このブログを検索

2021年8月27日金曜日

外国人労働者問題② 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、建設通信新聞、1991年4月

  01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141

02身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142 

 東京の都心から三〇キロ、職場である大学へ通うためにいつも使う私鉄沿線の駅。一年ほど前からであろうか、アジア系外国人の数がめっきり多くなった。もともとその駅を利用する外国人というと決まっていた。残念なことに閉店してしまったのであるが、日本でも数少ないネパール料理の店が町にあった。外国人といえばその店を経営するネパール人夫婦だけであり、町の人によく知られていたのである。そんな小さな町に何人もの外国人をみかけるようになったのは大きな変化だ。

 もっとも昼間の時間には目だたない。見かけるのは早朝か夕刻である。ある朝、極めて早い時間であった。駅を降りて歩くと反対に駅へ向かう人々が外国人ばかりなのである。不思議な感じがしたことをよく覚えている。辺りには畑も見られる。首都圏とはいえ、未だ農村的な風景が残っている町である。そうした町に外国人が住みつき始めている。一体どんな場所に住んでいるのか。

 ひとつの答えがまもなくわかった。キャンパスのすぐ前、門から五〇メートルのところにその家はあった。まさに燈台もと暗しである。木造平屋の一軒屋である。六畳一間に押入と流しの台所がついた小さな家だ。その一角には三軒ほど建っている。学生たちがかっては下宿に借りた。研究室の学生が借りていたこともある。その一部屋から数人の外国人男性が出てくるところに偶然行き合ったのである。フィリピン人と黙されるその男性達は、迎えにきた乗用車に乗って走り去った。ピンとくるものがあった。

 リクルーターが、一軒屋や木賃アパートを借り、そこに大勢が住む形で外国人が居住する、そんな形が増えている、とは聞いていたのであるが、まさかこんなに身近にそうした一軒家があるとはいささか驚きであった。外国人労働者問題はつくづく身近だと思う。しかし、極めて身近な外国人労働者問題が一般に意識されない。都心から三十キロも離れた場所に外国人が居住するのはひとつには家賃の問題がある。外国人が首都圏一帯に極めて少人数で分散的に住んでいること、しかも、日本人とできるだけ接触しない形で住んでいること、外国人労働者問題がみえない理由である。

 何故、わが町に外国人が増えつつあるのか。そのおよその解答もまもなく見当がついた。駅前で不動産屋を開いているO君が専ら外国人のために借家を斡旋しているのだというのである。近くに立地する工場で働くブラジルからの研修生の住居を紹介してくれといわれたのがきっかけであった。外国人というと全て断わられて困り果てて相談を持ち込まれたのである。以後、様々な情報ネットワークを通じて外国人客が増え出した。知合いを頼って仲間が集まるパターンである。

 不動産屋以外で、わが町の外国人居住の実態に詳しいのがタクシーの運転手さんである。意外なことに、外国人労働者は専らタクシーを利用するのだという。地理に暗いということもあるが、日本人と接触したがらないのだという。コンヴィニエンス・ストアは、彼らにとっても極めて便利がいいのであるが、そこで沢山買い込んで荷物が重いということもある。大勢で利用すればタクシーも割安である。何人かの運転手さんに聞くと仲間内の情報を合わせればどこに外国人が住んでいるか大体わかるという。外国人労働者が首都圏近郊でどうした暮しをしているか、ぼんやりと浮かび上がってきはしないか。

 日本全国の建設現場で外国人労働者がどの程度就労しているのか、その実態は明らかでない。法務省の「昭和63年における上陸拒否者及び入管法違反事件の概況について」によると、不法就労者の総数男、八九二九人(総数一四三一四人)のうち、土木作業員は三八〇七人である。約四割が建設業関連ということになる。しかし、「不法就労」はもちろんそんな数字にとどまらない。

 同じ統計で、不法就労の多い国は、アジアからの「不法就労」者が圧倒的で、フィリピン五三八六人、バングラデシュ二九四二人、パキスタン二四九七人、タイ一三八八人、韓国一〇三三人、中国五〇二人の順である。入国目的別に入国者数をみてみる。観光ビザによる入国者総数九十七万八千人のうち、アジアからの入国者が五四万人、アフリカから二千四百人、南米から一万八千人である。もちろん、全てが不法就労の疑いがあるなどという、乱暴なことを言おうというのではない。強調したいのは公式の数字が実態からかけはなれているということだ。

