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2024年11月11日月曜日

「世紀末から日中戦争」にかけての日本の植民地建築界の最前線を描出、書評 西澤泰彦『東アジアの日本人建築家』 図書新聞、2012.3.10


 

大腸癌 直腸癌 術後1年 診断 東京都多摩医療センター

 2024Ⅺ11 大腸癌 直腸癌 術後1年 診断


 いつののように西国分寺に歩いていく。今日は、10月21日の検査結果を聞くだけなので、9:00主治医の診断のみ。なので7:30発。

 しかし、西国分寺についてびっくり。バス待ちの長蛇の列。これまで30分早かったからみたことのない光景。しかし、次々にバスが来る。シャトルバスのよう。病院勤務の人たちのラッシュアワーと知る。

 しかし、バス停3駅、ほとんど直通なので8:10には着いて、問題なし。待合室で朝ドラの最後見る。8:30に受付。マイナンバー保険証を事前にスキャンしてスムース。

 いつもはパソコン叩いて時間をつぶすのだけれど、今日はどうも一番らしい。9:00に首にぶら下げた機器が鳴って、9:05分に面談。

 血液検査、CTスキャン、内視鏡検査、問題なし。きれいなスキャン映像みせてもらう。

 次回は3か月後ですね、と日程決めて、9:10。

 会計 160円。

 近所の町医者は、血圧測って、「お酒はほどほどに」というだけ5秒で1000円トル!!

 


2024年11月5日火曜日

話題の本06、全京都建設協同組合ニュース、全京都建設協同組合、199607

話題の本

紹介者    布野修司 京都大学工学部助教授 地域生活空間計画学専攻


006

⑭色と欲 現代の世相1

上野千鶴子編

小学館

1996年10月

1600円

 帯に「爛熟消費社会は日本人の生活と心をどのように変えたか」とある。現代の世相シリーズ全8巻の第1巻。左高信編『会社の民俗』(第2巻)小松和彦編『祭りとイベント』(第5巻)色川大吉編『心とメディア』(第9巻)とラインアップにある。本書の冒頭には家をめぐる欲望に関して、三浦展「欲望する家族」山本理顕「建築は仮説に基づいてできている」山口昌伴「台所戦後史」の3論文がある。山本理顕論文は世相を斬るというより真摯な住居論である。

 

⑮東南アジアの住まい

ジャック・デュマルセ 西村幸夫監修 佐藤浩司訳

学芸出版社

1993年

1854円

 オックスフォード大学出版局のイメージ・オブ・アジアシリーズの一冊。東南アジアの住居については、評者は20年近く調査研究を続けているけれど、なかなかいい本がない。そうした中で本書は手頃な一冊。R.ウオータソンの「生きている住まい」をアジア都市建築研究会で訳したのであるが、近々ようやく刊行される、という。

 

⑯群居41号 特集=イギリスー成熟社会のハウジングの行方

布野修司編

群居刊行委員会(tel 03-5430-9911

1996年11月

1500円

  評者が編集長を務める。1982年12月に創刊準備号を出して、細々と刊行を続けている。最新号は、イギリス特集。フローからストックへというけれど、そのモデルとしてイギリスに焦点を当てた。安藤正雄、菊地成朋、野城智也、瀬口哲夫等々イギリス通のベストの執筆陣を組んだ。



2024年11月4日月曜日

話題の本05、全京都建設協同組合ニュース、全京都建設協同組合、199611

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⑬数寄屋の森 和風空間の見方・考え方

中川武監修

丸善株式会社

1995年3月

3200円

 数寄屋とは何か。本書は中谷礼仁をキャップとする早稲田大学中川研究室の若い建築学徒のその問いに対する回答である。数寄屋名作選(1章)から入り、まず歴史が解説される(2章)。読者はおよそ数寄屋なるものの歴史を手に入れることができる。続いて、近代編(3章)素材編(4章)がきて、現在編(5章)で締めくくられる。中心となるのは京都のフィールドワークをもとにした素材編である。数寄屋の基礎用語、構成要素、年表など付録もつけられている。

⑭居住空間の再生

早川和男編 講座 現代居住3

東京大学出版会

1996年9月

3914円

 居住空間の再生と題されているが、扱われているのはインナーシティの問題だけではない。要するに居住空間が全体的に衰退してきたという認識から、その再構築をどう具体化するかがテーマである。居住空間再生の担い手をどう考えるかがひとつの焦点である。

