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2026年8月14日金曜日

建築を遡行せよ! いざ集わん,深化する建築 住居根源論1,松下電器設備季報,松下電器産業,19900301 (生原稿)

 建築を遡行せよ!  いざ集わん,深化する建築  住居根源論1,松下電器設備季報,松下電器産業,19900301


 

 

 

 

建築フォーラム,1'90-,/191

 

*深化する建築ー住居根源論*

 

 

PART-1     建築を遡行せよ!いざ集わん

ー建築と文化人類学の幸福な避合一

,,90/3/1          ナショナル6号館特別会場

*渡辺豊和・建築家 *布野修司・建築評  *小松和彦・文化人類


テキスト ボックス: ,ヤ司会  リビング営業本部長林田副本部長より皆様にご挨拶申し上げます。

林田 ご紹介いただきました松下電器で建築設備関係を担当させていただいております林田でございます。

本日は渡辺先生、小松先生、また全体のまとめをしていただきます布野先生の大変なお力添えで建築フォーラムをやらしていただくということで、ご案内を申し上げましたところ大変たくさんの方々にご参加をいただきまして、心から厚く御礼申し上げる次第でございます。また日ごろは松下電器何かとご支援ご指導賜っておりまして、高い席ではございますけれども、心から御礼申し上げる次第でございます。

実は先程、先生方にもお詫びを申し上げておったわけでございますが、大変短期間でいろんなものをまとめていただくようなご無理なお願いを申し上げまして、大変失礼を申し上げたと思っているわけでございます。にもかかわりませず、先程、リビングプラザのほうでご覧いただきましたような作品等もご準備を賜りまして、今日の開催にこぎつけていただいたようなことでございます。先生方に対しまして心から御礼を申し上げる次第でございます。

実は私、松下電器で長年にわたりまして仕事をさせていただいておりますのですが、どちらかと言いますと、いわゆる家庭電化を中心としたイメージが非常に強いのではないかと思っております。事実また松下幸之助を中心といたしまして、家庭電化に大変力を入れてまいりましたのですが、同時に世の中の変化とともに、新しい仕事にも力強く邁進をしていきたいと思っているわけでございます。

特に本年は情報通信、それから半導体、それと今日こうしてお集まりいただいております皆様方のご支援をいただきまして、建築設備ということにつきましても、世の中のお役に立つ仕事を一層させていただきたいと思っているわけでございます。何分にも、この業界への私どもの参加というのが比較的新しくございまして、まだまだ力も不足いたしておりますし、不十分な面も多々あるかと思うわけでございますが、こういう機会を通じまして、私どもが考えておりますこと、また皆様からいろんなご要望をお聞きして、まとめられるものをぜひ1つお教え賜りますようにお願いを申し上げる次第でございます。


テキスト ボックス: / 0今回、5回にわたりまして建築フォーラムをさせていただくことになりました。 3カ月に1度やらしていただこうと、今日はそのための1つのベースのお話をしていただくということでございますが、できればこれからもひとつ奮ってご参加を賜りますように心からお願いを申し上げる次第でございます。

実は前回、コンピュータグラフィックということでもってフォーラムをやらせていただきました。たくさんの皆さんのご参加、ご希望がございましたのですが、会場等が手狭でございまして、大変ご迷惑をおかけした経験がございます。ひょっとしたらこの中にもそういう方がおられるかも分かりませんが、心からお詫びを申し上げる次第でございます。合わせまして、その時の経験も積みまして、また私どもの責任の重大さもさらに感じたようなことでございまして、これからもできる限り、こういう機会を数多く持たせていただくべく、松下電器としても取り組んでまいる所存でございますので、一層のご支援のほどをお願いを申し上げる次第でございます。

本日せっかくお越しいただきましたので、ぜひひとつ意義ありますように、このフォーラムが成功いたしますことを心から祈念を申し上げまして、誠に措辞でございますけれども、ご挨拶に代える次第でございます。大変ありがとうございました。(拍手)

司会  それでは先生方の紹介をさせていただきます。

皆様のほうから向かって左から、東洋大学工学部助教授・布野修司先生です。渡辺豊和・建築工房主宰・渡辺豊和先生です。大阪大学文学部助教授・小松和彦先生です。(拍手)

それではこれよりフォーラムを始めさせていただきます。先生よろしくお願いいたします。

布野  今、建築家が大変忙しいのに、こんなにたくさん集まっていただいて大変感激いたしております。これはやっばり松下電器産業の底力か、小松先生、渡辺先生の人気が高いのでしょうけれども、一応口火と言いますか、2人とも大変なタレントでございまして、お話がうまいのは定評があります。私はなんとなく進行役で、こちょこちょと混ざるということで、やっていきたいと思いますけれども、最初にほ


テキスト ボックス: 、ノ .

とんど何も打ち合わせしないでここへ出ているわけですけれども、今回、先程のご案内のように、私がとにかく総まとめというようにご紹介があったのですが、間違いでございまして、こんどの企画の総合プロデュースは渡辺さんでございます。私は渡辺さんに命令されまして手伝えということで、つい昨年の暮れにその企画が始まったということで、本当に準備不足で打ち合わせもできなかったということであります。

今日は最初に、総合企画者である渡辺さんのほうから、この5回を通じてのテーマと言いますか「深化する建築ー住居根源論」というのは渡辺さんが出されたテーマでございますので、最初にスライドも混えまして、一応総論的にテーマを確認したいと思います。それで、あと4回は一応、地、水、火、風と四大とか五大とかいろいろあるわけですけれども、一応女流のアーキテクトにそれぞれキーテーマを与えまして、それについてのなんらかのプレゼンティーションをいただくと。それについて、またこういうフォーラムで議論しようという、そういうプログラムになっております。

今日は時間の許す範囲で、何を問題にしようとしているかなというのが、大体全

体として浮かび上がればいいんではないかというように私自身は思っております。最初に渡辺さんのほうから適当な時間でお話をいただいて、それについて我々が コメントするというようなところから入っていければいいと思います。よろしくお

願いします。

渡辺  スライドも持ってきておりますけれども、最初にちょっと話させてもらって、途中で、3人で話し始めてからスライドを映させてもらいます。スライドは展示していた4つの住宅があるんですけれども、その住宅のスライドを持ってきているのです。あれは別に計画案じゃございませんので、4つとも建ったものです。その建ったものの実際に姿のスライドを持ってきております。最初はそういう話をするんじゃなくて、布野さんから今、紹介がありましたけれども、この企画全体を最初相談されまして、その時に何を考えたかと言いますと、住宅のこういうセミナーというのか、要するにこういうことはあちこちでされているのですよね。それと建築の展覧会もやりたいということでしたので、展覧会も実は建築は今、大変流行って


 

 

 

いまして、今から1 5年ほど前でしたか、僕が多分、建築界では初めてだったと思いますけれども、個展を開いたことがあるんです。最近は大流行りなんです。僕は流行ってくると、すぐ背を向けるほうで、これは建築の設計の人ならすぐに分かりますけれども、最近ドローイングが大変流行っていますね。実はあれも僕が20ほど前に書いていたのを京都の高松伸君が僕の事務所へ遊びに来て、こういうことをやれば有名になるんだなと思ったらしいんです。それで彼はそっちのほうで有名になっちゃって、元祖の僕のほうは依然として無名のままなんです。

ただ世の中には面白い人がいて、建築家がドローイング集というのを出したのですね。僕が書いたのじゃないですよ。そしたら僕のドローイングも載っていたし、高松君のも載っていましたけれども、それの中にはちゃんと事実が書いてありまして、僕は説明なんか一切しなかったんだけれども、どこから聞いたのか。渡辺豊和がドローイングの一番の先駆者だというようなこと書いていたので、中には分かるやついるんだなと思いましたけれども、だけれども建築の世界の人たちはほどんど知らないですよね。というのは、僕はドローイングは、高松君がやり始めたから、それもやめちゃった。それから建築展というのもいろんな人がやるので、それもなんかばからしくなってそれもやめちゃった。だからなんでもー等最初なんです。だけれどもやめてしまいますよね。

この展覧会も同じようなことで、建築の展覧会をやっても何の意味があるのかなというふうなことを盛んに思っていましたので、どうせやるならば面白いことしないといかんと思います。ただし僕自身は展覧会とか、ああいうことをやめていた男なんで、急に言われても結果的にはオーソドックスなことしかできなかったのですけれどもね。それならばテーマを設定したほうがいいだろうと思いまして、僕の感じ方では住宅と言ってしまうと、ごく普通の、皆さんがいつも住んでいる家、そういうものが住宅というふうに僕はイメージしているんです。住居と言ってしまうと、これは住宅も含むんですけれども、要するに生活が可能な場所。だから洞窟でもいいし、木の上でもいいですよね。実際に住居というか、人間が住む最初の空間というか、そういうものは木の上だったり、特に洞窟が多いですよね。そういう場所に住み始める。だからそれは住宅とはちょっと言わないと思うんで、それを住居


テキスト ボックス: /{

 

 

と呼ぼうと思っているんです。

なんで住宅と住居と分けなきゃいかんのかと思うかも知れませんけれども、やっばり言葉というのは、これは小松先生のご専門なんで、あんまりそういうことに立ち入ってはまずいんですけれども、あとにお叱りを受けることを覚悟のうえで少々言わせていただきますと、言葉はそういう点では大変便利なんです。物ですと、例えばあすこに建っている僕の住宅の作品というのか、あれを見てこれ住居なのか、住宅なのかと考える人はいませんよね。とにかくこれは家だと思って見るわけでしょう。ですから、住んでいる人たちも、自分の家は住宅なのか、住居なのかなと分けて考える人はいないと思うんです。

だけれども、ものを考える時に住宅に関して、何かのテーマで話しなさいとか、何かのテーマを探し出して展覧会をしなさいと言われますと、ぼんやりと住宅と考えているわけにはいかなくなってしまうのですね。ですから、住宅と考えてしまうと普通の物理的な我々が日常住んでいる家だと。それはほとんどテーマにならないだろうと思うわけですね。それをテーマにすると、せいぜい設備がどういうものかとか、これナショナルだから当然設備の話がナショナルのほうで思っているわけですけれども、そんなものに簡単に乗るわけにいきませんし、それじゃ単にナショナルの下請けしているだけですから、そんなことじゃ建築家として名折れですわね。ですから、そういうことしたくないと、こうなったわけですね。なるべくナショナルを嫌うことを考えようかなと思いまして、そうすると住居ということを言うと、ナショナルさんじゃちょっと手を出せないわね。そう思ったので、これは住居だと、こう思い始めたわけです。

そうすると住居を考え始めると、居住可能な空間と言ってしまえばいいんですけれども、居住可能な空間ということを考えれば、どこでも居住可能なんですよね。ですから、例えばこういう部屋で、人がここに住み始めたら、これは住宅とは言わないかも知れないけれども、住居にはなると。ですから、世界隅々どんな場所でも、宇宙に飛び出したらどうか分かりませんが、地球のどんな場所でも、海上でもそうかも知れませんけれども、一遍そこに住んでしまうと、住んでいる場所が住居だと、こういうふうに言ってしまえばいいと思うんです。


テキスト ボックス: く、そうすると、ならば住居とは何なのかということを考えてみたんです。その時にいろいろ考えていたのは、ギリシャ時代、4元素という言い方をしますし、中国で5大と言います。いずれにしても土と空気と火と水、これが4つですね。中国の場合は木が入って5大なんですね。ギリシャの場合はこれが4元素です。ですから、ここの場合4回だったので、木は抜いて、普通なら土と火と水と空気でいくはずだったんですけれども、どうも土というのがナショナルさんのイメージに合わないということらしいので、このぐらいは妥協せんといかんなと思って、やっばり音にしたんですね。そうするとナショナルがばっと浮かんでくるだろうと思って、そうしたんですが、その程度ぐらいはしないと、やっぱり悪いのかなと、僕はそのあたり人がいいものですから、ついそこで乗っちゃってそうしたんです。結局土を抜いたんですね。だけれどもやっばり住居というのか、住宅でもいいんですけれども、人が住む場所というのは、土と一番関連していますから。要するに住宅も建築ですから、建築は土と関連している。水上の建築ももちろんありますけれども、ほとんど地上にあるわけですよね。ですから、土と一番深く関連しているんです。ただ一番深く関連しているということは、逆に言えば当たり前ということも言えますので、土を抜いたのです。風と火と水、プラス音と、こういうふうにしたんですね。

具体的にいうなれば、住居における風、住居における水、住居における火、とい

うものは何なのかと、こういう話になるわけですけれども、これは僕が今言ってもしょうがありませんので、これから4回、女性の建築家の人たちに、各4つのテーマでもって、順次展示ないし、こういうフォーラムを開くことになっていますので、そこで語られると思います。

ですから、私はともかく何をもって、そういうことを考えたかということだけをここで最初お話させてもらいます。僕自身は土が抜けていましたので、総合展示せよということだったので、じゃ僕は自分自身は土をテーマにした展示をしてみようと、こういうふうにしたんです。

僕はどうも住居を考える時には、ちょっと唐突なことを言って悪いんですけれどもも、お墓を考えるんですね。住居、住宅というのは生きて日常生活する場所です


テキスト ボックス: ヽ.よね。だけれども日常生活する場所だけを考えていれば、何にもイメージもわいてこないんで、対比して、あの世というか、彼岸というのか、死者の空間、お墓を考える。ただその場合のお墓が決して日本の我々が現在見ているようなお墓じゃありません。なにせ僕は、ひよっとしたら知っている人がいるかも知れませんけれども、ピラミッド研究者なんです。ピラミッドもピラミッドパワーの研究をしています。そのピラミッドパワーの研究というのは、決してお墓の研究じゃございませんけれども、ただあれは巨大な墓でしょう。ああいう巨大な墓が、要するに墓だけの機能を担っているんじゃなくて、何か違った、不思議なわけの分からない、ひどく宇宙的というのか、神がかったというべきか、何かそういう極めて宇宙的な意味を担っているわけですね。これはエジプトのピラミッドだけじゃなくて、中国の例えば巨大な墳墓、そういうものも担っているはずです。あの墓の地下には兵馬桶で大変有名になりましたけれども、秦の始皇帝陵の周辺にもいろんなものが埋まってますよね。それほど壮麗な死者の宮殿をつくっているわけですね。