 外国人登録者の数をみると、韓国朝鮮の六十七万七千人、中国の十二万九千人、アメリカの三万三千人に続いて、フィリピンが三万二千人、タイが五千三百人、バングラデシュ二一〇〇人、パキスタン二千百人といった実態である。フィリピンから九六〇〇人、パキスタンから九千二百人、タイから一万九千人といった入国者数と不法就労者の数を比べてみると、十倍から二十倍、一五万人から二十万人の不法就労者が日本に滞在すると推測されるのである。

 この大変な数の「不法就労者」はどこに住むのか。わが大学のある首都圏近郊の町の様相がその一断面である。あちこちの工事現場を覗いてみる。出入国管理法の改定以降も多くの外国人を労働者をみかける。外国人の就労が中小の現場で日常化していることは容易に推測できる。しかし、その実態には眼をつむられている。建設業界の重層下請けの構造と「不法」というレッテルのために覆い隠されているのである。




 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

2021年8月26日木曜日

外国人労働者問題①、 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理 建設通信新聞、1991年4月

 01 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、199141                            

                                   布野修司 

 外国人労働者の問題をめぐってはこの間多くの議論がなされている。未曽有の建設ブームによって職人不足、技能者不足、建設労働者不足の問題が深刻化するなかで、また、外国人労働者をめぐるトラブルがマスコミなどで大きく取り上げられるなかで、外国人労働者の受け入れの問題が大きくクローズアップされてきたのであった。しかし、外国人労働者問題は必ずしも一過性の問題ではない。「3K」、「6K」による若者の建設業離れ、現場離れは決定的であるが、より本質的で深刻なのは出生率の低下で若年労働者の絶対数が減少基調にあり、これ以上の新規参入は望めないということだ。若年労働者の新規参入促進の処方策が大きなテーマとなる一方、未開拓の労働市場として、女子労働者や高齢者とともに外国人労働者に焦点が当てられ始めたのである。

 しかし、外国人労働者問題は必ずしも以上のような業界の一方的な位置づけにおいて論じきれるものではい。日本社会の国際化という課題と絡み、国際経済の問題だけでなく、歴史的、社会的、文化的な問題の総体に関わる。建設業界のみならず他の分野を含めて一般的に外国人労働者問題をめぐる議論をまとめてみればおよそ以下のようだ。

 わかりやすく開国論、鎖国論、必然論にわけよう。

 開国論:日本とアジアを中心とする発展途上国の経済格差が続く限り外国人労働者の流入はなくならない。また、日本の産業界の重層下請構造を支える零細企業、中小企業の人手不足が深刻化しており、それを受け入れる需要が存在する。すなわち、送り出す国にプッシュ要因があり、日本にプル要因がある。需要と供給がマッチするのだから開国は当然である。外国人労働者の受け入れを拒否して非合法なものとしていることが、悪質ブローカーをばっこさせ、不法就労を陰湿なものとしている。外国人労働者を受け入れることは、労働力の確保が可能となるだけでなく、発展途上国の経済発展の寄与ともなり、人づくりの援助ともなる。また、そのことが経済的安全保障ともなる。

 鎖国論:外国人労働者を特に単純労働、不熟練職種に導入すれば、労働条件の低下や失業率の上昇を招く。業界の構造改善のむしろさまたげになり、日本人労働者の賃金、労働環境の改善にも悪影響が出る。外国人労働者が増えれば単純労働のみならず専門技術職にもやがて進出すると日本人の失業につながる。外国人労働者は雇用の調節の役割をもち不安定な立場に置かれる。教育、福祉などの生活環境条件も劣悪におかれる。滞在年数が長期化し、定住化が促進されると社会的コストが増大する。結果として、外国人労働者の差別が起こり、業界全体のイメージも結果的に悪くなる。

 必然論:開国論は、何よりも経済の論理に偏しており、外国人を低賃金労働力として利用する発想が強い。また、送り出す側の問題についての洞察がない。鎖国論は、人種差別的イデオロギーとしての単一民族論を強化する。結果として反日感情を国際社会に定着させる。いずれも、日本で既に起こっている実態について、また、外国人労働者を送り出す発展途上国の実態についての理解を欠いている。外国人労働者の流入は必然的である。また、既にそうした事態が起こっている。日本で働く外国人は不法就労者という烙印を押されて、人権を抑圧されている。外国人差別に対して、その人権擁護が優先課題である。出稼ぎに依存せざるをえない日本社会の構造と第三世界の構造を是正し、出稼ぎに伴う悲劇のない地球社会を実現することが究極的な目標となる。