⑮建築の前夜 前川國男文集

前川國男文集編集委員会

而立書房

1996年10月

3090円

 前川國男といえば、日本の近代建築をリードし続けた巨匠である。ちょうど10年前に亡くなった。本書はその文章を可能な限り集めた文集である。近代建築家としていかに悩みが大きかったか文章の端々から伝わってくる。巻頭に「MR.建築家ーーー前川國男というラジカリズム」という文章を書かせていただき、各時期の解説をさせて頂いた。「バラックを作る人はバラックを作り乍ら、工場を作る人は工場を作り乍らただ誠実に全環境に目を注げ」という一節が耳にこびりついている。

 

 



2024年11月3日日曜日

話題の本04、全京都建設協同組合ニュース、全京都建設協同組合、199609

04


⑩住生活と住教育

奈良女子大学住生活学研究室編

彰国社

1993年

2400円

 

 この7月、奈良女子大学の大学院に集中講義に招かれる機会があって、今井範子先生から頂いた。扇田信先生の古稀の記念論集で、奈良女子大学で先生に教えを受けられた諸先生が執筆されている。今井先生は「”動物と暮らす”住生活」を書かれている。かねがね、ペットの飼えるマンションを、と思っているのであるが、鳴き声がうるさいと裁判ざたになったわが東京のマンションを思い出してうんざりする。女性執筆陣の中で”白(国)二点”が、西村一朗、高口恭行両先生の論考である。

 

⑪ファミリー・トライアングル

神山睦美+米沢慧

春秋社

1995年

2369円

 

 著者二人の対談集。米沢慧さんは郷土の先輩という縁もあって面識がある。『都市の貌』『<住む>という思想』『事件としての住居』などがある。ものにはならかったのであるが、東京論のために東京を一緒に歩き回った経験がある。神山睦美氏には、『家族という経験』がある。僕とほぼ同世代である。その二人が、それぞれの家族体験をもとに「高齢化社会」の行方をめぐって重厚な議論が展開される。ファミリー・トライアングルとは、職場、住居、家族のトライアングルを背景とする、家族の関係(三角形)を意味する。

 

⑫家の姿と住む構え

納得工房+GK道具学研究所

積水ハウス

1994年

2500

 

 納得工房訪れたことのない人は是非行ってみてほしい。京阪奈丘陵、関西文化学術研究都市のハイテック・リサーチ・パークにある。様々な体験ができる。GK道具学研究所は、山口昌伴先生に率いられる。ユニークな集団による、納得のすまいづくりあの手この手が披露されている。「女性でも建物でも、まっ正面から見るなんてことは滅多にない」といったポイントが多数、イラスト・写真とともにぎっしりつまる。


 

2024年11月2日土曜日

話題の本03、全京都建設協同組合ニュース、全京都建設協同組合、199610

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⑦⑧講座現代居住 全5巻 「1 歴史と思想」(大本圭野・戒能通厚編)

 「2 家族と住居」(岸本幸臣・鈴木晃編)

編集代表 早川和男

東京大学出版会

1996年6、7月

3914円(1,2巻共)

 

 「豊かさの中の住宅貧乏」とでも言うべき、日本の現代居住の様々な局面をグローバルな視点から問う総合講座。多分野にわたる数多くの専門家が執筆。現在、2巻まで刊行されており、以下、 「3 居住空間の再生」、「4 居住と法・政治・経済」、「5 世界の居住運動」と続刊予定。第1巻は、総論において、居住をめぐる今日的問題を明らかにし、基本的な視座を述べた上で、居住をめぐる理念、思想、政策の歴史と諸問題を論ずる。さらに、具体的な問題として、ホームレス問題、巨大都市問題、国土計画、地球環境問題など、現代的論点を考察している。

 第2巻は、現代家族の揺らぎ、女性の社会進出、高齢化、少子化など家族と居住空間の関係を論じる。布野も「2 世界の住居形態と家族」を執筆している。

 

⑨コートヤード・ハウジング

S・ポリゾイデス/R・シャーウッド/J・タイス/J・シュールマン 有岡孝訳

住まいの図書館出版局

住まい学体系075

1996年4月

2600円

 

 1982年にカリフォルニア大学出版会から初版が出され、1992年にプリンストン建築出版から再版されたものの翻訳である。副題に「L.A.の遺産」と小さくあるように、原題には「in Los Angeles」がついている。ロスアンジェルスの中庭式(集合)住宅(コートヤードハウス)を対象にした、南カリフォルニア大学グループの都市の類型学研究の成果である。しかし、コートヤード・ハウスは、古今東西、都市型住宅の形式としてどこにも見られるものであり、本書の議論は広く応用可能である。スパニッシュ・コロニアルの中庭式集合住宅の成立の過程を学びながら、地域に固有な都市型住宅のあり方を考えることができるのではないか。


