブに言えばそうですけど。ネガティブには制度を裏打ちすること。
八束:それは同じことの表と裏じゃないですか。制度がない社会なんてありえないわけですから、あえてネガティブとポジティブの区別をする必要はないような気がしますが。
布野:新たな制度の設計をするのはポジティブでしょう。
八束:だからこそ計画なわけでしょう?(このあとで布野さん敷衍して下さい。反論でも言い)そもそも計画学の自信喪失って、要するに制度設計に加担する事への後ろめたさみたいなところがあるのじゃありませんか?かつての佐野や内田の時代とは違って。今の動物のポストモダンていうのはそういう風にいかないわけです。例外だけ作る。歴史(意識)のないところで「新しい」といってしまうとそうなる。そういう傾向の再生産をアーキテクチャスクールでやっていることなのではないか、という気がします[布野修司3] 。
[学生を育てるということ:評価の問題]
和田:質問なのですが。例えば歌がうまい人や走るのが早い人がいますが、建築をやりたい人はみんな建築家になれるのか、それかやめたほうがいいという場合もあると思うのですが、そこのところはどうなのでしょうか。
布野:私はやめたほうがいいと学生にははっきり言います。しかし、やめたほうがいいというばかりではなく、建築の世界は幅が広いのでどこかで力を発揮できる場所があるという言い方をします。
宇野:授業でエスキスをやって講評会をやるときに多くの建築家が学生に対して悪く言う場合があります。それはひどいことだと思います。なぜかというと、建築を始めて2,3年の人に向かって長くやっている人が悪くいうということは普通のゲームではありえないことだからです。例えば少年サッカーの子どもをプロが教えていたとします。そこには上手な人も下手な人もいます、下手でもサッカーが大好きな人もいます。その人に向かって下手だとはプロは絶対に言いません。そういう意味で建築設計の教育に疑問を感じます。
布野:ほめるのは基本です。けなすほうが簡単ですからね。しかし、最近の若い先生はほめるのがうまいですよ。なぜこんなにほめるのかと聞いたら、けなすと学生は建築を嫌いになるからというんです。
宇野:建築を嫌いな人を生産するよりは好きな人を増やす方がいいと思います。
先ほどの和田さんのご質問にお答えすると、明らかに筋というものはあります。私もやめておきなさいと言います。そのとき2タイプの人がいて、それでもやる人とどうしようかと考える人がいます。しかし、やめておきなさいと言ったときに人格を否定されたように感じてしまう学生もいます。今の学生にはもう少しいろいろ大変な目に遭って大きくなってほしいと思います。
(以下は少し後から移動)
和田:これはパナソニックが作った日本のパソコンで、宇野さんもお使いのMacのパソコン、これはデザインされていると思います。パナソニックはデザインされていない。なぜこういった物を日本人は作るのか。買ってしまうのか。
例えば、新幹線が開通して50年、ネジだらけなんですよ。ジャンボの747は全部ビスが無いですよ。ユーザーに対する愛があるのだと思います。建築でもそういったことがありますよね。三菱地所が設計した池袋のビルなんて部屋はあるけど窓が無いようなビルを建てたりする。そういった物を一流の学校を出た学生がなぜつくるのか。
八束:海外でもひどい建物はあります(笑)、ある意味日本よりよほど酷い。
和田:まあそうですけど、ミースのパビリオンなんて惚れ惚れしますよ。日本の桂離宮も似ているかもしれないけど。なんでみんなもっと建築に対して愛を込めてきちんとやらないのかって。
八束:日本の建築学科はほぼ工学部に属しています。アメリカなどでは建築学科が必ずしも工学部にありません。学部にないことも普通です。学部はいわば教養学部に近い。そうすると、私の妻もそうですが、学部は別のことをやって大学院に入ってから建築を勉強します。そういう人たちは明確な目的意識を持ってデザインを志す。しかし、学部ですと、高校を終えて入ったばかりの学生たちは意匠設計と構造設計の違いも分かっていません。そういう人たちに頭から駄目だというのは当然よくないと思います。しかし、どこかで気づいてもらわなければなりません。私の経験からだと卒業設計が終わったあたりです。そのときに直接本人に聞いてみると、言われなくても自分の限界は分かる人は多い。
宇野:なかなか火のつかない人や、学部では下手でもあとあと化ける人もいます。そういうことがあるのが面白いと思います。
八束:これも私の経験だと化けるのはだいたい三年後期だと思いますね。それで卒業設計まで走れるかどうかで決まる。
宇野:私は20代後半だと言っていますけれど。
八束:宇野さんの方が僕より辛抱強く育てている良い先生ということかなぁ(笑い)?
(ここ布野さんのコメント欲しい)
松田:コメントしてもよろしいですか。先程学生をほめるって話と卒業設計日本一などの講評会みたいな話があって、僕はその二つは繋がっているのだと思っていて、今褒めるということは、モチベーションを作るために必要になっていて、僕が学生だった頃は、いろいろけなされたというか、いろいろ言われて、そこで這い上がっていかないと行けないという風になっていた気がする。今の学生はそういう状況になった瞬間に、なんとなく、建築をやめて建築以外のところに何かあるんだってすぐ動いてしまう感覚がある。それで、少し試しながら、学生に対して褒めるところからスタートしていくということは、なんとなく意識的にもっていて、ただそれだけど、そこで終わりということになってしまって、どこかで力試しをしたくなるというか、しないと次が無いような気がするのですね。つまり、褒めた後に競争システムを作らないと、学生側が自分で自発的に学習していかないというか、挑戦していかなくなるので、ある意味で、学校で講評会があり、地域で合同講評会があり、行き着く果ては、日本一決定戦みたいなところで、ただ日本一決定戦で行なっているのは、学生同士の競争というよりも、評価システムそのものが競争されていると思っていて、学生もそれを見に来ていると思います。つまり、褒めるときには、その人のいいところをできるだけ褒めようと努力するのだけども、そうすると、この点を褒められた人と別の点を褒められた人は、どっちがいいかその学生同士はわからないはずなので、ただ講評会みたいなところで、最終的には、こういうところは褒められたけど、こっちは足りなかったんだって講評会の中でだんだんわかってくる形になる。その行き着くところは仙台日本一決定戦で、こういう評価システムとこういう評価システム、どっちの評価システムの方がよかったのか、最終的にその年の決着を着ける場がある種仙台みたいなところなので、今のところあってしかるべきかなというのと、八束さんにそういう機会に審査員として来ていただけないかなと思うのですが、そうするとどういうことがおこるのかということも見てみたいなって思います。
八束:僕一人だけ違う基準にするから、大概巧くいかないような気がしますね。私の大学でも卒業設計賞とかあるわけですよ、もちろん、八束研の子が勝つときもあるのだけど、だいたい負ける。非常勤で、初等教育の製図担当とかの先生まで点数をいれる方式なので、面倒くさいことすると負けてしまう。さっき布野さんが賞を狙う学生が決まったやり方をすると言われたけれども、こうすれば受けるというのを僕が評価しないのを知っているから、僕の学生はやろうとしないので、こちらの方からいっても、負けるんです。でも負ければショックなわけで、卒業設計が終わると僕は慰めに回るということをやっています。教育的な行為としてはとても非建設的な形ですけど。
それを回避するには、なぜこれをやって負けたか、先程の和田先生のお話で言うと、褒め方、貶し方を、楽屋でではなくて評価の場できちんとするということなんでしょうね。なんだこんなのとか言われたら、学生は立つ瀬がないですよ。なぜこれがだめなのか、なぜこれがいいのかということをきちんと言う、言えればそれは納得すると思う。ただ、卒計展って、そこまで議論する時間が与えられないことが殆どだから。
布野:冒頭に言いましたけど、『建築討論』はそういうことをやろうと始めたんですよね。具体的な作品を対象にするといささかやりにくいということがあるけれど、今の褒め方の話は示唆的ですよね。
八束:それと学生のそれとは別の、社会における評価システムの問題もあると思います、より根底的に言うと。一般ジャーナリズム、例えば、新聞やなにかに、今は、新国立競技場の問題だとか取り上げられていますけれど、例外であって、海外だと新しい建築が建つと大きく取り上げられますよね。そういうことが日本の建築にはあまりないから、アーキテクトのレゾンデートルの重みがずいぶん違う。それに伴っているかはわからないが、設計料も違うし。和田先生がおっしゃったのは、そういう事も含めての建築の文化としての厚みのことだと思うのですが。
[設計教育の目指すものと研究]あるいは、[設計教育と研究の目指すもの]
八束:昔は、10年間で一人、建築雑誌に出てくるような弟子を育てればそれでいいって設計教育があった。例えば、芸大のピアノ科の主任教授が、入学式で「諸君おめでとう、だけど、この中でコンサートピアニストになるのは一人だけ」と言ったという話があって、要するにあとはピアノの先生になって食べてくださいということですね。ピアノはそうなのかもしれないけど、建築の設計教育はそれでいいのかというと、どうなんでしょうか?
宇野:でも八束さんの言っているレベルの人は、教育したから建築家になるのではなくて、放っておいても結局そういう人は建築家になる人だから、そうじゃなしに、ちょっとこれをこのときに知っていればずっと伸びたのにとか、こういった技をこういう時期に覚えていれば、それで今があるという人たちが何十人もいるわけだから、それは、教育の可能性、不可能性の話で、八束さんが言った一人というのは、教育してもしなくても同じような人のことだと思いますね。
八束:それは分らない。僕は10年間でそういう学生に別に会わなかった。そういう風になり得た学生は何人かいましたけど。そういう人を育てたいとも、とくに僕は思わなかった。作家養成研究室にする気はなかったのですね。もっと色々な方面で出てきてほしいと思っていました。その辺は個別で違うでしょうが、お二人の研究室ってどういうことを目指しておられるのですか?どういう学生を育てようとしているかということでもあるのだけれど。布野さんの研究室は設計者も研究者も出しているわけですね?
あんまりこういう話をしなかったのですが、これを入れたい。院と学部の関係を含めてお願いします。宇野研での「研究」についても。
布野:「都市組織」研究を標榜していることはさっき言った通りです。話せば長くなりますが、「Xから都市組織研究へ」と題してしゃべらされたことがありますので[布野修司4] [3]、また、いくつか書いた原稿[4]がありますので、それに譲りたいのですが、要するにXは建築計画学と考えてもらっていい。不遜ながら建築計画学の正統を引き継いでいると勝手に思っています。「都市組織(urban
tissue, urban fabric)」とは,都市を建築物の集合体と考え,集合の単位となる建築の一定の型を明らかにする建築類型学(ティポロジア)で用いられている概念と理解していますが,さらに建築物をいくつかの要素(部屋,建築部品,…等々)あるいはいくつかのシステム(躯体,内装,設備,…等々)からなるものと考え,建築から都市まで一貫して構成する建築=都市構成理論[5]において用いられる概念とも考えています。つまり、都市を1つの(あるいは複数の)組織体とみなすのが「都市組織」論であり,一般的に言えば,国家有機体説,社会有機体説のように,都市を有機体に喩え,遺伝子,細胞,臓器,血管,骨など様々な生体組織からなっているとみる。ただ,都市計画・建築学の場合,第1にそのフィジカルな基盤(インフラストラクチャー)としての空間の配列(編成)を問題とし,その配列(編成)を規定する諸要因を明らかにする構えをとる。「都市組織」という場合,近隣組織のような社会集団の編成がその規定要因として意識されているといっていい。集団内の諸関係,さらに集団と集団の関係によって規定される空間の配列,編成を問題とするわけです。これまで書いた『曼荼羅都市』『ムガル都市』『グリッド都市』そして『大元都市』などすべて「都市組織」研究の一環です。
宇野:
八束:建築を囲む環境自体がこれから変わっていくでしょう。それに応じて研究室だって変わるはずです。例えば、住宅の設計一つとっても、大学院くらいになると、ハウスメーカーか作家かという二分法ではなくて、住宅の設計にせよ、一種のパタンランゲージみたいなシステムとして考えようとアプローチする学生が結構出てくるのですね。そういった子のアシストしてあげることはすごく大切だと思う。それは今後多分変わると思います。教育だけじゃなくて、ハウスメーカーなんかも、つまり建築の生産の体系自体も変わると思う。これだけ少子化で、高齢者の家族負担が増えていけば、皆独立住宅なんて建てなくなる。だから、ハウスメーカー志望の学生とかいると、ハウスメーカーも表だって言ってはいないが、将来的にはこの技術を使ってアフリカに建てたりとかきっと考えているから、そういう風なことまで考えて将来設計したら、とか僕は言うんですけどね。ただそうすると、いやそこまで長く私いる気ないですから、って言う答えが返ってきたりもする。務めても三年くらいでやめてしまうからというわけね。そうなるとこちら側は何をか況んやになってしまうのだけど。
我々みたいな私立大学では、中堅技術者を養成をターゲットにしているということになっている。だけど、その中堅技術者がいらなくなるかもしれないでしょう、将来的には?建設産業がグローバル化していけば、その層では中国の人たちの方が優秀だったり、経費がかからなくなったりするかもしれない。製造業はそれだからアウトソーシングしているわけでしょう?そうすると職能自体を別の方向に広げていかないといけなくなる、そういうカリキュラムを組んでいく必要があると思う。けれども、残念ながら建築では、ものすごく古いディシプリンがあって、その転換ができない。新しいのは、ただのファッションということになりかねない。
宇野:僕は、千葉大にいたとき一つ学科を作ったんですね。それが、八束さんが言った問題意識から、作った学科なんだけど。
八束:建築学科とは別に?