 開国か鎖国か、外国人労働者問題を論じるにあたっては予め態度を明らかにしておく必要があるかも知れない。いずれの指摘も一理ある。問題が極力少ないように条件をつけて開国していくのがいい、といったところが大方の共通意見ではなかろうか。しかし、現実の事態はそううまくはいかない。国際間のモビリティーをうまくコントロールするなどということは容易ではないのだ。むしろ、一国の利益のみを考えてコントロールするといった発想が問われているのである。

 どちらかと問われれば、筆者は開国派である。それも無条件の開国派である。というといささか無責任にすぎるとすぐさま非難されそうだ。もちろん、あわててあれこれと付け加えねばならない。それなら条件付き開国派かというとそうでもない。つまり、外国人労働者の問題は開国か鎖国かという二者択一の問題ではないというのが筆者の立場だ。どういうことか。

 無条件の開国というのは、必然論の立場に近い。開国を前提として、あるいは開国の実態を前提として、まず外国人労働者の人権の問題などを考えようというのが必然論の立場であるとすると、もう少し一般的に、文化的な背景を異にする人々がどのように共存していくか、その原理を見いだすこと、そして、日常生活においてそれを具体化することがいま問われている、というのが筆者の問いの構えなのである。

 開国か鎖国かという問いの立て方は専ら経済の論理に基づく。また、日本中心的な発想が先行したある意味では傲慢な二者択一論である。鎖国は楽であるが、日本の社会を開いていくことが大きな課題である中で逆行的である。現行の改定入官法は基本的に外国人を締め出す鎖国法である。雇用者処罰制度が作られることによって一層その性格が明らかである。ある程度まで黙認し、景気が後退したり、問題がマスコミなどで大きくとりあげられると締め出す、日本の入管体制は実に巧妙で陰湿である。いま問われているのは日常生活レヴェルでの国際化であり、異質な文化が共存するそのあり方を模索するその絶好の機会が現在なのである。そうした視点から外国人労働者の問題を何回かに分けて素朴に考えてみたい。




02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、199142

 [03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、199143

 [04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、199144

 [05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、199145

 [06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、199148

 [07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991410

 [08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991411

 [09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991412

 [10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991415

2021年8月25日水曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 10 死者との共棲

    住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  死者との共棲

 PHOTO:墓地公園/霊園/墓のマンション

 

 日本の地方都市はどこでもミニ東京のようだ、とよく言われる。日本の都市の風景がどこでも同じように見え始めたということは、それぞれが固有の歴史を失いつつあることを意味している。

 同じ様な材料を使い、同じ様な構法によって建てられたかっての民家は画一的であった。しかし、それぞれの町や村は個性的であった。何故だろう。それに対して、現在は、一見、多様に見える住宅が建てられているのに、都市のほうが画一的にみえるのは何故だろう。

 ひとつのヒントは、かっての村や町は、はっきりとした境界をもっていたのに、現代の都市は、のっぺらぼうに連続しているということだ。具体的には、死者のための空間を考えてみるといい。

  かって、人は住まいで生まれ住まいで死んだ。誕生から死に至るまで、住まいが舞台であった。しかし、今は、生まれるのも死ぬのも病院という施設である。冠婚葬祭や通過儀礼も全て住居や集落と一体で行われてきたのだけれど、都市の中の施設において行われるようになった。

 墓地は、かって住まいに近接して置かれていた。町外れや村外れにあって、彼岸と此岸を境界づけていた。すなわち、死者は生きているものとともにあったといっていい。

 しかし、現代はどうだ。ほんの一坪程の墓地を買うのも大変である。まるで住宅を買うのと同じである。死後の住まいを買うのにも僕らは汲々とせねばならないのである。

 墓地は郊外へ郊外へ次第に追放されていく。ニュータウンのような郊外型霊園が次々に造られた。そして今やお墓のマンションも出現している。墓地の問題と住宅の問題は全く同じ経緯を辿ってきたのである。

 僕らは死者のための空間を全く考えずに生者のためだけの都市を考えてきたといえるだろう。考えてみれば当り前である。一千万人の都市があれば一千万人の墓がいる。しかも、都市が歴史を重ね、人々が世代を重ねれば、その何倍ものスペースがいる。しかし、そんなことはおかまいなしだ。

 死者をないがしろにするということは、その生の軌跡をないがしろにすることである。都市が無数の人々の歴史的な作品であるとすれば、それぞれの歴史を無視するということは、都市の歴史を無視するということを意味する。

 歴史を考えない、歴史の積み重ねを無視する、そんな都市と住まいのありかたが果して豊かといえるであろうか。

 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月24日火曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 09 地水火風

   住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  地水火風                    09

 PHOTO:囲炉裏のある風景

 