2024年11月1日金曜日

話題の本02、全京都建設協同組合ニュース、全京都建設協同組合、199608

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④ヒルサイドテラス白書

槙文彦+アトリエ・ヒルサイド編著

住まいの図書館出版局

住まい学体系071

2600円

1995年12月

 「ヒルサイドテラス」とは、東京は代官山に建つ集合住宅である。近くに同潤会の代官山アパートが建つのであるが、戦前戦後を通じて、このヒルサイドテラスもまた、建築家による集合住宅としてその評価は高い。第一期のAB棟(1968年)が建設がなされて以降、第六期のFGN棟(1992年)まで、槙文彦と元倉真琴をはじめとするその若い仲間たちが継続的に設計に携わってきた。本書はその記録集である。

 

⑤住宅の近未来像

巽和夫・未来住宅研究会編

学芸出版社

3296円

1996年4月

  近未来実験集合住宅「NEXT21」(大阪ガス)を実現した関西グループを中核とする未来住宅研究会の住宅論集である。具体的には、関西ビジネスインフォーメーション(KBI)主催の研究会がもとになっており、住様式、家族、集住、テニュア、居住地、エコロジーをキーワードに主論と特論から構成されている。

 

⑥家事の政治学

柏木博

青土社

2200円

1995年10月

  デザイン批評を基盤として幅広く評論活動を展開する気鋭の評論家による家事労働論。もちろん、住居論としても読める。「キッチンのない住宅」「家事はロボットにおまかせ」など、魅力的な目次が並ぶ。しかし、必ずしもそこに未来の住宅についてのヒントがあるといった類の本ではない。住宅という容器のなかの出来事をじっくり考える本である。A



2024年10月31日木曜日

話題の本01、全京都建設協同組合ニュース、全京都建設協同組合、199607

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 今回から本欄を担当することになりました。ご挨拶代わりに(厚かましくも)まずは自分の著書編著を紹介させて頂きます。

 

 ①布野修司編、『日本の住宅 戦後50年 21世紀へ 変わるものと変わらないものを検証する』、彰国社、19953

 戦後50年を振り返って、これからの日本の住宅のあり方を展望する。50人の建築家の50の住宅作品を選定。また、地域に根ざした建築家50、日本の家づくり、まちづくりグループ50を掲載。建築家の作品を通しての住宅戦後史の試みには限界があるけれど、様々な視点での論考を含む。特に、戦後の住宅文献50は参考になる。

 

 ②布野修司、『住宅戦争』、彰国社、1989年。

 住まいにとっての豊かさとは何か、というのがサブタイトル。受験戦争という言葉があるのに住宅戦争という言葉がないのはおかしい。日本人の一生が如何に住宅(の取得)に縛られているかを考える。F氏の住宅遍歴として著者自らの住宅遍歴を振り返るほか、山口百恵など有名人の住宅選択についても詳述している。

 

 ③布野修司編、『見知らぬ町の見知らぬ住まい』、彰国社、1990

 100人の筆者に100の住まいを紹介してもらう。日本の住宅はどこかワンパターンじゃないか、世界にはもっと楽しい住まいがあるんじゃないかというのがテーマ。100人に頼むと同じような事例が出て来るんじゃないかと思いきやすべて違う例が出てきた。住宅というのはそれぞれ違うのが当たり前なのである。



2024年10月29日火曜日

書評 井上章一「戦時下日本の建築家-アート・キッチュ・ジャパネスク」

書評 井上章一「戦時下日本の建築家-アート・キッチュ・ジャパネスク」

 

布野修司

 

 本書のもとになったのは、「ファシズムの空間と象徴」と題された論文(『人文学報』、第五一号(一九八二年)、第五五号(一九八三年)である。その二本の論文をもとに『アート・キッチュ・ジャパネスクー大東亜のポストモダン』(青土社、一九八七年)がまとめられ、さらにタイトルと装いを変えて出版された(一九九五年)のが本書である。

 実は、この一連の出版に評者は深く?関わっている、らしい。最初の二本の論文を送ってもらい、「国家とポスト・モダニズム建築」(『建築文化』、一九八四年五月号)で井上論文に言及したのがきっかけである。この言及はいたく井上氏を刺激したらしい。その経緯と反批判は長々と「あとがき」に記されている。その「あとがき」に依れば、この間、布野論文を除けば本書に対するほとんど表立った批評がないのだという。

