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2025年5月12日月曜日

米原駅東口周辺整備 まちづくりビジョン(案)、米原市、200701

 

I. まちづくりの基本方針

米原市の都市ブランドを確立・発信する“シンボルエリア”を形成する

米原駅東口周辺整備によって、米原駅東口周辺地域が米原市の「シンボルエリア」となることが期待される。米原駅東口周辺整備を通して実現していく、まちづくりの基本方針として、以下の6点を設定する。

米原の玄関口としてふさわしい都市機能の誘導と都市空間の形成

      多くの来訪者や乗換客が利用する広域交通の要衝としての機能強化。

      滋賀県および米原の玄関口としてふさわしい質の高い都市空間の形成。

市民と立地企業のニーズに応えた都市機能が集積した米原市の都市核を形成

      米原市民の利便性、快適性を高める公共サービスや民間サービスの提供。

      立地企業の満足度を高め、企業進出の根拠となる立地条件を整備。

多様な人々の参加と交流を通して、米原の都市力1を創出する拠点の形成

      交通結節点という強みを活かし、広域からの参加と交流を促進するハードとソフトの整備。

      人の交流と新たな挑戦により、米原らしさを形成する新技術や産業、文化を創出する拠点。

      商業機能など、広域から人を集める事業の誘導。

 

1 都市力

市民活動や経済活動、歴史・文化や地域資源、シンボリックなモノ・コトなど、都市の様々な要素があいまって創出される都市の活力。

琵琶湖東北部の産業振興、地域活性化に貢献する広域連携の拠点の形成

      琵琶湖東北部地方拠点都市地域の重点拠点地区としての機能の向上。

多様な知恵を集めた官民協働のまちづくり

      都市インフラは米原市等が整備を行い、都市機能は民主導で運営する官民協働のまちづくりの促進。

すべての人にやさしく、利便性の高い都市基盤の充実

      上記の①~⑤を支える都市基盤の充実。

      高齢社会を支え、子育て世代にもやさしいユニバーサルデザインの都市基盤。

      光ファイバー網等を活用した利便性の高い情報基盤。

 

米原駅東口周辺地域に関連する上位計画等

    新市まちづくり計画

広域観光ネットワークの拠点づくり、産業機能やサービス業の集積など、玄関口にふさわしい交流

拠点の形成を図ることで『ネットワーク型都市の整備』を進めることとしている。

    琵琶湖東北部地方拠点都市地域整備計画アクションプラン

米原駅研究交流拠点地区」として位置づけられ、研究機能、交流機能、商業・業務機能、居住

機能の重点拠点地区として設定されている。 


 

 

 

1 まちづくりの基本方針 6つの柱

 

   駅前広場を中心に、米原市の玄関口として駅前空間を整備し、米原市の持続可能な成長を先導するシンボル空間として位置づける。

   周辺の既成市街地や立地企業との連続性に配慮し、住宅地や企業進出用地としての価値を高め、将来の人口維持や企業進出を誘導する契機とする。

   米原駅を中心する都市核の形成を視野に入れながら、東口の開発整備とあわせ、これまで分断されていた西口との相互補完を図る。

   米原駅東口周辺地域は、駅前空間と、西口と東口の市街地を連携する東西軸(連携軸)、鉄軌道に沿った帯状の空間を構成する南北軸(交流軸)により構成される。

 

なお、こうした米原駅東口の発展に必要な都市インフラは、現在、土地区画整理事業等によって計画的に整備を進めている。

 

1)駅前空間

駅前空間は、駅前広場を中心する高度利用が図られた質の高い都市空間である。土地区画整理事業で整備する駅前広場は、緑やストリートファニチュアの質を高めることで整備水準の高い公共空間を創出する。駅前広場に面する建築物は、駅前広場と一体となって米原市の玄関口にふさわしい都市空間を形成する。

 

2)東西軸(連携軸)

東西軸は、自由通路の整備によって実現する、米原駅の東口と西口の連続性を確保する歩行者動線である。これまで分断されていた両地域の交流を促進し、観光バスヤードと路線バス停留所の分担といった適切な機能分担によって、米原駅を中心とした米原市の都市核の形成を誘導する。