宇野:別です。北原理雄さんと作った学科です。それは要するに建築のレベルで言えばリノベーションが増えるって話、それから、都市レベルで言えば日本の都市再生をいくつかいろんなレベルでやらないといけないとか、それに対応するときにコミュニティーデザインって言ったり、そこには合意形成が必要だから、そこに建築のことをわかっている人、技術が判っている人がいて、なんとかしていく。最近で言えば、アートがいろんな現場に入っていける状況、国際的に増えてきているとお話しされていましたよね。そういったことを、いきなり仕掛けていく、二年生の演習で物を作って街に出ていく、そこでアクションをかけていく、それをフィジカルデザインに繋げていく。そういう、学科を作りました。10年経ちましたので、効きがありますよ。ただ、僕としては、建築が好きだから、そういうことは徐々に建築と離れていってしまうことがあって、そこは、自分としては、自分とやりたいことと少し違ってきたから、コアの部分としての建築が大切なので、理科大から来てほしいというお話があって、理科大に移りました。そういう背景があります。一方で、今度、コアだから理科大って古い学校なので、古いままやっているので将来が無いのですね。(つまり千葉大方式だと建築から離れすぎるし、今の理科大だと元の古い構図に戻ってしまうし、と言うことですか?)今いくつかのことをやっているのですが、現場から学ぶということ、先程言ったような、具象から抽象にはいっていく教育のプロセスを逆転させる。
布野:それは、社会の編成の問題となりますね。我が業界は半減してもおかしくない状況。教育以前に、建築家の存立基盤が脅かされている。(敷衍して下さい。)
[質疑]
松田:この話の、最初から聞いていて気になったのは、体系の話をされていて、体系とその方法論。つまりシステムとメソドロジーみたいなものを、今の建築教育の中でどういうふうに考えるのかって、すごく必要とされているのではないかという疑問点が最初からあったと思います。それで思うのは体系を知るということは、学生にとっては大事なのだけど、学生が建築を知るときに、軸組を教えても一年後にはその意味を完全に忘れてしまっていたという話があったのだけど、建築の全体像を早く知れば、全体像を知った後には、物事理解がすごく早まると思うのですが、問題は体系を教える方法論が確立されていないのではというところで、どうやって早く体系を学生に教えていけるか、教える側から見ると難しい問題で、体系はいつも同じじゃなくて、三年五年経てば建築の全体像みたいなものが揺らいでいる状況があると思います。その中で、今建築を教えるときにどういう体系でどういう風な体系を教えるメソドロジーを確立して学生に伝えるということができるかということが、自分が教員になってあまり年月がたっていないこともあるので、自分にとって関心があって、学生と接するときに、建築とは何かということを教えることが難しいなって思っていて、一方で、僕が学生のときはメソドロジーみたいなものを毛嫌いしていて、大学院生のときは、過去の研究論文とかを読んで今までにあったやり方では面白くないから、次に違うメソドロジーがないかということで、メソドロジーを脱構築していくようなメソドロジーを探していたということがあって、本当に今の学生にそのままメソドロジーを教えると、ただヨーロッパだとそうで、フランスでメソドロジーをまともに教わって、こういうことだったのかって初めて知った気がするので、教えた方がいい気がするのですが、メソドロジーだけ教えると、それに従って素直にやってしますのではないか、そういう風な恐れがある。
八束:それは、特にフランスの場合、うちの大学も、ベルヴィルと交換留学をやっていたからある程度知っていますが、そこで感じたのは、彼らがやっていることはメソドロジーではなくてマニュアルだということ。さっきも計画の所で言いましたが、それは違うものだと思う。シリアニなんかが作り上げたやり方では、コルビュジェの方法がマニュアルになっている。ある種のパターン・ランゲージですね。あれは、確かにメリットはある、そういうことをやると一定のレベルができるから。フランスの町並みだとかでは、都市建築のパターンというかタイポロジーとモルフォロジーがあるから、そういうものが出来ていくということの意味があります。だけど、日本でそれをやっても仕方がないのじゃないかな?
松田:つまり、メソドロジーとマニュアルの違いをはっきりさせないといけないというところですね。
八束:僕にとってメソドロジーというのは、つまりところ思想ですから。オートマティックにできるのはマニュアルで、思想はそうでないところにこそ求められるはずです。ただそこまで教育するためには、四年では決定的に短い。
宇野:また材料と技術とかの話だから、フランスのプロポーションとか形態の快作論だけど形態論だから、図形的な拘束力があって、結果的に後で整うということがある。東京とか日本の場合は、形態も多様、技術も多様、質も多様になってきているから、そうするとどこで押さえ込むかというのは、よっぽどうまく組み立てないと、なにが継続的で、なにが揺らいでいるのか、なにが揺らがないのかっていうことを見極めながらやっていかなくてはならない。そこは、丁寧にやっていかなくてはならない。解釈する学生も多様だからそこも難しい。解釈する学生にも一定の知的なベースがあるのなら別だが、日本初等教育、中等教育、高校までの教育というのは、単なる技術や知識だけをつめこんでいるから、ほとんど思想やポリシーが無い。だからそれぞれの体験を基づいて、それぞれが小さな思想や哲学は持っているのだけど、それを共有する何かを作らないと、建築論も始まらない。日々そういうところを悩んでいる。どうしてこういうことになってしまったのか。
八束:四年間のマス教育では無理ですね。僕は、退職した今だから言えるけど、給料をもらっているからやったけど、実はスタジオも含めて授業にはあんまり興味が無くて、研究室でやっていることだけが面白かったんですよ、本当は。そこでなら本当の教育ができるから。百人相手の講義とか何十人相手のスタジオでは無理。しかも、四年で出てしまう人には悪いけど、それしか出来ない。六年制やっている学校がいくつかあるけど、そのメソッドがないと思う。四年で断ち切られているところに、あと二年、屋上に屋を重ねているだけだから。そういう長期的な育成システムがあればいいのだけど。
宇野:でもね、松田さん。大学に入るまでの知識や体験というのは、そういうことになる。それをベースに建築の専門的な知識、技術、技能を覚えてもらって、それで整理ができるようになる。そこから抽象の話が始まって、世界をちゃんと捉えられるようになる。そういう教育のプロセスの方法論を整えないとみんなが思い思いにばらばらにやっているのが建築学科で機械工学科や電子工学科に比べて非常に遅れている。コンピューターサイエンスの学科や物質工学の学科は体系的にきちんとやっている。同じ年限なのにはるかに専門性の高い優れた人間を作っている。
松田:四年しかないところしかないのでしょうがないところもあるのですが、今の日本の建築教育で、外国と比較して抜けていると思うのは、長期のインターンシップだと思うのです。外国では3ヶ月から6ヶ月というのは、学校によっては1年というのもありまして、あれがあるなしで結構違いがあるなって思っていて、日本の学生は2、3週間なのでそれで社会に出た瞬間にあれという思いが強いというのはあるかなと思っていて、それは大きな問題だと思います。もう一つは、方法論が、やっぱり体系だって教えられていないというところがあるのと、あとは、スイスの建築教育で、特にETHとかだとアンドレア・デプラデスっていう人がいるのですが、デプラデスさんの本でConstruction Architecture という本があって、ヘルツォーク・ド・ムーロンとかディエナーディエナーとかスイスとかのグローバル活躍している建築家のディテールを描いて、そのディテールと現代建築との関係から教えるのですね。それは、建築をかなり小さいスケール、ドイツとかなら1/1スタートするので1/5だとかそれくらいのスケールから建築をコンセプトとして伝えるところを同時にやっているので、そういう教育はすごいなって思って、日本にそれに対応する授業ってほとんどないなって思いました。
宇野:僕らはやっていますね。
八束:各大学、各教員が個別に工夫してやっているということはある、それを全体的に問題提起をして引っ張っていくことが、学会の機能じゃないのですか。
布野:何か他に一言ありますか。
稲葉(武司):先週中国の広州で日本と中国と韓国で、学会がありまして、教育の部門で発表してきたのですが、非常に日本教育の質が下がってきているということを話してきた。聞きにこられている方は、日本で学位を取ったという方が多くいて、日本の建築教育は優れていると思っている。聞きにこられた方は、そんなに問題があるのですかと多くの方思った。僕が出した結論としては、今は、中国や韓国の5年生の教育は、建築の設計教育を非常に中心においています。例えば、カリキュラムの30パーセントは設計の時間ですからね、5年生で30パーセント、日本は4年生で20パーセントをきっている。実は、平均すると10パーセントから15パーセントくらいです。だから設計というその建築計画の中心にしなくてはならないことの時間が非常に少ない。中国なんかを見ると、建築の学生は非常に優秀ですね。みなさんの研究室も中国の学生取っていると思うけども、彼らは非常に手が動く。結構分析力もある。今までは中国の建築教育は、先程の話にもあったように、日本の建築計画学が完成していくような中で学生を教育するという社会の役に立つというか、そういう意味だったのですが、これからはフリーな建築家を育てていくようになる。だから他の国からたくさんの建築の講師を呼んでいる。これがずっと進むとですね、今の話を聞いていても日本はだんだん下がっていって向こうは上がっていくと感じました。
宇野:文明の交流と衰退というかですね。こうやってローマは滅びたんだって思った。そういう時代でも若者は生きていていろんなことをやっている。
稲葉:先程の日本一決定戦の話も、日本の建築の教育の中で、どうしようもないところから染み出たように感じます。だから僕はあの人たちは支持していますね。
(以下も引っ越し文)
八束:設計の時間という点だと海外のアーキテクチャスクールなんて全然違います。そもそもアーキテクチャスクール来るのはデザイナー志望ばかりですから、週三回スタジオクリティークがあったりするんです。今日本の建築学科は週一回ですから、その前日にやってというだけでは、全然案がデベロップしない。週三回クリティークやられたらコンペなんてやっている暇ありません。それが海外がいいということばかりいうつもりはないけれど、日本の今のシステムはそういう現状に対して無批判になっています。学生さんがほっといていいというと、先生も楽だからっていうのもあるとは思うけど(笑)、そういう意味で言うと教育は放棄されている気がします。違いますか?