 筆者の文章は、磯崎新の「つくばセンタービル」、大江宏の「国立能楽堂」などが相次いで完成し、建築のポストモダニズムが跳梁跋扈する中で、「国家と様式」をめぐるテーマが浮上しつつあることを指摘するために井上論文に触れたにすぎない。文章全体が一般の眼に触れることはなかったから、反批判のみが流布する奇妙な感じであった。幸い『国家・様式・テクノロジー』(布野修司建築論集Ⅲ、一九九八年)に再録することができたから、本書をめぐる数少ない批判の構図は明らかになることになった。

 争点は「帝冠様式」の評価をめぐっている。「帝冠様式」あるいは「帝冠併合様式」とは、下田菊太郎という興味深い建築家によって「帝国議事堂」(現国会議事堂)のデザインをめぐって提唱されるのであるが、簡単に言えば、鉄筋コンクリートの躯体に日本古来の神社仏閣の屋根を載せた折衷様式をいう。具体的には、九段会館(旧軍人会館)、東京帝室博物館など、戦時体制下にいくつかの実例が残されている。

 「「帝冠様式」は日本のファシズム建築様式だというのがこれまでの通説であるが、「帝冠様式」は日本のファシズム建築様式ではない(さらに、日本にファシズム建築はない)」というのが本書の主張である。もちろん、本書は「帝冠様式」のみを扱うわけではない。「忠霊塔」コンペ(設計競技)、「大東亜建築様式」の問題など全体は四章から構成され、一五年戦争期における「建築家」の「言説」を丹念に追う中で、建築界が抱えた問題に光を当てようとしている。しかし、全体としてテーマとされるのは以上のような「通説」の転倒である。

 それに対して、布野が指摘したのは、何故、そうした通説が転倒されなければならないのか、という本書が担う政治的立場である。本書には随所に「どんな(建築)イデオロギーも、意匠のための修辞にすぎない」「モダニズムが「日本ファシズム」と徹底的に戦ったことなど、一度もない」「”大東亜建設記念営造計画”が社会的にになった役割は、戦争協力という点から考えれば、無視しえるものだ」といった挑発的な断言を含んでおり、大きな違和感をもったのである。「ファシズム期における建築様式についての戦後の評価を転倒させようとする意識が先行するあまり、ファシズム思想との無縁性のみを強調するバランスを欠いたものといっていい。また、そのことにおいて、露骨なイデオロギーのみを浮かび上がらせるにとどまっている。」と書いた。いたくお気に召さなかったらしい。

 ファシズム期の日本の建築家をめぐっては、「建築様式史上の造形の自立的変遷」にのみ焦点を当てる本書を得ても、なお検討すべき問題がある。新興建築家連盟の結成即即解散(一九三〇年)から建築新体制の確立(一九四五年)への過程は、建築家の活動を大きく規定するものであった。その体制全体の孕む問題は、拙著『戦後建築の終焉』(れんが書房新社、一九九五年)でも触れるように、建築技術、建築組織、建築学の編成、植民地の都市計画など、単に「帝冠様式」だけの問題ではないのである。

 それ以前に、「帝冠様式」の問題が残されている。戦時体制下において開催された設計競技の多くは「日本趣味」「東洋趣味」を規定するものであった。この強制力は、果たしてとるにたらないものなのか。具体的に、今日、公共建築の設計競技や景観条例において勾配屋根が求められたりする。これは景観ファシズムというべきではないのか。「帝冠様式」の位相とどう異なるのか。

 「帝冠様式」をキッチュとして捉えるのは慧眼である。「帝冠様式を日本のファシズム建築様式ととらえる通俗的な見方を否定して、上から与えられた、あるいは強制された様式としてではなく、大衆レベルによって支えられ、下から生み出された様式としてとらえる視点」は興味深い。なぜなら「国民へ向かって下降するベクトルが逆転して国家へ向けられるそうした眼差しの転換をこそファシズムの構造が本質的に孕んでいたとすれば、そうした視点から、大衆的な建築様式と国家的な建築様式との関連をとらえ直す契機とはなるはず」だからである。

  屋根のシンボリズムについてはその力(強制力)をもう少し注意深く評価すべきであろう。民族や国民国家のアイデンティティあるいは地域なるもののアイデンティティが問われる度に、「帝冠様式」なるものは世界中で生み出されるのである。また、建築における「日本的なるもの」、についてももう少し掘り下げられるべきであろう。本書の「あとがき」には、井上氏も、植民地における帝冠様式など残された課題を列挙するところである。