 

3)南北軸(交流軸)

南北軸は、駅前広場から鉄軌道に沿って南に延びる帯状の空間である。米原駅東口周辺整備により立地誘導する多様な都市機能と、これらの都市機能と米原駅をつなぐ歩行者空間とにより構成する。多様な交流を育むよう、ゆとりと賑わいがあり、歩いて楽しい空間として形成する。

 

4)開発先導エリア

なお、東西軸と南北軸が交差し、駅前空間に面する部分を開発先導エリアと位置づけ、米原市が主導して民間とのパートナーシップを図りながら、以上の「駅前空間」、「東西軸」、「交流軸」の性格をふまえた整備内容を先行的に行い、今後の米原駅東口周辺整備を誘導する。





2 米原駅東口周辺地域の構成イメージ




1. 都市機能の基本的な考え方

米原駅東口周辺整備によって導入する、都市機能の基本的な考え方として、以下の3点を挙げる。

 

1)米原市のシンボルエリアを構成する都市機能

      米原市の新しいイメージ(都市ブランド)を確立・発信していくため、市民自身が米原市のシンボルエリアとして誇りに思い、対外的に「米原」の存在を訴求できる形で、駅前空間として必要な機能を導入する。

      特に、米原市のシンボルエリアにふさわしい賑わいを創出するため、市民や周辺の立地企業、米原駅利用者が必要とする公共サービスや民間による生活利便機能(飲食店などの商業機能)を導入する。

      さらに、米原の地域資源を活用しながら、“米原らしさ”を代表する新しい都市力(新産業や地域に根ざした文化、市民主体の活発な活動や未来の主流となる価値観など)を創出するため、広域からの参加と交流を促進する都市機能(交流インフラ2)を導入する。

      民間投資を促しながら、官民パートナーシップによる役割分担で整備を行う。

 

2 交流インフラ

フェース・トゥ・フェースの交流に必要な交通機関や会議スペースなどのハードウェアとともに、交流手段の選択肢の幅を広げる情報通信インフラ、異なる価値を融合するイベントや組織などのソフトウェアを含める。

 

2)交通の要衝であり、かつ米原の玄関口としてふさわしい駅前空間と都市機能

      滋賀県の玄関口であり、湖北および湖東の玄関口として、単なる通過点としての機能のみならず、来訪者が立ち寄る魅力を創出する形で、“交通の要衝”としてふさわしい駅前空間の整備と都市機能の導入を目指す。

      米原駅の東西空間をつなぐ自由通路との連続性に配慮し、(これまで東西のバリアであった)米原駅が中心となった都市空間の形成を目指す。

      都市インフラとして米原市主導で整備および誘導を行う。

 

3)琵琶湖東北部の地域活性化に必要な全県レベルの都市機能

      中長期的に、琵琶湖東北部3において、広域的(全県的)観点から必要となる都市機能の導入を目指す。

      例えば、技術開発や商品開発、販路開拓、プロモーションなど、琵琶湖東北部に立地する企業の共通課題を解決するため、東京・名古屋・大阪という大規模マーケットと直結する立地を活かし、活発な営業活動に重点をおいた(公設民営の)産業支援機能の導入などが考えられる。

      滋賀県と連絡を密にしながら、官民パートナーシップによる役割分担で整備を行う。

 

3 琵琶湖東北部広域市町村圏

彦根市、長浜市、米原市、愛荘町、豊郷町、甲良町、多賀町、虎姫町、湖北町、高月町、木之本町、余呉町、西浅井町310町で構成される。


2. 導入する都市機能

都市機能の基本的な考え方に基づく、具体的な導入機能として、以下のようなものが挙げられる。

 

1)駅前空間を構成する機能(駅利用者向けのサービス機能)

米原市の玄関口としてふさわしい「米原の顔」を形成するため、駅利用者をターゲットに、その利便性と快適性を高めるサービスを提供する商業機能や情報提供機能、米原の独自性(米原らしさ)を訴求する諸機能の導入を目指す。