布野:昔は計画系でドクターに行く場合、かってに設計し、すぐに独立していました。そういうのが大学院でした。似て非なるものですけれど、ほっとかれる大学というのはこういうことだと思います。
八束:独立していたというのは、成熟度の違いでしょうね。宇野案が言われたほっておいてもちゃんと建築家になれる人が多かったということ。学生の成熟が遅いと言うのは建築畑に限らず良く言われる事ですが。
宇野:本当は学生の人たちに話してもらえばよかったよね。言いたいこと山ほどあるとは思うのですが。どうもありがとうございました。
[1] 今日は予習で。紙上対談でもいいからテーマ毎に。僕は、八束さんが『思想としての近代建築』(2005年)を出されたときに連絡いただいて議論しませんかというオファーをもらったことがあるんです。・・・仕事を抱えていたもので、ちょっと無理ということで断ったんです。今回、それが果たせればと思ったりします。今度の『ル・コルビュジェ 生政治としてもユルバニスム』(2014)もすごく興味があります。まず、お互いの著書をクリティークしあうやりかたもあるかもしれません。
ひとつは今日も少し話題にしましたが、近代建築の歴史を西欧VS日本という構図ではないフレーム、すなわち、グローバルに、もう少し言えば、アジア・アフリカ・ラテンアメリカに軸足をおいて掘り起こしたい気持ちがあります。
もうひとつは、非西欧地域においてどういう都市計画が行なわれ、それがどういう結果を引き起こしつつあるのかを具体的にいくつかとりあげて掘り下げてみたいと思います。
さらにやるとすれば、八束さんはもういい、というかもしれませんが、現代における注目すべき試みに対してコメントしてみたいと思います。また、よりよいというかより楽しい都市建築を生み出す仕組みをめぐって議論できればと思います。以上全くの思いつきですが。
[2] 布野修司建築論集Ⅲ『国家・様式・テクノロジー-建築の昭和』彰国社、1998年、所収
[3] 東京フィールド研究会第3回公開講演会「都市フィールドワークの開拓―布野修司生にうかがう」,東京大学工学部1号館15号教室,2011年3月5日(
布野修司他(2012)「都市フィールドワークの開拓」『Sustainable
Urban Regeneration』東京大学・都市持続再生研究センター,2012年8月)
[4] 布野修司(2013)「アジアの都市組織の起源,形成,変容,転生に関する研究」2013年度Vol.3『科研費NEWS』,文部科学省
[5] N.J.ハブラーケンN. John Habraken,オランダの建築家,建築理論家。1928年インドネシア,バンドン生れ。デルフト工科大学(1948-1955)卒業。アイントホーフェン工科大学を経てMIT教授1975-89。オープン・ビルディング・システムの提唱で知られる。
建築の実践と建築教育—日本の建築教育:過去・現在・未来—
主催:日本建築学会 建築討論委員会
日時:2014年11月14日(金)18:30~20:00
会場:日本建築学会 建築書店
■八束はじめ(建築家、建築批評家。芝浦工業大学名誉教授)
■布野修司(建築計画学家、建築批評家。滋賀県立大学教授)
ゲスト
■宇野 求(建築家、都市設計家。東京理科大学教授)
問題提起
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布野:この対論シリーズの企画のきっかけは、第3回けんちくとーろん「都市と建築から見るアジア-グローバル化と現代」(WEB版『建築討論』002号)なんです。その最後に発言していますが、かつて八束さんの方から討議を提案されたこともあり、また、まだ話したいと思ったものですから、何回かやって、まとめられたら『建築討論』にも1つの軸ができるんじゃないかということです。それと建築討論委員会としての事情もあります。『建築討論』も徐々に軌道に乗りつつあると思いますが、『建築雑誌』と違って事務局体制というか編集体制ができていないものですから、『けんちくとーろん』シリーズも企画、討論者の設定と日程調整など定期的に行うことはかなり難しいということがあります。二人であれば日程調整は楽になりますので、二人+ゲストというかたちはどうかと思ったわけです。八束さんに相談したところ、早速、何人かのゲスト候補者のリストを提案していただきました。今日はその第一回ということになります。
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八束:今回は私の提案で、基本的に司会であるはずの宇野さんをゲストにしたらという形になりました。私は進行役というよりも、宇野さんに問題提起していただき、三人で話していこうと思います。私は正確に言うと三月に教員をやめたので現役ではないのですが、三人とも建築教育に携わってきたなかで、思ったことを話していきたいと思います。年寄りが若い者はだめだというのはいやらしくあまりいいたくはないのですが、長くやっているといろいろ問題が見えてくるので、それを三人で出していけたらと思います。我々が学生の頃の背景とはずいぶんと変わっているでしょうが、今の建築教育が現在かなり際どい、危機的な状況にあると私は思っています。そのことを建設的に話せればと思っています。では、宇野さんに問題提起をお願い致します。
· 宇野:十年程前、千葉大学にいた頃、卒業設計に「平成江戸時代始まる」というタイトルをつけた学生がいました。彼女は、日本社会は近現代化してきたけれど、そろそろ江戸っぽいと思えるエレメントが浮かび上がってきているのではないかという仮説のもとでプロジェクトを進めたのですが、これはコピーライトとして卓越していると思いました。僕らが学生だった1970年代の当時の建築観では、日本には独自の文化があり明治時代から西洋化に始まり近代化が進んだものの、近代が煮詰まってきたから、これからどうするのか?と皆が考えていました。ポストモダンの最中にあり、そういう時代に建築教育を受けました。ですから、近代化のプロセスの延長上に、1990年代以降のグローバリゼーションを捉えることができます。しかし、現在、大学に入学してくる人たちは、皆、平成生まれです。平成生まれの人たちは日本国内で育った人ですと、大都市で生まれても地方で生まれても、TOTOかINAXのお風呂に入り、トイレを使っていたりする。皮膚感覚がFRPの近代化された装置の中で育っている。僕が子供のころは、銭湯があったり、ドラム缶の風呂があったり、五右衛門風呂があったり、それがガス釜になり、給湯式になり、といったいろいろなタイプとプロセスがありました。
家の中のトイレや風呂といった生活の基本的な部屋ないし装置が、いまとはまったく違うものですから、近代化に慣らされた住環境で育った人たちに、暮らしを伝え居住(Habitation)について教えるのがかなり難しい。体系化されてきた住居学が崩れてきたという捉え方もできると思います。明治以降、近代化の過程で都市や居住に関わる事物が整理され、建築やデザインや都市計画などが体系化されてきました。日本は非西洋諸国の中で近代化の先頭を走っていたのですが、90年代以降、世界中で始まったグローバルな近代化ないし現代化の潮流もあって、国内で育った新世代にとっては、建築学を総体として体系的に捉えることが難しくなってきているように感じます。建築は何を目指しているのか?何をすべきか?そして何が可能か? グローバル時代の現況から見るならば、一般性をもって全体を俯瞰しつつ、個別に多様に応答することが求められる時代でもあるので、初学者に建築なるものを教えることが、以前に増して難しくなっているように思います。
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建築計画学の現在
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八束:体系が崩壊したって言う話を引き取ると、いきなり「学」の話になってしまうけれど、結局、建築計画論ないし計画学の崩壊の話に繋がっていくような気がします。建築計画学が、まず設計教育の手前に基本としてあって、それから少なくとも工学部の建築学科だと、諸々の技術系の科目を学ぶと授業はそういう構成になっていると思うんだけど。それが何時からかってのはどうなんでしょう?例えば岸田日出刀がやっていた訳ですね、戦争直後。でもあの頃は環境工学も全部建築学だった。
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宇野:「原論」といっていましたね。
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八束:はい。原論ですからその上に建築学の体系を作ってきたのに、どの辺から分からないけど、宇野さんがいわれたように、それが壊れていったっていう風な感じは確かにある。布野さんどうですか、計画学の専門家として。
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布野:まず、計画学がどういう風に成立したか、ということを押えておく必要があると思います。つまり、エンジニア系の学に対して、デザインあるいはプランニングをどういう様に学として成り立たせるかということですね。建築学なるものがどういうふうに成立してきたのかについては「建築学の系譜-近代日本におけるその史的展開」(『建築計画学体系1 建築概論』1982)1に譲りますが、「建築の学と術」「国家と建築学-専門分化と領域拡大の歴史」「近代合理主義と建築学-アカデミズムの成立」ということで伊東忠太、佐野利器、西山夘三の学術観を明らかにした上で「戦後建築学の展開」を問題にしています。建築計画学というと西山夘三の系譜を辿ることになりますが、今日でいう建築環境工学、建築設備の分野は建築計画学の分野ですね。計画原論と呼ばれていたんですが、それが専門分化していくわけです。
体系の崩壊ということでは、わかりやすいのは吉武計画学の系譜、施設計画の体系ですね。建築計画学がやってきことは、ビルディングタイプ毎別に空間構成(平面)を提示することですね。学校だとか、病院だとか、図書館だとか、建築類型別にノウハウを集中的に蓄積してきた。しかし、施設=制度=インスティチューションということですから、明らかに、施設計画は具体的な制度を前提にして成り立つ訳ですね。
僕らが学生の頃ですね、すなわち、1960年代末から1970年代初頭の頃、その制度が揺らぎだすように思われた。例えば、学校建築でいうとオープンスクールといったことが主張され出すんです。教室は学年毎に並べなさいとか、低学年は職員室に近い方が良いとか、上下足は履き替えなさいとか、そういういくつかの方針で標準的平面形式を提案してきたんだけど、教育の仕方自体が問題にされ出す。無学年(ノン・グレーディング)制とか、チーム・ティーチングっていうことが主張されるんです。江戸時代に寺子屋で年上の子が下の子を教えていたみたいなのがいいんだ、という。過疎の村では実際やらざるを得ない。それから土地の有効利用の問題があった。施設建設のための土地取得が難しくなると、老人ホームと学校をくっつけて建設する事例が出てきたりする。そうすると、それまでの施設計画学が構築してきた体系では対応が出来なくなる。施設計画学の体系が揺らいできたのは70年代以降だと思います。
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宇野:僕がさっき言った体系性は、だいたいルネッサンスぐらいから始まっている建築の捉え方を指していました。産業革命を経て市民社会が育ち技術が向上して、19世紀には新古典主義に至ります。つまり、技術は近代、様式は古典、規模の大きく象徴性を強調するモニュメントの時代をむかえ、そして20世紀は、技術と機能性が前面に出たモダニズムに一気に流れ込みました。八束さんと布野さんの話しは、近代建築の機能主義についての話しであって、どちらかというと1950年代ぐらいから課題とされてきたことですね。
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八束:だけど、それは繋がっていると思いますよ。つまり、ルネサンスにはみんな建築書を書きますよね。それからボーザールまで、西欧の建築家たちはずっとビルディング・タイポロジーを核とした議論をやる訳ですよね。基本的には布野さんの言われた計画学に相当する議論です。ボーザールが機能主義でないと言うのは、ひとつの水準の理解でしかない。建築の歴史は機能主義の歴史でもある。僕の三年生の講義では、一番最初に「建築ってどこから始まるのか」という問題提起をするんです。それはルネサンスから始まるのだ、それより以前の建物は「建築」ではない、なぜなら建築家がないから、って。これは芸術的な水準のことではないんです。生産のされ方なんです。集団的で部分的な技の集積から個人がそれに全体として責任を負う体制へと移っていく。中世や古代の建物も芸術的で、どうにかするとルネサンスの建物はそれを超えていないという認識自体もルネサンスの産物です。建築家のような設計の専門家が出てきたのは、社会が非常に複雑になってくるからで、基本的に従来の解決の仕方をくり返す職人的な体系だけではどうにもならない、っていうところから体系化は始まっていると思うんですよ。それが建築書ね。バウハウスみたいな近代的なデザインスクールになって教育のやり方が全然変わったって思われているけど、様式教育をやらなくなっただけで、そこらへんはあんまり変わっていない。
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布野:病院とか学校の成立について振り返れば、今の八束さんの話と重なると思います。近代社会の成立とともに公共施設が成立するわけですよね。それ以前は、個々の住居の周辺で病気の治療も教育も全ての生活行為が行われていたわけですよね。それがだんだん施設として都市に自立した建築類型として制度的に出来上がってくる。大きくは近代社会の成立、公共性の成立の問題ですね。
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宇野:都市の機能分化、建築のタイポロジー、近代建築が落としてきた意味性といった建築の本質を問うた建築論をきちんと書いたのは、アルド・ロッシしかいなかったように思います。ロッシの30代の仕事だったと思いますけれども、彼は都市建築についての論考をまとめています2。八束さんご指摘のように、中世以降、再度、体系化が始まり、産業と都市が発展する中で、建築家が技術と知識を体系化カタログ化して建築をつくりあげていきます。パラディオはその典型だといえます。時代は下り、産業革命を経て建築は技術的に伸びたのだけれども古典様式をアイコンに用いる象徴主義が行き詰まりを見せる。そこで、様式や記号に込められた意味性を削除して新しさを表現する考え方の建築、すなわち近代建築が一気に華開いたというのが、21世紀の現在からみた歴史の構図なんじゃないかと思います。僕が学生時代だった当時(1970年代)の日本の立場から世界を俯瞰することは、なかなか難しかったと思いますけれど、今だったらルネッサンス以降の500年くらいをまとめて眺めることができるところまで来たかなっていう感じがしています。
o 1 布野修司建築論集Ⅲ『国家・様式・テクノロジー-建築の昭和』彰国社、1998年、所収
o 2 アルド・ロッシ「都市の建築」”L'architettura della citta” 1966 大島哲蔵+福田晴虔訳、大龍堂書店、1991
ポストモダンと建築計画学の黄昏
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布野:体系が崩れたという話で、もうひとつ言おうと思ったのは,要するにポストモダン建築の登場です。ポストモダン建築が出てきて、教える側に自信がなくなった。僕は芦原義信先生に設計の手ほどきを受けたんですけど、最初の課題が美術館だった。すると先生は、6mおきに柱を建てなさい、径は60角で良いですとか、梁背はだいたいスパンの10分の1で良いという、グリット、ラーメンですよね。それでとにかく出発して、芦原流ですが、床のレベルを変えたり、光の入れ方を考えたり、・・・・空間のあり方を提案しなさいというんです。
ところが、ポストモダンが出てきたときに、つまり、〇△□とか、斜めに線を引けばいいんだとか言われ出すと、それは駄目だと教師が言えない、要するに自信がなくなった。「学生の方がすごい」、教師の教え方は「ダサイ」という。近代建築の規範みたいなものについての疑問が、教師の側で出てきたということでしょうけど、ファンクショナリズムに対してフォルマリズム、コンセプチャリズム、デコンストラクチャリズム・・・百花繚乱状況になった。
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宇野:でも、八束さんたちが煽られたのではないですか、あの頃は。先陣きってアバンギャルドを紹介されてましたよね。
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八束:それを否定はしないし、懺悔しても良いのだけれど(笑)、それだと初学者相手の教育の問題にはなりにくいし、僕にとっても昔話でしかないので、ここではその議論への深入りを避けて、計画学徒の関連の件を続けさせて下さい。布野さんの提起されたのは、むしろいきなりポストモダンというかモダンな規範というか規範を壊されてしまうと、どう教育してよいかということですね?