 日本の住まいが豊かになるにつれて、確実に失われたのは自然との関係である。都市化とともに日本列島全体から自然が失われてきたのだから当然といえば当然なのであるが、自然との関係を徐々に希薄化してきた意味は住まいにとって大きい。

 空気調和設備など設備機器の発達で、住宅内の環境を人工的に制御できるようになったことによって、次第に季節感が失われてきたことは実に寂しいことだ。しかし、問題は単に季節感だけの問題ではない。

 環境を自由にコントロールできるのはいい。しかし、そのために余りにも多くのエネルギーが浪費されている。そして、そのことが都市や地球規模の環境に及ぼす影響が忘れ去られてしまっている。実に大きい問題である。

 例えば、水はどうか。僕らは水を蛇口をひねればすぐにでてくるものだと思っている。只(ただ)ではないが、空気と同様、無限に近いものだと思っている。しかし、水に恵まれない地域は世界に多い。毎日、少しづつ水を買って生活している多くの人々が発展途上国の大都市にはいる。それに比べると僕らは贅沢だ。雨水を利用したり、飲料水以外は、家庭用排水を再利用しようというプログラムもあるけれどまだ実現はしていない。

 また、僕らは水を完全に制御できるものと無意識に考えているのであるが、集中豪雨で河川が溢れる水害は決してなくなったわけではない。全ての道路を舗装するため、雨がすぐに河川に流れ込み、都市ではかえって洪水が起こりやすくなったりしているのである。

 そういえば、土を都会ではほとんど見なくなった。土がなければ緑もない。緑が失われ、疑似的自然のみが創られのは悲しいことだ。

 水や土だけではない。風はどうか。風通しというのは住宅にとって極めて重要だったのだけれど、すきま風すらなくなった。室内を密封し、室内気候を機械的に制御することだけが目指されてきたのである。

 火はどうか。住居の中で、火のウエイトはますます小さくなっていく。料理から調理へ、火を使う場所であった台所がほとんど火を使わなくなるのだから当然である。薪割や焚火は都会ではもう見かけない。ゴミを身近に処理することはないのである。

 ゴミといえば、僕らの生活は余りにも浪費的である。捨てるために生産する悪循環である。自然のエコロジカルなサイクルを傷つけ、取り返しのつかないところまで至りつつある、そんな気がするのにやめられない。こんな状況を果して豊かというのであろうか。

 


 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月23日月曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 08 密室(個室の集合としての住居) 

  住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  密室(個室の集合としての住居)              08

 PHOTO:AV機器満載の個室/カプセル・マンション/ホテルの個室(長期滞在型:AV機器完備)

 

 金属バット殺人事件、女子高校生コンクリート詰め殺人事件、連続幼女誘拐殺人事件といった凄惨な事件が起きる度にクローズアップされるのが個室の問題である。

 子供部屋が密室化することが犯罪を生むのではないか、子供に個室を与えるのは是か否か、というのだ。もちろん、子供部屋の独立、個室化ということと凶悪な犯罪を単純に結びつけることはできない。密室の問題でまず問われているのは家族の問題である。家庭内の人間関係である。住宅の物理的な構造が事件を生むのであれば、そこら中で犯罪が頻発している筈だ。そんな馬鹿なことはない。しかし、日本の住まいが単なる個室の集合と化しつつあることは一方で問われていいと思う。

 戦後の日本の住まいの歴史は、一部屋づつ規模を拡大する歴史であった。まずは、食寝分離、すなわち食べる場所と寝る場所を分けることが目標とされた。その結果生み出されたのがDK(ダイニング・キッチン)という日本独特のスペースである。続いて、公私の空間を分離すること、すなわち、家族の団らんのための居間を確立することが目指された。そしてさらに、家族のひとりひとりの部屋を確保することがテーマになった。

 一方、家の中での仕事は、どんどん、家の外へ追放された。すなわち、サービス産業によって代替されるようになってきた。食事の宅配サービスやハウス・クリーニングなど、家では何もすることがないほどである。

 その究極の形態はと問われれば、それはまるでホテルのような住まいである。ベッドメーキングからなにからなにまで、あらゆるサービスがついた住まいである。実際、そうした、ホテル型のマンションは既に建設されつつある。

 もちろん、そうした住まいが一般化していくのは簡単ではない。しかし、その前に問われるのが家族の関係である。あらゆるサービスが外化され、住居が単なる個室の集合となるとすれば、家族の結びつきの意味が改めて問われる筈だからである。