 

  <導入機能候補()

ホテル

周辺立地企業の従業員や来訪者をターゲットとし、長期出張でも快適な滞在が可能な宿泊特化型のホテル。

商談やビジネス交流が可能な会議室を併設。

米原市のランドマーク(シンボル)として整備。

飲食店

複数店舗の集積による賑わい空間の形成。

米原市あるいは琵琶湖東北部の“名物”を提供するレストラン。

コンビニ・物販店

米原駅を利用する市民や通勤客、乗換客の利便性を高める物販店として整備。

観光インフォメーション

琵琶湖東北部を中心とした広域観光の窓口となる観光案内所。

観光バスターミナル

広域連携の一環として、琵琶湖東北部をエリアとする広域観光のコースを造成するなど、広域観光圏を形成する拠点として整備。

特産品等展示・販売

琵琶湖東北部にレジャーや観光で訪れた人が、土産物を購入する楽しみを提供できる施設として整備。土産物を企画、商品化するマーケティング機能など、付加価値を創出する仕組みをもたせる。

 

2)広域からの集客・交流を促進する機能

東海道本線、北陸本線、東海道新幹線、近江鉄道という鉄道網があり、県下で唯一の新幹線停車駅であるなど、京阪神、中京圏、北陸圏を結ぶ交通の要衝という強みを活かし、多くの人が目的地として集まり、多様な交流の中から新しい価値観や文化、技術、組織等を生み出す状況を引き出し、育む機能の導入を目指す。

また、琵琶湖東北部の広域行政の推進に資するため、圏域の共通課題を解決する行政サービスの導入を目指す。

 

 

 

 


<導入機能候補()

産業支援施設

研修所、会議室などビジネス交流にふさわしい交流空間を整備。

大阪・名古屋・東京のマーケットに対して、琵琶湖東北部の企業が必要とする営業活動に軸足をおいた産業支援の拠点として整備。

大学関連施設

若者(学生)が集まり、学術交流をはじめ多様な交流の促進を図る拠点として整備。

機能としてはサテライト・キャンパスやTLOなど。

市民参加・交流施設

市民参画による活発な活動を支援し、新しい市民文化を形成する拠点として整備。

ロードサイド型商業・アミューズメント施設

人が集まる賑わいを形成する空間環境とあわせて総合的、面的に整備。

道の駅

車利用者の立ち寄りの拠点として整備。

特産品等展示・販売など、地場産業を振興する機能を併設。

健康増進施設

温浴施設やフィットネスなど、米原市周辺地域からの集客を図り、商業施設等の事業環境を高めるサービスとして整備

 

3)市民の生活利便性を向上する機能(市民向けの生活サービス機能)

米原市に定住する市民や米原市で働く従業者をターゲットに、米原における生活利便性と快適性を高めるサービスを提供する商業機能やアミューズメント機能、居住機能の導入を目指す。

 

  <導入機能候補()

米原市の行政サービス相談窓口

各種証明書の発行などの行政サービス相談窓口にくわえ、行政情報を住民に対してわかりやすく発信するサービスを備える。

医療施設

市民ニーズの高い医療機能として整備。クリニック・モールなど。

スーパーマーケット

生鮮食料品に特化したスーパー。

集合住宅

既成市街地から転居を想定した市民向け分譲マンション。

賃貸住宅

米原の立地企業の従業員や学生をターゲットにした賃貸マンション。

広場・公園

子育て世帯や高齢者が、安心して、楽しく長時間過ごすことができる空間として整備。

大規模なイベントを開催できる屋外空間として整備。


3. 土地利用ゾーニング

都市機能の導入に当たって、米原駅周辺地域に以下の3つのゾーンを設定して整備を進める。

 

1)駅前エントランスゾーン(主に駅前空間を構成する機能を導入)