もちろんピラミッドも周りは神殿で囲んでいますから、そうなっているわけですけれども、そういう死者の宮殿に対して生者の、生きている人間の住居、住宅というふうにまず考えてみれば、風であるとか、火であるとか、水というものは墓陵というか墓には普通使わないですね。もちろん水を張ったりなんかしますが、するけれども動く水というのか、水は動く必要ないんですね。だって流れがあるんじゃないかと言われたら、そういう意味じゃなくて、要は住んでいると煮炊きなんかするでしょう。だから水をいつも使っていますよね。それから火も使う。風は通り抜けていかないかんということで4元素が常に動いているんですね。それで土だけが動かないと。土が動いたら地震みたいなものですから倒れてしまいますから、土は動きませんけれども、土の中に潜り込むということはございますよね。そういうことで、古代のギリシャの人たちが言った4元素というのかな、それと深く関わっていると。ただし多分それに対しての彼岸の住居というか、死者の住居である墓陵は、そういう動く水、動く火、風、いわゆる動く空気ですね。そういうものとは直接関わっていないと。全く関係ないというわけじゃありませんけれども、イメージとしては常にそういう4元素が動いているものと深く関わるのが住居であって、それが


 

 

 

動かずに固定しているというのか、凝固しているというのか、そういうふうなものが死者の住まいだろうとだろうと思うのです。

ですから、死者の住まいと、生きた人間の住まいの両方を考えない限り住居は解けないと、こういうふうに僕は思うのです。大きく言うとそういうふうに考えます。あと細かいことをまたお話していけばいいと思うので、とりあえず僕はそう思うということですね。

布野  墓とかピラミッドとか出てきますと、すぐ小松さんに話を聞きたいのですが、ちょっとだけコメントしますと、インド思想ですと、地、水、火、風、空と、本当はもう1つあるんです。6大です。もう1つは識なんです。その辺を渡辺さん言わないのが憎いところですが、識の部分は小松先生にカバーしていただくということで、建築界でそういうことを言うのは、ご存知のように僕が知る限り3人いらっしゃいます。地、水、火、風というふうに、要するに根源的なそういう要素、元素みたいなものから建築を考えようという。 1人は毛綱毅曝さんで、 1人は六角鬼丈さんで、 1人は渡辺さんです。その3人は僕がちょっと建築評論的なことを言いますと、非常にタイプが違っていまして、毛綱毅曝さんのアプローチは、ある種のコスモロジーと言いますか、コスモロジーの投影物としての建築。ですから、非常に図式化して分かりやすいと言えば分かりやすいアプローチですね。六角さんの場合、もちろんそういうシンボリックな表現として地、水、火、風を考えたりするわけですが、つい最近できた東京武道館なんか、この間オープン前に見せていただいたのですけれども、彼の場合は非常に直歓的なんですね。あんまり知られてないかも知れませんけれども、六角さんの場合は実際に火を使うという。要するに広場なんかでも使えないのがおかしいという、そういう直戟的な火であり、水であるというようなことがあるんですね。

一番分からないのは渡辺さんでして、今の話でも、これから小松さんに突っ込んでいただきたいのですが、冒頭に言われました今回は一応役割としては土を、渡辺さんが責任とって問題にするということで、土に入る前に今の渡辺さんの住居の定義と言いますか、住居とはなんぞやという話を少し小松さんに文化人類学、民俗学的な視野においてちょっと補足というか、だめとか、どうも住居というのはどうい


 

うものかというのを考えていきますと、非常に素朴な自然主義的な定義、雨露をしのぐシェルターであるとかいうぐらいしかなくて、じゃシェルターが必要なのかというと、いや寝る場所、臥所でいいんだとか、それから渡辺さんが言ったのは、とにかく人間が住む空間が住居なんだというような言い方ですが、その辺をちょっと最初にお話いただけませんでしょうか。

小松今、布野さんから3人のちょっと変わった建築家というのですか、六角さんと、毛綱さんと、渡辺さんの名前が挙がりまして、私は六角さんとはお付き合いないんですが、渡辺さんと、毛綱さんとはだいぶ前からお付き合いをさせていただきまして、あれやこれや建物を考えるに当たって、どんなところから材料を得てくるのか、その辺で楽しいお付き合いを、だいぶやってまいりました。

そこで僕はいくつか、私の研究にとって役に立つようなことを教えてもらったのですが、その1つが今日、住居の根源というような言葉で示されているんだろうというふうに考えます。その住居の根源というのを、どういうふうに考えるのかということなんですが、私自身は2つの軸があるだろうというふうに思っております。それは考古というのでしょか、RKというのでしょうか、時間的に古いものへ遡っていくことによって、見えてくる住居というようなものがあると思います。

もう1つは現在ある住居をどんどん剥いでいって、いろんな付属品がくつついているわけですが、自分たちが今、住んでいる家から出てどこかで夜露をどうやってしのごうかというところに現れてくるような住居というようなものがあるんだろうと思います。それは時間を遡った時に現れてくる住居と共通する部分があるのかも知れないんですけれども、一応私たちが裸になった時と、私の先祖が裸から何か前を囲むという2つの軸があるんだろうと思います。

 

その住居を考える時に、一番大きな軸というのでしょうか、手堅いというのは空間を仕切ることによって、住居というのは発生してくるのではないかというふうに私は考えております。何もない原っばに、人間がふらふらと1人ないしは数人でやってきて、そこで生活を定着して始めると。あるいはしばらく住んで、また移動していくという時に、何もない空間なんですけれども、そこに何か印をつくっていくと。日本の場合にはおそらく柱だったんじゃないかというふうに考えておりま


す。これは大変象徴的なものでもあります。例えば日本の神というのは柱という言葉で表現するんですね。 1柱、2柱と。伊勢神宮とか、そういうようなところも柱が大変に象徴的な意味を持っております。それはおそらく住居、人間が何か物を、建築をつくる時に立てた棒があって、それがずっと現在でも、おそらくは大黒柱とかいうふうな言葉の中に記憶されて残っているんだろうというふうに思います。

その柱でも、これは垂直に立つわけでありますが、同時にその垂直の柱をまた仕切っていくということが、おそらく出てくる。これは分かりやすく言いますと、屋根をつくったり、あるいは天井をつくったり、床をつくったりするというような縦軸の間に空間の仕切りが出てくると。そこで空間の内部が人間の自由にできる空間と、その外側は人間の領域ではないというような、そのような認識が働いて、住居空間みたいなのがつくられていく。

同じように水平に部分に丸く輪をつくって、そして柱をいくつか立てて覆いをつくって、風を除けたり、雨を除けたり、あるいはよその動物なんかが侵入してこないように、いろいろな目的で境界をつくっていくと。その内側と外というような水平レベルでの仕切りというようなものもつくられていく。その中で人間の生活、家族と仮に呼んでおきますと、家族が生活していく時に住居ができていくんだろうと思うんですが、先程の渡辺さんの話の中で重要な指摘は、生きている人間だけが住居にいるんではないんだと。死者も住居の中にいるんだという考え方が指摘されたと思うんです。

これは渡辺さんの好みと言ったらいいんでしょうか、死者になりたいというんでしょうか、死者の夢みたいなもの、死者に同化することによって、生きている人たちの住んでいる空間を活性化させたいというような、生者だけじゃなくて死者を考えながら、生きている人たちの住居を考えるという提案のようにも感じられます。それはたどっていくと、洞窟のようなものが死者が住む場所であり、人間も住む場所であったというような洞窟のイメージにつながってくるんだと思います。今日、拝見させていただいた作品も、何か洞窟というものを非常に強く意識した作品であったのではないかと思います。

それから指摘されなかったわけですが、住宅というと、どうしても人間の住むイ


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メージになるんですが、住居と言いますと、神殿とか、あるいは寺のような、そういう聖なるもの、神格超越的な存在の住居というようなものも一方では想定できるんじゃないかというふうに思っております。

おそらくはこの3つの住居が相互にからまり合ったところに、住居の大きな枠組みというものが設定できるんじゃないかなと、今お話伺いながらちょっと感じたわけです。

布野  渡辺さん、住居根源論ということを聞きますと、住居が根源だという論というふうな面もあるんですね。例えば全部の住居の根源を考える論でもいいわけですし、住居が根源なんだというのも、どっちでも多分いいと思うんですけれども、今のお話で2つの軸で、要するにRKと言いますか、原型に遡ると。深化せよというのも多分そういうことも含んでいるんじゃないかと。要するに原型としての住居をずっと考えようというのと、それからもう1つは、その場合は非常にプリミティプな一遍剥ぎ落としたような、2番目に小松さんが言われたような、現在の住居からどんどん剥いでいくと、じゃ何が残るのか。多分そっちのほうがちょっとあとで小松さんに補足していただきたいのですが、予感としては、現在の住居から松下電器産業の設備機器を除くと何もなかったとかいうような、多分そういうことがあるから、根源を考えようというようなことじゃないかというふうに推測ができるわけですけれども、渡辺さんにもう一遍、資源とか本質とか、要するに住居と変わらないものと、変わるものとか、その辺でもう少しテーマを補足していただけますか。

渡辺 これは建築家ですから、実際に仕事しているのは設計の仕事しているわけですよ。その時にいつも考えるのは、これは仕事になってしまうと、さっきの言葉で言うと住宅になってしまうのですけれども、だけれども考える時に、とりあえず住宅と言いますと、住宅で何が絶対逃してはいかんのかということをいつも考えてしまうわけです。そうすると風呂なんかなくてもいいんです。これはなくても、銭湯というと全然日常的になってしまうのだけれども、なくてもいい。それと便所はなくていいのか、どうなのかなと、やっばり考えてしまうのですね。とりあえずこれはあるだろうと。それから台所の流しがあったほうがいいのか、なくてもいいのか、やっぱりあるのだろうなと思うのです。それだけじゃないのですね。次には、あと


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だだ広い部屋でいいのかと思うんだけれども、僕子供3人いるけれども、親戚や兄弟も来ますよね。来た時に僕の家、部屋たった1つしかないの。50坪ほどの家なんですけれども、部屋としては仕切れる部屋はたった1つなんです。布野さんも来て泊まられていますけれども。自分たち夫婦の寝る部屋だけは仕切ってますけれども、それ以外は仕切ってないんですね。だからといって、だだ広いわけじゃないんです。3層になったりしていますから。

布野広いです。

渡辺  広くはないけれども、その点で何を考えていたかと言いますと。もちろん他人の家も考えますけれども、どうも夫婦寝室かな。これだけは絶対要るだろうと。これは多分一番最初、大昔はなかったかも知れないけれども、雑魚寝していますから。遊牧民族なんかが使うパオとか、ああいうものは多分、パオも豪壮なものになると別ですけれども、ちょっとしたテントですと、多分雑魚寝だったはずだし、それからエスキモーは確か今でも雑魚寝ですよね。ということなんだけれども、どうも僕は近代的人間だから少しはプライバシーをと思うものだから、最小限、寝室が要るかと思うんですね。それは住宅です。ところが住居となると、僕は雑魚寝でも十分だという人いますから。世界には。だから結局、便所。便所が中にあるかどうかは別として、いずれにしても排泄する場所は、野原でするということもあるかも知れないけれどもも、要するに食事をつくる場所と、それから排泄する場所があれば、住居は成り立つと僕は思うんです。

布野  渡辺さん多分知っていると思うけれども、例えば亡くなられた白井晟ーさんという有名な建築家。彼の家には便所はなかったのですね。便所がない家は実際に戦後にだってあるわけですし、それからこれは小松さんに続けて聞きたいんですけど、その原型みたいなものと、それから世界中のバランキュラーな民家みたいなのを見ますと、共通にあるものは何かなと考え出すと、それが見つからないぐらい多様な、ものすごいバラエティーがありますよね。昨日、ある会で中国の漢民族のエリアと、それからアウタチャイナの境目を、25000キロにわたってサーベーしたという中国の人のスライドを3時間ぐらい見せてもらったんですが、中国だけ見てもものすごいバラエティーがある。実際の形態の多様性と。ですから、今の多


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分夫婦寝室はなんていうのは近代の産物なわけですから、欠くとこのできないものと、そういう地域的なバラエティー、あるいは民族的なバラエティーとか、その辺のことをちょっともし可能なら緒蓄を。

小松  いやいや。いくつかの建物があると。その中に住んでいる家族、あるいは親族も含めて大家族のようなものがあるとして、その中に、一体どういうようなことが行われているのかという項目をいろいろ設定していくと、寝るということがまず一番大きいですね。今、夫婦の部屋とかいうようなことがあって、その中で夫婦の性的な、あるいは生殖的な営みが行われるんだというふうに先程、渡辺さんおっしゃったですけれども、そういうところもあるんだけれども、別にそうじゃなくて野原に行って森の中でもいいという社会もありますよね。だからその中で最低限のその社会にとって、その集団が必要とするものを置いておく。収蔵しておく場所としてまず必要なんだというふうな形で出てくる場合もありますよね。

そんなのをいくつかの、子供を育てるための場所だとか、あるいは食事をする場所だとか、そういういろんな要素がその社会によって、組み合わせがだいぶばらっているんだろうと思うんです。

私が調査しているミクロネシアの場合には、柱を6本ぐらい立ててヤシの葉っばで屋根をふいて、その建物というのは基本的には夫婦の寝室なんですね。子供が産まれてくると、ある程度の子供もそこで一緒に生活するようになりますけれども、ワンルームで大変に限られたものしか生活に必要なものはございません。そういうのは寝室なんで、あとはほとんどその家の周りに炉があって、たくさんのペアの夫婦が集まってきて、そこで皆で料理して、そこで皆で食べて、そこで話をしたり、子供を育てているのは大体そういう場所です。あとはまた夜になった時、その小屋に入って寝ると。寝室という機能は住居のイメージから浮かんでこないのですね。あとは倉庫とか。それから先程言ったいろんな要素があるんだというのだけれども、おそらくインドネシアでは大分違うとか、アフリカでは違うとか。