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布野:もちろんそうですよ。6mおきに柱立てればいいって話じゃないでしょっていうことをやっていく訳だけど。建築を全く知らない、何も分からない学生にどう教えていくかということが崩れていった。とにかくまずこうやって、次はこういう段階でという体系性があったんですよ、設計教育について。
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八束:それは、だけど、体系というよりむしろマニュアルのような気がする。今のお話は、グリッド・プランみたいなものが、建築計画学と設計方法とに貫通しているシステムとしてあったということですね?グリッド・プラン自体はパラディオにもデュランにもあって、とくに後者はこの点ではモダニズムの嚆矢だったと僕は思います。で、グリッド・プランみたいな安定したシステムが、根底というか根拠を問われたのがポストモダンであるという理解でいいのかしら?
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布野:まあそれを言おうかなと思ったんです(笑)。
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八束:それはありそうな気はしますね。とくに計画学の抱える問題は、それだけでは済まされないと思うけど、吉武泰水−鈴木成文の流れを汲む計画学者布野修司の率直な述懐というか懐古としては、興味深い証言ですね。
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布野:あともう一つアルゴリズミックデザインとか、あたらしい動きがありますよね。そうでなくても、今やどんなかたちでもできますよ、という。ミリ単位で合わせられますよっていう。それCADで図面が描けるわけですからね。それを工場に持って行って、行かなくて伝送すればいいんですが、部材を切ってきてあとは組み立てればいい。構造はプロに計算して貰えばいいっていうセンスだから、基本の、空間を作る骨組みの知識がほとんどすっ飛んでいる。
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八束:コンピューターでやればいくらでもそういうかたちができちゃうということの問題というのはすごくあって、それは学生の問題だけではありません。現在の建築家の問題でもあるし実践でもある。ただここは微妙な話ですが、僕は学生のプロジェクトにフィジビリティは必ずしも問わないんです。現状の技術で出来なくとも建築としては重要な問題提起をすることはあり得るから。ただ、布野さんが言われた事は、建築のリアリティに関わると思います。僕にとってリアリティとフィジビリティは違う。構法とかがないという点では、海外のスタジオではもっとひどいこともある。空中に浮いているとしか思えないデザインなんか平気でしますからね。文字通り足が地についていない、荷重の流れが見えないんですよ。これは佐々木睦郎さんも言っていました。ハーヴァードとかの学生でもそうだと。無重力空間ならいいんですが、そこには建築のリアリティはない。
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宇野:今になって思えば、僕らは、昭和20年代から40年代まで、戦後復興と高度成長の日本という非常に特殊な状況の中で少年時代を過ごしましたから、町のいたるところでコンストラクションが行われていました。工事現場が、まちの至る所にありました。無意識のうちの体験学習になっていたのではないかと思います。とくだん、意識しなくても日頃から何かを感じ取り、建築がどんどん出来上がっていくことに刺激を受けたり、大工さんが家をつくっていることに関心を示したり、、、。ところが、現在では工事現場の数はめっきり減り、東京以外の地域では建築工事が少ない時代になりました。少年少女時代に、建築現場に物資を運んできて、それを機械と人が組み立てて、建築が出来上がってしまうという驚きを体験する機械が少ないと思います。架構に対するセンスが足りないというのは、そうした背景もあると思います。
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布野:僕が、岐阜の山の中で1991年から25年くらいサマースクールとして木匠塾やっているのはそういうことですよ。で小さな小屋とかバス停とか、自分で図面引かせてやらせるっていう、要するに現場というか、そういうものが足りない。
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宇野:それを補うために、1年前期に篠原一男設計の「白の家」の架構を作ってもらっています。
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布野:原寸ですか?
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宇野:1/20です。
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八束:模型で?
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宇野:架構の模型です。木造住宅ですから手頃でもあります。でも、ちょっと変わった架構です。当時、篠原さんは大屋根をかけるために幾つか工夫をしていて、在来構法ではないので考えながらつくらなくてはならない。ある程度の図面と写真の情報を提供して、あとは学生さんが考えさせながら作ります。10組くらい作るのですが、ひとつひとつがちょっとずつ違います。それがかなりいい学習になるんですよね。今年はRCとの組み合わせということで、吉村順三の軽井沢の山荘を作りました。初学者にとって、かなり大変な作業だけど面白がって作ってくれます。なかなか立派な模型が出来ますし、これをやった後だと、架構のほかにもいろんなことが分かってくる。そのようなプリミティブ(原初的)なところを、一度、経験してもらっています。
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八束:僕のいた学科では、僕の授業ではないけど、木造の軸組模型を作らせるの、1/30とか1/50で。上からある程度体重かけてつぶれなければよし、みたいなやつです(笑)。当然ちゃんと通し柱があるんですよね。ところがその次の年にコンクリートの中層の集合住宅を作れってなったら、柱が全然通っていなかったりするわけ。通ってないじゃないというと、だめですかっていう(笑)。去年の軸組模型はなんだったのって感じで、スポーンと抜けてしまっているわけですよね。なにが悪いのかよくわかりませんが、前の年の教訓がフォーマットとして入ってないんですよ。あれは結構びっくりする。
そもそも集合住宅の課題をやらせるとね、放っておくと積み重ねないんです。平屋か二階建てのちっちゃい戸建てをランダムに並べて集合住宅だって言うんだけど、組織をもっていなくて寄せ集まっているだけ。さっきのことばでいえば、システムがない。そもそも寄せ集めれば集合住宅ってわけではないはずで、集合の仕方に計画の思想が現れるはずなんだけど。彼らにはランダムだと自由な構成に見えるらしい。自由な集合と言えば聞こえはいいけど、実はただの安直。だから僕は必ず積層にしろと言うんです。縦にも横にも、動線のシステムが繋がっているようにと要求するんだけど、苦手なんだよね、そういうの。考えたがらない。古いと思っているのかもしれないけど。
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宇野:今の学生さんですか?
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八束:そうです。設計の教員が悪いのか構造の授業が悪いのか、多分何かが抜けているんでしょう。インテグレートされていない。グリッド・プランの可否以前の問題なんです。基本が出来ていないのに、ポストモダンとかいってそれを崩す話をしても始まらないんですね、初学者の問題、つまり初等教育の問題では。
彼らが入ってくるとね、とくに最近の学生さんに顕著な現象なんだけど、みんな住宅しかイメージにないのよね。「なにやりたいの?」「住宅です」、「なんか思い当たる空間を描いてごらん」というと自分の家や部屋を描く。「就職どうするの?」「ハウスメーカーいきます」、つまり住宅から外にはみ出ていかないんですよ。住宅なら自分の日常的な生活の延長上にイメージ出来るけども、病院とか図書館とかが問題になったとたんに、本読まないから図書館に行かないし、若いからあんまり病気もしないので病院も行かない、美術館課題とか出しても、「美術館行ったことありません」とか平然と言うわけですね。だから気の利いた学生だと、敷居が高くなくて入れる美術館がいいとかいうわけね。僕に言わせれば問題のすり替えなんですけれど。元々美術なんて見に行く気があるのかだって結構怪しい。そういう話と、例えば建築学体系や建築資料集成もそうだけど、建築計画学者がアカデミーの中で積み上げてきた話とはもの凄い乖離があるんですね。それは建築計画学が悪いのか学生が無知で悪いのか。
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布野:建築計画学は批判されるべきだと思います。要するに、戦後のある時期に非常に必要だったし、有効だったかもしれないけれど、我々が住む空間をどういう風に編成するかっていう原点に帰れば、その時代時代で対応していかないといけない。それまでの体系が対応できなくなっていることは、素直に総括をして新たな対応を模索すべきなんです。
· 八束:具体的にはどう対応しているの、学会内とか、各研究室とか?
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布野:右往左往してきたと思う。ただ、時代を読む嗅覚の良い研究者は、これから高齢化が始まるから高齢化の問題をやるとか、ハンディキャップの問題やるとか、社会の先を見て、時代と戦ってきていると思います。
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八束:それは、でも、問題解決型に範囲を絞った、ということではないですか?各論化したというか、計画学の根幹を揺るがした基本問題からはずれているような気がします。あんまり時代と戦うという感じはしないなぁ。教育より研究の事にはなりますが。
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布野:施設研究に限定しているとすれば、その通りです。吉武計画学は最初は街のあり方を問題にしています。具体的には三鷹を調査しています。そうすると銭湯が問題だということを発見する、そこで銭湯の入浴者の統計をとったりし始めている。また、貸本屋が興味深いことを発見する。その利用形態を調べ出す。僕が都市組織研究を標榜するのは、その原点を意識しているからです。
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学生の構想の背景:教育の根底
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宇野:今の学生は、身の回りのことから考えて住宅ぐらいしか、あんまり思いつかないということですけれども、ある意味で自然だと思います。彼ら彼女らの育った時代と環境を考えると、、、。冒頭にお話ししたユニットバスのことなどに通じることだと思います。
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八束:廻り中が均質化されてきてしまっているから、それは自然だと?個々の学生にしてみれば、少なくとも初学者ということでは、自然というか、止むを得ないということでは同意します。けれども教育というのはそこからどう育てていくかということだから、自然のままでは具合が悪いでしょう?