 一五年戦争期における日本回帰の諸現象と建築における日本趣味とは果たして関係なかったのか。「モダニズムが日本ファシズムと結託した」という命題はもう少し具体的に検証されるべきではないか。問題にすべきは、「日本的なるもの」のなかに合理性をみるというかたちで、近代建築の理念との共鳴を見る転倒ではないか。日本建築の本質と近代建築の本質を同じと見なすところに屈折はない。その屈折のなさが、科学技術新体制下における建設活動を支えたのではないか。本書に対する未だに解けない違和感は、数々の断言によって、例えば以上のような多くの問いを封じるからである。

 

2024年10月27日日曜日

John F.C.Turner(1976), "Housing by People Towards Autonomi in Building Environments", Pantheon Books, New York

 John F.C.Turner(1976), "Housing by People Towards Autonomi in Building Environments", Pantheon Books, New York 

https://drive.google.com/file/d/13Ve67Yv5Ki-2p7kEO1zOIeGcNLF6yTvt/view?usp=drive_link










2024年10月26日土曜日

書評 磯崎新『見立ての手法』,共同通信,1990

 磯崎新『見立ての手法ーー日本的空間の読解』

 熊本アートポリス展のコミッショナー、水戸芸術館の総合ディレクター、花と緑の博覧会の会場設計と、このところ、個々の建築の設計のみならず、建築のプロデュースで八面六ぴの大活躍なのが建築家、磯崎新である。その磯崎新も来年には還暦を迎える。今や建築界の重鎮だ。本書は、その最新建築論集である。

 見立てとは、仮にみなす、あるいは、なぞらえる、という意味である。古来、日本庭園の作庭の手法として用いられてきた。竜安寺の石庭で、砂が海を、石が島や山を表す、という。そんなメタフォリカル(隠喩的)な表現がそうだ。本書は、そうした、日本的な表現手法をめぐる論考を集めて編んだものである。ほとんどが八〇年代に書かれたものであり、磯崎自身の建築的関心の推移をうかがう上でも興味深い。

 建築における日本的なるものというテーマは、一九三〇年代、五〇年代と、これまで繰り返し問われてきた。みるところ、国際関係において、日本のアイデンティティーが問われる時代に、日本回帰の現象が起こっている。専ら、西欧の古典的建築に依拠してきた磯崎が、八〇年代に、日本的空間をどう捉えようとしたかは、八〇年代という時代をうかがう手掛かりにもなろう。

 ま、かつら、にわ、ゆか、や、かげろひ、と全体は六部に整理されているのであるが、まず、取り上げられているのが、間(ま)という概念である。ジャパネスク・ブームのきっかけとなった、パリにおける間をテーマにする展覧会を契機とした文章が収められている。作家論や新都庁舎論なども含まれ、雑然とした感じもあるが、桂離宮論など読みごたえがある。

 磯崎が拘るのは、徹底して、西欧人の眼で、あるいは、近代主義者の眼でみると、日本的なるものはどう読めるのか、ということだ。ひと味違う日本建築論になっているとすれば、その拘りの故にであろう。(悠)

 

 

 

 

2024年10月25日金曜日

京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)とタウンアーキテクト制、『建築の研究』。建築研究振興協会、2001

 建築研究振興協会 建築の研究

 京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)とタウンアーキテクト制

 布野修司                 

 

 

京都CDLの概要

 京都CDLとは何か。その謳い文句を並べれば以下のようだ。

 ○京都CDLは、京都で学ぶ学生たちを中心とするチームによって編成されるグループです。

○京都CDLは、京都のまちづくりのお手伝いをするグループです。

○京都CDLは、京都のまちについて様々な角度から調査し、記録します。

○京都CDLは、身近な環境について診断を行い、具体的な提案を行います。

○京都CDLは、その内容・結果(試合結果)を文書(ホームページ・会誌)で一般公開します。

○京都CDLは、継続的に、鍛錬(調査・分析)実戦(提案・提案の競技)を行うグループです。

○京都CDLは、まちの中に入り、まちと共にあり、豊かなまちのくらしをめざすグループです。

 京都CDLは何をするのか。①各チームが、毎年、それぞれ担当地区を歩いて記録する、そして、②年に二度、春夏に集まって、それを報告する、基本的にそれだけである。もう少し具体的に書けば以下のようだ。

A 地区カルテの作製:担当地区について年に一回調査を行い記録する。共通  のフォーマットを用いる。例えば、1/2500の白地図に建物の種類、構造、階数、その他を記入し、写真撮影を行う。また、地区の問題点などを1枚にまとめる。このデータは原則として研究室が保管するが、GISなどの利用によって、各チームが共有する。また、市民にインターネットを通じて公開する。