テキスト ボックス: <アウトカム指標(例)>
関西圏および中京圏における米原駅東口周辺整備の認知度
米原駅の乗換客の立ち寄り率
米原駅利用者の満足度  など

米原市の玄関口としてふさわしい質の高い都市空間を形成するとともに、駅利用者が必要とする都市機能や、周辺企業の満足度を高め、さらなる企業誘致につながる都市機能を先行的に整備するゾーンである。特にマーケットニーズがあり、事業として実現可能な都市機能(ホテルなど)については、自由通路の供用とあわせて、官民のパートナーシップにより早期の整備を図り、米原市のシンボルエリアの目標像を示すことで、次のまちづくりのステップとなる新たな都市機能の誘導を図る。

 

2)生活サービスゾーン(主に市民の生活利便性を向上する機能を導入)

既成市街地に居住する市民や立地企業の通勤者の利便性を高める都市機能を誘導するゾーンとする。また生活利便性を向上する都市機能の整備とあわせて、集合住宅や滞在型施設の整備を誘導し、人口増により都市としての活性化を図る。

テキスト ボックス: <アウトカム指標(例)>
既成市街地に居住する市民の居住環境に対する満足度
立地企業の従業者の満足度
米原駅の駅勢圏における人口増加  など

駅前エントランスゾーンの整備とあわせて都市機能を誘導し、都市空間としての連続性を確保しながら、まちづくりを先導する。

 

3)広域集客・交流ゾーン(主に広域からの集客・交流を促進する機能を導入)

中長期的に琵琶湖東北部において必要となる都市機能の導入を目指す、県有地を中心としたゾーン。

短期的には、暫定的な土地利用も視野に入れ、多様な参加と交流の効果が期待できる都市機能の誘導を図り、具体的な仕掛けと結果を検証しつつ、適切な都市機能のあり方を見極める段階的整備によるまちづくりを想定している。

テキスト ボックス: <アウトカム指標(例)>
米原駅周辺地域の集客数
米原駅周辺地域における民主導によるイベント、セミナー等の交流機会の開催数
滋賀県、関西圏、中京圏に居住する人の米原への訪問率 など

注)アウトカム指標:整備により達成すべき目標の達成度合いを測定する指標。

 


3 土地利用ゾーニング図

 


4. 段階的整備の考え方

都市機能の円滑な導入を図るため、以下の点に留意する必要がある。

段階的整備によりまちづくりを確実に進捗させる

      「官民協働のまちづくり」をまちづくりの基本方針として位置づけている。しかしながら、米原市の人口規模が3万人強で横ばい傾向にあるなど、米原駅東口のマーケットは大きいとは言えない。したがって、約4.0haの土地を一時期に利活用するリスクは大きく、このリスクを全て民間に委ねることは難しい。

      そこで、実現可能性を見込める事業規模でまちづくりを進捗させ、「米原」の付加価値を徐々に高めることでマーケットの拡大を図りながら、民間事業者の進出意欲を引き出し、次の事業を取り組む段階的整備を行う。

開発先導エリアと自由通路の整備

      実現可能性を見込める事業規模でまちづくりを進捗させるのが「開発先導エリア」である。開発先導エリアは、駅前広場に面し、かつ駅の橋上化とあわせて整備される自由通路と接続できる位置にあり、コンセプトを先行的に実現することで、「米原」の付加価値を創出・発信することが可能である。また米原市所有の土地であることから、民間の創意工夫を求めながら、米原市が主導権を持ちながら、まちづくりを進めることが可能である。

      自由通路の整備は、米原市のまちづくりにおいて大きな節目であり、この時期に合わせて開発先導エリアで具体的な方向を示し、整備することは、「米原」を情報発信する観点から意義が大きい。

      玄関口としてふさわしい駅前空間の整備を視野に入れながら、開発先導エリアの事業化を進めることがまちづくりの最初の一歩となる。

県有地と暫定利用

      県有地は約2.2haと比較的規模が大きく、また中長期的に都市機能を導入すべきゾーンとして位置づけており、本格的な整備には相応の時間を要する。

      しかしながら、「米原」では、新しい試みが毎年のように取り組まれている状況を作り出すことが、まちづくりのプロセスの観点からも重要であることから、未利用地の状態を放置する選択肢は得策といえない。そこで、短期的には暫定利用を視野に入れながら、必要に応じて民間誘導を図ることが考えられる。