布野僕が言ったのは、反論したくてということじゃなくて、渡辺さんにですね。今、住居根源論なんですけれども、その図式としては、かつて住居はそこで教育も行われる、生殖機能もある、あらゆるトータルな場であって、普通は近代を見ます


テキスト ボックス: ヽぐと、だんだんそういう点が倍加されていくというようなストーリーがあるかも知れないんですけれども、住居だけを考えると、そういう共通なものがなくなってしまうと。社会によっては。多分基本的な、人が生活していくためのいろんな機能というのは、僕が言いたいのは集落レベルでみれば、大体それがいろんなところにあるはずであって、だから住居だけ見ていると、そういう問題が抜けるじゃないだろうかという気がする。ついでに余計なことを言いますと、現在の日本の住居みたいなことも、あまりにも住居だけで、例えば周りのこと、いろんなことが欠けてくるというような気がするんです。だから渡辺さんは住居の本質はこうだと言いたいのか。

  確かに1つの集落で見れば、いろんなものが、例えば便所がなくったって、どこかに中心の便所あるかも知れないしね。もちろん厨房の流しなんかもそうでしょうけれども。そうなってくると、たった1つの家というか、要するに住居の根源というのは何なのかということを彼に言われていると思うのですけれども、僕はここら辺りになると、つい建築家にばっと入ってしまうんだな。やっばり設計する時、何を考えるかなと思うものだから。

僕が思ったのは、むしろ小松さんや、布野さんからすると、そんなのおかしいよと言われるようなことを実は考えているんで、たった1つの家が成り立つか、成り立たないかという問題は本当はありますけれども、だけれどもアダムとイブの家というのを考えるかな。そうすると、アダムとイプの家というと人間2人しかいませんから。あと子供はもうすぐできてきますけれども。だけれどもアダムとイブの家として考える時には、やっばり一応なんでもそろってないといかんわね。ですから、なんでもそろっていて、なおかつ最初の家というのは何なのかという意味で、その根源というふうに言ったつもりなわけ。

その時に、それならばその根源、最も始源的というのか、始めの家というのは何が必要だったのかと思うと、小松さん今、寝る場所じゃないかというのと、貯蔵庫じゃないかと言われているが、そう言われてみればそうかなと今思ったところなんです。

小松  1つの家を見続けているんじゃないかというのと、それから時代を遡っていく


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と、 1つの家じゃなくて、 1つの集落とか、あるいは1つの大きな地方で同じような建物があって、皆がシステムというのですか、集落が1つの全体を形成してその中の部分としての住居空間みたいなものがあるという考え方が一方にあるのでね。ところが現代はそういう集落というのか、システムとしてのある一定の地域、ある村に行った時に、その村では皆が協同して生活している。建物もよく似通っていると。それだけでも皆が仲良くやっていて、共同で集まる所もあると。そういうよなものが現代はどんどん解体させられてきているんですよね。

ですから、渡辺さんがおっしゃっているのは、1つの建物が全部取り込まなくてはいけなくなってしまう。便所も風呂も子供の遊び場も、なんでもかんでも取り込まなくてはいけない。そういう意味では非常に現代の家というのは重たくなっていて、私が先程、捨てられるものはということを言ったのは、その中でかつては持ってなかったものが、たくさんあって取り込んできたものなんだけれども、しかし捨てていく時、現代、一番何が最後に残ってしまうだろうかということを考えるわけです。

象徴的だなと思うことは、この1か月ほど前、 1週間ぐらい韓国を歩いて思ったんですね。韓国の南大門の広場を歩いておりまして、あすこは日本社会よりも福祉が行き届いてないという面もあるかも知れませんけれども、身体障害者が、日本の中世の障害者が土車で引かれていたように、車輪付き箱にいろいろ家財道具を乗せて、いざって歩いているんですね。その時にいろいろな道具、食器のたぐいとかいくつかあるんですが、その中に番真ん中に、これな多分ナショナル製品ではないと思うんです。韓国ですからね。ですけれども、大きな2バンドかダプルカセットになっているのか、そのようなミュージックテープをがんがん鳴らしながら、ラジカセのたぐいですが、それが道のど真ん中で移動するんですね。ということを考えた時に、我々ももしも路頭に迷った時に一番欲しいというものはああいうものかなと思ったんです。そういうことをちょっと考えてみたいなと思っているんです。

布野  これ僕小さな本に書いているんですけれども、いつも課題に僕と、毛綱さんと山本りけんと一緒に学生の演習をやっているんですね。必ず出す課題に、タイトルは「都市に寄生しよう」で「お前はとにかく親戚縁者もないし、金もないと、それ


テキスト ボックス: ·`でも自殺せずに生きていこうとすると。そうすると、それで都市に生きていくための最小限の装置を設計しなさい」と必ずやるんです。これは非常面白いのは「理想の住宅を設計しなさい」なんていうと、その辺の建て売り住宅とか、もうちょっといいのはメーカーの住宅が出てくるのが関の山ですけれどもね。一旦そうやって切ってしまうと、非常にいろんなのが出てくる。その中に、それこそリヤカーを引いていいろんな物を入れたタイプも出てくるのですよね。だから僕は試行実験として、そういう住居の本質は何かというのを考える時に、そういったのはいいと思っているんですけれども、じゃ実際に、例えば日本でまだ実現してないが、こういうこと言ってましたね。

この間アメリカの建築家が実際に、そういうモピールハウスを設計してニューヨークでやっているんですね。ニューヨークには数万人のモーピルスがいて、さすがはアメリカ的だなと思った。将来の住宅はあれです。皆リヤカー引いて、ばっと組み立てれば家になりますというのがあり得るかなと思ったりしたんです。考えてみれば余計なこと言いますけれども、日本の方丈庵なんていうのは正にそのイメージでしょう。組み立てて牛車2台ぐらいで運べばいいと。あれは非常に日本の無常感だとか道を求めて、方丈庵をつくったというんだけれども、あれはよくよく読んで見るとあの人は地震災害が怖くて、これで逃げまくろうという非常に合理的な人で、それが今のプレハブの原型だと言われるのは確かなんですね。ちょっと小松さんの話で思いたったんです。

渡辺  大阪だと、今でも車引いて、そこにちゃんと布団乗せて引いて歩く人いるじゃない。東京もいるかも知らんけれども、僕大阪しか知らんから。京都では見たことないんですけれども、あれ見ていて思うのは、ただ都市に寄生するとなると、やっばり車とか動くもので、町の中だと1つの所におれないから。僕はどうも都市というイメージがちょっと欠落するほうなんで、野山とか、ついそっちを思うんだね。そうすると僕は何にもなくなったらどうするのかなと思いますよ。僕は町にずっと住み続けようと思わないものだから、すぐに田舎へ帰ってしまおうと思うでしょう。田舎といっても自分の故郷じゃなくて、山野に隠れようかなと思う。山野に隠れるというとやっばり洞窟の中に入っていくんだろうなと思うんですよね。事実、


鐘乳洞とか、ああいうものの中に入っていって、そのうち飯も食えなくなったら死んじゃうなと。僕だったら町の中で荷車引いて歩くなんてというのは、とてもしんどいから。怠惰にできていますからね。何もしないで、あくらかいていて、そのうち死んでしまうという、そういう空間をイメージするね。仏さんの。インドなんかそうやって最後死ぬというのよくあるでしょう。ああいうこと考えるね。

布野 今の僕の話はインチキでして、要するに都市に寄生するなんてのは、都市のシステムを言わないと成り立たない話なんです。だからインチキはインチキなんですけれども。そういうことで言うと、渡辺さんがおっしゃった死者のための空間と言いますか、生者だけじゃなくて、そういう空間というのは歴史的にはネクロポリスとか、墓地なわけですけれども、そういうのがあるわけで、それは非常に僕は大事なことじゃないかと思うんです。要するにそういう境界が、これは小松さんがご専門ですけれども、この世とあの世とか、境界が非常に分からなくなってきているというのがありますから、死者の問題を考えると、そういう手がかりになるかなという。

番思いますのは今のリヤカー引いて歩くというようなイメージはあまりふくらまないんで、やっぱり僕は考える時には集落ですね。歴史的に形成する集落考える時に、さっき小松さんもちょっと言いかけられましたけれども、あれは大体同じ材料でできていて、ある民族とある地域というのは基本的には非常に単純ですけれども、システムを持っているんですね。しかも下手な住宅なんかのコンセプトより非常に面白い。例えば昨日も中国の山奥の例を見せていただいたのですけれども、僕は東南アジアを回っているんですけれども、例えばのルソン島の山の中には、家の中に家があるみたいな、小さな家ですけれども、そういう入れ子のコンセプトがあるとか、それからスマトラのバタック族のある部分では、基本的にはワンルーム空間だけで、上にブリッジが飛んでいるとか、下手な住宅作家は真っ青というような。それは非常に単純なコンセプトですけれども、原理として持っている。それから機能なんかですと、中に校倉で組んだ小さなキュウブがいくつかあって、それに大屋根がかかっているんですね。

それから皆さん多分ご存じですが、ハッカーの丸いやつとか四角いやつとか、そ


れを切り開いたやつ、斜面をうまく使ってとか、そういう基本的にバナキュラの住居のほうがわりと明解なコンセプトを持っているような気がしているんですけれども、その場合にじゃ、ある地域へ行くと同じ皆じゃないか、同じ材料で画ー的じゃないかというような、じゃ今の例えば我々が住む住宅の画ー的なところとどこが違うかといった時に、今の死者のスペースというか、それが非常に効いてくるんじゃないか。そういうのを必ず持っていて、やっばり仕切られているわけですね。小松さんが最初おっしゃったように、やっばり空間をちゃんと仕切るのが明解にあって、それがどうも今分からなくて、とにかく都市と住居の間が切れているようで、切れないと。全部都市に出ると。サービスは全部外にいくと。その辺の問題なんです。

小松 僕つい数年前に家を建てたのですけれどもね。その時、建築家というか、碁本は、うちの女房が勝手につくって、私は家を建てるのは書庫が欲しいから。書庫だけあればいいという考え方なんですけれども、一番痛切に感じたのは、自分の建物の周りがどんな家があるかとか、そういうこと一切考えないんですね。スケッチ書いてもらっても周りが全部消えているわけですね。それだけ見るとすごくきれいに見えるんだけれども、いざ建ってしまうと周りの中に埋れてしまうわけですね。

それで私自身の考えたのは、遠くに山が見える。それは僕自身が研究してきた日本の伝統的な死者の魂は山中にこもると。なんとなくそういうような場所を自分の家の窓からのぞき見られればいいなと思っていたんですね。周囲がいくつか引っ込んだんですが、買った途端にばっとその丘陵が大きな電鉄会社が住宅をつくり出してあっという間になくなってしまったんです。これは自分の家とか、周りとか、周りの自然界とかの中で人間は生活しているんで、そのネットワークというかシステムの中の自分の家なんだということを、現代は建物とか皆認めてくれないと。個としてばらばらにされている。現代人のこちらもばらばらにされているんだと。孤立して阻害されているんだと言われますが、それを建物も非常に象徴しているような気がいたしました。

布野 渡辺さんが一方で、そんなこと知らんと。要するにアダムとイブでもいいですが、すべてが入ったような根源として家のイメージと、それから僕が印象的なのは


«

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓みたいな住宅がありますね。標準住宅ナンバーワンとか言って、これがわっと建てばいいんだという。要するに今の話だと、非常にアンビバレンというようなことがあるのかも知れないけれども、どうですか、非常に簡潔的な完全自立型のちょっと言葉が全然根源的じゃないですけれども、そういうものとそれがずっとあればいいという。

渡辺  それは住宅を設計する時には、ほかに頼って、小松さんと同じですよ。ほかに頼って、考えないで、とにかく全部消えてしまうのですよ。消えていてそれだけしか考えない。ということは多分、僕は自分の故郷にもし帰っていて家つくるならば、やっばり考えると思うのね。ということは、まだたった人口8000人ぐらいの小さな町ですから。その町ならば顔は皆知っているし、あの親の親はこうだったとか全部知っているわけです。帰ったら今でも分かりますから。ところが今住んでいる所は奈良のど真ん中なんだけれども、奈良の昔住んでいた人たちは、僕が故郷に帰ったのと同じかも知れないけれども、僕にとっては、なくてもいい、もうほかは関係ないわけですね。住宅設計する時の頼みにくる人たちも、今までの僕の施主になっている人たちは、やっぱり地域にびたっとくつついている人は頼みにこないですね。建築家に頼みにくる人というのは、やっばり僕みたいにどこかから出てきてやっているか、それかたとえ大阪か奈良で産まれ育ったとしても、場所が変わったとかね。そういう人だろうと思うのです。

その時に、ならば家をどう考える時に考え始めますよね。そうすると全部切ってしまうと、やっばり根源は何なのかと考えるしか方法ないんですね。 1 0年ほど前墓のような家をやりましたよね。それも墓のような設計を考えますと、いろんな部屋をつくっても無理なんですよ。ひどくシンプルですから。セクトみたいなの考えましたからね。そうするとそれこそ夫婦寝室と、あとは何にもなしと風呂はなかったと思うな。便所と小さな台所と、部屋は結構大きくて40坪ぐらいありましたから。あとはだだ広い部屋になってしまうのですね。それは何に使っているか、勝手にお使いなさいという設計だったんです。僕の建物というのは大体そういうことを考えるのです。

その時に、これが現代というのかな、これだけこういうものが皆ばらばらにされ


 

 