 テレビやビデオ、ファックスやパソコン、様々なAV機器、情報機器がビルトインされた個室は、物質的には閉じられているけれど、様々なメディアを通じて世界に開かれている。しかし、その一方で家族の直接的関係が希薄になりつつあるのだとすれば大問題だろう。単に家計を共有するというだけでない、家族の触れ合いをより豊かに実現する住まいがそれぞれに求められつつある。そうでなければ一緒に暮らす意味がない、そんなところまで日本の住まいは到達しつつありはしないか。


 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月22日日曜日

住まい・空間の美学 住まいの豊かさとは? 07 電脳台所

 住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは? 全10回 07~10 未発表

  電脳台所                    07

 PHOTO:電脳台所・HA(ハウスオートメーション)、HS(ホームセキュリティー)機器

  ハウス・オートメーション(HA)、ハウス・セキュリティー(HS)ということで、コンピューター制御による住宅機器が様々に開発されつつある。三種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)の時代や3C(カー、カラーテレビ、クーラー)の時代に比べると、まさに隔世の感がある。住宅の設備は随分と高度になった。そして便利になった。

 掃除、洗濯、裁縫、炊事など家事労働の形は、家電製品の登場で大きく変わった。家事労働の時間は大幅に削減されることになったのである。便利になることによって余暇ができる。自由な時間を好きな趣味や学習やスポーツなどに使うことができる。自由な時間は生活のゆとり、豊かさの指標である。

 外から電話でお風呂のお湯をわかすことができる。セットしておけば、自動的に好きな料理ができる。室内環境は自動的にコントロールされる。実に結構なことである。しかし、ますます、便利になって、ワンタッチで、全てがコントロールできるようになることに対して不安がないわけではない。

  故障したり、緊急の場合のシステムに問題があるといった技術的な不安では必ずしもない。具体的な物と身体との具体的な関係が希薄になって行くのではないかという漠然とした不安である。様々な生活技術が失われていくのではないかという危惧があるのである。

 システム・キッチンの流行がわかりやすいかもしれない。既に台所はかってのような台所ではない。台所は、煮たり焼いたり、食器を洗ったりする場所であるだけでなく、食べ物を保存をして置くなど多様な場所あった。しかし、極言すると、今では冷凍・レトルト食品を簡単に調理するだけの場所となりつつあるのである。そこで、台所は作業の場でなく、インテリアの一部となる。家具としてのシステム・キッチンが生まれた由縁である。

 今に、自動料理器ができるかもしれない。既に、焼いたり煮たり蒸したりという部分的なプロセスについてはコンピューター・プログラム付きのものがある。果して、味噌汁や漬物など、お袋の味とか我が家の伝統の味といったものも、簡単にコンピューター・プログラムとして伝承されるのであろうか。

 生活の知恵と呼ばれる様々な生活技術は、住まいから次第に追放されてきた。ナイフや包丁を使えない子供たちが育っていく。手で触れた感覚より、センサーの数字を信用する感覚が育って行く。自分の感覚より、感知器のブザーに反応する習性がつく。便利になるのはいいけれど、感覚や感性を貧しく鈍感にするのでは困ったものだと思う。



 1.一坪一億円           ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景         ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                          ○型の不在

 6.ウサギ小屋                    ○狭さと物の過剰

以上 01~06

空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911


 7.電脳台所                               ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                    ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風         ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失



2021年8月21日土曜日

空間の美学06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 ウサギ小屋                  06

 PHOTO:家電、家具で溢れるインテリア

 

 

 日本の住まいのことをウサギ小屋などという。西欧人にいわれて、僕らもなるほどと思っていつのまにか定着してしまった。日本の住宅はとにかく狭い。平均住宅面積は、大きくなってきたのだけれど、特に、大都市圏の住宅は、少しも広くなっていない。ちっとも日本の住まいが豊かになった気がしないのは、狭いからである。

 しかし、一方、住まいの内部に眼をやれば、様々なものが溢れかえっている。ソファーやサイドボードなどの家具、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機、電子オーブンや自動食器洗い機、クーラーなどの家電である。最近では、電話やファックス、パソコンやワープロ、テレビやビデオ、ステレオやカセットデッキなどAV機器が随分と増えた。豊かで贅沢になったと言わざるを得ないだろう。

 空間は貧困で、物が過剰というのが日本の住まいである。狭い空間をどうやりくりするかが、インテリア・デザインの手法となっている。押入を如何に改造するか、居間のコーナーにちょっとした書斎をつくるのはどうするか、床下や天井裏をうまく収納に使うのはどうすればいいか、様々な工夫がなされる。狭さの美学、やりくりの美学である。

 家電製品も小振りのものが多い。幅や奥行きなど寸法はぎりぎりにまできりつめられる。狭い空間にフィットしなければ、売れないからである。小さいことはいいことだという美学が骨身に染み着いているようにも思えてくる。鴨長明の「方丈庵」や茶室の伝統が想い起こされるのである。