B 地区診断および提案:Aをもとに各チームは地区についての診断あるいは提案をまとめる。

C 報告会・シンポジウムの開催:年に二度(4月・10月)集まり、議論する(4月は提案の発表、10月は調査及び分析の報告を行う予定)。

D 一日大行進京都断面調査の実施:年に一日全チームが集って京都の横断面を歩いて議論する。

E まちづくりの実践:それぞれの関係性のなかで具体的な提案、実践活動を展開する。

 Aの記録のフォーマットは未だ検討中である。それぞれの視点でどう記録するかが問題である。Dは、発足後の議論の過程で発想された。もう一日、各チーム共通の作業日を設けようということである。初年度は、八坂神社から松尾大社まで四条通りを歩いた(62日)。その記録はGISを用いて一枚のCD-Romに収められつつある。来年は、鴨川沿いに南北縦断調査が企画されている。

京都CDLは各チームの代表(監督)および幹事(ヘッドコーチ)からなる運営委員会・事務局によって運営されている(図1)。A 参加チーム登録、B 地区割り調整、C 報告会の開催(4月・10月)、D 地区カルテの保管と活用、E アクション・プラン、F 他組織との連携が主な仕事である。

 

京都CDLの始動

2001427日の京都CDL設立に当たって14大学24チームの参加表明があった。そこで、仮の地区割り案として、京都市全域(全11地区)を48地区に分けた(図2)。ベースとしたのは元学区、国勢調査の統計区である。約200区を平均4統計区ずつに分けたことになる。そこで、各チームは大学周辺ともう一地区、あるいは中心部一地区と周辺部一地区の二地区を担当することにした。京都CDL発足の大きなモメントに、京都のまちづくりをめぐる議論と実践がいわゆるハイライト地区(都心部(田の字地区)山鉾町、西陣、東山、嵯峨野)に集中している、ということがあり、かろうじて全域を割当てた格好である。

動き出すと様々な発意がある。まず、自前のメディアを持ちたい、という欲求がすぐさま形となった。『京都げのむ』という名がいつのまにか決まり、設立(大会)を主特集に1019日の秋季リーグ(第2回シンポジウム)開催前に創刊号が刊行された。京都にしかない、かけがえのない遺伝子を探り当てたい、という思いが「京都げのむ」という命名に込められている。京都CDLの活動の大きなトゥールになることは間違いない。

1019日、2001年度秋期リーグ・シンポジウムが開催された。発表は6チーム、ポスター発表と合わせて15チームが半年の活動報告を行った。分析あり、すばやい提案あり、ビデオ表現あり、多様な視点、アプローチが浮かび上がったように思う。そして、相互批評が大いなる次の展開を予感させた。京都に対するステレオタイプ化した手法を排し、多様な視点を確保維持し続けることが京都CDLの基本姿勢である。

活動を始めて、問い合わせ、要望という形の市民との接触、行政当局との連携の模索は既に始まっている。1014日には鴨川フェスタに出店を求められ、子どもたちを対象とするまちづくりゲームの企画が評判を集めた。京都市役所は京都まちづくりセンターを窓口とすることを既に決定済みである。大学の地域社会への貢献の試みとして、既に評価も得つつある[i]

 

何故、京都CDLなのか

何故、タウンアーキテクトか、については、『裸の建築家---タウンアーキテクト論序説』(以下『序説』)[ii]に書いた。そして、その最後に「京都デザイン・リーグ」構想について述べた。京都CDLは、タウンアーキテクト制のシミュレーションとして発想されたものである。すなわち、その発想の根には、建築家のあり方についての問いがあり、タウンアーキテクト(あるいはコミュニティ・アーキテクト)という職能についての展望がある。何故、そういう職能、あるいは仕組みを考えるに至ったかは『序説』に譲りたいが[iii]、最大のモメントは、一般の「建築家」が「生き延びる」ためには地域社会をその存在基盤とせざるを得ない(すべきである)、という認識である。「タウンアーキテクト」とは何か、何故、「タウンアーキテクト」か、日本の「タウンアーキテクト」の原型とは何か、について最小限要約すれば以下のようになる。

 

タウン・アーキテクトとは

 「まちづくり」は本来自治体の仕事である。しかし、それぞれの自治体が「まちづくり」の主体として充分その役割を果たしているかどうかは疑問である。地域住民の意向を的確に捉えた「まちづくり」を展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民の「まちづくり」を媒介する役割を果たすことを期待されるのが「タウンアーキテクト」である。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている。ただ、必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちの「まちづくり」に継続的に関わるのが原則である。