て、町に出て行っても銭湯もないとかね。そういう時代でしょう。そういう時代で、ばらばらにされているのがいいか悪いかは別にして、その中で住宅の設計とかやっていますと、逆にアダムとイブの時代にイメージとして戻って考えるということになってしまうのですね。

布野 それは非常によく分かる。ただ僕は、例えば今の住宅というのが、先程のお話のように、山がわっとすぐなくなって、ばっと建ったとかありますね。それから積水ハイムみたいに、ばっと空を飛んできたとかありますね。要するに工業化住宅みたいなものとか、今、商品になってしまったのに対して、標準住宅ってわざと言っているわけでしょう。この標準住宅は絶対に商品化されないぞというのは、言ってみればアイロニーだろうな。本気だったら。僕はそういうふうに見ていますね。絶対にそういう商品化できない住宅を考えれば、それは頭の上だけですよ。商品のプロセス逃れるわけじゃないけれども、ストーリーとしてそれはあるかなと思う。

渡辺 標準住宅と言ったんだから、確かにアイロニー、それは半分ぐらいはアイロニカルな意思だったんだけれども、あと半分ぐらいは、現代の家として、ほとんど住めないというか、住みにくいというか、そういうものが無数に建っていったら、非常に面白いんじゃないかと思ったわけ。皆住みにくくて家の中じゃ皆かぜひくとかね。頭痛になるとか、明日死んでしまいたいとか、全部がそういう気違いのような都市になったら、これはなんとも言えない面白いと思ったわけ。それで標準住宅  0  0  1なんか言って、結局lつしかできなくて。結局0  0  1しかないわけよ。延々

0 0 1のまま。

小松 そうすると、究極には人が住んではいけない住居というのがあるんだね。きっと。

渡辺 まあ多分ね。

小松  それから標準住宅ということで、誰でも入ってくれますよと。

渡辺さんとか、もずなさんとか、あの辺の人たちがやっているのは、そういうぎりぎりのところで住むのも、もしも入ったら住みにくいだろうなというような家だけれども、しかし住んでみると違う。死者の棺桶に入っているようなイメージになってみたり、あるいは神になったりというのも1つの建物の中でなんとか実現し


ようという。

布野  渡辺さん作品の話なんで、ちょっとスライドの準備をしていただけますか。多分ご存じの方多いと思いますけれども。見て、ちょっと後半は土の話をすればいいかなと思います。

渡辺さんはちょっと変なところがありまして、冒頭にも、ドローイングは俺が最初だけれども、高松が有名になったのでやめたとか、建築というのは俺が最初やってやめたとか。今の墓の家というのは多分スライドはないでしょう。多分ないと思います。僕が記憶している範囲だと、いわゆる建築側の建て売り住宅とか、そういうのを初めてやったのは渡辺さんなんですね。多分こういうメーカー主催のシンポジウムとかフォーラムに出てくるのを今でも抵抗持ってらっしゃる先生もたくさんいます。

もう20年近く前かも知れないんですけれども、初めて建て売り住宅をやって、コマーシャルがどこが悪いんだって言ったんですよ。それからそれもやめて。単純に仕事がこなくなっただけのことだと思いますけれども、今みたいな標準住宅を言うとか、ちょっとそういうへそ曲がりというか、そういうところがあるんですね。ですけれども今や、みんなそういうメーカーの下請的にデザイナーが刈り立てら

れると、そういう状況になっているわけです。ちょっと言い過ぎましたかね。じゃスライドをお願いします。


1•

 

 

 

〇渡辺 (スライド

4つの住宅の模型を展示していますけれども、それがすべて建ったものです。これは模型ですけれども、さっき、家の中に家があると一ー入れこと布野さん言いましたけれども、その入れこの家で、家の中のこういう大きな洞門の中に茶室を入れているんですね。これは寝室でもいいんですけれども、これが僕の処女作です。処女作といっても、もちろん設計事務所で9年間修業しましたので、いろんなことをしましたけれども、独立して初めてやった仕事がこれです。

(スライド)

これが実際の建築のドローイングーまだこの段階では素朴だったんですけれども、これを1回かいてから、ほとんど現在だれでもやっているドローイングにすぐなっていったんですね。僕は、これは違いますけれども、エッチングを使ってやったんですよね。今でもエッチングを使う人はちょっといないと思います。

(スライド)

これは 」いう名前です。こういう1つの形と、すぱっと 2つに割った形ですけれども、これは地下に入っていかないと、玄関は、とにかく地上から入れないんです。一遍地下におりていくん

です。それが実は土なんです。必ず土の中に入っていくとか、潜っていくとか、母の子宮というべきか、要するに、洞窟の中に包まれている。必ずそういうことを考えちゃう。だから、僕の場合、いつも土ということを直接頭に浮かべてやったということは余りないけれども、普通地上にひょいと建てるのを必ず潜らしたり、奥に引っ込めてみたりということを今でもやっています。

〇布野  ちょうちん持ちをするわけじゃないけれども、半球なんて


 

 

いうのは早いですね。形態の話ですと、根源型というか、根源的な形態みたいにしてあるわけですけれども、例えば、プラトン立体とか・.

〇渡辺 フ゜ラトン立体とは思わなかったけれども、これをやったときには、天球を摸写しているというのか、実際穴がぼこっとあいていたりして、これが月で、ここが太陽だとかね。そういうことは思ってやりましたけれども、これはもう一つすばんと割っちゃったから。割ったのがモダンですけどね。

(スライド)

これは診療所の部分セす。

(スライド)

これは住宅の部分で、このころは住宅とは余り考えていなくて、 住居だと考えて設計していますけれども、こういう天球をつくって、小さな穴は惑星みたいなものですよね。真ん中が太陽、一番下が我 々の住んでいる地球で、これが茶室になっていると。このイメージガ延々と続いて、最後の住宅に、「神殿住居地球庵」という名前をつけた。地球庵というのはここから始まるんです。

(スライド)

これが今言った地球庵の外部です。

(スライド)

この建物は、9メートルのがけの上に建っているわけですけれど  も、最初、敷地見たときに、ちょっと不可能な感じがするんですね。地盤がごつごつ出ているし、敷地はそんなに大きいわけじゃなくて、 150坪ぐらいです。平地で150坪というと、大きく見えますけれども、山の岩場で150坪というと、ほんと小さいです。それに家をはめ込んだという感じです。まさにこれも土を意識しているんですね。


(スライド)

なるべく岩のように見せようと思って、これは地下から写真を撮っていますので、そう見えませんけれども、遠くから見たら、岩の上に岩が乗っかったというようなことを考えながら設計したものです。

(スライド)

ドームも延々とやり続けていますけれども、ドームを考えるときには、常に天球の模型だと考えてつくっています。

(スライド)

僕は、真ん中があいてないと気持ちが悪いの。真ん中があいていて、常にそれが太陽だと思いたいわけ。太陽の下に地球がある。だから、僕の建物は、公共建築でも何でも、必ずこういうドームが出てきますけれども、ドームの下には必ず地球がある。だから、各部屋地球というよりか惑星というのかな、そういうふうな意識があって、それが僕のコスモロジ一意識だということになるんですけれども、今、布野さんに言われたように、  さんのように図式的にはやりませんし、  さんのように直接火を使うということもしません。こういう形でちょいと抽象化しちゃうというのが僕のやりロなのかなという気がします。

(スライド)

これは地球庵ですけれども、これは、家の中に家があるというよりも、洞窟の中に洞窟があるというイメージがあって、さっき言った、天球の下に地球があるというのを典型的にやったものです。

(スライド)

これが地球庵の内部です。振り返ってみると、向こうにちょっと黒く見えているのが向こう側の風景です。僕は、家の中でも風景な


. -.-

 

 

んて考えちゃうから、家の中の風景が見えるということですね。ただし、その風景でも、自然のような風景じゃなくて、もっと根源的イメージというのかな、作家なんで、こうなると言葉にしにくいんだけれども、根源的なイメージのようなものを抱いていて、要するに、死の風景なんだな。死んだら向こうへ行っちゃうというのか、そういうふうなイメージで考えちゃうんだね。だから、一遍おふくろの胎内に人ってきて、ひょいと振り返ったら、もう死の空間が見えちゃう。そういうことをいつも考えるんですね。

(スライド)

これは僕の家をモデルにした部屋ですけれども、僕の家はヒューッと長くて、これより僕の家の方がもっと洞窟的で、こんなに明るくなくて、暗いですけれども、それをここで転用しているんです。

(スライド)

これは、遺跡住居と呼んでいます。要は廃墟のイメージでやりたかったんで。僕はどうも土と廃墟と2つしかやってないんじゃないかという感じがいつもある。

(スライド)

この家の原型が、さっき布野さんが言った標準住宅001といって、本当に石塔のような家なんですね。それをずっと拡大したのがこの   家です。

(スライド)

ですから、この家も、個室はたった1つしかありません。夫婦寝室だけが個室で、あとはだだっ広い、ボーッとした部屋です。

(スライド)

テキスト ボックス: ぶ,テキスト ボックス: } )テキスト ボックス: ―柱が天井からぶら下がっている。途中からないんですよね。いうふうにボーッとして何もない家です。


ヽ・

 

`

 

(スライド

坪は100坪あります。 100坪超えていたかな。それで部屋はたっ1つしかないんです。そういう変な家ですけれども、施主は大変喜んでいます。画家だからやらせてくれたのか……

(スライド

次も画家の家です。これが番ふざけた家ですけれども、「おっぱいハウス」なんて名前をつけたら、布野さんに怒られて、言わなくたってわかるんじゃないと言われた建物です。

(スライド

これは、まくらなんです。ちゃんと物語があるんです。そこの画家の奥さんが非常にかわいい奥さんで、とってあげたいぐらいの奥さんだったんだけど、それがおっばいが物すごく張ってる人なんですね。だんなはひょろっとして1参めなわけ。だから、奥さんを象徴

した家をつくろうと思って、これは、奥さんが寝るまくらなんです。

あれは片ぺっこのおっぱいなんですけれども、多分あの奥さんは、両方シンメトリーじゃないおっばいのような気がしたから、こうなってる。

(スライド

これはほんとに相当ふざけてつくったんです。

(スライド

その画家がこういう……へたくそでしょう。これだったら、僕の方がよっぼどうまいと。僕も芸大の先生やっていますから、うまいとは言えませんけれども、へたじゃないです。このぐらいの絵は、僕でも、昼寝してもかけるわと思っちゃったんですね。

(スライド

これが完全に子宮のイメージで考えた部屋なんです。


‘‘

...,      

 

(スライド)

子宮から、へその緒というのかな、ちょっと上がっていくんです。

(スライド)

よくよく見たら、随分向こうの方に球の裏が見えているというのか、ドームの裏が見えているわけですね。そういうこともよくやっています。ここは、何でもない物入れのようなところなんですね。物人れのようなところからすかして見る。これも意識してやっていますけれども、何もその部屋が物入れだから、使わないから見せるなんて、そんな姑息なことを考えたんじゃなくて、初めから物入れのようなところをつくて、もちろん物入れには使わせませんけれども、それで見せると。

人の目ばかり意識する建築設計屋さんが多いんですけれども、そうすると、見えのいいところだけかっこよくやるんだな。僕、それ嫌いなのよ。とにかく全然通り過ぎちゃってわかんないけれども、ひょいと発見しちゃったということが好きなわけね。最近、スリットをとって、斜めに光がシャーッと入ってきて、パーッと写真写る家、そういうばかげた家をつくっている建築の大家が出てきましたけれども、そういうのを見ていると、ムカーッとむかついてくるんだよね。ここが見せるところですという家でしょう。僕、そういうの嫌なんだ。

(スライド)

だから、ほとんど見過ごしちゃうけれども、ひょいと行ったらあったという、そういうのか好きなんだな。

(スライド)

これもそうなんです。

(スライド)


 

』、9

 

 

この家も、道より3メートルほど高い敷地で、そこにはめ込んでいるんです。それも土を随分意識してやっています。

この4つの建物だけじゃなくて、すべてが土というのかな。よく

よく考えてみると、いつも土を考えているというのか、そんな気がしますね。

〇布野  さっき控え室で、小松さんが渡辺さんなんか絶対頼むかな   んておっしゃっていましたけど、もう家を建てられたということで、 2軒目というと、ベストセラーをもう2冊ぐらい出さないとだめかもしれませんが、ごらんになって、どうですか。

〇小松 作品として見ているのは非常に楽しいですね。こんなに大胆に楽しみながらできる。そういう意味では、こうやって話をしていることが作品化できるというのは、非常にすばらしいことで、具体的に見ていますね。ただ、やっぱり考え込みますね。(笑い)

恐らく僕の抱えている本がどこにも入れてもらえないんじゃないか。それから、前に本を積み出したら、先ほども物を絶対つくらせないからとかいうのを見て・…••そこに人が入ってないでしょう。〇渡辺うん。

〇小松 だから、人がいないという前提でつくっている。〇渡辺うん、そう。

〇小松  家族が人っちゃいけないとかね。

〇渡辺 いや、それは入ってもいいんですけどね。入っても、だれも住まないとか……

〇小松 どうですか、施主の方は。

〇渡辺 ところが、みんな喜んでるのが不思議なんだね。建築の仲間たちからも、渡辺の家なんてのは、ほんと住みにくいから、評判悪いんじゃないとよく言われるんですけど、逆なんです。初めから


 

 

`

 

そうでした。1 ½のときから。それは自分でも不思議。だから、僕 は、口輻ったいけれども、根源は何なのかなんていつも考えてつくりますけれども、案外そういうことが住む人にわかるんじゃないのかなという気もしますね。設計図なんか途中で見せたことないから。

「はい」と言って、後に建っているというあれですから。(笑い)それでも一回も文旬言われたことないですよ。ほんとは、適当に施主と酒飲んで、そこでコミュニケーションしてるからということなんですけどね。

〇小松  いろいろなことを機能的に考えて建てていくと、建てたと   きは非常にいいんですけれども、住んでいて、おもしろみがなくなるんですね。ですから、もしもう一圃建てるようなチャンスが与えられれば、今度は極端なものにしてみたいなという気はありますね。〇渡辺  最初の建物を見て頼んでくる人って、いないんです。必ず 2圃目か3回目、全部そうですね。今のなんかでも、すべてそう。初めて建てたという人は、僕の施主で1人しかいませんね。

〇布野 これは僕が言っているんじゃないですけど、渡辺さんの建 物はデイテールがないと言われるんですよ。それで、実際見ますと、僕なんか建築デザインについては素人ですけれども、僕が見ても、これはひどいというようなおさまりとか、おさまりなんか考えない、わざとやっているというわけです。ほんとにわざとやっている風があるんです。もともと      という大変な、そういうことにはうるさい事務所におられて修業されていますから、多分うそじゃないだろうと最近は信ずるようにしていますが。そうすると、住み手が日々覚醒されるんです。さっきの柱なんかは仕掛けですけど、途中でぶっ切れたり、非常に異様なものをわざと仕掛けると、そういうと

ころがあるんです              


?