 しかし、それにしても物が過剰すぎるのではないか。人のために住まいがあるのではなく、物のために住まいがあるというのでは本末転倒である。

 部屋の真中にデーンと応接セットが置かれる。応接セットが主役で、人は床の上にセットを背にして座っていたりする。日本の住まいは天井が低いということもあろう、椅子座の生活と床座の生活がうまく調和がとれないことが多いのである。 

  住まいは広ければ広い方がいい、と誰しも思う。しかし、無限に広い住まいを希求するわけにはいかない筈だ。それに、広ければ広いほど豊かである、ともいえないであろう。小さくても豊かな住まいはある筈だ。

 日本の住まいは過剰に物が詰め込まれ重くなりすぎている。余計なものを置かない、買わない、という美学があってもいい。物を沢山所有することは、必ずしも住まいの豊かさの指標にはならない。日本の住まいの場合、むしろ、物を追放することが空間をリッチに使うことにつながるように思う。

  


01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困,空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

 

 1.一坪一億円               ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                           ○型の不在

 6.ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風            ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失

 

2021年8月20日金曜日

空間の美学05 都市住宅の型 伝統育てるために必要 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

都市型住宅                  05

  PHOTO:町屋OR画一的な戸建建売団地の風景(航空写真)

  

 日本の都市には、日本の都市の特性がある。そして、それなりの魅力がある。しかし、一般的にいって貧しいと思う。

 第一、雑然としすぎている。雑然としていることについては、その魅力を主張する人も多い。特に外国人がよくそういう。日本ほど建築の自由な国はない、勝手気ままなデザインが百科瞭乱で、そのアナーキズムに活気がある、様々な建築規制のある欧米だとこうはいかない、というわけだ。

 確かに、そうした見方もあろう。しかし、ただ雑然としているだけで、都市の特徴が雑然性にあるというのはやはりいただけない。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すのみでいっこうに都市の骨格ができない。歴史的な表情がストックとして形成されないのは、どこかに欠陥があると言わざるを得ない。都市というのは、そこに住んできた人々の歴史の作品でもある筈だからである。

 日本の都市が雑然として無個性に見えるひとつの理由は、都市住居の型をもっていないからである。日本の住居の原型となっているのは、農家である。持家一戸建て志向が強いのは、農村部の民家が住宅イメージの原型となっているからである。現在でも、庭付き一戸建ての住宅を人々は終(つ)いの栖(すみか)と考えているのである。

 町屋とか、長屋とか、都市住居の伝統もなくはない。しかし、一般的には都市の伝統そのものが日本には希薄であった。江戸は、世界最大の、巨大な村落であったといわれるのであるが、戸建住宅がただ密集した形で出来上がったのが日本の都市の原型なのである。

 ヨーロッパの場合、古くから都市住居の伝統がある。コートハウス(中庭式住居)の伝統がそうだ。イスラム圏にも、中国にもコートハウスの伝統はあるのであるが、都市に密集して住むためには、通気や換気、日照などをうまく制御する装置としての都市住居の型が必要なのである。

 日本の場合、都市住居のひとつの形式として、共同住宅、アパートメント・ハウスが導入され始めたのは、大正期から昭和の初めにかけてのことである。関東大震災後に建設された同潤会のアパートなどが初期の例だ。半世紀余りの歴史があるにすぎない。

 みるところ、日本に合った都市型住宅を作り出すことに僕らは失敗し続けてきた。極端に言うと、ただ住宅を積み重ねただけの集合住宅をつくり続けてきただけだ。そのことと都市の景観が雑然と貧しいこととは大いに関係がある。もう少し集まってすむための空間を考えてみる必要がある。戸建持家志向のみでは、日本の都市は一向に豊かになるまい。



01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困,空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

 

 1.一坪一億円               ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                           ○型の不在

 6.ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風            ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失

 


2021年8月19日木曜日

空間の美学04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

 建築儀礼                    04

  PHOTO:建前(上棟式)の風景・セルフビルドの住宅

 

 かつて、といってもそう遠くない昔、住宅は買うものではなくて建てるものであった。いまでも、もちろん、大工さんや工務店に頼んで住宅を建てる注文住宅の形は多いのであるが、建売住宅やプレファブ住宅のように、パンフレットやカタログを見て買うという形が随分と増えてきた。

 それとともに、消えつつあるのが建築儀礼である。地鎮祭をして起工式をして、上棟式をする、という建築儀礼である。消えつつあるというのは不正確だ。しかし、随分簡素化されるようになったことは事実である。何故か。