 

5. 今後のまちづくりの進め方

今後のまちづくりの進め方に関して、今後、特に以下の点が課題として挙げられる。

 

      開発先導エリアの範囲を決定し、プロポーザル事業コンペなど、米原市主導で民間誘導を図ることが可能な手法により、事業を進めることが課題となる。

      あわせて、県有地の利活用の方向について、滋賀県と調整することが課題である。

直腸癌 1年半後健診 面談 多摩総合医療センター

 7:50 歩いて西国分寺 出がけに坂内先生に会う。一日研究活動 うらやましい。

8:15 西国分寺 バスで医療センター 8:35 受付 9:00前 大塚主治医と面談 血液検査 CTスキャンとも問題なし。 次回血液検査 7月28日決定 5分で終了。 診断料960円

バスで西国分寺 歩いて自宅 9:45分 



2025年5月11日日曜日

地球の行方--東南アジア学フォ-ラム,雑木林の世界32,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199204

 地球の行方--東南アジア学フォ-ラム,雑木林の世界32,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199204


雑木林の世界31

地球の行方

東南アジア学フォーラム

                         布野修司

 

 京都大学に東南アジア研究センターという研究機関がある。設立は一九六六年で昨年二五周年を迎えた。この東南アジア研究センターには印象深い思い出がある。東洋大学で東南アジア研究を始めた頃、東南アジアについて右も左もわからず手がかりを得たくて何度か通ったのである。その頃、一九七九年から八一年にかけてだったと思う、センターでは学生や若い研究者を対象とした夏期セミナーを開講しており、それを受講するのが主目的であった。今振り返ると、渡部忠世、高谷好一、前田成文、矢野暢といったそうそうたる諸先生から東南アジア学の手ほどきを受けたことになる。実に幸運なことであった。

 その東南アジア研究センターで昨年「東南アジア学フォーラム」が開始された。これまでのプログラムは以下のようである。

 ●第一回 一九九一年九月一八日・・国民国家の政治文化 土屋健治 ディスカッサント 山室信一/世界単位概念の設定 高谷好一 ディスカッサント 応地利明

 ●第二回 一九九一年一一月一六日・・アダットと人間関係 前田成文 ディスカッサント 宮本 勝/マレー世界の自然と文化 古川久雄 ディスカッサント 田中二郎

 ●第三回 一九九二年二月一五日・・東南アジア的人口史観 坪内良博 ディスカッサント 足立明/地球資源・環境問題と南北問題 福井捷朗 ディスカッサント 森田学

 最初の二回は、ばたばたしていて出席できず、三回目にようやく参加できたのであるが、全国から百人もの研究者が出席する、なかなかに刺激的な会であった。鶴見良行氏、中村尚史氏の顔も見えた。東南アジア学フォーラムは、単なる研究会ではない。東南アジアに関する知識を深めるというのではなく、現代世界の問題を如何に解くかをめぐって、思い切って発言し、議論する場として設定されている。実に魅力的なのである。

 とりわけポレミカルであったのは、福井捷朗氏(東南アジア研究センター)の報告である。またそれに対する森田学氏(京都文化短期大学)のコメントである。福井氏の報告は、地球環境問題に関する基本的考えの変遷をレビューし、とりわけ南北問題に焦点を当てながら資源問題を展望しようというものであった。

 環境問題に関わる主な出来事と見解の展開をざっと振り返った上で、検討に足るものとして、福井氏が取り上げたのは、ローマクラブの「成長の限界」(一九七二年)と国連のまとめた「持続的発展」(ブルントラント報告 一九八七年)である。ローマクラブの「成長の限界」における世界認識はいささか古いのではないかというコメントがディスカッションの時に出されたのであるが、氏の問題にしたのは理論構成であって、地球がそもそも存続し得るかどうかという大テーマなのであった。