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宇野:そうですね。その設計教育や建築のイメージみたいなことの背景に関して話を更に続けますと、大学で20年教えていてある時気がついたのですが、綺麗な絵を描く人についてです。設計が上手いということとはちょっと違うのですが、イマジネーションがとても豊かな人がいて、だいたい地方の出身者で、綺麗な景色を見て育っている人がいい絵を描くようす、不思議なことに。逆に東京の郊外のしょうもない景色のところで育って、なんか変だなとか思いながら、そうした体験をきっかけにしながら問題意識を持って建築に臨んでいく人たちもいますし。ですから、育った環境が綺麗な自然であっても、荒れた景色のところであっても、そう悲観したものでもないのではないかって思っています。また、僕らの頃に比べると、海外で育った人が遥かに多いのもいいですね。話しを聞いていて面白いのが、やっぱり砂漠とかで育った人の体験。子供の頃アラブ首長国連邦にいましたみたいな。ロシアにいましたとかね。そういう人の話は面白いですよね。面白いからといって、それがいい設計家になるかどうかは別の話ですけれど。国内の多様性は失われてきましたけれど、世界各地で日本のゆかりの人がいろいろな暮らし方をしているっていう意味では、やっぱり広がっていますから、なにか新しい種はあると思います。ただ、それがうまく伸びていないのではないかという課題はありますけれど。
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八束:なるほど。均質化と一方には背景的にまだ残されている、あるいはグローバル化に伴って出現しつつある背景の差異には、まだ可能性はあるのではないか、という指摘は面白いですね。とはいえ、問題は最後に宇野さんがいわれた事ですよね、教育の問題としては。カタログのレパートリーは増えているわけだけど、カタログっていうのは所詮エレメントだから、それをインテグレートしないと体系にならない訳じゃないですか。
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宇野:そうそう、そこが悩みです。
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八束:カタログとさっきのマニュアルは同じような話であってね、僕は最近の設計教育、あるいは学生さんを見ていて、やっぱりメソトロジーないなあと思うわけです。さっきの住宅の話の延長上になりますけれども、例えば初学年での教育で、君たちの身の周りの空間作りなさいとか気持ち良い空間を作りなさいとか、そういう設計教育ばっかりはびこっている。そうすると、マニュアルは出てくるかもしれないけどメソトロジーは出てこない。批評も出てこない。これ気持ちいい空間だねっていうのは批評じゃなくて感想でしかないのに、それで終始してしまう。僕はメタボリの展覧会をやったせいもあるけれど、あのへんのわれわれの師匠世代の仕事を見ていると、やっぱりメソトロジーなわけです。宇野さんで言えば原広司さんだけど、原さんもメソトロジーの人です。それがなくなってしまったのはとても具合が悪い。体系なんかなくたっていい、という風には言えない、と思いません?
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宇野:建築の定義そのものに関わる話ですね。
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布野:メソトロジーについてのある種のこだわりがない。
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宇野:わかってないんですよ、建築のことが、全く。わかってない人が教えてるから本当に大変なことになっている(笑)。要素技術については、マニアックではなりますけど。
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布野:ツールとしてCADが出てきてね、何でもできちゃうじゃないですか。クリックしてると影までついちゃいます。それで屋根は?って訊くとフラットルーフだって言う。空間のロジックを組み立てるみたいな部分が欠けているんです。
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八束:ソフトが勝手にというか自動的に組み立ててくれちゃうからということですかね。
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布野:そうです。
· 宇野:それはとりあえず絵を描いてくれるという話で、建築なるものと違いますね、考え方が。3Dモデルを図化することと、構想構成をモデリングすることは、ドラフトとデザインの違いですから。
「都市に寄生せよ」の解答例
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布野:ちょっと若い人たちを巻き込んで反論してもらったほうがいいと思いますけど(笑)。僕が定番としている設計課題は、山本理顕さんと作ったんですけど「都市に寄生せよ」というやつなんですよ。おもしろいですよ、けっこう。要するに、皆ホームレスになったと思って、どこでも好きなところにシェルターを作れ、材料や電機は盗んでいいよ、と。色んなアイディアが出てくる。理想の住宅を設計しなさいなどという課題よりよっぽど面白い。
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宇野:僕が考えた課題に、「小さな◯の家」というのです。◯の中には月火水木金土のどれかを選んで入れます。「小さな月の家」とか、「小さな土の家」とか、「小さな水の家」っていうように。それを設計しなさい、って、ただそれだけ。千葉大以来やっています。理科大に移った時に腕試しとして理科大の学生にやらせたら全然できないんです。
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布野:なんか難しそうじゃないですか?
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宇野:ポエティックに作らないと、うまくいかないんです、これは。
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八束:その水とか土っていうのは、材料じゃなくてメタなレトリックですか?
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宇野:メタの話です。七曜日っていう今僕らが使っているものだけど、昔の人たちはその名称の中に意味を込めたわけでしょう。日と月は昼と夜の世界を照らすもの。火水木金土は、世界を構成する元素と考えた時代もあったわけです、大昔には。近代以前の人たちが、物質を科学的エンジニアリング的に解釈していたのではなりませんが、だけれども近代以前だって見事な建築をいくつも造り上げている。火水木金土を素材として、イマジネーションを働かせながらいろいろな形で家や集落や都市を作っていたのでしょうから。だから、そこで行われていたある種の概念操作と技術、それから皆でそれを作り上げていくっていうことは何だったのかっていうようなことを考えてみる。そういうことにも通じます。最初に、ポエジーで小さな家を考えてみてね、って何もないところに。実にいろいろなものが出てきます。
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八束:聞いていると、ポエジーっていうだけじゃなくてコスモロジーですね。なら体系性は出てくるよね。だって各々の要素は単独では存在しないわけでしょ。
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宇野:そうですね。
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八束:原さんのフィルター介するからかな、宇野さんの場合?
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宇野:もうちょっとコンテンポラリーにいきたいと思ったんですけど(笑)。
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八束:いや、コスモロジーがコンテンポラリーじゃないとは思わないですけど。
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宇野:理科大では、いきなり1年生に模型をつくるトレーニングをしてもらっています。僕が理科大に移って、まず模型から入ってもらおうっていったら、ほかの教員は(建築の知識もなく図面も読めない)1年生が模型を作れるはずがないって言うんですよ。そんなはずない、やらせればできるって言ってね、バルセロナパビリオンを、図面を渡して一日でつくってもらうことにしました。そしてミースのことも教えます。その次にコルビュジエのサヴォア邸を作ってもらいます、いきなり。今年は一人ひとつでやっています。模型を作る中でいろんなことを覚えます。近代建築はもはや古典だから、古典をまず教えてその次にその周辺のこと、技術も考え方も機能主義も教えておいて、上級に行ったらそれを今度は崩すということを教える。そういう風にやっています。建築が相対化された時代ですから、何か原点を置かないと建築を伝えにくいので、とりあえずミースとコルビュジエを古典として教えています。それがいい面と悪い面がありますけれどね。難しいですね。
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八束:いい面と悪い面というのは、もう少し具体的に?
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宇野:いい面は、ミースやコルビュジエの建築は20世紀を形作った古典ですから、やはり最初にしっかり身につけてもらうにはいい素材だからです。現代もその延長にある建築と都市が世界のスタンダードですし、僕らの日常もその利便性に支えられて便益を享受して暮らしていますし。悪い面は、多様な建築に触れ学ぶ機会が減じている現実があるなかで、標準化と規格化が生産性を向上させることを体得する面もあるからです。スチレンペーパーという加工性のよい模型材料でつくりやすい建築が標準的な建築だと思われるとまずいなあって思ってもいます。知的な構成や複雑な構成について思いを巡らす機会を逸することにならないように注意する必要がありますよね。
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八束:僕もモダン・クラシックスをまず学ばせることは肝要だと思うけれど、コルビュジエに対する意識の持ち方が僕らの世代と今の学生って本当に違うんですよね。僕らにとっては、まだビビッドな意味を持っていた人じゃないですか。彼らにとってはもう完全にインクの染みというか、本に載っている知識でしかなくて、そういう人もいたんですねっていう感じ。
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宇野:パラディオと同じじゃないですか?ルネサンスはパラディオが、モダニズムはコルビュジエが、標準型と規格化ないしカタログ化を意識的に推し進めた建築家という点で共通ですよね。
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八束:そうそう、パラディオとコルビュジエはあんまり違いがない。
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宇野:建築の形式および様式が確立して相対化されたポストモダンの現代においては、もはや、両者に違いはないとも言い得ますよね。
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八束:僕はさっきいった三年生の授業で、『建築を目指して』を読ませてレポートを書かせるんですよ。すると殆どの学生が「初めてコルビュジエを読んだ」という。知ってるんですけどね、名前は。それと知ってるのはサヴォア邸なんかのイメージと「住居機械」というテーゼだけ。それも、要するにハウスメーカーが作る住宅みたいな理解しかしてない。コルビュジエのテクストって、もう反語だらけでしょ。だけど、そんなものは全然通じていません。時々いいレポートを書く奴がいるなと思ったら、どこかのコピペなんですね。だけど、そういっていても仕方がないからどんどん情報をインプットしていくと、どこかで化ける子はいます。それを期待するしかない。
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宇野:今の八束さんのお話は、インターネットが普及したこの20年くらいの後にオギャアと生まれた世代のことですね。情報を浴びるように育った人たちだから、画像であってもテキストであっても、何て言うんですかね、視覚を通じて網膜に触れる知識は情報としてweb上にあるので、自分自身に定着してないんですよね。書物や実体験を通じて建築なるものを理解して体得してきたプロセスと全く違っています。どんなに美しい写真で見せようが、知識を整えて伝えようが、ビルに取り付けたモニター上を流れる映像やパソコンのタブレットなど、ああした情報と全く同じように理解しているようです、放っておくと。そうじゃないんだということに気がついてもらわないと、いくら教えても、伝えても、全部表層を撫でていくような感じです。手応えないし、難しい面があります。今の学生さんに建築を伝えるのは。
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八束:この間、布野さんと僕の初めてのヨーロッパ旅行の話をしたわけですけど、今の人たちってヨーロッパ行ってそういうもの見てこようとしないんですか?つまり実際の空間として追体験をしようという傾向は少なくなっているんでしょうか。
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宇野:ある程度、建築の学生は建築を見にヨーロッパに行きます。アジアにもよく行っているようです。以前より海外にずっと行きやすくなっていて、家族旅行で行きましたとか、高校の時にちょっと留学しましたとか、そういうノリでどこへでも行けちゃうので、感動や感銘も少なくなってきているように思います。それは気の毒だなとも思います。パッケージではなく自分の足で、ある意味で苦労して探して歩いて行く人たちが何かを掴んでいくのではないでしょうか。少数ですけど、そういう人もいます。
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八束:目があれば、素朴に見ればいいものには感動するっていうのは、あれは嘘で、何かの問題意識を持って見ていかないとわからないわけですよね。
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宇野:おっしゃる通り、全くそうだと思います。
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八束:目もそれ自体が進化するわけで、僕がいた芝浦工大の学科は二年生をヨーロッパに連れて行くんですよ。全員じゃないけど、6割か7割の学生が行く。それでコルビュジエとかを見せる。それがその後に影響を及ぼしている子も当然いるけど、すぐそばにテラーニがあるんで見に行くって言っても、その辺で子供が遊んでいる方を夢中になって写真撮ってる女の子とかもいるわけで(笑)。それがもう少し建築的な体験として昇華されていくには、例外はあるとしても二年生は無理で、三年の後半くらいから建築観ってだんだん出来上がっていくと思いますけど、そこにそういうものがインテグレートされて、知識もインテグレートされていくといいんだけど、なかなか難しいですね。
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宇野:それに関して一言だけ付け加えさせてもらうと、現在の日本の建築教育で一番欠けているのは歴史だと思います。
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八束:全く同感だけど、批評の問題にも繋がるし、その話は長くなるから、また回を改めてしましょう。
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宇野:はい(笑)。
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学生コンペの問題
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宇野:一方で、この十年ほどのある種の流行(トレンド)だと思いますが、学生のなかに形やパターンを作って見た目でかっこいいものがいいというか、コンピューターでドローイングするとそれっぽくみえるみたいなことを追いかける傾向があります。国内の建築教育やアイディアコンペのあり方がそうした傾向をガイドしてきましたよね。いい影響ってあまりないけれど、よくない影響はかなりあって、建築をスタイルだと勘違いさせないように大学の設計教育で心がけてきました。
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八束:学生コンペって言うのは非常に弊害があると僕も思う(笑)。僕の研究室でも初期はそういうので勝ったりした学生が結構いたんですよ。段々それがいなくなったというか、あんまり出さなくなった。大学院来るから研究させる、どんどん課題をハードにしていったらコンペやらなくなった。別に禁止はしないんだけど、それやってどうなるの、っていうのですね。それで少なくないお金貰えるのは結構だし、就活に有利ということはあるけど、そんなもの本当の意味での建築でも何でもないっていうことを言ってきました。けれども、意匠志望の学生にとっては研究や授業(スタジオ)よりもコンペなんですね。それをやらせてくれる研究室がいい研究室だと思っている。僕はそんなにやりたければ、家でやればいいので、授業料払って研究室に来る必要はないと思うんだけれど。
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宇野:商業的なアイディアコンペは多いけれど、あれは、ある時期以降、建築界をスポイルしたように思います。文学賞だって、映画の賞や音楽の賞だって、あんな高額の賞金出すものはないでしょう。材料メーカーやデベロッパーが同じようなイメージ的なコンペをたくさんやっていて、そのため建築学科の学生が獲得する賞金総額ってべらぼうな金額になっていますよね。他の分野じゃありえないことでしょう。シナリオ書くのでも、映画つくるのも、デザインでも、ファッションでも、新人は、はじめはもっと地道にやってるんじゃないでしょうか。
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布野:アイディアコンペみたいなものをいっているの?