 一般には、車のせいだとされる。大工さんが車で現場へ通うようになって、上棟式でもお酒を飲むわけにいかなくなった。お酒は持って帰ってもらって、式はできるだけ簡単に、という形が増えているのだ。

 上棟式というと、近所の人々を招いたり、お餅を配ったり、大変なことであった。負担もかかる。住宅を建てるということは、その家族にとって一大行事であり、大きなお祭りなのである。けれども、建てる方も、面倒臭くなった。節目の儀礼はともかく、毎日休憩の時にお茶を出したりすることはほとんどしない。

 建築儀礼が次第に簡素化されつつあることは、住宅を建てることそのもの、建てるプロセスそのものが軽視されつつあることを示している。毎日、お茶を出すというのは、職人さんたちに感謝し、気持ちよく働いて頂くという意味もあるけれど、毎日、現場で打ち合せし、細部を決めていくそうした場でもあった。しかし、現在は、そうした場がない。何度かの打ち合せと図面だけで、あとは出来上がったものを引渡すという形だ。

 住まい・空間の美学といっても、それでは一体誰の美学かわからない。お仕着せの美学、カタログから選択しただけの美学である。

 どんなプロの建築家でも、現場を大事にする。逆に、現場を大事にする建築家こそがプロと呼ばれる。それぞれ違った具体的で個別的な特定の土地に住宅は建つのだからそれは当然である。

 住宅を建てることを僕らはあまりにも面倒臭がるようになったのではないか。もう少し、時間をかけて楽しんでもいいのではないか。ものをつくるということは、そしてそのプロセスは本来楽しいものである。

 建築には素人でも、住むことについて僕らはそれぞれプロである。現場でじっくり時間をかけて自分にあった住まいを作り上げるのがその原点である。多様で個性的な住まいのあり方こそ豊かであるとするなら、お仕着せではなく、自分の美学を現場で磨くことである。

 


01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

 

 1.一坪一億円               ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                           ○型の不在

 6.ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風            ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失

2021年8月18日水曜日

空間の美学03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,学芸通信,新潟日報 19900814

 空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814

展示場の風景                03

  PHOTO:展示場の住宅の並ぶ風景・○○風住宅

 


 

 住宅展示場を歩いてみよう。夢のような住宅が並んでいる。それがまた実にヴァラエティーに富んでいる。地中海風あり、アーリー・アメリカン風あり、コロニアル・スタイル(植民地様式)風あり、ヴィクトリア様式風あり、ドイツ民家風あり、数寄屋風ありと様式が細かく区別される、それほど多彩である。

 住宅展示場の多様なデザインをみるとつくづく日本の住まいは豊かになったと思う。かっては、住宅のスタイルなど問題とされなかったのである。

 プレファブ住宅の歴史を振り返ってみればいい。一九五九年に三坪程のミゼットハウスが初めて売りに出されて以来、六十年代のプレファブ住宅は、安かろう悪かろうの代名詞であった。プレファブといえば、バラックのイメージなのである。

 しかし、今や高級住宅というイメージがむしろ強い。その転換点は、オイルショックだ。プレファブ住宅は全く売れなくなる。プレファブ住宅の商品の種類が各社とも一気に増えた。商品化住宅の様式化の現象と呼ばれるのであるが、スタイルそのものが問題とされ出したのである。価格や規模のみならず、住宅の質が、その豊かなイメージが求められ始めたのだ。

 しかし、住宅デザインの多様化現象は、本当に住まいの豊かさを示すのであろうか。デザインは多様でも、例えば、間取りはそんなに多様ではない。nLDKという記号でわかってしまう。暮らし方のほうが同じようなパターンをしているのだから無理もない。デザインの違いといっても、住まいの本質的なあり方とは無縁のように思えなくもないのだ。

 デザインの差異といっても小手先のファサード(正面)デザインの違い、顔のお化粧の仕方の違いといえるかもしれない。それに、決定的に違うかというとそうでもない。全て和洋折衷であるといってもいいのではないか。それぞれ、○○風であって、きちんとした様式そのままではないのである。いろいろの国の様々な様式の断片が組み合わされているだけといえば、いえなくもない。いってみれば全て無国籍のデザインだ。

 かって民家は、全て同じような間取りで、同じような材料でつくられていた。そうした意味では画一的であった。しかし、それが集まって豊かな村や町の景観をつくりだしてきた。地域地域でその景観は多様であった。

 しかし、現在の住宅デザインの多様性は、集まることによって不協和音を奏でるだけだ。特色なくホワイトノイズ(白色騒音)化してしまう。住宅展示場はそうした日本の町の縮図である。