 

 

 

僕も、先ほどから何遍か出ていましたけど、寝させてもらったことがあるんですが、おっしゃるように客間なんかあるわけないですから、寝そべって、なかなか気持ちよかったですけど。

そろそろ土の方へ行きたいと思いますけれども、どういうふうに 話が広がるかわかりませんが、土というと、土の文化圏というのがかなりあるわけです。要するに、日干しれんがでやる地域、乾燥地域は大体みんなそうですし、もちろん木材は要るわけですけれども、中国なんかは、どこかの大臣が中国人はまだ洞穴に住んでいるやっがいるから文化程度が低いなんてばかなことを言った、黄河流岐に 4,000人ぐらいが土を掘ったり、カチン式にしたり、山のあれを

したりとか、そういうヤオトンの住居もありますし、有名なカッパ

ドキアの洞窟や、インディアンの住居だって大体土の系とかいって、そういう話も圧倒的な世界としてあるわけです。

ただ、日本の場合、土というものがないんじゃないかという気が するんですが、そういう話でいいのか。渡辺さんの場合、今回のフ゜ロジェクトは、土から地下世界とか迷宮世界とかいうのがテーマになっていると思うんですけど、その辺で、土というのをどういうふうに考えるかというのをもう少し……

〇渡辺  今、布野さんがまさに指摘したように、H干しれんがの世界、僕はメソポタミアには行ってませんけれども、そういうところへちょこちょこ行ってますよね。8干しレンガの家を見ていると、あれが11つですと、四角い家で、真ん中に中庭があるんです。ところが、それが100軒、 200軒、 300軒つながりますから、つながっていくと、どこが道で、どこが家なのか。しかも、屋上が道になっていますから、上を歩きますよね。そういう集落が乾燥地域は幾らでもありますけれども、そういうところを歩いてみて、迷路っ


     `

 

て、ここから出たなといつも思うんです。

あれは多分無作為というのか、きちんと計画しないで、1つつくったら、その家の壁を利用して隣をつくるでしょう。だから、四方   あるとしたら、1つできたら4つできちゃうんです。4つできると、今度はその倍と、何乗にも倍加されて、ばあっとふえていく、こういう感じなんです。そうなると、そんなに秩序づけてふえませんから、ほとんど無作為にふえていく。それが結果的には迷路になるんじゃないかということが1つと、もう1つは、そんなプラグマティックにできているんじゃなくて、僕は、初めから迷路をつくろうと思ってつくっていると思うんです。

土の中に入っていくというのは、子供返りするというのか、要するにおふくろの胎内に入っていくようなものでしょう。外へ出てくると、明るい世界でしょう。誕生の前の世界というのは、覚えていないけれども、多分明るくないし、ぼおっとしたような、何かわけのわからない、言ってみれば迷路的な世界だと思うんですよ。布野さんが言われたように、防空壕みたいにわざわざ土を掘って、そういうところに住んでいる人はいっぱいいます。それは大変居住性がいいんですけれども、わざわざ掘って入るというのは、僕は、子供返りすることだという気がするんです。

それに比べて日本の建築は、甚本は高床ですから、土に密着するんじゃなくて、土からなるべく離れたい。東南アジアはみんなそうですけれども、高床の住居というのは、土からなるべく離れてしまいたい。土離れというのかな、そういう住居だと思うんですね。土の住居というのは、むしろ土にべったりくっついて、なるべく子供返りしたいというのか、ほとんど夢うつつの世界に入っていきたいという人たちが住む住居なんです。日本のような高床の場合は、な


るべく土から離れて、抽象的に生きたいと言ったらいいのか、東南アジアは必ずしもそう言えないけれども、日干しレンガの家とか集落に比べたら、そういう気はするんですよね。

〇布野 今の迷路の話は、多分イスラム圏の都市の話だと思うんですけれども、イスラム都市の特徴は何かなんて、今、あるプロジェクトの末端の方にぶら下がって聞いている話をしますと、僕らが建築的に見ると、ああいう迷路的なコートハウスがわっとあるのが、その特徴のように見えるんですが、実を言うと、あれはイスラム法というのが相当効いているんです。要するに、男性と女性をどうするか、奥へ行くと、女性しか入れないふうになっている。それで大体クルドサックで袋小路になっているんですが、全体のプランとかは全く決まってないんだけど、デイテールが事細かく、コーランとか、イスラムの慣習法で決まっている。ラクダが通るためにはこのぐらいの高さだとか、道の幅はこうだとか、奥へ行くとこうだと。多分経験的な生活の知恵とか、長年の慣習というものもあって、ああいうあれができるらしいですね。

それで小松さん、土とか、迷宮とか子宮とかでもいいんですけれども、その辺で何か思いつかれることを少しお話ししていただけますか。

〇小松 今渡辺さんが言ったように、日本の建築というのは、柱を立てて、そこで横に建屋を分けていく。床をつくる、床を直接土に触れないようにしていくところに一つの特徴があるというわけですが、日本の建築に即して言うと、土のイメージは、土蔵というんでしょうか、どうしても蔵のイメージになりますね。高床式も倉なんですけれども、あそこで保管していくのは、稲とかいうようなものだったと言われているんですけれども、土蔵の方はもっと暗いんで


.

 

す。重たいと言うんでしょうか。火を防ぐためのものであって、今、袋小路の話が出てきましたが、江戸なんかでも、よく建築史の人が 指摘しているように、商家は地下の蔵を抱え持っているとか、土のイメージというのは、やはり地下に結びついていくなあという気は しますね。

その土の蔵というのは、やはり母の胎内なのか、死者の世界なのか、そういう面が強く感じられますね。そこに渡辺さんなんかは引かれているんじゃないかな。

〇布野 土間の感覚というのは、多分農家かもしれないですけど、それはありますよね。1

〇小松ありますね。

床をつくるのとつけないのとで、物すごく感じが違いますよね。掘っ立て小屋に住むというのは、基本的には床がないというイメージがありますね。渡辺さんは今、土、土というイメージを言われたんだけど、日本の建築で床をどんなふうに……

0渡辺  これは僕自身の出身ともかかわるんですけれども、東北の

秋田の出身なので、お得意の縄文、弥生になっちゃうんだけど、生粋の縄文人だと自称しているわけですよ。多分そうだろうと思うんだけれども、僕の目から見ると、ほとんどの人の顔が弥生人の顔に見えるんですよね。僕だけが大変数少ない日本原住民の末裔なんだろうと思って、僕の先祖たちが優しくも弥生の人たちを入れてあげた。これは冗談ですけれども、縄文の竪穴住居を僕自身の建築の根本にしようと、まず最初に思っちゃったんですよね。やっばり作家ですから、何か根拠になるものがないと、物はつくれませんので。僕は、住宅作家というわけじゃありませんけれども、とにかく住宅をつくるときには、施主側が弥生の末裔であろうと何であろうと関


 

係ない、白人であってもいいと。とにかくすべて縄文風の竪穴住居に住んでもらうと。そうでない限りは人間として認めへんという態度で来たわけです。ですから、高床になっているというのは、別に嫌いじゃないけど、とにかく日本原住民の末裔としては認めないというふうに思っちゃったものですから。

蔵なんかは土のイメージと結びつきますけれども、住宅、住居で   は、高床が何といったって主流ですから、土から離れていくでしょう。だけど、僕がいつも不思議に思うのは、何で竪穴住居が突然全く違った高床になっちゃったのか、これは今でもわからないんです。あれがわかったら、日本の歴史をひもとくときに、竪穴住居から高床になった、そのジャンプの仕方、その経路がわかると、日本の歴史がよくわかるんじゃないかということが1つと、もう1つは、これは小松さんの分野なのでちょっと言いづらいんですけれども、縄文語というのは、南方祖語だと言われているんです。ですから、南方から来ただろうと。そのくせ、後の弥生の言葉は、韓国渡りのウラル・アルタイ語ですよね。

ところが、住居で言うと、竪穴住居というのは、寒いところのものなんです。高床は暖かいところのものでしょう。ですから、竪穴住居に住んだ人たちは、本当は北の言葉一ーーウラル・アルタイ語を使わなきゃいかぬわけですが、どうもそうじゃないと。高床住居を使っていた人たちは、南方の言葉を使わなきゃならぬのに、実はウラル・アルタイ語を使っていた。こういうことで、建築と言語が交錯しているんです。そこに僕は非常に輿味を持っていて、これは専門外なので、きょう言う話じゃありませんけれども、もし僕が小説家なんかを志してたら、そういうことを考えたでしょうね。

〇布野 なぜ竪穴が高床に変わったかという話で、ちょっと無質任


なことを言いますと、根源に関係あるんですけれども、登呂の遺跡で竪穴住居を復元したときに、天地根源の宮造りとか何とか言いながらやっちゃったんです。でも、必ずしも根拠がないんじゃないかというので、うちのオオタクニオ先生が竪穴も高床だった、実は高で床が張ってあって、それが延びて、という復元を出したんです。ある群馬県のを顆まれまして、大胆にもそういう逆の説明をつけると、今のところ、だれも何も言ってこない。逆に高床だったんだという説明で、そうすると、結構一貰性もあったりするんですけど、柱の穴があいているところだけを見てやっていますでしょう。そうすると、例えば、渡辺さんが嫌いな弥生に入ると、ほとんど遺跡が出てこない、相当程度校倉があったんじゃないかとか、その辺はいろいろおもしろい話があるんじゃないか。

ただ、東南アジアの場合は高床とおっしゃいますけれども、地床地床式のところが例外的にあるんです。1つは、ベトナム山問

部とかの地域で、これは中国の影響だろうということで解釈できる

んですけど、もう1つは、僕が割とフィールドをやっているジャワ島が地床式なんです。ところが、ボログドゥールとか、ああいうレリーフを見ますと、家は全部高床なんです。現在も、歴史的にも地床式になっている。なぜか。

そのときにいろいろな解釈があって、別に答えがあるわけじゃないんですけれども、1つは、ヒンズーの土の感覚、南インドからインドネシアに来ていますので、地べた感というか、そういう皮膚感覚、身体感覚がやっばり影響しているんだろうという説と、もうlつは、余りおもしろくないんですけど、ヒンズー社会の巾で高床をつくるのを禁止したというんです。

ですから、気候の問題で高床だとかいうよりも、むしろイデオロ


ギーというか、そういうふうに住みたいとかいうのが相当作用することもあるんじゃないかという気はしますけど。いいかげんなことを言ったかな。

〇小松 タイとか、東北部なんかの人たちは高床をしているわけで すけれども、それは家畜とか、動物たちと共同生活をしているわけですね。残飯とか、便のたぐいも含めて、全部下に落とせば、豚がいたり、鶏がいたりして、食べてくれている。清掃してくれている。単に人間の建物というふうににとどまらず、周辺部に家畜の類がいて、それとのすみ分けみたいなところからも、高床というのが要求

されてくるんじゃないかなと思うんですc

床が高くなることは、同時に社会階屈も規定されちゃうんです。ですから身分の高い人が床の上にいて、身分の低い人が下に住むとか、あるいは男性と女性の身分控みたいなものも反映しやすいということですね。

渡辺さんの地下へ地下へという発想と同時に、方では上へ上へという発想もあるだろうと思うんです。その上への志向が、ヨーロッパでは寺院なんかの塔の思想にもなってくるんだろうと思うんです。

〇渡辺 僕も縄文住居を復元しているんですよ。これは学問的にや ったわけじゃなくて、勝手にやってるんですけど、そのときに考えたのは、江戸時代から明治の初めころのカラフトのアイヌの冬の家のスケッチが残っていて、それを見てますと、完全に前方後円墳型の土まんじゅうなんです。こっちの方はやっばり方形で、切妻になっていて、そこが玄関で、奥の方は真ん丸い土まんじゅうなんです。構造はどうなっているかというと、四隅にちゃんと柱が立っていて、方形に小屋を組んでいるんです。その上に丸く土を盛っちゃってる


んです。だから、随分すごい重塁をもてたんだろうと思うんですけれども、現実にそういうスケッチが残っているんです。

前方後円墳というと、韓国の方から来たと思ってるでしょう。僕 は、そのことはどっちでもよくて、前方後円墳の形と縄文の住居は全く一緒だったと。形はほんとにそっくりです。前方後円墳の方は、玄 墓室をつくって死者を入れる。同じ形のものに生きた人間 が住んでいた。ですから、死んだ人間と生きている人間とが同じ形の空間に住んでいた、こういう時代が間違いなくあるんです。

僕は、はっきり言うと、高床が嫌いなんです。なぜ嫌いなのかというと、うんこしたりなんかして、下に豚がいるでしょう、ああいうのが僕は嫌いなの。なぜかというと、いかにもフ゜ラグマティックな感じがするんだな。いかにも生きている、生きていることが絶対いいことって、生きているのはいいことに違いないんですけど、生きていることに執着させる住居だという感じがするんです。死んだ人間と同じ場所にいることの方が、僕の場合はどうしてもびたっと合うんですよね。だから、生きた人間が地上に上がっちゃって、しかも空の上に住んでいて、くそは豚が食えというのは、幾ら何でも豚や牛をばかにし過ぎているんじゃないかと思いましてね。