  「建築家」は基本的に施主の代弁者であるが、同時に施主と施工者(建設業者)の間にあって、第三者として相互の利害調整を行う役割をもつ。医者、弁護士などとともにその職能の根拠は西欧世界においては神への告白(プロフェス)である。また、市民社会の論理である。同様に「タウンアーキテクト」は、「コミュニティ(地域社会)」の代弁者であるが、地域べったり(その利益のみを代弁する)ではなく、「コミュニティ(地域社会)」と地方自治体の間の調整を行う役割をももつ。

 ①「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」を推進する仕組みや場の提案者であり、実践者である。「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の仕掛け人(オルガナイザー(組織者))であり、アジテーター(主唱者)であり、コーディネーター(調整者)であり、アドヴォケイター(代弁者))である。

 ②「タウンアーキテクト」は、「まちづくり」の全般に関わる。従って、「建築家」(建築士)である必要は必ずしもない。本来、自治体の首長こそ「タウンアーキテクト」と呼ばれるべきである。具体的に考えるのは「空間計画」(都市計画)の分野だ。とりあえず、フィジカルな「まちのかたち」に関わるのが「タウンアーキテクト」である。こうした限定にまず問題がある。「まちづくり」のハードとソフトは切り離せない。空間の運営、維持管理の仕組みこそが問題である。しかし、「まちづくり」の質は最終的には「まちのかたち」に表現される。その表現、まちの景観に責任をもつのが「タウンアーキテクト」である。もちろん、誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。身近な環境の全てに「建築家」は関わっている。どういう住宅を建てるか(選択するか)が「建築家」の仕事であれば、誰でも「建築家」でありうる。様々な条件をまとめあげ、それを空間的に表現するトレーニングを受け、その能力に優れているのが「建築家」である。

 ③「まちづくり」の仕組みとして、「タウンアーキテクト」のような存在が必要とされる一方、「建築家」の方にも「タウンアーキテクト」たるべき理由がある。「建築家」こそ「まちづくり」に積極的に関わるべきである。第一に、建てては壊す(スクラップ・アンド・ビルド)時代は終わった。新たに建てるよりも、再活用し、維持管理することの重要度が増すのは明らかである。日本の「建築家」はその仕事の内容、役割を代えていかざるを得ないが、ふたつの方向が考えられる。ひとつは、建物の増改築、改修、維持管理を主体としていく方向である。そして、もうひとつが「まちづくり」である。どのような建築をつくればいいのか、当初から地域と関わりを持つことを求められ、建てた後もその維持管理に責任を持たねばならない。いずれにせよ、「建築家」はその存在根拠を地域との関係に求められる。

 ④そもそもの発想において「タウンアーキテクト」の原型となるのは「建築主事」(建築基準法第4条に規定される、都道府県、特定の市町村および特別区の長の任命を受けた者)である。全国の自治体、土木事務所、特定行政庁に、約一七〇〇名の建築主事がいて、建築確認業務に従事している。全国で二千人程度の、あるいは全市町村三六〇〇人程度のすぐれた「タウンアーキテクト」がいて、デザイン指導すれば、相当町並みは違ってくるのではないか。建築確認行政は基本的にはコントロール行政であり、取り締まり行政である。建築確認行政が豊かな都市景観の創出に寄与してきたのか、というとそうは言えない。もしそうだとするなら、地域の「建築家」が手伝う形を考えればいいのではないか。

建築主事を積極的に「タウンアーキテクト」として考える場合、いくつかの形態が考えられる。欧米の「タウンアーキテクト」制がまず思い浮かぶ。最も権限をもつケースだと「建築市(町村)長」置く例がある。一般的には、何人かの建築家からなる委員会が任に当たる。建築コミッショナー・システムである。日本にもいくつか事例がある。「熊本アートポリス」「クリエイティブ・タウン・岡山(CTO)」「富山町の顔づくりプロジェクト」などにおけるコミッショナー・システムである。ただ、いずれも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎない。むしろ近いのは「都市計画審議会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会である。それらには、本来、「タウンアーキテクト」としての役割がある。地方分権一括法案以降、市町村の権限を認める「都市計画審議会」には大いに期待すべきかもしれない。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕しているのであれば、別の仕組みを考える必要がある。