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宇野:ええ。新人は競い合いながら、実社会や実務を目指して、デザインを鍛え上げていくというのが、普通のプロセスだと思います。建築は、社会と技術と文化をにらみながら構築的に組み立てるためにかなり難しい面がある分野ですけど、表層の部分に光をあてて金を与えて、企業としては学生の囲い込みのための事業ですから。企業の立場からすれば、当然の戦略でしょう。それをその商業誌がずっと応援してきたわけだけれど、ある時期までは一定の成果もあり大切だったと思いますけれど、あるところから先はマイナス面が少なからずあったと思います。
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八束:それは主催者側だけではなくて、審査員をやっている建築家たちの責任でもある。
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宇野:彼らもよくはないですよね。ずっと同じ連中が同じようなことやっていて、あんまりいいテーマじゃないことを繰り返してやっていてもしょうもない、、、っていうか、まあ、それが日本の社会の実情ですけど。
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八束:僕の学生を含めて皆やっているし、止めたりはしていませんが、「卒業設計日本一」というのも害があると思いませんか?
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宇野:「卒業設計日本一」は、僕はあまり関心しません。現代において日本一って言うのは、あまりセンスがいいとはいえない。しかし、「卒業設計日本一」を東北でやりはじめる日本の社会や歴史のある種の必然性はあったと思います。ローカリティをどのように捉えるかという問題ですね。さすがだなと思うのは伊東豊雄さんや磯崎新さんによるローカルな地域への働きかけ方とその影響と成果です。ローカリティの中に現代建築をもちこみ地域や大学に影響力を持ち、日本各地で国際的に注目される建築活動を起こしてきました。磯崎さんは公開コンペの審査員として、伊東さんはコンペの優勝者として「仙台メディアテーク」をつくりました。「メディアテーク」という現代建築を得て、そこを舞台とする仙台で日本一という動きが生まれたわけです。世界的歴史的な水準のユニークな公共施設が実現したことで日本一と名打ったイベントを開催、意味的なある種のギャップが面白く、ネーミングが上手かったこともあり奮い立たされた若者が多くいたことはよく分かりますしよかったなと思います。伊東豊雄さんはそうしたことを意図したというわけではなく、新しい流れを生み出す建築を作り出す建築家で、ローカルな人たちが「メディアテーク」に応えたかたちです。そうした意味で文化的現象として興味深いと思います。「卒業設計日本一」は全国各地の大学のディプロマを盛り上げた貢献はあるけれど、近年ではイベント化しすぎでしまい、かえって質を低下させる方向にも作用していると思います。
· 布野:そういった他流試合の場は、仙台だけでなく東海圏、京都、九州などにありますよね。賞を狙う学生は、模型をスーツケースの規格に合わせてつくります。それで持ち運ぶんです。そして賞を一つでも多くとってゼネコンや組織設計事務所の面接に挑むんです。他流試合の背景には、就職という現実があり、システム化されているわけですね。
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宇野:ルールがしっかりと決まっていてリーグになっていたら面白いとは思います。競技として成立していて、いろんなところにいって他流試合をやってくるというのは面白い話です。
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八束:けれど、結局、審査員が日本各地をわたり歩くので、どの場所でも同じような審査が行われています。これでは地域性があるはずもない。
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宇野:そうですね。それも興味深いことですね。モダニズムは、建つ場所を選ばずに世界中にあっという間に普及しましたが、あれは普遍的な科学技術をベースにしたからだと思います。今、スタイルは様々ありますが世界にあっという間に広がります。歴史や文化、地域などに関わらずそれに若い人たちが感染していくわけです。その伝播の仕方はとても興味深い。ローカリティをもった伝統的な建築や歴史はなんだったのかということをあぶり出すからです。そういうことを建築家や都市計画家は理論化しないといけないと思います。
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ポストモダン状況について
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八束:学生のコンペだけではなくて、教育の問題を超えてしまうけれども、この建築らしきものの延長に実際の建築の、つまりいわゆる作家の活動が少なからずあるという事もまた、大きな問題ではないでしょうか?それはさっきからいっている体系とかシステムとかがないということと同じですが。本当は計画と言い換えても良いのですけれど。
さっき宇野さんのお話で、平成江戸時代始まる、ってありましたね。いきなりちょっと難しい話で恐縮ですが、アレクサンドル・コジェーヴっていうヘーゲル学者が、日本の江戸時代は、ポストモダンって言葉を使ってはいないけど、それの先取りをしているって言っているんですね、有名な話ですけど3。江戸時代は厳密な階級社会だけど、謡曲なんかの師匠の前だけでは、武家だろうが町民だろうが皆平等だった。そこでひたすら洗練だけを加えていく文化—彼はスノビズムっていう言葉を使っているんだけど—そういう文化こそがポストヒストリーの文化だというのですね。「芸」の中に個が埋没して洗練だけしていくというのは、言い方変えると、蟻のような動物が巣を作るのと同じね。その存在意義は決して問われない。蟻は自分たちは何で巣を作るかなんて問う事はしない。それで東浩紀さんが「動物のポスモダン」という議論をした。これは、マルクスが、動物が巣を作ることと人間が家を作ることの決定的な違いは、前もって建築家がどういうものを作っていくかを考える、構成の方法を意識としてもっているのに対して、動物にはそれがない、といってるわけですが、その裏返しだと思います。目的意識、哲学用語でいうとテロスを欠いた洗練なんですよ。今の日本の建築が、さっき宇野さんがいわれたようにイメージ先行で、建築本来に備わっているシステムを欠落させたまま、形のみ洗練させていくという傾向に導いていっていると思う。
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布野:最先端のアーキテクトは、遺伝子みたいなもので、見たことのない建築ができるかもしれないって思ってるんじゃないですか。
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八束:できればいいんだけれど、できない。下手すると遺伝子みたいな格好をしているだけ。
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布野:今流行っているじゃない。バイオミミクリーみたいな。
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宇野:江戸時代の日本はきびしい階級社会で、移動も制限されていたし、居住地についても厳格に定められていたでしょう。旅はできたけれど、関所があって女性は動けない。だけれども、境界には八束さんが言ったような和をもってやわらげるある種の社会的メカニズムがあったというわけでしょう。文化だったり、芸術だったり、日本文化ってこういうものなんだ!みたいな。武士であろうと商人であろうと歌や踊りをやっている限りは、皆な同じみたいな、無礼講が許容される。そういう緩衝装置としての文化が隅々まであって階級や地域の境界をやわらげていたということでしょう。今でもそれは同じように働いているような気がしないでもないですね。しかし、文化を境界面の緩衝に使うこうしたやり方が通じるのは、村や島の内輪の話しであって、外部との接触においてのインターフェイスはそう簡単にはいかない。
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八束:そうなんですが、意外なことに、動物の巣みたいな、meしかない日本の建築が外国人にはすごく受けているという状況がある。
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宇野:フレッシュですからね。そりゃ受けますよね。外国のとくに女の子達が日本のコスプレを好むのと同じでしょう。フランスなんかじゃコスプレ大流行りですしね。フランスは息苦しい階層社会の面もあるでしょうから、日本みたいに気楽に暮らせないこともあるでしょう。だから、ヨーロッパの留学生などは日本に来たら銀座なんか歩くだけですごく浮き浮きしています。研究室のヨーロッパからの留学生の彼女ら彼らを銀座通りに連れて行くと本当に楽しくてしょうがなくてスキップし始めちゃう。
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八束:あれは一種のエキゾチズムですね。日本で言うと民家調の建築やってウケようとすると、みんなに馬鹿にされる。今の日本の現代建築はそう思われてはいないけれども、本当は同じ構造だと思う、極論かもしれないけれども。
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宇野:そうですね。ばかにはしてないだろうけど、日本の現代建築はかわいい建築だよね、面白いね、っていう理解でしょうか。キッズライクって、彼らはそう呼んでいます。ヨーロッパ人から見ると大人の建築ではないけれど、面白いよねってことでしょう。
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八束:その差があるわけですね。日本人はそこを理解してなくて、俺たちって受けてる、今の日本の建築のデザインは世界の最先端だ、って思っている。
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宇野:そういう人が増えたのは確かだけど、みんながみんなそうではありません。マジョリティは意外とうけていると、日本はデザインが注目されていると思っている若い人や学生は増えたけれど。それはちょっと違うかもしれません。
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八束:違うのであれば教えて下さい。
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布野:私は完全に脈絡を失っているけど(笑)、なんで江戸の話になったの?
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八束:要するに体系がない社会なんです、江戸もポストモダンも、ということがいいたいわけ。スノビズムって言うのは体系ないし規範がなくて、ひたすら洗練をしていくだけだから、設計教育も、あぁかわいいね、面白いねで終わっちゃいます。好き嫌いはあるにせよ、方法論なんて生じようがないということ。批評も成立しない。そこはさっき布野さんがいった、ポストモダン以来計画学者がどう考えていいかわからなくなったという状況の、かなり正確な裏返しだと思う。
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宇野:本来の建築の話とは違う話になってしまう。
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八束:社会化しようがないと思いますね。建築計画学って基本的には社会的に共通の言語、システムをつくろうとしますよね。
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布野:ポジティブに言えばそうですけど、ネガティブには制度を裏打ちすること。
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八束:同じことの表と裏じゃないですか。制度がない社会なんてありえないわけですから、あえてネガティブとポジティブの区別をする必要はないような気がしますが。
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布野:新たな制度の設計をするのはポジティブでしょう。
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八束:だけど、そもそも計画学の自信喪失って、要するに制度設計に加担する事への後ろめたさみたいなところがあるのじゃありませんか?僕はそのポジティブ感覚は重要だと思いますよ。それがモダニズムの根幹にあるものだと思います。かつての佐野利器や内田祥三の時代とは違って、今の動物のポストモダンていうのは、そういう風にいかないわけです。例外だけ作る。歴史(意識)のないところで「新しい」といってしまうとそうなる。そういう傾向の再生産をアーキテクチャスクールでやっていることなのではないか、という気がします。
o 3 これはコジェーヴの『ヘーゲル読解入門−『精神現象学』を読む』の長文の注にある。上妻精・今野雅方訳 国文社 1987年 pp.246-7
学生を育てるということ:評価の問題
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和田:質問なのですが。例えば歌がうまい人や走るのが早い人がいますが、建築をやりたい人はみんな建築家になれるのか、それかやめたほうがいいという場合もあると思うのですが、そこのところはどうなのでしょうか。
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布野:私はやめたほうがいいと学生にはっきり言います。しかし、やめたほうがいいというばかりではなく、建築は幅が広いのでどこかで力を発揮できる場所があるという言い方をします。
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宇野:授業でエスキスをやって講評会をやるときに多くの建築家が学生に対して悪く言う場合があります。それはひどいことだと思います。なぜかというと、建築を始めて2,3年の人に向かって長くやっている人が悪くいうということは普通のゲームではありえないことだからです。例えば少年サッカーの子どもをプロが教えていたとします。そこには上手な人も下手な人もいます、下手でもサッカーが大好きな人もいます。その人に向かって下手だとはプロは絶対に言いません。そういう意味で建築設計の教育に疑問を感じます。
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布野:ほめるのは基本です。けなすほうが簡単ですからね。しかし、最近の若い先生はほめるのがうまいですよ。なぜこんなにほめるのかと聞いたら、けなすと学生は建築を嫌いになるからというんです。
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宇野:建築を嫌いな人を生産するよりは好きな人を増やす方がいいと思います。先ほどの和田先生のご質問にお答えすると、筋というものは明らかにあります。私もやめておきなさいと言います。2タイプがあって、それでもやりたいという人と、それではどうしようかと考える人がいます。しかし、やめておきなさいと言われたときに、人格を否定されたように感じてしまう学生もいます。言い方がむずかしい、気をつけないとならないようになってきているのが実情です。今の学生には、もう少しいろいろな目に遭って、人としての器量も大きくなってもらいたいと思っていますけれど。
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和田:これはパナソニックが作った日本のパソコンで、宇野さんもお使いのMacのパソコン、これはデザインされていると思いますが、パナソニックはデザインされていない。なぜこういった物を日本人は作るのか。買ってしまうのか。
例えば、新幹線が開通して50年、ネジだらけなんですよ。ジャンボの747は全部ビスが無いですよ。ユーザーに対する愛があるのだと思います。建築でもそういったことがありますよね。三菱地所が設計した池袋のビルなんて部屋はあるけど窓が無いようなビルを建てたりする。そういった物を一流の学校を出た学生がなぜつくるのか。
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八束:海外でもひどい建物はあります(笑)、ある意味日本よりよほど酷い。
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和田:まあそうですけど、ミースのパビリオンなんて惚れ惚れしますよ。日本の桂離宮も似ているかもしれないけど。なんでみんなもっと建築に対して愛を込めてきちんとやらないのかって。
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八束:日本の建築学科はほぼ工学部に属しています。アメリカなどでは建築学科が必ずしも工学部にありません。学部にないことも普通です。学部はいわば教養学部に近い。そうすると学部は別のことをやって大学院に入ってから建築を勉強します。そういう人たちは明確な目的意識を持ってデザインを志す。しかし、学部ですと、高校を終えて入ったばかりの学生たちは意匠設計と構造設計の違いも分かっていません。そういう人たちに頭から駄目だというのは当然よくないと思います。しかし、どこかで気づいてもらわなければなりません。私の経験からだと卒業設計が終わったあたりです。そのときに直接本人に聞いてみると、言われなくても自分の限界は分かる人は多い。
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宇野:なかなか火のつかない人や、学部では上手ではなくても、あとあと化ける人もいますし、そういうことがあるのが、建築の面白い点だと思います。
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八束:これも私の経験だと化けるのはだいたい三年後期だと思いますね。それで卒業設計まで走れるかどうかで決まる。
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宇野:私は20代後半だと言っていますけれど。
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八束:宇野さんの方が僕より辛抱強く育てている良い先生ということかなぁ(笑)?