そういう点では、土というのは、完全に子供ないし最初の祖霊に返るようなことですから、ということで土にこだわっているんですけどね。ただ、日本の普通の住居惑覚というか、住宅感覚とはちょっと違う感じはしますけどね。

〇小松 これは歴史に属することなんですが、建築儀礼になるんで しょうか、地鎖祭とか、全部でき上がったときの祝いとかのときに、陰陽道の流れをくんだ人たちが、所有していた家の柱を鐘めたり、完成した家を鐘めるときに唱える祭文というのがありまして、ダイ


ドッコの祭文と呼ばれている。土コウ神なんです。これは平安のころからそういう文字が出てくるんですが、たたり神的な性格が非常に強いものであったんです。そういう地の霊とか、土地の神を鎖めなければいけないということと、もう1つは、かまど神との結びつきにもなってまいります。

私が調べている四国なんかにも、そういうようなものが残ってい   るんですけれども、その祭文は、いわゆる五行ハイトウー一火、水、木、金、土のハイトウを描く物語なんですけれども、その根本にあるのは、この世をさまざまつくって、世界を全部分割していった末に、創生神みたいなものが死ぬわけです。死んで大地に埋まるわけなんですが、その死んで大地に埋まった神が土コウ神といって、土なんです。ですから、5元素をつくり出してくるもとになるものが土のイメージがあって、その土は大地のイメージがある。その創生神の上に世界がつくられていて、我々人間というのは、その上に生活しているんだ。それを耕して、また家を建てて、毎日生活を営んでいる。それはたたることもあると考えるわけなんですが、そういう話を聞いていると、5つの元素の中でも、土というのが母のイメージというんでしょうか、始まりのイメージに近いなという気はしますね。

だから、渡辺さんのイメージも、死のイメージを強調されたわけですけれども、ほんとは始原のイメージに戻っていこうという面が一方にあるんだろうと思うんですけれども、その辺はどうですか。きょうは、死者、死者、死者と強調し過ぎた感があって、暗くなったんですけど。

〇渡辺 僕は、死者とか、死ぬということを暗いと思わないんですよね。死人を見るのが好きといわけじゃないけれども、ちっちゃ


いときから、ほんとに死の状況が好きというのか、だから、暗いと思ったことないんですよね。僕は楽天的なのか、死んだら極楽へ行くというふうに思っているタイプだから。早く死にたいとは別に思いませんけれども……

僕は、たまに雑文を書きますけれども、雑文を書くときでも、必ず死者のイメージというか、それは夢でもあるから、確かに小松さんの言われているように、もとに戻る、始原ということのような気はしますけれども、建築で考えたときには、言葉の世界じゃないから、物に移さないといけませんので、そのときに、端的に墓陵か家かとか思っている方がつくりやすいということはあるんです。

ですから、建築のイメージの話をすると、母の胎内から出てくる ときに、へその緒をつけてくるでしょう。それはぐにゃぐにゃぐにゃと曲がってますよね。それが建築になったら何になるのかなとか思っちゃうんです。そうすると、廊下がうねうねうねっとしてたり、最後は迷路になるわけですけれども、そういうふうなイメージなんですね。母の胎内は洞窟で、うねうねっとやって、外へ出るでしょう。外へ出たときに、普通の風景というのか、家以外の外が広がっていくと、そんなふうに思っちゃうんですね。

〇布野 水を差すかもしれないんですけど、僕は、陰陽五行というのは、中国のものだという気が物すごくしていまして、今の土 神という話は非常におもしろかったんですけど、基本的には土の国だと思うんです。例えば、版築とか、そういう建築技術をずっとやったので、中国だと、非常にわかりやすいんですね。ただ、日本に来ると、そのイメージがちょっとないのと……

〇小松 それが民間に入って、今残っているのはかまど神であったり、柱なんです。家が建ったときに、一番大事なものは大黒柱のも


となんだとか、あるいはかまどなんだと、2つに分かれますね。そこが違うところじゃないだろうかという気がしますね。

〇布野 さっき言いそこねたんですけど、前方後円墳というのも、やっぱり中国じゃないかな。

〇渡辺  そういう言い方をすれば、そりゃ、そうだろうな。

〇布野 そうすると、縄文人とおっしゃるけど、渡辺さんはどうも中国思想というか、むしろそっちの方……

〇小松 縄文人じゃなくて中国人の思想。

〇渡辺 違うんだよな。一緒にしないでほしいな、あの人たちと。おれは誇り高き8本の原住民なんだから。(笑い)

〇布野 ただし、漢民族かどうか・…••〇渡辺顔が違うよ、あの人たちと。

〇布野  ほとんど冗談を言っていますけど……

これはこじつけ的だったかもしれないけど僕らも余り考えてなかったんですが、土ということがキーワードで、何となく土もおもしろそうだなという感じはするんですけど、今のプロジェクト

エドモン・ダンテスの巣窟という、これを少し絡めて説明していただけますか。あれは掘るイメージですか、建つイメージですか。 〇渡辺 あれは模型で見ていると、建つイメージでしょう。ところが、最初考えたのは地下宮殿なんですね。ところが、地下宮殿というのは、プロジェクトにならないわけ。実際地下を掘ってしまえばいいんですけれども、ああいうふうにフ゜t1ジェクトだけで完結させようと思うと、ほんとはあれに土がかぶっていると思ってくれたらいいんです。要するに、あれに巨大なドームがかぶっていると。そのドームの外が、岩であるし、絶海の孤島だったというストーリーなんですよ。だけど、表現としては建ってますよね。


〇小松 渡辺さんの建築というのは、実際に地面を掘らないという ところに一つ大きな特徴があるんですね。地下を目指すんだったら、地下を掘って、地上に住むな、地下に生活しなさいと言えばいいんだけれども、実はそうじゃなくて、その一方では天とか太陽とかを意識していて、先ほども作品を見ていたときには、むしろ今回の作品は天をすごく意識した天の建築というのか、そういうものを意識しているのが強く出ていたなという感じがするんですけど、布野さんはどう感じました。

〇布野僕も、むしろダンテの「神曲」で、地獄のイメージというのは、地下世界へずっと何層か行くというのがある。設計される方   は、ふだんそんなことは考えないでしょうけど、ちょっと考えると、全く発想が違うんです。掘っていくのと構築するというのは全く作業が違うんですよ。ですから、ヤオトンの住居なんか見ますと、あれは本当に不思議な、ネガボ、ジが反転していましてね。だから、そういう意味では、洞窟というか、地下の世界を考えるというのは非常におもしろいことだと。

ただ、こういう話をしてから渡辺さんがもう1戸つくるといった

ら、また別のことを考えるかもしれませんが、あの模型を見る範囲では非常に構築的だしむしろ反対の天を目指すというような印象が僕もしました。

〇渡辺  実際に土のことを考えるんですけれども、やっばり天地と

ペアで考えちゃいますね。確かに、僕は余り土を掘らないですよね。ちょいと掘る程度かな。土を掘ってみて、上を見ちゃう。横は見な いという感じだな。横はもういいんだ、囲っちゃえ、関係ないということでやりますから。天地ムキョウなんて書いてますよね。地を考えると、どうしても天を考えちゃうということがありますけどね。


,,

 

〇小松 でも、現実的には天と地を考えるよりも隣の人の方が非常に気になるわけです。

〇布野 そろそろ時問が参りました。毎圃そうですけれども、多分こういう話はまとめる必要はないんじゃないか。延々5回続きますので、同じことは言えないし、勉強してこないとネタが尽きるとやばいなと思いました。普通、こういう会ですと、私なんかそちらに座っていると、あのやろういいかげんなこと言いやがってと欲求不満がたまるんですけれども、きょうのところは、一応そういうことなしで、次圃以降はまた考えるということで、締めさせていただいていいでしょうか。

ったない話を長時間にわたって聞いていただきまして、どうもありがとうございました。 (拍手)



2026年8月13日木曜日

『群居』第3号 特集 『職人考ー住宅生産社会の変貌』 1983年10月29日

『群居』第3号 特集 『職人考ー住宅生産社会の変貌』 1983年10月29日
https://drive.google.com/file/d/1KFCpT-tAbd1nk9K13Ir5zKTcyIhQmKA-/view?usp=drive_link









 

2026年8月12日水曜日

2026年8月11日火曜日

カンポンハウジングプロジェクト,東南アジアの建築世界4,GLASS LIFE,セントラル硝子,199012

 カンポンハウジングプロジェクト,東南アジアの建築世界4GLASS  LIFE,セントラル硝子,199012



東南アジアの建築世界4

カンポン・ハウジング・プロジェクト                        

 

布野修司

 

●東南アジアの現代建築

 東南アジアの現代建築といっても、僕が東南アジアに通いだした70年代末には、そうみるべきものはなかったといっていい。中心業務地区にオフィスやホテルなど高層ビルがパラパラと建つのであるが、あとは粗末な民家が密集するのが、大都市の一般的光景であった。公共施設といっても、欧米のどこかに建っているものをつたなくまねしたようなそんな建築が目立つ程度であったように思う。

 しかし、この十年で、東南アジアの建築も独自の展開を始めたように見える。雑誌『MIMAR』をみているとつくづくそう思う。『MIMAR』というのは、「発展する建築」をサブタイトルとする、アジアを中心とした第三世界の新建築情報をしっかりした編集方針のもとに扱っている、シンガポール発行の建築雑誌である。編集長は、建築家、ハッサン・ウディン・カーン(                )である。僕の直接知っている建築家だと、ウイリアム・リム(           )が編集顧問に名を連ねている。

 もちろん、一方で目立つのは、欧米の建築家による作品だ。例えば、ジャカルタに    年に建ったダルマラ・サクティー(              )ビルは、P.ルドルフの設計である。なつかしい。しかし、一般的に言えば、地域の独自の表現を模索する作品が多いようにみえる。『MIMAR』の編集方針がそうだということもあるが、必ずしもそれだけではない。

  イスラム圏の建築を対象として、すぐれた建築を顕彰するアガ・ハーン(        )賞というのがある。その    年、    年、    年の授賞作品をみても、そうした広がりをみることができるのである。既存の建築の修復、再利用、保存、コンテクスチャリズム、ヴァナキュラリズム、ハウジングといった動向にも大きな光が当てられ、数多くの賞が与えられているのである。

 この間、東南アジアでそのアガ・ハーン賞の授賞作品は3件ある。また、表彰作品が2件ある。そのうち、いわゆる建築作品といえるのは、2件、タンジュング・ジャラ・ビーチ・ホテル(                         マレーシア)とサイード・ナウム・モスク(                 ジャカルタ)である。いずれも、伝統的な民家の形式を生かした作品である。そして、後の3件は、いずれも、コミュニティーによる居住環境改善のプロジェクトである。ここでは、そのカンポン・インプルーブメント・プログラム(                             )と呼ばれる居住環境改善のプロジェクト、そして、その延長としてのあるカンポン・ハウジング・プロジェクトを紹介しよう。

●カンポン・インプルーブメント・プログラム

 カンポン(       )とは、インドネシア(マレー)語でムラのことである。今日、行政単位の村を意味する言葉として用いられるのはデサ(    )であるが、もう少し一般的に使われるのがカンポンである。村というより、カタカナのムラの感じだ。カンポンと言えば、田舎、農村といったニュアンスがある。カンポンガン(         )とは田舎者のことである。しかし一方、都市の居住地も同じようにカンポンと呼ばれる。都市でも農村でも一般にカンポンと呼ばれる居住地の概念は、インドネシア(マレーシア)に固有のものである。

 ところが、しばしば、カンポンはスラムの同義語として用いられてきた。特に、西欧人は、カンポンをスラムと思ってきた。確かに、そのフィジカルな環境条件を見ると、都市のカンポンはスラムと呼ぶに相応しいようにみえる。生存のためにぎりぎりの条件にあるカンポンも多い。スクオット(不法占拠)することによってできあがったカンポンも少なくないのだ。

 そうしたカンポンで行われてきたのがカンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)である。KIP(キップ)とは、フィジカルな居住環境整備の手法として、住宅地のインフラストラクチュアである歩車道、上下水道、ゴミ処理設備等、最小限の基盤整備を行い、住宅の改善については、居住者およびコミュニティーの相互扶助の活動に委ねるというものである。この手法は、大きな成果を挙げ、同じように居住問題に悩む発展途上国を中心に、世界的にも注目されてきたのであった。

     年の第一回アガ・ハーン賞の選定にはひとりの日本の高名な建築家が審査員が加わっていた。KIPは、結果的には全員一致で選ばれるのだけれど、その建築家はひとりだけ反対したのだという。余程、インパクトが強かったのであろう、その建築家は、いくつかの場所でその時のことを繰り返し述べている。

 「スクオッターというのは、不法占拠地域という意味です。難民とか、職がなくて都会に出てきた人が、その土地が誰に属していようとおかまいなく集団で丘やら原っぱを占拠し、そこに勝手に家を建てることによってできた村や町をいいます。そこには初めは電気もなければ水道もない。それを徐々に改良していって、道もでき、汚い水を流す開渠もでき、水も電気も引いてきて、さらに全体のコミュニティーセンターになるような施設も造る。こうしてできた村の例をいくつか挙げて、これにも賞をやってほしいというわけですよ。建築賞という名前がついているんですから、ある程度の文化性がないと困るんじゃないかと私は主張したんです。」

 ここで語られているのが、カンポンであり、KIPである。カンポンやKIPには文化性がないというのである。しかし、その意義は受賞においても、また以下の脈絡においても、確認できる筈だ。