 

01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困,空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁,空間の美学3,学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に,空間の美学4,学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

 

 1.一坪一億円               ○価格  

 2.入母屋御殿                            ○イメージの画一性

 3.展示場の風景               ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                              ○建てることの意味

 5.都市型住宅                           ○型の不在

 6.ウサギ小屋                        ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                      ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風            ○自然の喪失 

10.死者との共棲                          ○歴史の喪失

 

2021年8月17日火曜日

空間の美学02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困 学芸通信,新潟日報連載 全6回 19900731~0911

  空間の美学 学芸通信,新潟日報連載 全6回 199007310911

 02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2,学芸通信,新潟日報 19900807

入母屋御殿                  02

  PHOTO:入母屋御殿         お城のように派手な



 日本の各地を歩いていて、随分と豪華な御殿風の住宅をみかけるようになったのは、十年ほど前からのことである。秘かに僕は入母屋御殿と呼んでいるのだが、いまでは、あちこちでみかける。

 都市近郊の兼業農家の住宅に多い。入母屋屋根で、しかも妻(つま)を沢山もつ、いくつも屋根が積み重なってお城のように見える住宅だ。

 まさに一国一城の主の心境なのであろう、日本では理想の住宅のイメージは城郭のイメージに結びつくらしい。入母屋御殿は実に豪華に見える。屋根や妻の数を競い、近所の家に負けまいと次々に建てられつつある。 

 入母屋御殿をみるたびに、日本の住まいは実に豊かになった、と思う。しかし、まてよ、とも思う。

 入母屋御殿が建てられるようになったのはそれなりに理由がある。調べてみると、そう驚く程コストがかかるわけではない。大抵は、広縁のついた続き間を持つのであるが、そう規模が大きいわけでもない。農家住宅の近代化ということで、座敷や床の間の追放が叫ばれたこともあったが、続き間はなくなることはなかった。農村では、冠婚葬祭や地域の集まりに欠くことができないからである。続き間をもつ入母屋御殿が造られ続けてきたのは、住まいとはこうだ、というあるイメージが強固に生き続けているからなのである。それが何故かお城のイメージなのだ。

 何故、入母屋御殿かというと、他にも理由がある。地域の棟梁大工の美学、あるいは生き残り作戦があるのだ。プレファブ住宅とかツー・バイ・フォー住宅が増えるに従って、大工さんの建てる在来の木造住宅は次第に少なくなりつつある。そこで、腕に覚えのある棟梁大工は自分をアピールする必要がある。入母屋屋根は、技術的に難しいから、入母屋屋根をいくつもつくることは腕の見せどころでもあり、付加価値を得ることができるポイントともなるのである。

 しかし、問題はここからである。入母屋御殿が棟梁大工の技能と美学に基づくのはいいとして、日本全国同じように建てられつつあるのは一体何故か。不思議なのは、地域の伝統を活かした住宅と称しながら、同じような入母屋御殿が建てられていることである。

 地域性をうたいながら、地域の固有性を主張しながら、何故か画一的に、ワンパターンに入母屋御殿がつくられるのは、発想が貧しいのではないか。入母屋御殿は確かに一見豪華にみえる。しかし、同じようにお城のイメージというのも想像力の貧困というべきではないのか。


01 本当の豊かさとは 経済優先を考え直せ,空間の美学1,学芸通信,新潟日報 19900731

02 今なぜ入り母屋御殿 底流に想像力の貧困空間の美学2学芸通信,新潟日報 19900807

03 景観壊す無国籍デザイン 住まいの向上と無縁空間の美学3学芸通信,新潟日報 19900814

04 簡素化した建築儀礼 建てる過程を大切に空間の美学4学芸通信,新潟日報 19900828

05 都市住宅の型 伝統育てるために必要,空間の美学5,学芸通信,新潟日報 19900904

06 物過剰の追放 「狭く貧しく」返上を,空間の美学6,学芸通信,新潟日報 19900911

 

 

住まい・空間の美学  住まいの豊かさとは?

  1.一坪一億円          ○価格  

 2.入母屋御殿                          ○イメージの画一性

 3.展示場の風景        ○多様性の中の貧困

 4.建築儀礼                             ○建てることの意味

 5.都市型住宅                         ○型の不在

 6.ウサギ小屋                   ○狭さと物の過剰

 7.電脳台所                              ○感覚の豊かさと貧困

 8.個室 家の産業化                  ○家族関係の希薄化

 9.水。火。土。風       ○自然の喪失 

10.死者との共棲                        ○歴史の喪失

  

 

 






布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...