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松田:コメントしてもよろしいですか。先程学生をほめるって話と卒業設計日本一などの講評会みたいな話がありましたが、僕はその二つは繋がっていると思っています。褒めることは、モチベーションを作るためにも必要だと思います。僕が学生だった頃は、けなされもしつつ、いろいろ言われて、そこで這い上がっていかないといけないような空気がありましたが、今の学生はそういう状況になった瞬間に建築をやめて、建築以外のところに自分を見出そうとする傾向があるかもしれません。
そこで褒めることからスタートすることは意識的に試していますが、学生も褒められるだけだとどこかで力試しをしたくなるはずです。しないとそれで終わってしまう。つまり褒められた後に挑戦できる競争システムがないと、学生側が自分で自発的に挑戦していかなくなる可能性があります。そこで、学校で講評会があり、地域で合同講評会があり、行き着く果ては日本一決定戦みたいなシステムが、いまこそ必要とされているように思うんです。
ただし、日本一決定戦で行なわれているのは、学生同士の競争というよりも、評価システムそのものの競争でもあるんですね。学生もそれを見に来ていると思います。褒めるだけだと、ある点を褒められた人と別の点を褒められた人のどちらがいいか、その学生同士はわからないはずなので、講評会みたいなところで、何が足りなかったかようやく学生がわかる。その行き着くところが日本一決定戦のような場所で、ある評価基準と別の評価基準、どちらがよかったのか、その年の決着を最終的につけるような場所にもなっている。乱立の傾向はあるとしても、合同講評会のような場所は、いまあってしかるべきかなと思います。
そこに疑問を感じられる八束さんにこそ、そういう機会に審査員として来ていただけるとどういうことが起こるのか、是非見てみたいと思っています。
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八束:僕一人だけ違う基準にするようなことになると、巧くいかないような気がしますね。私の大学でも卒業設計賞とかあるわけですよ、もちろん、八束研の子が勝つときもあるのだけど、だいたい負ける。非常勤で、初等教育の製図担当とかの先生まで点数をいれる方式なので、面倒くさいことすると負けてしまう。さっき布野さんが賞を狙う学生が決まったやり方をすると言われたけれども、こうすれば受けるというのを僕が評価しないのを知っているから、僕の学生はやろうとしないので、こちらの方からいっても、負けるんです。でも負ければショックなわけで、卒業設計が終わると僕は慰めに回るということをやっています。教育的な行為としてはとても非建設的な形ですけど。
それを回避するには、なぜこれをやって負けたか、先程の和田先生のお話で言うと、褒め方、貶し方を、楽屋でではなくて評価の場できちんとするということなんでしょうね。なんだこんなのとか言われたら、学生は立つ瀬がないですよ。なぜこれがだめなのか、なぜこれがいいのかということをきちんと言う、言えればそれは納得すると思う。ただ、卒計展って、そこまで議論する時間が与えられないことが殆どだから。
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布野:冒頭に言いましたけど、『建築討論』はそういうことをやろうと始めたんですよね。具体的な作品を対象にするといささかやりにくいということがあるけれど、今の褒め方の話は示唆的ですよね。
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八束:それと学生のそれとは別の、社会における評価システムの問題もあると思います、より根底的に言うと。一般ジャーナリズム、例えば、新聞やなにかに、今は、新国立競技場の問題だとか取り上げられていますけれど、例外であって、海外だと新しい建築が建つと大きく取り上げられますよね。そういうことが日本の建築にはあまりないから、アーキテクトのレゾンデートルの重みがずいぶん違う。それに伴っているかはわからないが、設計料も違うし。和田先生がおっしゃったのは、そういう事も含めての建築の文化としての厚みのことだと思うのですが。
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[設計教育の目指すものと研究]あるいは、[設計教育と研究の目指すもの]
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八束:昔は、10年間で一人、建築雑誌に出てくるような弟子を育てればそれでいいって設計教育があった。例えば、芸大のピアノ科の主任教授が、入学式で「諸君おめでとう、だけど、この中でコンサートピアニストになるのは一人だけ」と言ったという話があって、要するにあとはピアノの先生になって食べてくださいということですね。ピアノはそうなのかもしれないけど、建築の設計教育はそれでいいのかというと、どうなんでしょうか?
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宇野:八束さんの言っているレベルの人は、教育したから建築家になるのではなくて、放っておいても結局そういう人は建築家になる人なのではないでしょうか。そうじゃなしに、ちょっとこれをこのときに知っていればずっと伸びたのにとか、こういった技をこういう時期に覚えることができたので、それで今があるというような人たちが何十人もいるわけだから、教育としてはそこにフォーカスするのがいいように思います。教育の可能性、不可能性の話ですけど、八束さんが言った一人というのは、教育してもしなくても同じような人のことだと思いますけど。
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八束:それは分らない。僕は10年間でそういう学生に別に会わなかった。そういう風になり得た学生は何人かいましたけど。そういう人を育てたいとも、とくに僕は思わなかった。作家養成研究室にする気はなかったのですね。もっと色々な方面で出てきてほしいと思っていました。その辺は個別で違うでしょうが、お二人の研究室ってどういうことを目指しておられるのですか?どういう学生を育てようとしているかということでもあるのだけれど。布野さんの研究室は設計者も研究者も出しているわけですね?
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布野:「都市組織」研究を標榜していることはさっき言った通りです。話せば長くなりますが、「Xから都市組織研究へ」と題してしゃべらされたことがありますので4、また、いくつか書いた原稿5がありますので、それに譲りたいのですが、要するにXは建築計画学と考えてもらっていい。不遜ながら建築計画学の正統を引き継いでいると勝手に思っています。「都市組織(urban tissue, urban fabric)」とは、都市を建築物の集合体と考え、集合の単位となる建築の一定の型を明らかにする建築類型学(ティポロジア)で用いられている概念と理解していますが、さらに建築物をいくつかの要素(部屋、建築部品、…等々)あるいはいくつかのシステム(躯体、内装、設備、…等々)からなるものと考え、建築から都市まで一貫して構成する建築=都市構成理論6において用いられる概念とも考えています。つまり、都市を1つの(あるいは複数の)組織体とみなすのが「都市組織」論であり、一般的に言えば、国家有機体説、社会有機体説のように、都市を有機体に喩え、遺伝子、細胞、臓器、血管、骨など様々な生体組織からなっているとみる。ただ、都市計画・建築学の場合、第1にそのフィジカルな基盤(インフラストラクチャー)としての空間の配列(編成)を問題とし、その配列(編成)を規定する諸要因を明らかにする構えをとる。「都市組織」という場合、近隣組織のような社会集団の編成がその規定要因として意識されているといっていい。集団内の諸関係、さらに集団と集団の関係によって規定される空間の配列、編成を問題とするわけです。これまで書いた『曼荼羅都市』『ムガル都市』『グリッド都市』そして『大元都市』などすべて「都市組織」研究の一環です。
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宇野:建築家になりたいという人には、やめとけ、と言っています。やめとけと言われてもやめない人が建築家になっていきます。それでいいと。
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八束:それは面白いね。
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宇野:自分の師匠の原広司と同じように新しい研究をしなければ新しい方法や技術はできるはずもないとも考えています。近現代世界を支えている科学技術、数理についての関心がありコンピューターも好きなので、計算機科学を応用した設計方法や形態学などについて研究してくれるといいなと思うのですが、なかなかそういう学生が現れません。グローバルな時代にはローカリティが重要になると考えて、2000年頃から江戸-東京の履歴のある日本橋や神楽坂で地域研究や地域貢献活動を行ってきました。日本の都市空間の現代的建築的な変容に関心があるからです。こちらは、修士研究以来のテーマでもあります。
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八束:建築を囲む環境自体がこれから変わっていくでしょう。それに応じて研究室だって変わるはずです。例えば、住宅の設計一つとっても、大学院くらいになると、ハウスメーカーか作家かという二分法ではなくて、住宅の設計にせよ、一種のパタンランゲージみたいなシステムとして考えようとアプローチする学生が結構出てくるのですね。そういった子のアシストしてあげることはすごく大切だと思う。それは今後多分変わると思います。教育だけじゃなくて、ハウスメーカーなんかも、つまり建築の生産の体系自体も変わると思う。これだけ少子化で、高齢者の家族負担が増えていけば、皆独立住宅なんて建てなくなる。だから、ハウスメーカー志望の学生とかいると、ハウスメーカーも表だって言ってはいないが、将来的にはこの技術を使ってアフリカに建てたりとかきっと考えているから、そういう風なことまで考えて将来設計したら、とか僕は言うんですけどね。ただそうすると、いやそこまで長く私いる気ないですから、って言う答えが返ってきたりもする。務めても三年くらいでやめてしまうからというわけね。そうなるとこちら側は何をか況んやになってしまうのだけど。
我々みたいな私立大学では、中堅技術者の養成をターゲットにしているということになっている。だけど、その中堅技術者がいらなくなるかもしれないでしょう、将来的には?建設産業がグローバル化していけば、その層では中国の人たちの方が優秀だったり、経費がかからなくなったりするかもしれない。製造業はそれだからアウトソーシングしているわけでしょう?そうすると職能自体を別の方向に広げていかないといけなくなる、そういうカリキュラムを組んでいく必要があると思う。けれども、残念ながら建築では、ものすごく古いディシプリンがあって、その転換ができない。新しいのは、ただのファッションということになりかねない。
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宇野:僕は、千葉大にいたとき、新学科の立ち上げに参加しました。八束さんが言ったのと同じような問題意識から設立された学科です。
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八束:建築学科とは別に?