 ローマクラブの結論は、現在の成長率が不変のまま続くならば、「破局」に達するだろうということであった。そして、その提言は、「破局」に至ることなく持続可能な生態学的ならびに経済的な安定性を打ち立てることは可能であるということであった。その安定化の条件は人口に関しては出生率と死亡率が等しく一定であること、資本についても、投資率と減耗率が等しいこと、資源消費、生産および公害の汚染量は一九七〇年の四分の一となること、消費選好は物財からサービスへ向かうことなどである。

 それに対して、十五年後に出された「持続的発展」論はどうか。その結論は、悲観的将来予測に基づくゼロ成長に代わって、環境資源を持続、拡大させる政策によって、従来とは異なった成長が可能であるというものである。発展の限界はある。しかし、それらは環境資源利用の技術および社会組織の限界と、生物界の許容限界とであって、前二者が絶対的でない限り、限界も絶対的ではないというのが「持続的発展」論である。

 二つは一見異なる。一方が悲観的であるのに対して、他方は希望的である。十五年の間に状況は果たして変わったのであろうか。福井氏は、二つの立論を詳細に検討して見せたのであるが、将来展望に関する限り、実は二つの論にそう差はないのである。そして、環境問題において、南北問題こそが決定的であるというのが福井氏の主張である。

 「成長の限界」も「持続的発展」も、世界全体を平均化した指標によって問題にしているのであるが、例えば発展途上国だけを対象としてシミュレーションを行ったらどうか。破局は異なった時期に異なった形で現れる筈だ。既に南の国の一部には破局の前兆が現れているのではないかと福井氏は言う。南の国の破局によって、北の国の破局が先延ばしが可能になっている。南の貧困は、地球資源・環境問題の先取りの結果であると考えるのである。

 下手な要約でホットな提起を伝えていないのであるが、森口学氏のコメントは、森林資源の問題に即して、以上を補足するものであった。

  森口氏は、焼き畑農業などアグロフォレストリーの研究で知られる。これまで二回ほど研究報告を聞いたことがある。農業と林業の共存こそが生態学的に意味があるという指摘が記憶に残っていた。当日のコメントの骨子は、森林保全に関して、「持続的発展」のための三つの方向がこれまで出されてきているというものであった。

 ひとつは今日の林学の基礎をつくった一八世紀ドイツにおける森林経営、ひとつは、イギリスがインド、ビルマといった植民地で展開した森林経営、そしてもうひとつがインドネシアのタウンヤ法と呼ばれる森林経営である。いずれもよく理解するところではないのであるが、ドイツの場合は市場価値の高い樹種を毎年一定生産するところ、農業と林業を有機的に関連づけ、共同体の植林労働をベースにするところに特徴があるという。それに対して、イギリスの場合、多種多様の樹種を熱帯林に近い形で植林するのが特徴だ。インドネシアの場合、多少理解できた。過剰人口を背景として労働集約的な焼き畑移動耕作をベースとするのである。また、森口氏が森林の農民的活用として推奨するのがジャワのプカランガンと呼ばれる屋敷林である。プカランガンとは、野菜、一年生の樹種、バナナ、ヤシ、用材といった形で多様な樹種が植えられる、生活に合わせた利用が可能な農地林である。

 福井氏の結論とは何であったか。

 「熱帯林の破壊は、南の持続的発展にとってマイナスであろう。しかし、南にとってだけの問題ならば、これほど声高には言わない。北をも含んだ地球全体にとってマイナスであるからこそ(温暖化、遺伝資源)、問題とする。しかし、同じく温暖化の原因となる化石燃料の使用に関しては、自らの成長を犠牲にしてまで規制はしない。ゴルフ場造成のために木を伐る国の人が、子供の学資をうるため焼き畑をする農民を非難するのは不道徳的である。」と氏はいう。それでは希望はあるのか。「できるところから始める」は、有効か。あるいは、全く異なった社会、経済、国家のあり方が要求されているのか。結論は、重く聴衆に開かれ、預けられたままであった。

 