●ハウジング・プロジェクトの概要

 アセアン諸国に限らず、発展途上国の多くは深刻な居住問題に悩んでいるのであるが、各国共通の対応策を一般的に整理すれば、およそ以下のような施策を挙げることができる。

  A.ロー・コスト・ハウスの供給ー               

 B.スラム・クリアランスと再開発ー                             

  C.不良住宅地改善、居住環境整備ー                          

  D.宅地分譲(サイト・アンド・サービス)ー               

  E.再定住、移住ー                       

  F.農村住宅供給ー            

  G.住宅資金融資

 公的機関による直接的な住宅供給(A)は、大規模な計画住宅地の開発を中心として各国ともに大きなウエイトをもって行われてきており、住宅融資とともに、居住政策の大きな柱である。しかし、一つには、他の施策に比べてコストが高く、必ずしもロー・インカム・ハウジングとならないこと、また、公的供給による量をはるかに上まわる量が必要とされていること、さらに、殊に高層住宅や集合住宅が必ずしも居住者の生活になじまないことなどから行き詰まっている。国よって、状況は異なるのであるが、公共住宅は、一つのモデルとして、デモンストレーションの意味をもつにすぎないのが一般的である。

 スラム・クリアランスによる再開発(B)は、大規模な住宅地開発とともに試みられてきたのであるが、スラムの存在自体が発展途上国の政治的、経済的、社会的諸問題の集約的表現である状態において、居住者たちの抵抗を受け、むしろ圧礫を生み、矛盾を拡大する傾向にある。

  サイト・アンド・サービス・プロジェクト(D)は、最小限の施設整備(上下水道、道路、公共施設)を行った住宅供給するものであり、各国においてユニークな試みがなされている。住宅の建設は、セルフ・ヘルプを基本とし、資金、技術、材料の援助が行われる。最も一般的なのは、水回りとワン・ルーム程度のコア・ハウス(          )を供給し、増改築のその他を居住者の手に委ねる方法である。こうした手法は、住宅そのものの供給がコストがかかりすぎるという点と、人的資源の有効利用という視点から生み出されたといっていいのであるが、それ故、現実性をもって、かなり広範に行われつつある。サイト・アンド・プロジェクトは、リセツルメント・プロジェクト(E)において行われる場合が多い。

 そのリセツルメント・プロジェクトおよびイミグレーション(E)は、スクオッター・スラムの居住者を都市郊外や他地域(インドネシア、フィルピンでは他島)へ移住させる直接的な人口分散計画である。クリアランス型の再開発とリンクして行われる場合もある。リセツルメントは様々に試みられてきたのであるが、雇用対策が不十分であることが多く、就業機会を求めて都心へUターンする現象がみられ、必ずしも人口分散の実効があがっていないのが現状である。

 ルーラル・ハウジング(F)は、農村の生産基盤の整備充実によって向都移動を抑制すべく試みられている。その場合、地域産材を用い、その地域の伝統を考慮した住宅のあり方が模索されるのが一般的である。 以上のように、新規開発、再開発を問わず、直接的な住宅供給を行う政策に対して、オン・サイトで住環境整備を行おうとするのが、不良住宅地改善(C)である。これは、「スラム」の生活構造を大きく変えずに、都市公共サーヴィスと最大限のインフラストラクチャー(上下水道、歩道、ゴミ処理)の整備を行おうとするものであり、タイ(   )、フィリピン(   )などでも同じような手法によって行われつつある。インドネシアのKIPがその代表である。生存のためにぎりぎりを言ってもいい、劣悪な住環境を改善することは、緊急の課題であり、その根本的解決を将来に残すものと言えるのであるが、波及効果が大きく、投資効果は高い。また、ロー・コスト・ハウシングが土地問題などで行き詰まりをみせてくるにつれて、居住政策のウエイトは次第に、オン・サイトの住環境改善に移行しつつあるのである。

●カンポン・ハウジング・プロジェクト

 こうした中で、J.シラス(建築家、スラバヤ工科大学)を中心とする仲間たちは、ひとつの実験に手をつけ始めた。KIPの延長としてハウジングのプロジェクトを展開しようとするのである。それは、いってみれば、立体コアハウス・プロジェクトといえるようなプロジェクトである。都心部のカンポンは、既に建て詰まりつつあり、その再開発が具体的に問題となりつつある。KIPを一歩進め、あくまでオン・サイトでハウジングも行おうというパイロット・プロジェクトである。

 立体コアハウスというのは、トイレ、バス、キッチンを思い切って共同化した、3階建ての集合住宅だ。カンポンの雰囲気をできるだけ生かしながら、再開発しようというのである。各戸のバルコニーの庇に瓦が用いられている。もちろん、既往のカンポンに住んでいた人がそのまま住み続けるのが条件である。各階には共同の礼拝スペースが設けられている。トコ(店舗)やワルン(小店)はまとめられて一棟平屋でつくられている。集会所もそうである。

 住民たちには好評のようであるが、J.シラスたちは慎重である。こうした住居形態が根付いていくかどうか、じっくりモニター(追跡調査)しながら、進めていくのだという。

 

2026年8月10日月曜日

H.T.カールステン H.M. ポント,東南アジアの建築世界3,GLASS LIFE,セントラル硝子,199009

 H.T.カールステン  H.M. ポント,東南アジアの建築世界3GLASS  LIFE,セントラル硝子,199009


●オランダーインドネシアー日本

 

 東南アジアの近代建築といってもピンとこないかもしれない。そもそもそう顕著な動きが見られなかったせいであろうか、西欧の近代建築の歴史からは全く無視されている。しかし、それぞれの国や地域にとって、近代建築の受容が大きなインパクトとなったことは言うまでもないことだ。そして、その受容の過程にも、それぞれに固有の歴史があるのは当然のことである。

 東南アジア各地に近代建築をもたらしたのはそれぞれの宗主国である。それ以前の植民地化の過程で、西欧建築の影響は徐々に東南アジアに及んできた。まず、初期の段階では、ヨーロッパの建築様式がそのまま持ち込まれようとする。材料や職人も本国から運ばれてきた。しかし、気候条件などの違いからヨーロッパそのもののスタイルでは合わないこともでてくる。少しづつ変更が加えられ、土着化の動きがおこる。土地土地の建築が研究され、学ばれる。一方逆に、ヨーロッパのスタイルが土着の建築に取り入れられ始める。西欧化である。西欧建築の受容の過程は、一般化して言えば以上のようであろう。その影響は既に建築文化の深層にまで及んでいる。西欧建築の影響は既に建築の伝統になっているとも言えるであろう。近代建築もその延長として宗主国の建築家を通じてもたらされるのである。

 インドネシアについてみてみよう。インドネシアに近代建築をもたらしたのはオランダである。アムステルダム・スクール、ロッテルダム・スクール、あるいはデュドックの影響などを様々にみることができる。実に興味深い。これはアムステルダム、これはロッテルダム、明らかにドュドックだろう、と、ジャカルタ、バンドン、スマラン、スラバヤなどの大都市を歩いていると、そんな建物をあちこちで見かけるのである。思わず影響と書いた。しかし、そうした建築が建てられたのは本国と全く同じ時期である。当然のことだ。オランダの近代建築の祖といっていい、H.P.ベルラーヘが設計したアルヘメーネ(生命保険会社)の社屋がスラバヤに竣工したのは    年のことである。また、彼自身、    年にインドネシアを訪れている。オランダの動向はストレートにインドネシアに及んでいたのである。

 オランダの近代建築運動が日本の近代建築運動に多大な影響を与えたことはよく知られている。日本分離派建築会の初期のプロジェクトにははっきりうかがえるのである。オランダ建築についての関心は極めて高かった。それを示すのが堀口捨己の『オランダ現代建築』(岩波書店     年)である。オランダと日本の関係も歴史的に深い。オランダーインドネシアー日本との連関で近代建築の歴史を見直してみるのも興味深いだろう。

 ハーマン・トマス・カールステンとヘンリ・マクレーン・ポントといっても、もちろん知る人は少ないだろう。二人はインドネシアの近代建築の歴史に大きな足跡を残したオランダの建築家である。    年、H.P.ベルラーヘがインドネシアを訪れ、「オランダの近代建築の発展に匹敵するほど重要となるであろう、来るべきインドネシア建築に全てを捧げた二人の建築家」として言及したのがこの二人である。二人は、実は、デルフト工科大学の同級生であった。

 

 

●H.M.ポントとH.T.カールステン

 

 H.M.ポントがインドネシアを訪れるのは    年、  才の時のことである。しかし、もともと彼が生まれたのは、ジャカルタである(    年)。本国で教育を受け、デルフト工科大で建築を学んだのち、いわば帰ってくるのである。    年に卒業した後、アムステルダムの建築事務所で二年実務に携わった後、スマランーチレボン鉄道会社の本社屋を設計するためにジャワへ赴くのである。その本社屋には、ベルラーヘの影響が色濃くにじみ出している。

 この仕事を終えた後、H.M.ポントはスマランに個人事務所を開設する。そして次第に仕事が増えていく。そこで、招いたのがH.T.カールステンである。H.T.カールステンがスマランにやってきたのは    年の暮れのことであった。

 H.T.カールステンはアムステルダムの裕福な家庭に生まれた     年 。父親はアムステルダム大学の哲学の教授である。    年、デルフト工科大に進み、H.M.ポントと出会った。学生時代、カールステンは極めて活動的であり、社会民主運動組織に加わるのであるが、    年には住宅問題委員会の主要なメンバーになったという。後に、インドネシアで都市計画にも精力的に取り組むのであるが、その素地は学生時代に形づくられたのであった。卒業後、カールステンはベルリンで実務につく。H.M.ポントからの手紙が届いたのは、第一次世界大戦前夜のベルリンへであった。

 しかし、二人のパートナーシップは、わずか二年しか続かない。性格が合わなかったらしい。H.T.カールステンは、アクティブであり、H.M.ポントはどちらかというと学究肌である。それに、H.M.ポントの健康がすぐれなかったことも大きい。彼は、    年にオランダに戻り、    年まで戻らない。    年には、H.T.カールステンに事務所の権利を売ってしまう。その後、二人は別々の道を歩むことになったのである。

 

 

●H.M.ポントの仕事ーーーバンドン工科大学(ITB)からポサラン(         )の教会まで

 

     年、帰国中のH.M.ポントは工科系の教育機関の設計を以来される。    年に竣工した、現在のバンドン工科大学(ITB)である。僕が最初にITBを訪問したのは、竣工して  年を経た、    年のことであったが、いささか度肝を抜かれた。とにかく迫力がある。ミナンカバウ族、バタック族の民家をイメージさせる屋根が連なっている。一見、インドネシア版「帝冠様式」か、と思ったのであるが、深みがある。不思議な魅力がある。調べてみるとオランダ人の建築家である。それがH.M.ポントであった。

 H.M.ポントは、インドネシアに着いて以来、時間をみつけてはインドネシア中を旅行し、土着の建築について調べている。余程魅せられたのであろう、その探求は徹底していた。やがて、ジャワ建築の研究にウエイトを移したほどである。H.M.ポントは、ジャワ建築の起源を探り、その本質を明かにしようとする。その架構の原理を解明し、それを現代建築に生かそうとする。伝統的建築の空間構成の方法を読み取り、それをうまく用いようとするのである。

 ITB以降の彼の作品は、そうした試みの積み重ねである。    年から    年まで、彼は東ジャワのトゥラウラン(       )に住んだ。マジャパイト時代について、考古学的、歴史的研究を行うためである。このためポントは、結果的に建築の仕事から遠ざかることになるのであるが、それでも珠玉のような作品を残している。トゥラウランの野外博物館の建物がそうである(    年)。そして、何よりも傑作だと思うのが、東ジャワのクディリの近郊にあるポサランの教会である。H.M.ポントの最後の作品である(         年)。

 昨年(    年)、初めてポサランを訪れてじっくりと見た。小さな作品だけれど、実に見応えがある。インドネシアの友人たちは、H.M.ポントをインドネシアのA.ガウディーという。何故だろうと思っていたのであるが、この作品をみて、なるほどと思う。石積みのベルタワーやフェンスをみるとそんな雰囲気もあるのだ。

 教会は、伝統的形態をとるかのようであるが、極めて意欲的に、大胆なテンション構造が採用されている。H.M.ポントは、インドネシアン・ゴシックと呼んだのだという。伝統の形態と近代的架構方法が緊張関係の中に釣り合っている、そんな感じである。

 H.M.ポントは、第二次世界対戦後、帰国し、公共住宅や空港、大規模な建築など多くの建築を手掛けている。しかし、このポソランの教会に込められたものは、極めて大きかったはずだ。

 

 

●H.T.カールステンの仕事ーーーカンポン・フェアベタリングと都市計画

 

 H.T.カールステンは、ポントに比べるとはるかに多くの作品を手掛けている。    年に、H.M.ポントから事務所を譲り受けると、まず、依頼を受けたのが、ソロ(スラカルタ)のマンクヌガラ宮殿(                    )の増築である(         年)。H.T.カールステンもまたジャワの伝統建築と否応なく出会うのである。

 これも昨年、ユネスコのセミナーの会場としてじっくり見る機会があった。なかなかのものである。    年に建てられたプンドポ・アグン(主殿)の改修より、居住棟の小さなプンドポ(ダイニング・ホール)がこじんまりといい。気に入られたのであろう。    年から    年にかけてもマンクヌガラ宮の仕事をしている。

 スマランの保険会社のオフィス(    年)、ソボカルティー劇場          年 を始めとして、ソロの中央駅(    年)、ジョクジャカルタのソノブドヨ博物館(    年)などが、H.T.カールステンの代表作である。

 H.T.カールステンにとっても、伝統建築と近代技術をどう調和するかは大きなテーマであった。力説したのは、ヨーロッパのスタイルをそのままジャワへ持ち込むことが誤りである、ということである。あくまで、生きているジャワのスタイルを出発点にすべきことである。また、彼は、伝統的な建築技術を新しい材料や建築に適用しようとしている。鉄骨を用いたソロの中央駅がいい例である。