 ⑤しかしいずれにしろ、一人のコミショナー、ひとつのコミッティーが自治体全体に責任を負うには限界がある。「タウンアーキテクト」はコミュニティ単位、地区単位で考える必要がある。あるいは、プロジェクト単位で「タウンアーキテクト」の派遣を考える必要がある。この場合、自治体とコミュニティの双方から依頼を受ける形が考えられる。具体的には、各種アドヴァイザー制度、「まちづくり協議会」方式、「コンサルタント派遣」制度として展開されているところである[iv]

 

「タウンアーキテクト」の仕事

 「タウンアーキテクト」は具体的に何を仕事とするのか。『序説』では、「タウンウォッチング」「百年計画」「公開ヒヤリング」・・・等々各地域で試みられたら面白いであろう手法を思いつくまま列挙している。しかし、そこでの議論は、建築コミッショナーとしての「タウンアーキテクト」の役割に集中しすぎている。やはりベースとすべきは、身近な仕事において、また具体的な地区で何ができるかであろう。京都CDLは、そのための大きなシミュレーションである。

 「タウンアーキテクト」制をひとつの制度として構想してみることはできる。建築コミッショナー制を導入するのであれば、権限と報酬の設定、任期と任期中の自治体内での業務禁止は前提とされなければならない。地区アーキテクト制を実施するためには自治体の支援が不可欠である。地区アーキテクトは、個々の建築設計のアドヴァイザーを行う。住宅相談から設計者を紹介する、そうした試みは様々になされている。また、景観アドヴァイザー、あるいは景観モニターといった制度も考えられる。具体的な計画の実施となると、様々な権利関係の調整が必要となる。そうした意味では、「タウンアーキテクト」は、単にデザインする能力だけでなく、法律や収支計画にも通じていなければならない。また、住民、権利者の調整役を務めなければならない。一番近いイメージは再開発コーディネーターである。

 しかし、制度のみを議論しても始まらない。地域毎に固有の「まちづくり」を期待するのであれば一律の制度はむしろ有害かもしれない。どんな小さなプロジェクトであれ、具体的な事例に学ぶことが先行さるべきである。まずは、①身近なディテールから、というのが指針である。また、②持続、が必要である。単発のイヴェントでは弱い。そして持続のためには、③地域社会のコンセンサス、が必要である。合意形成のためには、④参加、が必要であり、⑤情報公開が不可欠である。

 

 京都CDLの今後

 京都CDLは歩み始めたばかりで海のものとも山のものともわからない、というのが正直なところである。

 大学の研究室活動をベースとすることにおいてその活動の持続性は保証される、というのが味噌であるが、一般的なシステムとしてはいくつか基本的問題がある。『序説』で繰り返し指摘しているのであるが、ひとつの問題は、タウンアーキテクトの報酬と権限である。

 京都CDLの場合、基本的にヴォランティアであり、当面NPOを目指すということでいいのだが、それにしても自治体との関係は当然問われる。京都市の「すまい・まちづくり活動支援制度」との連携も大いに考えられる。いずれにせよ、ひとつの試行としてその全経験は記録したいと思う。

 

 京都市全体をカヴァーするのにはまだまだチームが足りない。全国からの参加を是非お願いしたい。『京都げのむ』(定価1000円)、京都CDLについてはhttp://www.kyoto-cdl.com/ を参照されたい。



[i]  20014月17日 朝日新聞記事掲載「町づくりに研究者の知恵 地区の個性重視して提案 14大学の24チーム参加 アイデア競い合い」4月28日 京都新聞記事掲載「京滋などの15大学京都CDL設立」10月19日 朝日新聞「京都の街づくり歩いて調査 学生が研究成果報告」

[ii] 拙著、建築資料研究社、2000年。

[iii] タウン・アーキテクトをめぐる論考に以下のものがある。「タウン・アーキテクトの可能性」、『群居』、群居刊行委員会、19981月。「ちぐはぐな町並み開発を防ぐには建築家の継続参加が有効」、『日経アーキテクチャー』巻頭インタビュー、1995410日。「タウンアーキテクトの組織実践へ向けて」、『群居』50号、200010月/「身近なディテールから・・・タウンアーキテクトの役割と可能性」、『造景』、20011月/The Roles and Tasks of Town Architects in JapanA Proposal for the establishment of Kyoto Community Design League, Traverse 02, Kyoto University, 18 Jun. 2001(『新建築学研究』 第2号)/「京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL)の試み・・・すまいの専門家の生きる道」 『住宅』、200110月号

[iv]  京都市も2001年度から「すまい・まちづくり活動支援制度」に係る専門家登録を開始する。