2025年5月8日木曜日

裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説, おわりに・・・まちづくりの仕掛け人、建築資料研究社,2000年3月10日

 おわりに・・・まちづくりの仕掛け人

 

 各地でユニークなまちづくりが展開されている。ユニークなまちづくりには必ず仕掛け人がいる。この仕掛け人こそタウン・アーキテクトと呼ぶに相応しい。

 まちづくりのためには、まずは人を束ねる能力が必要である。仕掛け人は、しばしば、まちのありかたについて自由に討議する場のオルガナイザー(組織者)である。あるいはアジテーター(主唱者)である。あるいはコーディネーター(調整者)である。時にアドヴォケイター(代弁者)でもある。要するに、まちづくりを推進する仕組みや場の提案者であり、その実践者が本来のタウン・アーキテクトである。

 仕掛け人には、全体を見渡す視野の広さ、バランス感覚もいる。わがままで、特定の集団や地域のためにのみ行動するタイプは相応しくない。まちのあり方とその将来を的確に把握する見識が必要である。そうでなければ人を束ねることはできない。

 そうした意味では、タウン・アーキテクトはもちろん「建築家」である必要はない。まちづくりを仕掛ける誰もがタウン・アーキテクトでありうる。タウン・アーキテクトは、まちのすべての問題に関わって、その方向を示す役割を担う

 自治体が本来的に機能しているのだとすれば、その首長こそタウン・アーキテクトに相応しい。しかし、地方自治体とその行政システムは必ずしも、活き活きと機能していない。だからこそ、さまざまな仕掛け人が必要とされ、様々なまちづくりの試みが現れてきたのである。各地で、それぞれ独自のまちづくりの仕組みがつくられること、それが本論の前提である。

 本書では、いささか「建築家」に拘ってみた。「建築家」こそタウン・アーキテクトとしての役割を果たすべきだという思いがある。様々な条件をまとめあげる、そうしたトレーニングを受け、その能力に長けているのが「建築家」である(筈だ)。また、「建築家」は直接まちの姿(景観)に関わっている。まちづくりの質はまちのかたちに究極的には表現されるのである。 

 素直に「建築家」を考えてみよう。そもそも誰もが「建築家」でありうる。身近な「建物」に関することには全てが「建築家」に関わっている。例えば、誰でもどこかに住んでいる。大邸宅であろうとアパートであろうと(場合によると地下のコンコースや公園のような場所でも)寝起きする場所が誰にも必要だ。何処に住むか、そしてどのような住宅に住むか(住むためにどのようなシェルター(覆い)が必要か)は誰にとっても、生きていく上での大問題である。どういう住宅を建てるかが「建築家」の仕事であるとすれば、誰もが「建築家」なのである。事実、昔は、誰もが自分で自分の家を建てた。現在でも、世界を見渡せば、自分で自分の家を建てる人たちの方が多い。

 住宅に限らない。工場だろうが事務所であろうが同じである。特に、美術館や図書館、学校や病院などの誰もが利用する公共建築は、誰もが関わっている。それぞれ各人の無数の建設活動が集積することによって都市は成り立っている。都市は、だから、それぞれ「建築家」であるわれわれの作品である。

 もちろん、自分一人で「建物」を建てるのは大変である。今日、誰もが自分の手で「建物」をつくれるわけではない。だから、みんなに手伝ってもらう。また、大工さんなど「職人」さんに頼む。「建物」を建てるのにも、得手不得手があるのである。専門分化が進み、「建築」のことは「建築家」に依頼する、のが一般的である。

 しかし、「建築家」は、果たして、市民のために市民に代わって、うちを建て、様々な施設を建て、まちをつくる、そうしたプロフェッションとしての役割を果たしているだろうか。本書全体がつきつけるのは巨大な疑問符である。そしてその疑問符に答える方向性を提示するのが本書である。

 本書において残された議論は多いが、「建築家」の本来のあり方を考える材料が提供できたとすればまずはよしとしたい。問題は新たな活き活きした仕組みが日本の風土に根付くことである。

 