 そして、H.T.カールステンの仕事は、さらに広がりをみせる。住宅問題や都市計画の分野の仕事である。H.M.ポントと違って、社会への関心を失わなかったのがH.T.カールステンである。その都市計画思想について詳述する余裕はないのであるが、前提として予め退けられていたのは、ここでも西欧の理論をそのまま適用すればいいという態度である。スタティックなマスタープランではなく、ダイナミックな計画、有機的な全体性の必要も彼の強調するところである。

 具体的に携わったのは、スマランとマランの都市計画である。いくつか興味深いのは、民族毎に居住地を分けるのではなく、収入階層毎に近隣住区を設定していること、自然の地形をできるだけ大事にすること、都市基盤設備については、可能な限り合理的に配置することなどである。

 こうしたH.T.カールステンの仕事は、一方で、都市計画法の制定につながっていくのであるが、戦前期のインドネシアで注目すべきなのがカンポン・フェアベタリング(                   カンポン改善事業)である。このオランダによるカンポン・フェアベタリングは、今日のカンポン・インプルーブメント・プログラム(                             )の先駆とも見なされる。カンポンの居住環境にも意を注いだのがH.T.カールステンである。

 H.T.カールステンは、    年、日本軍の収容所で死んだ。  才であった。

 

参考文献                                                                                   

                                                                                                                                      

佐藤浩司 「スラバヤのベルラーヘ」 『建築雑誌』    年 月












2026年8月9日日曜日

チャンディ・スク チャンディ・チョト,東南アジアの建築世界2,GLASS LIFE,セントラル硝子,199006

 チャンディ・スク チャンディ・チョト,東南アジアの建築世界2GLASS  LIFE,セントラル硝子,199006



東南アジアの建築世界2

チャンディー・スク    

チャンディー・チョト          

布野修司

 

 東南アジアの建築というとまず想い浮かぶのはアンコールワットやボロブドゥールのような巨大遺跡の建築であろう。東南アジア地域は古くから中国文明とインド文明という二つの大きな文明のインパクトを受けてきたのであるが、とりわけ、インド(ヒンドゥー)文明は東南アジア世界に深く及んでいる。その後、イスラム化の波が東南アジア全体を襲う。現在ではヒンドゥー教が支配的なのはバリ島のような特定の地域にすぎなくなった。しかし、一皮めくった基層文化として共通なのはやはりヒンドゥー文化である。その伝統は様々な形で今日でもみることができるのである。東南アジアのインド化の歴史を示すのが各地に残されたヒンドゥー(・仏教)建築である。そうしたヒンドゥー建築のなかにちょっと変わったチャンディーがある。チャンディー・スクとチャンディー・チョトである。

 

 チャンディー(     )とは、ジャワのヒンドゥー・仏教寺院の総称である。寺院といっても様々な建造物からなるのであるが、チャンディーというとストゥーパ(卒塔婆      )と違って内部空間をもつものをいう。礼拝供養の対象物(仏像、神像、リンガなど)を納めた祠堂である。一般的には、チャイティア・グリハ(              「礼拝物の家」の意)といわれる建造物に当たる。実際に僧侶が住む僧院はヴィハーラ(      )である。しかし、内部空間をもたない立体曼陀羅であるボロブドゥールもチャンディー・ボロブドゥールと呼ばれるし、いくつかのチャンディー群のコンプレックス全体もチャンディーと呼ばれる。ジャワでチャンディーというと、タイのワット(   )と同じように、日本語の「お寺」という感じで一般的に使われているのである。  

 建築物としてのチャンディーは、大きく三つの部分からなる。すなわち、屋蓋、身舎、基壇の三つである。その三層の構成は宇宙の三界(さんがい)を表現しているといわれる。すなわち、ヒンドゥーのチャンディーでは、マハーメールのそびえる神の領域であるスヴァルローカ(天界)、地下世界であるブール・ローカ(地界)、その間に広がるブヴァル・ローカ(空界)の三つをそれぞれが象徴する。また、仏教のチャンディーでも、須弥山を中心とする三界観(大乗の場合は、アルーパダーツ(無色界)、ルーパダーツ(色界)、カーマダーツ(浴界)の三界、南方上座部(小乗)仏教の場合、アルーパローカ(無色界)、ルーパローカ(色界)、カーマローカ(浴界)の三界)に対応してチャンディーも三つにわけられるのである。

 もちろん、ヒンドゥー教の宇宙観はそう簡単に図式化できるわけではない。以上は大まかな構成原理であって、細部は様々である。また、地域によって異なる。チャンディーも中部ジャワと東部ジャワとで違う。ヒンドゥー・ジャワとヒンドゥー・バリの建築も少しずつ違う。中部ジャワから東部ジャワへ、そして、バリへ、ヒンドゥー王国の中心は移動して行くのであるが、チャンディーの様式も地域地域で異なっていくのである。

 大まかにいうと、中部ジャワのチャンディーは、ずんぐりと太めである。それに対して、東部ジャワのチャンディーはスレンダーである。バリにはグヌン・カウィに石窟のチャンディーがあるのであるが、細身で東部ジャワに近い。プロポーションが一見して違うのである。また、チャンディーの向きについても違いがある。中部ジャワではいくつかの例外を除いて、東か西を向くのが原則であるが、東部ジャワではその原則が崩れることが多いのである。東部ジャワでは、東西南北より、ローカルなオリエンテーションの方が重視されるのである。メール山(須弥山)となる山の方向を向くことが一般的なのである。

 また、西部ジャワのチャンディーは装飾が過剰である。東南アジアのヒンドゥー・仏教建築に関する研究の先達であり、第一人者である千原大五郎氏は以下の三つの点をあげる(  )。

 (1)開口部や壁がんがカーラ・マカラ・オーナメントによって縁どりされていること

 (2)階段の両翼の耳石がS字形をなし、その上下端がカーラとマカラで装飾されていること

 (3)主堂の前面に突出して設けられている前房の屋根が日本建築の唐破風に似た曲版屋根であること

  カーラ(    )あるいはマカラ(      )というのは、ヒンドゥー教の宗教的表徴である。半神的性格をもち、動植物をモチーフとする彫刻や文様として表現される。カーラは鬼面のようにみえる。面白いことに中部ジャワでは、上顎までしかないのであるが、東部ジャワでは下顎さらに腕を含めて表現される。カーラとは、「時」あるいは「黒」を意味する。カーリーがカーラの女性形で、カーリー女神は、人の頭蓋骨を綴った飾りを首から垂らし、人の腕を綴った帯を腰につけている。おどろおどろしい。マカラはもともとは山羊だろうか、口の中にライオンがいる。学問の神様ガネシャ(       )は 象である。

 全体的に中部ジャワ期のチャンディーは、インド的祖型を強く残し、その理念型を忠実に実現しようとしているようにみえる。それに対して、東部ジャワ期のチャンディーは、より土着化し、変容を受けているようにみえる。

 

 ところで、そうした中でちょっと珍しいのがチャンディー・スクである。いささか謎めいている。以上に触れたチャンディーとは全く異なったチャンディーのようにみえるのだ。みた瞬間、想起したのはマヤのピラミッドである。よく似ている。きれいな四角錘台の形態をしているのである。

 チャンディー・スクというのは、中部ジャワの古都ソロ(スラカルタ)ーーブンガワンソロのソローーの東方、ラウ山(      )の山腹に位置する。ソロから車で一時間ほどであろうか、中部ジャワといっても、もう東部ジャワとの境界である。昨年、ソロのマンクヌガラ宮で開かれたユネスコの国際会議に出席した際、初めて訪れる機会があった。近くに変わったチャンディーがあるというのでふとでかけてみたのである。チャンディー・スクへ行くというとみんなにやにやする。エロティックなチャンディーというのだ。確かに、性のシンボルがところどころにおおらかに置かれたチャンディーであった。

 チャンディー・スクは15世紀の建造だとされるのであるがわかっていないことが多い。中部ジャワ期のチャンディーは、7世紀後半から10世紀後半の建造とされるから、中部ジャワに位置するといっても、チャンディー・スクが建てられたのは、ヒンドゥー王国の中心が既にクディリ、シンゴサリを経て、モジョパイトへと移ったころである。不思議なのはその形態だけではない。ピラミッドの階段を上がってみると、中央に穴がうがたれていた。そこには巨大なリンガが置かれてあったという。リンガとは男根である。チャンディーの多くはリンガを奉る。しかし、それを覆う建造物が残されていないのは何故か。そこには、バリに見られるような、何層かの木造の塔状の建築があったのではないか。実際、レリーフには、そうした建物が描かれているではないか。

 また、子宮のなかにマハーバーラタの英雄ビマ(    )を描いた巨大なレリーフは一体何に使われたのか。また、無造作に、甲が平らな大きな亀が投げ出されている。これは何を意味するのか。日本で亀の上に墓石を載せるように何かを載せていたのであろうか。亀というと、蛇の上に亀の載ったインドの宇宙図を思い出すのであるが、それであろうか。沢山のレリーフが方々に置かれているのであるが、意味のわからないものが実に多い。

 チャンディー・スクは、実に抜群の見晴らし台にある。軸線は一直線にとられ、下界を見おろしている。何故こんなところにという気がしてくる。立地も他のチャンディーと違っているのである。千原大五郎氏は、ジャワにも、インド化以前の土着固有の巨石文化が生きており、この巨石文化の名残と消え行くヒンドゥー文化が融合して造られたのがチャンディー・スクだという。果してそうだろうか。巨石文化というほどスケールはなさそうなのだ。

 チャンディー・スクで不思議な気分にさせられたあと山を降りようとすると、近くにもうひとつチャンディーがあるという。また、にやにやである。見逃す手はない。好奇心にかられて行ってみた。チャンディー・スクからさらに登ったところになるほど不思議なチャンディーがもうひとつあった。それがチャンディー・チョトである。

 チャンディー・チョトについてはほとんど情報がなかった。ジャワで出された『中部ジャワのチャンディー』(  )という本には記述がないのである。後で調べると丁寧なガイドブックにはちゃんと場所が示されていたのであるが、名のみで何の記述もない、そんなチャンディーである。まずは木造の建物の方形の屋根が目につく。バリのプラ(     寺院)に似ている。第一感はこれは新しいだろうということであった。イジュク(     やしの繊維)で葺かれた屋根や木造が新しいのである。しかし、もちろん、木造の建造物は何度も建て替えてきたはずだ。急な階段を上がると最初の広場に変なものがある。海亀の大きな姿が石のモザイクで描かれている。よくみると、魚や蟹がいる。そしてリンガもある。さらに、チャンディー・スクにあった甲の平らな亀がある。明らかに、チャンンディー・スクの親戚である。ここでは亀は階段の踏石として使われている。とすると、チャンディー・スクの亀石も踏石だったのではないか。

 スケールはチャンディー・チョトの方がはるかに大きい。ここでも軸線は一直線にとられ、はるかに下界をみおろしている。構成原理は同じだ。階段状の構成は、急でダイナミックである。最上部には同じようにピラミッド状のチャンディーがある。何故か、ここも上屋がない。

 チャンディーの前に二対の祠があり、そこにリンガが奉られていた。随分と具象的である。にやにやの理由である。男根崇拝は至るところにあるということか。ところが、その直後にみたものには、いささか度肝を抜かれてしまった。

 最上部のチャンディーのさらに上に建物の陰がみえる。木造の塔のようである。近づいてみると三重の塔である。イジュクに苔が生えているけれど、新しい。木造の技術も稚拙だ。しかし、かってはこうした塔がピラミッドの上に建っていたのではないか、その代わりに近くのカンポン(ムラ)の人たちが建てたのではないか。そう推測した瞬間、異様なものが眼に入った。なんと、塔の上に巨大なリンガがそびえたっていたのである。

 リンガを最重要の崇拝物とするのはシヴァ派である。あるいはシヴァ派と結び付いたタントラ教である。チャンディー・スク、チャンディー・チョトはその流れを汲むのかもしれない。タントラ教は、宇宙の生成、発展を男女の性的結合になぞらえて理解する。そのシンボルがリンガであり、女性性器ヨーニである。ヨーニはリンガを受ける台座として表現される。リンガ、ヨーニに対する崇拝はもちろんタントリズムに固有というより、ヒンドゥー教全体のものである。チャンディー・スクとチョトは、ヒンドゥー・ジャワ文化のデカダンスの姿だという説がある。怪奇的で独特な表現だという。また、イスラムによる偶像崇拝を禁ずるイスラムに対するはかない抵抗だという。しかし、俗っぽい感じはするけど、教義には素直ではないか。抵抗というより大らかな感じが強い。ジャワのチャンディーは、ずいぶんと見て歩いた。リンガもずいぶんみた。チャンディー・チョトの三重の塔の上の、こんなあっけらかんなのは初めてであった。

 

 

 

  *1 千原大五郎:『東南アジアのヒンドゥー・仏教建築』 鹿島出版界 1983年

    千原大五郎:『インドネシア社寺建築史』 1975年 

 *2                                                                             

 

 

 

写真リスト

 

①チャンディー・スク

②チャンディー・チョト 最上部のピラミッド

③チャンディー・チョト  軸線上の階段

④チャンディー・チョト  下から見上げる

⑤子宮のなかのビマ マハーバーラタの物語 :チャンディー・スク

⑥チャンディー・スクのレリーフ

⑦チャンディー・スクのレリーフ

⑧チャンディー・チョト  リンゴ(御神体)

⑨チャンディー・チョト 三重の塔

⑩チャンディー・チョト  三重の塔のリンガ

⑪チャンディー・スク    亀石

⑫チャンディー・チョト  海亀

⑬チャンディー・スクのレリーフ 三重の塔がある

⑭カーラ

⑮マカラ

⑯ガネシャ

⑰チャンディー・カラサン:中部ジャワ

⑱チャンディー・シンゴサリ:東部ジャワ

⑲ボロブドゥール

⑳ロロジョングラン(プランバナン)












布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...