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宇野:別です。北原理雄さんらと作った学科で、都市環境の形成を総合的に研究する学科です。要するに、建築のレベルで言えばリノベーションが増えるって話、都市レベルで言えば日本の都市再生をいくつかいろんなレベルでやらないといけないとか、既成市街地や団地の再生には合意形成が必要だからコミュニティーデザインの方法を検討するとか。二年生の演習くらいで、まちに出ていく、地域計画の提案をつくり、地域と協議しながら、フィジカルデザインに繋げていくなど、フィールドワークを重視する都市系の学科の立ち上げに参加しました。経験にはなったけれど、そういうことは徐々に建築と離れていってしまうところがあって、僕としては建築が好きだから、自分としては、コアの部分にある建築が大切なので、自分のやりたいことと少し違ってきたし、立ち上げはうまくいったので、一仕事終えたというところで、ちょうど理科大から来てほしいという話があって移りました。一方で、理科大は古い大学なので頑固に近代建築をやってきた学風があって、そこがいい点でもあり、現代においては弱い点でもあり、古いままやっているのでは将来が無いよねっていって、現在プログラムを含めて大幅に内容を更新中です。すでに成果は現れています。さらに、現在、先端都市建築研究部門という組織を立ち上げて研究プロジェクトをはじめたところです。現場から学ぶことを重視し、具象から抽象にはいるような教育プロセス、実験的な設計などを試みています。
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布野:それは、社会の編成の問題となりますね。我が業界は半減してもおかしくない状況。教育以前に、建築家の存立基盤が脅かされている。
o 4 東京フィールド研究会第3回公開講演会「都市フィールドワークの開拓―布野修司生にうかがう」,東京大学工学部1号館15号教室,2011年3月5日( 布野修司他(2012)「都市フィールドワークの開拓」『Sustainable Urban Regeneration』東京大学・都市持続再生研究センター,2012年8月)
o 5 布野修司(2013)「アジアの都市組織の起源,形成,変容,転生に関する研究」2013年度Vol.3『科研費NEWS』,文部科学省
o 6 N.J.ハブラーケンN. John Habraken,オランダの建築家,建築理論家。1928年インドネシア,バンドン生れ。デルフト工科大学(1948-1955)卒業。アイントホーフェン工科大学を経てMIT教授1975-89。オープン・ビルディング・システムの提唱で知られる。
質疑
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松田:今回の話を聞いて特に気になったのは、体系と方法論、つまりシステムとメソドロジーという、2つのタームです。特に教員の側、学生の側それぞれに、方法論が必要かどうかということに関して、もう少しお話を伺いたいと思います。
学生が建築を知るときに、軸組を教えても一年後にはその意味を完全に忘れてしまっていたという話がありました。建築の全体像を早く知れば、その後の物事の理解がずっと早まると思うのですが、問題はその体系を教える教員側の方法論も確立されていないところです。建築の全体像を体系的に教えるときのメソドロジーといったものを確立することに、僕は教員として関心があります。
一方で、僕が学生のときはメソドロジーのようなものに対して、毛嫌いをしていました。過去の設計や研究論文を見ながら、既存のやり方からいかに離れ、メソドロジーを脱構築していくようなメソドロジーを見つけられるかということに関心がありました。学生にもそういう気概をもってほしいんです。確立された方法論を教えても、それを理解した上で超えてきてほしいと思うんです。ただ今の学生は、教えた方法論に対してあまりに素直に従うんじゃないかと、そういう恐れも感じています。
それでは、メソドロジーは必要ないのか?ということに関しては、僕はやはり教えたほうがよいと思っています。ヨーロッパだと学生もメソドロジーに慣れている気がしました。僕もフランスでメソドロジーをまともに教わって、はじめてそこに向かいあえました。だから、いろんな恐れがあるとしても、まずは方法論というものを教えた方がいい気はしています。
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八束:松田さんがいわれているのはマニュアルのことだと思う、メソドロジーというより。さっきも計画の所で言いましたが、それは違うものだと思う。特にフランスの場合、うちの大学も、ベルヴィルと交換留学をやっていたからある程度知っていますが、そこで感じたのは、彼らがやっていることはマニュアルだということ。シリアニなんかが作り上げたやり方では、コルビュジエの方法がマニュアルになっている。ある種のパターン・ランゲージですね。あれは、確かにメリットはある、そういうことをやると一定のレベルができるから。フランスの町並みだとかでは、都市建築のパターンというかタイポロジーとモルフォロジーがあるから、そういうものが出来ていくということの意味があります。だけど、日本でそれをやっても仕方がないのじゃないかな?
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松田:つまり、メソドロジーとマニュアルの違いをはっきりさせないといけないということですね。
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八束:メソドロジーというのは、つまるところ思想ですから。オートマティックにできるのはマニュアルで、思想はそうでないところにこそ求められるはずです。ただそこまで教育するためには、四年では決定的に短い。
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宇野:材料と技術が比較的限定されているフランスでは、プロポーションやスパンなどについて形態論として設計方法を組み立てることができるし、都市計画にしても幾何学的な拘束性に基礎において街並みや景観が形成される仕組みを整えてきた面があるように思います。東京の場合は、形態も多様、技術も多様、質も多様、用途も多様になってきたため、どこで建築や都市の形態を押さえ込むかというのは、よっぽどうまく組み立てないとむずかしい。なにが揺らいでいるのか、なにが揺らがないのか、っていうことを見極めながら丁寧に進めなければ都市建築の構築はうまくいかない。学生の解釈も多様だからそこにも難しさがあります。解釈する学生にしても一定の知的なベースがあるのなら別ですけど、日本の初等教育、中等教育、高校教育では、知識と技術をつめこんでいるだけだから今のほとんどの大学生は自分の確とした思想やポリシーを持ち合わせていない。それぞれの体験に基づいた、それぞれの小さな思想や哲学は持っているのだけど、それを共有する何かを作らないと建築論も始まらないといったところでしょうか。どうしてこんなことになってしまったのか、って思います。
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八束:四年間のマス教育では無理ですね。僕は、退職した今だから言えるけど、給料をもらっているからやったけど、実はスタジオも含めて授業にはあんまり興味が無くて、研究室でやっていることだけが面白かったんですよ、本当は。そこでなら本当の教育ができるから。百人相手の講義とか何十人相手のスタジオでは無理。しかも、四年で出てしまう人には悪いけど、それしか出来ない。六年制やっている学校がいくつかあるけど、そのメソッドがないと思う。四年で断ち切られているところに、あと二年、屋上に屋を重ねているだけだから。そういう長期的な育成システムがあればいいのだけど。
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宇野:大学に入るまでに得た知識と体験をベースに建築の専門的な知識、技術、技能を覚えてもらって、それで整理ができるようになる、つまり、理(ことわり)として整えることができるようになる。そこから抽象の話が始まって世界を構築的体系的に捉えることができるようになる。そういう教育プロセスの方法論を整える努力をしないと、大学としてはいかがなものかということになりかねない。各自思い思いにばらばらにやっているのが建築学科のこれまでのやり方でしょう。機械工学科や電子工学科に比べて遅れているのではないかと思います。コンピューターサイエンスの学科や物質工学の学科は新しい体系を整えて、教育プログラムを更新して、きちんとやっているように思います。同じ工学部で、同じ時間をかけて、彼らは専門性のはるかに高い優れた人材人物を養成しているように思います。
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松田:思い思いにばらばらにやっているからこそ多様性が生まれるのか、ひとつの方法論を通して教えた上で、そこから多様性を生み出したほうが真の多様性につながるのか、そこが決定的に難しい分岐点で、数年前に東京大学で行われた建築教育国際会議でも、その点が、大きくはアメリカとヨーロッパの建築教育の対立として、違いが明確化したところでした。ここに対しては、僕はまだどちらがよいというはっきりとした解答を持っていません。
ところで今の日本の建築教育で足りないように思うのは、教育と実践を結びつける階段の提示です。例えば外国では3ヶ月から6ヶ月、学校によっては1年などの長期インターンシップが義務付けられています。日本は建築を4年で教えるのが前提なので仕方がないところもありますが、多くはせいぜい2、3週間のインターンシップなので、それが設計事務所に入った時のギャップを強めているような気がします。教育と実践を結びつけるヒンジが、ひとつ足りないような気がするんですね。
スイスの建築教育で面白いのは、教育が直接実践に結びつくようなことをしているところです。例えばETHのアンドレア・デプラゼス教授は『Constructing Architecture』という本を出しています。そこにはヴァレリオ・オルジャッティ、ペーター・メリクリ、ギゴン・グイエといった建築家らのプロジェクトが、ディテールもあわせて載っていて、ETHではそのディテールと現代建築との関係から教える授業があるそうです。ドイツでも1/1から建築を教えることを学部生のころからやっていたりしているそうですが、日本でそれに対応するような授業はほとんどないのではと思っていました。
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宇野:僕ら(理科大・工・建築)はやっていますけどね。
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八束:各大学、各教員が個別に工夫してやっているということはある、それを全体的に問題提起をして引っ張っていくことが、学会の機能じゃないのですか。
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布野:何か他に一言ありますか。
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稲葉(武司):実は、先週、中国杭州市であった第十回アジア建築交流国際シンポジウムの教育部門で、『日本の建築教育の品質崩壊』をテーマに発表をしてきたばかりです。聞きにこられていた中国や韓国の方の中には、日本で学位を取ったという方も多く、「日本の建築教育は優れていると思っているのに、どんな問題があるのですか」、と質問されました。僕が示した問題の一つは、建築設計製図という教科の位置づけです。例えば、中国や韓国の5年制では、カリキュラムの30パーセントを建築の設計が占めています。具体的にいうと、5年間の卒業単位数の30パーセントは設計製図です。4年制の日本の大学の設計製図は20パーセントをきっている。全大学を平均すると卒業単位の10から15パーセントくらいしかない。設計という建築教育の中心にしなくてはならない教科の時間が絶対的に少ないことは学生の力の差に表れる。
いま中国の建築学生は非常に優秀ですね。みなさんの研究室にも中国から学生さんが来ているので実感されていると思いますが、彼らは発想に少し硬さがあるものの、手がよく動くだけでなく、分析力も総合力も高い。今まで中国の建築教育は、先程の話のように、かつて日本の建築教育がそうであったように、体制的なモダニズム人材というか、国家建設に役立つ建築家を送り出していたようですが、これからはフリーな建築家も多く育っていくようになる。事実、どの大学も外国から建築家を講師に招くのに積極的なだけでなく、外国で学んだ教員の数も増えている。これがずっと進むとですね、日本は取り残されていく。
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宇野:文明の興隆と衰退ということでしょう。このようにローマは滅びたのかなとも思いますが、でも、どのような時代でも若者は生き生きしてポジティブにあってもらいたいものです。
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稲葉:先程の日本一決定戦の話も、日本の今の建築の教育の、どうしようもない停滞感とか崩壊感から染み出たように感じられます。だから僕はあの若者たちをある意味で支持しています。
· 八束:設計の時間という点だと海外のアーキテクチャスクールなんて全然違います。そもそもアーキテクチャスクール来るのはデザイナー志望ばかりですから、週三回スタジオクリティークがあったりするんです。今日本の建築学科は週一回ですから、その前日にやってというだけでは、全然案がデベロップしない。週三回クリティークやられたらコンペなんてやっている暇ありません。それが海外がいいということばかりいうつもりはないけれど、日本の今のシステムはそういう現状に対して無批判になっています。学生さんがほっといていいというと、先生も楽だからっていうのもあるとは思うけど(笑)、そういう意味で言うと教育は放棄されている気がします。違いますか?
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布野:昔は計画系でドクターに行く場合かってに設計し、すぐに独立していました。そういうのが大学院でした。似て非なるものですけれど、ほっとかれる大学というのはこういうことだと思います。
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八束:独立していたというのは、成熟度の違いでしょうね。宇野さんが言われた、ほっておいてもちゃんと建築家になれる人が多かったということ。学生の成熟が遅いと言うのは建築畑に限らず良く言われる事ですが。
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宇野:学生の人たちに話してもらえばよかったよね。言いたいこと山ほどあるとは思うのですが。それは次の機会にということにしましょう。今日は、どうもありがとうございました。
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(文責 八束はじめ)
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