 本書はこれまで書いてきたいくつかの文章を元にしている。しかし、基本的には書き下ろしとして大幅に手を入れた。議論は荒削りではあるが、敢えて無防備に投げ出したい。大きな議論と小さなひとつの運動が開始されることを願う。


タウンアーキテクト論序説・・・建築家の居る場所 まちづくりの仕掛け人

 

目次                                                       

 

はじめに・・・裸の建築家

 

 Ⅰ 砂上の楼閣

 

◎第1章 戦後建築の五〇年                        

  1-1 建築家の責任

  1-2 変わらぬ構造

    a 都市計画の非体系性

    b 都市計画の諸段階とフレキシビリティの欠如

    c 都市計画の事業手法と地域分断

  1-3 コミュニティ計画の可能性・・・阪神淡路大震災の教訓

    a 自然の力・・・地域の生態バランス

    b フロンティア拡大の論理

    c 多極分散構造

    d 公的空間の貧困 

    e 地区の自律性・・・ヴォランティアの役割

    f ストック再生の技術

    j 都市の記憶

 

◎第2章 何より曖昧な建築界

  2-1 頼りない建築家

  2-2 違反建築

  2-3 都市景観の混沌

  2-4 計画主体の分裂

  2-5 「市民」の沈黙

 

 Ⅱ 裸の建築界・・・・・・・建築家という職能          

◎第3章 幻の「建築家」像                    

  3-1 公取問題                      

  3-2 日本建築家協会と「建築家」

  3-3 日本建築士会            

  3-4 幻の「建築士法」   

   3-5 一九五〇年「建築士法」

   3-6 芸術かウサギ小屋か

 

◎第4章 建築家の社会的基盤

  4-1 日本の「建築家」

  4-2 デミウルゴス 

  4-3 アーキテクトの誕生

  4-4 分裂する「建築家」像

   4-5 RIBA

  4-6 建築家の資格

  4-7 建築家の団体

    4-8 建築学科と職人大学

 

 Ⅲ 建築家と都市計画   

 

○第5章 近代日本の建築家と都市計画     

  5-1 社会改良家としての建築家

   5-2 近代日本の都市計画

  5-3 虚構のアーバンデザイン

  5-4 ポストモダンの都市論

  5-5 都市計画という妖怪 

  5-6 都市計画と国家権力ーーー植民地の都市計画

  5-7 計画概念の崩壊

  5-8 集団の作品としての生きられた都市

 

○第6章 建築家とまちづくり

  6-1 ハウジング計画ユニオン(HPU)

  6-2 地域住宅(HOPE)計画

  6-3 保存修景計画

  6-4 京町家再生論

  6-5 まちづくりゲーム・・・環境デザイン・ワークショップ

  6-5 X地区のまちづくり

 

 

 Ⅳ タウン・アーキテクトの可能性

 

○第7章 建築家捜し                                           

  7-1 「建築家」とは何か

  7-2 落ちぶれたミケランジェロ

  7-3 建築士=工学士+美術士

  7-4 重層する差別の体系

  7-5 「建築家」の諸類型

  7-6 ありうべき建築家像

  

○第8章 タウン・アーキテクトの仕事

  8-1 アーバン・アーキテクト

    a  マスター・アーキテクト

    b  インスペクター

    c  環境デザイナー登録制度 

  8-2 景観デザイン 

    a ランドシャフト・・・景観あるいは風景

    b 景観のダイナミズム    

    c 景観マニュアル

    d 景観条例・・・法的根拠

  8-3 タウン・アーキテクトの原型 

    a 建築主事

    b デザイン・コーディネーター

    c コミッショナー・システム

    d シュタット・アルシテクト

    e コンサルタント・・・NPO

  8-4 「タウンアーキテクト」の仕事

    a 情報公開

    b コンペ・・・公開ヒヤリング方式

    c タウン・デザイン・コミッティ・・・公共建築建設委員会

    d 百年計画委員会

    e タウン・ウオッチング---地区アーキテクト

    f タウン・アーキテクトの仕事

  8-5 京都デザインリーグ

 

 おわりに


布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...